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「PPD-34/38短機関銃」の版間の差分

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'''PPD-34/38'''は、[[1934年]]及び[[1938年]]に[[ソビエト連邦]]で開発された[[短機関銃]](SMG)である。


“PP”とは、ロシア語で[[短機関銃]]を指す“[[:ru:Пистолет-пулемёт|Пистолет-пулемёт]]”の略称である“ПП”のラテン文字表記であり“D”とは開発者である[[ヴァシーリー・デグチャレフ|デグチャレフ]]の頭文字である。
'''PPD-34/38短機関銃'''は、[[1934年]]及び[[1938年]]に[[ソビエト連邦|旧ソ連]]で開発された[[短機関銃]]である。


== 開発経緯 ==
== 開発経緯 ==
短機関銃(SMG)が注目され始めるのは[[第一次世界大戦]]末期のことで、[[ドイツ軍]]が[[塹壕]]戦[[MP18]]を使用したことから始まる。そのため各国では大戦後、短機関銃の開発が盛んに行われる事となりソビエト連邦も例外ではなく、軍部で短機関銃の研究が進められた。
[[第一次世界大戦]]前後の歩兵の主要火器は主に[[小銃]]に[[重機関銃]]が主でこの時代まだ[[短機関銃]]という概念は無かった。軍用短機関銃として始めて開発されたのがイタリアの[[ビラール・ペロサM1915短機関銃|ビラール・ペロサ]]とされる。小型化されたこの機関銃は、軍用機に持ち込みパイロットが自ら敵機を撃ち落すための兵器であったが、その後軍用機の防御力が上がると次第に航空機の主要兵器は固定式の機関銃に変更されるようになり、威力の低い初期の短機関銃はそれ以降注目されることは無くなった。


== PPD-34/38の登場 ==
その後本格的に短機関銃が注目され始めるのは第一次世界大戦のことで、[[ドイツ軍]]が[[塹壕]]戦[[ベルグマンMP18短機関銃|MP18短機関銃]]を使用したことから始まる。そのため各国では大戦後、短機関銃の開発が盛んに行われる事となりソビエト連邦も例外ではなく、軍部で短機関銃の研究が進められる事となった。
ソ連での軍用[[短機関銃]]の研究は、当時の文献から第一次世界大戦後の[[1926年]]頃からとされ、本格的に研究が開始されたのはもっと後とされる。銃技師である[[ヴァシーリー・デグチャレフ]]を中心に開発が進められ[[1934年]]には初期型である'''PPD-34短機関銃'''を開発し[[1935年]]に、[[赤]]により正式採用、その後[[1938年]]にPPD-34を改良した'''PPD-38短機関銃'''翌年の[[1939年]]に軍で採用されている。(PPDとは“Pistolet-Pulemet Degtyareva”ディグチャレフ短機関銃の略称)


機関部の動作機構は[[MP18短機関銃]]を参考に[[ブローバック]]方式を採用、[[弾倉]]には25発用の箱型弾倉を使用していた。その後、[[冬戦争]]で[[フィンランド国防軍|フィンランド軍]]が使用していた[[スオミ KP/-31]]のドラム式弾倉に軍部が注目し、PPD-34/38専用の71発(初期型は73発)ドラム式弾倉が製作されている。これは円盤状本体の上部に、箱型の挿入部飛び出形状で、頻繁に給弾不良を起こしたとされる。この不具合は後継機種である[[PPD-40短機関銃]]で、スオミM1931のものと類似した形状のドラム式弾倉に改めることで解消された。
== PPD-34/38短機関銃の登場 ==
ソ連での軍用短機関銃の研究は、当時の文献から第一次世界大戦後の[[1926年]]頃からとされ、後に本格的に研究が開始されたのはもっと後とされる。研究には銃技師であるデグチャレフ技師を中心に開発が進められ[[1934年]]には初期型である'''PPD-34短機関銃'''を開発し[[1935年]]にソ連軍により正式採用、その後[[1938年]]にPPD-34を改良した'''PPD-38短機関銃'''翌年の[[1939年]]に[[ソビエト連邦|ソ連軍]]で採用されている。(PPDとは「Pistolet-Pulemet Degtyareva」のことで、ディグチャレフ短機関銃の略称のこと


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機関部の動作機構はドイツ製短機関銃である[[ベルグマンMP18短機関銃|MP18]]及び[[ハーネルMP28短機関銃|MP28短機関銃]]を参考に反動利用式(ブローバックを採用、[[弾倉]]には25発用の箱型弾倉を使用していた。その後、[[冬戦争]]で[[フィンランド国防軍|フィンランド軍]]が使用していた[[スオミM1931短機関銃]]のドラム式弾倉に軍部が注目し、PPD-34/38短機関銃専用の71発(初期型は73発)ドラム式弾倉が製作されている。しかしこの弾倉は箱型弾倉を主として製造されていたPPD-34/38短機関銃には給弾方式に負担大きかっためか頻繁に給弾不良を起こしたとされる。この不具合はその後の後継である[[PPD-40短機関銃]]で解消された。

