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子供服としての流行は英海軍での採用より前。この頃には米仏の海軍の方が進歩してた。海軍幼年学校って何よ?
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[[File:RN ratings number one uniform.JPG|200px|thumb|right|イギリス海軍水兵のセーラー服]]
'''セーラー服'''( - ふく)は、[[19世紀]]半ばに誕生した水兵(セーラー、英語:sailor)の着用する[[軍服]](甲板衣)である。子供服として世界的に流行した。[[日本]]では[[20世紀]]前半までに主に女子生徒用の[[制服]]として定着した。大きな[[襟]]が特徴の服。
'''セーラー服'''( - ふく)は、セーラーカラーと呼ばれる独特の形状をした大きな[[襟]]が特徴の[[トップス (衣服)|トップス ]]。
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{{-}}
== 概要 ==
[[File:AlbertEdward.jpg|200px|thumb|right|[[エドワード7世 (イギリス王) |エドワード皇太子]](1846年)]]
セーラー服は、[[19世紀]]に水兵(セーラー、英語:sailor)の甲板衣として誕生した。セーラー服の独特な大きな襟(「ジョンベラ」と呼ぶ。由来は「John Bull」から)は甲板の上では風などの影響で音声が聞き取りにくくなるので、襟を立て集音効果を得るためとか、セーラー服が出来た頃の貴族階級の男性の[[髪型]]は[[ロングヘア|長髪]]を後ろで括って[[ポマード]]で塗り固めていたため、なかなか洗濯が出来ない船乗りにとっては後ろ襟や背中がすぐに脂やフケで汚れてしまったためと言われているが、定かではない。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためと言われている。装飾として胸元にタイ([[スカーフ]])があり、その起源は水兵が[[手ぬぐい]]代わりに使うための物であったと言われている。


[[ヴィクトリア女王]]は、王室ヨット''”[[:en:HMY Victoria and Albert|HMY Victoria and Albert]]”''乗組の水兵の制服として揃えられた<ref group="注" >当時イギリス海軍の水兵には統一された制服がなく、艦によって制服を揃える場合があるだけだった([[#軍服]]参照)。</ref>セーラー服が気に入り、同じデザインの子供服を誂えて1846年のクルージングの際[[エドワード7世 (イギリス王) |皇太子エドワード]]にその服を着せた。女王は他の王子達にもセーラー服を与え、孫である[[プロイセン]]の[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム王子]]にも贈った。このことから、[[イギリス]]では王室に倣い、海軍好きの国民性も相俟って子供服として流行した。また、この流行はその後[[20世紀]]初頭にかけて世界的なものとなった。また、19世紀の[[フランス]]では女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で女性のファッションとして流行した。
== 軍服 ==
現在のような独特のセーラーカラーのある水兵の制服は、[[1857年]]に[[イギリス海軍]]が制定した[[軍服]]が最初とされる。当時のイギリス海軍は最も進んだ海軍であったため各国の海軍がイギリスにならって海軍をつくっていた。このためセーラー服も各国の海軍が採用した。[[大日本帝国海軍|日本海軍]]でも[[1872年]]に水火夫の制服として採用している。水兵であるという設定の[[ポパイ]]も劇中でセーラー服を着用している。また[[ドナルドダック]]の服装も水兵をイメージしている。


