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:[[平成研究会|竹下派]]の後継者を巡り、[[梶山静六]]・[[奥田敬和]]を含めた[[竹下派七奉行]]は[[一龍戦争]]・[[一六戦争]]を経て、[[1992年]]に小沢(羽田・小沢・奥田・渡部)・反小沢(小渕・橋本・梶山)に分裂する。 |
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:[[宏池会|宮澤派]]の後継者を巡り、加藤がリクルート事件で謹慎する中、[[新自由クラブ]]を経て入会した河野が頭角を現し、両者の間に[[KK戦争]]が発生、1999年に河野は[[志公会|河野グループ]]を結成する。 |
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*[[加藤紘一]] - 後の[[宮澤内閣]][[内閣官房長官]]、自民党幹事長。[[加藤の乱]]を起こし、失脚する。 |
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:藤波の失脚後、[[政策科学研究所|中曽根派]]の後継者はかつて派閥を飛び出したこともある[[渡辺美智雄]]で決着する。 |
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*[[藤波孝生]] - [[労働省|労働大臣]]、中曽根内閣内閣官房長官を歴任していたが、[[リクルート事件]]で失脚する。 |
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:リクルート事件をきっかけに、海部は派閥領袖の[[河本敏夫]]を差し置き首相に就任。 |
:リクルート事件をきっかけに、海部は派閥領袖の[[河本敏夫]]を差し置き首相に就任。 |
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*[[海部俊樹]] - 後の第76・77代 |
*[[海部俊樹]] - 後の第76・77代内閣総理大臣 |
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==参考文献== |
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*『21世紀の首相候補生―ネオ・リーダー時代の幕開け』([[時事通信社]]政治部 1988年12月刊) |
*『21世紀の首相候補生―ネオ・リーダー時代の幕開け』([[時事通信社]]政治部 1988年12月刊) |
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*『これからの内閣総理大臣候補十三人衆―自民党ネオ・ニューリーダーの研究』([[宮下博行]] 1988年9月刊) |
*『これからの内閣総理大臣候補十三人衆―自民党ネオ・ニューリーダーの研究』([[宮下博行]] 1988年9月刊) |
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*『自民党の若き獅子たち』([[大下英治]] 角川書店 1988年)ISBN 978-4041571088 |
*『自民党の若き獅子たち』([[大下英治]] 角川書店 1988年)ISBN 978-4041571088 |
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==関連項目== |
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*[[安竹宮]] |
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2023年1月9日 (月) 13:20時点における最新版
ネオ・ニューリーダーは、中曽根康弘政権末期より自民党内で安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一のいわゆるニューリーダーに続く、次々世代指導者を評した造語(ネオとは、ギリシア語で「新しい」を意味する語)である。
概要[編集]
三角大福中から安竹宮へ移行した当時、彼らは閣僚経験を経て派閥のプリンスとしての地歩を固めつつあった。1988年のリクルート事件では、事件に関与したニューリーダー及びネオ・ニューリーダーが謹慎を余儀なくされる中、これに関与していなかったネオ・ニューリーダーが急速に勢力を拡大した。この結果、派閥継承をめぐり“戦争”と形容される抗争を繰り広げることになる。
該当者のうち、小渕・渡部・三塚・森・河野・藤波・海部は早稲田大学出身(河野以外は雄弁会に在籍)であり、竹下登に連なる人脈でもあった。
主な人物[編集]
- 小渕恵三 - 後の第84代内閣総理大臣
- 小沢一郎 - 自民党幹事長、民主党代表を歴任。55年体制を壊した立役者。
- 羽田孜 - 後の第80代内閣総理大臣
- 橋本龍太郎 - 後の第82・83代内閣総理大臣
- 渡部恒三 - 後の衆議院副議長
- 安倍派出身
- 安倍派の後継者を巡り、塩川正十郎・加藤六月を含めた安倍派四天王では、森・加藤がリクルート事件で謹慎する中で、急速に力をつけたのは三塚であった。森を味方につけた三塚と塩川を推した加藤の間で三六戦争が発生、福田赳夫の説得で塩川が降りたことから三塚の勝利に終わり、1991年に加藤は派閥を除名される。
- 河本派出身
- リクルート事件をきっかけに、海部は派閥領袖の河本敏夫を差し置き首相に就任。
- 海部俊樹 - 後の第76・77代内閣総理大臣
参考文献[編集]
- 『21世紀の首相候補生―ネオ・リーダー時代の幕開け』(時事通信社政治部 1988年12月刊)
- 『これからの内閣総理大臣候補十三人衆―自民党ネオ・ニューリーダーの研究』(宮下博行 1988年9月刊)
- 『自民党の若き獅子たち』(大下英治 角川書店 1988年)ISBN 978-4041571088