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*[[1月21日]]、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013012100359 延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回]</ref>。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った<ref>[http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/01/25/post_9294.php 「さっさと死ねるように」暴言に抗議 京都年金者組合]</ref>。
*[[1月21日]]、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013012100359 延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回]</ref>。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った<ref>[http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/01/25/post_9294.php 「さっさと死ねるように」暴言に抗議 京都年金者組合]</ref>。
*[[7月29日]]、[[国家基本問題研究所]]の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った<ref>産経新聞「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(2013.8.5)[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm] </ref>。その中で改憲積極派に向けて、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス政権]]を引き合いに出し、「[[ワイマール憲法]]もいつの間にかナチス憲法<ref>ドイツのヒトラー政権は[[全権委任法]]などの制定によってワイマール憲法を死文化していったため、事実上破棄したに等しいが、同憲法そのものを形式上は破棄していない。また、それに代わる新たな成文憲法を制定することもなかった。したがって、史上「ナチス憲法」なる名称の成文憲法が存在した事実はない。ただ、憲法は英国のように不文法の形で成立することもあり、当時のナチス体制および、全権委任法を始めとするナチス法全体をもって「ナチス憲法」への改変と表現する{{要出典|date=2013年8月|title=そのようなもの全体を「ナチス憲法」と定義している出典は何か}}ことはできる。{{Main|ナチ党の権力掌握}}</ref>に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演]</ref>と発言した。
*[[7月29日]]、[[国家基本問題研究所]]の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った<ref>産経新聞「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(2013.8.5)[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm] </ref>。その中で改憲積極派に向けて、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス政権]]を引き合いに出し、「[[ワイマール憲法]]もいつの間にかナチス憲法<ref>ドイツのヒトラー政権は[[全権委任法]]などの制定によってワイマール憲法を死文化していったため、事実上破棄したに等しいが、同憲法そのものを形式上は破棄していない。また、それに代わる新たな成文憲法を制定することもなかった。したがって、史上「ナチス憲法」なる名称の成文憲法が存在した事実はない。ただ、憲法は英国のように不文法の形で成立することもあり、当時のナチス体制および、全権委任法を始めとするナチス法全体をもって「ナチス憲法」への改変と表現する{{要出典|date=2013年8月|title=そのようなもの全体を「ナチス憲法」と定義している出典は何か}}ことはできる。{{Main|ナチ党の権力掌握}}</ref>に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演]</ref>と発言した。この発言について、ジャーナリストの桜井良子は後日、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べている(後述)


:麻生のセミナーでの発言のナチスに関連する部分を見出しにして、日本で一番早く報じたのは[[スポーツニッポン|スポニチ]]の7月30日付Web版である。記事の見出しは『麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る』<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/29/kiji/K20130729006320770.html 『麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る』]</ref>であった。一般紙では同日付で読売新聞のWeb版が『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』<ref>[http://archive.is/0PSWx 『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』]</ref>という見出し記事で報じた。ただしその後、『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』<ref>[http://archive.is/hmdQU 『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』]</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm 『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』]</ref>へと見出しが差し替えられている。他には、同30日付で共同通信が『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』<ref>[http://www.47news.jp/47topics/e/244250.php?__from=mixi 『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』]</ref>という見出しで報じた。
:麻生のセミナーでの発言のナチスに関連する部分を見出しにして、日本で一番早く報じたのは[[スポーツニッポン|スポニチ]]の7月30日付Web版である。記事の見出しは『麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る』<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/29/kiji/K20130729006320770.html 『麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る』]</ref>であった。一般紙では同日付で読売新聞のWeb版が『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』<ref>[http://archive.is/0PSWx 『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』]</ref>という見出し記事で報じた。ただしその後、『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』<ref>[http://archive.is/hmdQU 『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』]</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm 『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』]</ref>へと見出しが差し替えられている。他には、同30日付で共同通信が『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』<ref>[http://www.47news.jp/47topics/e/244250.php?__from=mixi 『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』]</ref>という見出しで報じた。

2013年9月18日 (水) 12:19時点における版

麻生 太郎
あそう たろう
生年月日 (1940-09-20) 1940年9月20日(83歳)
出生地 日本の旗 福岡県飯塚市
出身校 学習院大学政経学部卒業
前職 麻生セメント代表取締役社長
日本青年会議所会頭
所属政党 自由民主党麻生派
称号 政治学士(学習院大学・1963年
配偶者 妻・麻生ちか子
親族 大久保利通高祖父
三島通庸(高祖父)
麻生太吉曾祖父
加納久宜(曾祖父)
竹内綱(曾祖父)
牧野伸顕(曾祖父)
吉田茂祖父
加納久朗大伯父
竹内明太郎(大伯父)
麻生太賀吉
鈴木善幸岳父
鈴木俊一義弟
寬仁親王妃信子(三
公式サイト 麻生太郎オフィシャルサイト

内閣 麻生内閣
在任期間 2008年9月24日 - 2009年9月16日
天皇 今上天皇(明仁)

内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 - 現職

日本の旗 第137-138代 外務大臣
内閣 第3次小泉改造内閣
第1次安倍内閣
在任期間 2005年10月31日 - 2007年8月27日

日本の旗 第3-5代 総務大臣
内閣 第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
在任期間 2003年9月22日 - 2005年10月31日

選挙区旧福岡2区→)
福岡8区
当選回数 11回
在任期間 1979年-1983年
1986年7月8日 - 現職

その他の職歴
日本の旗 経済財政政策担当大臣
2001年1月23日 - 2001年4月26日
日本の旗 第53代 経済企画庁長官
1996年11月7日 - 1997年9月11日
日本の旗 衆議院議員(1期目)
1979年10月 - 1983年11月28日
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麻生 太郎(あそう たろう、1940年昭和15年)9月20日 - )は、日本政治家実業家自由民主党所属の衆議院議員(11期)、副総理財務大臣金融担当大臣

内閣総理大臣第92代)、経済企画庁長官第53代)、経済財政政策担当大臣総務大臣(第345代)、外務大臣(第137138代)、自由民主党政務調査会長自由民主党幹事長自由民主党総裁(第23代)などを歴任した。

概要

学習院大学政経学部にて政治学士(学習院大学)を取得し、スタンフォード大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学する。その後、麻生産業に入社し、麻生セメント(後の麻生[1])の社長や日本青年会議所の会頭などを経て、衆議院議員に当選、経済企画庁長官経済財政政策担当大臣総務大臣外務大臣自由民主党政務調査会長自由民主党幹事長(2度)を歴任した。

