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'''許萬元'''( '''フオー・マンウオン'''、[[1933年]]-[[2005年]]) は[[朝鮮]][[済州道]]出身の弁証法研究者。[[立命館大学]]文学部教授。 |
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| 名前 = 許 萬元<br />(ホ・マンウォン)<!-- 姓と名がある場合は間に半角スペースを入れ、<br />の後に(人名のふりがなを入れる。)を入れる。 --> |
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| 生年月日 = [[1933年]]<!-- {{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD|没}} --> |
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| 主要な作品 = 『ヘーゲル弁証法の本質』<br />『認識論としての弁証法』<br />(以上、『弁証法の理論』の上下巻)<br />『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』 |
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| 学会 = [[日本ヘーゲル学会]] |
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'''許萬元'''(ホ・マンウォン{{efn|フォー・マンウォンとも表記される<ref name="Hattori" />。}}、{{lang-ko|허만원}}、[[1933年]] - [[2005年]][[8月25日]]<ref name="Hattori">{{Cite journal|和書|author=服部健二|authorlink=服部健二|title=追悼 許萬元先生の思い出|journal=立命館哲学|volume=|issue=17|publisher=立命館大学哲学会|date=2006|pages=131-134}}</ref>)は、[[日本]]の[[哲学]]研究者。[[弁証法]]を専門とした。元[[立命館大学]][[文学部]]教授。 |
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== 経歴 == |
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東京の朝鮮人中高校在学中、林光徹校長にすすめられ、[[中央大学]]で哲学を学び、[[東京都立大学]]大学院へ。[[寺沢恒信]]教授の薫陶を受け、[[1968年]]博士課程修了。文学博士(東京都立大学)。在日朝鮮人として初の[[東京都]]職員として東京都立大学助手になる。[[1983年]]に立命館大学へ。趣味は[[囲碁]]。 |
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1933年、[[朝鮮]][[済州特別自治道|済州道]]生まれ。[[東京都立朝鮮人高等学校]]在学中、[[林光徹]]校長にすすめられ、[[中央大学]]文学部哲学科で学ぶ。[[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大学]]大学院人文科学研究科に進み、[[寺沢恒信]]教授を指導教員として指導を受ける。1968年、博士課程を修了。東京都立大学に博士論文を提出し、文学博士号を取得。東京都立大学では初めての哲学分野での文学課程博士であった。 |
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卒業後は東京都立大学助手になる。[[東京都庁|東京都]]全体としては初めての[[在日韓国・朝鮮人]]からの任用となった{{efn|[[公務員]]にあたるため、一般的にそれまで[[国籍条項]]が障壁であったが、[[管理職]]でない限り、組織の意思形成過程に関わる立場にないとされる。}}。1983年に[[立命館大学]]へ移る。 |
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== 人物 == |
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*趣味は[[囲碁]]であった。 |
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*かつての同僚に[[牧野紀之]]がいる。 |
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== 研究内容・業績 == |
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=== 弁証法 === |
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'''[[弁証法]]'''を三つの法則 (「量から質への転化、またはその逆」・「対立物の相互浸透」・「否定の否定」)に集約する見方([[唯物弁証法]])や正反合の図式を批判し、弁証法の本質論として、'''内在主義・歴史主義・総体主義'''の三位一体論を提起した。 |
'''[[弁証法]]'''を三つの法則 (「量から質への転化、またはその逆」・「対立物の相互浸透」・「否定の否定」)に集約する見方([[唯物弁証法]])や正反合の図式を批判し、弁証法の本質論として、'''内在主義・歴史主義・総体主義'''の三位一体論を提起した。 |
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許萬元の弁証法の理論には次のような特徴がある。 |
許萬元の弁証法の理論には次のような特徴がある。 |
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'''1 弁証法の三大特色''' |
