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「フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ」の版間の差分

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'''フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ'''('''Felipe Dias da Silva dal Belo''',[[1984年]][[8月31日]]- )、通称'''フェリペ'''[[ブラジル]]出身[[サッカー|サッカー選手]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。
'''フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ'''(Felipe Dias da Silva dal Belo[[1984年]][[7月31日]] - )は[[ブラジル]]・{{仮リンク|グアラティンゲタ|en|en:Guaratinguetá}}出身の元[[サッカー選手]]。現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。


==人物==
== 経歴 ==
=== ウディネーゼ ===
若い頃からセリエAやチャンピオンズリーグで活躍し、[[ACミラン]]などのビッグクラブからも[[パオロ・マルディーニ]]の後継者に成り得るとの評価を受けてきた選手。[[フットサル]]出身という経歴を持ちキックの精度が高く、[[センターバック]]ではあるが[[サイドバック]]もこなせるユーティリティプレーヤーである。フットサルでプレーしていた13歳のときに才能に注目した[[ウディネーゼ]]によって引き抜かれ、[[イタリアのサッカークラブの下部組織|下部組織]]時代も含め10年間プレーし成長する。怪我で伸び悩んだものの<ref>[http://jp.uefa.com/competitions/ucl/news/kind=1/newsid=939831.html ビオラ、フェリペを期限付きで獲得]uefa.com</ref>一時期はリーグで最も優れた[[ディフェンダー_(サッカー)|ディフェンダー]]の一人と評されていた<ref name="goalcom20091228">[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2009/12/28/1712322/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%9A%E3%81%8C%E9%96%93%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%81%AB フェリペが間もなくヴィオラに]goal.com</ref>。
13歳までは5人制サッカー([[フットサル]])の選手としてプレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003-04シーズンは控えながらも16試合に出場し、10代の頃からトップリーグで経験を積んだ。2004-05シーズンには20歳でレギュラーを掴み31試合に出場、このシーズンのウディネーゼの快進撃に貢献し、チームと共に[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を得られるリーグ戦4位の座を手に入れた。クラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場を果たした2005-06シーズンはレギュラーとしてリーグ戦に35試合出場、プロデビュー後初となる得点も決め(計3得点)、チャンピオンズリーグでは[[FCバルセロナ]]戦でも得点、こちらもレギュラーとして7試合出場した。順調に評価を高め若手ながらリーグ屈指のディフェンダーに成長を果たしたフェリペであったが、2006-07シーズンは[[鼠径ヘルニア]]の手術をしたために長期間の離脱を強いられ、12試合に出場するに留まった。翌年の2007-08シーズンにもリーグ戦終盤(2008年3月)に左の足首の靭帯をねじり長期離脱、22試合出場に終わる。その後、2008年11月30日に、自身のデビュー戦と同じカードとなる[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦にてチームに復帰し得点も決め<ref>[http://www.gazzetta.it/Calcio/SerieA/Squadre/Udinese/Primo_Piano/2008/11/30/udi_chi.shtml フェリペが復帰戦を飾る]gazzetta.it</ref>、2008-09シーズンはリーグ戦16試合、UEFAカップには6試合出場した。2009-10シーズンに入ると[[アンドレア・コーダ]]や[[クリスティアン・サパタ]]がセンターバックのポジションに入り、フェリペはサイドバックとしてプレーするが前半戦は3試合出場するに留まっていた。