[[日本]]では[[20世紀]]前半までに主に女子生徒用の[[制服]]として定着した。
セーラー服の独特な大きな襟(「ジョンベラ」と呼ぶ。由来は「John Bull」から)は甲板の上では風などの影響で音声が聞き取りにくくなるので、襟を立て集音効果を得るためとか、セーラー服が出来た頃の貴族階級の男性の[[髪型]]は[[ロングヘア|長髪]]を後ろで括って[[ポマード]]で塗り固めていたため、なかなか洗濯が出来ない船乗りにとっては後ろ襟や背中がすぐに脂やフケで汚れてしまったためと言われているが、定かではない。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためと言われている。装飾として胸元にタイ([[スカーフ]])があり、その起源は水兵が[[手ぬぐい]]代わりに使うための物であったと言われている。
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[[イギリス]]ではセーラー服は海軍幼年学校の制服に採用され、その後海軍好きのイギリスの国民性から、子供服として流行するようになった。この流行は[[19世紀]]末から[[20世紀]]初頭にかけて世界的なものとなった。また、19世紀の[[フランス]]では女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で女性のファッションとして流行した。
File:Bundesarchiv Bild 146-2008-0152, Familie Kaiser Wilhelm II..jpg|[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]一家(1896年)
File:StateLibQld 1 108848 Group of girls in uniform, 1901.jpg|[[クィーンズランド]]の女子生徒(1901年)
File:StateLibQld 1 162355 Ivy and Bertha Richardson of Townsville, ca. 1910.jpg|[[クィーンズランド]]の女子生徒(1910年)
File:Mangyondae Schoolchildrens Palace in Pyongyang 03.jpg|平壌の小学生
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== 軍服 ==
[[File:Sailors1854.jpg|200px|thumb|right|1854年のイギリス水兵]]
セーラー服を水兵の制服として全面的に採用したのは[[イギリス海軍]]が最初とされている。1841年には[[アメリカ海軍]]がジャケット型の制服を下士官・兵用として制定していたが、その頃イギリス海軍では水兵の制服を規定しておらず、一部の艦の艦長が自分好みの制服を自費で誂えていた。しかし、全乗組員に支給するには多額の費用がかかるため、人目につくことが多い艦長艇のクルーのみ制服を揃える場合もあった。特に軍艦'''ブレザー号'''(HMS Blazer)の艦長が1845年に誂えた制服は評判となり、乗組員の制服を揃えることが艦長の間で流行した([[ブレザー#語源]]参照)。一方、'''ハーレクイン号'''([[:en:HMS Harlequin|HMS Harlequin]])のウィルモット艦長は1853年、自艦の艦長艇クルーに道化師(Harlequin)の服を着せた。しかしこれは顰蹙を買い、新聞にも大きな問題として取り上げられた。1857年、このハーレクイン騒動が契機となり、[[海軍本部]]はセーラー服を水兵の制服として制定し、支給することにした<ref>[http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/+/http://www.royalnavy.mod.uk/training-and-people/rn-life/uniforms-and-badges-of-rank/the-history-of-rating-uniforms/index.htm イギリス政府公式サイト]</ref>。


そして、イギリス海軍がセーラー服採用したため、アメリカ海軍でも1862年に水兵用の制服をセーラー服に変更した。また、フランス海軍も1858年にセーラー服を水兵の制服として採用し、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]でも[[1872年]]に水火夫の制服として採用してた。但し、フランス海軍に関してはイギリスの影響があったか否か定かではない。
現在でも[[海上自衛隊]]において、男性の[[海士]]の制服として用いられている。男性の[[士官|幹部]]、[[海曹]]は冬は[[ブレザー]]、夏は[[詰襟]]が制服であり、女性自衛官はダブルの[[背広|スーツ]]またはシングルの[[レディーススーツ|スーツ]]が制服である。


このようにして、セーラー服は水平の象徴となり、水兵であるという設定の[[ポパイ]]も劇中でセーラー服を着用している。また[[ドナルドダック]]の服装も水兵をイメージしている。
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File:VCJosephTrewavas.jpg|[[クリミア戦争]]で活躍したイギリス海軍水兵
Image:Maxim wczesny.jpg|[[1890年代]]頃のイギリス海軍水兵
Image:Maxim wczesny.jpg|[[1890年代]]頃のイギリス海軍水兵
Image:James R. Ward;h92309.jpg|ジェームス・R・ウォード[[アメリカ海軍]]1等水兵、[[第二次世界大戦]]頃
Image:Reinhardt Keppler;h85186a.jpg|ラインハルト・ケップラーアメリカ海軍1等水兵、第二次世界大戦頃
Image:Popeye-floor-flusher.jpg|水兵または船乗りをイメージしたキャラクター「[[ポパイ]]」
Image:Popeye-floor-flusher.jpg|水兵または船乗りをイメージしたキャラクター「[[ポパイ]]」
Image:Wiener_Saengerknaben.jpg|男子児童服としてのセーラー服の使用例([[ウィーン少年合唱団]])
</gallery>
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セーラー服は現在でも多く国の海軍で水兵の制服として使用されており、[[海上自衛隊]]も男性[[海士]]の制服として採用している。海上自衛隊では男性の[[士官|幹部]]、[[海曹]]は冬は[[ブレザー]]、夏は[[詰襟]]が制服であり、女性自衛官はダブルの[[背広|スーツ]]またはシングルの[[レディーススーツ|スーツ]]が制服である。
== 女子生徒用の制服 ==

