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* ギャストン・フェルナンド・デリートネ高等学校
* ギャストン・フェルナンド・デリートネ高等学校
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* [[メキシコシティ・レッドデビルズ]] (2000)
* [[モンクローバ・スティーラーズ]] (2001 - 2002)
* [[起亜タイガース]] (2002)
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* モンクローバ・スティーラーズ (2003 - 2004)
* [[ラグナ・カウボーイズ]] (2005)
* [[ミナティトラン・オイラーズ|カンクーン・ロブスターメン]] (2005)
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'''ルディ・ペンバートン'''('''Rudy Héctor Pemberton Pérez''' , [[1969年]][[12月17日]] - )は、[[ドミニカ共和国]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。韓国球界での登録名は、'''펨버튼'''。台湾球界での登録名は、'''柏頓'''。
'''ルディ・ヘクター・ペンバートン・ペレス'''('''Rudy Héctor Pemberton Pérez''', [[1969年]][[12月17日]] - )は、[[ドミニカ共和国]]・[[サン・ペドロ・デ・マコリス州]][[サンペドロ・デ・マコリス]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。韓国球界での登録名は、'''펨버튼'''。台湾球界での登録名は、'''柏頓'''。


== ・人物 ==
== 歴 ==
{{by|1987年}}に[[デトロイト・タイガース]]と契約{{by|1995年}}[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]初昇格。翌{{by|1996年}}[[ボストン・レッドソックス]]に移籍。
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{{by|1997年}}シーズン途中に[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団するが、来日直後に故障。復帰後も[[打率]].175と成績が振るわなかったが、レギュラーシーズン最終戦で満塁[[本塁打]]を放ったのが効いたのか「鍛えれば使える」と判断され残留した。


{{by|1997年}}シーズン途中に[[日本プロ野球|NPB]]の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団するが、入団直後に故障。復帰後も[[打率]].175と成績が振るわなかったが、レギュラーシーズン最終戦で満塁[[本塁打]]を放ったのが効いたのか「鍛えれば使える」と判断され残留した。
{{by|1998年}}も9月まではまともな働きがなかったが、[[代打]]でこの年の初本塁打を放つと調子を挙げ、[[9月25日]]の対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]戦で監督の[[東尾修]]はこの年苦手としていた相手左腕・[[真木将樹]]対策のため、ペンバートンを4番に大抜擢した。そしてこの試合で1本塁打を含む5[[打点]]の大暴れでチームを調子づかせた。その後も相手投手が左腕の際にはしばしば4番に座った。


{{by|1998年}}も9月まではまともな働きがなかったが、[[代打]]でこの年の初本塁打を放つと調子を挙げ、9月25日の対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]戦で監督の[[東尾修]]はこの年苦手としていた相手左腕・[[真木将樹]]対策のため、ペンバートンを4番に大抜擢した。そしてこの試合で1本塁打を含む5[[打点]]の大暴れでチームを調子づかせた。その後も相手投手が左腕の際にはしばしば4番に座った。
[[横浜ベイスターズ]]との[[1998年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で4番打者として[[打席]]に立ち、横浜投手陣に抑えられる中ただ一人打撃で気吐いた。[[五十嵐英樹]]を完全攻略するなど、強烈な印象こそ残したが、守備の不安もありこの年オフに解雇された。


[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]との[[1998年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第1戦に4番を務めた。第5戦では敗色濃厚な中、[[五十嵐英樹]]相手代打ホームランを放ち強烈な印象こそ残したが、守備の不安もありこの年オフに解雇された。
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{{by|1999年}}は[[マイナーリーグ]]([[セントルイス・カージナルス]]傘下のAAA級[[メンフィス・レッドバーズ]]など)、{{by|2000年}}から{{by|2005年}}までは[[メキシカンリーグ]]でプレー{{by|2002年}}シーズン途中、退団した[[ウォーレン・ニューソン]]の代役として[[韓国野球委員会|KBO]]の[[起亜タイガース]]と契約したが、同年限り退団した。起亜在籍時の2002年8月20日、対[[三星ライオンズ]]戦で[[林昌勇]]から腕に死球を受けた際、激昂し審判と喧嘩したため退場を命ぜられた。{{by|2006年}}4月22日に[[中華職業棒球大聯盟|CPBL]]の[[米迪亜ティー・レックス|誠泰コブラズ]]と契約するも、体調不良により5月30日に退団し、同年限りで現役引退。
しかしながら、[[小林亮寛]]のブログによれば[[2010年]]現在[[メキシコ]]でプレーしているとが確認され

その後、[[小林亮寛]]のブログに{{by|2010年}}現在[[メキシコ]]でプレーしているという記事掲載されたが、後に小林の勘違だったことが判明し該当の記事も削除された


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
=== 年度別打撃成績 ===
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=== 年度別守備成績 ===
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|style="text-align:center;"|1995
|style="text-align: center; white-space:nowrap;"|DET
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!colspan="2"|MLB
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|}
|}


=== 記録 ===
=== 記録 ===
; NPB
; NPB
* 初出場:1997年7月15日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦([[福岡ドーム]])
* 初出場・初先発出場:1997年7月15日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]14回戦([[福岡ドーム]])、6番・左翼手で先発出場、4打数1安打
* 初本塁打:1997年10月12日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]27回戦([[西武ドーム|西武ライオンズ球場]])、7回裏に[[渡部高史]]から満塁本塁打


