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「エリス・バークス」の版間の差分

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|最終出場 = 2004年10月2日
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* [[ボストン・レッドソックス]](1987 - 1992)
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* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]](1998 - 2000)
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]] (1998 - 2000)
* [[クリーランド・インディアン]](2001 - 2003)
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* ボストン・レッドソックス(2004)
* ボストン・レッドソックス (2004)
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'''エリス・レナ・バークス'''('''Ellis Rena Burks''', [[1964年]][[9月11日]] - )は、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の元選手。ポジションは[[外野手]]・[[指名打者]]。[[アメリカ合衆国]][[ミシシッピ州]][[ヴィックスバーグ (ミシシッピ州)|ヴィックスバーグ]]出身。
'''エリス・レナ・バークス'''('''Ellis Rena Burks''', [[1964年]][[9月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ミシシッピ州]][[ヴィックスバーグ (ミシシッピ州)|ヴィックスバーグ]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[指名打者]])


[[日本プロ野球|NPB]][[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]でもプレイした[[ルーズベルト・ブラウン|ルーズヴェルト・ブラウン]]は従兄弟にあたる。
[[日本プロ野球|NPB]][[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]でもプレイした[[ルーズベルト・ブラウン]]は従兄弟にあたる。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== ボストン・レッドソックス ===
=== レッドソックス時代 ===
{{by|1983年}}1月の[[MLBドラフト]]で[[ボストン・レッドソックス]]から1巡目(全体20位)に指名を受け入団。{{by|1987年}}[[4月30日]]の[[シアトル・マリナーズ]]戦でメジャーデビュー。1番・中堅のレギュラーに定着し、[[6月10日]]の[[ボルティモア・オリオールズ]]戦で満塁本塁打を含む2本塁打7打点を記録。打率.272・20本塁打・59打点・27盗塁の好成績を残したが、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]の投票では票を獲得できなかった。{{by|1988年}}は打率.294・18本塁打・92打点・25盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。[[オークランド・アスレティックス]]との[[1988年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では打率.235と振るわず、チームは4連敗で敗退した。{{by|1989年}}は故障の影響で97試合の出場に留まるものの打率.303・21盗塁を記録。{{by|1990年}}は[[1990年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に初選出される。打率.296・21本塁打・89打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。アスレティックスとの[[1990年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では本塁打・打点共に0。チームは4試合続けて1点しか奪えず、またも4連敗で敗退した。オフに[[シルヴァースラッガー賞]]、キャリア唯一の[[ゴールドグラ賞]]を受賞。{{by|1991年}}は打率.251・14本塁打と平凡な成績に終わる。{{by|1992年}}は故障で[[6月24日]]を最後に離脱して66試合の出場に留まり、オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となった。
{{by|1983年}}1月の[[MLBドラフト]]で[[ボストン・レッドソックス]]から1巡目(全体20位)に指名を受け入団。{{by|1987年}}4月30日の[[シアトル・マリナーズ]]戦でメジャーデビュー。1番・[[中堅手]]」のレギュラーに定着し、6月10日の[[ボルモア・オリオールズ]]戦で[[満塁本塁打]]を含む2本塁打7打点を記録。打率.272・20本塁打・59打点・27盗塁の好成績を残したが、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]の投票では票を獲得できなかった。{{by|1988年}}は打率.294・18本塁打・92打点・25盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。[[オークランド・アスレティックス]]との[[1988年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では打率.235と振るわず、チームは4連敗で敗退した。{{by|1989年}}は故障の影響で97試合の出場に留まるものの打率.303・21盗塁を記録。{{by|1990年}}は[[1990年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に初選出される。打率.296・21本塁打・89打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。アスレティックスとの[[1990年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では本塁打・打点共に0。チームは4試合続けて1点しか奪えず、またも4連敗で敗退した。オフに[[シルースラッガー賞]]、キャリア唯一の[[ゴールドグラ賞]]を受賞。{{by|1991年}}は打率.251・14本塁打と平凡な成績に終わる。{{by|1992年}}は故障で6月24日を最後に離脱して66試合の出場に留まり、オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となった。


