「師団街道」の版間の差分
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'''師団街道'''(しだんかいどう)は、[[京都市]]の南北の通りの一つ |
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師団街道竜大前交差点から[[名神高速道路]]付近までは片側2車線の道路だが、[[大岩街道]]以南は南向きの一方通行となっている。 |
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現在の[[京都聖母学院中学校・高等学校]]([[伏見区]][[深草]]田谷町)の地に司令部が置かれた[[大日本帝国陸軍]][[第16師団 (日本軍)|第十六師団]]に因む名称が現在も使用されている。[[竹田街道]]の東に位置し、[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]][[京阪本線]]の西側を並行している。 |
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墨染寺(上野岑雄が詠んだ[[墨色|墨染め桜]]伝説の地。伏見区墨染町)に通じていることから、かつては'''墨染通'''(すみぞめどおり)と呼ばれたが、現在はあまり使われていない。 |
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== 沿革 == |
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陸軍第16師団の設置に伴い、[[明治]]44年([[1911年]])に京都市街から師団司令部に至る[[国道]]として指定された。 |
陸軍第16師団の設置に伴い、[[明治]]44年([[1911年]])に京都市街から師団司令部に至る[[国道]]として指定された。 |
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終戦後に国道24号に指定されたが、[[昭和]]46年に国道24号は竹田街道に移った。 |
終戦後に[[国道24号]]に指定されたが、[[昭和]]46年([[1971年]])に国道24号は竹田街道に移った。 |
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== 第一軍道、第二軍道、第三軍道 == |
== 第一軍道、第二軍道、第三軍道 == |
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[[File:ShidanKaido-DaiichiGundo guide sign.jpg|thumb|right|240px|師団街道竜大前交差点 後ろに見えるのは龍谷大学深草学舎]] |
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陸軍第16師団の設置に伴い、直違橋通([[本町通 (京都)|本町通]])沿いにも師団司令部などの軍の施設が位置することになり、師団街道と直違橋通を結ぶために[[琵琶湖疏水]](鴨川運河)と京阪電車を橋によって越える3つの東西の道路が陸軍によって敷設された。北からそれぞれ、第一軍道、第二軍道、第三軍道と呼ばれている。 |
陸軍第16師団の設置に伴い、直違橋通([[本町通 (京都市)|本町通]])沿いにも師団司令部などの軍の施設が位置することになり、師団街道と直違橋通を結ぶために[[琵琶湖疏水]](鴨川運河)と京阪電車を橋によって越える3つの東西の道路が陸軍によって敷設された。北からそれぞれ、第一軍道、第二軍道、第三軍道と呼ばれている。 |
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軍道の開設は[[1909年]]、師団司令部設置([[1908年]])の翌年とされる。 |
軍道の開設は[[1909年]]、師団司令部設置([[1908年]])の翌年とされる。 |
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=== 第一軍道 === |
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京都兵器支廠と京都練兵場の間を通る道路であった。 |
京都兵器支廠と京都練兵場の間を通る道路であった。 |
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砂川橋と西砂川橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(深草直違橋九丁目)と師団街道(師団街道竜大前交差点)とをつないでいる。現在は府道([[京都府道201号中山稲荷線]])の一部となっている。 |
砂川橋と西砂川橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(深草直違橋九丁目)と師団街道(師団街道[[龍谷大学|竜大]]前交差点)とをつないでいる。現在は府道([[京都府道201号中山稲荷線]])の一部となっている。 |
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=== 第二軍道 === |
=== 第二軍道 === |
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京都練兵場の正門に面する道路であり、師団司令部( |
京都練兵場の正門に面する道路であり、師団司令部庁舎([[学校法人聖母女学院]]本館として現存)につながる道として特に重要視された。 |
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師団橋と西師団橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(深草直違橋六丁目)と師団街道(深草野田町)とをつないでいる。疏水をまたぐ師団橋の橋桁には陸軍のシンボルであった[[五芒星]]が記されている。 |
師団橋と西師団橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(深草直違橋六丁目)と師団街道(深草野田町)とをつないでいる。疏水をまたぐ師団橋の橋桁には陸軍のシンボルであった[[五芒星]]が記されている。 |
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=== 第三軍道 === |
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野砲兵隊の正門に面する道路であ |
野砲兵隊の正門に面する道路であり、京都[[衛戍病院]]([[国立病院機構京都医療センター]])につながる道である。 |
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中之郷橋と西中之郷橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(直違橋一丁目交差点)と師団街道(深草飯食町交差点)とをつないでいる。現在は[[大岩街道]]([[滋賀県道・京都府道35号大津淀線|京都府道35号大津淀線]])の一部となっている。 |
中之郷橋と西中之郷橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(直違橋一丁目交差点)と師団街道(深草飯食町交差点)とをつないでいる。現在は[[大岩街道]]([[滋賀県道・京都府道35号大津淀線|京都府道35号大津淀線]])の一部となっている。 |
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== 沿道の主な施設 == |
== 沿道の主な施設 == |
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* [[龍谷大学]]深草キャンパス |
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== 関連項目 == |
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*[[京都市内の通り]] |
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2023年4月8日 (土) 14:18時点における最新版
師団街道(しだんかいどう)は、京都市の南北の通りの一つ。
概要
[編集]現在の京都聖母学院中学校・高等学校(伏見区深草田谷町)の地に司令部が置かれた大日本帝国陸軍第十六師団に因む名称が現在も使用されている。竹田街道の東に位置し、京阪電鉄京阪本線の西側を並行している。 北は塩小路橋東詰(塩小路通)で川端通につながり、南は国道24号を越えると伏見市街の京町通につながる。なお、大岩街道と交わる伏見区深草飯食町交差点以南は滋賀県道・京都府道35号大津淀線の一部であり南向きの一方通行となっている。
沿革
[編集]陸軍第16師団の設置に伴い、明治44年(1911年)に京都市街から師団司令部に至る国道として指定された。 終戦後に国道24号に指定されたが、昭和46年(1971年)に国道24号は竹田街道に移った。
第一軍道、第二軍道、第三軍道
[編集]陸軍第16師団の設置に伴い、直違橋通(本町通)沿いにも師団司令部などの軍の施設が位置することになり、師団街道と直違橋通を結ぶために琵琶湖疏水(鴨川運河)と京阪電車を橋によって越える3つの東西の道路が陸軍によって敷設された。北からそれぞれ、第一軍道、第二軍道、第三軍道と呼ばれている。
軍道の開設は1909年、師団司令部設置(1908年)の翌年とされる。
第一軍道
[編集]京都兵器支廠と京都練兵場の間を通る道路であった。 砂川橋と西砂川橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(深草直違橋九丁目)と師団街道(師団街道竜大前交差点)とをつないでいる。現在は府道(京都府道201号中山稲荷線)の一部となっている。
第二軍道
[編集]京都練兵場の正門に面する道路であり、師団司令部庁舎(学校法人聖母女学院本館として現存)につながる道として特に重要視された。 師団橋と西師団橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(深草直違橋六丁目)と師団街道(深草野田町)とをつないでいる。疏水をまたぐ師団橋の橋桁には陸軍のシンボルであった五芒星が記されている。
第三軍道
[編集]野砲兵隊の正門に面する道路であり、京都衛戍病院(国立病院機構京都医療センター)につながる道である。 中之郷橋と西中之郷橋で疏水と京阪電車をまたぎ、直違橋通(直違橋一丁目交差点)と師団街道(深草飯食町交差点)とをつないでいる。現在は大岩街道(京都府道35号大津淀線)の一部となっている。