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「利平栗」の版間の差分

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'''利平栗'''(りへいぐり)とは[[クリ|栗]]の[[品種]]の一つ。通常の和栗より甘みが強く、大粒が特徴。鬼皮が厚い為、剥きにくいのが難点
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==概要==
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==参考文献==
[[太平洋戦争]]の出征の影響で利平栗は殆どが枯死してしまったが、わずか1本のみ残ったという。これが原木となり、広まったという。
GiFUTO 2015年10月号Vol.77 ([[中広]]発行)

現在では、全国各地で栽培されている。管理が難しいこともあり、生産量は減少している。
なお岐阜県山県市の「四国山香りの森公園」に発祥の地の石碑がある。


==脚注==
<references />
==関連項目==
==関連項目==
*[[果物]]
*[[果物]]
*[[栗]]
*[[クリ属|栗]]


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2019年5月17日 (金) 07:18時点における最新版

利平栗発祥の地の記念碑

利平栗(りへいぐり)とは品種の一つ。

概要

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岐阜県山県郡大桑村(後の山県郡高富町、現山県市)の土田健吉が作り出した品種である。

天津甘栗の甘さに着目した土田は、大粒の和栗と天津甘栗を掛け合わせる事を考え、試行錯誤を経て、1940年(昭和15年)、新品種を開発。土田家に伝わる家号「利平治」から利平栗と名づける。[1]

参考文献

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GiFUTO 2015年10月号Vol.77 (中広発行)

脚注

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  1. ^ https://www.city.yamagata.gifu.jp/event/food/p-555.html

関連項目

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