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== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[1989年]][[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ACミラン]]でキャリアをスタート。その後下部クラブを転々とし、[[1993年]]に[[フィオレンティーナ]]へ移籍し活躍。イタリア代表にも招集され、[[1995年]][[10月8日]]の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦で代表デビューを果たす。以来[[ジャンルイジ・ブッフォン]]と並ぶゴールキーパーとしてイタリア代表を牽引していたが、[[EURO2004]]終了後に代表は引退した。[[ペナルティーキック|PK]]をストップすることに定評があり、[[EURO2000]]での[[準決勝]][[オランダ]]戦で、試合中に2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップし、さらに、0-0のまま迎えた[[ペナルティーキック|PK]]戦でも2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップして勝利の立役者になった。
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その後2005-2006シーズン当時急成長していた[[ジュリオ・セザル・ソアレス・エスピンドラ|ジュリオ・セザル]]に正GKの座を譲るが、彼の貴重なバックアッパーとしてチームを支えた。


2001年に移籍した[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]でも正GKを務めていたが2005-06シーズンより当時監督であっ[[ロベルト・マンチーニ]]の方針により、新加入の[[ジュリオ・セザル・ソアレス・エスピンドラ|ジュリオ・セザル]]に正GKの座を譲ったものの、彼の貴重なバックアッパーとしてチームのリーグ5連覇・イタリア史上初の三冠などを支えた。
==プレースタイル==
長身を生かしたハイボール処理なども非凡な物をもちインテルでは守護神として活躍していたが、ジュリオ・セザルに守護神の座を明け渡した。代表では要所要所で光ったもののあまり出番は無かった。[[ジャンルイジ・ブッフォン]]という超逸材が同時期にいたのが彼の不幸であろう。


2010年7月8日、現役引退を表明。セザルに背番号1番を託し20年の選手生活を終えた。
彼の真骨頂はハイボール処理もさながら、PKに非常に強いことも挙げられる。代表、クラブにおいても幾度となくPKをストップしてきている。


== エピソード ==
また自ら騒ぎの中心となる事は少ないが、チームが乱闘騒ぎになったりチームメイトが悪質なファール又は不可解な判定を受けたときにはすかさず相手選手や審判に詰め寄る姿が良く見られ、ピッチでプレーをしていない時でもベンチからイエローカードを提示される姿も良く見られた。
*2002-03シーズンの[[イタリアダービー]]では1点ビハインドの終了間際に事実上の同点ゴールを決めた。(トルドのシュートが倒れているヴィエリの足に当たって入ったので記録上はヴィエリのゴール。)

*[[ペナルティーキック|PK]]をストップすることが多く、[[UEFA EURO 2000|EURO2000]]の準決勝・[[サッカーオランダ代表|オランダ]]戦では試合中に2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップし、さらに0-0のまま迎えた[[ペナルティーキック|PK]]戦でも2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップして勝利の立役者になった。
==エピソード==
02-03シーズンのイタリアダービーでは1点ビハインドの終了間際に事実上の同点ゴールを決めた。(トルドのシュートが倒れているヴィエリの足に当たって入ったので記録上はヴィエリのゴール。)

== 所属クラブ ==
* 1989-1990 {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]ユース
* 1990-1991 {{flagicon|ITA}} [[エラス・ヴェローナ|ヴェローナ]]ユース
* 1991-1992 {{flagicon|ITA}} [[トレント・カルチョ1921|トレント]]
* 1992-1993 {{flagicon|ITA}} [[ラヴェンナ・カルチョ|ラヴェンナ]] 
* 1993-2001 {{flagicon|ITA}} [[フィオレンティーナ]]
* 2002-2010 {{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]


== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==
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=== 代表 ===
=== 代表 ===
*[[UEFA U-21欧州選手権]]1994 優勝
*[[UEFA U-21欧州選手権]]1994 優勝
*[[サッカー欧州選手権2000|EURO2000]] 準優勝
*[[UEFA EURO 2000|EURO2000]] 準優勝


=== 個人 ===
=== 個人 ===
*[[オスカル・デル・カルチョ]] : 2000
*[[オスカル・デル・カルチョ]] : 2000


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2023年4月1日 (土) 03:08時点における最新版

フランチェスコ・トルド
名前
愛称 トルドーネ
ラテン文字 Francesco Toldo
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1971-12-02) 1971年12月2日(52歳)
出身地 パドヴァ
身長 196cm
体重 90kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1987-1990 イタリアの旗 ACミラン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1993 イタリアの旗 ACミラン 0 (0)
1990-1991 イタリアの旗 ヴェローナ (loan) 0 (0)
1991-1992 イタリアの旗 トレント (loan) 38 (0)
1992-1993 イタリアの旗 ラヴェンナ (loan) 31 (0)
1993-2001 イタリアの旗 フィオレンティーナ 266 (0)
2001-2010 イタリアの旗 インテル・ミラノ 148 (0)
代表歴
1993-1994 イタリアの旗 イタリア U-21 8 (0)
1995-2004 イタリアの旗 イタリア 28 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2009/10シーズン終了時点現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランチェスコ・トルドFrancesco Toldo, 1971年12月2日 - )は、イタリアパドヴァ出身の元同国代表サッカー選手GK)。

略歴

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1989年にACミランでキャリアをスタート。その後下部クラブを転々とし、1993年にフィオレンティーナへ移籍し正GKとして活躍。同時にイタリア代表にも招集され、1995年10月8日のクロアチア戦で代表デビューを果たす。以来ジャンルイジ・ブッフォンと並ぶゴールキーパーとしてイタリア代表を牽引していたが、UEFA EURO 2004終了後に代表は引退した。

2001年に移籍したインテル・ミラノでも正GKを務めていたが2005-06シーズンより当時監督であったロベルト・マンチーニの方針により、新加入のジュリオ・セザルに正GKの座を譲ったものの、彼の貴重なバックアッパーとしてチームのリーグ5連覇・イタリア史上初の三冠などを支えた。

2010年7月8日、現役引退を表明。セザルに背番号1番を託し20年の選手生活を終えた。

エピソード

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  • 2002-03シーズンのイタリアダービーでは1点ビハインドの終了間際に事実上の同点ゴールを決めた。(トルドのシュートが倒れているヴィエリの足に当たって入ったので記録上はヴィエリのゴール。)
  • PKをストップすることが多く、EURO2000の準決勝・オランダ戦では試合中に2本のPKをストップし、さらに0-0のまま迎えたPK戦でも2本のPKをストップして勝利の立役者になった。

獲得タイトル

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クラブ

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ヴェローナ
  • セリエC1 : 1992-93
フィオレンティーナ
  • セリエB : 1993-94
  • コッパ・イタリア : 1995-96, 2000-01
  • スーペルコッパ・イタリアーナ : 1996
インテル
  • セリエA : 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2009-10
  • コッパ・イタリア : 2004-05, 2005–06, 2009-10
  • スーペルコッパ・イタリアーナ : 2005, 2006, 2008
  • UEFAチャンピオンズリーグ : 2009-10

代表

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個人

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