=== フィオレンティーナ ===
==来歴==
2009年12月、レギュラーを獲得した2005年頃からフェリペを評価し、その動向を追い続けていた[[ACFフィオレンティーナ]]が正式に獲得をオファーする。同12月28日にチーム練習に合流し<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/comunicato-stampa.3462.html フェリペが練習に参加]フィオレンティーナ公式</ref>、2010年1月2日にクラブから買取オプション付のローンで獲得すると公式発表された<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/acquisito-felipe.html ウディネーゼよりフェリペをローンで獲得]フィオレンティーナ公式</ref>。2011年1月31日、ACチェゼーナにレンタル移籍
===ウディネーゼ===
13歳のときまでは5人制サッカー([[フットサル]])プレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003-2004シーズンは控えながらも16試合に出場し、10代の頃からトップリーグで経験を積んだ。2004-2005シーズンには20歳でレギュラーを掴み31試合に出場、このシーズンのウディネーゼの快進撃に貢献し、チームと共に[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を得られるリーグ戦4位の座を手に入れた。クラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場を果たした2005-2006シーズンはレギュラーとしてリーグ戦に35試合出場、プロデビュー後初となる得点も決め(計3得点)、チャンピオンズリーグでは[[FCバルセロナ]]戦でも得点、こちらもレギュラーとして7試合出場した。順調に評価を高め若手ながらリーグ屈指のディフェンダーに成長を果たしたフェリペであったが、2006-2007シーズンは[[鼠径ヘルニア]]の手術をしたために長期間の離脱を強いられ、12試合に出場するに留まった。翌年の2007-2008シーズンにもリーグ戦終盤(2008年3月)に左の足首の靭帯をねじり長期離脱、22試合出場に終わる。その後、2008年11月30日に、自身のデビュー戦と同じカードとなる[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]戦にてチームに復帰し得点も決め<ref>[http://www.gazzetta.it/Calcio/SerieA/Squadre/Udinese/Primo_Piano/2008/11/30/udi_chi.shtml フェリペが復帰戦を飾る]gazzetta.it</ref>、2008-2009シーズンはリーグ戦16試合、UEFAカップには6試合出場した。2009-2010シーズンに入ると[[アンドレア・コーダ]]や[[クリスティアン・サパタ]]がセンターバックのポジションに入り、フェリペはサイドバックとしてプレーするが前半戦は3試合出場するに留まっていた。


=== パルマ ===
===フィオレンティーナ===
2013年7月、[[パルマFC|パルマ]]へ完全移籍<ref>[http://www.fcparma.com/news/ufficiale-arriva-in-crociato-a-titolo-definitivo-felipe-il-difensore-ha-firmato-un-quadriennale/?lang=it Ufficiale: arriva in crociato a titolo definitivo Felipe. Il difensore ha firmato un quadriennale] Parma FC</ref>。給料未払い問題により、[[アントニオ・カッサーノ]]に続き、契約解除が発表された。
2009年12月、レギュラーを獲得した2005年頃からフェリペを評価し、その動向を追い続けていた[[フィオレンティーナ]]が正式に獲得をオファーする。同12月28日にチーム練習に合流し<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/comunicato-stampa.3462.html フェリペが練習に参加]フィオレンティーナ公式</ref>、2010年1月2日にクラブから買取オプション付のローンで獲得すると公式発表された<ref>[http://it.violachannel.tv/dettaglio-ultimora/items/acquisito-felipe.html ウディネーゼよりフェリペをローンで獲得]フィオレンティーナ公式</ref>。
2011年1月31日、ACチェゼーナへレンタル移籍。


======
=== インテ ===
2015年2月、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]とシーズン終了までの契約を結んだことが発表された<ref>[http://www.inter.it/it/news/67816 Benvenuto Felipe!] Internazionale Milano</ref>。
2013年7月、[[パルマFC|パルマ]]へ完全移籍<ref>[http://www.fcparma.com/news/ufficiale-arriva-in-crociato-a-titolo-definitivo-felipe-il-difensore-ha-firmato-un-quadriennale/?lang=it Ufficiale: arriva in crociato a titolo definitivo Felipe. Il difensore ha firmato un quadriennale] Parma FC</ref>。給料未払い問題により、アントニオ・カッサーノに続き、契約解除が発表された。


==エピソ==
=== ウディネゼ復帰 ===
2015-16シーズンからは、古巣のウディネーゼに復帰することとなった。
* フィオレンティーナへ移籍したさい、元所属クラブの[[ジャンニ・デ・ビアージ]]監督は「本人の夢のためとはいえ、重要な選手の移籍を残念に思う。ファンが一番悲しむだろう。」と発言<ref>[http://www.firenzeviola.it/?action=read&idnotizia=56405 DE BIASI, Peccato non avere più Felipe]firenzeviola.it</ref>、下部組織からの生え抜き選手の退団を惜しんだ。


