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{{出典の明記|date=2019年3月5日 (火) 06:03 (UTC)|ソートキー=人1615年没}} |
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'''戸田 尊次'''(とだ たかつぐ、[[1565年]]([[永禄]]8年) - [[1615年]]([[元和]]元年))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]。田原[[戸田氏]]の支族に当たる[[戸田忠次]]の子。田原戸田家3代当主。通称は甚九郎。 |
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{{基礎情報 武士 |
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| 氏名 = 戸田尊次 |
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| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[江戸時代]]初期 |
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| 生誕 = [[永禄]]8年([[1565年]]) |
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| 死没 = [[元和 (日本)|元和]]元年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]([[1615年]][[8月30日]]) |
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| 改名 = |
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| 別名 = 甚九郎、三郎右衛門([[仮名 (通称)|通称]]) |
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| 諡号 = |
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| 戒名 = 透関院殿決山全勝大居士 |
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| 墓所 = [[愛知県]][[田原市]]大久保町の[[長興寺 (田原市)|長興寺]] |
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| 官位 = [[従五位|従五位下]]、[[土佐国|土佐]]守 |
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| 幕府 = [[江戸幕府]] |
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| 主君 = [[徳川家康]] |
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| 藩 = [[三河国|三河]][[田原藩]]主 |
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| 氏族 = [[戸田氏|田原戸田氏]] |
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| 父母 = 父:[[戸田忠次]] |
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| 兄弟 = |
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| 妻 = '''萬松院'''([[松平伊忠]]娘) |
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| 子 = '''[[戸田忠能|忠能]]'''、[[戸田正次|正次]]、[[戸田生勝|生勝]]、[[戸田忠継|忠継]]、[[戸田忠高|忠高]]、<br/> 娘([[蒔田定正]]正室)、娘([[水野忠保]]室)、<br/> 娘(辻某室)、娘([[滝川一乗]]室)、<br/> 娘(戸田某室)ら |
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| 特記事項 = |
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}} |
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'''戸田 尊次'''(とだ たかつぐ)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]、[[大名]]。[[三河国|三河]][[田原藩]]初代藩主。[[宇都宮藩]]戸田家初代。家系の詳細については[[戸田氏]]の項を参照。 |
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== 家系 == |
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[[河内源氏]]の棟梁 [[源義家|八幡太郎義家]]の五世孫 [[戸田信義]]にはじまる戸田氏の支流。戦国時代の武将 三河国田原城主 [[戸田憲光]]の次男、庄左衛門光忠の孫にあたる。(家系の詳細は[[戸田氏]]の項を見よ) |
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'''戸田信義(戸田氏の祖)''' - 戸田義成=戸田頼重(弟)=戸田義房(弟) - 戸田頼方 - 戸田頼房 - 戸田弾宗忠 - 戸田綱光 - [[戸田弾正左衛門宗光]] - 戸田弾正忠憲光 - [[戸田光忠]] - [[戸田忠次]] - '''戸田一西''' |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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[[File:Grave of Toda Takatsugu and Banshōin(Wife of Takatsugu), Chōkōji, Tahara(2016.04.30).jpg|left|thumb|135px|愛知県田原市の長興寺にある戸田尊次(左)と萬松院(右)の墓(2016年4月)]] |
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[[三河一向一揆]]において、父の[[戸田忠次]]と共に[[徳川家康]]に叛いたが、後に帰参して家臣として仕えた。尊次は[[天正]]12年([[1584年]])の[[小牧・長久手の戦い]]を皮切りとして[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では[[丸岡城]](現在の[[福井県]][[坂井市]])攻略で功を立て、翌年にその功を賞されて[[三河国]][[田原城 (三河国)|田原]](現在の[[愛知県]][[田原市]])に1万石の所領を与えられた。慶長12年([[1607年]])、[[従五位|従五位下]]・土佐守に叙任される。 |
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慶長19年([[1614年]])の[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]では[[岡崎城]]の守備を務めた。翌年の夏の陣では[[徳川頼宣]]に属して参戦したが、その途上で病に倒れ、同年7月7日に[[京都]]にて51歳で病死した。跡を長男の[[戸田忠能|忠能]]が継いでいる。五男の[[戸田忠継|忠継]]は[[旗本]]となり、その次男である[[戸田忠時|忠時]]は加増を受けて[[下野国|下野]][[足利藩]]を立藩した。 |
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はじめ父の戸田忠次は[[徳川家康]]に[[三河]]一向一揆で叛いたが、後に子の尊次と共に家康に帰参して、家臣として仕えることになる。尊次は[[1584年]]の[[小牧・長久手の戦い]]を皮切りとして[[1600年]]の[[関ヶ原の戦い]]では[[丸岡城]](現在の[[福井県]][[丸岡町]])攻略で功を立て、翌年にその功を賞されて[[三河国]][[田原城 (三河)|田原]](現在の[[愛知県]][[田原市]])に1万石の所領を与えられた。[[1607年]]、従五位下。[[土佐]]守を叙任される。 |