2008年自由民主党総裁選挙により、第23代自由民主党総裁に選出、第92代内閣総理大臣に就任した。

首相退任後、2012年12月第2次安倍内閣副総理財務大臣金融担当大臣として再入閣した(首相経験者としては戦後4人目)。

モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー・スキート競技)日本代表[2][3][4](41位)。寛仁親王妃信子は実妹。信仰宗教はキリスト教カトリック)である。洗礼名は「フランシスコ」。

経歴

生い立ち

福岡県飯塚市麻生太賀吉・和子の長男として生まれる[5]麻生塾小学校を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入[6]

海外での事業

帰国後の1966年に実家の麻生産業(後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジルサンパウロに1年近く駐在していたことがあると本人は語っている[7]

その後、1970年から2年間に渡ってシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していたが、シエラレオネ内戦勃発で帰国した[8][9]

帰国後

1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、1976年モントリオールオリンピッククレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。

政界へ

1979年10月、第35回衆議院議員総選挙旧福岡2区(現:福岡8区)から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。2期務めた後、所謂田中判決解散後に行われ自民党が過半数割れした第37回衆議院議員総選挙5位当選した共産党候補に2600票余り及ばず次点となり落選する。その後第38回衆議院議員総選挙で2位の社会党候補に3万6000票余りの差をつけトップ当選し国政に復帰して以降、現在まで全ての総選挙で選挙区当選している。宏池会に所属。

1996年第2次橋本内閣経済企画庁長官に就任し、初入閣。

1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、河野洋平を会長とする大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。

2001年4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎橋本龍太郎と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年9月からは総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した。

2004年9月に、3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが判明している[要出典]。後に自身も未納期間があることが発覚した民主党代表菅直人(当時)が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。

2006年9月、06年自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。12月、河野グループが解散し、新たに為公会(麻生派)を結成、会長に就任する。

2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。9月、07年自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫を僅差で上回るも、133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。

2008年9月、08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣する。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。

2009年8月1日、昭和52年11月に横田めぐみさんが北朝鮮工作員に拉致されたとされる新潟市内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて内閣総辞職を決定。政権を最大野党党首で同選挙で300を超える議席を獲得した民主党代表の鳩山由紀夫に明け渡した。

麻生内閣の支持率は低い数値を推移していたが、麻生が内閣総辞職により首相官邸を去ることになると、麻生を見送るために多くのファンが首相官邸前に集まる[10]など、一部から根強い支持を集めた。

それから3年3ヶ月後、2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権を奪還。まもなく成立した第2次安倍内閣では副総理財務大臣金融担当大臣として再入閣した。首相経験者の入閣は第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)宮澤喜一が財務大臣、橋本龍太郎沖縄及び北方対策担当大臣として入閣した時以来となる。また、首相経験者が副総理として再入閣するのは第1次吉田内閣幣原喜重郎以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは宮沢喜一以来2人目である。

人物

記者会見に臨む麻生

人物像

公称サイズは、身長175cm、体重70Kg、血液型A。名門の一族に育ち、財閥の元社長であるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口の左端が下がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。べらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。周囲からは、「明るく気さくな人柄で、親しく付き合えば一方で魅力が伝わる人物」と認識されており、その人柄を評して「半径2メートルの男」とも呼ばれる[11][12]。一方で、過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。

海外留学などの経験から、英語に堪能であり、海外などでのスピーチは通訳なしで英語で行っている。内閣総理大臣就任後、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマとも2人で会談している。

愛煙家であり、葉巻きタバコを愛煙している[13]2007年自由民主党総裁選挙の後にフジテレビの番組『ハッケン!!』でインタビューを受けた際、ダビドフのパルタカスの葉巻を田崎史郎からプレゼントされている。

2013年の財務大臣・中央銀行総裁会議では襟元に毛皮がついた黒のロングコート、斜めにかぶった黒のボルサリーノ帽、淡い水色のマフラー姿をしてウォール・ストリート・ジャーナルは「ギャング・スタイル」と評した[14]

信仰

クリスチャンカトリック)である。洗礼名はフランシスコ。靖國神社への参拝も行っている[15](総理就任時には参拝していない)。また靖国神社の非宗教法人化を提唱している[16]終戦の日8月15日ではなく、春秋の例大祭に合わせて参拝[15] することが多い。

内閣総理大臣在任中の2009年平成21年)1月4日伊勢神宮参拝した。また、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問でもある。

クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけている十字架のネックレスの鎖部分である[17](誤解されがちだが、カトリックにおいて十字架を身につける事は風習や信仰の証ではなく、個人的な好みである。ロザリオは、ネックレスのように見えるものや、実際に首から下げる人もいるが、本来の用途は仏教徒の数珠と同様である)。

クレー射撃

大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年のモントリオールオリンピック日本代表に選出されるが41位に終わる。2000年5月には日本クレー射撃協会会長に就任した。動体視力に関しては、「コイントスをしたら、表か裏かが見分ける事が出来る。しかし、今は老眼でもう分からない[18]」と述べている。

漫画好き

漫画好きであり、マンガ・ポピュラー音楽・食べ物などのサブカルチャー文化の影響力が、日本国の安全保障、防衛にも繋がるとの持論がある[19]。特に好きな漫画として『ゴルゴ13』を挙げている。2005年の外務大臣就任後は文化外交価値観外交自由と繁栄の弧を重視し、2007年には国際漫画賞を創設した[20]。これに関する批判は少なからずあるものの[21][22][23][24] 、漫画文化のよき理解者として紹介されることも多い。

政治的主張

経済

野村総合研究所の主席研究員であるエコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力していると朝日新聞で報道されている[25]

定額減税公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している[26]。2008年になってからは、財政健全化を目指した小泉政権構造改革路線を見直し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している[27]

消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」[28] として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、2011年以降に10%を超える水準まで消費税を引き上げる意向を示した[29]

2008年11月14日にワシントンD.C.で開催された第1回金融サミットにおいて、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が最初の発言者として指名したのが麻生だった。サミット直前、日本と英国との二国間首脳会談で、ゴードン・ブラウン英首相と麻生との間でドル基軸通貨の堅持と実体経済への対応が確認されており、ニコラ・サルコジ仏大統領が麻生に対し「ドルは基本通貨に成り得ない。20世紀に確立された金融システムを21世紀にも踏襲することは不可能だ」と反論するも、「その場合、さらなるドル暴落が避けられなくなるが、新興諸国の損害を担保する覚悟があるのか?」と尋ね、「我々にそんな計画はない。」とサルコジ大統領を論破した。同サミットは11月14日から11月15日(現地時間)まで行われ、日本が提示した15項目のうち、実に12項目もが宣言文の中に明記され、麻生案をベースに世界が一致して行動することが決まった。

労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた付加価値の分配は個々の企業が判断する」と述べ、企業の給与体系に対して国家が介入することに否定的な見解を示した[30]

