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「堤内健」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
[[宮崎日本大学高等学校|宮崎日大高]]2年夏に[[第79回全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]に出場し、登板するも敗退。[[日本大学硬式野球部|日大]]では、[[大野隆治]]とバッテリーを組み、同期の[[館山昌平]]がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に入団。同年自由獲得枠で共に入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。
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肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の[[横浜ベイスターズ (ファーム)|湘南シーレックス]]でもわずか2試合の登板に終わった。
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手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。
手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。
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2023年4月2日 (日) 11:55時点における最新版

堤内 健
2023年3月31日、DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKAにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県宮崎市
生年月日 (1980-07-20) 1980年7月20日(44歳)
身長
体重
184 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト9巡目
初出場 2003年8月7日
最終出場 2003年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手投手)。現在は、横浜DeNAベイスターズ打撃投手

来歴・人物

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宮崎日大高2年夏に甲子園に出場し、登板するも敗退。日大では、大野隆治とバッテリーを組み、同期の館山昌平がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。

2003年

8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。

2004年

肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。

2005年

手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。

2007年

工藤公康の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に戦力外通告を受け現役を引退。

2008年からは、横浜の打撃投手を務める。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 横浜 4 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 74 15.0 15 2 13 0 1 9 1 0 10 9 5.40 1.87
通算:1年 4 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 74 15.0 15 2 13 0 1 9 1 0 10 9 5.40 1.87

記録

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背番号

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  • 47 (2003年 - 2006年)
  • 36 (2007年)
  • 108 (2008年 - 2014年)
  • 118 (2015年 - )

脚注

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関連項目

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外部リンク

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