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|選手名 = フアン・ピエール
|選手名 = フアン・ピエール
|英語表記 = Juan Pierre
|英語表記 = Juan Pierre
|所属球団 = マイアミ・マーリンズ
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|写真のコメント   = シカゴ・ホワイトソックス時代
|写真のコメント = フィリーズ時代(2012年6月10日)
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|ドラフト順位 = ドラフト13巡目
|ドラフト順位 = ドラフト13巡目
|初出場 = 2000年8月7日
|初出場 = 2000年8月7日
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|最終出場 = 2013年9月29日
|年俸 = $1,600,000(2013年)<ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/mlb/player/_/id/4486/juan-pierre|title=Juan Pierre Stats, News, Pictures, Bio, Videos|work=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語 |accessdate=2011年11月12 }}</ref>
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|経歴 = <nowiki></nowiki>
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* アレクサンドリア高等学校
* アレクサンドリア高等学校
* ガルベストン・カレッジ
* ガルベストン・カレッジ
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* [[シカゴ・カブス]] (2006)
* [[シカゴ・カブス]] (2006)
* [[ロサンゼルス・ドジャース]] (2007 - 2009)
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* [[シカゴ・ホワイトソックス]](2010 - 2011)
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* [[フィラデルフィア・フィリーズ]] (2012)
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'''フアン・ドヴォーン・ピエール'''(Juan D'Vaughn Pierre, [[1977年]][[8月14日]] - )は[[メジャーリーグベースボール|MLB]]・[[マイアミ・マーリンズ]]に所属する[[プロ野球選手]]。[[アメリカ合衆国]]・[[アラバマ州]][[モービル (アラバマ州)|モービル]]出身[[外野手]]左投左打。
'''フアン・ドヴォーン・ピエール'''(Juan D'Vaughn Pierre, [[1977年]][[8月14日]] - )は[[アメリカ合衆国]]・[[アラバマ州]][[モービル (アラバマ州)|モービル]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。左投左打。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[1977年]]に[[アラバマ州]]で生まれる。「[[フアン]]」という[[スペイン語]]圏の名前は、父のお気に入りの選手だった[[ドミニカ共和国]]出身の[[アメリカ野球殿堂|殿堂入り]]投手[[フアン・マリシャル]]から取って名付けられた。大学野球の選手だった父の影響で兄2人と共に野球を始める。{{by|1995年}}と{{by|1996年}}に[[シアトル・マリナーズ]]からのドラフト指名を受けたが、その時は入団しなかった。高校卒業時には[[アイオワ州立大学]]から[[バスケットボール]]の奨学金のオファーを受けたが、それを断りガルベストン短大([[:en:Galveston College|Galveston College]])に進学。その後[[南アラバマ大学]]へ移る<ref name="nyt">Rafael Hermoso,2003/10/18,[http://www.nytimes.com/2003/10/18/sports/baseball-pierre-is-the-marlins-one-man-hit-and-run.html BASEBALL; Pierre Is the Marlins' One-Man Hit and Run],New York Times(英語),2009年9月17日閲覧</ref>。
[[1977年]]に[[アラバマ州]]で生まれる。「フアン」という[[スペイン語]]圏の名前は、父のお気に入りの選手だった[[ドミニカ共和国]]出身の[[アメリカ野球殿堂|殿堂入り]]投手[[フアン・マリシャル]]から取って名付けられた。大学野球の選手だった父の影響で兄2人と共に野球を始める。{{by|1995年}}と{{by|1996年}}に[[シアトル・マリナーズ]]からのドラフト指名を受けたが、その時は入団しなかった。高校卒業時には[[アイオワ州立大学]]から[[バスケットボール]]の奨学金のオファーを受けたが、それを断り{{仮リンク|ガルベストン短大|en|Galveston College}}に進学。その後[[南アラバマ大学]]へ移る<ref name="nyt">Rafael Hermoso,2003/10/18,[http://www.nytimes.com/2003/10/18/sports/baseball-pierre-is-the-marlins-one-man-hit-and-run.html BASEBALL; Pierre Is the Marlins' One-Man Hit and Run],New York Times(英語),2009年9月17日閲覧</ref>。


