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「Wikipedia:削除依頼/朝鮮紀行」の版間の差分

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=== (*特)[[朝鮮紀行]] - [[ノート:朝鮮紀行|ノート]] ===
=== (*特)[[朝鮮紀行]] - [[ノート:朝鮮紀行|ノート]] ===
<div class="boilerplate metadata vfd" style="background-color: #F3F9FF; margin: 0 auto; padding: 0 10px 0 10px; border: 1px solid #AAAAAA">
このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは<!-- 特定版削除への確認を除いて -->編集しないでください[[Template:Vfd_top|。]]
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注意: あなたが削除依頼を提出しようとしてこのページを見ている場合は、削除依頼するページにあるリンクを手動で [[Wikipedia:削除依頼/ページ名 (日付)]] のように書き換え、新しい依頼ページを作ってください。新しい依頼ページでは、過去の議論を参考にできるよう、古い依頼ページへのリンクを作成してください。
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議論の結果、'''版指定削除''' に決定しました。
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{{IPuser2|211.133.61.1721}}氏による[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C&action=historysubmit&diff=35485228&oldid=34933798 2010年12月20日 (月) 06:04 時点の版]から「バードが見た李氏朝鮮」の節が時岡敬子訳『朝鮮紀行――英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫)からのコピーとなっています。翻訳文章の一部が改変された引用の形になっているため著作権侵害にあたるかどうか不明です。--[[利用者:敷島健一|敷島健一]] 2011年1月22日 (土) 17:18 (UTC)
{{IPuser2|211.133.61.1721}}氏による[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C&action=historysubmit&diff=35485228&oldid=34933798 2010年12月20日 (月) 06:04 時点の版]から「バードが見た李氏朝鮮」の節が時岡敬子訳『朝鮮紀行――英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫)からのコピーとなっています。翻訳文章の一部が改変された引用の形になっているため著作権侵害にあたるかどうか不明です。--[[利用者:敷島健一|敷島健一]] 2011年1月22日 (土) 17:18 (UTC)
*(特定版削除)著作権侵害の場合は[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C&action=historysubmit&diff=35485228&oldid=34933798 2010年12月20日 (月) 06:04 時点の版]以降を削除。--[[利用者:敷島健一|敷島健一]] 2011年1月22日 (土) 17:18 (UTC)
*(特定版削除)著作権侵害の場合は[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C&action=historysubmit&diff=35485228&oldid=34933798 2010年12月20日 (月) 06:04 時点の版]以降を削除。--[[利用者:敷島健一|敷島健一]] 2011年1月22日 (土) 17:18 (UTC)
*(コメント)可変IPですが、加筆した本人です。「コピー」と依頼者は仰っていますが「コピー」と言うからには、原本にはどう書かれていて、記事にはどう書かれているのかを提示し、そっくりそのまま書かれていることを証明すべきではないでしょうか。著書から編集者が要約し、出来る限り自分の言葉で読者にわかりやすく記載することを「改変」とは言わないのではないでしょうか。--[[特別:投稿記録/218.217.129.228|218.217.129.228]] 2011年1月24日 (月) 18:56 (UTC)
* 図書館で原本の時岡敬子訳『朝鮮紀行――英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫)を借りてきました。以下に原本の文章と{{IPuser2|211.133.61.1721}}氏による[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C&action=historysubmit&diff=35485228&oldid=34933798 2010年12月20日 (月) 06:04 時点の版]の引用の文章との比較をしてみます。
{| class="wikitable"
|+ 原本の文章と引用の文章との比較
! style="width:10%" | 原本の頁 !! style="width:45%" | 原本の文章 !! style="width:45%" | 引用の文章
|-
! 58-59頁
| 北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、<ruby><rb>紹興</rb><rp>(</rp><rt>シヤオシン</rt><rp>)</rp></ruby>へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!
| [[北京]]を見るまでは、ソウルが地上のどこよりも汚い都市と思っていたし、[[紹興]]の悪臭に出会うまではソウルほど悪臭の酷い都市はないと思っていた。
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! 59頁
| 迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、<ruby><rb>疥癬</rb><rp>(</rp><rt>かいせん</rt><rp>)</rp></ruby>持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。
| 迷路のような路地に住み、土壁の低いあばら家を建て、まるで地面に張り付くように住んでいる。家々から出た液体や固体の汚物を受ける溝で道が狭くなっており、その溝で土ほこりにまみれた半裸の子供や目を充血させた犬が転げまわったり遊んでいる。
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! 85頁
| ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ、コドゥンというまれな例外をのぞいて、見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もないし、いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!<br /> 清国と同じように孔子廟とその教えを記した碑があるのはべつにして、ソウルには公認の寺院がひとつもなく、また僧侶が城内にはいれば死刑に処せられかねなかったので、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物のあたえる迫力がここにはない。
| ソウルには芸術品がなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都市ならある魅力がソウルには欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
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! 137頁
| 伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
| 伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民たちを脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
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! 558頁
| 朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める<ruby><rb>下人</rb><rp>(</rp><rt>ハイン</rt><rp>)</rp></ruby>は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。
| 朝鮮には階級は二つしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の5分の4を占める下人は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。
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! 343-344頁
| 朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。一般大衆は、ほんとうの意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
| 朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革が憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きと共に、全員が私利私欲で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
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! 344頁
| このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。
| このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、これは困難きわまりなかった。
|}
上記のように、引用の文章は原本のコピーであり、翻訳文章の一部が改変された引用の形になっていると考えます。さらにこれでは「著書から編集者が要約し、出来る限り自分の言葉で読者にわかりやすく記載」されたものとは言えないものと考えます。識者のご判断をよろしくお願いいたします。--[[利用者:敷島健一|敷島健一]] 2011年2月10日 (木) 16:14 (UTC)
*{{AFD|削除}}著書から編集者が要約し、出来る限り自分の言葉で読者にわかりやすく記載することも、類似性が認められれば「改変」と言い、あるいは同一性保持の問題も生じます。依頼どおりの特定版削除または版指定削除。--[[利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] 2011年2月10日 (木) 17:38 (UTC)
**{{対処}} 2010年12月20日 (月) 06:04(UTCで2010-12-19T21:04:45)以降で時岡敬子氏による翻訳文章もしくはその改変テキストを含む版を版指定削除しました。--[[利用者:Miya|miya]] 2011年2月11日 (金) 01:25 (UTC)
*** {{AFD|確認}} 対処宣言どおり適切に削除されていることを確認しました。--[[利用者:W.CC|W.CC]] 2011年2月11日 (金) 09:39 (UTC)
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2011年2月11日 (金) 09:39時点における最新版