[[弾薬]]にはトカレフ製拳銃などに使用されていた7.62mm×25トカレフ実包を使用、銃自体も耐久性を重点において設計されているためか、ドラム弾倉をフル装填した時点でのPPD-34/38短機関銃の総重量は6.0kg前後と他国の短機関銃と比べると非常に重たかった。ただし体格のいい[[スラブ民族]]にとってこの事はさほど問題にはならなかったとされる。


== その後 ==
== その後 ==
PPD-34/38短機関銃はその後、のちに登場するPPD-40短機関銃や[[シュパーギンPPSh-41短機関銃|PPsh-41短機関銃]]とともにソビエト軍内で広く配備され、[[独ソ戦]]では[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]も[[鹵獲]]した本銃互換性があった7.63mmマウザー弾を使MP714(r)の名称で大量に使用されている。
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[短機関銃・機関拳銃等一覧]]
* [[短機関銃・PDW一覧]]
* [[PPSh-41]]
* [[スオミ KP/-31]]
* [[冬戦争]]


{{DEFAULTSORT:PPD-34/38}}
[[Category:短機関銃|PPD-34/38たんきかんしゅう]]
[[Category:短機関銃]]
[[Category:ソビエト連邦の兵器|PPD-34/38たんきかんしゅう]]
[[Category:ソ連・ロシアの小火器]]
[[Category:7.62mm銃]]

2022年8月20日 (土) 01:20時点における最新版

PPD-34/PPD-38
PPD-34(上)とPPD-34/38(下)
PPD-34/PPD-38
種類 短機関銃
製造国 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
設計・製造 レニングラード造兵厰
ツーラ造兵厰
仕様
口径 7.62mm
銃身長 279mm
使用弾薬 7.62mmトカレフ弾
装弾数 71発(ドラム式弾倉)
全長 788mm
重量 3740g(弾倉重量は除く)
発射速度 550発/分
歴史 
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PPD-34/38は、1934年及び1938年ソビエト連邦で開発された短機関銃(SMG)である。

“PP”とは、ロシア語で短機関銃を指す“Пистолет-пулемёт”の略称である“ПП”のラテン文字表記であり“D”とは開発者であるデグチャレフの頭文字である。

開発経緯

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短機関銃(SMG)が注目され始めるのは第一次世界大戦末期のことで、ドイツ軍塹壕戦でMP18を使用したことから始まる。そのため各国では大戦後、短機関銃の開発が盛んに行われる事となりソビエト連邦も例外ではなく、軍部で短機関銃の研究が進められた。

PPD-34/38の登場

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ソ連での軍用短機関銃の研究は、当時の文献から第一次世界大戦後の1926年頃からとされ、本格的に研究が開始されたのはもっと後とされる。銃技師であるヴァシーリー・デグチャレフを中心に開発が進められ、1934年には初期型であるPPD-34短機関銃を開発し1935年に、赤軍により正式採用、その後1938年にPPD-34を改良したPPD-38短機関銃が翌年の1939年に赤軍で採用されている。(PPDとは“Pistolet-Pulemet Degtyareva”ディグチャレフ短機関銃の略称)

機関部の動作機構はMP18短機関銃を参考にブローバック方式を採用し、弾倉には25発用の箱型弾倉を使用していた。その後、冬戦争フィンランド軍が使用していたスオミ KP/-31のドラム式弾倉に軍部が注目し、PPD-34/38専用の71発(初期型は73発)ドラム式弾倉が製作されている。これは円盤状の本体の上部に、箱型の挿入部が飛び出た形状で、頻繁に給弾不良を起こしたとされる。この不具合は後継機種であるPPD-40短機関銃で、スオミM1931のものと類似した形状のドラム式弾倉に改めることで解消された。

弾薬にはトカレフ製拳銃などに使用されていた7.62mm×25トカレフ実包を使用、銃自体も耐久性を重点において設計されているためか、ドラム弾倉をフル装填した時点でのPPD-34/38の総重量は6.0kg前後と他国の短機関銃と比べると非常に重たかった。ただし体格のいいスラブ民族にとってこの事はさほど問題にはならなかったとされる[要出典]

その後

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PPD-34/38はその後、のちに登場するPPD-40短機関銃やPPSh-41短機関銃とともに赤軍内で広く配備され、独ソ戦ではドイツ国防軍鹵獲した本銃と互換性があった7.63x25mmマウザー弾を使うMP714(r)の名称で大量に使用されている。

関連項目

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