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'''モーリスC8'''(Morris Commercial C8)は、[[第二次世界大戦]]期に[[イギリス]]の[[ナッフィールド・オーガニゼーション|モーリス]]社で開発され、イギリス軍で運用された、4×4輪駆動の[[砲兵トラクター]]、および汎用トラックである。
'''モーリスC8'''(Morris Commercial C8)は、[[第二次世界大戦]]期に[[イギリス]]の[[ナッフィールド・オーガニゼーション|モーリス]]社で開発され、[[イギリス軍]]で運用された、4×4輪駆動の[[砲兵トラクター]]、および汎用トラックである。


== 概要 ==
== 概要 ==
1937年に、当時の[[イギリス国防省]]<ref>この当時はWar Department(戦争局)と呼ばれていた。</ref>が新型の[[砲兵トラクター|野戦砲トラクター]]('''FAT''', Field Artillery Tractor)の要求仕様を提示した。これは、4×4輪駆動の装輪式で、シャーシは短く、ウィンチを備える事、といった内容であった。この要求にガイ・モータース社が最初に応じ、ガイ・モータース社は既存の'''ガイ・アント'''(Guy Ant)15[[ハンドレッドウェイト|CWT]](3/4t)4×2輪駆動トラックをベースに4輪駆動化した'''ガイ・クォード・アント FAT'''(Guy Quad-Ant FAT)と呼ばれる野戦砲トラクターを開発した。イギリス軍はこの車両を採用し、モーリス社に対しても同様の野戦砲トラクターの製造が依頼された。モーリス社でも既存のトラックである'''モーリスCS8'''をベースとして、4輪駆動、短車体、大径タイヤの'''モーリスC8 FAT'''を開発した。
1937年に、当時の[[国防省 (イギリス)|イギリス国防省]]<ref>この当時はWar Department(戦争局)と呼ばれていた。</ref>が新型の[[砲兵トラクター|野戦砲トラクター]]('''FAT''', Field Artillery Tractor)の要求仕様を提示した。これは、4×4輪駆動の装輪式で、シャーシは短く、ウィンチを備える事、といった内容であった。この要求にガイ・モータース社が最初に応じ、ガイ・モータース社は既存の'''ガイ・アント'''(Guy Ant)15[[ハンドレッドウェイト|CWT]](3/4t)4×2輪駆動トラックをベースに4輪駆動化した'''ガイ・クォード・アント FAT'''(Guy Quad-Ant FAT)と呼ばれる野戦砲トラクターを開発した。イギリス軍はこの車両を採用し、モーリス社に対しても同様の野戦砲トラクターの製造が依頼された。モーリス社でも既存のトラックである'''モーリスCS8'''をベースとして、4輪駆動、短車体、大径タイヤの'''モーリスC8 FAT'''を開発した。


モーリスC8 FATはガイ・クォード・アント FATと同様に、後部兵員室の屋根の上に[[QF 25ポンド砲]]の砲架を搭載するため、屋根が後方に向かって傾斜している特徴的な外観を持っていた。この車体は、その形状が[[甲虫]]を思わせることから、"ビートル・バック"(beetle back)と呼ばれた。この特徴は、その後開発された[[CMP FAT]]でも同様に見られる。金属製の後部兵員室には6名の砲兵および[[QF 25ポンド砲]]の弾薬を搭載可能であった。
モーリスC8 FATはガイ・クォード・アント FATと同様に、後部兵員室の屋根の上に[[QF 25ポンド砲]]の砲架を搭載するため、屋根が後方に向かって傾斜している特徴的な外観を持っていた。この車体は、その形状が[[甲虫]]を思わせることから、"ビートル・バック"(beetle back)と呼ばれた。この特徴は、その後開発された[[CMP FAT]]でも同様に見られる。金属製の後部兵員室には6名の砲兵およびQF 25ポンド砲の弾薬を搭載可能であった。


