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| 画像説明 = [[横浜DeNAベイスターズ]]球団スタッフ時代の前田浩継<br>(2022年9月2日、[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]にて) |
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'''前田 浩継'''(まえだ ひろつぐ、[[1976年]][[1月3日]] - )は、[[福岡県]][[宗像市]]出身の元[[プロ野球]]選手([[投手]])。 |
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現在は、[[横浜DeNAベイスターズ]]の一軍マネジャー。 |
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===プロ入り前=== |
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[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高]]3年の時に[[第75回全国高等学校野球選手権大会]]に出場、初戦(2回戦)敗退。 |
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引退後は、古巣・東京ヤクルトの[[打撃投手]]や[[横浜DeNAベイスターズ]]の打撃投手を経て、2015年から[[中畑清]]監督の専属広報という形で横浜DeNAベイスターズ一軍サブマネジャーに就く。中畑の退任後も引き続き一軍サブマネジャーを務め、左腕ということで、時に打撃投手を務めることもある。北京五輪予選([[第24回アジア野球選手権大会|アジア地区]]及び[[2008年北京オリンピックの野球競技・世界最終予選|最終予選]])、[[2008年北京オリンピックの野球競技|北京五輪本大会]]、[[2009_ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]でも日本代表の打撃投手を務めており、WBC連覇を果たした日本代表チームを陰ながら支えた。 |
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* 初奪三振:同上、3回裏に[[フランク・ボーリック]]から |
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* 初先発 |
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2023年2月20日 (月) 10:43時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県宗像市 |
生年月日 | 1976年1月3日(48歳) |
身長 体重 |
174 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト3位 |
初出場 | 1999年9月12日 |
最終出場 | 2004年4月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
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前田 浩継(まえだ ひろつぐ、1976年1月3日 - )は、福岡県宗像市出身の元プロ野球選手(投手)。
現在は、横浜DeNAベイスターズの一軍マネジャー。
来歴・人物
プロ入り前
東福岡高3年の時に第75回全国高等学校野球選手権大会に出場、初戦(2回戦)敗退。
九州共立大学に進学後、福岡六大学リーグで最優秀選手を3回、6季連続ベストナインを獲得する活躍をみせ[1]、3年時の大学選手権では準優勝。1997年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから3位指名を受け、入団。登録名は当時監督だった仰木彬の発案により「ヒロ」となった。
オリックス時代
1998年シーズンは一軍登板なしに終わった。
1999年シーズンはプロ入り初登板を果たしたがこの1試合だけに終わり、わずか2年で戦力外通告を受けた。
結局オリックス時代は、病気などもあり、即戦力としての期待に応えられなかった。その後、テスト入団でヤクルトスワローズへ移籍。
ヤクルト時代
2000年シーズンは初先発を含み、11試合に登板し、2勝2敗、防御率3.48の活躍を見せた。
2001年シーズンは先発投手として登板数を大きく増やし、28試合に登板し、7勝を挙げ、規定投球回にも初めて到達する活躍見せ、チームのリーグ優勝と日本一に貢献。大阪近鉄バファローズとの日本シリーズでは第4戦に先発登板し、勝ち負けは付かなかったが6回1失点といてまえ打線を封じ込める活躍を見せた。
2002年シーズンは前年のシーズンの活躍から一転し、先発での登板数は3試合に留まり、中継ぎでの登板が多くなった。安定感を欠き、3勝しか挙げられなかった。
2003年シーズンはサイドスローへ転向したが先発での登板は1試合だけとなり、中継ぎ要員となった。15試合の登板に終わった。
2004年シーズンは2試合に登板しただけで一軍登録を抹消され、シーズン途中に田中充投手・丸山泰嗣内野手との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。
ロッテ時代
2004年シーズンは一軍登板なしに終わった。
2005年シーズンも先発陣、リリーフ陣ともに層が厚く、一軍での登板はこの年のシーズンもなかった。チーム2位からの31年ぶりのリーグ優勝と日本一には貢献できず、同年のシーズン限りで現役を引退。
引退後
引退後は、古巣・東京ヤクルトの打撃投手や横浜DeNAベイスターズの打撃投手を経て、2015年から中畑清監督の専属広報という形で横浜DeNAベイスターズ一軍サブマネジャーに就く。中畑の退任後も引き続き一軍サブマネジャーを務め、左腕ということで、時に打撃投手を務めることもある。北京五輪予選(アジア地区及び最終予選)、北京五輪本大会、第2回WBCでも日本代表の打撃投手を務めており、WBC連覇を果たした日本代表チームを陰ながら支えた。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | オリックス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 0.2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 27.00 | 6.00 |
2000 | ヤクルト | 11 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 153 | 33.2 | 37 | 5 | 16 | 1 | 2 | 15 | 0 | 0 | 13 | 13 | 3.48 | 1.57 |
2001 | 28 | 23 | 2 | 1 | 0 | 7 | 10 | 0 | -- | .412 | 630 | 146.2 | 162 | 23 | 44 | 4 | 2 | 85 | 8 | 0 | 73 | 64 | 3.93 | 1.40 | |
2002 | 16 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | .750 | 139 | 32.1 | 38 | 5 | 8 | 0 | 0 | 27 | 3 | 0 | 16 | 15 | 4.18 | 1.42 | |
2003 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 81 | 19.2 | 22 | 7 | 4 | 0 | 0 | 11 | 1 | 0 | 10 | 10 | 4.58 | 1.32 | |
2004 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 16.20 | 3.00 | |
通算:6年 | 73 | 33 | 2 | 1 | 0 | 12 | 14 | 0 | -- | .462 | 1018 | 234.2 | 268 | 40 | 72 | 5 | 4 | 141 | 12 | 0 | 117 | 107 | 4.10 | 1.45 |
記録
- 初登板:1999年9月12日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏1死に3番手として救援登板、2/3回4失点
- 初奪三振:同上、3回裏にフランク・ボーリックから
- 初先発:2000年9月3日、対広島東洋カープ23回戦(広島市民球場)、4回0/3を3失点
- 初勝利・初先発勝利:2000年9月12日、対横浜ベイスターズ22回戦(明治神宮野球場)、5回2失点
- 初完投:2001年5月9日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤドーム)、8回2失点で敗戦投手
- 初完投勝利・初完封勝利:2001年7月8日、対中日ドラゴンズ15回戦(明治神宮野球場)
背番号
- 24 (1998年 - 1999年)
- 60 (2000年)
- 47 (2001年 - 2004年途中)
- 37 (2004年途中 - 2005年)
- 95 (2006年 - 2009年)
- 109 (2010年 - 2011年)
- 94 (2012年 - 2014年)
- 119 (2015年 - 2022年)
登録名
- ヒロ (ひろ、1998年 - 1999年)
- 前田 浩継 (まえだ ひろつぐ、2000年 - 2005年)
脚注
- ^ “福岡6大学野球連盟 歴代表彰選手一覧”. 2011年10月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 前田浩継 - NPB.jp 日本野球機構