「ヤン・ジシュカ」の版間の差分
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[[File:Matejko Battle of Grunwald.jpg|thumb|500px|[[グルンヴァルトの戦い]]で[[ポーランド王国]]とともに戦うヤン・ジシュカ<br>中央やや右下、胴鎧をつけ右肩に振りかぶった刀を敵[[ドイツ騎士団]]兵士にむけて今まさに振り下ろそうとしている<br>[[ヤン・マテイコ]]画『グルンヴァルトの戦い』]] |
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'''ヤン・ジシュカ'''('''Jan Žižka''', [[1374年]] - [[1424年]][[10月11日]])は、[[ボヘミア]]で1419年から起った[[フス戦争]]の[[英雄]]。 |
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'''ヤン・ジシュカ'''(Jan Žižka、[[1360年]] - [[1424年]][[10月11日]])は、[[ボヘミア]]で1419年から起った[[フス戦争]]の[[英雄]]。「ジシュカ」は「ジシカ」とも表記する<ref>{{Cite book|和書 |year = 2017 |title = 地球の歩き方 2017〜18 チェコ/ポーランド/スロヴァキア |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 170 |isbn = 978-4-478-06043-8}}</ref>。 |
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旧[[チェコスロバキア]]で流通した[[1958年]] - [[1972年]]発行の25コルナ、[[1971年]] - [[1988年]]発行の25コルナ紙幣でそれぞれ肖像が使用されていた。 |
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== 生涯 == |
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隻眼であったため、隻眼のジシュカと称された。はじめ没落した[[ボヘミア]]の小貴族であったが、智勇兼備の人物であったため、[[傭兵]]となって次第に頭角を現わ |
[[隻眼]]であったため、隻眼のジシュカと称された(晩年には[[全盲]]となった)。はじめ没落した[[ボヘミア]]の小貴族であったが、智勇兼備の人物であったため、[[傭兵]]となって次第に頭角を現わす。[[1410年]]の[[タンネンベルクの戦い (1410年)|グルンヴァルトの戦い]](タンネンベルクの戦い)にも多くのボヘミア義勇隊に参加して[[ポーランド王国]]に味方して戦った。 |
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その後、[[ボヘミア君主一覧|ボヘミア王]][[ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)|ヴァーツラフ4世]]の軍事顧問となるが、この頃ボヘミアの首都プラハでは教会の腐敗を批判する宗教改革者[[ヤン・フス]]が活動しており、ジシュカはその思想に心酔していったと考えられる。 |
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[[1421年]]、ジシュカは強大な軍事力を背景としてジギスムントのボヘミア王廃位を宣言し、臨時政府を樹立する。その後もジギスムントの神聖ローマ帝国軍に連戦連勝を重ねたが、まもなく病のために失明する。さらにローマ教皇やジギスムントとの和睦を求めるフス派の穏健派とも対立するなど、晩年は苦難の連続であった。1424年、[[モラヴィア]]遠征中に[[ペスト]]にかかり、間もなく死去した。 |
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フス派内部には、聖書原理主義に立つ[[アダム派]]のような過激な急進派から、カトリックとの宥和をはかる富裕層を中心とした[[ウトラキスト|穏健派]]まで、様々なグループが混在したため(ジシュカ自身も[[1423年]]ターボル派から距離を置いて[[オレープ派]]を結成)ジシュカは対応に苦慮したが、強大な軍事力を背景として諸派を統率。[[1424年]]には穏健派との戦いに勝利し、全フス派の事実上の指導者となった。 |
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しかし同年、[[モラヴィア]]遠征中に[[ペスト]]にかかり、間もなく死去した。 |
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ジシュカを慕うフス派の兵士たちは自らを「孤児」と称し、ジシュカの戦術を継承してフス戦争を戦い続けた。 |
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==新兵器== |
==新兵器== |
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[[File:Wagenburg.jpg|thumb|200px|フス派の戦車([[:de:Tabor (Wehranlage)|Tabor]])]] |
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*短銃([[ピストル]]) - 当時、銃を製造していたイタリアの[[ピストイア]]に由来する。ただし、ピストイアでいわゆるピストルが発明されたのは1540年頃と言われているので、フス戦争に使われた短銃はまだピストルほど小さくなかった。 |
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[[ファイル:Husitsky bojovy vuz replika.jpg|thumb|200px|フス派の戦車、当時の再現]] |
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*[[:w:Conestoga wagon|Conestoga wagon]] - 馬で引く農業用車両を鉄板で包み、銃眼を備えた堡塁車両 |