=== シカゴ・ホワイトソックス ===
=== ホワイトソックス時代 ===
{{by|1993年}}[[1月4日]]に[[シカゴ・ホワイトソックス]]と契約。同年は[[右翼手]]として大きな故障もなくプレイして打率.275・17本塁打を記録し、チームは10年ぶりの地区優勝を果たす。[[トロント・ブルージェイズ]]との[[1993年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第5戦で本塁打を放つなど打率.304を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに再びフリーエージェントとなり、[[11月30日]]に創設間もない[[コロラド・ロッキーズ]]と契約。
{{by|1993年}}1月4日に[[シカゴ・ホワイトソックス]]と契約。同年は[[右翼手]]として大きな故障もなくプレイして打率.275・17本塁打を記録し、チームは10年ぶりの地区優勝を果たす。[[トロント・ブルージェイズ]]との[[1993年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第5戦で本塁打を放つなど打率.304を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに再びフリーエージェントとなり、11月30日に創設間もない[[コロラド・ロッキーズ]]と契約。


=== コロラド・ロッキーズ ===
=== ロッキーズ時代 ===
{{by|1994年}}は4月に打率.413・9本塁打を記録し、[[プレイヤー・オブ・ザ・マンス]]を受賞するなど好調な滑り出しだったが、故障で5月中旬に離脱。7月末に復帰したが、間もなく[[1994年から1995年のMLBストライキ]]に突入。そのままシーズンが打ち切られたため42試合の出場に終わった。新球場[[クアーズ・フィールド]]が開場した{{by|1995年}}は打率.266・14本塁打と平凡な数字だったが、チームは[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]を獲得し、球団創設3年目にしてポストシーズン進出。[[アトランタ・ブレース]]との[[1995年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦で2打点を挙げるなど活躍するが、チームは1勝3敗で敗退した。{{by|1996年}}は前半戦で打率.341・22本塁打・72打点を記録し、6年ぶりに[[1996年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。[[9月17日]]の[[ロサンゼルス・ドジャース]]戦で、チームが[[野茂英雄]]に[[ノーヒッー]]を喫した際に最後の打者となった。リーグ2位の打率.344<ref>規定打席到達者では1位だったが、規定打席に4打席不足の[[トニー・グウィン]]が.353を記録し、4打席を凡打と計算しても.349となるため[[首位打者 (MLB)|首位打者]]となった。</ref>・40本塁打・128打点・211安打・32盗塁、いずれもリーグトップの142得点・長打率.639・392塁打を記録。チームメイトの[[ダンテ・ビシェット]]と共に「'''[[30-30クラブ|30-30]]'''」(30本塁打30盗塁)を達成し、[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]の投票で3位に入った。{{by|1997年}}は5月中旬まで打率が.200前後と低調で、6月末から故障で1ヶ月離脱。復帰後は調子を上げ、打率.290・32本塁打を記録した。{{by|1998年}}[[7月31日]]に3選手との交換トレードで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]に移籍。
{{by|1994年}}は4月に打率.413・9本塁打を記録し、[[プレイヤー・オブ・ザ・マンス]]を受賞するなど好調な滑り出しだったが、故障で5月中旬に離脱。7月末に復帰したが、間もなく[[1994年から1995年のMLBストライキ]]に突入。そのままシーズンが打ち切られたため42試合の出場に終わった。新球場[[クアーズ・フィールド]]が開場した{{by|1995年}}は打率.266・14本塁打と平凡な数字だったが、チームは[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]を獲得し、球団創設3年目にしてポストシーズン進出。[[アトランタ・ブレース]]との[[1995年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディジョンシリーズ]]では第1戦で2打点を挙げるなど活躍するが、チームは1勝3敗で敗退した。{{by|1996年}}は前半戦で打率.341・22本塁打・72打点を記録し、6年ぶりに[[1996年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。9月17日の[[ロサンゼルス・ドジャース]]戦で、チームが[[野茂英雄]]に[[ノーヒットノラン]]を喫した際に最後の打者となった。リーグ2位の打率.344<ref>規定打席到達者では1位だったが、規定打席に4打席不足の[[トニー・グウィン]]が.353を記録し、4打席を凡打と計算しても.349となるため[[首位打者 (MLB)|首位打者]]となった。</ref>・40本塁打・128打点・211安打・32盗塁、いずれもリーグトップの142得点・長打率.639・392塁打を記録。チームメイトの[[ダンテ・ビシェット]]と共に「'''[[30-30クラブ|30-30]]'''」(30本塁打30盗塁)を達成し、[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]の投票で3位に入った。{{by|1997年}}は5月中旬まで打率が.200前後と低調で、6月末から故障で1ヶ月離脱。復帰後は調子を上げ、打率.290・32本塁打を記録した。{{by|1998年}}7月31日に3選手との交換トレードで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]に移籍。


