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「Template‐ノート:和暦」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
Hatukanezumi (会話 | 投稿記録)
→‎旧暦年代について: 長くなっているので節分けてみる。不適切と思ったら分け目を変えるなり節題を変えるなりしてください
Kinori (会話 | 投稿記録)
→‎subst展開について: Lincunさんへのお返事
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:::それと、jdateテンプレートがあなたにとって不便であることはわかりました。しかしそういう感覚の問題についてはひとそれぞれであると思います。jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたいと思います。
:::それと、jdateテンプレートがあなたにとって不便であることはわかりました。しかしそういう感覚の問題についてはひとそれぞれであると思います。jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたいと思います。
:::あと、「''Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さ自体は認めておられるのですよね。''」というのはあなたの勘違いかと思います。--[[利用者:Lincun|Lincun]] 2010年8月19日 (木) 13:52 (UTC)
:::あと、「''Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さ自体は認めておられるのですよね。''」というのはあなたの勘違いかと思います。--[[利用者:Lincun|Lincun]] 2010年8月19日 (木) 13:52 (UTC)

::::Lincunさんの意見に対して逐一お答えします。「どういう事情かKinoriさんによって私の発言が勝手にこちらに移されています」とのことですが、移動の理由については8月4日[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Template‐ノート:和暦&diff=prev&oldid=33359214]、7日[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Template‐ノート:和暦&diff=prev&oldid=33406064]に書いてあります。

::::「全てのページについて誰もが閲覧ならびに編集できる状況」で十分としていまいすが、そんなことはありません。率直なところ、こんな基本的なところで反対されるとは思いもよりませんでした。subst化の提案は、ウィキペディアをより良いものにしようという意図で出されています。ところが今のLincunさんの主張では、ウィキペディアの改善なんてしなくていい、という理屈にしかなりません。反対するなら、subst強制では改善にならないという理由を示してください。

::::subst展開で何か悪いことがあるのですか、とは、Gokiさんが繰り返して指摘し、質問していることでもありました。それに対して氷鷺さんは、初心者が気づかなくなるという意見を書きました(そして私はそれに対する反論を書きました)。ところがLincunさんはいつまでたっても「悪いこと」を示さず、「しなくてもいい」という理由しか出しません。私からも質問させてください。subst展開を「してはならない」、「テンプレートのまま記事においておかなければならない」と思う理由はなんですか。

::::また、「ウィキペディアの規格外のパーサ」について散々にけなしていますが、私があげた例はメディアウィキですよ。メディアウィキの機能を借りてテンプレートを作っている人が、なぜこんな態度をとれるのか、不思議です。大規模プログラムの例に漏れず、メディアウィキは過去からずっと、何かしらバグを抱えた状態で運用されています。それでも、メディアウィキは素晴らしく大きな仕事をやってのけるプログラムです。和暦やjdateテンプレートはそれと比べてどうでしょう。何が何に、誰が誰に合わせるべきかに、本末転倒があります。

::::Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さについて私からも、他の方からも様々に指摘されたのに、ずっと「実は不便ではない」という主張をしないままでした。そこで私は、不便さについては認めているのだと思っていました。実は無視していただけだったのですね。その点は自分の誤解でした。確かに、Lincunさんが言うように、便利・不便はある程度まで個人の感覚の問題です。が、そもそもこのテンプレートの存在意義はそうした意味での便利にあったのではありませんか。Lincunさんは本文で文章を書くことがほとんどない方ですから、テンプレートを張り付けまくった時の感想しか持ち合わせていないはずです。ならば執筆者の感想を軽視すべきではないでしょう。

::::Lincunさんは、「jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたい」とおっしゃいましたので、示します。このノートでのHatukanezumiさん、新幹線さん。[[Template‐ノート:Jdate]]でのTriglavさん。[[Wikipedia:井戸端/subj/同じテンプレートを複数回使ったときに、同じ内部リンクを2回目以降貼らないようにする方法はありますか?]]でのcproさん、ラッキースター・キッドさん、IPユーザー(219.163.200.74)さん。[[利用者‐会話:Law soma]]でのLaw somaさん。様々な理由で多くの人が不便・不都合を指摘しています。すべてLincunさんが参加した議論の中で出された意見です。

::::よって、多くの人が和暦テンプレートを不便だと考えているという前提で議論を続けさせていただきます。このテンプレートを不便だと思う人が多くいる一方で、便利だと思う人も多くいるでしょう。両方の執筆者が互いに邪魔せずに文章を書く方法は、substでのみ使い、本文中から消し去ることです。ですから、subst展開を義務付けましょう。--[[利用者:Kinori|Kinori]] 2010年8月31日 (火) 14:16 (UTC)


==本テンプレート作成の趣旨==
==本テンプレート作成の趣旨==

2010年8月31日 (火) 14:16時点における版

三たびおさらい

もう一度おさらいです。

現状Frozen-mikanさんにより、subst 展開可能なテンプレート

が作成されました。

これによって、私は「テンプレートのままにしておかなければならない」理由は、

  1. <ref>タグ内ではうまく展開できない。(Wikimediaのバグ)

を除いてなくなっていると判断しております(このバグについては現在は注意しながら修正しています。)。テンプレートのままにしておかなければならない理由を示している人はいません。

テンプレートのまま残しておくことに対するデメリットは、

  1. 明治5年以前で使用されると正しい日付が表示されない。({{和暦}}、{{Jdate}}、{{Jdate-y}}のすべて)
    1. {{Jdate}}、{{Jdate-y}}は1867年以前に対応していない。
    2. {{和暦}}は1867年以前に一応は対応しているものの、日付を入力項目としていないため改元がある年やそもそも旧暦→新暦変換に対応できない。
  2. 明治6年以降でも改元がある年については正しく表示されない({{和暦}}および{{Jdate}}、{{Jdate-y}}において年指定のみ行われた場合。)
    {{和暦}}に関しては回避する方法が用意されているものの、そもそもテンプレートの使用目的の1つが「改元年を意識せずに和暦を表示できる」点にあると考えているのでテンプレートの存在意義に矛盾する。また、{{Jdate}}に関しては回避方法がない。({{Jdate|1989}}の出力結果なんて有効なのが7日しかない。)
  3. リンクの形式が固定され、かつWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成およびWikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成氷鷺氏の改定案に矛盾する。
  4. ソースから、本文が読みとれず修正しづらい。

という、私にとっては耐え難い問題があります。

和暦系のテンプレートについてはテンプレートのままにしておかなければならない理由が「紛いなりにも」示されない限りsubst:展開することの何が悪いのかと考えている次第です。(注:私の編集はただsubst展開をしているだけではありません。これもわかっていない利用者が少なくとも1人いるので困っています。)

反論等があればいつでもどうぞ。ただし、私の態度に対する書き込みおよび修正済みの過去のミスに対する突っ込み等はここではしないでください。これらについてはここでは議論する気はありません。あくまでテンプレートに関する議論のみでお願いします。--Goki 2010年7月15日 (木) 08:16 (UTC)[返信]

問題点(と主張される内容)については理解しました。結局のところ『私にとっては耐え難い問題があります。』とあるように、個人的な嗜好・我儘に過ぎず、「俺が気に食わない」という以外の「テンプレートを外さねばならない理由」を示している人も、今のところいません。利用者ページの冒頭の『<BR/><BR /></BR></br><BR><br>タグ撲滅中 』と同様、記事の内容に影響のない意味のないことをして、何か貢献したつもりになっている人が一人いるだけです。まぁ、最近は少しはマシになりましたが。こういうこと――上のような改行タグだとか、画像名前空間だとか、デフォルトソートとか、表示に影響のない編集(を主目的とするもの)は、一切禁止したほうが良いんじゃないでしょうか。そういう編集を趣味とする方は、一人や二人程度ではなく、しばしば見られますが。
で、私の名前を出されるのは非常に不愉快というか、一言でいえば Goki氏の妄想なのですが、まぁ、仮に私の提案に従った内容であるとしても、提案の段階のものを、あたかも強制力のある「必ず守らないといけない」ものとして振りかざし、リンクを外すだけの作業を繰り返すのはどうでしょうか。「botではできないから俺がやる」というのも、その編集の根拠(bot作業依頼の理由)がないからそうやって逃げているだけにしか見えません。改元の年の表示にしても、記事の執筆者がその辺りの知識をもたない、あるいは注意していないならば「1989年1月1日→平成元年」「1926年1月1日→昭和元年」と書かれてしまうことは回避できませんし、出典からして間違えているものもあります。またそれを修正する(探し出す)ことは容易であり、テンプレート側で対策を講じることもできるはずです。
というか、いずれの問題も、新暦旧暦の変換すら、テンプレートの機能として対応・実現できるものです。和暦・Jdateの「正式な廃止」と「botでの置換」には反対しませんが、勝手にどこかの誰かが暴走して剥がして回っていることは到底見過ごせません。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 10:35 (UTC)[返信]
はぁ~。また個人的な問題に摩り替える。手続き上の問題にこだわるなら一生こだわってください。--Goki 2010年7月15日 (木) 10:42 (UTC)[返信]
テンプレート自体の問題も2年前から指摘しているにもかかわらず、誰も直さないから展開してるんじゃないの。何言ってんだか。--Goki 2010年7月15日 (木) 10:43 (UTC)[返信]
あなた自身の問題に過ぎず、人に説明できるほどの根拠がないから、bot作業依頼にも出せず、こそこそとやっているだけでしょう。リンクの方法にしても、『和暦→西暦の変換もないとスタイルをいじるのは駄目 』と言って提案を潰したのはあなたじゃないですか。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 14:05 (UTC)[返信]
コメント 上節ではお騒がせして申し訳ありませんでした。今晩からデータベースダンプ取得に取りかかります。木曜は記事編集がすくなめなんでね。ただ、記事数が1万を優に越えそうなので、今週末から分析に入れるかどうか……。
で、{{Jdate}}と{{和暦}}に関して、Gokiさんの出された論点にひとつ追加しておきます。
  • (論点追加) 誤った年号表記を誘発している (と強く推認できる)。そして、それに気づくすべがない。
推認と書きましたが、これは確実でしょう。旧暦と西暦では年初・年末がそれぞれ1箇月前後ずれますから、単純に西暦←→旧暦の変換を行うと12回に1回は間違った年代が表示される計算です。また、ひとつの年に複数の称元がなされる場合もあります (これは明治改暦以降もあります)。
両テンプレートでは、その対策として日付を入力させたり特殊な引数を指定できるようにしたりしていますが、それは解決になっていないと考えます。なぜなら、テンプレートを使うひとすべてが年号入力の際に正しい結果になっているかどうかチェックしているとは限らないからです。ほかの記事で使われているのをみかけて「便利なテンプレートがある」とおもって使うひともいるでしょう。
そして、なによりも問題なのは、テンプレートの表示は検証可能な執筆の結果ではないことです。テンプレートを使ったひとは表示される年代を外部の資料で確認したかもしれませんし、していないかもしれません。つまり両テンプレートは、執筆者が書いてもいない年代を書いたことにしている可能性があり、しかもその年代が正しい保証がありません。
両テンプレートを使って既述のような問題が (ほぼ) 起きないのは、次の期間だけです。
  • 明治6年-44年 (1873-1911年)
  • 大正2年-14年 (1913-1925年)
  • 昭和2年-63年 (1927-1988年)
  • 平成2年-現在 (1990-現在年)
すなわち、「グレゴリオ暦に基づいていて、年内に複数の称元がなかった年」です。
わたしの意見としては、すくなくともこれ以外の期間 (もちろん未来も) については、両テンプレートとも使用できないようにすべきだと考えます。 --Hatukanezumi 2010年7月15日 (木) 12:32 (UTC) 少し修正しました--Hatukanezumi 2010年7月15日 (木) 12:37 (UTC)[返信]

改元年で日付や元号の指定がない場合は、「1989年(昭和64年/平成元年)」とするか、「1989年」のように元号表示なしにすれば良いと思いますが、どうでしょうか? このテンプレートの場合、仮に「廃止」するとしても削除はできませんから、今後使い続けるかどうかと関係なく、改善できることは積極的に修正していく必要があると考えます。それと、リンク方法の指定、和暦西暦の順序の指定、和暦西暦の変換、この辺ができれば特に問題はなくなるように思いますが、如何でしょう? 前2つは(技術的には)今すぐできますし、和暦西暦の変換も難しいことじゃありません。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 14:05 (UTC)[返信]

「『1989年(昭和64年/平成元年)』も可とする」でいいのではないでしょうか。ちなみに、Jdateについては対応可能です。
和暦西暦の順序についてですが、Jdateで対応させることは可能ですが、明治以降についてはその必要があるのか非常に疑問です。--Lincun 2010年7月15日 (木) 14:50 (UTC)[返信]
コメント
Hatukanezumiさん「(明治6年から現在において、)グレゴリオ暦に基づいていて、年内に複数の称元がなかった年以外の期間について、これらのテンプレートを使用できないとする」という意見に賛成します。
出典に基づいて記述された記述を、新規編集者や暦法に詳しくない編集者が、安易にこれらのテンプレートを用いることで、検証可能性を満たさない記述に変更される恐れがあるというのは深刻な問題であると考えます。
例えば、元の記事が「[[元禄]]3年(1691年)[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]」と記述してあるのを、{{和暦}}を使用して「{{和暦|1691}}[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]」と書きかえられると、「1691年(元禄4年)12月24日」と誤った和暦が表示されてしまうため、検証可能性を満たさなくする。
和暦と西暦の換算や、改元年の和暦の扱いという厄介な計算が、完全にできるテンプレートでなければ不完全なテンプレートであると考えます。--Resto1578 2010年7月15日 (木) 16:01 (UTC)[返信]
「『1989年(昭和64年/平成元年)』も可とする」…。何にもわかってないよね…。「1989年(昭和64年/平成元年)4月1日」なんて表記もありですか?
私ならぶん殴りますよ。--Goki 2010年7月16日 (金) 06:34 (UTC)[返信]
…と一言で済ませるとあれなので、私が展開作業をやっている中でいろいろ気づいている点を挙げておきます。(一部はもう書くのが4,5回目ですけど…。)
  1. 明治5年以前のすべての日付及び、それ以降の改元年(1912年、1926年、1989年)について年のみで変換できることを許可していること自体が問題であることがわかっていない。具体例は上でも挙げてますが、{{和暦|1989}}4月1日、{{Jdate|1989}}4月1日と書く利用者も多数いるのです。そもそもテンプレートを利用すること自体が「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」にある(でなきゃ意味ないよね)ので、改元年にあたる年を無条件で変換させていること自体問題がある。警告でも出して変換させない処理を入れるのなら別ですが、それだと「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」に矛盾するよね。
  2. テンプレートのまま置いておかれることでリンクの形式が固定される。
上記2点がガイドラインがどうのこうの以前の根本的な問題だと考えているのです。それを個人的な感情の問題だなんて書いている時点でもう…(以下自粛)なのですよ。--Goki 2010年7月16日 (金) 07:39 (UTC)[返信]
「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」という限定的な目的が我儘だと言っているのです。それは、改元年を意識しない利用者の責任であり、その手間は、テンプレートの有無に関わらず、執筆者・編集者の側に「必ず」求められるものです。改元年の元号表示を(指定がなければ)非表示にすれば済むことでしょう。現在、和暦テンプレートの動作は
  • {{和暦|1989}} → 1989年(平成元年)  ―(修正案)→ 1989年
  • {{和暦|1989s}} → 1989年(昭和64年)
  • {{和暦|1989h}} → 1989年(平成元年)
  • {{和暦|1989sh}} → 1989年(昭和64年/平成元年)
こうなっています。この一番上が問題なのでしょう? Jdateだと「もっと面倒で、使いづらい」のですが……いずれにせよ、改元年で元号指定がない場合に「勝手に」元号を出すのはまずい、これは皆さん一致しているのではないかと思います。Gokiさんはテンプレートそのものの排除にかかっていますが、その是非とは別に、この問題を解決する事にも反対なのでしょうか? 元号の頭文字を使うのもややこしいので、それも修正の余地がありそうですが。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 08:47 (UTC)[返信]

以下は、Wikipedia:井戸端/subj/同じテンプレートを複数回使ったときに、同じ内部リンクを2回目以降貼らないようにする方法はありますか?で述べたことですが、こちらでも述べます。

私はふだんjdateなどを迷惑に感じています。私は文章をいったん自分のパソコンに引き取り、長い期間いじることが多いのです。コピーしたテキストにjdateなどがあると、わずらわしいだけで利益がありません。特別:データ書き出し機能を使って自分のパソコン上のメディアウィキに取り込むと、肝心の年の部分が表示されなくなります。ちなみに「テンプレートも含める」というオプションは今のところ使い物になりません。

メディアウィキはHTMLのような言語を学ばなくても書けるようにと工夫して作られているわけでしょう。jdateなどはそれを逆行させるものだと思います。これなくしては実現できない大きな利益があるなら話は別ですが、jdateは使いたい人のほんの少しの操作を省くだけです。使いたくない人に学習・利用を強制するほどのものではないと思います。

subst展開を基本とし、テンプレートの形で埋め込むのを禁止すれば、使いたい人だけが使い、使いたくない人が迷惑を受けずにすみます。--Kinori 2010年7月16日 (金) 09:02 (UTC)[返信]

「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」という限定的な目的が我儘だと言っているのです。それは、改元年を意識しない利用者の責任であり、その手間は、テンプレートの有無に関わらず、執筆者・編集者の側に「必ず」求められるものです。

テンプレートを使用している人(特に{{和暦}}と{{Jdate}}で年指定のみで使っている場合)は少なからず、責任を持って編集していない方がいるのは間違いありません。しかもテンプレートを使用しているため、テンプレートの不具合に気づかず、結果的に責任の欠如が見られます。
私が冒頭に書いている問題点の3つ目、4つ目も見てますか?私的には優先度は低いですがKinoriさんのように(私以外にも)迷惑がっている方もいるのですよ。
で、私が現在行っている行為はテンプレートの排除ではなく、テンプレートの展開重複リンクの修正です。いずれの行為もガイドラインなどに外れているとは考えていません。--Goki 2010年7月16日 (金) 09:23 (UTC)[返信]
会話ページに書いてきたところですが、テンプレートの排除が目的でないのなら、「間違い」を検索して修正するようにしてください。昭和期とかの「表記に影響のない」修正ばかりでは、説得力に欠けます。Goki氏が本当に記事のことを考えているのなら、明治6年以降の(改元年でもない)テンプレートなんか放置して、それ以前か改元年の修正だけ集中的に作業されているはずです。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 09:39 (UTC)[返信]

もう一度書いておきます。このテンプレートの場合、仮に「廃止」するとしても削除も無効化もできませんから、今後使い続けるかどうかと関係なく、改善できることは積極的に修正していく必要があります。既に1万以上の記事で使用されている以上、「廃止・使用禁止にするならればテンプレートを修正する必要はない」というのは間違いです。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 09:44 (UTC)[返信]

