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「ケ号爆弾」の版間の差分

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「ケ号」と呼称されるが、陸軍が使用した表記は「まるケ」(ケ⃝、丸の中にカタカナの”ケ”)である。「まるケ」の表記はケ号のキーデバイスである[[ニッケル]]の薄膜を用いた赤外線検知装置の研究計画の呼称(検知器(けんちき)の頭文字)を引き継いだものである。
「ケ号」と呼称されるが、陸軍が使用した表記は「まるケ」(ケ⃝、丸の中にカタカナの”ケ”)である。「まるケ」の表記はケ号のキーデバイスである[[ニッケル]]の薄膜を用いた赤外線検知装置の研究計画の呼称(検知器(けんちき)の頭文字)を引き継いだものである。

回転する[[放物面鏡]]でニッケルの薄膜にスリットを通して断続的に赤外線が照射されると4[[象限]]に配置されたそれぞれのニッケルの薄膜が温度変化によって抵抗値が変化して[[ホイートストンブリッジ]]で抵抗値の微小な変化を増幅して[[継電器]]を断続して油圧式の操舵装置の弁を開閉して操舵する。熱源へ直進している場合には4象限のニッケルの薄膜に均等に赤外線が照射されるので各素子間の抵抗値に差は生じないが、軌道を外れると対向する象限の各素子間の抵抗値に差が生じるため、継電器に電流が流れ、修正舵が作動する。放物面鏡は毎分2000回転するため、スリットを通してニッケルの薄膜に照射される赤外線の周期は2kHzでこの周期の信号のみを通す[[バンドパスフィルタ]]を通すことで[[熱雑音]]を遮断する。そのため赤外線センサーの冷却が不要な[[ボロメータ]]型赤外線検出素子を使用できた。当時は直流増幅器の性能が不十分で断続する信号を扱う事により、[[SN比|S/N比]]の優れた交流増幅器を使用できた<ref>{{Cite journal|author= | author2= |title=JAPANESE INFRA RED DEVICES ARTICLE 1 CONTROL FOR GUIDED MISSILES | publisher= |journal=|asin= |volume= |issue= | date=1945年9月 |pages= |url=http://www.fischer-tropsch.org/primary_documents/gvt_reports/USNAVY/USNTMJ%20Reports/USNTMJ-200J-0032-0065%20Report%20X-02-1.pdflCode=jjp}}</ref>。


== 開発 ==
== 開発 ==
[[1944年]][[3月]]ころから[[東芝]]を中心に[[シーカー|赤外線シーカー]]の開発が始まり、また爆弾の空力設計には[[中島飛行機]]の[[糸川英夫]]らが行った。[[1945年]][[10月]]までには700発を生産する計画であった。発射母機としては[[大日本帝国海軍|海軍]]の[[銀河_(航空機)|銀河]]が予定されていた。
[[1944年]][[3月]]ころから[[東芝]]<ref>ちなみに同社は現在も[[赤外線誘導ミサイル]]のシーカーの開発、製造を担当する</ref>を中心に[[シーカー|赤外線シーカー]]の開発が始まり、また爆弾の空力設計には[[中島飛行機]]の[[糸川英夫]]らが行った。[[1945年]][[10月]]までには700発を生産する計画であった。発射母機としては[[大日本帝国海軍|海軍]]の[[銀河_(航空機)|銀河]]が予定されていた。


1944年9月5日、陸海民の科学技術の一体化を図るため、陸海技術運用委員会が設置され、研究の一つにケ号も含まれていた<ref>戦史叢書87 陸軍航空兵器の開発・生産・補給457頁</ref>。
1944年9月5日、陸海民の科学技術の一体化を図るため、陸海技術運用委員会が設置され、研究の一つにケ号も含まれていた<ref>戦史叢書87 陸軍航空兵器の開発・生産・補給457頁</ref>。


[[1945年]][[1月]]には[[浜名湖]]にて第一回投下テストが行われているが、誘導装置は順調に動作したものの操縦装置がうまく動作しなかったといわれている。その後も研究が続いたが量産にいたらないまま終戦となった。
[[1945年]][[1月]]には[[浜名湖]]にて第一回投下テストが行われているが、誘導装置は順調に動作したものの操縦装置がうまく動作しなかったといわれている。その後も研究が続いたが量産にいたらないまま終戦となった。

諸外国との技術交流や情報の入手が極めて限られていた戦時下において開発に使用された技術はいずれも自力による開発で、これらの成果は独創性に欠け、模倣を得意とするという諸外国からの批判への有力な反証となる。


後にソニーを設立する[[井深大]]と[[盛田昭夫]]が出会うきっかけになった。
後にソニーを設立する[[井深大]]と[[盛田昭夫]]が出会うきっかけになった。
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* [[大日本帝国陸軍兵器一覧]]
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* [[Hs 293 (ミサイル)|ヘンシェル Hs 293]]
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* [[赤外線誘導ミサイル]]
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* [[井深大]]
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* [[盛田昭夫]]
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[[Category:航空機搭載爆弾]]
[[Category:航空機搭載爆弾]]
[[Category:日本の対艦ミサイル]]
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2016年4月23日 (土) 08:41時点における版