=== サンフランシスコ・ジャイアンツ ===
=== ジャイアンツ時代 ===
移籍後は打率.306を記録。チームはワイルドカード争いで[[シカゴ・カブス]]と同率で並んだが、ワイルドカード決定戦で敗れポストシーズン進出を逃した。{{by|1999年}}は[[6月29日]]の古巣ロッキーズ戦で2本塁打7打点。120試合の出場ながら31本塁打・96打点を記録した。新球場[[AT&Tパーク|パシフィックベル・パーク]]が開場した{{by|2000年}}は故障がちだったが開幕から好調を維持し、前半戦で打率.363を記録。規定打席不足ながら打率.344・24本塁打・96打点の好成績でチームの地区優勝に貢献。[[ニューヨーク・メッツ]]との[[2000年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦で[[マイク・ハンプトン]]から本塁打を放ち勝利するがその後は振るわず、チームも1勝3敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、[[11月19日]]に[[クリーランド・インディアン]]と契約。
移籍後は打率.306を記録。チームはワイルドカード争いで[[シカゴ・カブス]]と同率で並んだが、ワイルドカード決定戦で敗れポストシーズン進出を逃した。{{by|1999年}}は6月29日の古巣ロッキーズ戦で2本塁打7打点。120試合の出場ながら31本塁打・96打点を記録した。新球場[[オラクル・パーク|パシフィックベル・パーク]]が開場した{{by|2000年}}は故障がちだったが開幕から好調を維持し、前半戦で打率.363を記録。規定打席不足ながら打率.344・24本塁打・96打点の好成績でチームの地区優勝に貢献。[[ニューヨーク・メッツ]]との[[2000年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディジョンシリーズ]]では第1戦で[[マイク・ハンプトン]]から本塁打を放ち勝利するがその後は振るわず、チームも1勝3敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、11月19日に[[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアン]]と契約。


=== クリーヴランド・インディアン ===
=== インディアンス時代 ===
{{by|2001年}}は[[6月19日]]の[[ミネソタ・ツインズ]]戦でキャリア初の1試合3本塁打を放つなど前半戦で21本塁打。後半戦はやや調子を落としたものの打率.280・28本塁打・74打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。マリナーズとの[[2001年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦で本塁打を放つなど打率.316を記録するが、チームは2勝3敗で敗退した。{{by|2002年}}は後半戦で打率.339と調子を上げ、打率.301・32本塁打・91打点の好成績で[[エドガー・マルティネス賞|最優秀指名打者賞]]を受賞した。{{by|2003年}}は[[6月7日]]を最後に離脱して55試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。
{{by|2001年}}は6月19日の[[ミネソタ・ツインズ]]戦でキャリア初の1試合3本塁打を放つなど前半戦で21本塁打。後半戦はやや調子を落としたものの打率.280・28本塁打・74打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。マリナーズとの[[2001年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディジョンシリーズ]]では第1戦で本塁打を放つなど打率.316を記録するが、チームは2勝3敗で敗退した。{{by|2002年}}は後半戦で打率.339と調子を上げ、打率.301・32本塁打・91打点の好成績で[[エドガー・マルティネス賞|最優秀指名打者賞]]を受賞した。{{by|2003年}}は6月7日を最後に離脱して55試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。