首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している[31]。また、「(地方の)医療介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路交通網の整備による緊急医療体制の充実を訴えている[32]

内閣総理大臣就任後の主な景気対策

2008年平成20年)10月30日には、リーマンショック以降の世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円の追加経済対策を発表。2度の補正予算2009年(平成21年)年度予算の"3段ロケット"として、最終的には75兆円の景気対策を実施した。

主なものとして、

  1. 定額給付金の支給(1人1万2千円、65歳以上・18歳以下は1人2万円)
  2. 高速道路料金の普通車・軽自動車ETC搭載車限定での、祝日最高1,000円のETC割引制度
  3. 東京湾アクアラインの料金を普通車800円に値下げ
  4. エコカー減税エコカー補助金
  5. 家電エコポイント制度(冷蔵庫薄型テレビエアコン)の実施
  6. 住宅ローン減税(過去最高600万円の減税)
  7. 妊婦検診の無料化(5回→14回)
  8. 出産育児一時金の増額(全国一律に4万円引き上げ)
  9. 中小企業への支援(緊急保処枠6兆円、保証・貸出枠30兆円に拡大)
  10. 雇用保険料の引き下げ(標準世帯で年額約2万円)

などである。

金融危機を回避するという緊急性から急遽決定された政策でもあったことから、きめ細かさに欠けるところがあるとの指摘もあったが、エコカー減税や家電エコポイント制度は鳩山由紀夫内閣にも引き継がれた。

定額給付金について

小渕内閣地域振興券とよく似た、2兆円を超える定額給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている。実際は一人1万2千円を給付)を全世帯に支給した。この政策については、以下の通り評価が分かれている。

  • 否定的な評価としては、毎日新聞が過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、この政策も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し[33]11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した[34]
  • 肯定的な評価としては、経済協力開発機構(OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズが「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示した[35]

定額給付金の成果については、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになったと麻生の総理大臣退任後に報道された[36][37][38]

第二次安倍内閣財務大臣として

法人税引き下げ慎重論

第2次安倍内閣 では副総理財務大臣として、法人税引下げに関し慎重論を主張。効果の期待できない法人税の引き下げではなく、投資減税により景気刺激を行なっていくべきとした[39]。これに対し、2013年7月の政府税制調査会で、一橋大学特任教授の田近栄治委員からは、法人税収入に占める製造業の割合が26パーセント程度に低下しており、「製造業が日本の法人税を担う時代は終わった。」とし、法人税の法定実効税率を35パーセントから30パーセントへ引き下げすべきとの主張が出された[40]

外交と安全保障

ディック・チェイニーと会談する麻生(2007年2月21日ホワイトハウスにて)
APEC首脳会議にて、ロシア連邦大統領ドミトリー・メドヴェージェフと(2008年11月)
2009年7月、G8サミットにて(左端の人物が麻生)
ドミートリー・メドヴェージェフと握手(2009年2月18日)

自由民主主義法の支配市場経済などといった価値を基本軸とした価値の外交を重視する。特に、日本が非欧米圏でそれら価値の先駆者であることに着目した上、北東アジアから、東南アジアを経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという自由と繁栄の弧を外交の基本方針としている[41]。著書「とてつもない日本」(新潮新書)では、民主化支援、法律の整備や法律家人材育成に日本の制度や経験を活かす法整備支援などのほか、自衛隊のPKO活動、カンボジアのクメール・ルージュ裁判上級審裁判官としての野口元郎の派遣、自身の思い入れのあるマンガも含めた日本文化を通じた交流も、その具体的施策として位置付け、重視する姿勢を示している。

第1次安倍内閣自由と繁栄の弧構想は、日本の国際的存在感の低下、尖閣問題に象徴される日中間の力関係の変化という新たな国際情勢のもと、中華人民共和国との正面衝突を回避しつつ、アジアにおけるパワーバランスを適正に保ち、アジア及び世界の安定と発展に寄与する外交政策であるとの評価されている[42]一方で、民主主義法の支配などの価値を共有しているとはいえない中華人民共和国の反発を招くとの批判もあった。

第2次安倍内閣の副総理兼財務大臣としても、最初の外遊先として、民主化や法の支配を急速に進めるミャンマーを選んだ[43]。この点、第2次安倍内閣では、安倍晋三首相、麻生太郎副首相兼財務大臣に加え、元の企画・立案者とされる谷内正太郎元外務事務次官も内閣官房参与となったため、「自由と繁栄の弧」が外交の基本方針として復活するとの指摘もある[44]

また、情報収集能力や諜報などのインテリジェンスを重視し、手嶋龍一から高く評価されている[45]

発展途上国への政府開発援助
政府開発援助(ODA)には積極的な姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた[46]
アメリカ合衆国
2003年のイラク戦争の国連としての方針がまとまらないまま米軍による開戦目前となった際に主要閣僚として小泉首相に対して「アメリカというプレイヤーを選択するのか、国連というフィールドを選択するのかを決めることになる」と表現した。その後の2007年2月3日の京都市内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。(イラク戦争においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク占領政策について批判をした。
東アジア
韓国に対しては、日韓議員連盟の副会長も務めており、首相在任中は、日韓シャトル外交を定着させるなど日韓の親善に尽力した。麻生が議長を務める夢実現21世紀会議の「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである中央日報のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。サムスンだけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。
中華人民共和国
2008年10月24日、北京の人民大会堂で開かれた「日中平和友好条約締結30周年記念レセプション」に内閣総理大臣として参加し「『友好』というお題目のため遠慮する関係ではなく切磋琢磨して協力していくことこそ真の戦略的互恵関係」と挨拶し、日中が競い合うことで「共益」を実現し、 両国関係強化につなげる方針を打ち出した。2009年4月の日中首脳会談では、麻生が中国への核軍縮を求め、温家宝首相が歴史認識問題を追求したため緊迫したが、日本が中国の環境汚染や廃棄物対策に協力する「日中環境・省エネルギー総合協力プラン」で合意したほか、羽田―北京間の定期チャーター便を開設することや、閣僚級による日中ハイレベル経済対話を日本で開催することを決定した。
中華民国台湾
親台派として知られ、総理大臣辞任後も台湾政界に太い人脈を持つ[47]。参院予算委員会で「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言し、中国のメディアから「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と非難され、台湾からは絶賛されたこともある。
北方領土問題
2006年12月13日の衆院外務委員会において、北方領土問題を解決するために北方4島(択捉国後色丹歯舞)全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した[48]。これは元首相の海部俊樹から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
核武装論
2006年10月、自民党政調会会長(当時)の中川昭一が「核武装論も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は非核三原則の堅持を明言を前提としつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した。この発言が原因で、12月に民主党、社民党共産党ら4党から外相としての不信任決議案を提出された。
2009年11月23日、総理大臣時代に、日本に対する米国の「核の傘」を堅持させるため、米議会が中期的な核戦略検討のために設置した「戦略態勢委員会」に外交工作を展開していたことが発覚した[49]
憲法改正論議
2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の集団的自衛権の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。