=== ロッキーズ時代 ===
{{by|1998年}}、[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]13巡目で[[コロラド・ロッキーズ]]に入団。{{by|2000年}}[[8月7日]]にメジャーデビューを果たし、[[9月6日]]から[[9月22日]]にかけて15試合連続で安打を放った。新人資格を持つ選手としては{{by|1982年}}の[[ケント・ハーベック]]が23試合連続安打を記録して以来となる長さである<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2001|title=2001 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/pi/gl.cgi?n1=hrbekke01&t=b&year=1982|title=Kent Hrbek 1982 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>。打率.310を記録し、新人王の投票数は6位に入った。翌{{by|2001年}}には1番センターとしてレギュラーに定着し、[[打率]].327、[[リッチ・オーリリア]]に次ぐリーグ2位の202[[安打]]、11三塁打は球団タイ記録となった<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2001|title=2001 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>。46[[盗塁]]を記録し、[[ジミー・ロリンズ]]と共に初の[[ナショナルリーグ]][[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]となった。
{{by|1998年}}、[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]13巡目で[[コロラド・ロッキーズ]]に入団。{{by|2000年}}[[8月7日]]にメジャーデビューを果たし、[[9月6日]]から[[9月22日]]にかけて15試合連続で安打を放った。新人資格を持つ選手としては{{by|1982年}}の[[ケント・ハーベック]]が23試合連続安打を記録して以来となる長さである<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2001|title=2001 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/pi/gl.cgi?n1=hrbekke01&t=b&year=1982|title=Kent Hrbek 1982 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>。打率.310を記録し、新人王の投票数は6位に入った。


{{by|2002年}}[[11月16日]]、[[プレストン・ウィルソン]]および[[ャールズ・ジョンソン (野球)|チャールズ・ジョンソン]]、[[パブロ・オ]]およびヴィク・ダレンスボーグトレードで、[[マイク・ハンプトン]]と金銭と共にフロリダ・マーリンズ(現:[[マイアミ・マーリンズ]])へ移籍した。{{by|2003年}}全162試合に出場し、球団記録となる204安打、65盗塁を記録し<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2003|title=2003 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>、2年ぶりに単独で盗塁王に輝いた。チの[[ワードシリー]]制覇の原動力となる活躍を見せた。2004年には全162試合をフルイニング出場し、<ref>{{Cite web
{{by|2001年}}には1番センターとしてレギュラーに定着し、[[打率]].327、[[リッチ・オーリリア]]に次ぐリーグ2位202[[安打]]、11三塁打は球団タイ記録となった<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2001|title=2001 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>。46[[盗塁]]を記録し、[[ジミ・ロリンズ]]と共に初の[[ナショナルリーグ]][[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]となた。
|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2004|title=2004 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>
打率.326、リーグ最多の221安打、12[[三塁打]]を記録した。{{by|2005年}}のシーズン後に[[セルジオ・ミトレ]]、[[リッキー・ノラスコ]]、[[レニエル・ピント]]ら若手投手との3対1の[[トレード]]で[[シカゴ・カブス]]に移籍。その後、翌年2月に1年575万ドルで契約


=== マーリンズ時代 ===
{{by|2006年}}は、[[リグレー・フィールド]]のよく整備された深めの芝に打球の勢いが殺され、最初の2か月こそ不振だったものの、より力強くスイングすることで対処し、徐々に調子をあげていった<ref name="slu200612">『2006年の通信簿 FILE:112」『[[スラッガー (雑誌)|月刊スラッガー]]』 2006年12月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2006年、[[特別:Booksources/isbn=ISBN=4910155091265|ISBN=4910155091265]] </ref>。最終的に打率.292だったものの、2度目の最多安打(204安打)をマーク。打率3割未満で200安打以上を記録しているのは[[バディ・ベル]]以来、史上2人目である。守備では379の守備機会に対して失策は0だった。同年9月には、[[アーロン・ローワンド]]放出以来、正中堅手不在に悩まされてきた[[シカゴ・ホワイトソックス]]に来期は移籍するという噂が流れたものの、結局は実現しなかった<ref name="slu200612"/>。同年オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]となり、[[11月22日]]に5年総額4,400万ドルでロサンゼルス・ドジャースに移籍した<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/news/article.jsp?ymd=20061122&content_id=1745557&vkey=news_la&fext=.jsp&c_id=la|title=The Official Site of The Los Angeles Dodgers: News: Top-heavy Dodgers sign Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>。
{{by|2002年}}[[11月16日]]、[[プレストン・ウィルソン]]および[[チャールズ・ジョンソン (野球)|チャールズ・ジョンソン]]、[[パブロ・オズーナ]]およびヴィク・ダレンスボーグとのトレードで、[[マイク・ハンプトン]]と金銭と共に、フロリダ・マーリンズ(現:[[マイアミ・マーリンズ]])へ移籍した。