=== 以後 ===
=== 以後 ===
{{by|2004年}}[[2月6日]]に古巣レッドソックスと契約。11試合の出場で打率.182・1本塁打に終わる。チームはワイルドカードから18年ぶりのリーグ優勝を果たし、[[2004年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]で[[セントルイス・カーディナルス]]を下して86年ぶりのワールドチャンピオンとなったが、ポストシーズンのロースター入りはできなかった。同年限りで現役引退。
{{by|2004年}}2月6日に古巣レッドソックスと契約。11試合の出場で打率.182・1本塁打に終わる。チームはワイルドカードから18年ぶりのリーグ優勝を果たし、[[2004年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]で[[セントルイス・カーナルス]]を下して86年ぶりのワールドチャンピオンとなったが、ポストシーズンのロースター入りはできなかった。同年限りで現役引退。


{{by|2005年}}にインディアンの[[ゼネラルマネージャー|GM]]補佐に就任した。
{{by|2005年}}にインディアンの[[ゼネラルマネージャー|GM]]補佐に就任した。


== 詳細情報 ==
== 獲得タイトル・表彰・記録==
=== 年度別打撃成績 ===
* シルヴァースラッガー賞 2回:1990年, 1996年
{| {{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
* ゴールドグラヴ賞 1回:1990年
* 最優秀指名打者賞 1回:2002年
* [[MLBオールスターゲーム]]選出 2回:1990年, 1996年
* プレイヤー・オブ・ザ・マンス 1回:1994年4月