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[[1614年]]の[[大坂冬の陣]]では[[岡崎城]]の守備を務めた。翌年の夏の陣では[[徳川頼宣]]に属して参戦したが、その途上で病に倒れ、同年秋に[[京都]]にて51歳で病死した。後を長男の[[戸田忠能]]が継いでいる。次男の[[戸田忠次]]は旗本となり、その次男である[[戸田忠時]]は加増を受けて[[足利藩]]を立藩する。 |
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== 栄誉・武勲戦功 == |
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* 栄誉 - 慶長十二年 従五位下土佐守に叙任。 |
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* 武勲 |
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* 天正十二年 - [[小牧・長久手の戦い]]において小牧の陣を守備する。(論功行賞によの三河国和田に五百石を賜る。) |
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* 慶長五年 - [[関が原の戦い]]において丸岡城を落とし、これを守備する。(祖先の地 三河国田原城を賜る。) |
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* 慶長十七年 - [[大坂冬の陣]]において、はじめ岡崎城を守備。ついで大坂にて後列に加わる。 |
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* 元和元年 - [[大坂夏の陣]]において徳川頼宣に属しこれを守る。 |
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== 歴代当主 == |
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祖先 |
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*[[戸田信義]] - 戸田十郎。源氏一門、鎌倉武士。尾張国戸田庄地頭。源義家の五世孫、十郎と称する。戸田氏の祖 |
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*[[戸田義成]] - 戸田彦太郎。戸田氏二代。彦太郎、弟には次郎頼重、十郎義茂がいる。 |
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*[[戸田頼重]] - 戸田孫二郎。戸田氏三代 |
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*[[戸田義房]] - 戸田十郎。戸田氏四代 |
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*[[戸田頼方]] - 戸田十郎。戸田氏五代 |
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*[[戸田頼房]] - 戸田十郎。戸田氏六代 |
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*[[戸田宗忠]] - 戸田弾正忠。七郎左衛門。南北朝時代の武将。南朝方の信濃宮宗良親王の配下。 |
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*[[戸田綱光]] - 戸田三郎。一色七郎を追い勢力拡大。 |
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*[[戸田宗光]] - 弾正左衛門。三河国国人領主。伊勢貞親の被官。足利義政の命で賊徒を倒し勢力拡大。[[松平信光]]の娘婿。 |
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*[[戸田憲光]] - 丹波守。三河くに国人領主。尾張国知多半島に勢力拡大 河和殿。 |
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*[[戸田政光]] - 左近丞。三河国国人領主。 |
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戸田光忠流嫡系歴代当主。主に下野国宇都宮藩主を務める。 |
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#[[戸田光忠]](みつただ) - 政光の跡を継いだ[[戸田康光]]の弟。 |
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#[[戸田忠次]](ただつぐ) - 三河一向一揆で主君・家康を裏切る。 |
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#[[戸田尊次]](たかつぐ)従五位下土佐守。三河国田原藩主。 |
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#[[戸田忠能]](ただよし)従五位下因幡守。三河国田原藩主。戸田尊次の嫡男。 |
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#[[戸田忠昌]](ただまさ)従四位下越前守兼侍従。同地より肥後天草富岡、摂津河内、武蔵国岩槻、下総国佐倉藩主に転ずる。忠能弟[[戸田忠次]]の嫡男。 |
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#[[戸田忠真]](ただざね)従四位下山城守兼侍従。[[戸田忠昌]]の次男。佐倉より越後国高田、下野国宇都宮藩主に転ずる。 |
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#[[戸田忠余]](ただみ)従五位下日向守。戸田忠真の甥。土佐守戸田忠章の嫡男。 |
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#[[戸田忠盈]](ただみつ)従五位下日向守。戸田忠余の四男。肥前国島原藩主に転ずる。 |
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#[[戸田忠寛]](ただとお)従四位下因幡守。侍従。[[戸田忠余]]の五男。下野国宇都宮藩主に転ずる。 |
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#[[戸田忠翰]](ただなか)従五位下能登守。戸田忠寛の長男。 |
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#[[戸田忠延]](ただのぶ)従五位下日向守。戸田忠翰の三男。 |
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#[[戸田忠温]](ただはる)従四位下山城守。侍従。戸田忠翰の五男。 |
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#[[戸田忠明]](ただあき)従五位下因幡守。戸田忠温の三男。 |
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#[[戸田忠恕]](ただゆき)贈従三位。従五位下越前守。戸田忠温の七男。 |
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#[[戸田忠友]](ただとも)従五位下土佐守。分知の旗本、土佐守[[戸田忠偲]]の長男。 |
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尊次の次男 忠次の家系 主に下野国足利藩主を務める。 |
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#[[戸田忠次]](ただつぐ)尊次の次男、祖父の戸田忠次と同名。 |
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#[[戸田忠時]](ただとき)従四位下大炊頭。旗本 [[戸田忠次]]の次男。加増し立藩。初代足利藩主。 |
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#[[戸田忠囿]](ただその)従五位下大隅守。侍従。戸田忠時の四男。 |
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#[[戸田忠位]](ただたか)従五位下出雲守。戸田忠囿の嫡男。 |
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#[[戸田忠言]](ただとき)従五位下大炊頭。戸田忠位の長男。 |