インドとの安全保障協力共同宣言

麻生の内閣総理大臣就任後の2008年10月21日から23日にかけて、インドの首相マンモハン・シンが日本を訪れた。麻生はシンとの首脳会談に臨み、外交と防衛における対話、船舶の安全航行などの協力について合意した。その後、両者は国際問題に関する情報交換、船舶の安全航行、テロとの戦いを骨子とする「安全保障協力に関する共同宣言」、日本とインドのあいだで合意済みの諸事項の一層の促進を求める「戦略的グローバルパートナーシップの前進に関する共同声明」に署名。麻生はこの会談で日本とインドの経済関係の促進に前向きの姿勢を見せ、デリー - ムンバイ間の貨物鉄道建設計画に総額4500億円の円借款を供与することを伝えた。麻生はシンに対し、NPTに未加盟のインドに対する原子力協力分野での協力について慎重な日本の立場を説明した。経済連携協定交渉については、早期妥結を目指すことで一致した。麻生との共同記者会見の席でシンは、意見交換を行った22日の首脳会談を「非常に生産的で充実したものであった」とした。シンは麻生に対して「古くからのそして非常に尊敬すべきインドの友人」と述べ、2年の間に首相として2度来日したことについて「2年の間に2度来日しているという事実が、インドが日本との関係をいかに重視しているかを表している」と強調した[50][51][52]

歴史認識

日本統治時代の朝鮮台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日東京大学学園祭において「創氏改名朝鮮人が望んだ」[53]、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日福岡市での講演において、日本が植民地台湾義務教育に力を入れたと指摘したうえで「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。

2007年平成19年3月21日長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」と述べた。

2006年平成18年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強いをしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた[54]

2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した[55]。同年10月31日には航空自衛隊幕僚長田母神俊雄が旧大日本帝国軍の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた[56]

麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年12月4日配信)」において、「1941年12月に第二次世界大戦真珠湾攻撃で始まる」と書いたことについて、「1941年12月に始まったのは第二次世界大戦ではなく太平洋戦争である。この歴史認識は知性を疑われる恥知らずの間違い」として、新党日本田中康夫から国会での謝罪と訂正を求める質問主意書が提出された[57]

日本軍慰安婦問題

内閣総理大臣としては河野談話を踏襲することを表明したが、アメリカ合衆国下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している[58]。麻生はまた、国連の自由権規約委員会が従軍慰安婦に対して日本政府に謝罪と補償などを行うよう勧告したときも、第171回国会において、内閣総理大臣として「この勧告は、法的拘束力を持つものではなく、市民的及び政治的権利に関する国際規約の締約国に対し、当該勧告に従うことを義務付けているものではないと理解している」と述べ、慰安婦に対して謝罪や賠償をする意思がないことを表明した[59]。麻生個人の見解としては、慰安婦問題をめぐる対日非難決議案は、日本と米国が緊密な関係になることを良しとしない第三国による日米離間工作であると見なしている[60]

靖国神社問題

靖国神社については、常々「国の為に殉じた人を最高の栄誉をもって祀る事は、国際的にごく当たり前であり、他国からどうこう言われる話ではない」という持論を掲げている。

2006年(平成18年)8月8日付の朝日新聞朝刊にて『靖国にいやさかあれ』という論文を寄稿した[61]

政治家の靖国神社問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社が宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる特殊法人への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している[62]

2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた[63]。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている[64]。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコ吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。

A級戦犯分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している[65] が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている[66]。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している[67]

2006年1月28日名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した[68]

日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。

2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外務大臣と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した[69]

首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」[70] として、終戦の日に靖国神社参拝を行わない意向を示した[71]

2009年10月17日には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した[15][72]

国籍法改正

麻生内閣時代に国籍法改正について舵を取った。

漫画の表現規制

松江市教育委員会によってはだしのゲンに閉架措置がとられた問題について閣議後の記者会見にて「(はだしのゲンを)出たころ毎週の連載を読んでいましたけど、もっと禁止したほうがいい成人向け漫画がある。自民党でポルノコミックについて(規制を)やったときは「成人向けにすべきじゃない」とずいぶん反対があった。そういうもののほうが、もっと問題なんじゃないかね。」と述べ、漫画の表現規制強化を推進する立場を明確にしている[73]

派閥

他党、支持団体との関係

公明党との関係

公明党と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる[74]。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、公明党支持母体の創価学会婦人部・公明代表代行の浜四津敏子が異例のスピードで支持を表明し、麻生が総裁選で優位となる流れを作った[75]。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の北側一雄も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している[76]。連立与党のパートナーとはいえ、党幹部が他党の党首選について特定候補の支持を明言するのは極めて異例なことである。

神道との関係

麻生の信仰宗教はキリスト教カトリック派)であるが、神道政治連盟神社関係者などの神道政治団体)から支援を受けている。2009年(平成21年)12月9日には、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問に就任している(これはカトリック教会が政治活動をしない為であり、公職である政治家司教教会等が応援すると、カトリック教会の教義にあたる教会法第285条に抵触する事が大きい為である)。

献金

麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した[77][78]

道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた[要出典]

東京電力からの献金

東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが朝日新聞に報じられた[79]

問題視された言動

総理就任中は原稿の誤読が大きく報じられ「首相の資質がない」と激しいバッシングを受けた。2009年11月25日に日本民間放送連盟が行った調査「今年の顔」では、「あなたが最も怒りをおぼえた有名人」部門の2位となった[80]

麻生はマスコミに対して「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と嘆いたが[81]、この発言も問題発言として紹介される状況であった[82]

妻・千賀子は「米国発の金融危機が来て主人は景気対策のため本当に頑張りました。でも政策ではなく、政権交代という作られた流れの中で政局を問題視されました」「口が曲がってるとか、漢字が読めないとか。それと変な話をしたと。全体を見ればきちんとした話でも一つの単語が極端だったり、不用意だったり、そんなことだけが取り上げられました。人間失格のような印象すら作られ、私は本当に辛く、主人を可哀想に思いました。」と述懐している[83]

漢字の読み間違い

「麻生前首相が資質を問われ始めたのは漢字の誤読が発覚してからだ(毎日新聞論説副委員長・与良正男[84] 」といわれるように、麻生が国会答弁の中で、踏襲を『ふしゅう』と読み間違えたことを朝日新聞が問題視する[85]と、「麻生の漢字間違い」は国民の大きな反響を呼び、マスコミは麻生が報道関係者宛てに出した礼状まで公開し、漢字間違いを指摘する[86]などのバッシングが行われ、「麻生太郎は漢字が読めない」という風評が定着していった。