だーかーらー、重複リンクの修正もやってるよっていってるでしょうが。--Goki 2010年7月16日 (金) 10:55 (UTC)[返信]
重複リンクを規制する――それも「わざわざ修正するよう」強く求めるようなガイドラインが、どこに存在するのでしょうか? 仮に、重複リンクは排除「しなければならない」としても、年や日付の「間違い」をたびたび指摘している方が、「間違い」の修正と、表記に変化のない(リンクの)修正の、どちらが重要かも分からないのですか。何をどう言おうと、あなたはただテンプレートが嫌いで暴れているだけなのですよ。頭の中でどう考えてるかは知りませんが、見た目はそうなんです。動機がただの好き嫌いでも、合理的に廃止に向けて動いてくれれば、何も言わないし、むしろ協力したでしょうけど、ただ我儘を言って、「記事の(間違いの)修正」なんかそっちのけで「テンプレート根絶」に向かって走ってるだけですからねぇ。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 12:34 (UTC)[返信]
情報 多数の記事で使われていたテンプレートを廃止した経験があります。Template‐ノート:機種依存文字#統合提案の議論をご覧ください。このテンプレートの場合は、大部分を「用途別に別々のテンプレートに統合する」という形にし、残りのうち多くは「テンプレートが必要ない」ということで使用をやめました。実際のテンプレートはがし・貼り替えにはボットも併用して1000を超える記事で修正しました。
最終的に数百の記事が修正方法の判断がつかずに残りましたが、テンプレート自体を執筆者への修正依頼のリンク (右上のようなものです) に置き換えておいたところ、1年ほどで問題のテンプレートを使用する記事はなくなりました。参考まで。
今回の場合、ほかのテンプレートに問題のテンプレートが含まれているために対象記事数が多くなっているという事情があります。そのようなものはある程度一括して結論がだせるとおもわれますので、実質的な検討対象は1000件程度ではないかと予想しています。--Hatukanezumi 2010年7月16日 (金) 12:43 (UTC)[返信]

subst展開について

この節の提案は、このテンプレートをsubst展開でだけ使用することにしよう、という趣旨でした。ならば、substで使うことによってのみ発生する欠点と、それと関わりなくこのテンプレートを使用することで発生する欠点を、分けて考えませんか。

subst展開と無関係な欠点。これは、このテンプレートの使用を望む人が好ましくない編集をする問題です。1) 明治以前の誤表記期間、2) 改元年の誤表記期間、3) 元号への過剰なリンクです。どれも注意深い使用やオプションにより解決可能ですが、元の簡便さは損なわれます。しかし、それでもなお利便性がまさると考える人に対しては、強いて止めるまでもないことかもしれません。

subst展開しないために生じる欠点。このテンプレートの使用を望まない人が余計な面倒にまきこまれる問題です。1) ソースから内容を読み取りにくい、2) 外部での再利用に困難が加わる、3) エディタ等に引き取っての加筆を妨げる。注意事項やオプションを増やすと、これらの欠点の程度は増します。テンプレートから便益を受けない人に不便だけ押し付ける構造は、subst展開を義務付ければたちどころに消えますが、そうしないかぎり消えません。

subst展開で生じる欠点。<ref>タグ内でうまく展開できない。これはその箇所でテンプレートを使用せずに書き下ろせばすみます。

テンプレート呼び出しのままにしたいとする積極的理由は、昨年の議論でも、今の議論でも、示されないままです。私には思いつきません。何かありますか。ないのであれば、Jdateと和暦テンプレートはsubstでのみ使う方向にもっていく、とここで合意できませんか。細かなところを詰める話は、その後も続行すればよいでしょう。--Kinori 2010年7月21日 (水) 00:37 (UTC)[返信]

結局は「私のような行為を許したくない」から賛成したくないですよね?--Goki 2010年7月21日 (水) 01:23 (UTC)[返信]

あと、subst:展開を「してはならない」、「テンプレートのまま記事においておかなければならない」と思っている方の意見をお待ちしております。なお、作業ミスについては触れていますしHatsukanezumi氏によって対策はとられていますのでコメントは不要です。私としては議論の余地があるのは{{人口統計}}のようなテンプレート内で自動展開が必要になるもののみだと思っています。記事本文でsubst展開することについては何も批判されることはないと考えています。--Goki 2010年7月30日 (金) 02:20 (UTC)[返信]

反対がありませんでしたので、そろそろまとめてよいかと思っていましたところ、ここ数日、下のほうの議論でsubst義務化への反対意見が相次いで出されました。
まず氷鷺さんが「substを使うと、記事のソースで見かけなくなり、知名度が下がります」「初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う」といった意見を、8月2日に出されました。[3]
しかし私が思いますに、それは、このテンプレートがすべての編集者に習得させるだけの価値があり、また、このテンプレートが初心者に使いやすいという前提が成立しなければ、成り立たない話です。このテンプレートは、作者にとっては非常に複雑な大作なのでしょうが、執筆者からみるとほんのちょっとした働きしかしません。ウェブ上ならそのまま検索すればいいのだし、オフラインでは年表・手帳のたぐいで足ります。もちろん便利に思う人は一定比率いるでしょうが、思わない人も一定比率いて、その人たちはむしろ足を引っ張られる思いをするのです。そして、初心者に使いやすいわけではないことは、新幹線さんが指摘しました。私も同感です。特に、「使用上の注意」を読んでから使うことを想定しているなら、誰にとってもハードルが高いものになります。そのような観点からすると、安易に知名度を上げるのが良いこととは思えません。
続いて、「「和暦」の排除を望む方々が言うテンプレート使用に伴う弊害が、subst化によってどれほど除去できるのでしょうか」という意見を、Lincunさんが8月3日に出されました[4]
subst化によって除去できるのは、1) ソースから内容を読み取りにくい、2) 外部での再利用に困難が加わる、3) エディタ等に引き取っての加筆を妨げる、の3つです。テンプレートから便益を受けない人に不便だけ押し付ける構造は、subst展開を義務付ければたちどころに消えますが、そうしないかぎり消えません。こうした弊害が除去できるのですから、subst展開を義務付けましょう。
さて、私は日本史の記事を長短さまざまに書いている者です。その中でわずらわしさを感じ、井戸端とこのページで二度、苦情を書きました。他に同調し注意を喚起してくださる方もいました。しかし私が示した3点に向かい合った反対はないままです。このテンプレートは執筆支援を目的として作られたものではありませんか。それが執筆者の不便を無視するのではいけないでしょう。--Kinori 2010年8月5日 (木) 16:12 (UTC)[返信]
subst義務化については時期尚早、改元年や旧暦の問題を解決してから検討すべきという意見もありますので、今回は「単なる導入」にとどめ、後日再び検討するという形でどうでしょうか?--新幹線 2010年8月6日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
私があげた「subst展開しないために生じる欠点」3つは、テンプレートの改良と無関係です。改元年や旧暦対応が解決しても、3つの欠点はそのままです。その時点で検討しなおしても、今と変わった展望が開けるとは思えません。subst展開の義務化は主として使わない人のために必要なのです。「subst展開と無関係な欠点」3つの改良は、使いたい人がいくらでもやればよいです。二つの議論は、並行して続けられるので、並行してほしいと思います。有効な反論が出ないことを念入りに確かめてから、subst展開義務化で話をまとめたいというのが、ここでの私のもくろみです。
subst義務化を決めても、それをどう実現していくか、詰めなければならないことはいろいろあるだろうと思います。しかし、大きな方針としてsubstなしには使わないということが決まれば、少なくとも、テンプレートを貼った剥がしたで編集合戦がおきる可能性がなくなります。ここまでの議論を読んでも、また記事の編集の動静をみても、subst対応しただけの現状では、編集合戦勃発の可能性はかなり高いという気がしています。それは不毛でしょう。私も、自分が新規に書いた記事、これから加筆する記事でそういう小競り合いに遭いたくはありません。なおも粘り強く議論を続け、結論を出すことには意味があると思います。--Kinori 2010年8月7日 (土) 16:51 (UTC)[返信]
並行して議論を進めることには反対しませんが、改元などの問題が解決しないままsubst義務化されてしまうと、あとから間違った使い方がされた記事を探すことが難しくなるので、実際にsubst義務化するのは問題が解決してからにしたほうがいいと思います。--新幹線 2010年8月7日 (土) 23:07 (UTC)[返信]
特に改元年については「あとから間違った使い方がされた記事を探すことが難しい」かどうかは検索の仕方次第ではないかと思います。{{和暦|1912}}で検索するか1912年(大正元年)または1912年(明治45年)で検索するかの違いですよね?リンク元から絞り込むのは難しいかもしれませんが単なる検索であればあまり変わらないのではないかと思います。--Goki 2010年8月8日 (日) 01:49 (UTC)[返信]

「外部での再利用に困難」とのことですが、ウィキペディアの方針・ガイドラインの中に、独自に作成されたパーサへの配慮を求めるような文書は見たことがありません。そもそも、ウィキペディアと互換性のあるものを作成しようとする場合、作成する側がウィキペディアの実情に合わせるのが当然であって、ウィキペディアの方が独自に作成された技術的に不完全なパーサに合わせなければならないというのは全く理解できません。もしこの手の主張をするのであれば、方針・ガイドラインといったレベルで合意を取り付けることが先ではないでしょうか。

それと、このテンプレートが執筆者によっては「不便」なものであるとのことですが、全ての執筆者にとってウィキペディアの編集を容易なものとすることを目指すのであれば、ウィキペディアがテンプレートなるものを扱うことそのものを再検討していく必要があるのではないでしょうか。割と難易度の低いテンプレートと思われる和暦テンプレートにここまで喰い付かれる様子を見ていると、そのように感じざるを得ません。--Lincun 2010年8月6日 (金) 13:38 (UTC)

下のほうの議論でLincunさんから私のコメントにお返事をいただきましたので[5]、そのままこちらに転記させていただきました。直上の発言です。subst義務化についての議論はこちらで続けてくださるようお願いいたします。
ウィキペディアは外部での再利用を当然に前提としています。自由な再利用を禁止し、知識を独占しようとする動きに反対して、ウィキペディアは生まれました。他はいざ知らず、ウィキペディアにとっては、外部で再利用を容易にすることは、困難にすることより良いのです。もし、この改善と引き換えに何か大きな不利益をこうむる、といった状況があるなら、そのときはどちらを重視すべきか比較検討しなければならないでしょう。そうした事情があるなら、それを示してください。そうした事情を示さず、方針文書にないことだけを理由に改善を否定するのはおかしいと思います。文書にないというだけなら、subst義務化を禁止する文書もないのですし、和暦テンプレートのような○○な性格のテンプレート(○○には何を入れてもよいです)の作成を許可する文書もないのですよ。
次の論点です。Lincunさんは和暦テンプレートは難易度が低いから不便の度合いも他のものより低いはずだとお考えのようですが、執筆者の観点ではその考えは誤りです。ほとんどのテンプレートは一般の執筆者に使用を強制しません。付けたい人が付けるだけで、そうでない人は無視していいものです。和暦・jdateは違います。至るところで遭遇し、嫌だと思っても避けようがありません。和暦・jdateテンプレートはこの点で特殊なのです。subst義務化すれば、この不便が解消します。そのために他のテンプレートの扱いまで再検討する必要はありません。Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さ自体は認めておられるのですよね。軽く見積もりたいのでしょうが、「ソースから内容を読み取りにくい」「エディタ等に引き取っての加筆を妨げる」というのは、執筆者にとっては軽くない問題です。記事本文を書き下ろしていく人を支援するためにテンプレートがあるのではなく、テンプレートを作ったり貼ったりする人を支援するために執筆者がいるのだ、というお考えでない限り、あっさり無視できることではないと思うのですが、どうでしょうか。--Kinori 2010年8月7日 (土) 16:51 (UTC)[返信]
長くなってきたので節分けさせていただきました。節名や分割位置が不適切とおもわれるかたは修正ください。
コメント Kinoriさんの挙げた欠点のうち、「1) ソースから内容を読み取りにくい」にかかわることですが、年代を記載したり修正したりする場合、このテンプレートが使われることで編集に手間が増すようにおもいます。/利用実態調査で年号の検証・修正を行ってみて実感しました。
  1. 本文を見て年号をチェック (たとえば「1856年(安政3年)」と書いてあったとする)。
  2. 修正しようとして編集画面を出し、ソースの該当個所を探す (「1856」と書いてある箇所を探す)。
  3. 修正する (「1856年(安政2年)」に直す)。
いちばん困るのは、1. から 2. に移った瞬間、実際に表示される年号が見えなくなることです。修正しようとしたところで「旧暦では前年になるんだけど、ええっと、いつの前年だっけ?」と思って閲覧画面に戻るか、プレビューするかしないといけません。そして、修正は完全に打ち直すか、閲覧・プレビューしてコピペしたうえでする必要があります。
テンプレートになっていなければ、作業はソースにある「3」を「2」に修正するだけです。自分がどう修正したかはその場でわかります。
しかもこれは、「年号表記には{{和暦}}が使われていることがある」という予備知識がある利用者の場合です。そうでない利用者ならまず 2. の時点で、ソース中に「安政3年」を見つけようとして戸惑うでしょう。
このようなことは{{和暦}}でも{{jdate}}でもそうですし、テンプレートの年代表示が不正確になる場合だけでもありません。
そういうわけで、わたしはテンプレート化で編集がしやすくなっているとは感じません。編集結果が編集している瞬間に見えないということは、ウィキのそなえている「編集の簡便さ」や「速やかな修正が可能になる」という利点を損なうようにおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月8日 (日) 04:06 (UTC)[返信]
どういう事情かKinoriさんによって私の発言が勝手にこちらに移されていますが、面倒なのでこのままここでお答えすることにします。
知識の共有云々といった理念について語っておられるようですが、そもそもウィキペディアでは例外を除いて全てのページについて誰もが閲覧ならびに編集できる状況にあり、このことを以って十分その理念は十分実現されていると考えています。もちろんウィキテキストのフォーマットがよりシンプルである方が知識の共有という理念の実現に資することが皆無ではないとは思いますが、ウィキペディアの規格外のパーサに対する配慮は、あくまで副次的なものであると考えています。
ウィキテキストの変換についての技術的な問題についてですが、まともにフォーマットの変換をするつもりであるのであれば、正規表現による置換といったレベルでは対処できるようなものではありません。ウィキテキストではタグが入れ子で用いられることは頻繁にあり、それについても対応できなければ、正しい出力は得ることができません。そしてそれについてきちんと対応できるパーサであるのであれば、Jdate程度のテンプレートが変換の際に障害となることなどありえません。
知識の共有という理念の観点から語るのであれば、一般の編集者にとって便利な手段であるテンプレートというものを、一部の不完全なパーサしか作れない者たちの技術レベルに配慮して制限を加える方が余程問題であると私は考えます。
それと、jdateテンプレートがあなたにとって不便であることはわかりました。しかしそういう感覚の問題についてはひとそれぞれであると思います。jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたいと思います。
あと、「Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さ自体は認めておられるのですよね。」というのはあなたの勘違いかと思います。--Lincun 2010年8月19日 (木) 13:52 (UTC)[返信]
Lincunさんの意見に対して逐一お答えします。「どういう事情かKinoriさんによって私の発言が勝手にこちらに移されています」とのことですが、移動の理由については8月4日[6]、7日[7]に書いてあります。
「全てのページについて誰もが閲覧ならびに編集できる状況」で十分としていまいすが、そんなことはありません。率直なところ、こんな基本的なところで反対されるとは思いもよりませんでした。subst化の提案は、ウィキペディアをより良いものにしようという意図で出されています。ところが今のLincunさんの主張では、ウィキペディアの改善なんてしなくていい、という理屈にしかなりません。反対するなら、subst強制では改善にならないという理由を示してください。
subst展開で何か悪いことがあるのですか、とは、Gokiさんが繰り返して指摘し、質問していることでもありました。それに対して氷鷺さんは、初心者が気づかなくなるという意見を書きました(そして私はそれに対する反論を書きました)。ところがLincunさんはいつまでたっても「悪いこと」を示さず、「しなくてもいい」という理由しか出しません。私からも質問させてください。subst展開を「してはならない」、「テンプレートのまま記事においておかなければならない」と思う理由はなんですか。
また、「ウィキペディアの規格外のパーサ」について散々にけなしていますが、私があげた例はメディアウィキですよ。メディアウィキの機能を借りてテンプレートを作っている人が、なぜこんな態度をとれるのか、不思議です。大規模プログラムの例に漏れず、メディアウィキは過去からずっと、何かしらバグを抱えた状態で運用されています。それでも、メディアウィキは素晴らしく大きな仕事をやってのけるプログラムです。和暦やjdateテンプレートはそれと比べてどうでしょう。何が何に、誰が誰に合わせるべきかに、本末転倒があります。
Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さについて私からも、他の方からも様々に指摘されたのに、ずっと「実は不便ではない」という主張をしないままでした。そこで私は、不便さについては認めているのだと思っていました。実は無視していただけだったのですね。その点は自分の誤解でした。確かに、Lincunさんが言うように、便利・不便はある程度まで個人の感覚の問題です。が、そもそもこのテンプレートの存在意義はそうした意味での便利にあったのではありませんか。Lincunさんは本文で文章を書くことがほとんどない方ですから、テンプレートを張り付けまくった時の感想しか持ち合わせていないはずです。ならば執筆者の感想を軽視すべきではないでしょう。
Lincunさんは、「jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたい」とおっしゃいましたので、示します。このノートでのHatukanezumiさん、新幹線さん。Template‐ノート:JdateでのTriglavさん。Wikipedia:井戸端/subj/同じテンプレートを複数回使ったときに、同じ内部リンクを2回目以降貼らないようにする方法はありますか?でのcproさん、ラッキースター・キッドさん、IPユーザー(219.163.200.74)さん。利用者‐会話:Law somaでのLaw somaさん。様々な理由で多くの人が不便・不都合を指摘しています。すべてLincunさんが参加した議論の中で出された意見です。
よって、多くの人が和暦テンプレートを不便だと考えているという前提で議論を続けさせていただきます。このテンプレートを不便だと思う人が多くいる一方で、便利だと思う人も多くいるでしょう。両方の執筆者が互いに邪魔せずに文章を書く方法は、substでのみ使い、本文中から消し去ることです。ですから、subst展開を義務付けましょう。--Kinori 2010年8月31日 (火) 14:16 (UTC)[返信]

本テンプレート作成の趣旨

本テンプレートは、西暦に対応する和暦を簡易かつ正確に表記するために作成しました。ただし、西暦と和暦の対応の正確さについては、完璧に一致することまで追求しておらず、高等学校の日本史教科書程度の正確さを目標としました。標準的な高等学校の日本史教科書である山川出版社の『詳説 日本史』(2007年発行)の凡例には、次のように記載されています。

「年は年代を知るのに便利なため西暦を主とし、日本の年号は( )のなかに入れた。明治5年までは日本暦と西暦とは1ヵ月前後の違いがあるが、年月はすべて日本暦をもとにし、西暦に換算しなかった。たとえば天正14年12月1日は、西暦では1587年1月9日であるが、1586(天正14)年12月とした。改元のあった年は、その年の初めからあたらしい年号とした。たとえば慶応4年は9月8日に改元して明治元年となったのであるが、この年のことはすべて1868(明治元)年とした。」

ウィキペディア日本語版では、これよりももう少し正確に、旧暦の年月日が判明しているときには西暦に換算して併記すること、および、大正元年以後の改元のあった年については、改元のあった日を基準に分けて記述することが推奨されています。そのため、本テンプレートの使用法の説明でも、この二点については注意を喚起していますが、おおむねご理解の上使用されており、大きな問題も生じていないと思います。subst展開については、慎重に進めるならば、特に反対も賛成もしません。--唐棣色 2010年7月16日 (金) 14:27 (UTC)[返信]

