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'''国際地球観測年'''(こくさいちきゅうかんそくねん、{{lang-en|International Geophysical Year}}、略称:'''IGY''')は、[[1957年]][[7月1日]]から[[1958年]][[12月31日]]まで続いた、国際科学研究プロジェクトの名称。[[国際年]]の第号として数えられる。当初は[[太陽]]の[[磁気]]が地球に与える影響を研究するために設定された。
'''国際地球観測年'''(こくさいちきゅうかんそくねん、{{Lang-en|International Geophysical Year}}、略称:'''IGY''')は、[[1957年]][[7月1日]]から[[1958年]][[12月31日]]まで続いた、国際科学研究プロジェクトの名称。[[国際年]]の第1号として数えられる<ref>{{Cite Kotobank|word=国際年|encyclopedia=[[日本大百科全書]]|accessdate=2022-03-19}}</ref>。当初は[[太陽]]の[[磁気]]が地球に与える影響を研究するために設定された。


== 概説 ==
== 概説 ==
極地を中心とする気象・地磁気などの国際共同観測事業として50年ごとに実施されていた「{{仮リンク|国際極年|en|International Polar Year}}」({{Lang-en-short|International Polar Year; IPY}})を受け継ぎ、全地球規模に拡大させたものである。[[#第1回国際極年|第1回国際極年]]は1882年 - 1883年、[[#第2回国際極年|第2回国際極年]]は1932年 - 1933年に実施された。第3回は1982 - 1983年に実施される予定であったが、自然科学の急速な発展にともない、25年繰り上げされて1957年 - 1958年に実施されることになり、さらに極地に限定されない全地球規模での国際共同観測事業へと発展、呼称も「国際地球観測年」と改められた<ref name="日本大百科全書">{{Cite Kotobank|word=国際地球観測年|encyclopedia=[[日本大百科全書]]|accessdate=2022-03-19}}</ref>。なお、国際地球観測年から50年後の2007年 - 2008年には、第4回国際極年(IPY2007-2008)が実施されている<ref>{{Cite | 和書 | title = IPY (国際極年) 2007-2008 の活動と展望 | author = [[佐藤夏雄]] | journal = 学術の動向 | publisher = [[日本学術協力財団]] | volume = 14 | number = 5 | pages = 60-62 | year = 2009 | doi = 10.5363/tits.14.5_60 }}</ref>。
かつての[[1882年]]から[[1883年]]の[[#第1回国際極年|第1回国際極年]]と、[[1932年]]から[[1933年]]の[[#第2回国際極年|第2回国際極年]]にひき続くものである。


全体の計画は[[国際科学会議|国際学術連合会議]](ICSU、現・[[国際学術会議]])が統括し、60か国以上が参加した<ref name="日本大百科全書" />。
なお、 {{En|International Geophysical Year}} は直訳すると「国際地球物理年」または「国際地球物理学年」となるが、[[日本学術会議]]IGY特別委員会は「国際地球観測年」を日本での正式名称として採用した。これは、IGY特別委員会の[[長谷川万吉]]委員長と[[永田武]]総幹事が、「[[天文学]]、[[地球物理学]]、[[物理学]]、電波科学の諸分野が立体的に総合研究を行なうべきIGY計画に地球物理の名を冠するのはよくない」と判断したことによる<ref>{{Cite | 和書 | author = [[永田武]] | title = IGY・IQSY・IASY等について | journal = 文部時報 | issue = 1099 | publisher = [[ぎょうせい|帝国地方行政学会]] | year = 1969 | month = 2 | pages = 50-51}}</ref>。


なお、{{En|International Geophysical Year}}は直訳すると「国際地球物理年」または「国際地球物理学年」となるが、[[日本学術会議]]IGY特別委員会は「国際地球観測年」を日本での正式名称として採用した。これは、IGY特別委員会の[[長谷川万吉]]委員長と[[永田武]]総幹事が、「[[天文学]]、[[地球物理学]]、[[物理学]]、電波科学の諸分野が立体的に総合研究を行なうべきIGY計画に地球物理の名を冠するのはよくない」と判断したことによる<ref>{{Cite | 和書 | author = [[永田武]] | title = IGY・IQSY・IASY等について | journal = 文部時報 | issue = 1099 | publisher = [[ぎょうせい|帝国地方行政学会]] | year = 1969 | month = 2 | pages = 50-51}}</ref>。
国際地球観測年で行われた協力は12項目があった。以下に列挙する。[[オーロラ]]、[[大気光]](夜光)、[[宇宙線]]、[[地磁気]]、[[氷河]]、[[重力]]、[[電離層]]、[[経度]]・[[緯度]]決定、[[気象学]]、[[海洋学]]、[[地震学]]、[[太陽活動]]。