こうした報道について、自民党の細田博之幹事長は「麻生総理が字が読めないらしいと言って楽しんでいる。日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」と発言したが、この発言も非難の対象となり、細田は発言を謝罪した[87]

2009年1月20日の参院予算委員会では、麻生の漢字力を質すため、民主党の石井一副代表が『就中(なかんずく)』など12個の漢字を並べたボードを用意したが、麻生から「『窶し(やつし)』以外は普通に読める」と返されてしまったため、追及は不調に終わった。

マスコミなどの報道機関の大半は、麻生の原稿の読み間違いについて、批判を繰り返し[88][89][90][91][92]、麻生が読字障害であると報じるタブロイド誌もあった[93]

一方、2009年4月10日、麻生首相が皇室主催の祝賀会で読み上げた祝辞で「弥栄」を「いやさかえ」として読み上げたことが誤読としてマスコミ各社で報道された[94]が、「弥栄」には「いやさか」「いやさかえ」と2通りの読み方があるため、マスコミ側の誤読ではないかと話題となり、新聞各社が慌ててネットの掲載した記事を削除する騒動となった(特に「歴史的な誤読」と報じたTBSWEB多事争論は、編集委員の吉岡弘行が謝罪文を掲載する事態にまでなった)。(なお、麻生本人のブログでは、「弥栄」を「いやさか」と書いている[95]。)

日常生活・金銭面に関する批判

総理在任中の麻生は、多くのマスコミから「庶民感覚がない」と批判的な報道が繰り返し行われた[96]

政府要人との会食に高級バーを使用

麻生は政財界の要人と帝国ホテルのバーなどで精力的に会合を行っていたが、メディアからは「庶民の感覚と懸け離れた贅沢をしている」と非難の対象となった[97]。麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」「普通の店に行くとSPマスコミの影響で営業妨害になる」と反論したが、スポーツ新聞などを中心に『逆ギレ』と評され、さらに激しい非難を受けた[98][99]

カップラーメンの値段が分からない

10月28日の参院外交防衛委員会民主党牧山弘恵から、カップ麺1個の値段を質問され、「最近買ったことがないんでよく知りませんけれども、昔最初に日清が出したときに、たしかえらい安く出たなというのがあるんですが、あのとき何十円(1971年カップヌードルの当時の小売希望価格は約80円)かで、今400円ぐらい? 最近それを自分で買ったことが余りないので、その値段を直ちに言われても。随分いろいろ種類が出てきていることは知っている」と答えた。この麻生の答弁はマスコミから「庶民感覚がない」と批判的な報道がなされた[100]

豪華な邸宅

福岡県飯塚市に約2万坪の邸宅を構える[101]ほか、渋谷区神山町に、マスコミからは「麻生御殿」と呼称された[102]敷地面積2400平方メートルの邸宅を所有しており[103]、これらの邸宅が格差社会の象徴として非難する左翼団体が麻生の私邸で集団示威行為を行い、逮捕される事件も発生した。

麻生降ろし

その他の批判

  • 毎日新聞の金子秀敏は、小沢一郎が「今円高だから、済州島を買っちまえ。」と発言し、韓国から非難を受けた件[104] について、麻生が「こういう発想はとてもじゃないけど私には出てこない」と発言したことについて「もしかして麻生首相は、済州島の領有権を買うと勘違いしているのではないか。だとすると、発言した方より勘違いした方のレベルが気になる。小学生レベルの常識もないのではないか」と批判している[105]
  • 2008年12月15日、参院決算委員会で、ペンのキャップを口にくわえて原稿に目を通している姿が放送され、「首相の資質」を疑問視する報道がなされた[106]
  • 民主党の藤田幸久麻生鉱業が戦時中に連合国捕虜を虐待したと主張し、麻生に同意を求めたが、麻生が「当時4~5歳で認識するには早すぎる」と返答したため、藤田は国会議員会館で『麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会』を開き、「麻生首相は“当時、4歳だった自分は何も知らない”と事実の確認を拒否してきたが、生存者(捕虜労働者の)と遺族は麻生首相の謝罪と個人賠償を望んでいる」と謝罪と賠償を要求した[107]
  • 江田憲司は、麻生が経済企画庁長官を務めていた時の部下がテレビ番組で麻生について「万事、よきにはからえ」だったと証言したことを挙げて、経済企画庁長官としての麻生は存在感ゼロだったと評している。また麻生が「経済通」「経営通」と言われ本人も「経験と実績」と自賛しているが、具体的に何をしたのか厳しく問われるべきだとしている[108]

総理大臣としての評価

  • 朝日新聞は「連日のぶら下がり取材では、同じ質問にいらだち、その様子が報じられて支持率を下げるという悪循環に陥った。対照的にインタビューや記者会見は丁寧。自民党、自公政権が継続して取り組んできた内政・外交政策を語る時は特にそうだった」と総評した[109]
  • 産経新聞は「(麻生)首相は、おおらかで、情にもろく、正義感の強い「古き良き保守」を具現化したような人物だけに同情を禁じ得ない」「麻生政権は外交・内政ともに政策面で大きな瑕疵はなく、少なくとも及第点は与えられるのではないか」と総評した[110]
  • サーチナは韓国などの周辺国を巻き込みながら中国の温家宝首相に外交的圧力を掛けた手腕や、中国の戦後補償問題という踏み絵に対し村山談話を持ち出し、イエスともノーとも言質を取らせなかった対応などを評価し、『麻生首相を外相に”抜擢”してはどうだろうか』と提案している[111]
  • プレジデント誌は、「存在自体に華があり、その華が首相時代には「軽さ」と見られ、バー通いや些細な失言でメディアに足元をすくわれた。だが、リーマンショック後の緊急金融サミットで財政出動を渋っていた米国の態度を変えさせ、国内では素早い景気回復策を打ち出して最悪の事態を回避した実績は疑いない。」と評価している[112]
  • フジサンケイグループ扶桑社発行の『週刊SPA!』が2011年におこなった「好きな男」ランキングでは7位、「復活してほしい男」にもランクインした[113]
  • 2012年11月、2万6678人を対象としたリサーチパネル調査「小泉純一郎以降の総理大臣で最もよかった総理大臣に選ばれた」で1位に選ばれた[114]

