コンテンツにスキップ

「サルテーニャ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 新しく投稿された写真を追加
Shooke (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
 
(8人の利用者による、間の10版が非表示)
1行目: 1行目:
[[画像:Saltena4 lg.JPG|thumb|240px|サルテーニャ]]
[[画像:Salteñas (Plaza Mayor)-2011-01.JPG|thumb|240px|サルテーニャ]]

[[画像:Salteña boliviana.jpg|thumb|240px|卵を塗ってつやを出したもの]]
'''サルテーニャ''' ('''Salteña''') は、[[ボリビア]]で主に朝食に供される[[惣菜パン]]の一種。[[小麦粉]]で作った生地で[[牛肉]]や[[鶏肉]]を細切れにしたものなどの具材をくるみ、[[オーブン]]で焼いたもの。大きさは10cm前後で、形状は[[餃子]]に似ている。
'''サルテーニャ''' ('''Salteña''') は、[[ボリビア]]で主に朝食に供される[[パナーダ]]の一種。[[小麦粉]]で作った生地で[[牛肉]]や[[鶏肉]]を細切れにしたものなどの具材をくるみ、[[オーブン]]で焼いたもの。大きさは10cm前後で、形状は[[餃子]]に似ている。


== 地域 ==
== 地域 ==
ボリビア南部の[[タリハ]]が発祥であるが、現在は[[アンデス山脈|アンデス]]地域を主にボリビア各地で食べられている。特に[[コチャバンバ]]、[[スクレ]]、[[ラパス]]では人気が高く、早朝に公園や道ばたで作り立てのサルテーニャを販売しているが正午までには売り切れていることがほとんどである。
ボリビア南部の[[タリハ]]が発祥であるが、現在は[[アンデス山脈|アンデス]]地域を中心とした全国各地で食れている。特に[[コチャバンバ]]、[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]、[[ラパス]]では人気が高く、早朝に公園や道ばたで作り立てを販売しているが正午までには売り切れていることがほとんどである。


ボリビア以外では、[[アルゼンチン]]、[[ブラジル]]、[[ペルー]]、[[チリ]]などでも販売されているのを見かけることがある。
ボリビア以外では、[[アルゼンチン]]、[[ブラジル]]、[[ペルー]]、[[チリ]]などでも販売されている。


== 作り方 ==
== 作り方 ==
12行目: 12行目:


具材は、地方や作る人によって変わるが、次のものが入ることが多い。
具材は、地方や作る人によって変わるが、次のものが入ることが多い。
* 肉または鶏肉
* 肉または鶏肉
* [[タマネギ]]
* [[タマネギ]]
* [[ジャガイモ]]
* [[ジャガイモ]]
24行目: 24行目:


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[画像:Juana Manuela Gorriti.jpg|thumb|160px|フアナ・マヌエラ・ゴリティ]]
[[ファイル:Juana Manuela Gorriti.png|サムネイル|176x176ピクセル|フアナ・マヌエラ・ゴリティ]]
ボリビアの歴史家であるアントニオ・パレデス・カンディアによると、アルゼンチン人[[作家]]である[[フアナ・マヌエラ・ゴリティ]]によって1900年代初頭に作られたのが最初のサルテーニャである。彼女はアルゼンチンの[[サルタ州]](ボリビアのタリハ県と接している州)で生まれ、[[フアン・マヌエル・ロサス]]の[[独裁]]を逃れて家族とともにタリハに移り住んだ。彼女は貧乏に苦しんだが、当時[[ヨーロッパ]]にあった惣菜パンをまねたものを作って売ったところ、大変人気が出た。サルテーニャとは[[スペイン語]]で「サルタ出身の(人や物)」という意味の言葉であるが、ゴリティの作ったパンはサルテーニャという愛称で親しまれた。なお、ゴリティは後に[[マヌエル・イシドロ・ベルス]][[大統領]]と結婚した。
ボリビアの歴史家であるアントニオ・パレデス・カンディアによると、[[アルゼンチン人]][[作家]]である[[フアナ・マヌエラ・ゴリティ]]によって1900年代初頭に作られたのが最初のサルテーニャである。彼女はアルゼンチンの[[サルタ州]](ボリビアのタリハ県と接している州)で生まれ、[[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]の[[独裁]]を逃れて家族とともにタリハに移り住んだ。彼女は貧乏に苦しんだが、当時[[ヨーロッパ]]にあった惣菜パンをまねたものを作って売ったところ、大変人気が出た。サルテーニャとは[[スペイン語]]で「サルタ出身の(人や物)」という意味の言葉であるが、ゴリティの作ったパンはサルテーニャという愛称で親しまれた。なお、ゴリティは後に[[マヌエル・イシドロ・ベルス]][[大統領]]と結婚した。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
33行目: 33行目:
[[Category:ボリビアの食文化]]
[[Category:ボリビアの食文化]]
[[Category:パン]]
[[Category:パン]]
[[es:Salteña]]
[[en:Salteñas]]
[[pt:Saltenha]]

2021年6月15日 (火) 03:17時点における最新版

サルテーニャ

サルテーニャ (Salteña) は、ボリビアで主に朝食に供されるエンパナーダの一種。小麦粉で作った生地で牛肉鶏肉を細切れにしたものなどの具材をくるみ、オーブンで焼いたもの。大きさは10cm前後で、形状は餃子に似ている。

地域[編集]

ボリビア南部のタリハが発祥であるが、現在はアンデス地域を中心とした全国各地で食されている。特にコチャバンバスクレラパスでは人気が高く、早朝に公園や道ばたで作り立てを販売しているが正午までには売り切れていることがほとんどである。

ボリビア以外では、アルゼンチンブラジルペルーチリなどでも販売されている。

作り方[編集]

生地は小麦粉に鶏卵砂糖ラードを混ぜて作る。このため、黄色い。焼く際に表面に卵を塗ってつやを出すこともある。

具材は、地方や作る人によって変わるが、次のものが入ることが多い。

オリーブの実以外はいずれも数ミリから1センチ程度の大きさに切り刻んでおく。これらに、パプリカクミンオレガノなどの香辛料を入れて茹で、砂糖などで味を付ける。ゼラチンを溶かして具材に加え、一度冷やして固まりを作る。

厚めの生地で具材を包んでつなぎ目をつまんできっちりと閉じ、オーブンで焼き、暖かい内に食べる。この際、ゼラチンが中で溶け、サルテーニャをかじると汁がたっぷり入った具材が出てくることになる。

好みに応じて、具材にアヒ・アマリージョなどの辛い香辛料を使ったり、逆にレーズンなどの甘いものを入れることもある。

歴史[編集]

フアナ・マヌエラ・ゴリーティ

ボリビアの歴史家であるアントニオ・パレデス・カンディアによると、アルゼンチン人作家であるフアナ・マヌエラ・ゴリーティによって1900年代初頭に作られたのが最初のサルテーニャである。彼女はアルゼンチンのサルタ州(ボリビアのタリハ県と接している州)で生まれ、フアン・マヌエル・デ・ロサス独裁を逃れて家族とともにタリハに移り住んだ。彼女は貧乏に苦しんだが、当時ヨーロッパにあった惣菜パンをまねたものを作って売ったところ、大変人気が出た。サルテーニャとはスペイン語で「サルタ出身の(人や物)」という意味の言葉であるが、ゴリーティの作ったパンはサルテーニャという愛称で親しまれた。なお、ゴリーティは後にマヌエル・イシドロ・ベルス大統領と結婚した。

外部リンク[編集]