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|名 = 鹿戸雄一
|名 = 鹿戸雄一
|国 = {{JPN}}
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|出 = [[北海道]]
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|生 =
|生 = {{生年月日と年齢|1962|5|23}}
|死 =
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|身 = 164.0cm
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|体 = 52.0kg
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|血 = A型
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|団 = JRA
|団 = JRA
|厩 =
|厩 = 美浦・久保田金造(1984年3月 - 1991年8月)<br/>美浦・相川勝敏(1991年8月 - 1991年11月)<br/>美浦・フリー(1991年11月 - 引退)
|初 = 1984年3月1日
|初 =
|区 = 平地
|区 =
|引 = 2007年2月28日
|引 =
|通 = 5487戦346勝
|通 =
|重 = 中央4勝/地方6勝
|重 =
|調初 = 2007年(2008年開業)
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|所 =
|所 = [[美浦トレーニングセンター]]
}}
}}
'''鹿戸 雄一'''(しかと ゆういち、[[1962年]][[5月23日]]- )は、[[日本中央競馬会]] (JRA) [[美浦トレーニングセンター]]所属の[[調教師]]で、元[[騎手]]。
'''鹿戸 雄一'''(しかと ゆういち)は、[[日本中央競馬会]] (JRA) 所属の[[調教師]]。

元調教師の[[鹿戸幸治]]、元調教師の[[鹿戸明]]は親戚にあたる。

== 来歴 ==
=== 騎手時代 ===
[[馬事公苑]]を卒業後、[[1984年]]に[[久保田金造]][[厩舎]]所属で騎手デビュー。同期は[[坂本勝美]]、[[中舘英二]]、[[出津孝一]]、[[木幡初広]]、[[谷中公一]](谷中はデビュー1年遅れ)らがいる。

初騎乗は同年[[3月4日]][[中山競馬場|中山競馬]]第1競走のキクノファイターで13頭立ての9着。初勝利は同年[[10月27日]][[東京競馬場|東京競馬]]第1競走のグレーカスタムであった。

[[1991年]]に師匠の久保田金造調教師が死去し、厩舎が解散したため、フリーとなった。また、同年の[[アングロアラブ]]の重賞、[[タマツバキ記念]]をヨドノチカラで制し、重賞初勝利を飾った。しばらく重賞勝ちがなかったが、[[1998年]]に[[マイネルプラチナム]]で[[札幌2歳ステークス|札幌3歳ステークス]]を制し、7年ぶりの重賞勝利を挙げた。その後は[[ビーマイナカヤマ]]とのコンビで[[2000年]]と[[2001年]]の[[ガーネットステークス]]を連覇するなど、ダート重賞で活躍した。[[ダートグレード競走]]も[[1999年]][[6月10日]]の[[北海道スプリントカップ]]と、2001年[[12月10日]]の[[とちぎマロニエカップ]]、および[[群馬記念]]、[[朱鷺大賞典]]、[[かしわ記念]]を勝利している。

2001年[[12月9日]]、[[中京競馬場|中京]]第8競走でグントラムに騎乗し1着、通算300勝を達成した。

[[2007年]][[3月]]に調教師[[免許]]を取得し、騎手を引退。騎手成績は5,487戦346勝、重賞は4勝であった。

=== 調教師時代 ===
騎手時代の末期から調教に参加するなど、関係が深かった[[藤沢和雄]]調教師の下で技術調教師として学んだ。また、この頃に同厩舎で管理されていた[[ゼンノロブロイ]]のイギリス遠征にも帯同している。

そして[[2008年]][[3月]]、2月限りで定年で引退した[[増沢末夫]]調教師並びに[[矢野進]]調教師の厩舎を実質的に引き継ぐ形で厩舎を開業した。初年度は18馬房が割り当てられた。[[3月2日]]に管理馬が初出走を迎え、[[中京競馬場]]で行われた大須特別に[[ダイワジーニアス]]が1番人気で出走したが4着だった。

2008年[[11月9日]]、第46回[[アルゼンチン共和国杯]]に[[スクリーンヒーロー]](旧矢野進厩舎からの引き継ぎ馬)が出走、[[蛯名正義]]が騎乗し重賞初勝利を挙げると、3週間後に出走した第28回[[ジャパンカップ]]では[[ミルコ・デムーロ]]鞍上で出走し優勝。厩舎開業から約1年という早さでGI競走初勝利も記録した。