== 年度別打撃成績 ==
{|{{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1987}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1987}}
|rowspan="6" style="text-align:center;"|[[ボストン・レッドソックス|BOS]]
|rowspan="6" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[ボストン・レッドソックス|BOS]]
|133||606||558||94||152||30||2||20||246||59||27||6||4||1||41||0||2||98||1||.272||.324||.441||.765
|133||606||558||94||152||30||2||20||246||59||27||6||4||1||41||0||2||98||1||.272||.324||.441||.765
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1988}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1988}}
|144||615||540||93||159||37||5||18||260||92||25||9||4||6||62||1||3||89||8||.294||.367||.481||.848
|144||615||540||93||159||37||5||18||260||92||25||9||4||6||62||1||3||89||8||.294||.367||.481||.848
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1989}}
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|97||446||399||73||121||19||6||12||188||61||21||5||2||4||36||2||5||52||8||.303||.365||.471||.836
|97||446||399||73||121||19||6||12||188||61||21||5||2||4||36||2||5||52||8||.303||.365||.471||.836
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1990}}
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|152||641||588||89||174||33||8||21||286||89||9||11||2||2||48||4||1||82||18||.296||.349||.486||.835
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|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1991}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1991}}
|130||524||474||56||119||33||3||14||200||56||6||11||2||3||39||2||6||81||7||.251||.314||.422||.736
|130||524||474||56||119||33||3||14||200||56||6||11||2||3||39||2||6||81||7||.251||.314||.422||.736
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1992}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1992}}
|66||263||235||35||60||8||3||8||98||30||5||2||0||2||25||2||1||48||5||.255||.327||.417||.744
|66||263||235||35||60||8||3||8||98||30||5||2||0||2||25||2||1||48||5||.255||.327||.417||.744
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1993}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1993}}
|style="text-align:center;"|[[シカゴ・ホワイトソックス|CWS]]
|style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[シカゴ・ホワイトソックス|CWS]]
|146||574||499||75||137||24||4||17||220||74||6||9||3||8||60||2||4||97||11||.275||.352||.441||.793
|146||574||499||75||137||24||4||17||220||74||6||9||3||8||60||2||4||97||11||.275||.352||.441||.793
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1994}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1994}}
|rowspan="5" style="text-align:center;"|[[コロラド・ロッキーズ|COL]]
|rowspan="5" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[コロラド・ロッキーズ|COL]]
|42||165||149||33||48||8||3||13||101||24||3||1||0||0||16||3||0||39||3||.322||.388||.678||1.066
|42||165||149||33||48||8||3||13||101||24||3||1||0||0||16||3||0||39||3||.322||.388||.678||1.066
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1995}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1995}}
|103||321||278||41||74||10||6||14||138||49||7||3||1||1||39||0||2||72||7||.266||.359||.496||.855
|103||321||278||41||74||10||6||14||138||49||7||3||1||1||39||0||2||72||7||.266||.359||.496||.855
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1996}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1996}}
|156||685||613||'''142'''||211||45||8||40||'''392'''||128||32||6||3||2||61||2||6||114||19||.344||.408||'''.639'''||1.047
|156||685||613||'''142'''||211||45||8||40||'''392'''||128||32||6||3||2||61||2||6||114||19||.344||.408||'''.639'''||1.047
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1997}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1997}}
|119||477||424||91||123||19||2||32||242||82||7||2||1||2||47||0||3||75||17||.290||.363||.571||.934
|119||477||424||91||123||19||2||32||242||82||7||2||1||2||47||0||3||75||17||.290||.363||.571||.934
|-
|-
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|100||405||357||54||102||22||5||16||182||54||3||7||2||5||39||0||2||80||10||.286||.355||.510||.865
|100||405||357||54||102||22||5||16||182||54||3||7||2||5||39||0||2||80||10||.286||.355||.510||.865
|-
|-
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|42||177||147||22||45||6||1||5||68||22||8||1||4||4||19||1||3||31||2||.306||.387||.463||.850
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|-style="background-color:#f2f2f2"
|- style="background-color: #f2f2f2;"
!style="text-align:center;"|'98計
!style="text-align: center;"|'98計
|142||582||504||76||147||28||6||21||250||76||11||8||6||9||58||1||5||111||12||.292||.365||.496||.861
|142||582||504||76||147||28||6||21||250||76||11||8||6||9||58||1||5||111||12||.292||.365||.496||.861
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1999}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1999}}
|120||469||390||73||110||19||0||31||222||96||7||5||0||4||69||2||6||86||11||.282||.394||.569||.963
|120||469||390||73||110||19||0||31||222||96||7||5||0||4||69||2||6||86||11||.282||.394||.569||.963
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2000}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
|122||458||393||74||135||21||5||24||238||96||5||1||0||8||56||5||1||49||10||.344||.419||.606||1.025
|122||458||393||74||135||21||5||24||238||96||5||1||0||8||56||5||1||49||10||.344||.419||.606||1.025
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2001}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2001}}
|rowspan="3" style="text-align:center;"|[[クリーブランド・インディアン|CLE]]
|rowspan="3" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[クリーブランド・ガーディアン|CLE]]
|124||515||439||83||123||29||1||28||238||74||5||1||0||9||62||2||5||85||16||.280||.369||.542||.911
|124||515||439||83||123||29||1||28||238||74||5||1||0||9||62||2||5||85||16||.280||.369||.542||.911
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2002}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2002}}
|138||570||518||92||156||28||0||32||280||91||2||3||1||1||44||3||6||108||13||.301||.362||.541||.903
|138||570||518||92||156||28||0||32||280||91||2||3||1||1||44||3||6||108||13||.301||.362||.541||.903
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2003}}
|55||228||198||27||52||11||1||6||83||28||1||1||0||0||27||2||3||46||4||.263||.360||.419||.779
|55||228||198||27||52||11||1||6||83||28||1||1||0||0||27||2||3||46||4||.263||.360||.419||.779
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2004}}
|style="text-align:center;"|BOS
|style="text-align: center; white-space:nowrap;"|BOS
|11||37||33||6||6||0||0||1||9||1||2||0||0||0||3||0||1||8||1||.182||.270||.273||.543
|11||37||33||6||6||0||0||1||9||1||2||0||0||0||3||0||1||8||1||.182||.270||.273||.543
|-
|-
!colspan="2"|通算:18年
!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:18年
|2000||8176||7232||1253||2107||402||63||352||3691||1206||181||84||29||62||793||33||60||1340||171||.291||.363||.510||.873
|2000||8176||7232||1253||2107||402||63||352||3691||1206||181||84||29||62||793||33||60||1340||171||.291||.363||.510||.873
|}
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高