{{by|2003年}}は全162試合に出場し、球団新記録となる204安打、65盗塁を記録し<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2003|title=2003 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>、2年ぶりに単独で盗塁王に輝いた。チームの[[ワールドシリーズ]]制覇の原動力となる活躍を見せた。2004年には全162試合をフルイニング出場し<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2004|title=2004 Career Highlights:Juan Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>、打率.326、リーグ最多の221安打、12[[三塁打]]を記録した。
{{by|2007年}}は、リーグ2位の64盗塁を記録し史上2人目となる異なる4チームで通算50盗塁以上を達成<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2007|title=The Official Site of The Los Angeles Dodgers: Team: Player Information : Biography and Career Highlights|language=英語 |accessdate=2008年1月15日 }}</ref>。シーズン終了後[[アンドリュー・ジョーンズ]]加入したため、{{by|2008年}}は左翼手へコンバートされると見られたが、開幕当初は[[アンドレ・イーシアー]]と併用され、ベンチスタートも少なくなかった。ジョーンズが故障者リスト入りした5月以降は、ライトのマット・ケンプがセンターのポジションに入り、イーシアーはライトに回ったことで、レフトのレギュラーに定着。ジョーンズと同じく故障者リストに入った[[ラファエル・ファーカル]]に代わる切り込み隊長して活躍していたが、7月に左膝を痛めて戦列を離れ、8月に復帰した後は新加入の[[マニー・ラミレス]]がレフトのレギュラーとなったため、センターの座をケンプと争い、再びベンチスタートが多くなった。最終的に40盗塁を記録したものの、既定打席には到達せず、レギュラーに定着した2年目以降では最低の成績に終わった。

{{by|2005年}}のシーズン後に[[セルジオ・ミトレ]]、[[リッキー・ノラスコ]]、[[レニエル・ピント]]ら若手投手との3対1の[[トレード]]で[[シカゴ・カブス]]に移籍。

=== カブス時代 ===
[[File:Juan_Pierre_on_April_11,_2006.jpg|thumb|2006年4月11日]]
{{by|2006年}}2月に1年575万ドルで契約。[[リグレー・フィールド]]のよく整備された深めの芝に打球の勢いが殺され、最初の2か月こそ不振だったものの、より力強くスイングすることで対処し、徐々に調子をあげていった<ref name="slu200612">『2006年の通信簿 FILE:112」『[[スラッガー (雑誌)|月刊スラッガー]]』 2006年12月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2006年、[[JANコード]] 4910155091265</ref>。最終的に打率.292だったものの、2度目の最多安打(204安打)をマーク。打率3割未満で200安打以上を記録しているのは[[バディ・ベル]]以来、史上2人目である。守備では379の守備機会に対して失策は0だった。同年9月には、[[アーロン・ローワンド]]放出以来、正中堅手不在に悩まされてきた[[シカゴ・ホワイトソックス]]に来期は移籍するという噂が流れたものの、結局は実現しなかった<ref name="slu200612"/>。同年オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]となり、[[11月22日]]に5年総額4400万ドルでロサンゼルス・ドジャースに移籍した<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/news/article.jsp?ymd=20061122&content_id=1745557&vkey=news_la&fext=.jsp&c_id=la|title=The Official Site of The Los Angeles Dodgers: News: Top-heavy Dodgers sign Pierre|language=英語 |accessdate=2008年4月2日 }}</ref>。

