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'''熊田克隆'''(くまだ よしたか、[[1939年]][[3月19日]] - )は、[[ラジオ岐阜]][[中京テレビ放送]]の元[[アナウンサー・ニュースキャスター]]。[[岐阜県]][[岐阜市]]出身。
'''熊田 克隆'''(くまだ よしたか、[[1939年]][[3月19日]] - )は、日本の[[実業家]]。JTCメディアグループの現代表取締役、名古屋アナウンサーアカデミーの現理事長、元[[岐阜放送ラジオ|ラジオ岐阜]]の[[アナウンサー]]、元[[中京テレビ放送]]のアナウンサー。[[岐阜県]][[岐阜市]]出身。[[法政大学]]卒業


== 来歴 ==
[[法政大学]]卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、中京テレビ放送に移籍。[[1969年]]中京テレビ開局、第1期アナウンサーとして入社。報道・スポーツアナとして活躍。ワイドニュース<中京6時のNEWS>の初代キャスターとして第2回日本テレビ系列アナウンス大賞を地方局アナウンサーとして初受賞。(第1回受賞者は、元日本テレビ徳光和夫アナ)。現在は、JTCメディアグループ代表としてテレビ愛知をメインに数々の番組を企画制作。ラジオは岐阜エフエム放送、シティエフエムぎふでも番組をプロデュース。NAA名古屋アナウンサーアカデミーの理事長として、有力放送局へトップクラスの合格率を誇り、優秀なアナウンサーを放送界へ送り出している。
大学卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、1969年に中京テレビが開局するのに合わせて移籍し、同局第1期のアナウンサーとして入社(同期に[[山崎正]])。中京テレビでは主に報道とスポーツ関連の番組を担当し、ワイドニュース『[[6時のNEWS]]』の初代キャスターを務めた。また、第2回[[NNSアナウンス大賞]]で大賞を受賞。これは地方局のアナウンサーとしては初の受賞例である。その後、報道部へ異動。記者を務めた後、中京テレビを退社。


1994年、[[西濃運輸]]・[[大垣共立銀行]]・[[ジャパンテレビ]]などからの支援を受けながら番組制作会社JTC(ジャパンテレビ中京)を設立し、JTCメディアグループの代表に就任。以来、[[テレビ愛知]]などを相手に数々の番組とイベントを立案・プロデュースし続けている。熊田は局アナウンサー時代から演歌歌手の[[春日八郎]]とステージの司会などを通じて親交があり、彼からの影響で『[[玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾]]』などの演歌歌謡番組を長年制作し続けている。同番組のナレーションは熊田自身が担当しており、また、ラジオ業界においても[[岐阜エフエム放送]](Radio 80)、[[シティエフエムぎふ]]などでナビゲーター兼任で番組をプロデュース。[[ラジオ関西]]の番組ではパーソナリティも務めている。このほか、理事を務める名古屋アナウンサーアカデミーで後進を育成し、多くのアナウンサーたちを放送業界へ送り出している。
[[Category:日本のアナウンサー|くまたよしたか]]

== 外部リンク ==
* [http://8178.jp/index.html JTC Media Group]
* [http://www.chubuzaikai.com/zaikai200601/rensai/sinsinkigyo.htm 連載 中部の新進企業 JTCメディアグループ](中部財界 特集記事)

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[[Category:岐阜放送のアナウンサー]]
[[Category:中京テレビのアナウンサー]]
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[[Category:岐阜県出身の人物]]
[[Category:1939年生]]
[[Category:存命人物]]

2020年1月21日 (火) 00:32時点における最新版

熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は、日本の実業家。JTCメディアグループの現代表取締役、名古屋アナウンサーアカデミーの現理事長、元ラジオ岐阜アナウンサー、元中京テレビ放送のアナウンサー。岐阜県岐阜市出身。法政大学卒業。

来歴[編集]

大学卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、1969年に中京テレビが開局するのに合わせて移籍し、同局第1期のアナウンサーとして入社(同期に山崎正)。中京テレビでは主に報道とスポーツ関連の番組を担当し、ワイドニュース『6時のNEWS』の初代キャスターを務めた。また、第2回NNSアナウンス大賞で大賞を受賞。これは地方局のアナウンサーとしては初の受賞例である。その後、報道部へ異動。記者を務めた後、中京テレビを退社。

1994年、西濃運輸大垣共立銀行ジャパンテレビなどからの支援を受けながら番組制作会社JTC(ジャパンテレビ中京)を設立し、JTCメディアグループの代表に就任。以来、テレビ愛知などを相手に数々の番組とイベントを立案・プロデュースし続けている。熊田は局アナウンサー時代から演歌歌手の春日八郎とステージの司会などを通じて親交があり、彼からの影響で『玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾』などの演歌歌謡番組を長年制作し続けている。同番組のナレーションは熊田自身が担当しており、また、ラジオ業界においても岐阜エフエム放送(Radio 80)、シティエフエムぎふなどでナビゲーター兼任で番組をプロデュース。ラジオ関西の番組ではパーソナリティも務めている。このほか、理事を務める名古屋アナウンサーアカデミーで後進を育成し、多くのアナウンサーたちを放送業界へ送り出している。

外部リンク[編集]