=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[左翼手|左翼(LF)]]!!colspan="6"|[[中堅手|中堅(CF)]]!!colspan="6"|[[右翼手|右翼(RF)]]
|-style="line-height:1.25em; text-align:center;"
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率
|-
|style="text-align:center;"|1987
|rowspan="6" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|BOS
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||132||320||'''15'''||4||2||.988||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1988
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||142||370||9||'''9'''||0||.977||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1989
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||95||244||7||6||3||.977||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|'''1990'''
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||143||325||7||2||0||'''.994'''||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1991
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||126||283||2||2||1||.993||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1992
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||63||122||3||2||0||.984||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1993
|style="text-align: center; white-space:nowrap;"|CWS
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||21||48||2||0||0||1.000||132||264||4||6||1||.978
|-
|style="text-align:center;"|1994
|rowspan="5" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|COL
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||39||77||2||3||0||.963||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1995
|23||27||1||2||0||.933||65||131||2||3||0||.978||1||0||0||0||0||----
|-
|style="text-align:center;"|1996
|129||209||4||5||1||.977||32||64||2||0||1||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|1997
|66||53||3||2||0||.966||89||151||3||2||1||.987||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|rowspan="2" style="text-align:center;"|1998
|45||45||0||3||0||.938||78||141||5||2||0||.986||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|rowspan="4" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|SF
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||36||72||1||1||0||.986||10||18||0||0||0||1.000
|- style="background-color: #f2f2f2;"
!style="text-align:center;"|'98計
|45||45||0||3||0||.938||114||213||6||3||0||.986||10||18||0||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|1999
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-||107||210||3||2||2||.991
|-
|style="text-align:center;"|2000
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-||108||214||4||4||1||.982
|-
|style="text-align:center;"|2001
|rowspan="3" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|CLE
|18||21||2||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-||2||4||0||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2002
|6||7||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
|style="text-align:center;"|2003
|2||5||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
!colspan="2"|MLB
|289||367||10||12||1||.969||1061||2348||60||36||8||.985||360||710||11||12||4||.984
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字年'''は[[ゴールドグラブ賞]]受賞

=== 表彰 ===
* [[シルバースラッガー賞]]([[シルバースラッガー賞受賞者一覧 (外野手)|外野手部門]]):2回(1990年、1996年)
* [[ゴールドグラブ賞]]([[ゴールドグラブ賞受賞者一覧 (外野手)|外野手部門]]):1回(1990年)
* [[エドガー・マルティネス賞|最優秀指名打者賞]]:1回(2002年)
* [[プレイヤー・オブ・ザ・マンス|月間MVP]]:1回(1994年4月)

=== 記録 ===
* [[MLBオールスターゲーム]]選出:2回([[1990年のMLBオールスターゲーム|1990年]]、[[1996年のMLBオールスターゲーム|1996年]])

=== 背番号 ===
* '''12'''(1987年 - 1992年)
* '''26'''(1993年 - 1998年途中)
* '''23'''(1998年途中 - 2003年)
* '''25'''(2004年)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
142行目: 224行目:


==外部リンク==
==外部リンク==
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<!--en:Ellis Burks 2007-08-28 13:24:00 UTC より翻訳。著者:MisfitToys 、Kbdank71 、Djrobgordon 、Masonpatriot 、Kbdank71 ほか-->

2021年12月16日 (木) 07:32時点における最新版

エリス・バークス
Ellis Burks
2007年3月5日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシシッピ州ヴィックスバーグ
生年月日 (1964-09-11) 1964年9月11日(59歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1983年 ドラフト1巡目
初出場 1987年4月30日
最終出場 2004年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

エリス・レナ・バークスEllis Rena Burks, 1964年9月11日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ヴィックスバーグ出身の元プロ野球選手外野手指名打者)。

NPBオリックス・ブルーウェーブでもプレイしたルーズベルト・ブラウンとは従兄弟にあたる。

レッドソックス時代

[ソースを編集]

1983年1月のMLBドラフトボストン・レッドソックスから1巡目(全体20位)に指名を受け入団。1987年4月30日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー。「1番・中堅手」のレギュラーに定着し、6月10日のボルチモア・オリオールズ戦で満塁本塁打を含む2本塁打・7打点を記録。打率.272・20本塁打・59打点・27盗塁の好成績を残したが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では票を獲得できなかった。1988年は打率.294・18本塁打・92打点・25盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。オークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.235と振るわず、チームは4連敗で敗退した。1989年は故障の影響で97試合の出場に留まるものの打率.303・21盗塁を記録。1990年オールスターゲームに初選出される。打率.296・21本塁打・89打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは本塁打・打点共に0。チームは4試合続けて1点しか奪えず、またも4連敗で敗退した。オフにシルバースラッガー賞、キャリア唯一のゴールドグラブ賞を受賞。1991年は打率.251・14本塁打と平凡な成績に終わる。1992年は故障で6月24日を最後に離脱して66試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。