=== ドジャース時代 ===
[[File:Juan_Pierre.jpg|thumb|left|2008年4月20日]]
{{by|2007年}}は、リーグ2位の64盗塁を記録し史上2人目となる異なる4チームで通算50盗塁以上を達成<ref>{{Cite web|url=http://mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=334393&y=2007|title=The Official Site of The Los Angeles Dodgers: Team: Player Information : Biography and Career Highlights|language=英語 |accessdate=2008年1月15日 }}</ref>。

{{by|2008年}}は[[アンドリュー・ジョーンズ]]加入ため左翼手へコンバートされると見られたが、開幕当初は[[アンドレ・イーシアー]]と併用され、ベンチスタートも少なくなかった。ジョーンズが故障者リスト入りした5月以降は、ライトのマット・ケンプがセンターのポジションに入り、イーシアーはライトに回ったことで、レフトのレギュラーに定着。ジョーンズと同じく故障者リストに入った[[ラファエル・ファーカル]]に代わる切り込み隊長して活躍していたが、7月に左膝を痛めて戦列を離れ、8月に復帰した後は新加入の[[マニー・ラミレス]]がレフトのレギュラーとなったため、センターの座をケンプと争い、再びベンチスタートが多くなった。最終的に40盗塁を記録したものの、既定打席には到達せず、レギュラーに定着した2年目以降では最低の成績に終わった。


{{by|2009年}}も、前年後半に引き続いて控え外野手としてスタート。しかし、正左翼手のマニー・ラミレスが、薬物既定違反で50試合の出場停止処分を受けると、左翼手のレギュラーに復帰した。
{{by|2009年}}も、前年後半に引き続いて控え外野手としてスタート。しかし、正左翼手のマニー・ラミレスが、薬物既定違反で50試合の出場停止処分を受けると、左翼手のレギュラーに復帰した。


=== ホワイトソックス時代 ===
[[File:Juan_Pierre_on_August_8,_2011.jpg|thumb|2011年8月8日]]
{{by|2010年}}はドジャースの構想に外れた形で[[シカゴ・ホワイトソックス]]へトレード移籍。序盤は低打率に苦しんだが、6月以降に調子を上げ、最終的に自己最多の68盗塁を記録して[[アメリカンリーグ]][[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]に輝く。両リーグでの盗塁王獲得は[[ロン・ルフロア]]に続いて史上2人目の快挙であった<ref>George Castle Times Correspondent(2010-10-04), [http://www.nwitimes.com/sports/baseball/professional/mlb/white-sox/article_d608af05-9bf1-559d-bc61-17d320ad6155.html Fond farewells for Konerko, A.J. as Ozzie wins 600th], nwi.com(英語), 2010年10月6日閲覧</ref>。
{{by|2010年}}はドジャースの構想に外れた形で[[シカゴ・ホワイトソックス]]へトレード移籍。序盤は低打率に苦しんだが、6月以降に調子を上げ、最終的に自己最多の68盗塁を記録して[[アメリカンリーグ]][[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]に輝く。両リーグでの盗塁王獲得は[[ロン・ルフロア]]に続いて史上2人目の快挙であった<ref>George Castle Times Correspondent(2010-10-04), [http://www.nwitimes.com/sports/baseball/professional/mlb/white-sox/article_d608af05-9bf1-559d-bc61-17d320ad6155.html Fond farewells for Konerko, A.J. as Ozzie wins 600th], nwi.com(英語), 2010年10月6日閲覧</ref>。


{{by|2011年}}は27盗塁に終わり、レギュラーに定着した2001年以降では初めて30盗塁に届かなかった。オフにFAとなった。
{{by|2011年}}は27盗塁に終わり、レギュラーに定着した2001年以降では初めて30盗塁に届かなかった。オフにFAとなった。