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#[[戸田忠喬]](ただたか)従五位下大炊頭。戸田忠言の八男。 |
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#[[戸田忠禄]](ただとみ)従五位下長門守。戸田忠喬の三男。 |
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#[[戸田忠文]](ただあや)従五位下大炊頭。本家、宇都宮藩主 戸田忠温の四男。 |
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#[[戸田忠行]](ただゆき)従五位下長門守。戸田忠禄の四男。 |
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== 系譜 == |
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'''父母''' |
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* [[戸田氏]](家名) |
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* [[ |
* [[戸田忠次]](父) |
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* [[松本藩]](宗家) |
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* [[松平氏]](主家旧姓) |
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* [[徳川氏]](主家) |
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* [[三河国]](出身) |
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* [[三河一向一揆]](関連事件) |
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* [[関が原の戦い]] |
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* [[大阪冬の陣]] |
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'''正室''' |
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== 関連人物 == |
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* 萬松院 - [[松平伊忠]]の娘 |
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'''子女''' |
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* [[戸田康光]](国人領主、戦国武将。弾正大弼。三河国田原城主。) |
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* [[戸田忠能]](長男) 生母は萬松院 |
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* [[松平康長]](戦国武将、譜代大名。従四位下丹波守。信濃国松本藩主。徳川家康同母妹の婿。) |
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* [[戸田正次]] |
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* [[徳川家康]](主君。征夷大将軍) |
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* [[戸田生勝]] |
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* [[徳川頼宣]](紀州藩主) |
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* [[戸田忠継]] |
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* [[戸田忠高]] |
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* [[蒔田定正]]正室 |
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* [[水野忠保]]室 |
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* 辻某室 |
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* [[滝川一乗]]室 |
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* 戸田某室 |
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{{田原藩主|戸田家|初代|1601年 - 1615年}} |
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[[category:戦国武将|とたたかつく]] |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:とた たかつく}} |
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[[Category:戦国武将]] |
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[[Category:田原藩主|戸01]] |
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[[Category:宇都宮戸田家|たかつく]] |
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[[Category:1565年生]] |
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[[Category:1615年没]] |
2023年3月7日 (火) 12:41時点における最新版
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄8年(1565年) |
死没 | 元和元年7月7日(1615年8月30日) |
別名 | 甚九郎、三郎右衛門(通称) |
戒名 | 透関院殿決山全勝大居士 |
墓所 | 愛知県田原市大久保町の長興寺 |
官位 | 従五位下、土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康 |
藩 | 三河田原藩主 |
氏族 | 田原戸田氏 |
父母 | 父:戸田忠次 |
妻 | 萬松院(松平伊忠娘) |
子 |
忠能、正次、生勝、忠継、忠高、 娘(蒔田定正正室)、娘(水野忠保室)、 娘(辻某室)、娘(滝川一乗室)、 娘(戸田某室)ら |
戸田 尊次(とだ たかつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。三河田原藩初代藩主。宇都宮藩戸田家初代。家系の詳細については戸田氏の項を参照。
生涯
[編集]三河一向一揆において、父の戸田忠次と共に徳川家康に叛いたが、後に帰参して家臣として仕えた。尊次は天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いを皮切りとして慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは丸岡城(現在の福井県坂井市)攻略で功を立て、翌年にその功を賞されて三河国田原(現在の愛知県田原市)に1万石の所領を与えられた。慶長12年(1607年)、従五位下・土佐守に叙任される。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では岡崎城の守備を務めた。翌年の夏の陣では徳川頼宣に属して参戦したが、その途上で病に倒れ、同年7月7日に京都にて51歳で病死した。跡を長男の忠能が継いでいる。五男の忠継は旗本となり、その次男である忠時は加増を受けて下野足利藩を立藩した。
系譜
[編集]父母
- 戸田忠次(父)
正室
- 萬松院 - 松平伊忠の娘
子女