モーリスC8の最初の量産車は1939年10月から軍に納品され、走行装置とボディー部にそれぞれ2度の設計変更を行いながら生産は1945年まで継続された。実戦では25ポンド砲だけでなく様々な砲の牽引に使用された。[[QF 18ポンド砲]]や[[QF 4.5インチ榴弾砲]]、あるいは[[オードナンス QF 6ポンド砲]]、[[オードナンス QF 17ポンド砲]]などが、モーリスC8 FATにより牽引された。また、モーリスC8の機構を流用した汎用トラック型の'''モーリスC8 GS'''(General Service)が開発され、生産された。
モーリスC8の最初の量産車は1939年10月から軍に納品され、走行装置とボディー部にそれぞれ2度の設計変更を行いながら生産は1945年まで継続された。実戦では25ポンド砲だけでなく様々な砲の牽引に使用された。[[QF 18ポンド砲]]や[[QF 4.5インチ榴弾砲]]、あるいは[[オードナンス QF 6ポンド砲]]、[[オードナンス QF 17ポンド砲]]などが、モーリスC8 FATにより牽引された。また、モーリスC8の機構を流用した汎用トラック型の'''モーリスC8 GS'''(General Service)が開発され、生産された。

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== 形式 ==
== 形式 ==
;モーリスC8 FAT Mk.I
;モーリスC8 FAT Mk.I
:1939年10月から1940年初頭にかけて約200両のみ製造された。フルタイム4×4輪駆動で、10.50×R20サイズのタイヤを装備。
:1939年10月から1940年初頭にかけて約200両のみ製造された。フルタイム4×4輪駆動で、10.50×R20サイズのタイヤを装備。
;モーリスC8 FAT Mk.II
;モーリスC8 FAT Mk.II
:1940年から1941年初頭にかけて約4000両が製造された。Mk.Iとの違いは走行装置の小改良のみ。
:1940年から1941年初頭にかけて約4,000両が製造された。Mk.Iとの違いは走行装置の小改良のみ。
;モーリスC8 FAT Mk.III
;モーリスC8 FAT Mk.III
:1941年から1945年にかけて約6000両が製造された。走行装置が改良され、2輪駆動、4輪駆動を切り替え可能で、10.50×R16サイズのタイヤを装備。
:1941年から1945年にかけて約6,000両が製造された。走行装置が改良され、2輪駆動、4輪駆動を切り替え可能で、10.50×R16サイズのタイヤを装備。
これら3種類の形式に対し、3種類の車体(外装)が用いられた。走行装置の変更(形式変更)と、車体外装の変更時期はそれぞれ異なっている。
これら3種類の形式に対し、3種類の車体(外装)が用いられた。走行装置の変更(形式変更)と、車体外装の変更時期はそれぞれ異なっている。
*Mk.IおよびMk.IIの3000両には、前期型の"ビートル・バック"車体が用いられた。この車体には2つのドアがあり、車体右側面に2つ、左側面に1つのウィンドウがあり、屋根は金属製の密閉式であた。
*Mk.IおよびMk.IIの3,000両には、前期型の"ビートル・バック"車体が用いられた。この車体には2つのドアがあり、車体右側面に2つ、左側面に1つのウィンドウがあり、屋根は金属製の密閉式であた。
*Mk.IIの残り1000両と、Mk.IIIの4000両には、後期型の"ビートル・バック"車体が用いられた。ウィンドウが増やされたほか、兵員室の屋根の中央部がキャンバストップに変更されている。
*Mk.IIの残り1000両と、Mk.IIIの4000両には、後期型の"ビートル・バック"車体が用いられた。ウィンドウが増やされたほか、兵員室の屋根の中央部がキャンバストップに変更されている。
*Mk.IIIの残り2000両には、"ナンバー5ボディー"(Number 5 Body)と呼ばれる車体が使用された。この車体は車体左右に2個ずつドアがあり、車体屋根部分は後傾しておらず、屋根全体がキャンバストップとなっている。
*Mk.IIIの残り2000両には、"ナンバー5ボディー"(Number 5 Body)と呼ばれる車体が使用された。この車体は車体左右に2個ずつドアがあり、車体屋根部分は後傾しておらず、屋根全体がキャンバストップとなっている。
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File:IWM-H-8241-Morris-C8-19410320.jpg|[[QF 25ポンド砲]]をリンバーと共に牽引するモーリスC8 FAT。1941年。
File:IWM-H-8241-Morris-C8-19410320.jpg|[[QF 25ポンド砲]]をリンバーと共に牽引するモーリスC8 FAT。1941年。
File:4.5inchHowitzerTowedByMorrisQuad10October1940.jpg|[[QF 4.5インチ榴弾砲]]をリンバーと共に牽引するモーリスC8 FAT。1940年。