=== ホワイトソックス退団後 ===
{{by|2012年}}[[1月27日]]に[[フィラデルフィア・フィリーズ]]とマイナー契約を結んだが、25人のロースター枠に入り、開幕をメジャーで迎えた。フィリーズには似たタイプの打者として[[ジミー・ロリンズ]]がおり、ピエールはリードオフマンでなければ2番に入ることが多かった。規定打席には届かなかったが打率3割をクリアし、盗塁成功率も向上させて健在ぶりを示した。[[11月17日]]に[[マイアミ・マーリンズ]]と年俸160万ドルの1年契約を結んだ。{{by|2005年}}以来8シーズンぶりの古巣復帰となる<ref>[http://www.mlbtraderumors.com/2012/11/marlins-sign-juan-pierre.html Marlins Sign Juan Pierre] MLB Rumors</ref>。
[[File:Juan_Pierre_2013.jpg|thumb|left|2013年5月12日]]
{{by|2012年}}[[1月27日]]に[[フィラデルフィア・フィリーズ]]とマイナー契約を結んだが、25人のロースター枠に入り、開幕をメジャーで迎えた。しかし、フィリーズには生え抜きスター選手で長年1番をきた[[ジミー・ロリンズ]]がおり、ピエールは2番に入ることが多かった。規定打席には届かなかったが打率3割をクリアし、盗塁成功率も向上させて健在ぶりを示した。[[11月17日]]に[[マイアミ・マーリンズ]]と年俸160万ドルの1年契約を結んだ。{{by|2005年}}以来8シーズンぶりの古巣復帰となる<ref>[http://www.mlbtraderumors.com/2012/11/marlins-sign-juan-pierre.html Marlins Sign Juan Pierre] MLB Rumors</ref>。

{{by|2013年}}10月31日にFAとなった。

{{by|2014年}}は所属球団がなく、{{by|2015年}}2月27日に正式に引退を表明する。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==
メジャー屈指の俊足外野手。通算盗塁数は現役最多、メジャー歴代で19位を誇る。2012年までのキャリア13年間での通算盗塁数は591個、シーズン平均で約45.5個と両リーグ通じてメジャートップの盗塁数を記録している。2005年から2007年にかけては3年連続で50盗塁以上を残したが、盗塁王のタイトルはいずれも[[ホセ・レイエス]]に奪われた。また、盗塁死の数も多く、シーズン最多盗塁死を7回記録している。
通算盗塁数はメジャー歴代で19位を誇る。2012年までのキャリア13年間での通算盗塁数は591個、シーズン平均で約45.5個と両リーグ通じてメジャートップの盗塁数を記録している。2005年から2007年にかけては3年連続で50盗塁以上を残したが、盗塁王のタイトルはいずれも[[ホセ・レイエス]]に奪われた。また、盗塁死の数も多く、シーズン最多盗塁死を7回記録している。


打撃面では長打力はないが、ミート技術と足の速さを生かして安打を量産する。[[バント#セーフティーバント|セーフティーバント]]や[[内野安打]]の数も非常に多く、2001年からの通算内野安打数は[[イチロー]]に次いでMLB全選手中2位である。セーフティーバントは2007年まで5年連続で1位で通算で335回試み140回成功している(2007年まで)<ref>{{Cite book|和書|author=村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=449|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>。三振の少なさも際立っており、平均すると16.7打席に1回しか三振しない。[[プラシド・ポランコ]]や[[ジョー・マウアー]]を上回り、現役メジャーリーガーではトップの水準を誇る。
打撃面では足の速さを生かして安打を量産する。[[バント#セーフティーバント|セーフティーバント]]や[[内野安打]]の数も非常に多く、2001年からの通算内野安打数は[[イチロー]]に次いでMLB全選手中2位である。セーフティーバントは2007年まで5年連続で1位で通算で335回試み140回成功している(2007年まで)<ref>{{Cite book|和書|author=村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=449|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>。三振の少なさも際立っており、平均すると16.7打席に1回しか三振しない。[[プラシド・ポランコ]]や[[ジョー・マウアー]]を上回り、現役メジャーリーガーではトップの水準を誇る。


故障がほとんどなく、2003年から5年連続で全試合出場を続けている。2007年6月22日に[[ミゲル・テハダ]]の連続試合出場が途切れたため、2007年シーズン終了時点で434試合連続と現役選手では最も連続試合出場が長い選手になった。しかし、2008年はレフトのレギュラーの座をアンドレ・イーシアーと争い、開幕戦でスタメン落ちしてそのまま出番が回ってこなかったため、連続出場記録が途切れてしまった。
故障がほとんどなく、2003年から5年連続で全試合出場を続ける。2007年6月22日に[[ミゲル・テハダ]]の連続試合出場が途切れたため、2007年シーズン終了時点で434試合連続と現役選手では最も連続試合出場が長い選手になった。しかし、2008年はレフトのレギュラーの座をアンドレ・イーシアーと争い、開幕戦でスタメン落ちしてそのまま出番が回ってこなかったため、連続出場記録が途切れた。