国際地球観測年で行われた協力は12項目があった。以下に列挙する。[[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]]、[[大気光]](夜光)、[[宇宙線]]、[[地磁気]]、[[氷河]]、[[重力]]、[[電離層]]、[[経度]]・[[緯度]]決定、[[気象学]]、[[海洋学]]、[[地震学]]、[[太陽活動]]。


[[ソビエト連邦]]と[[アメリカ合衆国]]は、国際地球観測年のために初期の[[人工衛星]]・[[スプートニク1号]]と[[エクスプローラー1号]]を打ち上げた。主な成果は、[[バン・アレン帯]]の発見、[[中央海嶺]]、[[プレートテクトニクス|プレート・テクトニクス説]]の確認作業などがある。
[[ソビエト連邦]]と[[アメリカ合衆国]]は、国際地球観測年のために初期の[[人工衛星]]・[[スプートニク1号]]と[[エクスプローラー1号]]を打ち上げた。主な成果は、[[バン・アレン帯]]の発見、[[中央海嶺]]、[[プレートテクトニクス|プレート・テクトニクス説]]の確認作業などがある。
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[[極地]]は特有の現象を持つ。空気と水は[[南極大陸]]内部に封じ込められ、そのまま数十万年の間、大陸に堆積したままになる。これらは過去の地球の気象等を知る手がかりになる。[[南極点]]でこれらを観察することは可能だが、南極点は大昔に放棄されたままで、一度きりの観察のために出かけるのには費用がかかりすぎる難点があった。国際協力により観測結果を交換しあうことにより、これらの費用は最小限に抑えることができる。この国際協力をきっかけに、[[南極における領有権主張の一覧|複数の国により領有権の主張がなされていた]]南極大陸について、今後も大陸全体を国際協力で観測できるようにするには国境線で大陸を分断しないことが重要という認識が参加国の間で広がり、[[1959年]]の[[南極条約]]へと至った。
[[極地]]は特有の現象を持つ。空気と水は[[南極大陸]]内部に封じ込められ、そのまま数十万年の間、大陸に堆積したままになる。これらは過去の地球の気象等を知る手がかりになる。[[南極点]]でこれらを観察することは可能だが、南極点は大昔に放棄されたままで、一度きりの観察のために出かけるのには費用がかかりすぎる難点があった。国際協力により観測結果を交換しあうことにより、これらの費用は最小限に抑えることができる。この国際協力をきっかけに、[[南極における領有権主張の一覧|複数の国により領有権の主張がなされていた]]南極大陸について、今後も大陸全体を国際協力で観測できるようにするには国境線で大陸を分断しないことが重要という認識が参加国の間で広がり、[[1959年]]の[[南極条約]]へと至った。


第1回国際極年は、Georg Neumayerによって提案され、[[オーストリア=ハンガリー帝国海軍]]将校、Karl Weyprechtによって実行された。複数の観測者が同年に異なる位置で複数種類の測定を行うことによって、結果が統合され、価値のある解釈を生むことが可能になった。
第1回国際極年は、{{仮リンク|ゲオルク・フォン・ノイマイヤー|en|Georg von Neumayer}}によって提案され、[[オーストリア=ハンガリー帝国海軍|オーストリア=ハンガリー帝国海軍]]将校、{{仮リンク|カール・ヴァイプレヒト|en|Karl Weyprecht}}によって実行された。複数の観測者が同年に異なる位置で複数種類の測定を行うことによって、結果が統合され、価値のある解釈を生むことが可能になった。


