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'''ナサニエル・ベンチリー'''(''Nathaniel Benchley'', [[1915年]][[11月13日]] - [[1981年]][[12月14日]]<ref>[https://www.imdb.com/name/nm0070360/ Nathaniel Benchley] IMDb</ref>)は、[[アメリカ合衆国]]の[[作家]]。 |
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父は作家・ユーモリスト・俳優の{{仮リンク|ロバート・ベンチリー|en|Robert Benchle}}<ref>「[[アルゴンキン・ラウンド・テーブル]]」の一員。ユーモア・コラムニストや書評家として活動し、「わたしはものを書く才能がないことを発見するまでに十五年もかかったが、そのときには、あまりにも有名になっていたから、もの書きをやめるわけにはいかなかった」の格言を残す。日本語文献では[[常盤新平]]『ニューヨーク紳士録』([[講談社文庫]])や[[和田誠]]『ほんの数行』([[七つ森書館]])がロバート・ベンチリーの経歴について取り上げている。俳優としては『[[アラスカ珍道中]]』における奇妙な解説人役として知られる。</ref>。息子は、『[[ジョーズ]]』で知られる作家の[[ピーター・ベンチリー]]。 |
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[[マサチューセッツ州]][[ニュートン (マサチューセッツ州)|ニュートン]]に生まれる。[[ハーバード大学]]卒業。 |
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1939年に「[[インターナショナル・ヘラルド・トリビューン|ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン]]」に入社。第二次大戦後には「[[ニューズウィーク]]」に入社するが、1947年に退社。 |
1939年に「[[インターナショナル・ヘラルド・トリビューン|ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン]]」に入社。第二次大戦後には「[[ニューズウィーク]]」に入社するが、1947年に退社。 |
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作家となり、一般文学や児童文学、そして父親のロバート・ベンチリーや親しい友人だった[[ハンフリー・ボガート]]等の伝記を書いた。 |
作家となり、一般文学や児童文学、そして父親のロバート・ベンチリーや親しい友人だった[[ハンフリー・ボガート]]等の伝記を書いた。 |
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==翻訳された著作== |
== 翻訳された著作 == |
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===一般文学・伝記=== |
=== 一般文学・伝記 === |
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*『親父と息子』 ''A Firm Word or Two'' 早川書房 1967年 |
*『親父と息子』 ''A Firm Word or Two'' 早川書房 1967年 |
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*『ボギー』 ''Humphrey Bogart'' 晶文社 1980年10月 |
*『ボギー』 ''Humphrey Bogart'' 晶文社 1980年10月 |
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===児童文学=== |
=== 児童文学 === |
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*『かわうそのオスカーくん』旺文社 1977年12月 |
*『かわうそのオスカーくん』旺文社 1977年12月 |
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*『カヌーはまんいん』文化出版局 1978年12月 |
*『カヌーはまんいん』文化出版局 1978年12月 |
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== 脚注 == |
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2021年12月24日 (金) 20:49時点における最新版
ナサニエル・ベンチリー(Nathaniel Benchley, 1915年11月13日 - 1981年12月14日[1])は、アメリカ合衆国の作家。
父は作家・ユーモリスト・俳優のロバート・ベンチリー[2]。息子は、『ジョーズ』で知られる作家のピーター・ベンチリー。
略歴
[編集]マサチューセッツ州ニュートンに生まれる。ハーバード大学卒業。
1939年に「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」に入社。第二次大戦後には「ニューズウィーク」に入社するが、1947年に退社。
作家となり、一般文学や児童文学、そして父親のロバート・ベンチリーや親しい友人だったハンフリー・ボガート等の伝記を書いた。
翻訳された著作
[編集]一般文学・伝記
[編集]- 『親父と息子』 A Firm Word or Two 早川書房 1967年
- 『ボギー』 Humphrey Bogart 晶文社 1980年10月
児童文学
[編集]- 『かわうそのオスカーくん』旺文社 1977年12月
- 『カヌーはまんいん』文化出版局 1978年12月
- 『世界のメルヘン8 アメリカ童話2 魔法のそり』講談社 1981年1月
- 『いたずらスニップいねむりダンカン』あかね書房 1984年5月
脚注
[編集]- ^ Nathaniel Benchley IMDb
- ^ 「アルゴンキン・ラウンド・テーブル」の一員。ユーモア・コラムニストや書評家として活動し、「わたしはものを書く才能がないことを発見するまでに十五年もかかったが、そのときには、あまりにも有名になっていたから、もの書きをやめるわけにはいかなかった」の格言を残す。日本語文献では常盤新平『ニューヨーク紳士録』(講談社文庫)や和田誠『ほんの数行』(七つ森書館)がロバート・ベンチリーの経歴について取り上げている。俳優としては『アラスカ珍道中』における奇妙な解説人役として知られる。