尊敬する選手として、[[トニー・グウィン]]、[[ケニー・ロフトン]]の名を挙げている<ref name="nyt"></ref>。
尊敬する選手として、[[トニー・グウィン]]、[[ケニー・ロフトン]]の名を挙げている<ref name="nyt"></ref>。


== 獲得タイトル・記録 ==
== 獲得タイトル・記録 ==

* [[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]] 3回:2001年(46)、2003年(65)、2010年(68)
=== タイトル ===
* 最多安打 2回:2004年(221)、2006年(204)
* [[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]] 3回:2001年、2003年、2010年


== 年度別打撃成績 ==
== 年度別打撃成績 ==
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|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
|rowspan="3" style="text-align: center;"|[[コロラド・ロッキーズ|COL]]
|rowspan="3" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[コロラド・ロッキーズ|COL]]
|51||219||200||26||62||2||0||0||64||20||7||6||4||1||13||0||1||15||2||.310||.353||.320||.673
|51||219||200||26||62||2||0||0||64||20||7||6||4||1||13||0||1||15||2||.310||.353||.320||.673
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88行目: 110行目:
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|113||330||308||36||76||11||2||1||94||8||23||6||6||0||13||0||3||27||4||.247||.284||.305||.589
|-
!colspan="2"|通算:14
|1994||8280||7525||1075||2217||255||94||18||2714||517||614||203||167||20||464||8||102||479||92||.295||.343||.361||.704
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|}
* 2012年度シーズン終了時
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高


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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2022年7月30日 (土) 07:26時点における最新版

フアン・ピエール
Juan Pierre
フィリーズ時代(2012年6月10日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州モービル
生年月日 (1977-08-14) 1977年8月14日(47歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 ドラフト13巡目
初出場 2000年8月7日
最終出場 2013年9月29日
年俸 $1,600,000(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

フアン・ドヴォーン・ピエール(Juan D'Vaughn Pierre, 1977年8月14日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州モービル出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。

略歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

1977年アラバマ州で生まれる。「フアン」というスペイン語圏の名前は、父のお気に入りの選手だったドミニカ共和国出身の殿堂入り投手フアン・マリシャルから取って名付けられた。大学野球の選手だった父の影響で兄2人と共に野球を始める。1995年1996年シアトル・マリナーズからのドラフト指名を受けたが、その時は入団しなかった。高校卒業時にはアイオワ州立大学からバスケットボールの奨学金のオファーを受けたが、それを断りガルベストン短大英語版に進学。その後南アラバマ大学へ移る[2]

ロッキーズ時代

[編集]

1998年ドラフト13巡目でコロラド・ロッキーズに入団。2000年8月7日にメジャーデビューを果たし、9月6日から9月22日にかけて15試合連続で安打を放った。新人資格を持つ選手としては1982年ケント・ハーベックが23試合連続安打を記録して以来となる長さである[3][4]。打率.310を記録し、新人王の投票数は6位に入った。

2001年には1番センターとしてレギュラーに定着し、打率.327、リッチ・オーリリアに次ぐリーグ2位の202安打、11三塁打は球団タイ記録となった[5]。46盗塁を記録し、ジミー・ロリンズと共に初のナショナルリーグ盗塁王となった。

マーリンズ時代

[編集]

2002年11月16日プレストン・ウィルソンおよびチャールズ・ジョンソンパブロ・オズーナおよびヴィク・ダレンスボーグとのトレードで、マイク・ハンプトンと金銭と共に、フロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)へ移籍した。

2003年は全162試合に出場し、球団新記録となる204安打、65盗塁を記録し[6]、2年ぶりに単独で盗塁王に輝いた。チームのワールドシリーズ制覇の原動力となる活躍を見せた。2004年には全162試合をフルイニング出場し[7]、打率.326、リーグ最多の221安打、12三塁打を記録した。