コメント 某所での議論は読んでいますが、立ち入りません。
で、わたし自身は、率直に言うと、両テンプレートは廃止できるものならしてほしいとおもっています。理由はふたつあります。
  • 上で述べたように、単純な入力で検証可能性を保てる期間は、近代以降の不連続な期間だけになる。それ以外の期間 (明治改暦以前、改暦以降の改元年、未来の日付) について、なんらかの警告を表示したりして執筆者を誘導することはできるでしょう。--- しかしそれは、執筆者にとってはかえって煩雑になります。
  • 上でもほかのかたが言っていますが、ウィキテキストで見たときに「なにが表示されるのか」がわかりにくい。「{{和暦|1912t}}」とか「{{Jdate|2010}}度」と書くくらいなら、「[[1912年]](大正元年)」とか「[[2010年]](平成22年)度」とそのまま書いてもらったほうがありがたい。和暦でさまざまな元号に対応するための特殊な引数が使われないのも、執筆者がおぼえきれないからでしょう (たとえば、和暦の「m1」から「m5」までは使用例がなく、「m6」という誤記が1例あるのみです)
要するに、編集の手が止まってしまうので、テンプレートが使われているとかえって不便に感じるのです。
ここで重要なのは、「だったら自分が使わなければいいだろう」では解決にならない、ということです。だれでも、他人が執筆した記事に加筆することがあるのですから、テンプレートが存在するかぎり使わざるをえません。
しかし、(ここは強調しておきたいのですが) わたしは強いて廃止しようともおもっていません。理由は、実際に多くの記事で使われているからです。
  • 上で述べた近代以降の期間については、執筆者自身の誤記や転写ミス以外での問題はありません。年代のわかりにくさもすくないです。使いつづけたいひとが使い続けるのはかまわないでしょう。
  • 5000を越える旧暦表記の検証 (ちなみにこれは、和暦だけではなくJdateでもあります。明治1-5年の表示ができるので) が終わるまで、この期間の使用をやめるわけにはいきません。執筆者への告知を表示するなどして生かしておかなければならないでしょう。
で、これまで当ノートでは「旧暦の正確さ」「西暦の改元年の正確さ」「本当に便利なのか」「未来の日付」「誤記による予期しない動作」などと、両テンプレートで起こりうる問題が挙げられてきました。このことを「自分のテンプレートを否定しようとしている」と受け取らないでいただきたいのです。この点について、ちょっと説明します。
  1. 未来の日付については、わたしは問題だと感じたので使えないようにしたらどうかと提案しました。
  2. それに対して「執筆者の自由にまかせる」という意見がでました。「禁止」という表現も見られました。
  3. しかし、じゃあわたしの自由はどうなりますか。「元号が自動的に表示されるから使いたいが、未来の年号まで自動的に『平成』になるのは困る」というひとの自由は?
このように、ひとつのシステムがすべてのひとの「自由」をみたすことはできないのです。どんなシステムにもなんらかの制約が必要ですし、そのために、できることの取捨選択をしなければなりません。機能を増やすだけでは、より便利なものにはならないのです。
両テンプレートはこれまで多くの記事で使われ、成功をおさめてきたといえます。しかし、成長の時期はもう終わりです。つぎは、テンプレートでできること、できないことをひとつひとつ仕分けて、より安心して使えるものにしていくべきだとおもいます。
あいかわらずの長文で失礼しました。残っている大きな課題は「旧暦年への対応をどうするか」です。テンプレートにもなんらかの変更が必要かもしれません。主作者の唐棣色さんにご協力いただければ、たいへんうれしいです。 --Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 14:05 (UTC)[返信]
コメントこの点について、私は対応の必要を感じません。冒頭に示した作成の趣旨から、また、「具体的な日時まで明らかでなければ和暦年と西暦年を併記してはならぬ」とは考えないからです。--唐棣色 2010年8月4日 (水) 05:27 (UTC)[返信]

Template:Jdate、Template:和暦の利用実態調査

/利用実態調査参照

未来の年代が表示される

/利用実態調査によると、{{Jdate}}と{{和暦}}で、執筆時点で未来の日付を表記するのに使っていると考えられるものが数百例あります。未来の元号は未定なので、これは独自研究になっていると言えます。例を挙げます。

記事名 確認した版 引数 ウィキテキスト
CTC多古中継局 2010-05-05T02:40:29Z {{jdate|2011|7|24}} llow;">'''{{Jdate|2011|7|24}}正午で完全停波。'''</
ゆとり教育 2010-07-05T15:57:16Z {{和暦|2011}} **{{和暦|2011}}度から実施。'''・・・教育の

ゆとり路線

つくば中央インターチェンジ 2010-05-09T10:06:18Z {{和暦|2012}} * {{和暦|2012}} [[久喜白岡ジャンクション|久喜白岡J

こういった年代は指定できなくするべきだとおもいますが、逆に、いつまでの年代を表示可能とすべきでしょうか。なお、{{Jdate|2010}}といった今年の年を指定している例もありますが、執筆時点では未来の日付を意図している例があるようです。

さしあたり、執筆年の前年までは表示可能、当年以降は不可、とすることを提案します。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

特に行政関係の各種文書に「平成23年度」など未来の文言が出ることもあるので何が何でも当年以降は不可とするのはおかしいと思いますよ。ただし、リンクの形式に疑義があるのでテンプレートで未来の年を使用した場合はエラーにしてしまってもいいとは思います。--Goki 2010年7月18日 (日) 04:18 (UTC)[返信]
未来の年の場合は、出典とするものが「平成30年」など、元号を使っているもののほうがむしろ多いでしょう。30年後だとか100年後はともかく(打ち間違いの可能性もありますし)、10年15年程度の未来なら、平成表記も容認されるべきではないでしょうか。--氷鷺 2010年7月18日 (日) 04:29 (UTC)[返信]
(反対)未来の年代について、和暦表記を不可とすることには反対します。そのような表記をするか否かは、個別記事の執筆者の裁量に任せるべきことです。--唐棣色 2010年7月18日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
そのご意見の趣旨は分かりますが、打ち間違いを防ぐためにも、「ある程度」の制限はあったほうが良いと思います。{{和暦|2100}} とか {{Jdate|2100}} は、いずれも「2100年(平成112年)」と表示されますが、このような機能が必要とは思えません。近い未来(10年15年…20年?)に限定されるべきでしょう。--氷鷺 2010年7月18日 (日) 05:26 (UTC)[返信]
反対 それは使う側が注意すべきことで、区切る年代を決めるだけ面倒だと思います。別の方からご指摘のある2100年(平成112年)にしても政府が出す文章にはあるにはありますし[8]、他にも超長期的な話題もあるでしょう。この先、改元された場合にテンプレートが修正されることも含めて、適切な場所で使われている必要はあります。テンプレート自体としての問題は色々あるでしょうが、ここでは「未来の年代」機能に限定します。--Frozen-mikan 2010年7月18日 (日) 06:13 (UTC)[返信]
コメント確かに使う側が注意すべきなのですが、Hatukanezumi氏が指摘しているように間違った使い方をしている利用者も少なからずいるわけです。未来の年月に対しては積極的に賛成はしませんが、間違いを間違いのまま許容するテンプレートの修正にも賛成できかねるのです。--Goki 2010年7月18日 (日) 08:11 (UTC)[返信]
コメント 競合したようだがそのまま。
そういう表記を用いる場合があるのは事実ですが、ウィキペディアでの年代の表示としてそれを採用すべきでしょうか。過去の年代については元号が確定しているのに対して、未来の年代については結果的に「あとで事実と異なるとみなされる可能性のある年号」を表記していることになるのですが (「平成112年」にいたっては、常識的に考えて実現することのない年号です)。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 08:22 (UTC)[返信]
(追記) ウィキペディアの記事は再利用が認められていますから、「元号が変わったらそのときにテンプレートを修正すれば記事も変わる」というわけにもいかないのではないかとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 08:33 (UTC)[返信]
情報 /利用実態調査#2011年以降の年代を表示しているものに全例挙げました。253件。このほかに、2010年のものがあります。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 08:53 (UTC)[返信]
そのような表記を禁じるべきであると主張するならば、まず、Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間の修正を提議すべきだと思います。なお、明確な間違いを発見した場合には、都度修正されればよいと思います。--唐棣色 2010年7月18日 (日) 09:13 (UTC)[返信]
コメント うん。議論の場を移しましょうか。
いま買い物にでていて考えたんだが、「自由」の話をここでするのはおかしいね。
  • 「個々人の表記は自由だ」という話をするのなら、テンプレートは表記を固定するものなのだからここではなすのはおかしい。
  • 「テンプレートを使うか使わないかは自由だ」というのなら、テンプレートに独特の配慮があることがいけないというのはおかしい。
  • 逆に「使わない自由もある」というのなら、テンプレートはだれにでも使われうるのだから、当のテンプレートのノートで言うのはおかしい。
ともかくじゃ、続きは表記ガイドのノートでいいですか。そちらでなにか結論がでたら、テンプレートにも反映させることにしましょう (わたしのポリシーは「機械のプログラムは人間のポリシーを越えてはならない (なるべくなら)」なのです。テンプレートもプログラムですよね)。 --Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 09:55 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia‐ノート:表記ガイド#未来の日付の和暦表記についてで提起しておきました。--Hatukanezumi 2010年7月19日 (月) 00:13 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:表記ガイド#未来の日付の和暦表記についてにおける議論を見たところ、未来の年代に和暦を併記することは控えるべきであるという意見が大勢を占めているようです。そこで、このテンプレートの説明文中に、未来の年代については本テンプレートの使用を控えるよう追記しました。--唐棣色 2010年7月19日 (月) 12:57 (UTC)[返信]

すみませんが、差し戻させていただきました。結論を急ぎすぎです。説明も曖昧で不適当に感じました。どういう問題があるのか、ガイドラインがどうなっているのか、どういう場合が良いのか/悪いのか、それぞれ明確にすべきですし、注意するくらいあるなら機能自体を制限したほうがいいでしょう。--氷鷺 2010年7月19日 (月) 15:39 (UTC)[返信]
コメント 結論を急ぎすぎない、というのには賛成ですし、ガイドラインのノートでの議論が決着してからどうするか考えればいいとおもいますので、いま当ノートでこの件について続ける必要はないでしょう (ただ個人的には、あの注意書きは急いで差し戻さなければならないほど不適切なものだとはおもいませんでしたが)。
テンプレートにはテンプレートの課題がありますので、そちらに集中しませんか。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 12:05 (UTC)[返信]

提案ですが、引用文――「一字一句そのまま」書き写されているべき引用文、すなわち内容の変更が(事実上同義の元号であっても)問題となる可能性のある箇所のみについて、和暦・Jdate(および類似テンプレート)の使用は一切禁止(要修正)としておくべきではないでしょうか。主に、未来の年が対象になるかと思いますが、いまテンプレートで「平成100年」という表示が得られていても、将来的にそれは変更になる可能性があるので、「変更されてはまずい」使い方をしない、ということです。(逆に言えば、後に修正されるべき未来の記述には、「テンプレートを使用したほうが良い」とも言えます) 常識的なウィキペディアンであれば、決してそういうことはしないはずですが……念のため。著作物性がないものなど、多少の補記などが問題ない「厳密に引用文である必要のない」引用文は除きます。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 11:15 (UTC)[返信]

パラメータの誤記

/利用実態調査#誤記にパラメータの誤記の全例 (調査したデータの限り) を挙げました。このデータは今後数回アップデートするかもしれません。

記事の修正にご協力ください。また、テンプレートでの不正パラメータ処理の参考にしてください (特に、{{和暦|}}がへのリンクになるのはバグでは?)。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 11:29 (UTC)[返信]

現状存在する誤記についてはほぼ修正が終わりました。修正の際はページ中にほかのテンプレート呼び出しがあればそれも調べて適宜修正しています。どんな修正がされたかご覧になると、いろいろと参考になるのではないかとおもいます。
で、提案なんですが、{{和暦}}に、誤記があったらエラー表示とする機能を付け加えてはどうかとおもっています。基本的な動作は、想定外の範囲の引数 (引数が空の場合も含む) が与えられたら通常の年代表示ではなくエラーメッセージを表示する、というものでいいでしょう。
subst対応との関係が問題になるかもしれません。エラーの場合はsubstしないようにすることって可能なんでしょうかね。できるような気もしますが、まだよく調べてません。--Hatukanezumi 2010年7月25日 (日) 11:44 (UTC)[返信]

Template:和暦 - パラメータの誤記への対応

なんか節の順序がひっくりかえっててすみません。つぎのような方針で、誤記への対策をしたものをサンドボックスに作成しました。

  1. 誤記をチェックする。つぎのようなチェックを行う。
    • 引数があるか。
    • 引数に数字を要求する場合は、数字かどうか。
    • 西暦年数の場合は小さすぎないか。和暦年数の場合は1以上で元号末年以下か。
  2. 誤記の場合、エラーメッセージを表示する。また、Category:テンプレート呼び出しエラーのあるページ/Template:和暦を付与する。
  3. 誤記の場合、substしても展開されない

テストケースで表示の変化を確認ください。また、変更履歴でコードの過不足が生じていないことを確認ください (差分を見やすくするために、複数回に分けて編集しています)。

対応していない部分もあります。

  • 和暦→西暦 ({{和暦|m|1}}等) では、年数が数字になっているかどうかをチェックしていません。コードが煩雑になりすぎるためですが、対応は容易です。
  • 南北朝時代の各統年号 ({{和暦|南朝|...}}{{和暦|北朝|...}}、) では、年数が数字になっているかどうかだけでなく、範囲もチェックしていません。実際に使用されている例がないため。
    • ちなみに、{{和暦|南朝|1328}}{{和暦|北朝|1333}}{{和暦|南朝|1333}}{{和暦|北朝|1328}}と入力すると、なにも表示されません。コードのタイポだとおもいます。
  • 未来の年号かどうかは、別途の場所での議論をまつことになっていますので、チェックしていません。

なにか問題になる動作がありましたら、指摘してください (自分で修正できるかたはしてください。修正のしかたがわからなければ、だれかがやってくれます)。

特に異論がなく、かつ、最後の修正から1週間以上あらたな修正がなければその時点でサンドボックスを本テンプレートに反映してはどうかと考えます。よろしくお願いします。

なお今後のことですが、subst対応に続いて誤記対応がすめば、やっと、表示される内容やその検証・修正についての議論に移れるとかんがえています。そのときは、コメント依頼でも出して議論への参加をよびかけたほうがいいかもしれませんね。 --Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 03:01 (UTC) 訂正--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 12:54 (UTC)[返信]

誤記でなくてもsubst展開されないバグがあったので修正しておきました。substの場合の確認もお願いします (実際に投稿しなくても、差分で見れば確認できます)。--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 12:54 (UTC)[返信]

紀元1年~644年については現状どおり西暦のみ表示でいいと思います。--新幹線 2010年8月7日 (土) 23:28 (UTC)[返信]
そこは議論のあるところだとおもってました。
  • 扱える年代を明確にするという意味では、(ユリウス暦が規程どおりに実施されていなかった西暦8年2月28日以前もふくめ) 元号のない時代はエラーにしてもいいんじゃないかとおもいます (天皇在位年表示という手もありそうですが、そうすることになったら対応範囲を広げる)。
  • いっぽうで未対応期間を明確にするのなら、日本で元号が使われだしたころは元号のない年もありますから、その期間も未対応としてエラーにしたほうがいいんじゃないかという話もあるとおもいます。
つまり、わたしはテンプレートで対応できる期間を明確にしたいという意見なのね。--Hatukanezumi 2010年8月8日 (日) 01:52 (UTC)[返信]
このテンプレートを改良するということは、過去版でもエラー表示が起こる可能性があることを意味します。それで、問題のある出力ではないにも関わらず、あえてエラー表示にすることに抵抗を感じます。--新幹線 2010年8月8日 (日) 02:44 (UTC)[返信]
過去版での表示まで考えていませんでした。では、この点については特に異論なければ次のようにしたいとおもいます。
  • 年が0か負 → エラー (現サンドボックスのまま)
  • 1-644年 → 西暦年記事へのリンク
  • 654-670年 → 西暦年記事へのリンク (現状のまま)
  • 687-700年 → 西暦年記事へのリンク (現状のまま)
--Hatukanezumi 2010年8月8日 (日) 03:11 (UTC)[返信]
報告 修正してみました。--Hatukanezumi 2010年8月9日 (月) 12:48 (UTC)[返信]

報告 最後の修正から1週間たち、特に議論もないことから、サンドボックスでの変更をテンプレート本体に反映しました。こんご数日たっても特に問題が起きないようでしたら、当節は冒頭に{{解決済み}}を貼り付けるなどして閉じていただいてかまいません。ご協力ありがとうございました。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 13:48 (UTC)[返信]

Template:和暦: subst対応の正式化

frozen-mikanさんによってsafesubst:を使ったsubst対応が導入されています[9]が、現在サンドボックスにあるものをテンプレート本体に反映させたいとおもいます。

特に異論なければ、今週末にでも実施します。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 12:11 (UTC)[返信]

(反対)(条件附き賛成)おやめください。Hatukanezumiさんは鹿児島市立福平中学校の2010年7月18日 (日) 10:52の版で、Gokiさんは2010年7月1日 (木)の星新一哲学などで、このテンプレートのsubst展開に関する軽率な編集を行いました。Hatukanezumiさんがお調べになったとおり、このテンプレートはすでに7000以上の記事で使用されています。そのため、この編集には慎重の上にも慎重を期すべき所、つい最近かような大失敗をやらかした人に大幅な改変を任せることには、非常に不安を覚えます。少なくとも、相当期間をおいて複数の詳しい方にご意見を聴取した上で、行われるべきです。--唐棣色 2010年7月20日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
コメント うん。だから、そのようなことを起こさないために、subst展開に対応しましょうと言っています (わたしやGokiさんはもう失敗しませんが、次にだれが失敗するかわかりません)。提案の趣旨が逆です。
それと、サンドボックスはテンプレートの改良を確認するためにあるものなので、十分にテストされたら本番のテンプレートに反映すべきです。そうしないと、ほかの改良ができません。
safesubst:によるsubst対応で、なにか問題が起こるというのなら、反対も結構です。なにか問題がありますか。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
コメント 何やら政治的思惑が散見されるので、Hatukanezumi氏・氷鷺氏・Goki氏の御三方には対処してほしくないなと、隠しても仕方ない(通じない)ので言っておきます。平たく言えば、貴方は弄るな、と。
Frozen-mikan氏あるいはその他の方による、慎重な対応であれば、特に反対しません。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年7月20日 (火) 23:30 (UTC)[返信]
個人を標的にした反対は、喧嘩の輪を広げるだけです。「あいつのすることは」という心理が奥底にあって話がややこしくなっているという気はします。しかしそれに対して「あいつのすることには反対」を拡大連鎖させたところで、ことが良くなるはずがないです。ラッキースター・キッドさんは今までこの議論に関与していなかったからご自分の中立公正な立場を確信しているのでしょうが、このような発言はその立場を自ら崩すようなものです。唐棣色さんも、ご再考ください。--Kinori 2010年7月21日 (水) 00:59 (UTC)[返信]
いいえ、私は中立ではありません。「中立」というのは、その対象に対して興味や意見がありながら、敢えて中道を行く場合のことを指しますが、私は {{和暦}} に関して何ら意見を持っていませんし、興味もありません。単純に、ウィキペディアでの編集を(ウィキペディア内での)政治的な材料にしてほしくないこと、ウィキペディア内でそれなりに名の通っている御三方がそのような行動を取られることで悪しき前例となることを防ぎたいだけです。私なりに。御三方が喧嘩していようが私の知ったことではないが、他所に影響が出ると困ります。
この一件を政治的な材料に使わないと仰ってくだされば、特に反対はしません。確約は必要有りません。守ってくださればそれでよし、守ってくださらなくても「ああ、やっぱり」と思うだけです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年7月21日 (水) 21:54 (UTC)[返信]
御三方の対立に対する中立の話です。御四方に増やしていいわけないでしょう、と申し上げたいのです。私はこの問題に一定の関心を持っており、理にかなった解決を望んでいるので、個人に対する反発で議論が左右されると困ります。--Kinori 2010年7月22日 (木) 03:25 (UTC)[返信]
(反対)変更箇所があまりにも多いので、sandboxを正式な版に置き換えることに反対します。テンプレートをsubst展開してしまえば、テンプレートを使用しているという痕跡は残らないのだから、subst対応版については別のテンプレートとしてしまっても何の問題もないでしょう。むしろ、現状で使用されている箇所についてエラーを発生させないことへの配慮を最優先すべきと考えます。--Lincun 2010年7月21日 (水) 12:50 (UTC)[返信]
現在サンドボックスにあるものを使って問題が起きるのであれば、ぜひ修正をお願いします。どのようなときに、どのような問題が起きますか。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 22:11 (UTC)[返信]
コメント 変更箇所が多いとのことですが、どの点が問題なのでしょうか。私は必要な処置を行ないました。テンプレート呼出やマジックワードは有りませんでしたし、条件文も正規表現で置換しました。見落としがあるのならば、ご指摘いただけると有り難いです。--Frozen-mikan 2010年7月26日 (月) 08:27 (UTC)[返信]