File:4.5inchHowitzerTowedByMorrisQuad10October1940.jpg|[[QF 4.5インチ榴弾砲]]をリンバーと共に牽引するモーリスC8 FAT。1940年。
File:Allied Forces in the United Kingdom 1939-45 H9522.jpg|フランス製の[[M1897 75mm野砲]]を牽引するモーリスC8 FAT。1941年。
File:Allied Forces in the United Kingdom 1939-45 H9522.jpg|[[フランス]]製の[[M1897 75mm野砲]]を牽引するモーリスC8 FAT。1941年。
File:The British Army in Tunisia 1942 NA229.jpg|[[オードナンス QF 6ポンド砲]]を牽引するモーリスC8 FAT。1942年、チュニジア([[北アフリカ戦線]])。
File:The British Army in Tunisia 1942 NA229.jpg|[[オードナンス QF 6ポンド砲]]を牽引するモーリスC8 FAT。1942年、チュニジア([[北アフリカ戦線]])。
File:British troops herd cattle past a Morris 'Quad' artillery tractor and 25pdr field gun, Normandy, 8 July 1944. B6606.jpg|[[QF 25ポンド砲]]を牽引するモーリスC8 FAT。1944年、ノルマンディー。
File:British troops herd cattle past a Morris 'Quad' artillery tractor and 25pdr field gun, Normandy, 8 July 1944. B6606.jpg|[[QF 25ポンド砲]]を牽引するモーリスC8 FAT。1944年、[[ノルマンディー]]
File:1944 Morris-Commercial C8 GS, Z5813657 pic2.JPG|汎用カーゴトラック型のモーリスC8 GS。
File:1944 Morris-Commercial C8 GS, Z5813657 pic2.JPG|汎用カーゴトラック型のモーリスC8 GS。
File:Flickr - davehighbury - Royal Artillery Museum Woolwich London 271.jpg|[[ボフォース 40mm機関砲]]を搭載したモーリスC9/B。
File:Flickr - davehighbury - Royal Artillery Museum Woolwich London 271.jpg|[[ボフォース 40mm機関砲]]を搭載したモーリスC9/B。
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* [[CMP FAT]] - 同時期にイギリス軍で使用された装輪式砲兵トラクター。構造はモーリスC8 FATに類似する。
* [[CMP FAT]] - 同時期にイギリス軍で使用された装輪式砲兵トラクター。構造はモーリスC8 FATに類似する。
* [[AECマタドール]] - 同時期にイギリス軍で使用された装輪式砲兵トラクタートラック。
* [[AECマタドール]] - 同時期にイギリス軍で使用された装輪式砲兵トラクタートラック。
* [[スキャメル パイオニア]] - 同時期にイギリス軍で使用された装輪式砲兵トラクター。
* [[モーリス軽装甲車|モーリスCS9軽装甲車]] - 1930年代にモーリスで開発された軽装甲車。
* [[モーリス軽装甲車|モーリスCS9軽装甲車]] - 1930年代にモーリスで開発された軽装甲車。
* [[モーリス軽偵察車]] - 同時期にモーリスで製造された軽偵察装甲車。
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2022年9月9日 (金) 05:39時点における最新版

モーリスC8
モーリスC8 FAT
種類 砲兵トラクター汎用トラック
原開発国 イギリスの旗 イギリス
開発史
製造業者 モーリス
製造期間 1939年~1945年
製造数 約10,000両
諸元
重量 3,400 kg
全長 4.489 m
全幅 2.21 m
全高 2.26 m

エンジン モーリス EH 3.5L 4気筒ガソリン
懸架・駆動 4×4輪駆動
行動距離 260 km
速度 80 km/h
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モーリスC8(Morris Commercial C8)は、第二次世界大戦期にイギリスモーリス社で開発され、イギリス軍で運用された、4×4輪駆動の砲兵トラクター、および汎用トラックである。