{{右|
<gallery caption="各国海軍で着られているセーラー服" perrow="4">
[[Image:Sailor-fuku_for_winter.jpg|240px|thumb|none|女子生徒用のセーラー服の例(冬服、[[日本]])]]
File:060427-N-1722M-060.jpg|アメリカ海軍ブルー
[[Image:Wikipe-tan sailor fuku.png|240px|thumb|none|セーラー服]]
File:US Navy 070919-N-5319A-001 A Sailor shows off a prototype service dress white uniform that focuses on better fabric and fit of the uniform without drastically changing the look.jpg|アメリカ海軍ホワイト
[[Image:Sailor fuku model.jpg|240px|thumb|none|[[コスプレ]]用のセーラー服の例([[アメリカ合衆国|米国]]で撮影、モデルは[[姫野愛]])]]
File:Bundeswehr-dienstanzug-marine-mannschaften-sommer.jpg|ドイツ海軍
}}
File:Bagad.JPG|フランス海軍
</gallery>

== 日本の女子生徒用制服 ==
[[File:Japanese school uniform dsc06051.jpg|150px|thumb|right|セーラー服を着た女子生徒]]
日本で最初に女子生徒用の制服としてセーラー服を採用したのは[[1920年]]、[[京都府]]の[[平安女学院]]であるとされ<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071013/trd0710131015007-n1.htm sankei.jp] - セーラー服、元祖は京都?</ref>、そのセーラー服はベルトで腰の辺りを締める[[ワンピース]]型だった。
日本で最初に女子生徒用の制服としてセーラー服を採用したのは[[1920年]]、[[京都府]]の[[平安女学院]]であるとされ<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071013/trd0710131015007-n1.htm sankei.jp] - セーラー服、元祖は京都?</ref>、そのセーラー服はベルトで腰の辺りを締める[[ワンピース]]型だった。


現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用したのは[[福岡県]]の[[福岡女学院高等学校|福岡女学院]]であるとされる。当時福岡女学院の校長だったエリザベス・リーが、活動しやすい[[体操着|体操服]]として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、[[1917年]]に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため上着だけで3年を費やしたという。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され、[[1921年]]に制服として採用された<ref>[http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/index.html 株式会社トンボ] - 日本の学校制服 ユニフォームミュージアム</ref>。同年、[[愛知県]]の[[金城学院]]でも制服としてセーラー服が採用され、その後女子生徒用の制服として徐々に普及し現在に至る。セーラー服が全国に広まった背景には、男子生徒が[[陸軍]]の軍服に強く影響された[[折襟]]の[[学生服]]を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている。
現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用したのは[[福岡県]]の[[福岡女学院高等学校|福岡女学院]]であるとされる。当時福岡女学院の校長だったエリザベス・リーが、活動しやすい[[体操着|体操服]]として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、[[1917年]]に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため上着だけで3年を費やしたという。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され、[[1921年]]に制服として採用された<ref>[http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/index.html 株式会社トンボ] - 日本の学校制服 ユニフォームミュージアム</ref>。同年、[[愛知県]]の[[金城学院]]でも制服としてセーラー服が採用され、その後女子生徒用の制服として徐々に普及し現在に至る。セーラー服が全国に広まった背景には、男子生徒が[[陸軍]]の軍服に強く影響された[[折襟]]の[[学生服]]を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている。