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'''[[ヘーゲル]]'''が弁証法の創始者として[[ゼノン]]・[[ヘラクレイトス]]・[[プラトン]]をあげていること(『哲学史講義』)に着目して、ヘーゲルは出自の異なる三つの弁証法(内在的弁証法・生成の弁証法・総体性の弁証法)を一つに統一したと考え、弁証法の三大特色として、内在主義・歴史主義・総体主義を指摘した。 |
'''[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]'''が弁証法の創始者として[[ゼノン (エレア派)|ゼノン]]・[[ヘラクレイトス]]・[[プラトン]]をあげていること(『哲学史講義』)に着目して、ヘーゲルは出自の異なる三つの弁証法(内在的弁証法・生成の弁証法・総体性の弁証法)を一つに統一したと考え、弁証法の三大特色として、内在主義・歴史主義・総体主義を指摘した。 |
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内在主義とは対象を自己運動として把握すること、歴史主義とは過程・否定性に真理をみること、総体主義とは有機的体系・肯定性に真理をみることである。三つの特色はヘーゲルにもマルクスにも共通するが、内容は異なっている。 |
内在主義とは対象を自己運動として把握すること、歴史主義とは過程・否定性に真理をみること、総体主義とは有機的体系・肯定性に真理をみることである。三つの特色はヘーゲルにもマルクスにも共通するが、内容は異なっている。 |
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''' |
'''2 弁証法の二大機能''' |
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「論理的なものの三側面」の規定(ヘーゲル『小論理学』)に着目して、弁証法の二大機能として、理性の否定作用と理性の肯定作用を指摘した。理性の否定作用が歴史主義の原理である。また、理性の肯定作用が総体性の原理である。 |
「論理的なものの三側面」の規定(ヘーゲル『小論理学』)に着目して、弁証法の二大機能として、理性の否定作用と理性の肯定作用を指摘した。理性の否定作用が歴史主義の原理である。また、理性の肯定作用が総体性の原理である。 |
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'''3 矛盾論''' |
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概念の自己運動と矛盾の同等性を主張し、矛盾に |
概念の自己運動と矛盾の同等性を主張し、矛盾に2種類あることを指摘した。否定的理性の必然性にもとづく「闘争矛盾」と肯定的理性の必然性にもとづく「調和矛盾」である。 |
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'''4 ヘーゲルとマルクスの弁証法の違い''' |
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ヘーゲルとマルクスの弁証法の違いは、観念論か唯物論かという前提だけでなく、内的な構造にも違いがあることを指摘した。前提の違いは、内在主義の内容の違いに対応する。内的構造の違いは、歴史主義と総体主義の統一の仕方の違いに対応する。 |
ヘーゲルとマルクスの弁証法の違いは、観念論か唯物論かという前提だけでなく、内的な構造にも違いがあることを指摘した。前提の違いは、内在主義の内容の違いに対応する。内的構造の違いは、歴史主義と総体主義の統一の仕方の違いに対応する。 |
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ヘーゲル弁証法の統一構造は、「論理的なものの三側面」に示され、「絶対的総体主義にもとづく歴史主義」である。これに対して、マルクスの弁証法は「絶対的歴史主義にもとづく総体主義」である。 |
ヘーゲル弁証法の統一構造は、「論理的なものの三側面」に示され、「絶対的総体主義にもとづく歴史主義」である。これに対して、マルクスの弁証法は「絶対的歴史主義にもとづく総体主義」である。 |
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'''5 即かつ対自的考察法''' |
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「即自→対自」の論理には、存在の潜在態と顕在態という存在論的意味だけでなく、対象の内在的考察という認識論的意味があることを指摘した。即かつ対自的考察法は、弁証法における学的認識の重要な特徴である。これが、レーニンの「認識論としての弁証法」という問題を解く鍵である。 |
「即自→対自」の論理には、存在の潜在態と顕在態という存在論的意味だけでなく、対象の内在的考察という認識論的意味があることを指摘した。即かつ対自的考察法は、弁証法における学的認識の重要な特徴である。これが、レーニンの「認識論としての弁証法」という問題を解く鍵である。 |
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'''6 概念の自己運動''' |
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概念の自己運動は、現実の動的・必然的性格と対応する。これは、ヘーゲルにおいてではなく、反映論的同一性の立場に立つ唯物論において、はじめて実現されると指摘した。 |
概念の自己運動は、現実の動的・必然的性格と対応する。これは、ヘーゲルにおいてではなく、反映論的同一性の立場に立つ唯物論において、はじめて実現されると指摘した。 |
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== 著作 == |
== 著作 == |
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*主著は『弁証法の理論』(創風社 上下巻 1988年 |