情報 safesubst:についてまだご存知ないかたは多いと思いますが、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート#safesubst: の紹介とそこからリンクしている説明をお読みください。subst展開を安全に行うための機能です。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 14:39 (UTC)[返信]

コメント私はこの件については意見しませんが、文句を書く人に文句があります。「あなたは聖人君子なのですか」と。--Goki 2010年7月21日 (水) 01:05 (UTC)[返信]

コメント (実例) subst化対応についてわかりにくかったかもしれませんので、実例で説明します。

このページをご覧ください。ここには同じ年代が3つ表示されていますが、ページのソースを見ると異なっています。

それぞれ、「{{和暦|1999}}」、「{{subst:和暦|1999}}」、「{{subst:和暦/sandbox|1999}}」と入力して保存したものです。ふたつめとみっつめはsubst展開されますが、ふたつめの結果はとうてい受け容れられるものではないでしょう。みっつめの結果が得られるようにしようというのが、わたしの提案です。

わたしはもちろん、思惑があって提案しています。すでに述べたように、両テンプレートが表示する数千の年代に検証が必要な可能性があります。検証の作業には、多数のかたの協力が必要です。検証に集中するあまり、わたしやGokiさんがやったようなミスをするひとはでてくるでしょう。ですから、なるべく安全にテンプレートを利用できるように、準備をしておかなければなりません。--- またそういうわけですので、テンプレートの改良の提案は今後もしていきます。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 12:18 (UTC)[返信]


subst対応の修正で問題が起きるという指摘はありませんので、異論ないものと考えます。
今週末をめどにTemplate:和暦/sandboxTemplate:和暦に反映する作業を実施しようとおもいます。もちろん、わたしでないとできないといった作業ではありませんので、ほかのかたが作業なさるのも自由です (念のためですが、作業する際は履歴継承にご注意ください。WP:MM#項目一部転記を参考にしてください)。
なお、作業が実施された場合、差し戻しをしないよう強くお願いします。有害な結果を生まない編集を差し戻すことは無益ですし、編集合戦を引き起こしかねません。万一編集合戦になった場合は、テンプレートページの保護を依頼します。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 22:11 (UTC)[返信]
コメントこれまでのところ、提案者Hatukanezumiさんのほかに賛成意見はなく、反対意見の方が多いと思いますが、それでも強行されるのですか。本件大改変をHatukanezumiさんがご提案されたのは「2010年7月20日 (火) 12:11 (UTC)」です。それから5日程度で「即時」実施しなければならないほど急ぐ理由は、Hatukanezumiさんから一切ご説明されていません。Hatukanezumiさんにおかれましては拙速に事を運ぶことなく、落ち着いて合意形成を図る努力をお示し下さい。--唐棣色 2010年7月22日 (木) 02:56 (UTC)[返信]
この状態で強行するのは間違っています。いつまで待っても具体的な指摘がないままだったり、個人に対する反発だけが理由とされるのであれば、私が賛成に回りましょう。Hatukanezumiさんは、たとえば来週末まで、どんな問題点が指摘されるかじっと待ってみてはどうですか。--Kinori 2010年7月22日 (木) 03:25 (UTC)[返信]
コメント 待つのはいっこうかまいません。先日来言っているように、テンプレートの変更は主目的ではありませんので。
しかし、Lincunさんや唐棣色さんは、他人に合意形成への姿勢についてあれこれ言う前に、この場で議論にかかわってきたかたがた全員に謝罪すべきことがあるのではないでしょうか。そうでないかぎり、その発言に誠意を感じることはできませんので、おふたかたの主張がどんなものであろうと、勘定にいれる必要はないと考えています。
したがって現状は「提案があったが特に異論はなかった」という状態です。--Hatukanezumi 2010年7月22日 (木) 12:25 (UTC)[返信]

私はお2人についての反対は勘定に入れています(理由は手続きに関する反発としか考えていませんが)。--Goki 2010年7月23日 (金) 18:59 (UTC)[返信]

結局、反論を無視して、自己中心的な態度を採ったあげく、何もせずに逃亡ですか。(「週末」までに編集が行われなかった。)というわけで、この件は一旦終了ですかね。--okegawa 2010年7月26日 (月) 07:51 (UTC)[返信]

上のokegawa氏のコメントはひょっとしてHatukanezumi氏に対するものか?氏はちょっと待てと言われたので待ってるだけだと思うが。それが逃亡??--219.67.171.131 2010年7月26日 (月) 08:36 (UTC)[返信]

再度。

現在サンドボックスにある版ではsafesubst:を使ったsubst対応が導入されています[10]が、テンプレート本体に反映させたらどうでしょうか。--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 00:07 (UTC)[返信]

だれも反対していませんよね。--Goki 2010年7月31日 (土) 09:23 (UTC)[返信]
コメント明確な反対票が2票で、賛成票は一つもありません。賛同される方は、人格攻撃や不可解な謝罪要求などの前に、まず賛成の表明を行い、その編集の必要性を説明されるべきでしょう。--唐棣色 2010年7月31日 (土) 09:36 (UTC)[返信]
(賛成) 既存テンプレートへの機能の追加であり、仕様上問題が起こらないのであれば、特に反対する理由はないと思います。全面的に賛成します。あと、「明確な反対票」を投票されたおふた方が、その票に対してHatukanezumi氏およびFrozen-mikan氏がされた問題点の具体的提示に関しての質問を完全に無視を通しておられることに遺憾の意を表明します。--るなあるてみす 2010年7月31日 (土) 10:05 (UTC)[返信]
賛成 特に強制・推奨しないという、純粋な「機能の追加」であれば賛成します。--氷鷺 2010年7月31日 (土) 10:32 (UTC)[返信]
賛成 賛成しますが、substを特に推奨しない理由はあるのでしょうか。substしたほうが記事のソースが分かりやすく、初心者にも編集しやすくなりますし、テンプレート自体の更新に呼び出し先の記事が対応する必要もないです。このことからテンプレートのままにしておくメリットはないと考えますが。是非ともsubst推奨を明文化すべきだと思います。--新幹線 2010年8月1日 (日) 13:12 (UTC)[返信]
コメント substする/しないを一律に決めるのはやめたほうがいいでしょう。少なくとも、未来の/予定の記述で、引用文ではないもの――すなわち「今後元号の変更があれば修正されるべきもの」については、「substしないことを推奨」したほうがいいです。逆に(まともなウィキペディアンはそんなことしないでしょうけど)引用文などに使う場合は「必ずsubst」すべきです。
substを使うと、記事のソースで見かけなくなり、知名度が下がります。もし、いま使用されている記事を「全て」subst展開すれば、初心者がこのテンプレートの存在を知る機会は激減し、「いつまでも知らないまま」の人さえ増えるでしょう。substを推奨するにしても、既に使用されている(使い方に問題のない)記事での大量置換は禁止されるべきです。
それに、ほとんどの記事には、インフォボックスをはじめ、要出典、告知や提案のテンプレート、スタブテンプレート、Mainなどの他記事参照テンプレート、曖昧さ回避テンプレートなど、何かしらテンプレートが使用されています。こういう状況で「テンプレートは難しいから初心者向けじゃない」というのはあまり合理的ではありません。もし、初心者のことを優先するのであれば、「テンプレートの存在を知る機会が多く」「使い方が分かりやすい」「実例を目にすることができる」非substを推奨すべきではないのですか? --氷鷺 2010年8月2日 (月) 03:35 (UTC)[返信]
質問 これは氷鷺さんにということではなくて、みなさんに確認していただきたいのだけど、提案しているsubst対応をしても、{{subst:和暦|...}}としないかぎりいままでと動作はかわらないよね? 疑問のあるかたは自分で確認してみてください。--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 11:00 (UTC)[返信]
subst機能に問題があるなどとは言っていません。賛成と書いてあるのが見えませんか? --氷鷺 2010年8月2日 (月) 03:35 (UTC)[返信]
追記 もし私「以外」の方へのコメントということでしたら、私の勘違いですのでお詫びいたします。--氷鷺 2010年8月2日 (月) 10:05 (UTC)[返信]
妙なところにコメントつけて混乱させたかな。本当に、氷鷺さんにむけたわけじゃない。純粋に確認です。詫びるようなことじゃないよ。--Hatukanezumi 2010年8月2日 (月) 11:10 (UTC)[返信]
コメント反対票は「手続きに関するもの」のみでテンプレートそのものについての反対なんかないじゃないですか。substしなくても影響がないのなら何の問題があるのでしょう。--Goki 2010年7月31日 (土) 11:05 (UTC)[返信]
コメント subst対応義務化についてですが、わたしは時期尚早かなあとおもっています。これまでの議論や作業ででているように、テンプレートの表示結果に問題があるケースが多いので (たとえばいま作業している感触では、{{和暦|1926}}は大半が正しくないとおもわれます1926年(昭和元年)になるのだけど、昭和元年は1週間しかない)。問題のある部分を修正・改善したあとでなら、subst義務化を検討することに賛成です。substしてしまったほうが、編集するひとにテンプレートについての予備知識を要求しませんから。
そういうわけで、今回はまずは従来との互換性を保った変更としてsubst対応を導入する、ということでいかがでしょうか。--Hatukanezumi 2010年8月1日 (日) 22:23 (UTC) 加除--Hatukanezumi 2010年8月2日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
賛成
subst対応の正式化に賛成します。理由は、新幹線さんの2010年8月1日13:12の理由と同じです。
しかし、Hatukanezumiさんの仰る問題点の修正されるまでは、subst義務化はせずに導入のみとし、問題の修正後に義務化するというコメントに賛成します--Resto1578 2010年8月1日 (日) 22:38 (UTC)[返信]
コメント 義務化はやめたほうがいいでしょう。少なくとも、未来の/予定の記述で、引用文ではないもの――すなわち「今後元号の変更があれば修正されるべきもの」については「substしないことを推奨」したほうがいいです。推奨するにしても、「今後、新たに使用する際」に限ってsubst推奨とし、使用法に問題のない記事への遡及的な(大量の)適用は禁止されるべきです。初心者のことを考えれば、「初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う」subst義務化には問題があります。--氷鷺 2010年8月2日 (月) 03:42 (UTC)[返信]
なるほど。「初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う」初めっからそれを言えばいいじゃないですか。なんで手続きがどうのとか人依存なものに文句を書くから面倒なことになるのですよ。
とはいえ、(実現趣旨は異なりますが)脚注ヘルプのような別の場所にリンクを張ることで対応することも可能ですし、テンプレートのままに「しなければならない」理由にはならないですね。単に私の行為を否定したいだけという雰囲気がものすごく漂っています。--Goki 2010年8月2日 (月) 06:31 (UTC)[返信]
コメント 確かに未来の年号についてはsubstしない場合、テンプレートの方で一律に更新できるというメリットがありますが、テンプレートの使用が強制・推奨されない限りそのメリットは十分に生かせないと思うので、subst推奨はしないまでも、substしないことを推奨までする必要性はあまり感じません。
また、他のテンプレートを引き合いに出して初心者がテンプレートを知る機会が激減することを問題としていますが、それらはお知らせ系テンプレートやメンテナンス系テンプレートなどの「そもそも初心者が使うとは考えにくいテンプレート」や、Infoboxなどの「表の外観を決めるテンプレート」(表のソースコードを出されるよりは変数名が出ているInfoboxの方が編集しやすいという人が多いでしょう)ですし、それぞれのテンプレートはテンプレートのままにすることによって「ソースを簡略化できる」「スタイルを統一できる」というメリットがあるわけです。これに対して和暦テンプレートは「記事の本文を構成するテンプレート」ですので、他のテンプレートと比べて初心者に編集しづらいというデメリットをまともに受けることになってしまいます。また、必ずしもソースが簡略化されるわけでもありませんし、テンプレートの使用が強制されないならスタイル統一のメリットもないでしょう。西暦・和暦は手で入力することもできるので、ある程度経験を積んでから和暦テンプレートの存在を知るのでも遅くはないでしょう。例えばWikipedia:表記ガイドあたりで和暦テンプレートの紹介をしておけば、一定の経験のある利用者には十分知る機会を与えられるでしょう。--新幹線 2010年8月2日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
コメントテンプレートの導入のメリットとして
  • スタイルを統一したい
  • ソースを簡略化できる→編集しやすくなり初心者にも優しい?
があるわけですが、
  • スタイルを統一したい → Wikipedia:表記ガイドに矛盾するし、表記ガイドを考慮しなくてもリンク形式が固定されてしまうのはやっぱり不便ですよ。当初の{{Jdate}}のスタイルなんて使用される箇所をまったく想定せず、「俺様スタイル」に従えだったし…。(この件は作成者が「いろいろな箇所で使用されることを想定せずスタイルを強制していた」ことを認める発言をするまで何度でも例示します。)
  • ソースを簡略化できる → テンプレート内で使用するならともかく、本文中で使用することを想定しているわけでソースの簡略化にはなっておらず、むしろ編集の障害にすらなっている人もいる。
と否定されているわけです。結局私以外の方も含め同様の指摘を2年前からしているにもかかわらず、テンプレートのままにしたいといっているのは「俺の編集を否定されて癪に障る」とかそういうレベルなのではないかと思ってくるのですよ。
テンプレートを使用してはいけないとは言っていないのにそう思う人は後を絶たないし…。--Goki 2010年8月3日 (火) 00:51 (UTC)[返信]
質問 subst対応そのものについてはここ数日、賛成意見が多いようです。初版投稿者の唐棣色さんのご意向はいかがでしょうか。ウィキペディアでは、自分の書いたものを他人に変更されることは当たり前です (投稿するときに出てくる説明を読んでください)。が、だからといって書いたひとの意見は無視して変更するべきだということではないでしょうから。--Hatukanezumi 2010年8月3日 (火) 10:51 (UTC)[返信]
上ですでに「反対」の意思表示をしておりますが、その理由を補足しておきます。反対の理由として変更箇所の多さを私が挙げたのに対し、Frozen-mikanさんが、正規表現を用いて置換しているとの反論がありました。確かに手作業による変更より正規表現を用いた機械的変換の方がエラーが起こる可能性は大幅に低減するとは思いますが、皆無であると断言するのは難しいのではないでしょうか。この手の作業には思いがけないことが起こりえるからこそ、わざわざ「Wikipedia:テンプレートのサンドボックスとテストケース」なるお節介とも思えるぐらいのガイドラインが用意されているのだと思います。
また、編集者側に人為的なミスがなくても、MediaWiki側にエラーが起こる可能性もないとは言えません。
また、「和暦」の排除を望む方々が言うテンプレート使用に伴う弊害が、subst化によってどれほど除去できるのでしょうか。それらの方々が少しばかり溜飲を下げるためにsubst対応化を強行するのであれば、それはおかしなことではありませんか。
これらのことを総合的に考えれば、subst対応の和暦については別テンプレートにした方がトラブルの発生を懸念する必要もなく、一番無難だと思っています。--Lincun 2010年8月3日 (火) 11:43 (UTC)[返信]
コメント わたしはこの間、現在サンドボックスにあるもので大量のテンプレート呼び出しをsubst展開してきましたが、現在のテンプレートと異なる表示になった例を確認していません。
それと、この場で賛成を表明しているかたがたが、本当に「少しばかり溜飲を下げるために」賛成しているとお考えでしょうか。そこまで他人の言うことを悪意にしか受け取れないというのは、ちょっと驚きです。
Lincunさんと唐棣色さんのおふたりは、こんなこと[11]もなさっています。おふたりだけで決めたいのなら、ウィキペディアの外でやってはどうですか。
わたしはこのことについて、おふたりから謝罪の言葉があることを期待していました。個人的には、さらにもう数日だけ待つくらいならかまわないです。ですのでわがままを言わせてもらうと、しばらくの間、おふたりに対する非難めいた発言や、この間の議論姿勢に対する論評は、お控えいただければうれしいです。--Hatukanezumi 2010年8月3日 (火) 14:00 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさん、「謝罪」なんて言葉だけのものなんていらないですよ。私はLincun氏に対しては一貫して指摘した「事実」を「認めろ(≠謝れ)」と書いているだけです。謝罪なんて書くとどんどんハードルをあげちゃいますから。--Goki 2010年8月4日 (水) 00:53 (UTC)[返信]
コメントHatukanezumiさんが謝罪してくださいなどと急に言われたので、何のことやらサッパリ分からなかったのですが、利用者‐会話:Lincun/暦で両テンプレートの統合についてコメントしたことについて拗ねておられたのですね。発言を読まれればお分かりの通り、おふたりだけで何か決めたということもなければ、その決定に従って編集または発言したということもありません。このテンプレートに関して、この場で大いに議論されることには異議ありませんし、議論の結果作り上げられた成案に従って編集されることにも異議ありません。--唐棣色 2010年8月4日 (水) 05:27 (UTC)[返信]
コメント唐棣色さんには「おふたりだけで何か決めたい」という意思は見られなかったと思います。利用者‐会話:Lincun/暦といった個人的な場所で(唐棣色さんにはそのような意図はないと思いますが)議論を行おうとしたのがまずかったかもしれません。Lincunさんは自分の意見に賛同するものだけで何かを決めようとする傾向があるのかもしれません。--Goki 2010年8月4日 (水) 06:21 (UTC)[返信]
ご指摘の通り、正規表現は間違いを侵さない「銀の弾」には成り得ません。正規表現文字列(今回は "{{\s*# → {{ {{{|safesubst:}}}#")を作成する時点のミスもあるでしょう。私としては、機能追加に最低限必要な修正を施したことに対して「変更箇所が多い」ことを理由に反対をされるのであれば、最低限の理解が得られていないと判断し、残念に思うのみです。subst展開が可能になったとしても和暦系テンプレートの評価が下がることはなく、subst展開を行っていること自体、テンプレートを肯定する行為と思います。(なお、「Wikipedia:テンプレートのサンドボックスとテストケース」の「ガイドライン」指定についてですが、内容は機能の説明や使い方が書かれているだけの解説文章です。一時期、各種文章をガイドラインや方針に「格上げ」しようとした活動の名残だと思います。)--Frozen-mikan 2010年8月3日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
このテンプレートに欠陥があると喚き立てている方々が、subst対応化に積極的なことに非常に違和感を感じています。このテンプレートに批判的な方々にとってsubst対応化のメリットは、ウィキテキスト上にテンプレートが残らないという点のみであって、彼らが盛んに唱える改元の問題やら旧暦新暦の問題やらは何にも解決していません。それらの点が改善されないままsubstでの使用を推奨することとなれば、テンプレートを使用したという痕跡も残らず、逆に彼らが懸念する誤った使用を後から検出することが難しくなります。結局彼らにとってはテンプレートをウィキテキスト上から除去することが目的であって、いろいろと挙げる問題点についてはその目的を達するための後付けの理屈でしかないのかなとも感じてしまいます。
また、substというテンプレートの使用の痕跡が残らない使い方を前提とするテンプレートに無理に既存のテンプレートと同名にするメリットが見出せません。subst対応化に尽力された方はご自身の成果に自信をお持ちかも知れませんが、私が考えているデメリットを超えたメリットを見出せない以上、私の立場からは賛成することはできません。--Lincun 2010年8月5日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
subst化によって除去できる弊害は、1) ソースから内容を読み取りにくい、2) 外部での再利用に困難が加わる、3) エディタ等に引き取っての加筆を妨げる、の3つです。subst化の目的は、テンプレートをウィキテキスト上から除去することで間違いないです。しかし他の問題は残されるので、subst化が終着点だと考えるべきではないでしょう。テンプレートの欠陥を指摘しつつ修正する意味は、7月16日に氷鷺さんが指摘しています[12]。膨大な記事で使われているテンプレートは、廃止したとしても過去版との関係でもはや削除できないので、修正が無益にはならない、ということです。--Kinori 2010年8月5日 (木) 16:12 (UTC)[返信]
「外部での再利用に困難」とのことですが、ウィキペディアの方針・ガイドラインの中に、独自に作成されたパーサへの配慮を求めるような文書は見たことがありません。そもそも、ウィキペディアと互換性のあるものを作成しようとする場合、作成する側がウィキペディアの実情に合わせるのが当然であって、ウィキペディアの方が独自に作成された技術的に不完全なパーサに合わせなければならないというのは全く理解できません。もしこの手の主張をするのであれば、方針・ガイドラインといったレベルで合意を取り付けることが先ではないでしょうか。
それと、このテンプレートが執筆者によっては「不便」なものであるとのことですが、全ての執筆者にとってウィキペディアの編集を容易なものとすることを目指すのであれば、ウィキペディアがテンプレートなるものを扱うことそのものを再検討していく必要があるのではないでしょうか。割と難易度の低いテンプレートと思われる和暦テンプレートにここまで喰い付かれる様子を見ていると、そのように感じざるを得ません。--Lincun 2010年8月6日 (金) 13:38 (UTC)[返信]
では、このテンプレートをテンプレートのまま残すことのメリットは何でしょうか?氷鷺さんから未来の年表示についてのメリットは挙げられていますが、過去の年代については挙げられておりません。メリットがないかぎり、外部での再利用を容易にしたり、できるだけ執筆者に不便を感じさせない方向に修正したりしていくのは当然のことでしょう。--新幹線 2010年8月6日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
もちろん改元の問題などがありますので、今回は特に推奨はせず「純粋な機能の追加」として導入して、問題解決後にsubst義務化を検討するという流れになると思います。--新幹線 2010年8月5日 (木) 22:37 (UTC)[返信]
subst展開の義務化については、この節ではなく、上のほうで続行するようお願いします。Lincunさんの2010年8月6日 (金) 13:38 (UTC)の発言は、私がお返事をする都合上、上の節に転記させていただきました。--Kinori 2010年8月7日 (土) 16:51 (UTC)[返信]
コメントまさにここ数日、賛成される意見が多くなりました。私は当初から「少なくとも、相当期間をおいて複数の詳しい方にご意見を聴取した上で、行われるべきで す。」と主張しております。これは「条件附き賛成」を意図しておりましたが、Hatukanezumiさんがあまりにも拙速に事を進めようとされたため、 「反対」としておりました。しかるに、Hatukanezumiさんのご提案からすでに2週間が経過し、この間、複数の方の賛成意見によって技術的な問題 点がないということも担保されていると考えます。そこで、私は、「反対」としていた意見を改めて「条件附き賛成」とし、その停止条件として挙げた「1.相 当期間の経過、2.複数の賛同者からの意見聴取」をいずれも備えているため、条件も成就したと考えます。したがって、私は、Hatukanezumiさん ご提案によるsubst対応そのものについては、賛成します。ただ、なぜHatukanezumiさんが焦って編集を行おうとされたのか、その理由につい ては未だ明らかにされていないと思います。できれば、この点について少しくご説明いただければ、より一層張り切って賛成することもできると思います。--唐棣色 2010年8月4日 (水) 05:27 (UTC)[返信]
発言位置移動させていただきました。字下げを上げて途中に割り込むと、発言のつながりがわからなくなるので。
わたしは焦ってたつもりはないけどなあ。でも、怒ってはいましたよ。
陰で「クレーマー」とか言われているのを知った (17日) ので、まずいとおもって、上の節でかなり理をつくして説得につとめたつもりでした (18日)。そのうえでsubst反映の提案をした (20日) けど、それに対する唐棣色さんの反応 (20日) を見ると、説得は届いてなかったようにおもいました。率直なところを言うとね、「自分のつくったテンプレートが引き起こしているかもしれない5000回以上の失敗を正すことを意図した提案に反対するために、他人のたった一回の失敗をあげつらうとは、いったいどういうことだ」と感じました。対話が不可能になっているとおもいました。
そこで、意見がでなければ「今週末をめどに」(21日) やるよ、と言いました。注意してほしいんですが、「いますぐやる」とは言ってないです (もしそういうつもりなら、予告なしにやってます)。意見がでたので、ふたたび待ちました。で、現在にいたる。
こんなんで、説明になっていますか。--Hatukanezumi 2010年8月4日 (水) 12:25 (UTC)[返信]
コメント 誰かさんが罵倒とともに余計な突込みを入れる前に自分で書いておきます。「失敗」は1回ではありません。私が(このあたりの編集で)10数回やらかして海獺さんから5分間の投稿ブロックの処分を受けています。--Goki 2010年8月5日 (木) 02:16 (UTC)[返信]
もうちょっと範囲をしぼると、このへん[13]ですね。まちがいを指摘されて気づいて、やり直してますね。で、その後はおなじことを繰り返してないので「一回」でいいんじゃないですか。わたしのはこれ[14]です。投稿ボタンを押した瞬間、違和感があったんですが、差分を確認して青ざめました。これも「一回」ね。
そんな意味で「たった一回」と書きました。--Hatukanezumi 2010年8月5日 (木) 12:14 (UTC)[返信]
賛成 遅まきながら、この変更に賛成します。subst義務化について話しあわれていますが、それについてはこのページの上のほうで7月15日にGokiさんが提案し、私が21日にまたあらためて提案しなおしました。大本の議論を進めないまま、より限定的な問題にぶら下がる形で言及するのは、建設的なやり方とは思えません。ぜひ上の節での議論継続をお願いします。--Kinori 2010年8月4日 (水) 14:14 (UTC)[返信]