<gallery caption="女子生徒用の一般的なセーラー服の例" perrow="2">
Image:Sailor-fuku_for_winter.jpg|冬服
File:Sailor-fuku for summer.jpg|夏服
</gallery>
{{-}}
[[File:School girls in japan.jpg|200px|thumb|right|セーラー服を着た女子生徒]]
「セーラー服=女子中高生」というくらいまで普及していた[[1980年代]]に、[[いじめ]]や[[校内暴力]]など学校の荒廃が社会問題化した。当時不良女子中高生の間では、セーラー服のスカート丈を地面に付くくらいまで長くするなど制服を改造することが流行っていた。学校側は「服装の乱れは生活の乱れ」という標語を掲げ服装チェックなど実施して対抗したが効果は上がらなかった。そういうこともあり、一部の学校では着崩すことが難しい制服として、それまでのセーラー服から[[ブレザー]]と[[チェック]]のスカートの組み合わせへと変更した。{{要出典範囲|チェックのスカートは丈を延ばすとまるで安手のカーテンのようになり格好が悪いため|date=2010年10月}}改造する者が激減した。また「どうせ行くなら、かわいい制服の学校に」という女子が制服を変えた学校に集まり、結果的に[[偏差値]]が上がり問題の多い生徒が減るなどの効果があったため、1980年代後半から[[1990年代]]にかけて特に郊外や地方都市の私立高校などでブレザーの制服に改める学校が増えた。中には有名なブランド、デザイナーによる制服を採用する[[高等学校|高校]]もあった(「[[制服向上委員会]]」の活動を参照)。その一方で「名門」と呼ばれる学校ではブレザーに変更しないで、かたくなにセーラー服のままにしていた所もあった。
「セーラー服=女子中高生」というくらいまで普及していた[[1980年代]]に、[[いじめ]]や[[校内暴力]]など学校の荒廃が社会問題化した。当時不良女子中高生の間では、セーラー服のスカート丈を地面に付くくらいまで長くするなど制服を改造することが流行っていた。学校側は「服装の乱れは生活の乱れ」という標語を掲げ服装チェックなど実施して対抗したが効果は上がらなかった。そういうこともあり、一部の学校では着崩すことが難しい制服として、それまでのセーラー服から[[ブレザー]]と[[チェック]]のスカートの組み合わせへと変更した。{{要出典範囲|チェックのスカートは丈を延ばすとまるで安手のカーテンのようになり格好が悪いため|date=2010年10月}}改造する者が激減した。また「どうせ行くなら、かわいい制服の学校に」という女子が制服を変えた学校に集まり、結果的に[[偏差値]]が上がり問題の多い生徒が減るなどの効果があったため、1980年代後半から[[1990年代]]にかけて特に郊外や地方都市の私立高校などでブレザーの制服に改める学校が増えた。中には有名なブランド、デザイナーによる制服を採用する[[高等学校|高校]]もあった(「[[制服向上委員会]]」の活動を参照)。その一方で「名門」と呼ばれる学校ではブレザーに変更しないで、かたくなにセーラー服のままにしていた所もあった。


現在では、セーラー服を採用している[[中学校|中学]]・高校はかつてに比べれば減ったものの、女子中高生にはまだ主流の制服である。特に光和衣料株式会社の製造するセーラー服はダントツの品質と人気を誇る。また近年は、セーラーブラウスとジャケットを組み合わせた変形型・複合型などといったようなセーラー服を採用する中学・高校も出てきた。またかつてはファスナーは横に着いており被るように着るのが主流だったが現在は前開きが主流である。
現在では、セーラー服を採用している[[中学校|中学]]・高校はかつてに比べれば減ったものの、女子中高生にはまだ主流の制服である。特に光和衣料株式会社の製造するセーラー服はダントツの品質と人気を誇る。また近年は、セーラーブラウスとジャケットを組み合わせた変形型・複合型などといったようなセーラー服を採用する中学・高校も出てきた。またかつてはファスナーは横に着いており被るように着るのが主流だったが現在は前開きが主流である。


<gallery caption="各種のセーラー服を着た女子生徒" perrow="">
== 海外事情 ==
File:Japanese school uniform dsc06052.jpg
File:Japanese school uniform 0868.jpg
File:Girls wearing seifuku in Tokyo.jpg
File:Japanese student with her hand in their pocket.jpg
File:School girls in Tokyo.jpg
File:JuniorHighStudents.jpg
File:Japanese gray uniform .jpg
File:Japanese girls with umbrellas.jpg
File:Japanese schoolgirls walking and eating.jpg
</gallery>

=== 海外への波及 ===
[[タイ王国|タイ]]では、一部の学校において日本風のセーラー服に変えたところ、高校によっては志望者が大幅に増えたところもあった<ref>[http://www.thaiokoku.com/news_topics/20050802/20050802.html タイ王国.com]</ref>。
[[タイ王国|タイ]]では、一部の学校において日本風のセーラー服に変えたところ、高校によっては志望者が大幅に増えたところもあった<ref>[http://www.thaiokoku.com/news_topics/20050802/20050802.html タイ王国.com]</ref>。


