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「壇ノ浦夜合戦記」の版間の差分

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『'''壇ノ浦夜合戦記'''』(だんのうらの よる かっせんき)は、日本の[[古典]][[春本]]の一つ。[[壇ノ浦の戦い]]で入水するが救出された[[平徳子|建礼門院]]と、救った[[源義経]]の[[情事]]を描いたもの。
『'''壇ノ浦夜合戦記'''』(だんのうらの よる かっせんき)は、日本の[[古典]][[春本]]の一つ。[[壇ノ浦の戦い]]で入水するが救出された[[平徳子|建礼門院徳子]]と、救った[[源義経]]の[[情事]]を描いたもの。


[[江戸時代]]に作られた好色文学<ref>「身もフタもない日本文学史 79P」</ref>。[[頼山陽]]の作と言われているが、仮託の可能性が高い。元々は漢文で書かれた。
[[江戸時代]]に作られた好色文学<ref>「身もフタもない日本文学史 79P」</ref>。[[頼山陽]]の作と言われているが、仮託の可能性が高い。元々は漢文で書かれた。
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== 概要 ==
== 概要 ==
壇ノ浦の戦いの際、心ならずも命長らえた平徳子。義経は徳子を慰めるべく酒宴を開き、家臣や女官たちに酒を振る舞う。その後、義経は徳子と二人きりになると、あの手この手駆使、情事に持ち込むことに成功する
壇ノ浦の戦いの際、心ならずも命長らえた平徳子。義経は徳子を慰めるべく酒宴を開き、家臣や女官たちに酒を振る舞う。その後、義経は徳子と二人きりになると、彼女口説き落とし、様々な方法で情事を行う


なお、義経と建礼門院が情を通じるという話自体は『[[源平盛衰記]]』以来見られたもので、[[江戸時代]]には庶民の間にも普及しており、これを題材とした[[狂歌]]なども読まれている。ただし信憑性はほぼ無いと考えられている。
なお、義経と建礼門院が情を通じるという話自体は『[[源平盛衰記]]』以来見られたもので、[[江戸時代]]には庶民の間にも普及しており、これを題材とした[[狂歌]]なども読まれている。


[[1977年]]には『[[壇の浦夜枕合戦記]]』の題で映画化された。
1977年には『[[壇の浦夜枕合戦記]]』の題で映画化された([[神代辰巳]]監督、[[風間杜夫]]主演)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*[[清水義範]]「身もフタもない日本文学史」(PHP新書)
*[[清水義範]]「身もフタもない日本文学史」([[PHP新書]]


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2023年1月27日 (金) 14:43時点における最新版

壇ノ浦夜合戦記』(だんのうらの よる かっせんき)は、日本の古典春本の一つ。壇ノ浦の戦いで入水するが救出された建礼門院徳子と、救った源義経情事を描いたもの。

江戸時代に作られた好色文学[1]頼山陽の作と言われているが、仮託の可能性が高い。元々は漢文で書かれた。

概要

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壇ノ浦の戦いの際、心ならずも命長らえた平徳子。義経は徳子を慰めるべく酒宴を開き、家臣や女官たちに酒を振る舞う。その後、義経は徳子と二人きりになると、彼女を口説き落とし、様々な方法で情事を行う。

なお、義経と建礼門院が情を通じるという話自体は『源平盛衰記』以来見られたもので、江戸時代には庶民の間にも普及しており、これを題材とした狂歌なども読まれている。

1977年には『壇の浦夜枕合戦記』の題で映画化された(神代辰巳監督、風間杜夫主演)。

脚注

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  1. ^ 「身もフタもない日本文学史 79P」

参考文献

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