ホワイトソックス時代

[ソースを編集]

1993年1月4日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。同年は右翼手として大きな故障もなくプレイして打率.275・17本塁打を記録し、チームは10年ぶりの地区優勝を果たす。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦で本塁打を放つなど打率.304を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに再びフリーエージェントとなり、11月30日に創設間もないコロラド・ロッキーズと契約。

ロッキーズ時代

[ソースを編集]

1994年は4月に打率.413・9本塁打を記録し、プレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど好調な滑り出しだったが、故障で5月中旬に離脱。7月末に復帰したが、間もなく1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られたため42試合の出場に終わった。新球場クアーズ・フィールドが開場した1995年は打率.266・14本塁打と平凡な数字だったが、チームはワイルドカードを獲得し、球団創設3年目にしてポストシーズン進出。アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第1戦で2打点を挙げるなど活躍するが、チームは1勝3敗で敗退した。1996年は前半戦で打率.341・22本塁打・72打点を記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。9月17日のロサンゼルス・ドジャース戦で、チームが野茂英雄ノーヒットノーランを喫した際に最後の打者となった。リーグ2位の打率.344[1]・40本塁打・128打点・211安打・32盗塁、いずれもリーグトップの142得点・長打率.639・392塁打を記録。チームメイトのダンテ・ビシェットと共に「30-30」(30本塁打30盗塁)を達成し、MVPの投票で3位に入った。1997年は5月中旬まで打率が.200前後と低調で、6月末から故障で1ヶ月離脱。復帰後は調子を上げ、打率.290・32本塁打を記録した。1998年7月31日に3選手との交換トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。

ジャイアンツ時代

[ソースを編集]

移籍後は打率.306を記録。チームはワイルドカード争いでシカゴ・カブスと同率で並んだが、ワイルドカード決定戦で敗れポストシーズン進出を逃した。1999年は6月29日の古巣ロッキーズ戦で2本塁打7打点。120試合の出場ながら31本塁打・96打点を記録した。新球場パシフィック・ベル・パークが開場した2000年は故障がちだったが開幕から好調を維持し、前半戦で打率.363を記録。規定打席不足ながら打率.344・24本塁打・96打点の好成績でチームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは第1戦でマイク・ハンプトンから本塁打を放ち勝利するがその後は振るわず、チームも1勝3敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、11月19日にクリーブランド・インディアンスと契約。

インディアンス時代

[ソースを編集]

2001年は6月19日のミネソタ・ツインズ戦でキャリア初の1試合3本塁打を放つなど前半戦で21本塁打。後半戦はやや調子を落としたものの打率.280・28本塁打・74打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。マリナーズとのディビジョンシリーズでは第1戦で本塁打を放つなど打率.316を記録するが、チームは2勝3敗で敗退した。2002年は後半戦で打率.339と調子を上げ、打率.301・32本塁打・91打点の好成績で最優秀指名打者賞を受賞した。2003年は6月7日を最後に離脱して55試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。

2004年2月6日に古巣レッドソックスと契約。11試合の出場で打率.182・1本塁打に終わる。チームはワイルドカードから18年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズセントルイス・カージナルスを下して86年ぶりのワールドチャンピオンとなったが、ポストシーズンのロースター入りはできなかった。同年限りで現役引退。

2005年にインディアンスのGM補佐に就任した。

詳細情報

[ソースを編集]

年度別打撃成績

[ソースを編集]
















