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現在でもサウジアラビアではセーラー服に対して極端な嫌悪感を示す人が多く、極端な男尊女卑思想が一般的で女性が高等教育を受けることに否定的なサウジアラビア人の間では害悪の象徴として激しく憎悪する人も多く、2002年3月11日に[[マッカ]]にあるファイサル女子高等学院が火事になった時に女子生徒たちのセーラー服が違法だから外に出てはならないという理由で火事の中に閉じ込め15人が死亡50人が負傷する事件が起きている。この一件で火事の中に女子高生を閉じ込めた[[勧善懲悪委員会]]の[[サッターム・ビン・アブドゥルアズィーズ|サッターム王子]]は刑罰を受けないどころか正義を行ったと自慢した。
現在でもサウジアラビアではセーラー服に対して極端な嫌悪感を示す人が多く、極端な男尊女卑思想が一般的で女性が高等教育を受けることに否定的なサウジアラビア人の間では害悪の象徴として激しく憎悪する人も多く、2002年3月11日に[[マッカ]]にあるファイサル女子高等学院が火事になった時に女子生徒たちのセーラー服が違法だから外に出てはならないという理由で火事の中に閉じ込め15人が死亡50人が負傷する事件が起きている。この一件で火事の中に女子高生を閉じ込めた[[勧善懲悪委員会]]の[[サッターム・ビン・アブドゥルアズィーズ|サッターム王子]]は刑罰を受けないどころか正義を行ったと自慢した。


=== コスプレ ===
== 男子生徒用の制服 ==
[[File:Sailor fuku model 3.jpg|150px|thumb|right|[[コスプレ]]用のセーラー服の例([[アメリカ合衆国|米国]]で撮影、モデルは[[姫野愛]])]]
現在、日本で男子生徒用の制服としてセーラー服を採用している学校は無いに等しい。かつて、福岡県の[[リンデンホール小学校]]が夏期のみ男子の制服としてセーラー服を採用した例があるが、現在は別の制服に変更されている。学校制服に限らなければ、一部の西日本の合唱団で採用されている他、一部の幼稚園でも採用されている。なお、[[制服#日本国外における学校の制服|中国、台湾、スイス等の一部の小学校]]には、男子・女子ともにセーラー服(男子はズボン、女子はスカートまたはズボン)が制服となっている例がある。

== 私服 ==
私服のデザインとしてセーラーカラーを取り入れたものは「ミディ」(ブラウス・ワンピース等)と呼ばれる。この名前の由来は海軍兵学校生(midshipman)の愛称である。

== コスプレ需要 ==
近年、インターネットによる通信販売(以下:ネット通販)で、学校指定のないセーラー服の購入が増加の傾向にあるという。主に[[コスプレ]]用として購入する女性が多いという。ネット通販で購入できる学校指定のないセーラー服は、デザインや色などの種類が豊富。
近年、インターネットによる通信販売(以下:ネット通販)で、学校指定のないセーラー服の購入が増加の傾向にあるという。主に[[コスプレ]]用として購入する女性が多いという。ネット通販で購入できる学校指定のないセーラー服は、デザインや色などの種類が豊富。


通信販売も運営している人気のセーラー服メーカー「[[KURI-ORI]]」は、2007年夏に放送されたドラマ「[[花ざかりの君たちへ (テレビドラマ)#花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜|花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜]]」や「[[ライフ (漫画)#テレビドラマ|ライフ]]」へ衣装提供をした。
通信販売も運営している人気のセーラー服メーカー「[[KURI-ORI]]」は、2007年夏に放送されたドラマ「[[花ざかりの君たちへ (テレビドラマ)#花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜|花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜]]」や「[[ライフ (漫画)#テレビドラマ|ライフ]]」へ衣装提供をした。