2005年のシーズン後にセルジオ・ミトレリッキー・ノラスコレニエル・ピントら若手投手との3対1のトレードシカゴ・カブスに移籍。

カブス時代

[編集]
2006年4月11日

2006年2月に1年575万ドルで契約。リグレー・フィールドのよく整備された深めの芝に打球の勢いが殺され、最初の2か月こそ不振だったものの、より力強くスイングすることで対処し、徐々に調子をあげていった[8]。最終的に打率.292だったものの、2度目の最多安打(204安打)をマーク。打率3割未満で200安打以上を記録しているのはバディ・ベル以来、史上2人目である。守備では379の守備機会に対して失策は0だった。同年9月には、アーロン・ローワンド放出以来、正中堅手不在に悩まされてきたシカゴ・ホワイトソックスに来期は移籍するという噂が流れたものの、結局は実現しなかった[8]。同年オフにFAとなり、11月22日に5年総額4400万ドルでロサンゼルス・ドジャースに移籍した[9]

ドジャース時代

[編集]
2008年4月20日

2007年は、リーグ2位の64盗塁を記録し史上2人目となる異なる4チームで通算50盗塁以上を達成[10]

2008年アンドリュー・ジョーンズ加入のため左翼手へコンバートされると見られたが、開幕当初はアンドレ・イーシアーと併用され、ベンチスタートも少なくなかった。ジョーンズが故障者リスト入りした5月以降は、ライトのマット・ケンプがセンターのポジションに入り、イーシアーはライトに回ったことで、レフトのレギュラーに定着。ジョーンズと同じく故障者リストに入ったラファエル・ファーカルに代わる切り込み隊長して活躍していたが、7月に左膝を痛めて戦列を離れ、8月に復帰した後は新加入のマニー・ラミレスがレフトのレギュラーとなったため、センターの座をケンプと争い、再びベンチスタートが多くなった。最終的に40盗塁を記録したものの、既定打席には到達せず、レギュラーに定着した2年目以降では最低の成績に終わった。

2009年も、前年後半に引き続いて控え外野手としてスタート。しかし、正左翼手のマニー・ラミレスが、薬物既定違反で50試合の出場停止処分を受けると、左翼手のレギュラーに復帰した。

ホワイトソックス時代

[編集]
2011年8月8日

2010年はドジャースの構想に外れた形でシカゴ・ホワイトソックスへトレード移籍。序盤は低打率に苦しんだが、6月以降に調子を上げ、最終的に自己最多の68盗塁を記録してアメリカンリーグ盗塁王に輝く。両リーグでの盗塁王獲得はロン・ルフロアに続いて史上2人目の快挙であった[11]

2011年は27盗塁に終わり、レギュラーに定着した2001年以降では初めて30盗塁に届かなかった。オフにFAとなった。

ホワイトソックス退団後

[編集]
2013年5月12日

2012年1月27日フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだが、25人のロースター枠に入り、開幕をメジャーで迎えた。しかし、フィリーズには生え抜きのスター選手で長年1番を打ってきたジミー・ロリンズがおり、ピエールは2番に入ることが多かった。規定打席には届かなかったが打率3割をクリアし、盗塁成功率も向上させて健在ぶりを示した。11月17日マイアミ・マーリンズと年俸160万ドルの1年契約を結んだ。2005年以来8シーズンぶりの古巣復帰となる[12]

2013年10月31日にFAとなった。

2014年は所属球団がなく、2015年2月27日に正式に引退を表明する。

選手としての特徴

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通算盗塁数はメジャー歴代で19位を誇る。2012年までのキャリア13年間での通算盗塁数は591個、シーズン平均で約45.5個と両リーグ通じてメジャートップの盗塁数を記録している。2005年から2007年にかけては3年連続で50盗塁以上を残したが、盗塁王のタイトルはいずれもホセ・レイエスに奪われた。また、盗塁死の数も多く、シーズン最多盗塁死を7回記録している。

打撃面では足の速さを生かして安打を量産する。セーフティーバント内野安打の数も非常に多く、2001年からの通算内野安打数はイチローに次いでMLB全選手中2位である。セーフティーバントは2007年まで5年連続で1位で通算で335回試み140回成功している(2007年まで)[13]。三振の少なさも際立っており、平均すると16.7打席に1回しか三振しない。プラシド・ポランコジョー・マウアーを上回り、現役メジャーリーガーではトップの水準を誇る。