== 所属クラブ ==
=== SPAL ===
2017年7月3日、[[S.P.A.L.]]へ3年契約で完全移籍<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20170704/608293.html 9年ぶりセリエA昇格のSPAL、ウディネーゼからブラジル人DFを獲得] - サッカーキング 2017年7月4日</ref>。
* {{flagicon|ITA}}[[ウディネーゼ・カルチョ|ウディネーゼ]] 2002-2010
: {{flagicon|ITA}}[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]] 2010 (loan)
* {{flagicon|ITA}}フィオレンティーナ 2010-2013
: {{flagicon|ITA}}[[ACチェゼーナ|チェゼーナ]] 2011 (loan)
:→ {{flagicon|ITA}}[[ACシエナ|シエナ]] 2012-2013 (loan)
* {{flagicon|ITA}}[[パルマFC|パルマ]] 2013-2015


== エピソード ==
==個人成績==
* フィオレンティーナへ移籍した、元所属クラブの[[ジャンニ・デ・ビアージ]]監督は「本人の夢のためとはいえ、重要な選手の移籍を残念に思う。ファンが一番悲しむだろう。」と発言<ref>[http://www.firenzeviola.it/?action=read&idnotizia=56405 DE BIASI, Peccato non avere più Felipe]firenzeviola.it</ref>、下部組織からの生え抜き選手の退団を惜しんだ。
{{サッカー選手国内成績表 top|yy}}
{{サッカー選手国内成績表 th|イタリア|all}}
|-
|2002-2003||[[ウディネーゼ]]||19||セリエA||4||0||0||0|| - || - ||4||0
|-
|2003-2004||ウディネーゼ||19||セリエA||16||0||3||0||[[UEFAカップ|UC]] 0||0||19||0
|-
|2004-2005||ウディネーゼ||19||セリエA||31||0||4||1||[[UEFAカップ|UC]] 0||0||35||1
|-
|2005-2006||ウディネーゼ||19||セリエA||35||3||5||0||[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]+UC 7+3||1+0||50||4
|-
|2006-2007||ウディネーゼ||19||セリエA||12||1||3||0|| - || - ||15||1
|-
|2007-2008||ウディネーゼ||19||セリエA||22||1||3||1|| - || - ||25||2
|-
|2008-2009||ウディネーゼ||19||セリエA||16||2||2||0||[[UEFAカップ|UC]] 6||0||24||2
|-
|2009-2010.1||ウディネーゼ||19||セリエA||3||0|| - || - || - || - ||3||0
|-
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{{サッカー選手国内成績表 通算終}}140||7||20||2||16||1||176||10
|}


====
== 人物 ==
若い頃からセリエAやチャンピオンズリーグで活躍し、[[ACミラン]]などのビッグクラブからも[[パオロ・マルディーニ]]の後継者に成り得るとの評価を受けてきた選手。[[フットサル]]出身という経歴を持ちキックの精度が高く、[[センターバック]]ではあるが[[サイドバック]]もこなせるユーティリティプレーヤーである。フットサルでプレーしていた13歳のときに才能に注目した[[ウディネーゼ]]によって引き抜かれ、[[イタリアのサッカークラブの下部組織|下部組織]]時代も含め10年間プレーし成長する。怪我で伸び悩んだものの<ref>[http://jp.uefa.com/competitions/ucl/news/kind=1/newsid=939831.html ビオラ、フェリペを期限付きで獲得]uefa.com</ref>一時期はリーグで最も優れた[[ディフェンダー_(サッカー)|ディフェンダー]]の一人と評されていた<ref name="goalcom20091228">[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2009/12/28/1712322/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%9A%E3%81%8C%E9%96%93%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%81%AB フェリペが間もなくヴィオラに]goal.com</ref>。
<references />

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 外部リンク ==
* {{soccerway|dal-belo-dias-da-silva/4473|フェリペ}}
* [http://www.transfermarkt.com/felipe/profil/spieler/17127 transfermarkt]

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2023年3月20日 (月) 06:41時点における最新版