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== 主なメーカー・ブランド ==
File:WonderCon 2010 - Floor 002.jpg|[[セーラームーン]]のコスプレ(WonderCon 2010)
Image:Wikipe-tan sailor fuku.png|[[ウィキペタン]]
File:Tekkoshocon 2010 cosplay 050.JPG|セーラー服のコスプレをするアメリカ人少女
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=== 主なメーカー・ブランド ===
*[[明石被服興業]]([[富士ヨット学生服]]([[富士ヨット]]))
*[[明石被服興業]]([[富士ヨット学生服]]([[富士ヨット]]))
*[[尾崎商事]]([[kanko]]([[カンコー]]))
*[[尾崎商事]]([[kanko]]([[カンコー]]))
60行目: 96行目:
*[[よつばテーラー]]([[Candy Sugar]]([[キャンディーシュガー]]))
*[[よつばテーラー]]([[Candy Sugar]]([[キャンディーシュガー]]))
*[[ロコネイル]]([[ROCO NAILS]])
*[[ロコネイル]]([[ROCO NAILS]])
{{-}}
== 男子生徒用の制服 ==
[[Image:Wiener_Saengerknaben.jpg|300px|thumb|right|男子児童服としてのセーラー服の使用例([[ウィーン少年合唱団]])]]
現在、日本で男子生徒用の制服としてセーラー服を採用している学校は無いに等しい。かつて、福岡県の[[リンデンホール小学校]]が夏期のみ男子の制服としてセーラー服を採用した例があるが、現在は別の制服に変更されている。学校制服に限らなければ、一部の西日本の合唱団で採用されている他、一部の幼稚園でも採用されている。なお、[[制服#日本国外における学校の制服|中国、台湾、スイス等の一部の小学校]]には、男子・女子ともにセーラー服(男子はズボン、女子はスカートまたはズボン)が制服となっている例がある。

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File:TransJaponaise2005.JPG|セーラー服を着た男
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== 私服 ==
私服のデザインとしてセーラーカラーを取り入れたものは「ミディ」(ブラウス・ワンピース等)と呼ばれる。この名前の由来は海軍兵学校生(midshipman)の愛称である。
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== 注釈 ==
<references group="注"/>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
{{脚注ヘルプ}}

{{Reflist}}
== 参考資料 ==
*{{Cite book|和書|author = 中村省三「セーラー服の研究」|title = mono スペシャル Workwear 5|date = 平成23年6月5日|publisher = ワールドフォトプレス|series = ​​W​​​o​​​r​​​l​​​d​​​ ​​​M​​​o​​​o​​​k 823号|isbn = 978-4-8465-2823-2|ref=中村}}
*{{Cite book|和書|author=辻元 よしふみ,辻元 玲子 |year=2008年3月|title=スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!! |publisher=彩流社|id=ISBN 978-4-7791-1305-5|ref=辻元}}
*{{Cite book|和書|author=小林幸雄|year=2007年1月|title=図説イングランド海軍の歴史 |publisher=原書房 |id=ISBN 978-4-562-04048-3|ref=小林}}
*{{Cite book|和書|author=田所昌幸 他|editor=田所昌幸|year=2006年4月|title=ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ
|publisher=有斐閣|id=ISBN 978-4-641-17317-0|ref=田所}}
*{{Cite book|author=Wilkinson-Latham, Robert|year=1977.6|others= Illustrated by Gerry Embleton|title= Royal Navy, 1790-1970|publisher= Osprey Publishing|location=London|id=ISBN 978-0-85045-248-8|ref=Wilkinson}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Sailor suits}}
*[[制服]]
*[[制服]]
*[[制服フェティシズム]]
*[[制服フェティシズム]]

2011年11月26日 (土) 22:59時点における版

イギリス海軍水兵のセーラー服

セーラー服( - ふく)は、セーラーカラーと呼ばれる独特の形状をした大きなが特徴のトップス

概要

エドワード皇太子(1846年)

セーラー服は、19世紀に水兵(セーラー、英語:sailor)の甲板衣として誕生した。セーラー服の独特な大きな襟(「ジョンベラ」と呼ぶ。由来は「John Bull」から)は甲板の上では風などの影響で音声が聞き取りにくくなるので、襟を立て集音効果を得るためとか、セーラー服が出来た頃の貴族階級の男性の髪型長髪を後ろで括ってポマードで塗り固めていたため、なかなか洗濯が出来ない船乗りにとっては後ろ襟や背中がすぐに脂やフケで汚れてしまったためと言われているが、定かではない。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためと言われている。装飾として胸元にタイ(スカーフ)があり、その起源は水兵が手ぬぐい代わりに使うための物であったと言われている。

ヴィクトリア女王は、王室ヨットHMY Victoria and Albert乗組の水兵の制服として揃えられた[注 1]セーラー服が気に入り、同じデザインの子供服を誂えて1846年のクルージングの際皇太子エドワードにその服を着せた。女王は他の王子達にもセーラー服を与え、孫であるプロイセンヴィルヘルム王子にも贈った。このことから、イギリスでは王室に倣い、海軍好きの国民性も相俟って子供服として流行した。また、この流行はその後20世紀初頭にかけて世界的なものとなった。また、19世紀のフランスでは女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。