== 第1回国際極年 ==
== 第1回国際極年 ==
[[1882年]]から[[1883年]]の第1回国際極年には、12カ国([[オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[デンマーク]]、[[フィンランド]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[オランダ]]、[[ノルウェー]]、[[ロシア]]、[[スウェーデン]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]、アメリカ)が参加した。
[[1882年]]から[[1883年]]の第1回国際極年には、12カ国([[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[デンマーク]]、[[フィンランド]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[オランダ]]、[[ノルウェー]]、[[ロシア]]、[[スウェーデン]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]、アメリカ)が参加した。


これらの国は[[北極]]近辺の14の測候所で、[[氷床コア|氷]]、[[大気]]、[[電磁気]]、地磁気、[[曙光]]、[[海流]]、[[潮]]、構造および運動の観測を行った。このほか、世界中の40を越える[[気象台]]が、国際極年の観測に協力した。
これらの国は[[北極]]近辺の14の測候所で、[[氷床コア|氷]]、[[大気]]、[[電磁気]]、地磁気、[[曙光]]、[[海流]]、[[潮]]、構造および運動の観測を行った。このほか、世界中の40を越える[[気象台]]が、国際極年の観測に協力した。
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== 国際地球観測年の提唱 ==
== 国際地球観測年の提唱 ==
[[1950年代]]、アメリカのLloyd Berknerによって、[[ロケット]]観測などを含む第3回の国際極年が提案された。[[国際科学会議|国際学術連合]](ICSU)は、これを極地以外の総合的な地球物理学観測の計画に拡張した。70を超える国立またはそれに相当する機関が協力し、国際地球観測年委員会を組織し、実行した。
[[1950年代]]、アメリカの{{仮リンク|ロイド・バークナー|en|Lloyd Berkner}}によって、[[ロケット]]観測などを含む第3回の国際極年が提案された。[[国際科学会議|国際学術連合会議]](ICSU)は、これを極地以外の総合的な地球物理学観測の計画に拡張した。70を超える国立またはそれに相当する機関が協力し、国際地球観測年委員会を組織し、実行した。


これにより、[[南半球]]の高緯度地域の高層気象データの蓄積が進み、南半球において夏の極前線の存在が確認できないことが明らかとなり、[[アリソフの気候区分]]にあるような亜南極帯と南極気団帯は存在しない、ということが判明した<ref>矢澤(1989):358 - 359ページ</ref>。
これにより、[[南半球]]の高緯度地域の高層気象データの蓄積が進み、南半球において夏の極前線の存在が確認できないことが明らかとなり、[[アリソフの気候区分]]にあるような亜南極帯と南極気団帯は存在しない、ということが判明した<ref>矢澤(1989):358 - 359ページ</ref>。


==日本の協力==
== 日本の協力 ==
[[画像:International Geophysical Year in 1957.Japanese sttamp of 10yen.jpg|thumb|165px|right|日本が発行した国際地球観測年記念切手]]
[[画像:International Geophysical Year in 1957.Japanese sttamp of 10yen.jpg|thumb|165px|right|日本が発行した国際地球観測年記念切手]]
国際地球観測年が提案された[[1951年]]、日本は独立を回復していなかった。日本はこれに参加し、国際的地位を認めてもらおうと考えた。当初、[[赤道]]観測を行う予定であったが、観測予定地の領有権を持つアメリカは、自国で観測を行うという理由で丁重にこれを断った。
国際地球観測年が提案された[[1951年]]、日本は独立を回復していなかった。日本はこれに参加し、国際的地位を認めてもらおうと考えた。当初、[[赤道]]観測を行う予定であったが、観測予定地の領有権を持つアメリカは、自国で観測を行うという理由で丁重にこれを断った。
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== 発行物 ==
== 発行物 ==
世界各地で、国際地球観測年の記念切手が発行された。日本でも、1957年[[7月1日]]に10円切手が1種類発行された。
*日本の発行物