問題視された発言とその批判

先述の通り、過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。

衆議院議員初当選後

  • 週刊新潮(2008年10月2日号)は、福岡県政のあるベテラン関係者の回想として「1979年の総選挙のとき、麻生は『日中貿易なんかやっても無駄。中国はお金を持っていない。代金を払ってくれないよ』と発言していた。」「1983年の総選挙の時に、麻生は『平民の皆さん』と呼びかけた。」と記事にしている[115]
  • 週刊現代によれば、衆議院選挙に初出馬した1979年、地元の飯塚市での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と呼びかけたという[116]。ただし、この発言については、「実際には、飯塚市の下三緒(しもみお)地区における演説で『下三緒のみなさん』と発言した」という証言がある[83]
  • 週刊現代記事「年寄り代議士が何人か死ねばね」(当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対する応答[116]
  • 東京美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」( 1983年2月9日高知県議選の応援演説にて、国が女性に参政権を与えていることを批判した[117])。のちに自民党を離党した平沼赳夫とともに、当時の新聞しんぶん赤旗一面に掲載された。

2001年以降

2006年

2007年

  • 2007年7月19日富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の塩崎恭久からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌7月20日に謝罪したうえで撤回した[126]
  • 7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した[127](『きちがい水』という表現は酒を指す江戸時代からの俗語)[128]

2008年・内閣総理大臣就任前

  • 2008年2月中国製冷凍餃子中毒事件に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
  • 7月に講演の中で、「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と、民主党とナチスを同一視するかのような発言をしたと報じられた[129]
  • 8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで内閣改造を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから幹事長に就任した(福田康夫内閣改造内閣)。8月4日、参議院議長の江田五月を表敬訪問した際、ドイツでヴァイマル共和政末期に政治不信が募り、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。江田は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した[130]。この会談においても「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と、先月の講演とほぼ同じことを述べたことについて、民主党政権がナチス・ドイツのように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、鳩山由紀夫が撤回を求めた[131]。麻生は、「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。
  • 週刊新潮は、「自民党総裁選の立会い演説会で「外務大臣として働いた方のうち、私ほど、外交について多くを述べた方は、かつてただの1人もいらっしゃらないと思います」と発言し、外相経験者で内閣官房長官(当時)の町村信孝を驚かせた」と清和研議員秘書が発言していると報じた。
  • 週刊現代は、麻生は9月の首相就任前に『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と宮内庁に指示を出したと報じた[132]
  • 9月14日JR名古屋駅前での自民党総裁選の街頭所見発表会の発言の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送[133][134]。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した[135]。なお、平成23年台風第15号の豪雨で、名古屋市は河川が氾濫して洪水となり、88万人に対する避難指示が出される事態となった。

内閣総理大臣在任中

2008年

9月
  • 9月24日毎日新聞が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した[136]
10月
  • 植草一秀が、10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会で、麻生が九州トヨタの事例を挙げ、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説したことについて[137][138]。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは非正規雇用の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。また、「結婚したらあたしが一人で働かないかん」と、非正規雇用の男性が失業者と同等だという差別的な発言であることも指摘された[137]
11月
  • 11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、定額給付金について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と発言した。多くの報道機関からは「定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる」と解釈され、批判的な報道がなされた[139]。また、2008年12月6日長崎県諫早市で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した[140]
  • 11月20日、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。厚生労働大臣舛添要一や、自民党の国会対策委員長大島理森、元副総裁の山崎拓税制調査会会長の津島雄二などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の河村建夫も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、日本医師会会長の唐沢祥人が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に全国保険医団体連合会も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。茨城県医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた[141]
  • 11月20日の経済財政諮問会議において「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言した。 この発言は「だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る」と続き[142]、予防の奨励によって医療費の削減が期待できるとしたが、前半部分が「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、また国民健康保険制度の概念を軽視する発言でもあるとして批判された。後に麻生は「にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した[143]山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の伊吹文明中山泰秀渡辺喜美などが苦言を呈した。公明党代表の太田昭宏は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、国民新党亀井静香は「社会保障とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
  • 11月22日、訪問先のペルーリマで、民主党代表の小沢一郎が、11月17日の党首会談で第2次補正予算案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている[144]
12月
  • 12月14日、毎日新聞は北九州エコタウン北九州市)を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した[145]
  • 12月15日、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、首相官邸に詰めている記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した[145]
  • 12月19日ハローワーク渋谷(東京都渋谷区)を視察した。この際、失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」といったメッセージを送った。しかし、相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えた[146] ほか、鳩山由紀夫は麻生の言葉に対し、「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した[147]
  • 12月25日夜、首相官邸で行われた閣僚との忘年会の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという[148]

2009年

  • 1月6日の会見において、定額給付金に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「国会議員も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出た[149]
  • 2月5日の予算委員会で「(小泉)内閣の一員として最終的に賛成したが、郵政民営化は賛成ではなかった」と発言し、野党だけでなく自民党内にも大きな波紋を広げた。
  • 2009年3月23日 - 麻生の相次ぐ失言に対し、河村建夫が記者会見にて「医者や株屋の話もあった。相手を傷つけない配慮はされるべきだ」[150]「バランス感覚を持って発言してもらうことは必要だ」[150] と批判した。
  • 6月7日東京都議会議員選挙での党勢の拡大を図り、麻生が各候補者への訪問や街頭演説を開始。麻生は東京都議会議員選挙をサッカーに喩えて党への支援を訴えたが「日本には(元日本代表の)中田英寿みたいなスーパースターはいない」[151]「日本のスーパー(スター)は天皇陛下ぐらい」[151] と発言。6月9日には立候補予定者の事務所を訪れた際、立候補予定者の子息に対して「おまえも後を継ぐのか。世襲頑張れ。親の後を継いで悪いことは何もない」[152] と発言。6月20日の立候補予定者事務所での挨拶では、2009年東京都議会議員選挙について「必勝を期して」と言うべきところを「惜敗を期して」[153] と発言し、驚いた東京2区の自民党支部長深谷隆司が「必勝です」[153] と指摘するが、訂正せず[154]。深谷が麻生に耳打ちするなど再三指摘したため「再び勝って、必勝を」[155] と発言内容を修正。静岡県知事選挙では麻生側が党推薦候補に対し応援を申し入れてきたため、選挙対策本部が富士市での演説を打診したところ、麻生側が浜松市静岡市など人口の多い都市での開催を要求してきたため、選挙対策本部が麻生の来県を拒否した[156]
  • 7月25日 - 日本青年会議所の会合で「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働く事しか才能が無いと思って下さい。働く事に、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と発言し、毎日新聞系のマスコミから高齢者侮辱発言として批判された[157][158]
  • 8月23日 - 学生との対話集会にて、結婚生活には多額の費用がかかるため若年層が結婚するのが難しくそれが少子化の一因ではないか、との質問が出た。その質問に対し、麻生は「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい」[159] と回答した。麻生発言の真意を問われ、河村は「表現は直截(ちょくせつ)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなければいけないという裏返しの表現」[160] と説明した。またこの発言はBBC[161]オーストラリア放送協会[162]AFP通信[163] 等の各国のマスコミに「失言」と報道された。

