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'''桂 米團治'''(かつら よねだんじ)は、[[上方落語]]の[[名跡]]。'''米団治'''とも表記される。
'''桂 米團治'''(かつら よねだんじ)は、[[上方落語]]の[[名跡]]。'''米団治'''とも表記される。


現在は[[米朝一門]]([[米朝事務所]])の事実上の[[止め名]]。なお、4代目の弟子である[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]は5代目を継がず、50年以上途絶えていたのを4代目の孫弟子に当たる[[桂小米朝 (3代目)|3代目桂小米朝]](3代目桂米朝の弟子、実子)が継いだ。
現在は[[米朝一門]]([[米朝事務所]])の事実上の[[止め名]]。なお、4代目の弟子である[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]は5代目を継がず、50年以上途絶えていたのを4代目の孫弟子に当たる[[桂小米朝 (3代目)|3代目桂小米朝]](3代目桂米朝の弟子、実子)が継いだ。
[[画像:Musubi-kashiwa.svg|250px|right|thumb|結三柏は、桂文治一門の[[定紋]]である。]]


*初代桂米團治 - 後の'''[[桂文治 (7代目)|7代目桂文治]]'''。

*2代目桂米團治 - 後の'''[[桂文團治#3代目|3代目桂文團治]]'''。
== 初代 ==
'''初代 桂米團治'''([[1847年]][[4月15日]] - [[1928年]][[9月18日]])は、後の'''[[桂文治 (7代目)|7代目桂治]]'''。本名: '''平野 次郎兵衛'''。[[年]]81
*'''[[桂米團治 (3代目)|3代目桂米團治]]''' - 2代目米團治の門下で、[[1910年]]3月、3代目米團治を襲名
*'''[[桂米團治 (4代目)|4代目桂米團治]]''' - 3代目米團治の門下。

初代[[桂團治]]の門下で初代桂米團治、1885年秋に桂順枝、1886年に初代[[桂米喬|桂亭米喬]]を経て、1887年、2代目文團治襲名。190811月、7代目文治襲名
*'''[[桂團治 (5目)|5代目桂米團治]]''' - 3[[桂]]襲名。57ぶりに復活した

== 2代目 ==

'''2代目 桂米團治'''([[1856年]] - [[1924年]][[4月9日]])は、後の'''[[桂文團治#3代目|3代目桂文團治]]'''。本名: '''前田 七三郎'''。享年68

23歳の時、立川三玉齋の門下に入門し、三吉を名乗る。三玉齋の死後、1879年頃に2代目[[桂文枝]](後の[[桂文左衛門]]) の門下に移り文朝。更に3代目林家菊枝(後の4代目林家正三?)の門下で菊松。その後、初代文團治の門下に移り初代[[桂米朝|米朝]]、1885年に順朝、1886年に再度米朝となるが、1887年に2代目文團治(後7代目文治)門下に移り、2代目米團治を経て、1908年11月に3代目文團治を襲名。

== 3代目 ==

'''[[桂米團治 (3代目)|3代目 桂米團治]]'''([[1869年]] - [[1943年]][[10月29日]])は、本名: '''早田 福松'''。享年75。

2代目米團治の門下で、初代[[桂べかこ|米歌子]](べかこ)、初代[[桂米之助|米之助]]、2代目[[桂米朝|米朝]]を経て、[[1910年]]3月、3代目米團治を襲名。

== 4代目 ==

'''[[桂米團治 (4代目)|4代目 桂米團治]]'''([[1896年]][[9月3日]] - [[1951年]][[10月23日]])は、本名: '''中濱 賢三'''。享年56。

3代目米團治の門下。2代目米之助を経て、4代目米團治を襲名。「[[代書]]」(または「代書屋」)を創作。弟子に「四天王」の一人、[[桂米朝 (3代目)|3代目米朝]]らがいる。

== 5代目 ==

'''[[桂米團治 (5代目)|5代目 桂米團治]]'''([[1958年]][[12月20日]] -)は、本名: '''中川 明'''。[[2008年]][[10月4日]]に3代目桂小米朝が襲名。57年ぶりに復活、米朝一門では初めての名前に○○團治の付く噺家の誕生。


== 出典 ==
== 出典 ==

2020年8月12日 (水) 04:53時点における最新版

桂 米團治(かつら よねだんじ)は、上方落語名跡米団治とも表記される。

現在は米朝一門米朝事務所)の事実上の止め名。なお、4代目の弟子である3代目桂米朝は5代目を継がず、50年以上途絶えていたのを4代目の孫弟子に当たる3代目桂小米朝(3代目桂米朝の弟子、実子)が継いだ。

結三柏は、桂文治一門の定紋である。

出典

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  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)

関連項目

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