O
P
S
1987 BOS 133 606 558 94 152 30 2 20 246 59 27 6 4 1 41 0 2 98 1 .272 .324 .441 .765
1988 144 615 540 93 159 37 5 18 260 92 25 9 4 6 62 1 3 89 8 .294 .367 .481 .848
1989 97 446 399 73 121 19 6 12 188 61 21 5 2 4 36 2 5 52 8 .303 .365 .471 .836
1990 152 641 588 89 174 33 8 21 286 89 9 11 2 2 48 4 1 82 18 .296 .349 .486 .835
1991 130 524 474 56 119 33 3 14 200 56 6 11 2 3 39 2 6 81 7 .251 .314 .422 .736
1992 66 263 235 35 60 8 3 8 98 30 5 2 0 2 25 2 1 48 5 .255 .327 .417 .744
1993 CWS 146 574 499 75 137 24 4 17 220 74 6 9 3 8 60 2 4 97 11 .275 .352 .441 .793
1994 COL 42 165 149 33 48 8 3 13 101 24 3 1 0 0 16 3 0 39 3 .322 .388 .678 1.066
1995 103 321 278 41 74 10 6 14 138 49 7 3 1 1 39 0 2 72 7 .266 .359 .496 .855
1996 156 685 613 142 211 45 8 40 392 128 32 6 3 2 61 2 6 114 19 .344 .408 .639 1.047
1997 119 477 424 91 123 19 2 32 242 82 7 2 1 2 47 0 3 75 17 .290 .363 .571 .934
1998 100 405 357 54 102 22 5 16 182 54 3 7 2 5 39 0 2 80 10 .286 .355 .510 .865
SF 42 177 147 22 45 6 1 5 68 22 8 1 4 4 19 1 3 31 2 .306 .387 .463 .850
'98計 142 582 504 76 147 28 6 21 250 76 11 8 6 9 58 1 5 111 12 .292 .365 .496 .861
1999 120 469 390 73 110 19 0 31 222 96 7 5 0 4 69 2 6 86 11 .282 .394 .569 .963
2000 122 458 393 74 135 21 5 24 238 96 5 1 0 8 56 5 1 49 10 .344 .419 .606 1.025
2001 CLE 124 515 439 83 123 29 1 28 238 74 5 1 0 9 62 2 5 85 16 .280 .369 .542 .911
2002 138 570 518 92 156 28 0 32 280 91 2 3 1 1 44 3 6 108 13 .301 .362 .541 .903
2003 55 228 198 27 52 11 1 6 83 28 1 1 0 0 27 2 3 46 4 .263 .360 .419 .779
2004 BOS 11 37 33 6 6 0 0 1 9 1 2 0 0 0 3 0 1 8 1 .182 .270 .273 .543
MLB:18年 2000 8176 7232 1253 2107 402 63 352 3691 1206 181 84 29 62 793 33 60 1340 171 .291 .363 .510 .873
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1987 BOS - 132 320 15 4 2 .988 -
1988 - 142 370 9 9 0 .977 -
1989 - 95 244 7 6 3 .977 -
1990 - 143 325 7 2 0 .994 -
1991 - 126 283 2 2 1 .993 -
1992 - 63 122 3 2 0 .984 -
1993 CWS - 21 48 2 0 0 1.000 132 264 4 6 1 .978
1994 COL - 39 77 2 3 0 .963 -
1995 23 27 1 2 0 .933 65 131 2 3 0 .978 1 0 0 0 0 ----
1996 129 209 4 5 1 .977 32 64 2 0 1 1.000 -
1997 66 53 3 2 0 .966 89 151 3 2 1 .987 -
1998 45 45 0 3 0 .938 78 141 5 2 0 .986 -
SF - 36 72 1 1 0 .986 10 18 0 0 0 1.000
'98計 45 45 0 3 0 .938 114 213 6 3 0 .986 10 18 0 0 0 1.000
1999 - - 107 210 3 2 2 .991
2000 - - 108 214 4 4 1 .982
2001 CLE 18 21 2 0 0 1.000 - 2 4 0 0 0 1.000
2002 6 7 0 0 0 1.000 - -
2003 2 5 0 0 0 1.000 - -
MLB 289 367 10 12 1 .969 1061 2348 60 36 8 .985 360 710 11 12 4 .984
  • 12(1987年 - 1992年)
  • 26(1993年 - 1998年途中)
  • 23(1998年途中 - 2003年)
  • 25(2004年)
  1. ^ 規定打席到達者では1位だったが、規定打席に4打席不足のトニー・グウィンが.353を記録し、4打席を凡打と計算しても.349となるため首位打者となった。

外部リンク

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