2013年

  • 1月21日、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した[164]。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った[165]
  • 7月29日国家基本問題研究所の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った[166]。その中で改憲積極派に向けて、ナチス政権を引き合いに出し、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法[167]に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」[168]と発言した。この発言について、ジャーナリストの桜井良子は後日、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べている(後述)。
麻生のセミナーでの発言のナチスに関連する部分を見出しにして、日本で一番早く報じたのはスポニチの7月30日付Web版である。記事の見出しは『麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る』[169]であった。一般紙では同日付で読売新聞のWeb版が『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』[170]という見出し記事で報じた。ただしその後、『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』[171][172]へと見出しが差し替えられている。他には、同30日付で共同通信が『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』[173]という見出しで報じた。
一方、朝日新聞はナチスに関連した部分について当初は触れておらず、29日付のWeb記事では『「護憲と叫べば平和が来るなんて大間違い」麻生副総理』[174]という見出しで報じていた。朝日がナチスに関連する発言について報じた最初の記事は、8月1日付のWeb記事で『ナチスの憲法改正「手口学んだら」 麻生副総理が発言』[175]である。『麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨』[176]という見出しで発言要旨も報じたが、同日付の同紙天声人語は「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習えということになってしまう」と書いた。
その後、ナチスに関連した発言について、8月2日付朝日新聞が、1面準トップ「首相『撤回、早い方がいい』」、2面トップ「政権 麻生ショック『国際社会を敵に』収束急ぐ」、4面トップ「発言と釈明 矛盾」、社説『麻生氏の発言 立憲主義への無理解だ』[177]、社会面トップ「失言 何度目ですか」、声欄(3日付)「 麻生氏の弁明は聞きたくない」と集中豪雨的に取り上げ、翌3日付読売新聞が『麻生財務相発言 ナチスにどう改憲を学ぶのか(8月3日付・読売社説)』[178]、同3日付で産経新聞が『麻生氏失言 改憲論議への影響避けよ』[179]と報じた。
ナチスに関連した部分のみを見出しにした報道を端緒に、この発言は海外の一部メディア・ユダヤ系人権団体らが一斉に批判することになった[180][181][182][183]。7月30日、ユダヤ系人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターが『Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"?(一体どんな手口をナチスから学べると言うのか)』と題した声明を発表し、発言の真意を説明するよう促した[184][185]。また、同日、韓国外務省報道官は定例記者会見で、「侵略の被害を受けた周辺国の国民にどう映るかは明らかであり、多くの人を傷つける」と批判した[186][187]。翌31日には中国外務省の洪磊副報道局長が、「日本がどこに向かおうとしているのか、アジアの近隣諸国や国際社会の懸念と警戒を引き起こす」と批判した[188]
これらの批判や報道を受け、セミナーの主催者兼司会者でもあったジャーナリストの桜井良子は「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(産経新聞2013.8.5「美しき勁き国へ」)[16]において、「朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である」と述べ、「(麻生は)改正論議の熱狂を戒めたが、私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないというメッセージと受けとめた」とした上で、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べた。そして「憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞は全く別の意味を持つものとして報じた」として、「朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした」と朝日新聞のみを批判した。ナチスに関連した発言は多くの国内外のメディアが批判することとなったが、桜井は「8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で『熱狂』した。日によって1面の天声人語、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した」と述べた。
8月1日、麻生は「憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示として挙げたことは撤回したい」[189]と述べた。しかし、ジャーナリストの歳川隆雄によれば、撤回はしたものの、依然として海外からの批判は収束する気配を見せず、撤回だけではなく謝罪を求める団体の動きが活発化しているという[190]
なお、麻生が撤回した発言には、歴史的事実に関する誤認が含まれている。ミュンヘンの公立現代史研究所のマグヌス・ブレヒトケン博士は「麻生氏の例えは驚くべき発言だ」と述べたうえで「ナチスが政権を握った1933年以降も、公式にはワイマール憲法は存続した。だがこの年、議会承認を経ずにヒトラーが法律を制定できる全権委任法が成立し、ナチス独裁体制が固まったことで、ワイマール憲法は事実上の効力を失った。ナチス自身は特に憲法を定めていない」と説明。麻生による「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた」との発言は事実誤認と指摘した[191]
野党側は8月7日に閉会する臨時国会中に、予算委員会での集中審議を求めていたが、与党側は「一応の決着をみた」として審議を拒否した[192]。7日に民主党など5野党は麻生の辞任、または罷免を求める声明を発表し、同日首相官邸に声明を届けようとするも、官邸は受け取りを拒否した。

その他・逸話

内閣総理大臣就任以前

内閣総理大臣就任後

  • 2008年9月、「総理大臣公邸に入居するのは解散総選挙を行った後」としており、総理大臣任命後も自宅から通勤していた。総理が自宅(東京都渋谷区)から官邸へ通勤するのは、宮沢喜一以来15年ぶり。
  • 10月26日には総理総裁後初めて、秋葉原駅前にて自身3度目の街頭演説を行った。その際2008年6月8日に起こった秋葉原無差別殺傷事件を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員最低賃金を上げることや、非正規雇用正規雇用にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を訴えた[210]
  • 11月10日放映の中国テレビCCTVに出演し、「私の家は貧しかったので子供の頃は、高校まで弁当ではを食べていました」と発言した。
  • 11月19日、都内のホテルで開かれた私立幼稚園PTAの全国大会で挨拶した麻生は「家庭でしつける力がなくなってきた」と指摘したうえで、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、幼稚園で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した[211]。麻生は大会を「幼稚園の教員による会合」と勘違いしていたとされ、会場に園児の母親が多数出席していることに気づくと、批判のトーンを弱めている[212][213]
  • 動画サイトニコニコ動画内の自民党公式チャンネルにおいて、ニコニコ動画のマスコットキャラクター「ニコニコテレビ君」を、麻生の顔文字である「(゜⊿゜)」に置き換えた「タロビ」というキャラクターが生み出され、ユーザー内で話題となった[214]。のちにユーザーからも使用され始めたほか、現在でも自民党公式チャンネルにて引き続き使用されている。また、麻生自身もニコニコ動画の自民党公式チャンネルの企画にてタロビと対面した。
  • 携帯電話の着信メロディに君が代を登録しており、先述のニコニコ動画の企画にて麻生自身が紹介したほか、2009年(平成21年)4月23日衆議院・海賊対処・テロ防止特別委員会の際に新藤義孝が紹介した。
  • 日本のソフトコンテンツ産業の向上のために、平成21年補正予算に「国立メディア芸術総合センター」の構想を練るものの[215]民主党鳩山由紀夫衆議院本会議で『巨大国営マンガ喫茶』と批判し、派閥の身内である河野太郎からも『箱モノ建設だ』と批判され、マスメディアも批判した[要出典]。のちの民社国連立政権では、この構想や予算が消滅した。