概要

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1937年に、当時のイギリス国防省[1]が新型の野戦砲トラクターFAT, Field Artillery Tractor)の要求仕様を提示した。これは、4×4輪駆動の装輪式で、シャーシは短く、ウィンチを備える事、といった内容であった。この要求にガイ・モータース社が最初に応じ、ガイ・モータース社は既存のガイ・アント(Guy Ant)15CWT(3/4t)4×2輪駆動トラックをベースに4輪駆動化したガイ・クォード・アント FAT(Guy Quad-Ant FAT)と呼ばれる野戦砲トラクターを開発した。イギリス軍はこの車両を採用し、モーリス社に対しても同様の野戦砲トラクターの製造が依頼された。モーリス社でも既存のトラックであるモーリスCS8をベースとして、4輪駆動、短車体、大径タイヤのモーリスC8 FATを開発した。

モーリスC8 FATはガイ・クォード・アント FATと同様に、後部兵員室の屋根の上にQF 25ポンド砲の砲架を搭載するため、屋根が後方に向かって傾斜している特徴的な外観を持っていた。この車体は、その形状が甲虫を思わせることから、"ビートル・バック"(beetle back)と呼ばれた。この特徴は、その後開発されたCMP FATでも同様に見られる。金属製の後部兵員室には6名の砲兵およびQF 25ポンド砲の弾薬を搭載可能であった。

モーリスC8の最初の量産車は1939年10月から軍に納品され、走行装置とボディー部にそれぞれ2度の設計変更を行いながら生産は1945年まで継続された。実戦では25ポンド砲だけでなく様々な砲の牽引に使用された。QF 18ポンド砲QF 4.5インチ榴弾砲、あるいはオードナンス QF 6ポンド砲オードナンス QF 17ポンド砲などが、モーリスC8 FATにより牽引された。また、モーリスC8の機構を流用した汎用トラック型のモーリスC8 GS(General Service)が開発され、生産された。

形式

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モーリスC8 FAT Mk.I
1939年10月から1940年初頭にかけて約200両のみ製造された。フルタイム4×4輪駆動で、10.50×R20サイズのタイヤを装備。
モーリスC8 FAT Mk.II
1940年から1941年初頭にかけて約4,000両が製造された。Mk.Iとの違いは走行装置の小改良のみ。
モーリスC8 FAT Mk.III
1941年から1945年にかけて約6,000両が製造された。走行装置が改良され、2輪駆動、4輪駆動を切り替え可能で、10.50×R16サイズのタイヤを装備。

これら3種類の形式に対し、3種類の車体(外装)が用いられた。走行装置の変更(形式変更)と、車体外装の変更時期はそれぞれ異なっている。

  • Mk.IおよびMk.IIの3,000両には、前期型の"ビートル・バック"車体が用いられた。この車体には2つのドアがあり、車体右側面に2つ、左側面に1つのウィンドウがあり、屋根は金属製の密閉式であった。
  • Mk.IIの残り1000両と、Mk.IIIの4000両には、後期型の"ビートル・バック"車体が用いられた。ウィンドウが増やされたほか、兵員室の屋根の中央部がキャンバストップに変更されている。
  • Mk.IIIの残り2000両には、"ナンバー5ボディー"(Number 5 Body)と呼ばれる車体が使用された。この車体は車体左右に2個ずつドアがあり、車体屋根部分は後傾しておらず、屋根全体がキャンバストップとなっている。
モーリスC8 GS
1944年頃から、モーリスC8 FATの車体を流用して製造された4×4輪駆動の汎用トラック "GS"(General Service)型。汎用カーゴトラック型の他、無線機搭載型、パネルバン型、水タンク搭載型、エアコンプレッサー搭載型などの派生型も製造された。
モーリスC9/B ボフォース 40mm対空機関砲搭載型
モーリスC8 GSのロングホイールベース型をベースに、荷台部分にボフォース 40mm機関砲を搭載した自走対空砲型。

画像

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使用国

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出典

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  1. ^ この当時はWar Department(戦争局)と呼ばれていた。

関連項目

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外部リンク

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