*主著は『弁証法の理論』(創風社 上下巻 1988年。ISBN 4915659178)。上(ヘーゲル弁証法の本質)では、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]、[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]、[[カール・マルクス|マルクス]]の弁証法がとりあげられている。また、下(認識論としての弁証法)では、[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]や[[見田石介]]・[[松村一人]]・[[武市健人]]の弁証法の理論が検討されている。 |
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*『増補版 ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』(大月書店、ISBN 4-272-43034- |
*『増補版 ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』(大月書店、ISBN 4-272-43034-3、1988/01/21)初版は1968年 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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[[Category:2005年没]] |
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人物情報 | |
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生誕 |
1933年![]() ![]() 済州道 |
死没 | 2005年8月25日(72歳没) |
居住 |
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国籍 |
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出身校 |
中央大学 東京都立大学 |
学問 | |
研究分野 |
ヘーゲル哲学 弁証法 |
研究機関 |
東京都立大学 立命館大学 |
博士課程指導教員 | 寺沢恒信 |
学位 | 文学博士(東京都立大学・1968年) |
主要な作品 |
『ヘーゲル弁証法の本質』 『認識論としての弁証法』 (以上、『弁証法の理論』の上下巻) 『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』 |
学会 | 日本ヘーゲル学会 |
許萬元(ホ・マンウォン[注釈 1]、朝鮮語: 허만원、1933年 - 2005年8月25日[1])は、日本の哲学研究者。弁証法を専門とした。元立命館大学文学部教授。
経歴
[編集]1933年、朝鮮済州道生まれ。東京都立朝鮮人高等学校在学中、林光徹校長にすすめられ、中央大学文学部哲学科で学ぶ。東京都立大学大学院人文科学研究科に進み、寺沢恒信教授を指導教員として指導を受ける。1968年、博士課程を修了。東京都立大学に博士論文を提出し、文学博士号を取得。東京都立大学では初めての哲学分野での文学課程博士であった。
卒業後は東京都立大学助手になる。東京都全体としては初めての在日韓国・朝鮮人からの任用となった[注釈 2]。1983年に立命館大学へ移る。
人物
[編集]研究内容・業績
[編集]弁証法
[編集]弁証法を三つの法則 (「量から質への転化、またはその逆」・「対立物の相互浸透」・「否定の否定」)に集約する見方(唯物弁証法)や正反合の図式を批判し、弁証法の本質論として、内在主義・歴史主義・総体主義の三位一体論を提起した。
許萬元の弁証法の理論には次のような特徴がある。
1 弁証法の三大特色
ヘーゲルが弁証法の創始者としてゼノン・ヘラクレイトス・プラトンをあげていること(『哲学史講義』)に着目して、ヘーゲルは出自の異なる三つの弁証法(内在的弁証法・生成の弁証法・総体性の弁証法)を一つに統一したと考え、弁証法の三大特色として、内在主義・歴史主義・総体主義を指摘した。
内在主義とは対象を自己運動として把握すること、歴史主義とは過程・否定性に真理をみること、総体主義とは有機的体系・肯定性に真理をみることである。三つの特色はヘーゲルにもマルクスにも共通するが、内容は異なっている。
2 弁証法の二大機能
「論理的なものの三側面」の規定(ヘーゲル『小論理学』)に着目して、弁証法の二大機能として、理性の否定作用と理性の肯定作用を指摘した。理性の否定作用が歴史主義の原理である。また、理性の肯定作用が総体性の原理である。
3 矛盾論
概念の自己運動と矛盾の同等性を主張し、矛盾に2種類あることを指摘した。否定的理性の必然性にもとづく「闘争矛盾」と肯定的理性の必然性にもとづく「調和矛盾」である。
4 ヘーゲルとマルクスの弁証法の違い
ヘーゲルとマルクスの弁証法の違いは、観念論か唯物論かという前提だけでなく、内的な構造にも違いがあることを指摘した。前提の違いは、内在主義の内容の違いに対応する。内的構造の違いは、歴史主義と総体主義の統一の仕方の違いに対応する。
ヘーゲル弁証法の統一構造は、「論理的なものの三側面」に示され、「絶対的総体主義にもとづく歴史主義」である。これに対して、マルクスの弁証法は「絶対的歴史主義にもとづく総体主義」である。
5 即かつ対自的考察法
「即自→対自」の論理には、存在の潜在態と顕在態という存在論的意味だけでなく、対象の内在的考察という認識論的意味があることを指摘した。即かつ対自的考察法は、弁証法における学的認識の重要な特徴である。これが、レーニンの「認識論としての弁証法」という問題を解く鍵である。
6 概念の自己運動
概念の自己運動は、現実の動的・必然的性格と対応する。これは、ヘーゲルにおいてではなく、反映論的同一性の立場に立つ唯物論において、はじめて実現されると指摘した。
著作
[編集]- 主著は『弁証法の理論』(創風社 上下巻 1988年。ISBN 4915659178)。上(ヘーゲル弁証法の本質)では、ヘーゲル、エンゲルス、マルクスの弁証法がとりあげられている。また、下(認識論としての弁証法)では、レーニンや見田石介・松村一人・武市健人の弁証法の理論が検討されている。
- 『増補版 ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』(大月書店、ISBN 4-272-43034-3、1988/01/21)初版は1968年