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'''佐須奈村'''(さすなむら)は、[[長崎県]][[上県郡]]にあった村。[[1955年]]([[昭和]]30年)に南隣<ref>市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 [http://mujina.sakura.ne.jp/history/42/imgs2/19550401.gif 1955年4月1日]</ref>の[[仁田村]]と合併し、[[上県町]]となった。 |
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現在の[[対馬市]]上県町の北部にあたる。 |
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当村域の一帯について、中世は「佐護郡」および「豊崎郡」の各一部、近世は「佐護郷」および「豊崎郷」の各一部に属した<ref>[ |
当村域の一帯について、[[中世]]は「佐護郡」および「豊崎郡」の各一部、近世は「佐護郷」および「豊崎郷」の各一部に属した<ref>[https://www.gappei-archive.soumu.go.jp/db/42naga/176-tusima/Ayumi.htm 対馬6町合併のあゆみ] 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)</ref><ref name="sagogou">角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」</ref><ref name="toyosakigou">角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」</ref><ref name="sagogou" /><ref name="toyosakigou" />。また『津島記事』によれば、佐護郷内には8村<ref>深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。上記のうち深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊の6村は[[1876年]]([[明治]]9年)に統合され、佐護村となった。</ref>、豊崎郷内には枝村1村を含む18村<ref>西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。</ref>が属していたとされる<ref name="sagogou" /><ref name="toyosakigou" />。佐護郷と豊崎郷は対馬島内の他の各郷とともに[[1872年]](明治5年)に廃止された<ref name="sagogou" /><ref name="toyosakigou" />。 |
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* [[1955年]]([[昭和]]30年)[[4月15日]] - [[仁田村]]と合併し町制施行。'''[[上県町]]'''が発足し、佐須奈村は自治体として消滅。 |
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* 平山棐 編『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956888 津島紀事]』163頁 - 210頁、213頁 - 233頁([[1917年]]([[大正]]6年))国立国会図書館デジタルコレクション |
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2022年10月23日 (日) 23:16時点における最新版
さすなむら 佐須奈村 | |
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廃止日 | 1955年4月15日 |
廃止理由 |
新設合併・町制施行 仁田村、佐須奈村 → 上県町 |
現在の自治体 | 対馬市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 上県郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,584人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 上県郡上対馬町、仁田村 |
佐須奈村役場 | |
所在地 | 長崎県上県郡佐須奈村大字佐須奈乙981番地 |
座標 | 北緯34度38分25秒 東経129度23分47秒 / 北緯34.64039度 東経129.39636度座標: 北緯34度38分25秒 東経129度23分47秒 / 北緯34.64039度 東経129.39636度 |
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佐須奈村(さすなむら)は、長崎県上県郡にあった村。1955年(昭和30年)に南隣[1]の仁田村と合併し、上県町となった。
現在の対馬市上県町の北部にあたる。
地理[編集]
対馬島の北西部に位置する。
- 山:御岳(雄岳、雌岳、平岳)、香ノ木山、太田隈山、七本松山、天狗山、千俵蒔山(井口岳)、ガウチ山、大久間山、念仏峠
- 河川:佐護川、仁田ノ内川、中山川、美止々川、深山川、白石川、大江川
- 港湾:佐須奈港、佐須奈湾
沿革[編集]
当村域の一帯について、中世は「佐護郡」および「豊崎郡」の各一部、近世は「佐護郷」および「豊崎郷」の各一部に属した[2][3][4][3][4]。また『津島記事』によれば、佐護郷内には8村[5]、豊崎郷内には枝村1村を含む18村[6]が属していたとされる[3][4]。佐護郷と豊崎郷は対馬島内の他の各郷とともに1872年(明治5年)に廃止された[3][4]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、佐須奈村・西津屋村・佐護村が合併し上県郡佐須奈村が発足[7]。
- 1955年(昭和30年)4月15日 - 仁田村と合併し町制施行。上県町が発足し、佐須奈村は自治体として消滅。
地名[編集]
大字を行政区域とする。
名所・旧跡[編集]
佐須奈村出身の著名人[編集]
参考文献[編集]
脚注[編集]
- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月1日
- ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
- ^ 深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。上記のうち深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊の6村は1876年(明治9年)に統合され、佐護村となった。
- ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
- ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1]、[2]』長崎県公報 1908年(明治41年)3月25日付号外
- ^ 地内は東里・西里・南里・北里に分かれる。
- ^ 室町時代の文書には「佐須那」の表記も見られる。また現在の大字佐須奈において「佐須奈甲○○番地」「佐須奈乙○○番地」のように、住所上の地番の先頭に十干が付加されている。これは『津島紀事』に記載されている江戸時代までの佐須奈村の枝里である日吉(ひよし)と大地(おおち)の名残とみられ、甲はかつての大地とその周辺山間部、乙はかつての日吉とその周辺山間部の区域に比定される。