フェリペ
名前
本名 フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ
Felipe Dias da Silva dal Belo
ラテン文字 Felipe
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1984-07-31) 1984年7月31日(39歳)
出身地 グアラティンゲタ英語版
身長 188cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF (CB, SB)
利き足 左足
ユース
1999-2002 イタリアの旗 ウディネーゼ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2010 イタリアの旗 ウディネーゼ 139 (5)
2010 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 18 (0)
2010-2013 イタリアの旗 フィオレンティーナ 8 (0)
2011 イタリアの旗 チェゼーナ (loan) 7 (0)
2012-2013 イタリアの旗 シエナ (loan) 34 (0)
2013-2015 イタリアの旗 パルマ 33 (1)
2015 イタリアの旗 インテル 4 (0)
2015-2017 イタリアの旗 ウディネーゼ 58 (2)
2017-2020 イタリアの旗 SPAL 75 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ(Felipe Dias da Silva dal Belo、1984年7月31日 - )はブラジルグアラティンゲタ英語版出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴[編集]

ウディネーゼ[編集]

13歳までは5人制サッカー(フットサル)の選手としてプレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対ACキエーヴォ・ヴェローナ戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003-04シーズンは控えながらも16試合に出場し、10代の頃からトップリーグで経験を積んだ。2004-05シーズンには20歳でレギュラーを掴み31試合に出場、このシーズンのウディネーゼの快進撃に貢献し、チームと共にUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得られるリーグ戦4位の座を手に入れた。クラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場を果たした2005-06シーズンはレギュラーとしてリーグ戦に35試合出場、プロデビュー後初となる得点も決め(計3得点)、チャンピオンズリーグではFCバルセロナ戦でも得点、こちらもレギュラーとして7試合出場した。順調に評価を高め若手ながらリーグ屈指のディフェンダーに成長を果たしたフェリペであったが、2006-07シーズンは鼠径ヘルニアの手術をしたために長期間の離脱を強いられ、12試合に出場するに留まった。翌年の2007-08シーズンにもリーグ戦終盤(2008年3月)に左の足首の靭帯をねじり長期離脱、22試合出場に終わる。その後、2008年11月30日に、自身のデビュー戦と同じカードとなるACキエーヴォ・ヴェローナ戦にてチームに復帰し得点も決め[1]、2008-09シーズンはリーグ戦16試合、UEFAカップには6試合出場した。2009-10シーズンに入るとアンドレア・コーダクリスティアン・サパタがセンターバックのポジションに入り、フェリペはサイドバックとしてプレーするが前半戦は3試合出場するに留まっていた。

フィオレンティーナ[編集]

2009年12月、レギュラーを獲得した2005年頃からフェリペを評価し、その動向を追い続けていたACFフィオレンティーナが正式に獲得をオファーする。同12月28日にチーム練習に合流し[2]、2010年1月2日にクラブから買取オプション付のローンで獲得すると公式発表された[3]。2011年1月31日、ACチェゼーナにレンタル移籍。

パルマ[編集]

2013年7月、パルマへ完全移籍[4]。給料未払い問題により、アントニオ・カッサーノに続き、契約解除が発表された。

インテル[編集]

2015年2月、インテル・ミラノとシーズン終了までの契約を結んだことが発表された[5]

ウディネーゼ復帰[編集]

2015-16シーズンからは、古巣のウディネーゼに復帰することとなった。

SPAL[編集]

2017年7月3日、S.P.A.L.へ3年契約で完全移籍[6]

エピソード[編集]

  • フィオレンティーナへ移籍した際、元所属クラブのジャンニ・デ・ビアージ監督は「本人の夢のためとはいえ、重要な選手の移籍を残念に思う。ファンが一番悲しむだろう。」と発言[7]、下部組織からの生え抜き選手の退団を惜しんだ。

人物[編集]

若い頃からセリエAやチャンピオンズリーグで活躍し、ACミランなどのビッグクラブからもパオロ・マルディーニの後継者に成り得るとの評価を受けてきた選手。フットサル出身という経歴を持ちキックの精度が高く、センターバックではあるがサイドバックもこなせるユーティリティプレーヤーである。フットサルでプレーしていた13歳のときに才能に注目したウディネーゼによって引き抜かれ、下部組織時代も含め10年間プレーし成長する。怪我で伸び悩んだものの[8]一時期はリーグで最も優れたディフェンダーの一人と評されていた[9]

脚注[編集]

外部リンク[編集]