故障がほとんどなく、2003年から5年連続で全試合出場を続ける。2007年6月22日にミゲル・テハダの連続試合出場が途切れたため、2007年シーズン終了時点で434試合連続と現役選手では最も連続試合出場が長い選手になった。しかし、2008年はレフトのレギュラーの座をアンドレ・イーシアーと争い、開幕戦でスタメン落ちしてそのまま出番が回ってこなかったため、連続出場記録が途切れた。

尊敬する選手として、トニー・グウィンケニー・ロフトンの名を挙げている[2]

獲得タイトル・記録

[編集]

タイトル

[編集]

年度別打撃成績

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O
P
S
2000 COL 51 219 200 26 62 2 0 0 64 20 7 6 4 1 13 0 1 15 2 .310 .353 .320 .673
2001 156 683 617 108 202 26 11 2 256 55 46 17 14 1 41 1 10 29 6 .327 .378 .415 .793
2002 152 640 592 90 170 20 5 1 203 35 47 12 8 0 31 0 9 52 7 .287 .332 .343 .675
2003 FLA 162 746 668 100 204 28 7 1 249 41 65 20 15 3 55 1 5 35 9 .305 .361 .373 .734
2004 162 748 678 100 221 22 12 3 276 49 45 24 15 2 45 1 8 35 9 .326 .374 .407 .781
2005 162 718 656 96 181 19 13 2 232 47 57 17 10 2 41 1 9 45 10 .276 .326 .354 .680
2006 CHC 162 750 699 87 204 32 13 3 271 40 58 20 10 1 32 0 8 38 6 .292 .330 .388 .717
2007 LAD 162 729 668 96 196 24 8 0 236 41 64 15 20 2 33 0 6 37 10 .293 .331 .353 .685
2008 119 406 375 44 106 10 2 1 123 28 40 12 5 1 22 1 3 24 3 .283 .327 .328 .655
2009 145 425 380 57 117 16 8 0 149 31 30 12 9 1 27 3 8 27 7 .308 .365 .392 .757
2010 CWS 160 734 651 96 179 18 3 1 206 47 68 18 15 2 45 0 21 47 8 .275 .341 .316 .657
2011 158 711 639 80 178 17 4 2 209 50 27 17 19 3 43 0 7 41 7 .279 .329 .327 .657
2012 PHI 130 439 394 59 121 10 6 1 146 25 37 7 17 1 23 0 4 27 4 .307 .351 .371 .721
2013 MIA 113 330 308 36 76 11 2 1 94 8 23 6 6 0 13 0 3 27 4 .247 .284 .305 .589
通算:14年 1994 8280 7525 1075 2217 255 94 18 2714 517 614 203 167 20 464 8 102 479 92 .295 .343 .361 .704
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注

[編集]
  1. ^ Juan Pierre Contract, Salaries, and Transactions” (英語). Spotrac.com. 2013年11月23日閲覧。
  2. ^ a b Rafael Hermoso,2003/10/18,BASEBALL; Pierre Is the Marlins' One-Man Hit and Run,New York Times(英語),2009年9月17日閲覧
  3. ^ 2001 Career Highlights:Juan Pierre” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  4. ^ Kent Hrbek 1982 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  5. ^ 2001 Career Highlights:Juan Pierre” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  6. ^ 2003 Career Highlights:Juan Pierre” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  7. ^ 2004 Career Highlights:Juan Pierre” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  8. ^ a b 『2006年の通信簿 FILE:112」『月刊スラッガー』 2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、JANコード 4910155091265
  9. ^ The Official Site of The Los Angeles Dodgers: News: Top-heavy Dodgers sign Pierre” (英語). 2008年4月2日閲覧。
  10. ^ The Official Site of The Los Angeles Dodgers: Team: Player Information : Biography and Career Highlights” (英語). 2008年1月15日閲覧。
  11. ^ George Castle Times Correspondent(2010-10-04), Fond farewells for Konerko, A.J. as Ozzie wins 600th, nwi.com(英語), 2010年10月6日閲覧
  12. ^ Marlins Sign Juan Pierre MLB Rumors
  13. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、449頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 

外部リンク

[編集]