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{{出典の明記|date=2019年12月3日 (火) 14:20 (UTC)|ソートキー=人1742年没}}
'''木下 俊監'''(きのした としてる、[[享保]]9年([[1724年]]- [[寛保]]元年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]([[1742年]][[1月20日]]))は、[[江戸時代]]の大名。[[豊後国|豊後]][[日出藩]]の第7代藩主。
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'''木下 俊監'''(きのした としてる)は、[[江戸時代]]中期の大名。[[豊後国|豊後]][[日出藩]]7代藩主。
第4代藩主・[[木下俊量]]の八男。母は側室黒川氏。官位は夭折のためなし。'''長監'''(ながてる)とも名乗る。幼名は岩三郎。


== 経歴 ==
[[元文]]3年([[1738年]])、叔父で先代藩主の[[木下俊保]]が嗣子無く死去したため、その養嗣子となってを継いだ。寛保元年(1741年)12月14日、[[江戸]]で死去し、を弟の[[木下俊能]]が継いだ。法号義善院。墓所東京都港区高輪の泉岳寺。
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== 系譜 ==
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'''父母'''
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[[Category:1742年没]]

2023年1月2日 (月) 11:43時点における最新版

 
木下俊監
時代 江戸時代中期
生誕 享保9年(1724年
死没 寛保元年12月14日1742年1月20日
改名 岩三郎、俊監
戒名 義善院
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
豊後日出藩
氏族 木下氏
父母 木下俊量、黒川氏
木下俊保
兄弟 量道俊在俊監俊能俊泰
相良長興正室、久留島光通正室、
木下栄俊正室、大久保忠肥正室、
松平義著正室、横山清章正室ら
俊能
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木下 俊監(きのした としてる)は、江戸時代中期の大名。豊後日出藩7代藩主。

経歴

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元文3年(1738年)、叔父で先代藩主の俊保が嗣子無く死去したため、その養嗣子となって跡を継いだ。寛保元年(1741年)12月14日、江戸で死去し、跡を弟の俊能が継いだ。法号は義善院。墓所は東京都港区高輪泉岳寺

系譜

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父母

養子