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'''イリマニ'''('''Illimani'''または'''Nevado Del Illimani''')は[[南アメリカ|南米]][[ボリビア]]の[[アンデス山脈]]レアル山群(Cordillera Real)にある[[山]]である。 |
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== 概要 == |
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⚫ | ボリビア中央部の[[ラパス|ラパス県]]にあり、レアル山群を含むアンデス山脈の東山脈(''Cordillera Oriental'')の最高峰である<ref>アンデス山脈の最高峰は[[アコンカグア]]。ボリビアの最高峰は[[サハマ]]。</ref>。4つの鋭峰を持ち、最も高い南峰は標高6,439m。標高4,500m以上は万年雪に覆われている。残る3つのピークは、北峰(デ・パリス峰De Paris)6,403m・ライカ・クリュ峰Layca Kullu6,149m・ピコ・デル・インディオ峰Pico Dei Indio6,109mとなっている<ref>標高は、資料によって異なるがボリビア国内で販売されている複数の地図の数字を採用した。</ref>。 |
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また、多くのアンデス[[フォルクローレ]]に歌われている。そのほとんどが山の美しさや偉大な自然を讃える歌詞であり、国の誇りとして歌い上げられる。 |
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なお、この山の名を冠した「[[インティ・イリマニ]]」(''Inti-Illimani'')というフォルクローレの有名なグループがあるが、このグループはボリビアではなく[[チリ]]のグループである。 |
なお、この山の名を冠した「[[インティ・イリマニ]]」(''Inti-Illimani'')というフォルクローレの有名なグループがあるが、このグループはボリビアではなく[[チリ]]のグループである。 |
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== 歴史 == |
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「イリマニ」とは、[[アイマラ|アイマラ語]]で「[[黄金]]の[[コンドル]]」を意味する言葉である。 |
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「初登頂」は1898年に英国人とスイス人の登山チームにより記録されるが、このとき6000m付近で、原住民が作ったと思われるロープの切れ端が発見されている。 |
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[[1985年]][[1月1日]]、[[パラグアイ]]の首都[[アスンシオン]]から[[エル・アルト国際空港]]に向けて飛行していた[[イースタン航空]]の980便が、標高19,600フィート(約5,970m)付近に衝突した([[イースタン航空980便墜落事故]])<ref name="Aviation Safety Network">{{Cite web|url = http://aviation-safety.net/database/record.php?id=19850101-0|title= ASN Aircraft accident Boeing 727-225 N819EA Nevado Illimani| publisher = Aviation Safety Network|accessdate=2015-06-30}}</ref>。墜落地点が山頂近くであったこと、悪天候のため救助活動が遅れた。乗員乗客29名全員が死亡。[[ボイスレコーダー#コックピットボイスレコーダー (CVR)|コックピットボイスレコーダー]]やフライトデータレコーダーは未だに回収されていない。 |
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== 脚注 == |
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[[Category:ラパス県 (ボリビア)]] |
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[[Category:6000メートル峰]] |
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2022年11月23日 (水) 12:53時点における最新版
イリマニ | |
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![]() ラパス市からのイリマニ(2001年12月撮影) | |
標高 | 6,439 m |
所在地 |
![]() |
位置 | 南緯16度39分14秒 西経67度47分05秒 / 南緯16.65389度 西経67.78472度座標: 南緯16度39分14秒 西経67度47分05秒 / 南緯16.65389度 西経67.78472度 |
山系 | アンデス山脈レアル山群 |
初登頂 | ウィリアム・マルチン・コンウェイ(1898年) |
イリマニの位置(ボリビア) | |
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イリマニ(IllimaniまたはNevado Del Illimani)は南米ボリビアのアンデス山脈レアル山群(Cordillera Real)にある山である。
概要[編集]
ボリビア中央部のラパス県にあり、レアル山群を含むアンデス山脈の東山脈(Cordillera Oriental)の最高峰である[1]。4つの鋭峰を持ち、最も高い南峰は標高6,439m。標高4,500m以上は万年雪に覆われている。残る3つのピークは、北峰(デ・パリス峰De Paris)6,403m・ライカ・クリュ峰Layca Kullu6,149m・ピコ・デル・インディオ峰Pico Dei Indio6,109mとなっている[2]。
「イリマニ」とは、アイマラ語で「黄金のコンドル」を意味する。ボリビアの事実上の首都ラパス市の南東約30kmあまりに位置し、晴れていれば市内どこからでもその姿を眺めることができる。このため、古くから信仰の対象になるなど、重要な意味を持って扱われている。ボリビアではアンデスの神話の中の最高神インティを表すものとしてとらえられている。また、山の美しさや偉大な自然を讃える多くのアンデスフォルクローレに歌われている。
なお、この山の名を冠した「インティ・イリマニ」(Inti-Illimani)というフォルクローレの有名なグループがあるが、このグループはボリビアではなくチリのグループである。
歴史[編集]
「初登頂」は1898年に英国人とスイス人の登山チームにより記録されるが、このとき6000m付近で、原住民が作ったと思われるロープの切れ端が発見されている。
1985年1月1日、パラグアイの首都アスンシオンからエル・アルト国際空港に向けて飛行していたイースタン航空の980便が、標高19,600フィート(約5,970m)付近に衝突した(イースタン航空980便墜落事故)[3]。墜落地点が山頂近くであったこと、悪天候のため救助活動が遅れた。乗員乗客29名全員が死亡。コックピットボイスレコーダーやフライトデータレコーダーは未だに回収されていない。