初版投稿者さんの賛意もいただけましたので、なにか根本的な問題が指摘されるとかいったことがないかぎり、今週末をめどにsubst対応の反映を実施させていただきます。わたし (Hatukanezumi) だと間違えそうで……とかいった不安がありましたら、どなたか作業者に名乗り出てください。

今後継続する課題としては、substの義務化の是非や、それに関係してテンプレートを推奨したりしなかったりすることの是非というものがあります。それについては、どなたか節をあらためて提起ください。あと、個人的な予定を書かせていただきますと、サンドボックスが空き次第、誤記への対応のための改良案を掲載してコメントを求めるつもりです。--Hatukanezumi 2010年8月5日 (木) 12:14 (UTC)[返信]

報告 サンドボックスの反映を実施しました。異常がないかご確認ください。テストケースにもケースを追加しておきました。
このまま数日程度問題が起きないようでしたら、この節は冒頭に{{解決済み}}を貼るなどして閉じていただいてかまいません。継続している議論については節をあらためてお願いします。--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 01:29 (UTC)[返信]
コメント {{Jdate}}のsubst正式化はまだだったんですね…。「{{(jdate|和暦)\|([^}]+)}}」で置換できないから編集が少々面倒になりました…。(注:これも某利用者から突っ込みを入れられる対象になると思われるのであらかじめ書いておきますが、内容に対する精査は行ってます。単なる勘違いによる作業ミスです。同一記事にjdate、和暦の両方のテンプレートを使用している箇所が多数あるため両方を置換する必要があるのです。)--Goki 2010年8月9日 (月) 00:33 (UTC)[返信]
コメント
  • subst化について議論するのなら、「効率的に展開しようとするひと」の立場ではなく、「文章のなかで、なにか年代を書こうとした利用者」や「文章中の、ある年代を編集しようとした利用者」の視点で考えるべきだとおもいます。正規表現を使ってまとめて置換するような利用者は少数派です。
  • わたしはこれまで{{jdate}}については改良の提案をしていません。理由のひとつは、議論の結果{{和暦}}に統合される可能性もあるとおもっているためです (たとえば、リンクの形式についての議論がある程度整理されれば、両者の機能の差はほとんどなくなります)。もちろん、どなたでも提案されるのは自由ですが。
旧盆も近いことですし、今週はノートでの議論はあまり進展しないだろうとおもっています。また、この節の議論はある程度の成果を見ており、残りの議論への誘導もあるわけですから、終結させる方向でお願いしたいです。--Hatukanezumi 2010年8月10日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
ということで別の節(#Template:Jdate: subst対応の正式化)で提案済みです。反対者がいなければ8月22日ごろをめどにJdateもsubst展開可能なものに入れ替えます。{{Jdate-y}}やJdate/*のテンプレートは使用されている記事も少ないので提案はいたしません。--Goki 2010年8月13日 (金) 00:32 (UTC)[返信]

検証が必要な年代表示

明治改暦以後の改元年

誤記はだいたいかたづいたので、それに対するテンプレートでの対策は上の節でやるとして、次はいよいよ、不正確な年号が表示される可能性がある場合の検討にとりかかりたいとおもいます。まず検証が比較的容易な年について、説明します。

  • 明治改暦以後の改元年 (1912、1926、1989年) は、年内の特定の日に元号がはっきり変わります。したがって、両テンプレートを使った場合には正しい元号が表示されない可能性があります。
  • {{和暦}}と{{jdate}}では、これらの年に対する動作が異なります。前者では改元前の元号を表示するのに対し、後者では改元後の元号を表示します。
    したがって、元号が正しくない可能性が高いのはつぎの場合です。
    • {{和暦|1912}} - 明治45年なのに大正元年になっている可能性が高い (7月30まで明治、7月30日から大正)
    • {{jdate|1912}} - 大正元年なのに明治45年になっている可能性が高い (7月30まで明治、7月30日から大正)
    • {{和暦|1926}} - 大正15年なのに昭和元年になっている可能性が高い (12月25日まで大正、12月25日から昭和)
    • {{jdate|1989}} - 平成元年なのに昭和64年になっている可能性が高い (1月7日まで昭和、1月8日から平成)

「1926年はぜんぶ大正15年にしてしまえ」とかいうわけにはいかないのは、松田喜一の「昭和村」のような例もあるからです (1926年の年末に入植したのでこの名にしたと、なにかで読んだんだがいま確認できない。要検証貼っときました)。

  • さらに細かいことですが、明治→大正 と 大正→昭和 では、改元は即日施行されています。ですからこの2回の改元施行日当日は、新元号とみなしてさしつかえないようにもおもわれます。しかし、時刻によって旧元号だったり新元号だったりするとも言えます (実際、下の「大正」への改元の詔書の日付は明治45年、それを公布する告示の日付は大正元年です)。
    • {{jdate}}はパラメータに月日まで指定できますが、問題の日に関しては旧元号を採用しています (下表「*」の日)。
{{和暦}} {{jdate}} - 改元公布日 / 公布日の翌日 元号の期間
1912年(大正元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 1912年明治45年) - 1912年明治45年)7月30日* / 1912年大正元年)7月31日 7月30まで明治、7月30日から大正
1926年(昭和元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 1926年大正15年) - 1926年大正15年)12月25日* / 1926年昭和元年)12月26日 12月25日まで大正、12月25日から昭和
1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 1989年昭和64年) - 1989年昭和64年)1月7日 / 1989年平成元年)1月8日 1月7日まで昭和、1月8日から平成

参考まで、根拠法令の引用。[§7 1][§7 2][§7 3]

具体的な対象記事のデータは後日出します。--Hatukanezumi 2010年7月26日 (月) 13:49 (UTC) すこし加筆--Hatukanezumi 2010年7月26日 (月) 14:13 (UTC) 根拠法令を脚注に移しました。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 14:10 (UTC)[返信]

報告 /利用実態調査#明治改暦以降の改元年にだいたい掲載しました。200件あまりあります。検証にご協力ください。--Hatukanezumi 2010年7月28日 (水) 15:10 (UTC)[返信]

検証が必要な年代表示への対応の提案

両テンプレートの変更の提案です[§7 4]

問題点は次のとおりだと考えます。

  • 近代以降の改元年で、年号が正しく表示されないことがある。- 1912、1926、1989年。
  • 旧暦年は西暦と年末年初がずれるため、西暦と和暦の間で一対一に変換することはできない。やはり、年号が正しく表示されないことがある[§7 5]。- 1872年以前。
  • 加えて、執筆で参照した資料に西暦が記載してあった場合、年号がさらに1年ずれることがある[§7 6]。1872年以前。
  • テンプレート呼び出しになっているとソース上で表示結果を直接見ることができないため、確認や修正がしにくい。

対策として、次のように提案します。

  1. 両テンプレートで上記の年代を表示している箇所は、substした上で、注意書きのテンプレートを貼り付ける。
  2. その上で、両テンプレートでは、上記の年代を変換しないようにする。単に西暦年記事へのリンク (例: 1855年) を表示させる。
  3. 合わせて、上記の年代で年号を正しく表示させるためのオプション ({{和暦|1926t}}{{jdate|1926|*}}といったもの) も廃止する。

1. のねらいは、自動換算された年号が編集者にわかるようにすることで、検証に協力してもらうことです。注意書きのテンプレートはこれから試作します。substとテンプレート貼り付けはボットでの処理を予定しています。

2. のねらいは、これ以上自動換算された年号をふやさないことです。また、単に西暦年記事へのリンクとすることで、過去版での表示への影響を少なくできます。

3. は、もともと年代が正確に変換できないことの対策として導入されたオプションですから、変換しなくなれば不要になります。

コメントなどください。--Hatukanezumi 2010年8月15日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

コメント 検証作業を無駄に増やすだけで、不適切な手法であると考えます。(1)の目的である「該当記事の編集者への周知」そのものには積極的に賛成しますが、確率的に「正しい(事実かどうかではなく検証可能な)はずの大多数の記述」まで巻き込んでの「テンプレート展開+注意書き追加」には強く反対します。いちいちやってられないからといって、問題のある記事の十倍もの「問題のない記事」にまで注意書きを入れるなど、荒らしと大差ありません。もし大規模に・手っ取り早く・各自でこの問題を解決させたいのであれば、記事冒頭だとかノートにでもテンプレを挿入すれば良いでしょう(そもそも本文に挿入できるような小型のテンプレだけだと心許ない)。
(2)について。この問題には多種多様な原因があります。そもそも出典とする資料が間違った(最適ではない)表記であるもの、ウィキペディアの記事を書いた者の誤解・誤記・テンプレートの無理解によるもの、テンプレートの誤変換によるもの。たとえば学校の教科書などでありがちな「間違った西暦+正しい和暦」という表記を出典として使用された場合、ご提案の(2)を実行すると「間違いだけが残ります」。
(3)について。「正しく表示されるための機能」をわざわざ削除する必要がどこにあるのでしょうか。この項目の前提とする条件が非常に限定的――すなわち「展開・非展開を問わず使用禁止、全面的な廃止」を前提としているため、現時点では、まだこれを提案する段階にあるとは思いません。--氷鷺 2010年8月15日 (日) 14:36 (UTC)[返信]
明治以降の改元年でも、確率的には正しいです。それは作業記録を見ていただければわかるはずです。
旧暦年の機能を廃止する提案は、「やってられないから」ではありません。当初から「検討対象は1000件程度」と述べていたように、旧暦年の検証を自分だけでできるなんて考えていませんでした。
たとえば学校の教科書などでありがちな「間違った西暦+正しい和暦」という表記を出典として使用された場合、ご提案の(2)を実行すると「間違いだけが残ります」。
「間違った西暦」ではないです。#本テンプレート作成の趣旨の唐棣色さんの説明を読んでください。それと同じ方式で換算された西暦であれば、問題は起こりません。問題が起こるのはそれ以外の場合です。どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではないから、問題が起こるのです。--Hatukanezumi 2010年8月15日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
なんか話が通じていなかったようです。たとえば、和暦の「天正14年12月1日」の出来事は、本来は西暦換算すると1587年ですが、これを「1586(天正14)年」とするような資料・教科書もあり、それをもとに {{和暦|1586}} と書き、「1586年(天正14年)」と表示させる。……そういう使用法は想定すべきでしょう。この場合、Hatukanezumiさんの (2) の提案を実行すると、「1586年」のみとなり、検証可能性の点では問題ないのですが、「正しい表示のみを消し、間違った表示のみを残す」ことになります。--氷鷺 2010年8月15日 (日) 14:59 (UTC) 一部修正[15]。--氷鷺 2010年8月15日 (日) 15:03 (UTC)[返信]
まず、1. を実施します。記事中に「{{和暦|1586}}」と入力されていれば、それは「[[1586年]](天正14年){{注意書き}}」として保存されます。
次に、2. を実施します。その後の編集では「{{和暦|1586}}」と入力しても、「1586年」と表示されるだけであり、「正しいか間違っているか」が問題になるような表示が新たに作られることはありません。--Hatukanezumi 2010年8月15日 (日) 22:04 (UTC)[返信]
そもそも(1)には反対しているのですが、(1)を実施したところで、それは最新版にしか影響は出ません。過去の版では、私が言っているように「正しい表示のみを消し、間違った表示のみを残す」ようなことをしてしまう場合があります。このような杜撰な方法で「過去版での表示への影響を少なく」したつもりですか。むしろ有害でさえあるのですが。これなら、「何も返さない」白紙のテンプレートにでもしたほうがまだマシです。--氷鷺 2010年8月16日 (月) 02:03 (UTC)[返信]
追記: 本当に、こういういい加減な、およそ改善とはいえない対処をされるくらいなら、(展開・非展開問わず使用禁止にするのであれば)削除してしまって記事中に Template:和暦 とでもエラーを発生させた方がまだ良いです。--氷鷺 2010年8月16日 (月) 02:09 (UTC)[返信]
コメント Hatukanezumiさんが問題視されていることのうち「旧暦年は西暦と年末年初がずれるため~」と「加えて、執筆で参照した資料に西暦が記載してあった場合~」は、テンプレートを使用した場合に限らず、1872年以前の年代について和暦と西暦を併記した場合には必ず生じます。和暦と西暦の併記に関する議論は、Wikipedia‐ノート:表記ガイド#西暦と和暦を併記する際の順序についてWikipedia‐ノート:表記ガイド#西暦が判明しない場合の扱いなどで行われています。まず、そちらで近代以前の和暦西暦の併記禁止をご提案してみては如何でしょうか。--唐棣色 2010年8月16日 (月) 02:26 (UTC)[返信]
西暦と和暦の併記を禁止することを提案するつもりはありません。両テンプレートを使って併記を実現することにはいくつかの問題があるという指摘が、複数のかたから出ています。それをうけて、対策を提案しています。当ノートおよび当ノートの過去ログの議論を読み返してください。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 08:36 (UTC)[返信]
コメント 過去版への対応には、いくつかの選択肢があるとおもいます。
  1. テンプレート修正の結果無効になった仕様はエラーにする。わたしはどちらかというとこれに賛成なのです。過去版でまで適切な (ように見える) 動作をさせようとするのは、テンプレートの今後のメンテナンスで労力が増えるとおもっているので。
    : {{和暦|1856}}和暦 - 対応していない年代です。
  2. パラメータとして入力された年をそのまま年号として表示する。別件で「かつて正常 (らしく) 表示されていたものが過去版でエラーあつかいされてしまうのは不自然」(大意) という意見がでたことを考慮して、まずはこの方法を提案してみました。執筆者が入力した年をそのまま表示するのですから、テンプレートの動作の結果として表示が正しいとか間違っているとかいうことにはなりません。
    : {{和暦|1856}}1856年
  3. テンプレートを修正するより前の版の記事の中で呼び出された場合は、テンプレートも修正前の動作をする。わたしもこんなことをするくらいなら 1. のほうがいいとはおもいますが、実現するだけなら難しくはありません。{{REVISIONTIMESTAMP}}変数などをチェックすればできます。
    (過去版のみ): {{和暦|1856}}1856年(安政3年)
どうするのがいいでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 08:36 (UTC) 例追加--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 08:59 (UTC) 付記: 今週は仕事の関係でウィキペディアへのアクセスが間遠になります。議論はすすめてください。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 14:19 (UTC)[返信]

提案 続き。

上で予告していた「注意書き」の文書の案を作成してみました。利用者:Hatukanezumi/Wikipedia:年代の換算です。

  • テンプレートにかぎらず、編集一般に通じるものになることを意図しています。
  • 年齢については、Template:享年が廃止された経緯もありますのでついでに解説しようとおもいます。どなたか加筆してくださるのなら歓迎します (利用者名前空間にありますが、加筆はかまいません)。