日本では20世紀前半までに主に女子生徒用の制服として定着した。

軍服

1854年のイギリス水兵

セーラー服を水兵の制服として全面的に採用したのはイギリス海軍が最初とされている。1841年にはアメリカ海軍がジャケット型の制服を下士官・兵用として制定していたが、その頃イギリス海軍では水兵の制服を規定しておらず、一部の艦の艦長が自分好みの制服を自費で誂えていた。しかし、全乗組員に支給するには多額の費用がかかるため、人目につくことが多い艦長艇のクルーのみ制服を揃える場合もあった。特に軍艦ブレザー号(HMS Blazer)の艦長が1845年に誂えた制服は評判となり、乗組員の制服を揃えることが艦長の間で流行した(ブレザー#語源参照)。一方、ハーレクイン号HMS Harlequin)のウィルモット艦長は1853年、自艦の艦長艇クルーに道化師(Harlequin)の服を着せた。しかしこれは顰蹙を買い、新聞にも大きな問題として取り上げられた。1857年、このハーレクイン騒動が契機となり、海軍本部はセーラー服を水兵の制服として制定し、支給することにした[1]

そして、イギリス海軍がセーラー服採用したため、アメリカ海軍でも1862年に水兵用の制服をセーラー服に変更した。また、フランス海軍も1858年にセーラー服を水兵の制服として採用し、日本海軍でも1872年に水火夫の制服として採用してた。但し、フランス海軍に関してはイギリスの影響があったか否か定かではない。

このようにして、セーラー服は水平の象徴となり、水兵であるという設定のポパイも劇中でセーラー服を着用している。またドナルドダックの服装も水兵をイメージしている。

セーラー服は現在でも多く国の海軍で水兵の制服として使用されており、海上自衛隊も男性海士の制服として採用している。海上自衛隊では男性の幹部海曹は冬はブレザー、夏は詰襟が制服であり、女性自衛官はダブルのスーツまたはシングルのスーツが制服である。

日本の女子生徒用制服

セーラー服を着た女子生徒

日本で最初に女子生徒用の制服としてセーラー服を採用したのは1920年京都府平安女学院であるとされ[2]、そのセーラー服はベルトで腰の辺りを締めるワンピース型だった。

現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用したのは福岡県福岡女学院であるとされる。当時福岡女学院の校長だったエリザベス・リーが、活動しやすい体操服として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、1917年に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため上着だけで3年を費やしたという。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され、1921年に制服として採用された[3]。同年、愛知県金城学院でも制服としてセーラー服が採用され、その後女子生徒用の制服として徐々に普及し現在に至る。セーラー服が全国に広まった背景には、男子生徒が陸軍の軍服に強く影響された折襟学生服を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている。

ファイル:School girls in japan.jpg
セーラー服を着た女子生徒

「セーラー服=女子中高生」というくらいまで普及していた1980年代に、いじめ校内暴力など学校の荒廃が社会問題化した。当時不良女子中高生の間では、セーラー服のスカート丈を地面に付くくらいまで長くするなど制服を改造することが流行っていた。学校側は「服装の乱れは生活の乱れ」という標語を掲げ服装チェックなど実施して対抗したが効果は上がらなかった。そういうこともあり、一部の学校では着崩すことが難しい制服として、それまでのセーラー服からブレザーチェックのスカートの組み合わせへと変更した。チェックのスカートは丈を延ばすとまるで安手のカーテンのようになり格好が悪いため[要出典]改造する者が激減した。また「どうせ行くなら、かわいい制服の学校に」という女子が制服を変えた学校に集まり、結果的に偏差値が上がり問題の多い生徒が減るなどの効果があったため、1980年代後半から1990年代にかけて特に郊外や地方都市の私立高校などでブレザーの制服に改める学校が増えた。中には有名なブランド、デザイナーによる制服を採用する高校もあった(「制服向上委員会」の活動を参照)。その一方で「名門」と呼ばれる学校ではブレザーに変更しないで、かたくなにセーラー服のままにしていた所もあった。