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*[[マスケット銃]] - 当時、火薬兵器としては[[大砲]]はすでに用いられていたが、携帯可能な銃火器としてはヨーロッパで最も古く単純なものが開発され、実戦で利用された。「ピスタラ」(Pistala、チェコ語で「笛」を意味する)とも呼ばれ、[[ピストル]]の語源になったともいわれる。 |
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*{{仮リンク|ハンドキャノン|pl|Piszczał|de|Handrohr|en|Hand cannon}} |
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*[[ウォーワゴン|装甲馬車(ウォーワゴン)]]([[:de:Tabor (Wehranlage)|Tabor]]) - 「ワゴンブルク」とも呼ばれる(直訳すると「荷車城塞」)。馬で引く農業用荷車の車体上下に厚板製の銃眼付き胸壁を備え、戦闘時には輪状に連結することで簡易城砦と化した。 |
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== 関連作品 == |
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*『[[乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ]]』 - [[大西巷一]]による、[[フス戦争]]を題材とした漫画作品。[[フス派]]の視点から描かれており、主要人物として登場する。 |
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*2022年9月、チェコのペトル・ヤクル監督、[[ベン・フォスター (俳優)|ベン・フォスター]]主演で映画「ヤン・ジシュカ」が公開される。チェコ映画史上最高額の製作費で全編英語で製作された。 |
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== 脚注 == |
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*[http://www.pamatnik-vitkov.cz/ Jan-Žižka-Denkmal auf dem Prager Veitsberg] |
*[http://www.pamatnik-vitkov.cz/ Jan-Žižka-Denkmal auf dem Prager Veitsberg] |
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2022年12月29日 (木) 08:23時点における最新版
ヤン・ジシュカ(Jan Žižka、1360年 - 1424年10月11日)は、ボヘミアで1419年から起ったフス戦争の英雄。「ジシュカ」は「ジシカ」とも表記する[1]。
旧チェコスロバキアで流通した1958年 - 1972年発行の25コルナ、1971年 - 1988年発行の25コルナ紙幣でそれぞれ肖像が使用されていた。
生涯
[編集]隻眼であったため、隻眼のジシュカと称された(晩年には全盲となった)。はじめ没落したボヘミアの小貴族であったが、智勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現わす。1410年のグルンヴァルトの戦い(タンネンベルクの戦い)にも多くのボヘミア義勇隊に参加してポーランド王国に味方して戦った。
その後、ボヘミア王ヴァーツラフ4世の軍事顧問となるが、この頃ボヘミアの首都プラハでは教会の腐敗を批判する宗教改革者ヤン・フスが活動しており、ジシュカはその思想に心酔していったと考えられる。
1415年、フスが異端の罪で火刑にされると、ローマ教皇や時の神聖ローマ皇帝ジギスムントに対して反感を強めたフスの信奉者(フス派)を率いてカトリック派を攻撃(1419年のプラハ窓外投擲事件にも関わっていたとも言われる)。ヴァーツラフ4世の死後、ジギスムントがボヘミア王に即位するとこれに反抗してフス戦争を引き起こした。
1420年、迫害を逃れてきたフス派の民衆をボヘミア南部の山中に集めて城塞都市ターボルを建設し、フス派の中でも急進派といわれたターボル派を結成した。ジシュカが作り出したターボル派の軍は、信仰に基づく厳格な軍紀とマスケット銃や戦車などの新兵器によって無類の強さを発揮し、ジギスムントの神聖ローマ帝国軍やフス派撲滅のための十字軍も、ジシュカの前に何度も大敗を喫した。
フス派内部には、聖書原理主義に立つアダム派のような過激な急進派から、カトリックとの宥和をはかる富裕層を中心とした穏健派まで、様々なグループが混在したため(ジシュカ自身も1423年ターボル派から距離を置いてオレープ派を結成)ジシュカは対応に苦慮したが、強大な軍事力を背景として諸派を統率。1424年には穏健派との戦いに勝利し、全フス派の事実上の指導者となった。 しかし同年、モラヴィア遠征中にペストにかかり、間もなく死去した。
ジシュカを慕うフス派の兵士たちは自らを「孤児」と称し、ジシュカの戦術を継承してフス戦争を戦い続けた。
新兵器
[編集]- マスケット銃 - 当時、火薬兵器としては大砲はすでに用いられていたが、携帯可能な銃火器としてはヨーロッパで最も古く単純なものが開発され、実戦で利用された。「ピスタラ」(Pistala、チェコ語で「笛」を意味する)とも呼ばれ、ピストルの語源になったともいわれる。
- ハンドキャノン
- 装甲馬車(ウォーワゴン)(Tabor) - 「ワゴンブルク」とも呼ばれる(直訳すると「荷車城塞」)。馬で引く農業用荷車の車体上下に厚板製の銃眼付き胸壁を備え、戦闘時には輪状に連結することで簡易城砦と化した。
関連作品
[編集]- 『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』 - 大西巷一による、フス戦争を題材とした漫画作品。フス派の視点から描かれており、主要人物として登場する。
- 2022年9月、チェコのペトル・ヤクル監督、ベン・フォスター主演で映画「ヤン・ジシュカ」が公開される。チェコ映画史上最高額の製作費で全編英語で製作された。
脚注
[編集]- ^ 『地球の歩き方 2017〜18 チェコ/ポーランド/スロヴァキア』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、170頁。ISBN 978-4-478-06043-8。