この説明へのリンクを、次のようなかたちでテンプレートとして付与してはどうかと考えます。

  • リンクは編集者向けの情報なので、{{要出典}}や{{要検証}}と同様に、CSSのnoprintクラス (印刷時は表示されない) を付与してあります。
……は、1601年(慶長6年)年代要検証 - 使いかたが間違っていますに……

大勢のひとに検証を手伝ってもらうためには、こういったものが必要だと考えます。またこれによって、substしてもテンプレートによって自動換算された年代だとわかるので、修正作業がやりやすくなります。--Hatukanezumi 2010年8月22日 (日) 03:23 (UTC)[返信]

コメント 提案を修正しました。わかりにくくなるので節をあらためます。#改訂提案: 検証が必要な年代表示への対応で続けます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 03:23 (UTC)[返信]

間違いが起こる場合

年号のエラーというものはテンプレートを使用しなくても発生するものです。1ヶ月以上前に行ったことですが、西暦と和暦が整合しているか、都道府県市町村のページで確認したところ2%のページで間違いがあることを確認しました。また、そもそも年号自体が間違っている(例えば、東京オリンピックの年を1965年としてしまう)ような機械では処理できないようなエラーは数限りなく存在することが予想されます。そのような状況において、改元一つを取り上げて片っ端からエラー表示を発生させようなどという計画は正直なところ正気の沙汰とは思えません。この手の大規模な草取りの試みについては、メリットとデメリットをよく勘案した上で処理して頂きたいところです。--Lincun 2010年8月21日 (土) 14:05 (UTC)[返信]
調べて修正する作業は大変ですが、有用な働きだとおもいます。
さて、このノートでは、テンプレートの改良について話し合っています。
人間が書いた年号にも間違いはあるでしょう。しかしそのことは、ここで話し合っているテンプレートで自動的に換算することによって誤った年代が表示されてもいい、ということにはなりません。
もうひとつ。ここでは、テンプレートによって引き起こされた問題をどう解決するかについて話し合っています。
/利用実態調査での作業結果なども見ていただけるとわかるかとおもいますが、テンプレートは、作者の意図どおりに使われるとは限りません。「○○の点に注意して使わないと、正しい表示が得られない」とテンプレートページに書いてあっても、そういう使いかたは現に起こっているのです。ですからこの問題は、テンプレートに原因があるのです。
さらにもうひとつ。ここでは、改元年の話だけをしていません。旧暦と西暦のずれによって起こる問題も対象です。--Hatukanezumi 2010年8月21日 (土) 15:51 (UTC)[返信]
改元があった年の元号に誤りがないかという問題は、Jdateや和暦の使用の如何にかかわらず発生している問題です(特に最近では一部の方がJdateと和暦を機械的に置換されていたようですので)。これをチェックするとなれば、西暦と和暦がセットで表示されている箇所全てにおいてあなたが言う処理を行う必要が出てくることになると思います。それをbotを使って目印をつけていくというのはさほど難しいことではないでしょうが、それを人間が確かめていくというのは相当きつい作業になることが予想されます。で、その辺の作業要員をあなたはきちんと確保できる見込みがあるのですか?以前、こういう([16])大失敗を犯しているあなたのことですから、なおさら、今回の提案が現実的なものとは思えないのです。--Lincun 2010年8月22日 (日) 02:03 (UTC)[返信]

報告 ようやく夏休みがとれたので、まる3日つぶして100件ほど検証してみました。{{jdate}}の仕様外 (1872年以前) のほぼすべてです。/利用実態調査/誤記#jdate - 仕様外を参照。

こんなペースですから、多くのひとに手伝ってもらえれば、長くても1、2年で検証は終わるでしょう。別にしめきりがあるわけではないので、いつまでかかったっていいのですが。

さて、検証が必要な年代への対応について、提案していたことをすすめていこうとおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 01:21 (UTC)[返信]

賛否表明

  • 反対  本節においてHatukanezumiさんが提案するテンプレートの改変に反対します。Hatukanezumiさんが問題視する表示の大部分は、そもそも誤った表示ではないからです。--唐棣色 2010年8月22日 (日) 09:05 (UTC)[返信]
うーん、しかし、誤った表示になっている可能性があるのだよね。誤っているものをみつけたら、修正すべきだ。このとき、ふたつの問題がある。
  1. 旧暦年号については、テンプレートを使うと、誤っていても直せない。したがって、テンプレートを使うのをやめて、同時に、テンプレートを使ったために誤った表示になっている可能性があることをわかるようにしなければならない。
  2. そもそも、テンプレートになっていると、実際の記事でなにが表示されるのかがわかりにくく、編集しにくい、という意見が複数ある。テンプレートのままにしておくと、そうでないときよりも誤りが直されにくくなってしまう (このことは、/誤記の実例に、半年も修正されなかったものがいくつもあることでもわかる)。
    • 「テンプレートの使いかたをおぼえればいい」という話ではないとおもうよ。ウィキペディアには日々、新しい執筆者が入ってくる。そのひとたちに、「単なるテキスト編集だけではなくてテンプレートの使いかたもおぼえないと年代を編集してはいけない」とは、言えない。
うまくいかないことがあったら、直せばいい。協力しあって直していくことで、だんだんいいものになっていく。それがウィキペディアの長所だとおもうんだよね。
だからみんな、テンプレートの主作者の唐棣色さんに「問題のあるところを責任持って全部直せ」なんて言わないでしょう? 直さなければいけないところを自分で探して、自分で直す。よいものになるように助け合うのが、ウィキペディアだから。
で、テンプレートが誤った表示をしている場合の修正を、より多くのひとができるようにするには、どうしたらいいとおもいますか。わたしは、問題のある機能はとりあえず停止して、いままで起きた問題はみんなでみつけて直していくしかないとおもうのだけど (もちろん、上で書いたように、過去版では従来の表示を続けるといったことは可能ですよ)。--Hatukanezumi 2010年8月23日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

唐棣色さん、質問へのお返事をください。--Hatukanezumi 2010年8月26日 (木) 04:38 (UTC)[返信]

Hatukanezumiさんのお考えは、「月」と「日」が完全に確定できなければ和暦年と西暦年の併記は必ず「誤った表示」になっている可能性があるため、絶対に認めないというものです(なお、この考え方は、テンプレートの使用如何に関わらないものと思われます。)。これに対して、私やガイドライン(Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間)の考え方では、そもそも月日が確定できなくとも、和暦年と西暦年がおおむね対応一致していれば「誤った表示」ではないというものです。もちろん、月日まで完全に確定している歴史的事実に関する記述においては、正確な和暦年と西暦年を記載すべきです。しかし、日付まで正確に書けないからといって、のべつまくなし間違っていると断定して注意書きを貼り付けろというのはあまりにも乱暴なご提案です。このように、「誤った表示」の評価というスタートラインから齟齬があり、その対応についても著しく穏当を欠いていると考えるため、Hatukanezumiさんの提案には反対致します。--唐棣色 2010年8月28日 (土) 05:33 (UTC)[返信]
「絶対に認めない」のではありません。
まず、テンプレートを使わないで書いた年号のことを考えてみます。書いたものが誤っていたのなら直せばいい。だれでもまちがいはするものだから、それをいちいちとがめる必要はないです。
しかし、「だれでもまちがうことはあるのだから、わたしが書いたものを直すのには反対だ」というひとがいたら、どうおもいますか。
次に、テンプレートを使った表示結果のことを考えてみてください。テンプレートを使うと誤った結果がでるのなら、テンプレートを直せばいい
しかし、あなたの言っているのは、「テンプレートの表示結果全部が間違っているわけではないから、テンプレートを直すのには反対だ」ということじゃないですか。
まだ質問にお答えいただいていません。テンプレートが誤った表示をしている場合の修正を、より多くのひとができるようにするには、どうしたらいいとおもいますか。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:44 (UTC)[返信]

改訂提案: 検証が必要な年代表示への対応

上の提案に寄せられたコメントを見て、不明確な点もあったとおもいますので、再度提案しなおします。

問題点は次のとおりだと考えます。

  • 一部の年代で、テンプレートの仕様を熟知していないと年号が正しく表示されない。
    • 近代以降の改元年 (1912、1926、1989年) で、元号が正しく表示されないことがある。
    • 旧暦年 (1872年以前、明治5年以前) の年号が正しく表示されないことがある。これについては、間違っている場合にはテンプレートを使用するかぎり正しく表示できない。
    これらについて、Wikipedia:年代の換算にまとめてみましたので、ご覧ください。
  • テンプレート呼び出しになっているとソース上で表示結果を直接見ることができないため、確認や修正がしにくい。

このような年号や元号のまちがいは、テンプレートを使わない執筆でも起きうることです。しかしそのことは、テンプレートがまちがいを生む動作をしていてもそれを正さなくていいということを意味しません

対策のねらいは次のとおりです。

  • 自動換算された年号が編集者にわかるようにすることで、検証に協力してもらうこと。
  • これ以上、自動換算によって検証が必要になる年号表示をふやさないこと。

対策の具体的な内容ですが、次のステップで両テンプレート ({{jdate}}、{{和暦}}) を変更していくこととします。例として、「{{和暦|1912}}」と入力した場合の表示を、各修正でどのようにするかの案を付記します。

  1. 現在は、なんらかの年号が表示されるようになっています。
    {{和暦|1912}}1912年(大正元年)
  2. 両テンプレートで上記の年代を表示するときは、注意書きのテンプレートを含める。このテンプレートはsubstしても残るようにする。
    {{和暦|1912}}1912年(大正元年)年代要検証 - 使いかたが間違っています
  3. 記事中で該当する表示になっているものをsubst展開する。
    [[1912年]](大正元年){{年代要検証}}1912年(大正元年)年代要検証 - 使いかたが間違っています
  4. 該当する表示になっているものすべてのsubst展開が完了したら、両テンプレートで、上記の年代への対応をやめる。新たにテンプレートが使われた場合は、エラーメッセージを表示するようにする。
    {{和暦|1912}}和暦 - 対応していない年代です

3. でsubst展開されたものは、4. でテンプレートを変更しても表示は変わりません。いっぽう、4. での変更により、問題のある年代の表示はそれ以上増えません。

前回の提案からの変更点は次のとおりです。

  • 年号を正しく表示させるためのオプション ({{和暦|1926t}}{{jdate|1926|*}}といったもの) は廃止しない。テンプレートの動作によって間違った表示になる場合が問題なのですから、このようなオプションに問題はありません。
  • ボットで注意書きリンクを貼り付けるのではなく、修正の過程でテンプレートそのものに注意書き機能をもたせる。このことで、subst展開を短期間に行う必要がなくなる。

1週間程度待って、特に異論なければ、上記のステップ 2. から順次実施していきます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 03:20 (UTC) 微加筆--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 03:25 (UTC) 説明追記--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:52 (UTC)[返信]

改訂提案に対する賛否表明

  • 反対  本節においてHatukanezumiさんが提案するテンプレートの改変に反対します。Hatukanezumiさんが問題視する表示の大部分は、そもそも「誤った表示」ではないからです。改訂においてもこの点についてのお考えに変更はないと解されるため、あらためて反対意見を表明致します。--唐棣色 2010年8月28日 (土) 05:33 (UTC)[返信]
    • 質問 でわたしはあなたに質問をしているわけですから、まずそれにお答えいただけないでしょうか。答えずに同じ発言を繰り返すのは、他人と話し合う姿勢ではありません。
      もうひとつ質問します (これへの答えは、上の質問にお答えいただいてからでけっこうです)。/利用実態調査および/利用実態調査/誤記#jdate - 仕様外の作業結果をみると、修正されたものがいくつもあります。{{和暦|1926}}{{jdate|1989}}は修正が非常に多いです。それだけではなく、{{jdate|...}}の1872年以前でも少なからず修正が必要になっています。これを「大部分は、そもそも『誤った表示』ではない」とする理由はなんですか。作業結果の実例に基づいてご回答ください。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:18 (UTC) 失礼。前の件には答えをいただいていました。取り消します。後の件にお答えください。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:34 (UTC)[返信]
      • コメント私は改元年(特に1912年(和暦・jdate両方)・1926年(和暦が主)・1989年(jdateが主))に関しては「決定的な欠陥」だと思っています。とかいうとLincun氏が「なんで、jdateの欠陥のあるバージョンでsubst:化したんだ」と文句を言ってきそうなので先回りしておきます。subst化の提案は私ですが、作業を行ったのは私ではありません。ちゃんと分けて発言してもらいたいですね。怒りに任せて(?)十把一絡げに批判しないように。--Goki 2010年8月28日 (土) 12:01 (UTC)[返信]
        • 提案をしても作業さえしなければ矛盾にはならない…ですか。いよいよなりふり構っていられなくなりましたか。あと、Gokiというユーザが私にとって不愉快な存在であるという点については私は否定するつもりはありません。ただ、2ヶ月間にも渡って連日、Jdateと和暦を除去する作業に没頭し、また時には別人に成りすましてまでJdateと和暦の排除を主張をしないではいられないぐらいの精神状態にはないと自分では思っています。--Lincun 2010年8月29日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

報告 この件について、コメント依頼を提出しました。わたしは当面、寄せられるコメントを読んでいることにします。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 07:04 (UTC)[返信]

  • 1912年・1926年・1989年のみ(あるいは改元年のみ)、(2)の注意書きを入れることに積極的に賛成します。ただし、(3)および(4)については強く反対します。--氷鷺 2010年8月28日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
    • 第三者のコメントを募っているところですから、意見には理由をのべていただきたいです。▼近代の改元年のみ注意書きを入れることに積極的に賛成で、旧暦年はそうではないのはなぜですか。▼注意書きのあるものをsubst化することに反対なのはなぜですか。▼subst化が完了したことを確認した上で該当機能を停止するのに反対なのはなぜですか。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 12:58 (UTC)[返信]
      • 元号や日付の指定がない場合に、勝手にいずれかの元号が選択されるシステムでは、改元年において約1%から約99%まで、平均50%の誤りが発生します(1989年では前者、1926年では後者)。旧暦と新暦の差を問題とする場合は1割の誤りしか発生しません。旧暦・新暦の差については、問題のないものが圧倒的に多く、そもそもそれは日本の暦法がはらむ問題に起因するものです。
        (3)(4)について。むしろ、提案でその理由が説明されていませんが。subst展開する理由も、対応をやめる理由もありません。過去版での表示は、その当時のものを残すよう努力すべきでしょうし、1989s とか 1926t のような引数での対応で十分です。テンプレートのままだとソースが分かりづらいなどという意見がありますが、本来記事ではリンクや脚注といった、ややこしいものを「使っているはず」であり、ある程度のウィキリテラシー?は要求されるべき(最初は分からなくて当然だけど、徐々に学んでいくべき)です。少なくとも、分かりづらいから云々という今時の過保護な親のような姿勢で物事を考えるべきではありません(それは、新規参加者への「親切」とは全く異なるものです)。もし仮に、どうやっても、いつまでたっても、{{和暦|2010}} の意味も使い方も理解できない方がいたとしても――ウィキペディアに参加できる程度の(記事が書ける、日本語を理解できる、基本方針や著作権を理解できる)常識的な知性をもっていれば、最初こそ「些細な」失敗をするかもしれませんが、何の問題も起きません。--氷鷺 2010年8月28日 (土) 14:09 (UTC)[返信]
        • コメント テンプレートを使うと誤った結果が出るのなら、テンプレートを使わなければよいだけです。何も、すべての場合においてテンプレートが正しい挙動をするように保証する必要はないのです。間違った挙動をする可能性がある場合は、[年代要検証]タグなどを表示して、年号を検証するように促す、これで十分です。または、「自動換算せず、西暦のみ表示する」でもいいと思います。また、前も別件で話したと思いますが、過去版でエラー表示が大量に出てくる可能性があることには強い抵抗があります。このテンプレートは本文中に使われる訳ですから、エラー表示で本文が寸断されると余計に違和感を感じます。(4)の作業をしないのなら、(3)の作業を行う必要もありませんね。--新幹線 2010年8月28日 (土) 14:17 (UTC)[返信]
        • コメント 第三者のコメントがまだきませんのでもうすこし。
          ウィキペディアの参加の条件には、特定のテンプレートの使いかたをおぼえることは入っていません。まして、「1989s」「1926t」といった略記法を学ぶ義務は参加者にはありません。もっと言うと、とりあえず「昭和元年」とか「1989年」と書ければ十分で、それ以上のスタイルの整頓は他人にまかせてもいいのです。それが、ウィキペディアの要求するリテラシーです。
          ところが、年号換算系テンプレートは、使ったとたんに本文の記述な不可欠な一部になってしまうので、テンプレートとして記事中にある限り使わざるをえません。そして、複雑な引数をおぼえないと修正もできないし、そもそも、使いかたを間違っていても気づきません。だから、実力のある編集者が何人もかかわっているような明仁の項目でも、「現在の天皇の即位皇位継承は平成元年だった」[17]なんていう間違いが放置されるのです。
          ambox系のような本文に直接影響しないものならともかく、本文の一部として義務化するのには、絶対に反対です。まして、subst展開するというだけで反対だなどというのは論外とおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 16:07 (UTC) 訂正。即位の礼は諒闇が明けてからだね。--Hatukanezumi 2010年8月29日 (日) 05:57 (UTC)[返信]
          • この程度で複雑というのなら、脚注なんて触ることもできないと思うんですがね。まぁ、仮に「複雑」なのだとしたら、それはそもそも日本の暦法が複雑という「だけ」のお話です。難しい難しいって言ったところで、それはテンプレートの問題ではありません。普通の人は、1989/1/1が昭和だとか、1926/4/1が大正だとか、気にしませんよ。改元年でも片方(主に「元年」のほう)のみの表記とすることは普通に、公的な文書でも(統計や年表では特に)ありますし、教科書などでも旧暦新暦の差は無視してあることが普通にあります。万が一、執筆者がちゃんと理解していたなら、テンプレートを使うときに気付くはずです。
            使い方を間違えるひとは、どうやっても間違えるし、あなたが言っているのは「灰皿で人を殴ると死ぬから灰皿は凶器だ規制しろ」ということに過ぎません。「じゃあ、灰皿を掴んだら警告を出そう」というのがあなたの提案 (2) の段階。しかし、それでは問題のない使い方をしている人に迷惑だから、「殴る姿勢をとったら警告」としようと私は言っています。というか、義務化だとか使わざるを得ないとか、誰と話しているのですか? 義務づけたり強制させたりしたがっているのはあなたの方でしょう? --氷鷺 2010年8月30日 (月) 10:45 (UTC)[返信]
        • ついでに言いますと、今回の提案では、subst展開の完了に期限を決めていません。問題の対象となる記事は、わたしが調べたところ最大で約3000項目ありますが、subst展開はボットで3日で終えることもできますし、ひとりひとりが編集のついでにやれば3年かかるかもしれません。どのようにしてsubst展開するか、どれだけの時間をかけるかについては、今回は提案しておりません。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 16:07 (UTC)[返信]

