「片岡愛之助 (5代目)」の版間の差分
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五代目 '''片岡 愛之助'''(かたおか あいのすけ、[[1904年]]([[明治]]37年)[[10月10日]] - [[1973年]]([[昭和]]48年)[[10月26日]])は関西の[[歌舞伎役者]]。[[屋号]]は[[松廣屋]]。[[定紋]]は銀杏鶴、替紋は銀杏重ね。本名は'''三原 幸三郎'''(みはら こうさぶろう)。 |
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大阪の骨董商の家に生まれる。[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]の門人・[[中村成若]](後の[[市川新昇]])の養子となり明治42年 (1909年)8月大阪[[本町座]]で市川新左衛門を名乗って初舞台。その後養父の死をきっかけに廃業するが、[[大正]]9年(1920年)[[片岡仁左衛門 (12代目)|四代目片岡我童]]に入門、片岡我久三郎を名乗り舞台復帰。昭和3年(1928年)[[名題昇進]]。昭和18年(1943年)4月、東京[[歌舞伎座]]の『[[与話情浮名横櫛]]』(源氏店)の下女役で五代目[[片岡愛之助]]を襲名した。 |
大阪の骨董商の家に生まれる。[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]の門人・[[中村成若]](後の[[市川新昇]])の養子となり明治42年 (1909年)8月大阪[[本町座]]で市川新左衛門を名乗って初舞台。その後養父の死をきっかけに廃業するが、[[大正]]9年(1920年)[[片岡仁左衛門 (12代目)|四代目片岡我童]]に入門、片岡我久三郎を名乗り舞台復帰。昭和3年(1928年)[[名題昇進]]。昭和18年(1943年)4月、東京[[歌舞伎座]]の『[[与話情浮名横櫛]]』(源氏店)の下女役で五代目[[片岡愛之助]]を襲名した。 |
2022年10月15日 (土) 12:06時点における最新版
五代目 | |
屋号 | 松廣屋 |
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定紋 | 銀杏鶴 ![]() |
生年月日 | 1904年10月10日 |
没年月日 | 1973年10月26日(69歳没) |
本名 | 三原幸三郎 |
襲名歴 | 1. 市川新左衛門 2. 片岡我久三郎 3. 五代目片岡愛之助 |
出身地 | 大阪 |
父 | 市川新昇(養父) |
五代目 片岡 愛之助(かたおか あいのすけ、1904年(明治37年)10月10日 - 1973年(昭和48年)10月26日)は関西の歌舞伎役者。屋号は松廣屋。定紋は銀杏鶴、替紋は銀杏重ね。本名は三原 幸三郎(みはら こうさぶろう)。
大阪の骨董商の家に生まれる。初代中村鴈治郎の門人・中村成若(後の市川新昇)の養子となり明治42年 (1909年)8月大阪本町座で市川新左衛門を名乗って初舞台。その後養父の死をきっかけに廃業するが、大正9年(1920年)四代目片岡我童に入門、片岡我久三郎を名乗り舞台復帰。昭和3年(1928年)名題昇進。昭和18年(1943年)4月、東京歌舞伎座の『与話情浮名横櫛』(源氏店)の下女役で五代目片岡愛之助を襲名した。
主に関西歌舞伎で活躍、老役を中心に脇を固めた。地味ながらも演技は巧く新派にも出演したり、十七代目中村勘三郎と共演したりもした。