側面図

ケ号爆弾(ケごうばくだん)、またはケ号自動吸着弾(ケごうじどうきゅうちゃくだん)は、太平洋戦争の末期に大日本帝国陸軍が開発した赤外線誘導の対艦徹甲爆弾である[1]

性能

推進装置をもつミサイルとは異なる誘導爆弾(スマート爆弾)の一種。ケ号は弾頭重量 600kg成形炸薬弾(陸軍の呼称では「タ弾」)を装備し、弾体前方に赤外線シーカーを備え、弾体後尾に操縦装置とそこから伸びる十文字翼、弾体後部に自動伸展式の制動板を備えていた。設計によれば全長は 3m 、弾体直径は 50cm 、主翼を含めた全幅は 2.5m となっていた。

10,000m の高高度から母機より投下されたケ号は尾部の制動板を開いて減速しつつ自由落下し、高度 2,000m で索敵を開始し、目標の熱源を探知すると動翼を制御して自律的に目標へ誘導されるパッシブホーミング方式を採用していたが、誘導装置が技術的に未熟であったため赤外線放射量の多い大型艦(戦艦・空母)以外への命中は期せなかった。実用化の目途が立った時点には日本軍の敗色は濃厚になっており、重いケ号爆弾を搭載した母機が敵艦上空に到達できる見込みがなく、実戦では使用されなかった。また一発が命中するとその後投下した爆弾は、命中弾による火災に誘引されてしまうため、一会戦で複数目標への攻撃は困難だった。

「ケ号」と呼称されるが、陸軍が使用した表記は「まるケ」(ケ⃝、丸の中にカタカナの”ケ”)である。「まるケ」の表記はケ号のキーデバイスであるニッケルの薄膜を用いた赤外線検知装置の研究計画の呼称(検知器(けんちき)の頭文字)を引き継いだものである。

回転する放物面鏡でニッケルの薄膜にスリットを通して断続的に赤外線が照射されると4象限に配置されたそれぞれのニッケルの薄膜が温度変化によって抵抗値が変化してホイートストンブリッジで抵抗値の微小な変化を増幅して継電器を断続して油圧式の操舵装置の弁を開閉して操舵する。熱源へ直進している場合には4象限のニッケルの薄膜に均等に赤外線が照射されるので各素子間の抵抗値に差は生じないが、軌道を外れると対向する象限の各素子間の抵抗値に差が生じるため、継電器に電流が流れ、修正舵が作動する。放物面鏡は毎分2000回転するため、スリットを通してニッケルの薄膜に照射される赤外線の周期は2kHzでこの周期の信号のみを通すバンドパスフィルタを通すことで熱雑音を遮断する。そのため赤外線センサーの冷却が不要なボロメータ型赤外線検出素子を使用できた。当時は直流増幅器の性能が不十分で断続する信号を扱う事により、S/N比の優れた交流増幅器を使用できた[2]

開発

1944年3月ころから東芝[3]を中心に赤外線シーカーの開発が始まり、また爆弾の空力設計には中島飛行機糸川英夫らが行った。1945年10月までには700発を生産する計画であった。発射母機としては海軍銀河が予定されていた。

1944年9月5日、陸海民の科学技術の一体化を図るため、陸海技術運用委員会が設置され、研究の一つにケ号も含まれていた[4]

1945年1月には浜名湖にて第一回投下テストが行われているが、誘導装置は順調に動作したものの操縦装置がうまく動作しなかったといわれている。その後も研究が続いたが量産にいたらないまま終戦となった。

諸外国との技術交流や情報の入手が極めて限られていた戦時下において開発に使用された技術はいずれも自力による開発で、これらの成果は独創性に欠け、模倣を得意とするという諸外国からの批判への有力な反証となる。

後にソニーを設立する井深大盛田昭夫が出会うきっかけになった。

関連項目

脚注

  1. ^ Martin Caidin (1956年). “Japanese Guided Missiles in World War II”. Journal of Jet Propulsion 26 (8): 691-694. http://arc.aiaa.org/doi/abs/10.2514/8.7117?journalCode=jjp. 
  2. ^ JAPANESE INFRA RED DEVICES ARTICLE 1 CONTROL FOR GUIDED MISSILES. (1945年9月). http://www.fischer-tropsch.org/primary_documents/gvt_reports/USNAVY/USNTMJ%20Reports/USNTMJ-200J-0032-0065%20Report%20X-02-1.pdflCode=jjp. 
  3. ^ ちなみに同社は現在も赤外線誘導ミサイルのシーカーの開発、製造を担当する
  4. ^ 戦史叢書87 陸軍航空兵器の開発・生産・補給457頁