旧暦年代について

  • コメント 氷鷺さんの意見に対してもうひとこと。
    旧暦年代については、このテンプレートを使っているかぎり間違っていても直せない (Wikipedia:年代の換算#旧暦年号の換算参照)、ということについてどう考えるのでしょうか。積極的にsubstして、修正できるようにし、最終的にはこの機能をなくしたほうがいいんじゃないでしょうか。
    もうひとつ。間違う確率についての意見ですが、上で述べたように、テンプレートの表示結果を確認していないか、直しかたがわからないと見られるものは、いくつもみつかります。テンプレートを使っていなければ、直すのは容易です。つまり、テンプレートの使用は間違いの確率を高めているのです。確率の高い箇所には注意書きをいれたほうが、訂正のたすけになるんじゃないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年8月29日 (日) 05:57 (UTC)[返信]
    • 直したければそこだけテンプレートを使わなければ良いし、使用・不使用が混在するのが嫌だという潔癖症の方は、その記事の中のテンプレートを展開すればいいでしょう。というか、「平成元年1月1日」も表現のひとつとしては間違っていないんですがね。たかだか1割の確率で大騒ぎするのもどうかと思いますが、その「テンプレートの使用が間違いの確率を高めている」というのが事実とは異なります。ウィキペディアンのうち、いったい何%が、改元や旧暦の問題を知っていて、かつそれを「正しく」書くことに注意を払っているでしょうか? あるいは、参考とされた資料のうち、何割が「正しく適切な」年月日の表記を用いているでしょうか。テンプレートを使用しなくても「間違えていたはず」です。テンプレートのせいで間違いの確率が高くなる可能性はそう高くありません。編集画面やSitenoticeにでも注意書きを入れた方が良いのでは。--氷鷺 2010年8月30日 (月) 10:45 (UTC)[返信]
  • コメント (インデント戻す) うん。直したければテンプレートを使わないことになりますね。つまり、このテンプレートを使うときは、文中で年号を記述するごとに、表示結果が正しいかどうかを確かめて、使うか使わないかを判断しなければならないということだ。……なにかおかしくないか?
    さて、/利用実態調査ではまだ旧暦の事例が少ないのだけれど、それでも検証作業をするなかでわかることは、少なくない筆者が、年号が正しいかどうか注意深く確認して書いている、ということだ。まして年月日まで書く場合なら、ちゃんと新暦と旧暦を区別している。そのための資料を参照するのは難しくない (図書館なんかで「日本史年表」のたぐいを調べればできる)。逆に、テンプレートの換算にたよると確かめなくなりやすいこともわかる。
    別の例: この例。「{{jdate|1872}}」の2箇所はどちらも「明治5年」に換算されるが、あとのほうは間違っている。しかもそれを信用したためか、本文の叙述が時系列と逆になっている。人間が資料で年号をたしかめていれば (たしかめられないときは参照した資料にもとづいて西暦年のみ書いていれば)、こんな間違いはおきない。同じ原因で生じたとおもわれる間違いはほかにもいくつもある。
    わたしが言いたいのは、両テンプレートの処理が人間の執筆者の判断力や誤り修正力と同等の正確さをもつとは到底いえない、ということだ。まして、ウィキペディアで活動する執筆者たちの調査力や資料読解力を不当に低く見積もることでテンプレートの「有能さ」を相対的にきわだたせようとするのは、不毛なことだ。--Hatukanezumi 2010年8月30日 (月) 14:29 (UTC)[返信]


  • 反対 デメリットを上回るメリットが見出せないので反対します。ここで言うデメリットは提案者を除く各人がすでに指摘していることと変わりませんので具体的な話は差し控えさせていただきます。今回の提案の賛否表明を巡って、提案者が根本的なことを勘違いしているようなので、念のために指摘しておきますが、こういった新しい試みの採用の是非は、単にメリットが大きいだとか、新しいアイデアを完成させるのに一生懸命頑張ったとかは関係ありません。メリットがデメリットを上回るかという点に尽きると思います。それから、今回の提案に反対の意思表示をしている人に対して提案者が意思表示を変更するよう粘着している様子が見られますが、こういった行為はやめて頂きたいと思います。わざわざコメント依頼までされたようですが、ここが自由に意思表示ができる場になっているとは思えません。--Lincun 2010年8月29日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
    • Lincunさんのお考えになるメリットとデメリットをご説明いただけないでしょうか。これまでの意見表明を拝見してきてのわたしの感想は、なにをメリットと見、なにをデメリットと見るかはひとによってさまざまだ、ということです。
      また、「メリットが大きいだとか、新しいアイデアを完成させるのに一生懸命頑張ったとか」とはどんなことを指しているのか、具体的にご説明いただけないでしょうか。具体的なご指摘がなければ、抱いておられるであろうご意見を生かして有益な合意を得ることができません。
      ついでに申し上げますが、わたしには、対話相手の言行に対して立腹しているときに言葉遣いが馬鹿丁寧になるという癖がございます。これ以上、他人の言動をくさすことにのみにご執心のご様子ですと、Lincunさんのご意見をご意見として伺うことを断念せざるをえません。重々ご承知ください。--Hatukanezumi 2010年8月29日 (日) 15:00 (UTC)[返信]
      • わざわざこういうコメント([18])を残しているので、自分が頑張っていることをアピールしたいのかと思っていたのですが、そういうわけではないんですか。それと、あなたの言葉遣いがどうのという話ですか、勘のいい人なら結構気づいていると思いますよ。以前から気になっていたのですが、あなたにとって話の通じない相手にはコメント欄に「おへんじ」と記入する傾向がありますよね。しかしそうでもしなければ自分の動揺を抑えられないようであれば、やっぱりウィキペディアでの執筆活動自体を控えられた方が賢明かと思ったりしています。--Lincun 2010年8月29日 (日) 15:36 (UTC)[返信]

コメント


脚注

  1. ^ 「〔…〕先帝ノ定制ニ遵ヒ明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス〔…〕」1912年 (明治45年) 7月30日詔書[1]。漢字は新字体にあらためた。
  2. ^ 「〔…〕定制ニ遵ヒ元号ヲ建テ大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」1926年 (大正15年) 12月25日詔書。漢字は新字体にあらためた。
  3. ^ 「〔制定文略〕/ 元号を平成に改める。/ 附則 / この政令は、公布の日の翌日から施行する。」1989年 (昭和64年) 1月7日政令第1号[2]
  4. ^ で きれば上の「明治改暦以降の改元年」についての記事の修正がある程度終わってから提案したかったのですが、たった1000件たらずでも、とても終わりません。旧暦年の6000件あまりの検証・修正はさらに時間がかかります。ので、テンプレートの変更をすすめてしまいたい。
  5. ^ たとえば安政2年は1855年2月17日から1856年2月5日までですから、西暦1855年1月31日は安政元年です。しかし、「{{和暦|1855}}」は「1855年(安政2年)」と表示します。
  6. ^ たとえば安政2年は1855年2月17日から1856年2月5日までですから、安政2年旧12月29日は西暦1856年です。しかし、「{{和暦|1856}}」は「1856年(安政3年)」と表示します。

西暦和暦を変換し併記するテンプレート

年月日を指定することで西暦和暦を併記するテンプレート利用者:氷鷺/testを作ってみました。まだ江戸時代以降のものだけですが。

西暦 → 西暦(和暦)
  • {{利用者:氷鷺/test|1623|10|9}} → 1623年10月9日(元和9年閏8月15日)
和暦 → 西暦(和暦)
  • {{利用者:氷鷺/test|慶長|4|閏3|12}} → 1599年5月6日(慶長4年閏3月12日)
  • {{利用者:氷鷺/test|寛保|4|8|1}} → 1744年9月7日(延享元年8月1日) - ※改元年の元号は自動修正

だいたいこんな感じです。明治から平成までの「和暦→西暦(和暦)」の変換は改元の処理をしてなかったので、そこを修正して、動作確認が済めばテンプレート名前空間に移したいと思います(別に、既存のテンプレートへの機能移植でもいいのですが)。その後は、16世紀以前への対応(ユリウス暦になってくるので、そこらの仕様をどうするか…)と、必要なら「和暦(西暦)」という書式への対応も入れたいですね。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 04:10 (UTC)[返信]

コメント (一通り目を通しました。全くの的外れや細かいことかもしれませんが、気になった2点について書きます。)1点目、和暦からユリウス通日を出力するテンプレート(/Keicho-Empo など)について、計算部分(#expr)の内側に基準となるユリウス通日を出力する部分(#switch)を持ってくると、重複部分が無くなります。記述量が少なくなることで見通しが良くなると思います。2点目、複数の書式を視野に入れているならば、ユリウス通日からグレゴリオ暦の年、月、日を出力する既存のテンプレート群と同じ様に、和暦の元号、年、月、日を出力するテンプレート群に切り分けた方が良いと思います。これらを使用する構成としては、(1) 記事に使うテンプレートは入力値からユリウス通日を取得、その値を使って書式テンプレートを呼び出す。(2) 書式テンプレートではユリウス通日から年月日を出力するテンプレートを呼び出して配置する。と、大きく2段構成です(実質3段かな)。(更に言えば、書式テンプレートの種類と呼び出し方法も、幾つかあると思いますが。)--Frozen-mikan 2010年7月27日 (火) 07:50 (UTC)[返信]
サブテンプレートに分割していることもあって、現時点ではあまりメンテナンス性を重視していませんが、仰るとおり、各テンプレートの役割分担は根本的に整理する必要がありそうです。正直汚いソースだと自分でも思います。たとえば、各月0日のユリウス通日を列挙するような方法をとっていますが、これも、各年の月の大小、閏月の位置(+その大小)を指定すれば、「和暦⇔ユリウス通日」の変換はかなりスマートになるでしょう。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
技術的なことはわかりませんので、感想だけ。16世紀以前については、日付まで記述することは少ないと思うので、仕様が悩ましいなら無理に対応しなくてもよい気がします(その場合、注意書きは必要ですが)。それと、日本史分野で使うことを考えると、「和暦(西暦)」への対応はぜひほしいです。失礼しました。--219.67.171.131 2010年7月27日 (火) 10:10 (UTC)[返信]
和暦西暦の前後の順番は、どのように指定するのが良いのか、いくつか方法を考えています。
入力方法に対して相対的に指定させる方法
  • 和暦指定+「逆」指定 → 西暦(和暦)
  • 西暦指定+「逆」指定 → 和暦(西暦)
入力方法に関わらず、絶対的に指定させる方法
  • 和暦指定+「西暦優先」指定 → 西暦(和暦)
  • 西暦指定+「和暦優先」指定 → 和暦(西暦)
第1引数で指定する方法
  • {{利用者:氷鷺/test|逆|1623|10|9}}
  • {{利用者:氷鷺/test|和暦優先|1623|10|9}}
変数名を付ける方法
  • {{利用者:氷鷺/test|1623|10|9|逆=yes}}
  • {{利用者:氷鷺/test|1623|10|9|優先=和暦}}
如何でしょうか? どれもそれなりに一長一短あるように思いますが…。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
コメント ユリウス通日を介して変換するのは、とてもうまいアイディアだとおもいます。暦日の資料ではユリウス日やリリウス日を掲載していることが多いので、デバッグがしやすい。
まだ中身をよく見きれていませんが、アイディアを書きます。
  • 現行のテンプレを使った記事を見ていると、月日について旧暦と西暦を混同しているものが見受けられます。ひとつのテンプレで西暦→和暦と和暦→西暦を兼用しないほうがいいとおもいます。
  • さらに言うと、西暦→和暦は必要ないようにもおもいます。旧暦の時代を記したもので西暦表記の日付が資料にあるとしたら、ほぼ確実に換算されたものでしょうから (例外はキリシタン資料とかでしょうか)、それを再度逆算すると、誤りがあったときに固定化するおそれがあります。時差もあるので (さらに言うと西暦使用地域でも、時代によっては日の始まりが午前0時になる時法とはかぎらないので) 日まで特定するのなら比較の意味がないでしょう。
  • テンプレで対応する年代ですが、まずまず間違いのない結果をだせるのは、江戸時代、幕藩体制が安定して以降でしょう。それ以前は全国統一の政権がありませんから、各地で年初や置閏法が微妙に異なる暦が行われました。
    そういうわけで、このテンプレートで対応する年代もそれ以降でいいんじゃないでしょうか。目安としては貞享暦に改暦した貞享2年旧1月1日 (1685年2月4日、ユリウス通日2336526.5日) あたりだとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月27日 (火) 13:15 (UTC) 微修正--Hatukanezumi 2010年7月27日 (火) 14:22 (UTC)[返信]
コメント Hatukanezumiさんへのコメント
月日について旧暦と西暦を混同』について: それは使用者の問題なので、「西暦から」と「和暦から」とを分けたところで、どのような効果があるのかよく分かりません。
西暦→和暦は必要ない』について: その機能を積極的に否定する理由が思いつかないのですが、「西暦→和暦(西暦)」機能を「入れるべきでない」とお考えでしょうか?
コメントアウトされていた『誤記の対策』について: まだ入れていませんが、年・月・日については大雑把な(「13月」「33日」などを排除する)エラー訂正を追加したいと考えています。ただ、個別に各月の日数などまで考慮してはじくのは難しいですが、一旦ユリウス通日を通してありますので、(和暦からの場合は)適切な日付に変換されているはずです。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 08:57 (UTC)[返信]
支持
氷鷺さんが試作された「年月日を指定することで西暦和暦を併記するテンプレート」の作成のコンセプト自体について支持します。
内部リンクについて
Wikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成」における諸々の議論が合意形成されてないので、西暦・元号が自動でリンクされる仕様には反対します。合意形成されてない現状では、「デフォルトではリンク無し」が望ましいと考えます。
変数名「和暦lk = y」・「西暦lk = y」などを用いて、リンクの貼り付けを可能にする仕様にすることは可能でしょうか?
賛成
Hatukanezumiさんの「西暦→和暦は必要ないようにもおもいます。」という意見に賛成します。
質問
元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦・(五紀暦)・ 宣明暦を用いていた、宝暦4年12月30日までの和暦について対応することは困難なのでしょうか?日本史分野等での使用を考慮するとぜひ対応していただきたく存じます。--Resto1578 2010年7月27日 (火) 18:47 (UTC)[返信]
コメント Resto1578さんへのコメント
リンクについて: テンプレートの使用が強制されるわけではありませんし、和暦・Jdateいずれも西暦にリンクがある以上、リンクを制限する必要を感じません。昭和・平成くらいなら「リンクなし」を選べるようにしてもいいような気もしますが。
西暦→和暦は必要ない』について: その機能を積極的に否定する理由が思いつかないのですが、「西暦→和暦(西暦)」機能を「入れるべきでない」とお考えでしょうか?
現在対応している範囲は、試験的に作ったため小さく抑えてあるということもありますが、グレゴリオ暦だけで対応できるというのが主な理由です。技術的には、これ以前のも特に難しくはありません。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
「『西暦→和暦(西暦)』機能を『入れるべきでない』とお考えでしょうか?」……わたしはそう書いたつもりですが。理由も述べました。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 12:15 (UTC)[返信]
(コメント)コンセプト自体はどっちでもいいのですが、リンクの形式についての懸念があるのと、subst展開に対応しない意向である場合は同意しません。--Goki 2010年7月29日 (木) 02:19 (UTC)[返信]
あなたの同意は必要ありません。本質的な問題を理解できず、ただ個人的な趣味でテンプレートを展開しリンクを外して回っている、奇妙な趣味をお持ちの方の個人的な好き嫌いに、まともに検討する価値などありません。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
subst展開には対応すべきでしょう。以前Kimoriさんが挙げられていた「記事のソースが分かりにくい」などのデメリットがありますし、テンプレート自体の更新にテンプレートを使用した各記事が対応する必要性もないからです。個人的には「subst強制」でもいいぐらいだと思っています。こうすれば、万が一テンプレートを廃止する必要が出てきたときに過去版への影響を考慮しなくて良くなりますので。
また、現行のWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成の方針下では、記事に記載されている年月日の多くがリンクする必要のないものだと思いますので、デフォルトでリンクを外したほうが良いと思います。--新幹線 2010年7月29日 (木) 11:58 (UTC)[返信]
コメント リンクの件ですが、どこかで議論があったはずなので、疑義がでているのならそちらで合意をとってからテンプレートに反映していただきたいです。場外乱闘はごめんこうむりますです。
とはいえそれではすすまないので意見を言うと、「西暦のリンクはあっていい」「元号のリンクはデフォルトではなしで、オプションにしてほしい」という意見です。要望をもうすこしくわしく述べます。
ひとつの記事のなかでは、ある連続した期間の叙述がしばしばあります。ですから、同じ西暦年が頻出することはすくないですが、同じ元号は頻出します。元号自体にもリンクは必要ですが、必要ない場合のほうが多くなりますから、オプションで筆者や校正者が入れればいいでしょう。
それと、貞享改暦以前の年代について……は、あとでコメントする。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 12:03 (UTC)small fix--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 12:12 (UTC)[返信]
「同じ西暦年が頻出することはすくない」と思うでしょうけどそれがあるんですよ。文章中だと「同年」と書いておけばいいものを同じ年に対して「わざわざテンプレートを使いたがる」んですよね。とはいえ、Hatukanezumiさんの主旨には同意します。あと、ずっと「個人的趣味ということにしたい方」が1名いらっしゃいますが何とかならんかな。あんたは敵と決めた相手の意見を全否定したいだけでしょ。--Goki 2010年7月30日 (金) 02:14 (UTC)[返信]
コメント 活発に意見がでていますが、一度このテンプレート(案)についての論点をまとめましょうか。
  1. 西暦→和暦変換は必要かどうか。
  2. リンクの形式をどうするか、多様なリンクの需要に対応するか。するならどうやるか。
  3. 「和暦(西暦)」形式に対応するか。するならどうやるか。
  4. エラー処理をどうするか、どこまでやるか。
  5. コーディングの改善について。
  6. 対応する年代の範囲はどうするか。
  7. subst対応をするか。
こんなところだとおもいますが、ほかにもあれば追加してください。個別の論点について適宜節分けなどのご協力をお願いします。よろしくです。--Hatukanezumi 2010年7月30日 (金) 16:43 (UTC) subst対応の件が抜けてましたので足しました。--Hatukanezumi 2010年8月1日 (日) 00:12 (UTC)[返信]
とりあえず、元号はデフォルトで非リンクにしましょうか。片方あればどうにかなりますし。ただ、リンクの有無を指定させるのは(主に仕様を決めるのが)ちょっと面倒なので、元号は一律「非リンク」という仕様にした方が楽かな。--氷鷺 2010年7月30日 (金) 17:06 (UTC)[返信]
コメント
1.について - 「西暦 → 西暦(和暦)」は、誤用の恐れがあるため不要。例えば、暦法に詳しくない編集者が、出典に「元禄元年(1688年)3月10日」という年月日を「{{利用者:氷鷺/test|1688|3|10}} → 1688年3月10日(貞享5年2月9日)」と誤った数値を入力しかねないため。正しくは、「1688年4月10日(元禄元年3月10日)」です。
2.について - デフォルトでは、リンクを貼り付けない。年月日計算テンプレートは、暦法の変換を支援するテンプレートを主目的とするべきであると考えます。テンプレートを使用する事によって強制的にリンクが貼り付けられるのは、現行ガイドラインを無視している形であると考えます。
3.について - 対応して欲しいです。「元禄元年3月10日(1688年4月10日)」の形式の表示が、暦法の差異に対する誤解を回避できると考えます。
4.について - 明治以前の改元年について、出典に「貞享5年9月30日」とあれば「貞享5年9月30日(1688年10月23日)」と表示されますが、出典に「元禄元年9月30日」にある場合は「元禄元年9月30日(1688年10月23日)」も正しいので、両方に対応できるようにして欲しいです。この改元年に対する対応についても「西暦 → 西暦(和暦)」の表示は問題が発生するのではないでしょうか?
5.について - 知識不足です。コメントできません。
6.について - できれば「大化元年6月19日」から。欲を言うと「崇神天皇52年11月30日(紀元前45年1月1日)」、もしくは「神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月18日?)」から。
補足
享年(数え年)の表示用の標準的なテンプレート「Template:享年」は、ほとんどが誤用されていました。つまりテンプレートの解説サブページの注意書きを読まずにテンプレートを利用される編集者が大多数だと考えます。ひどい例では、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの記事に、「Template:享年」を貼り付けていました。
テンプレートの作成にあたっては、テンプレートの解説サブページの注意書きは読まれない可能性があることを念頭に置くべきだと思います。特に本テンプレートのように利便性に富んだテンプレートであれば、なおさらデフォルト設定は慎重になるべきだと思います。
現時点での、このテンプレート(案)についての論点へのコメントは以上です。--Resto1578 2010年7月31日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
非常によくできたテンプレートだと思いますが、あまりに複雑すぎるテンプレートを導入することにはあまり賛同できません。私が明治以降を限定とした和暦自動表示のテンプレートを作成したのは、インプットとアウトプットの差異が、和暦の有無並びに、「年・月・日」という文字の有無に限定されるということと、テンプレートのソースが非常にシンプルに済ませることができるという理由からです。新暦旧暦の変換を伴うものについては、「年」のみの扱いにした方が安全だと思っています。--Lincun 2010年8月3日 (火) 11:54 (UTC)[返信]

