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'''堤内 健'''(つつみうち たけし、[[1980年]][[7月20日]] - )は、[[宮崎県]][[宮崎市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。現在は、[[横浜DeNAベイスターズ]]の[[打撃投手]]。 |
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現役時代は最速147kmの速球が武器の投手だった。球種は[[スライダー (球種)|スライダー]]や[[フォークボール|フォーク]]を使った。 |
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[[宮崎日本大学高等学校|宮崎日大高]]2年夏に[[第79回全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]に出場し、登板するも敗退。[[日本大学硬式野球部|日大]]では、[[大野隆治]]とバッテリーを組み、同期の[[館山昌平]]がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に入団。同年自由獲得枠で共に入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。 |
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8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の[[広島東洋カープ|広島]]戦でプロ初勝利。 |
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肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の[[湘南シーレックス]]でもわずか2試合の登板に終わった。 |
肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の[[横浜DeNAベイスターズ (ファーム)|湘南シーレックス]]でもわずか2試合の登板に終わった。 |
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;2005年 |
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手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなか |
手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。 |
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;2007年 |
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[[工藤公康]]の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に[[戦力外通告]]を受け現役を引退。横浜の[[打撃投手]] |
[[工藤公康]]の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に[[戦力外通告]]を受け現役を引退。 |
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2008年からは、横浜の[[打撃投手]]を務める。 |
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== 詳細情報 == |
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=== 記録 === |
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* 初登板:2003年8月7日、対[[読売ジャイアンツ |
* 初登板・初先発:2003年8月7日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦([[東京ドーム]])、4回2失点 |
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* 初奪三振:同上、1回裏に[[鈴木尚広]]から見逃し三振 |
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* 初勝利:2003年8月16日、対[[広島東洋カープ|広島]] |
* 初勝利・初先発勝利:2003年8月16日、対[[広島東洋カープ]]17回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、5回1失点 |
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=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
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* '''47'''(2003年 - 2006年) |
* '''47''' (2003年 - 2006年) |
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* '''36'''(2007年) |
* '''36''' (2007年) |
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* '''108'''(2008年 - ) |
* '''108''' (2008年 - 2014年) |
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* '''118''' (2015年 - ) |
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== 脚注 == |
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=== 高校・大学時代の戦績・記録 === |
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* 1997年 - [[第79回全国高等学校野球選手権大会]] |
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**2回戦、対[[佐野日本大学中学校・高等学校|佐野日大高]]戦、1対2で敗戦。(2投球回 3被安打 1奪三振 1与四死球 1自責点) |
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* 1998年 - [[全国高等学校野球選手権宮崎大会]]3回戦敗退。 |
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* 2001年 - [[全日本大学野球選手権大会]]準優勝 |
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* 2002年 - 秋季[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]の[[専修大学|専修大]]戦でリーグタイ記録の1試合18奪三振を記録(チームは敗戦、敗戦投手は堤内) |
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== 関連項目 == |
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* [[宮崎県出身の人物一覧]] |
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* [[ |
* [[日本大学の人物一覧]] |
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* [[横浜DeNAベイスターズの選手一覧]] |
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== 外部リンク == |
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[[Category:横浜ベイスターズ及びその前身球団の選手]] |
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[[Category:宮崎県出身の人物]] |
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2023年4月2日 (日) 11:55時点における最新版
2023年3月31日、DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKAにて | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
生年月日 | 1980年7月20日(44歳) |
身長 体重 |
184 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト9巡目 |
初出場 | 2003年8月7日 |
最終出場 | 2003年8月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、横浜DeNAベイスターズの打撃投手。
来歴・人物
[編集]宮崎日大高2年夏に甲子園に出場し、登板するも敗退。日大では、大野隆治とバッテリーを組み、同期の館山昌平がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。
- 2003年
8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。
- 2004年
肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。
- 2005年
手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。
- 2007年
工藤公康の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に戦力外通告を受け現役を引退。
2008年からは、横浜の打撃投手を務める。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 横浜 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 74 | 15.0 | 15 | 2 | 13 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 10 | 9 | 5.40 | 1.87 |
通算:1年 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 74 | 15.0 | 15 | 2 | 13 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 10 | 9 | 5.40 | 1.87 |
記録
[編集]- 初登板・初先発:2003年8月7日、対読売ジャイアンツ23回戦(東京ドーム)、4回2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に鈴木尚広から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2003年8月16日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、5回1失点
背番号
[編集]- 47 (2003年 - 2006年)
- 36 (2007年)
- 108 (2008年 - 2014年)
- 118 (2015年 - )
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 堤内健 - NPB.jp 日本野球機構