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
98行目: 122行目:
* '''44''' (1997年 - 同年途中)
* '''44''' (1997年 - 同年途中)
* '''42''' (1997年途中 - 1998年)
* '''42''' (1997年途中 - 1998年)
* '''50''' (2002年)
* '''26''' (2006年)
* '''26''' (2006年)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 P]]
* [[ドミニカ共和国出身のメジャーリーグベースボール選手一覧]]
* [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]]
* [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]]
* [[中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#ドミニカ共和国]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://www.statiz.co.kr/index.php?mid=player&name=%ED%8E%A8%EB%B2%84%ED%8A%BC&birth=1969-12-17 statiz.co.kr(KBOでの成績)]
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* [http://www.cpbl.com.tw/Personal_Rec/pbat_personal.aspx?Pno=G083&Role=1&Gno=01 中華職業棒球大聯盟(柏頓)]


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2021年3月26日 (金) 08:27時点における最新版

ルディ・ペンバートン
Rudy Pemberton
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1969-12-17) 1969年12月17日(54歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1987年 アマチュア・フリーエージェントとしてデトロイト・タイガースと契約
初出場 MLB / 1995年4月26日
NPB / 1997年7月15日
KBO / 2002年
CPBL / 2006年4月29日
最終出場 MLB / 1997年6月2日
NPB / 1998年10月26日
KBO / 2002年
CPBL / 2006年5月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ルディ・ヘクター・ペンバートン・ペレスRudy Héctor Pemberton Pérez, 1969年12月17日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手外野手)。韓国球界での登録名は、펨버튼。台湾球界での登録名は、柏頓

経歴

[編集]

1987年デトロイト・タイガースと契約し、1995年4月26日にメジャーデビュー。翌1996年ボストン・レッドソックスに移籍。

1997年シーズン途中にNPB西武ライオンズに入団するが、入団直後に故障。復帰後も打率.175と成績が振るわなかったが、レギュラーシーズン最終戦で満塁本塁打を放ったのが効いたのか「鍛えれば使える」と判断され残留した。

1998年も9月まではまともな働きがなかったが、代打でこの年の初本塁打を放つと調子を挙げ、9月25日の対近鉄バファローズ戦で監督の東尾修はこの年苦手としていた相手左腕・真木将樹対策のため、ペンバートンを4番に大抜擢した。そしてこの試合で1本塁打を含む5打点の大暴れでチームを調子づかせた。その後も相手投手が左腕の際にはしばしば4番に座った。

横浜ベイスターズとの日本シリーズでは第1戦に4番を務めた。第5戦では敗色濃厚な中、五十嵐英樹相手に代打ホームランを放ち強烈な印象こそ残したが、守備の不安もありこの年オフに解雇された。

1999年マイナーリーグセントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズなど)、2000年から2005年まではメキシカンリーグでプレー。2002年シーズン途中には、退団したウォーレン・ニューソンの代役としてKBO起亜タイガースと契約したが、同年限りで退団した。起亜在籍時の2002年8月20日、対三星ライオンズ戦で林昌勇から腕に死球を受けた際、激昂し審判と喧嘩したため退場を命ぜられた。2006年4月22日にCPBL誠泰コブラズと契約するも、体調不良により5月30日に退団し、同年限りで現役引退。

その後、小林亮寛のブログにて、2010年現在メキシコでプレーしているという記事が掲載されたが、後に小林の勘違いだったことが判明し該当の記事も削除された。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1995 DET 12 32 30 3 9 3 1 0 14 3 0 0 0 0 1 0 1 5 3 .300 .344 .467 .810
1996 BOS 13 45 41 11 21 8 0 1 32 10 3 1 0 0 2 0 2 4 0 .512 .556 .780 1.336
1997 27 70 63 8 15 2 0 2 23 10 0 0 0 0 4 0 3 13 0 .238 .314 .365 .679
西武 25 70 63 3 11 5 0 1 19 5 2 1 0 0 6 0 1 17 2 .175 .257 .302 .559
1998 38 82 69 10 19 0 0 5 34 15 2 0 0 1 10 1 2 16 0 .275 .378 .493 .871
2002 起亜 75 316 271 28 69 13 1 11 117 48 2 1 0 3 23 3 19 56 6 .255 .351 .432 .783
2006 誠泰 15 57 52 5 14 2 0 4 28 13 0 0 0 1 2 0 2 9 2 .269 .316 .538 .854
MLB:3年 52 147 134 22 45 13 1 3 69 23 3 1 0 0 7 0 6 22 3 .336 .395 .515 .909
NPB:2年 63 152 132 13 30 5 0 6 53 20 4 1 0 1 16 1 3 33 2 .227 .322 .402 .724
KBO:1年 75 316 271 28 69 13 1 11 117 48 2 1 0 3 23 3 19 56 6 .255 .351 .432 .783
CPBL:1年 15 57 52 5 14 2 0 4 28 13 0 0 0 1 2 0 2 9 2 .269 .316 .538 .854

年度別守備成績

[編集]


左翼(LF) 右翼(RF)
























1995 DET 6 10 0 0 0 1.000 2 5 0 0 0 1.000
1996 BOS 1 1 0 0 0 1.000 12 8 0 0 0 1.000
1997 - 23 35 2 2 1 .949
MLB 7 11 0 0 0 1.000 37 48 2 2 1 .962

記録

[編集]
NPB

背番号

[編集]
  • 18 (1995年)
  • 53 (1996年)
  • 44 (1997年 - 同年途中)
  • 42 (1997年途中 - 1998年)
  • 50 (2002年)
  • 26 (2006年)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]