対応する年代の範囲

コメント 長いので節分けしました。で、続き。
貞享暦以前は、おなじ宣明暦の暦法で造られていたにもかかわらず、地域によって暦の暦日に相違が生じることがありました。誤算によるものかもしれませんし、人為的な変更が加えられることもあったのかもしれませんが、とにかくそれぞれの頒暦地ではそれを暦日の基準として暮らしていても、特に不便はなかったわけです。当然、史料にも当地の暦の暦日が記録されます。

京暦もふくめた地方暦同士で暦日が相違することは、たまにあったようです (宣明暦の解説なんかを読んでください)。
また史料の暦日の分析によれば、源頼朝の時代の鎌倉では (京暦ではなく) 三島暦が用いられていたというのが多数意見らしいです (何で読んだかわすれた)。
ほかにも例を挙げると、三島暦の相違で現存する記録のもっとも古いものは禅僧義堂周信の日記の応安7年3月4日 (1374年) の条で、熱海へ行ったことを記し「三島暦では今日が巳の日にあたるので」(3日になる) という趣旨を述べています (『空華日用工夫略集』)。
わたしがしらべた範囲でもっとも新しいのは元和3年2月 (1617年)、朝廷が徳川家康に「東照大権現」号をおくるというので秀忠が朝参のために上洛したときで、東国の三島暦と畿内の京暦とで1日の差があったために大問題になったそうです (日の吉凶が変わってしまうもんね)。
そのほかにも、大宮暦三島暦丹生暦大坂暦でも、日の相違が見つかった記録があるようです。

さらに、過去の暦日が史料にあっても、その当時使われた暦が現存しているとは限りませんし、残っている暦史料も正月など特定の時期に集中しているため、その間の暦日がユリウス暦やグレゴリオ暦でいつにあたるのかは、推算で求めているだけなのです (湯浅吉美『暦と天文の古代中世史』などを参照)。当然、研究者の間でも意見の相違があります。暦史料が連続して残っており、しかもそれが実際に施行されたことがわかっているのは、元和6年 (1620年) 以降だそうです (中田正男『日本暦日原典』)。

宣明暦より前を見ると、元嘉暦儀鳳暦大衍暦五紀暦は、暦法はわかっています (中国製なので) が行用期間に諸説ありますし、併用された期間もあるとされています。もちろん人為的な改変もありますから、暦法と行用期間がわかっていても暦史料そのものがなければ暦日がいつなのかは確定しません (旧暦での人為的な改変については改暦の記事などを参照)。

そういうわけでわたしは、問題を起こさず対応できる期間の始まりとして貞享改暦の年を目安とすることを提案しています。元和6年 (1620年) に伊勢神宮が幕府から頒暦の独占権を与えられ、さらに貞享2年 (1685年2月4日以降) の貞享改暦を機に各地の地方暦もおなじ本行草 (暦の草稿) をもとに編暦するようになったため、これ以後の暦日は事実上、全国で統一されていると考えられます。逆に、暦史料のうらづけのない暦日は、それ自体が考証の対象となるもので、計算では求められません。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 13:55 (UTC)[返信]

ウィキペディアは一次資料、史料に基づいて書かれたものではない(はず)です。したがって、この和暦は本当かどうか分からない、だから西暦換算すべきでない、というのは独自研究にあたるように思います。これは現在のことにも未来のことにも言えますが、必ずしも、「事実」である必要はありません。昭和期の出来事だって、いま事実であると考えられている日付が本当のものとは限りません。出典とする文献で、特にそのような注意がなければ、それを信頼し中央の暦法に従うものと解釈すべきでしょう。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 15:40 (UTC)[返信]
「この和暦は本当かどうか分からない」という話をしているのではないのです。ウィキペディアでは、検証可能性と正確性を満たすためには、資料に基づいてできるだけ正確とみなせる日付を記すべきですから。
しかし、「この和暦日付はこの西暦日付に変換できる」というのは、元の資料に書いてあることではありません。それはテンプレートのアルゴリズムが決めているので、資料にもとづいていません。ですから「変換した結果は本当かどうか分からない」ということになります。
氷鷺さんの発言の「出典とする文献で、特にそのような注意がなければ、それを信頼し」--- ここまではいいのです。しかし ---「中央の暦法に従うものと解釈すべき」とする根拠はありません。わたしは、そのように解釈できない場合があるということを、上で説明しました。
どう思われますか。
ついでに、上にでてきた以外に、もうちょっと一般向きの参考書も挙げておきます (湯浅や内田の著書も、それほど難解なものではありませんが。特に内田『日本暦日原典』の後半は、日本の太陰太陽暦についてのよい解説になっています)。
  • 広瀬秀雄『日本史小百科 暦』東京堂出版、1993年。1978年近藤出版社刊の新装版。
  • 暦の会(編)『暦の百科事典』本の友社、1999年。
  • 岡田芳朗『旧暦読本: 現代に生きる「こよみ」の知恵』創元社、2006年。
今後も多くのかたが議論に加わってくださることを望みますが、すくなくともこれらのうちどれかは手に取って読んでおいていただけると、議論が生産的な方向に向かいやすいのではないかとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 16:09 (UTC)[返信]
半年ほど前に ISBN 9784404037879ISBN 9784534030214 の2冊を読んでいますが、それでは不足でしょうか。「貞享以前は、私暦・地方暦とよばれるものが氾濫し普及していた」という程度には理解しています。それはいいのですが、Hatukanezumiさんが仰る「貞享改暦以前の和暦⇔西暦の変換に問題がある」ということの根拠としては、不十分ではないかと指摘しているのです。当時、地方や民間で「中央の・正式な暦法」が使われていなかったとしても、それ自体はさほど重要ではなく、問題なのは、現在、記事執筆に使用される各種文献において、(勿論史料そのままの記述を扱う箇所は除きますが)京暦だとか伊勢暦のままの日付が普通に(注釈も何もなく)用いられているのかどうか、ということでしょう。私は歴史学のことは正直よく知りませんので、教えてください――「400年以上前の出来事で、(その基準とする暦はともかく)日付まで分かっているもの」について、現在でも「どこの暦なのか分からない」日付のままというものが大半を占めていて、そのまま使われているのですか? 歴史研究者は、どこの暦をもとにしたのかはっきりしない日付を、そのまま著書で使用するものなのですか?
……仮にそうだとしても、十中八九「間違いじゃないか?」と思っても、参考文献に特に○○暦と明記されていないのであれば、日付に(小の月の30日、存在しないはずの閏月のような)明らかな矛盾でもなければ、中央の暦法を適用すべきでしょう。少なくとも、その問題に対応すべきは執筆者であり研究者であって、テンプレートの仕様としてそのような制限を設けることは適切でないと考えます。まったく対応を考えない訳ではありませんが、できることと言えば、「慶長4年11月9日(1599年12月26日ごろ<ref>○○暦が使用されている可能性が高くはっきりしない。</ref>)」といった、脚注の形で入れることぐらいでしょうか。あまり詳しくは覚えていませんが、私が読んだ2冊には「現在の歴史書にも、私暦・地方暦で記された真偽のはっきりしない日付が含まれており、西暦に換算することは不適切」とはなかったです。--氷鷺 2010年7月30日 (金) 14:03 (UTC)[返信]
コメント その2冊は読んでませんが、たとえば「恒気」や「四大」や「進朔」や「歳実消長法」のことは書いてありましたか。テンプレートで暦の換算をしようというのなら、こういった暦法の仕組みに関することは一応知っていたほうがいいとおもいます。「一般向け」の参考書には書いてないかもしれません。で、質問されているようなので答えます。
  • 「400年以上前の出来事で、〔……〕日付まで分かっているもの」について、現在でも「どこの暦なのか分からない」日付のままというものが大半を占めていて、そのまま使われているのですか?
    --- 大半などとは言っていません。テンプレートで自動的に換算できる年代には限りがある、と言っているだけです。
  • 明らかな矛盾でもなければ、中央の暦法を適用すべきでしょう。
    ---「中央の暦」ってなんでしょう……それはともかく、わたしが言っているのは、ある時代には全国で単一の暦が行われていたと考えられるが、持統天皇の時代から現代までのすべての期間がそうであるわけではない、ということ、それだけです。
  • その問題に対応すべきは執筆者であり研究者であって、テンプレートの仕様としてそのような制限を設けることは適切でない
    --- テンプレートで自動的に変換しておきながら「執筆者が対応すべき」とは、おかしいではありませんか。いったい、テンプレートを使ってほしいのですか、ほしくないのですか。テンプレートで責任を持てる範囲を明確にして、それ以外の範囲には対応しないというのが誠実な態度ではないでしょうか。
今回のことに限りませんが、氷鷺さんの議論姿勢は、わたしにはおかしく見えます。原因は、自分出したアイディアに対する修正意見を一切受け容れようとしないからだ、とおもいます。
氷鷺さんはしばしば、部分的な修正の意見に対して、起こりうる問題を誇張して全体に適用し「そんなことがいつもいつも起こるはずがない」(大意) という論法で反論します。しかしだれも、いつもいつも起こるなんて言っていません
上で出ている話題 --- 「日付での和暦と新暦の混同」、「リンクの問題」、「subst対応への需要」、そしてこの「暦日の不確定」--- これらはみんな、いつもいつも起こることではありません。しかし、それらの懸念を「理由がわからない」とか「そんなことがあるはずがない」とか (いずれも要約) 言って顧みないのであれば、みんなに安心して使ってもらえるテンプレートはできません。
現状では、氷鷺さんのやりたいことを全面的に呑まないかぎり、納得していただけないようです。しばらく……そうですね、数週間程度……テンプレートに関わらずに、頭を冷されてはどうでしょうか。これまでに出ている意見を冷静に受け止めて話し合うことができるようになったら、またご意見をください。それまでわたしは、このテンプレートの実施への賛否は保留します (もちろん、テンプレートの中身についてはいろいろ意見を出しますが)。そうならなかった場合は、反対します。
ではまた。--Hatukanezumi 2010年7月30日 (金) 16:27 (UTC)[返信]
テンプレートを「普及させる」「義務づける」つもりはないので、「使って欲しい」「使って欲しくない」といった意見は持っていませんでした。使いたい人が、適切に利用すればいいだけだと思っています。どこの暦を元にした日付なのか明らかにせずに使うのは問題としないけど、それを西暦に変換させるのは許せない、というのが不思議だと言っているのですが、理解していただけないのでしょうか。これに限らず、テンプレートの使用者には相応の理解・正しい利用法が求められるべきです。不適切な用法が考えられるから規制すべきだというのは、「灰皿で人を殴ると死ぬから灰皿は凶器だ規制しろ」という理論と同じように思います。貞享以前への対応を禁止させたいのであれば、Resto1578さんが「元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦・(五紀暦)・ 宣明暦」へ対応できないかと仰っていますので、Resto1578さんにもそう言ってください。あと、リンクについては、とりあえず片方(西暦?)だけにしようかと思います。--氷鷺 2010年7月30日 (金) 17:06 (UTC)[返信]
「テンプレートの使用者には相応の理解・正しい利用法が求められるべき」ということですが、このテンプレートは、仕様をよく知らない初心者の方に利用される可能性も大いに考えられることを理解してください。テンプレートの使用が強制されないならば、誤用される懸念がある年代に無理に対応させる必要があるとも思いません。それでも貞享以前への対応に対して強い需要があるのならば対応させてもいいかもしれませんが。--新幹線 2010年8月1日 (日) 12:59 (UTC)[返信]
あんたは、個人あてに言われないと気が済まないのか?
「俺に言うなら他の奴にも言えや」みたいなガキみたいなこと言わないでいただきたいですな。--Goki 2010年7月31日 (土) 02:51 (UTC) 喧嘩。取り消し線引く--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 07:59 (UTC)[返信]
あなたは口を挟まないほうが身のためだと思いますよ。邪魔にしかならない駄々っ子の相手をするほどヒマじゃないんで、遊び相手が欲しいなら他所へ行ってください。--氷鷺 2010年7月31日 (土) 05:22 (UTC) 喧嘩。取り消し線引く--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 07:59 (UTC)[返信]

ウィキペディアは一次資料、史料に基づいて書かれたものではない(はず)です。したがって、この和暦は本当かどうか分からない、だから西暦換算すべきでない、というのは独自研究にあたるように思います。

この一文で矛盾が山ほどあるんだけど。
「ウィキペディアは一次資料、史料に基づいて書かれたものではない」
は?二次資料を参考にして書いたとしても、一次資料はしめされているでしょうに。
「したがって、この和暦は本当かどうか分からない、だから西暦換算すべきでない」
最初の命題が偽なのでこの命題も成立しません。
もう、氷鷺さんは私やHatsukanezumi氏の言ってることを全否定したいだけじゃないのかと思っています。そろそろ無視しますよ。--Goki 2010年7月30日 (金) 02:14 (UTC)[返信]

確認

  1. {{Jdate}}、{{和暦}}テンプレートの削除を提案している人は現在はだれもいない。
  2. 上記2つでsubst:対応できれば展開しても問題ない。

1.はだれも反対者はいないと思いますが、2.に反対するのはなぜですか?--Goki 2010年7月31日 (土) 11:09 (UTC)[返信]

Template:Jdate: subst対応の正式化

#Template:和暦: subst対応の正式化で{{和暦}}がsubst対応で正式化されましたが、あわせて{{Jdate}}も{{Jdate/sandbox}}を{{Jdate}}に反映させたいと考えています。反対者がいなければ来週末あたりに反映させようと思います。--Goki 2010年8月11日 (水) 03:37 (UTC)[返信]

  • 賛成 賛成します。一応Jdateのページに{{告知}}を貼っておきました。--新幹線 2010年8月13日 (金) 01:24 (UTC)[返信]
  • 賛成 現サンドボックスのsubst対応版を使って不具合を経験したことはありません。反対する理由はないので賛成します。--Hatukanezumi 2010年8月13日 (金) 13:56 (UTC)[返信]
  • コメント もし反映させることになった場合の注意点を念のために一つ。Jdate 内部で使用されている別のテンプレート(/year, /number)がありますので、全てを反映して下さい。その際、/sandbox 用に呼び出すテンプレート名をそれぞれ変えているので、その名前も修正して下さい。--Frozen-mikan 2010年8月15日 (日) 18:31 (UTC)[返信]
  • 反対 もし今回の提案者が、本文中にテンプレートが存在していることのみを問題視しているというのであれば、一人の人物の主張として矛盾はないとは思います。(もちろん私の主張とは異なっていますが。)
しかし今回の提案者は、単に本文中にテンプレートが存在していることを問題視しているのみならず、テンプレートのリンクの在り方、新暦旧暦のずれ、改元の問題について再三に渡って苦情を言い続けて来た人物です。このような人物が今回のような提案をすることは私には全く理解ができません。--Lincun 2010年8月19日 (木) 13:06 (UTC)[返信]
  • コメント Lincunさんが「苦情」として列挙された提案者の主張は、ひとつひとつに根拠があり、検討する必要があることだと考えます。また提案者は、テンプレートの現在のありかたがウィキペディアでの編集活動を行う利用者にとって負担を増すと主張してきたのですから、それが「苦情」になるのは当たり前のことです。
    もっとも、「苦情」ばかり述べて自分で改善しようとしないひとがいれば「不平不満ばかり言って何もしない」という批判もしかたがないかもしれません。が、今回は具体的な改善策を提案しているのではないですか。提案そのものについて意見をいただけないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年8月19日 (木) 13:20 (UTC)[返信]
  • コメントLincun氏の反対票は「単なる嫌がらせ」と認識しました。来週再提案しますが、今度は「subst化そのもの」に対する具体的な問題点(もう何度も書いていることですが、手続き上の問題点については何を言われても無視しますのであしからず。)があがらない限り、反対票とはみなしませんのでご了承ください。--Goki 2010年8月20日 (金) 03:59 (UTC)[返信]
  • コメント 来週再提案ということなので、今週末に誤記への対応もしとこうとおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月20日 (金) 13:08 (UTC)[返信]
    • 報告 対応しました[19]テストケースも作成しましたので確認願います (subst展開時の動作も確認よろしく)。
      反映する際の注意。●ソース中にテンプレート自身の名前を参照している箇所があります。サンドボックスで「jdate/sandbox」となっている箇所は反映の後に「jdate」に置き換えてください。●/year、/numberについては上の注意のとおり反映が必要です。●内部テンプレート /validate は新設ですので反映にともなう作業はありません。--Hatukanezumi 2010年8月21日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
      • 様々なパターンのエラーに対する例外処理をえらい労力を以って設計してくれたのですね。ご苦労なことです。しかし、もともと赤字でのエラーメッセージが表示されるような場合や、明らかに異常な年号表示がなされる場合について、わざわざ改めて独自のエラー表示を発生させる必要があるとはとても思えません。ウィキペディアでは何十もの引数を想定したテンプレートがざらにありますが、ありとあらゆる事態に備えてエラー処理を用意しているものは見たことがありません。むしろここまで多数の例外処理を設定することの方が、無駄にテンプレートのソースを複雑化させることになり、テンプレートのメンテナンスの観点からは避けるべき手法だと考えています。ところでHatukanezumiさんは、起こりうるエラーについて相当綿密に対応しているという御自負もおありかも知れませんが、あなたやGokiさんによってしつこく指摘されいた問題点として、改元の問題、例えば「平成元年」と表示させなければいけないところを「昭和64年」と表示させてしまうエラーや、リンクが強制的に発生させてしまうという問題については全く有効な処置は採られていません。これらの点について、あなたがたは依然として主張に矛盾を抱えている状態にあります。お二方はこれらについてどう辻褄を合わせるつもりであるのか是非ご説明願いたいところです。なお、「#検証が必要な年代表示への対応の提案」のような、すでに問題なく表示されている箇所の表示内容を変えてしまうようなあまりにも現実から乖離した処置については予め反対しておきます。--Lincun 2010年8月21日 (土) 13:46 (UTC)[返信]
        • 今回のは誤記への対応であって、検証が必要な年代表示に対する対応ではありません。言い換えると、前者は仕様の範囲外の入力によって起こる問題であり、後者は仕様そのものによって起こる問題です。--Hatukanezumi 2010年8月21日 (土) 16:23 (UTC)[返信]
          • 昭和64年と平成元年のどちらを表示させるかはテンプレートの使用者が責任を負って処理すべきであるというのは従来からの私の主張なのですが、そうではなく、テンプレートの使用者の誤使用を許すテンプレート側に致命的な欠陥があると大暴れをされてきたのはそちらの御両人だったはずです。一方、あなた方の主張通り、テンプレートのsubst対応化をすれば、誤使用がなされていても、テンプレートが目印となって問題箇所を発見しやすいという現状を、ウィキペディア日本語版の全文章を検索しなければ問題箇所を見つけられないという状況に陥らせることになります。自分の言っていることが変だなとは思わないんでしょうか。--Lincun 2010年8月22日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
  • 報告 {{jdate}}は旧暦年の引数を想定していないわけですが、これらは今回のサンドボックス反映によって「誤記」と扱われるようになります。該当する使用例について検証をしています (Template‐ノート:和暦/利用実態調査#誤記)。紙の文献を参照する必要のあるものが20記事ほど残っていますが、これについてもおいおい検証します。ので、テンプレートのサンドボックス反映の提案についてはすすめてください。--Hatukanezumi 2010年8月25日 (水) 16:44 (UTC)[返信]