== 人物 ==
* 騎手時代は面倒見がよく、[[美浦トレーニングセンター|美浦]]の若手騎手のリーダー格で、[[日本騎手クラブ]]の副会長も務めていた。
* 騎手対抗サッカー大会や野球大会、レース終了後のオークションやイベントの司会、さらには[[とんねるず]]の番組などに[[武豊]]の付き添いで出演するなど、地味ではあるが騎乗以外で目立つ部分は多かった。[[釣り]]を趣味としている[[柴田善臣]]と似通った部分がある。また、兄弟子の蛯名信広、[[加藤和宏 (JRA)|加藤和宏]]の影響が強いとも考えられる。
* 初騎乗はグレーカスタムだが、実はその前日に初騎乗馬が用意されていた。しかし、その馬が取り消し、幻となった。なお、同期である[[出津孝一]]の活躍はあまり目に入らなかったというが、[[障害競走|障害]]では出津より先駆者である。9月のレースでカキチョウシロウに騎乗し、落馬したのちは障害には騎乗しなかった。
* ビーマイナカヤマで2002年は重賞5勝をあげているが、この年、実際には高市調教師はかしわ記念に出す予定はなかったといっている。師のエピソードによれば、「鹿戸君がイギリスへの土産代が欲しいと言ってね。」といっている。ちなみに鹿戸騎手はこの年イギリスに遠征を行っている。
* [[エルムステークス]]にビーマイナカヤマで出走する前の週に、突然未勝利1鞍だけのために[[札幌競馬場|札幌]]遠征を行っているが、これは騎乗予定馬がすべて除外になったためではなく、その当日にススキノで行われた自身と[[高市圭二]]調教師とのトークショーのために来札したものというエピソードがある。
* 上のエピソードに伴い、途中鹿戸がビーマイナカヤマに乗らなかった時期があるが、師によれば「鹿戸君が一番合っていることを証明しようと思ってね」と言っている。しかし、この乗り変わりは馬主の指示ではなく高市の判断であったとのことである。なお、現在鹿戸厩舎にビーマイナカヤマの馬主である中山牧場はまだ預託を行っていない。

== 騎手成績 ==
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:right; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!通算成績!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!!勝率!!連対率
|-
!平地
|346||345||386||5482||0.63||.126
|-
!障害
|0||2||0||5||.000||.400
|-
!計
|346||347||386||5487||.063||.126
|}

{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!||日付||競走名||馬名||頭数||人気||着順
|-
|初騎乗||1984年3月4日||-||キクノファイター||-||-||9着
|-
|初勝利||1984年10月27日||-||グレーカスタム||-||-||1着
|-
|重賞初騎乗||1985年9月29日||セントライト記念||トラストリベロ||10頭||6||4着
|-
|GI初騎乗||1986年5月18日||優駿牝馬||ミデオンルビー||22頭||21||20着
|-
|重賞初勝利||1991年9月15日||タマツバキ記念||ヨドノチカラ||14頭||6||1着
|}

=== 主な騎乗馬 ===
* ビーマイナカヤマ(2000年・2001年[[ガーネットステークス]])
* マイネルプラチナム(1998年[[札幌2歳ステークス|札幌3歳ステークス]])
* インターシオカゼ(1990年[[根岸ステークス]] 2着・1991年[[フェブラリーステークス|フェブラリーハンデキャップ]] 2着)
* ヨドノチカラ(1991年[[タマツバキ記念]])

== 調教師成績 ==
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順
|-
|初出走||2008年3月2日||1回中京2日11R||大須特別||ダイワジーニアス||15頭||1||4着
|-
|初勝利||2008年5月17日||1回新潟5日9R||4歳上500万下||ダイワバイロン||15頭||6||1着
|-
|重賞初出走||2008年3月15日||1回阪神5日9R||阪神SJ||マンテンフラワー||12頭||11||5着
|-
|重賞初勝利||2008年11月9日||5回東京2日11R||アルゼンチン共和国杯||スクリーンヒーロー||16頭||3||1着
|-
|GI初出走||2008年4月13日||2回阪神6日11R||桜花賞||エフティマイア||17頭||15||2着
|-
|GI初勝利||2008年11月30日||5回東京8日10R||ジャパンC||スクリーンヒーロー||17頭||9||1着
|}

=== 主な管理馬 ===
* [[スクリーンヒーロー]](2008年ジャパンカップ、アルゼンチン共和国杯)
* [[エフティマイア]](2008年[[桜花賞]]2着、[[優駿牝馬]]2着)
* [[フォーエバーモア]](2014年[[クイーンカップ]])
* [[スマートオリオン]](2014年[[オーシャンステークス]])

== 主な厩舎所属者 ==
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
* [[三浦皇成]](2012年-現在 騎手)
* '''[[木幡初也]]'''(2014年-現在 騎手)


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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{{Keiba-stub}}
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{{DEFAULTSORT:しかと ゆういち}}
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[[Category:1962年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:日本の騎手]]
[[Category:日本中央競馬会の騎手]]
[[Category:日本中央競馬会の調教師]]
[[Category:日本中央競馬会の調教師]]
[[Category:美浦トレーニングセンターの人物]]
[[Category:北海道出身の人物]]

2016年1月12日 (火) 04:30時点における版

鹿戸雄一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
騎手情報
所属団体 JRA
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鹿戸 雄一(しかと ゆういち)は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師

外部リンク