現在では、セーラー服を採用している中学・高校はかつてに比べれば減ったものの、女子中高生にはまだ主流の制服である。特に光和衣料株式会社の製造するセーラー服はダントツの品質と人気を誇る。また近年は、セーラーブラウスとジャケットを組み合わせた変形型・複合型などといったようなセーラー服を採用する中学・高校も出てきた。またかつてはファスナーは横に着いており被るように着るのが主流だったが現在は前開きが主流である。

海外への波及

タイでは、一部の学校において日本風のセーラー服に変えたところ、高校によっては志望者が大幅に増えたところもあった[4]

サウジアラビアでは女子高生の制服として採用されている。アラビア語でسايلر فوكوと書いて「セーラーフク」と読みそのまま日本語由来の外来語として定着している。 ただし、サウジアラビアでは女性がアバヤ以外の服装で外を歩くことが刑事罰の対象となるため、学校内のみの服装であり通学時も含めて学校から出る時はサウジアラビアで一般的なアバヤに着替えなければならない。このためセーラー服を着て歩いている女性を見かけることは無い。

現在でもサウジアラビアではセーラー服に対して極端な嫌悪感を示す人が多く、極端な男尊女卑思想が一般的で女性が高等教育を受けることに否定的なサウジアラビア人の間では害悪の象徴として激しく憎悪する人も多く、2002年3月11日にマッカにあるファイサル女子高等学院が火事になった時に女子生徒たちのセーラー服が違法だから外に出てはならないという理由で火事の中に閉じ込め15人が死亡50人が負傷する事件が起きている。この一件で火事の中に女子高生を閉じ込めた勧善懲悪委員会サッターム王子は刑罰を受けないどころか正義を行ったと自慢した。

コスプレ

コスプレ用のセーラー服の例(米国で撮影、モデルは姫野愛

近年、インターネットによる通信販売(以下:ネット通販)で、学校指定のないセーラー服の購入が増加の傾向にあるという。主にコスプレ用として購入する女性が多いという。ネット通販で購入できる学校指定のないセーラー服は、デザインや色などの種類が豊富。

通信販売も運営している人気のセーラー服メーカー「KURI-ORI」は、2007年夏に放送されたドラマ「花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜」や「ライフ」へ衣装提供をした。

主なメーカー・ブランド

男子生徒用の制服

男子児童服としてのセーラー服の使用例(ウィーン少年合唱団

現在、日本で男子生徒用の制服としてセーラー服を採用している学校は無いに等しい。かつて、福岡県のリンデンホール小学校が夏期のみ男子の制服としてセーラー服を採用した例があるが、現在は別の制服に変更されている。学校制服に限らなければ、一部の西日本の合唱団で採用されている他、一部の幼稚園でも採用されている。なお、中国、台湾、スイス等の一部の小学校には、男子・女子ともにセーラー服(男子はズボン、女子はスカートまたはズボン)が制服となっている例がある。

私服

私服のデザインとしてセーラーカラーを取り入れたものは「ミディ」(ブラウス・ワンピース等)と呼ばれる。この名前の由来は海軍兵学校生(midshipman)の愛称である。

注釈

  1. ^ 当時イギリス海軍の水兵には統一された制服がなく、艦によって制服を揃える場合があるだけだった(#軍服参照)。

脚注

  1. ^ イギリス政府公式サイト
  2. ^ sankei.jp - セーラー服、元祖は京都?
  3. ^ 株式会社トンボ - 日本の学校制服 ユニフォームミュージアム
  4. ^ タイ王国.com

参考資料

  • 中村省三「セーラー服の研究」『mono スペシャル Workwear 5』ワールドフォトプレス〈​​W​​​o​​​r​​​l​​​d​​​ ​​​M​​​o​​​o​​​k 823号〉、平成23-06-05。ISBN 978-4-8465-2823-2 
  • 辻元 よしふみ,辻元 玲子『スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』彩流社、2008年3月。ISBN 978-4-7791-1305-5 
  • 小林幸雄『図説イングランド海軍の歴史』原書房、2007年1月。ISBN 978-4-562-04048-3 
  • 田所昌幸 他 著、田所昌幸 編『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』有斐閣、2006年4月。ISBN 978-4-641-17317-0 
  • Wilkinson-Latham, Robert (1977.6). Royal Navy, 1790-1970. Illustrated by Gerry Embleton. London: Osprey Publishing. ISBN 978-0-85045-248-8 

関連項目

外部リンク