内閣総理大臣辞任後

漫画についてのエピソード

漫画の政治・外交利用

外務大臣として

漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、ポーランドの外務大臣から現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている[223]

内閣総理大臣として
  • 2008年(平成20年)10月26日、総理総裁として初の秋葉原での街頭演説後に秋葉原UDXで開かれた「秋葉原エンタまつり2008」の特別ステージにさいとうたかを弘兼憲史と共にゲスト出演[231]。司会を兼任した弘兼からの「“わが青春のこの一冊”はなんですか?」との問いに対し「ここにいるお二方の作品を挙げるとアレなので」と前置きした上で本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』を挙げ、「7年間くらい毎週買ってましたね。そして単行本も集めたんですが、単行本を買って集めた初めての作品ですね」と返答した[231]。『ゴルゴ13』については、「冷戦が崩壊したときには物語は終わってしまうんじゃないかと思ったんですが、新しいシナリオがあってサラリーマンの意識の先を行っているので、大人が読めるマンガになっていると思います」と述べた[232]。また、「いま、映画やドラマの原作はマンガ発のものが多くなってきていると思いますが、マンガのほうが発想が豊かだからでしょう。そんなマンガ産業をもっと育てていこうと二階氏とも話していますよ」と述べた[232]
  • 2008年11月に行われた日本とロシアの首脳会談にて、麻生はロシア連邦大統領ドミートリー・メドヴェージェフドラえもんに登場する道具「タケコプター」を贈っている。メドヴェージェフは麻生の贈り物に喜び、「ロシア語説明書はないのか」と尋ねたという[233][234]。メドヴェージェフの妻であるスヴェトラーナ・メドヴェージェワと長男のイリヤは、ドラえもんが大好きだという。

その他

主な役職等

その他議員連盟など

年譜

家族・親族

両親
兄弟
妻子
他家
遠縁の親戚

家系

麻生家の紋違い釘抜き
  • 麻生百年史 〈麻生グループ〉 によると、「麻生家は今では菩提寺の川島正恩寺が消失し、過去帳なども灰に帰したためその記録も残っていないのが残念だが、同家に伝わるところによると大化の改新六四五)で活躍した藤原鎌足の血筋を引き、藤原一族の流れをくんでいるといわれている。そして麻生家の名前の由来をたどると先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。この地方には鎌倉室町のころから麻生の姓を名乗る一族がいる。このように麻生家は古い士族の末裔であったが、いつのころからか村を治める庄屋(今でいう村長)になっていった。」という。
  • 鈴木幸夫著『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』(1965年)58頁によると、「もともと麻生家は、福岡の土豪である。太賀吉の祖父・太吉の代に、祖父伝来の土地から、石炭を発見、貝島炭鉱の貝島太助から事業上の手ほどきを受けた。また貝島の紹介で、井上馨候に接近、採掘権などの法的手続きを有利にした。学問、毛並み、幸運に恵まれなかった麻生太吉は、もっぱらそのタフな心臓と、負けん気で、ついに九州三大石炭財閥の一つにのしあがった。太吉は徹底したワンマン型のつわものであり、太賀吉はその三代目である。」という。
  • 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 39頁によると、「もともと麻生家は、福岡の大庄屋で、太賀吉の祖父・太吉の代に先祖伝来の土地から石炭が採掘され、九州三大石炭財閥(他は貝島家、安川家)の一つにのしあがった。太吉は石炭のみならず、鉄道、電気、金融まで手を広げ、それらは後の国鉄九州電力福岡銀行の基となっている。」という。
野田勢三郎
 
 
 
 
野田健三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
野田宏一郎
野田昌宏)ひらけ!ポンキッキの生みの親
 
 
 
 
 
 
 
 
ツヤ子
 
 
鈴木俊一
 
 
 
 
 
 
 
 
鈴木善幸
(首相)
 
 
千賀子
 
加納久宜
 
加納久朗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
八重子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夏子
 
 
 
 
麻生太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
麻生太賀吉
 
 
麻生次郎
 
 
 
 
 
麻生賀郎
 
麻生太吉
 
麻生太郎
 
 
 
 
 
 
雪子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
和子
 
 
 
 
 
 
竹内綱
 
吉田茂
(首相)
 
 
吉田健一
 
 
相馬和胤相馬家第33代当主
ミングオブジャパン社長)
 
 
 
 
 
 
 
 
吉田正男
 
 
旦子
 
 
 
 
 
 
 
 
雪子
 
 
江子
 
 
 
 
 
 
 
大久保利通
 
牧野伸顕
 
 
 
 
桜子
 
 
荒船清彦(駐スペイン大使)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
信子
 
 
 
 
 
三島通庸
 
峰子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
利武子
 
 
寬仁親王
 
 
瑶子女王
 
 
 
 
 
 
麻生泰
麻生社長)
 
 
 
 
 
 
英子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
和子
 
 
 
 
 
秋月種英武見太郎
日医会長)
 
 
武見敬三
 

著作

共著

論文

脚注

  1. ^ 麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生から更に分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。
  2. ^ JOC - オリンピック歴代日本代表選手全記録
  3. ^ Sports-reference.com profile:Taro Aso
  4. ^ 麻生太郎オフィシャルサイト
  5. ^ 父方の祖父の名前も“麻生太郎”である
  6. ^ 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁
  7. ^ 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー ニッケイ新聞 2007年8月17日。また、麻生太郎の従兄弟に当る人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。麻生総理の従兄弟とついに接触! 学移連出身だった忠氏 「人生一度だけ!」と熱弁 ニッケイ新聞より 2008年12月31日
  8. ^ この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である麻生太賀吉と実弟で専務の麻生典太だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと麻生典太は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。『No.34 ブラッド・ダイヤモンド』 最首公司のホームページ および、ダイヤモンド・ロードを行く 最首公司著 講談社(1970)より
  9. ^ 2006年1月19日に日本記者クラブにて行われた 外務大臣演説シエラレオネのダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している。
  10. ^ 「ありがとう、麻生」 ネットで呼びかけ官邸前にファン120人集結 産経新聞]2009年9月16日(9月22日のアーカイブ)
  11. ^ 「絶好調」安倍政権のアキレス腱はあの男…」 MSN産経ニュース(産経新聞)の記事。2013年2月9日配信、2013年3月15日閲覧。
  12. ^ 型にはまらず頂点へ=オタクの雄、失言癖も-麻生氏」 時事通信社の記事。2008年9月22日配信、2013年3月15日閲覧。
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参考文献

関連項目

外部リンク

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