**1957年7月1日、国際地球観測年記念の切手が1種(10円)、発行された。
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File:Geophysical Year 3c 1958 issue U.S. stamp.jpg|アメリカが1958年5月31日に発行した3セント切手
File:IDN 1958 MiNr0228 mt B002.jpg|[[インドネシア]]が発行した75[[ルピア|セン]]切手。10・15・35・50セン切手がセットとなっている。
File:1959 CPA 2355.jpg|ソ連が発行した、宇宙ロケットとロゴを描いた1ルーブル切手。
File:1959 CPA 2354.jpg|ソ連が発行した、南極基地などを描いた40コペイカ切手。全7種類が発行された。
File:Stamp Beerenberg.jpg|[[ノルウェー]]が1957年7月1日に発行した、[[ヤンマイエン島]]を描いた25[[ノルウェー・クローネ|クローネ]]切手。
File:Stamp of Peru - 1961 - Colnect 386585 - Globe Moon and Stars.jpeg|[[ペルー]]が発行した100ペルー・ソル切手
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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* [[矢沢大二|矢澤大二]]『気候地域論考―その思潮と展開―』古今書院、1989年11月20日、738pp. ISBN 4-7722-1113-6
* [[矢沢大二|矢澤大二]]『気候地域論考―その思潮と展開―』古今書院、1989年11月20日、738pp. ISBN 4-7722-1113-6


==関連項目==
== 関連項目 ==
*{{仮リンク|国際極年|en|International Polar Year}}
*{{仮リンク|国際極年|en|International Polar Year}}
* [[国際地球観測協力年]] - 継続事業として1959年1月1日から12月31日まで実施された。
*[[国際科学会議]]
*[[国際科学会議]]
*[[アムンゼン・スコット基地]]
*[[アムンゼン・スコット基地]]
60行目: 71行目:
*[[:en:International_Geophysical_Year]]の翻訳
*[[:en:International_Geophysical_Year]]の翻訳


==外部リンク==
== 外部リンク ==
*[https://www.nap.edu/read/12675/chapter/22 TAppendix A: The International Geophysical Year | Forging the Future of Space Science: The Next 50 Years | The National Academies Press]{{en icon}}
*[https://www.nap.edu/read/12675/chapter/22 TAppendix A: The International Geophysical Year | Forging the Future of Space Science: The Next 50 Years | The National Academies Press]{{En icon}}
*{{kotobank}}
*{{Kotobank}}


{{Normdaten}}
{{Normdaten}}

2023年4月26日 (水) 19:10時点における最新版

国際地球観測年(こくさいちきゅうかんそくねん、英語: International Geophysical Year、略称:IGY)は、1957年7月1日から1958年12月31日まで続いた、国際科学研究プロジェクトの名称。国際年の第1号として数えられる[1]。当初は太陽磁気が地球に与える影響を研究するために設定された。

概説[編集]

極地を中心とする気象・地磁気などの国際共同観測事業として50年ごとに実施されていた「国際極年英語版」(: International Polar Year; IPY)を受け継ぎ、全地球規模に拡大させたものである。第1回国際極年は1882年 - 1883年、第2回国際極年は1932年 - 1933年に実施された。第3回は1982 - 1983年に実施される予定であったが、自然科学の急速な発展にともない、25年繰り上げされて1957年 - 1958年に実施されることになり、さらに極地に限定されない全地球規模での国際共同観測事業へと発展、呼称も「国際地球観測年」と改められた[2]。なお、国際地球観測年から50年後の2007年 - 2008年には、第4回国際極年(IPY2007-2008)が実施されている[3]

全体の計画は国際学術連合会議(ICSU、現・国際学術会議)が統括し、60か国以上が参加した[2]

なお、International Geophysical Yearは直訳すると「国際地球物理年」または「国際地球物理学年」となるが、日本学術会議IGY特別委員会は「国際地球観測年」を日本での正式名称として採用した。これは、IGY特別委員会の長谷川万吉委員長と永田武総幹事が、「天文学地球物理学物理学、電波科学の諸分野が立体的に総合研究を行なうべきIGY計画に地球物理の名を冠するのはよくない」と判断したことによる[4]

国際地球観測年で行われた協力は12項目があった。以下に列挙する。オーロラ大気光(夜光)、宇宙線地磁気氷河重力電離層経度緯度決定、気象学海洋学地震学太陽活動

ソビエト連邦アメリカ合衆国は、国際地球観測年のために初期の人工衛星スプートニク1号エクスプローラー1号を打ち上げた。主な成果は、バン・アレン帯の発見、中央海嶺プレート・テクトニクス説の確認作業などがある。

極地は特有の現象を持つ。空気と水は南極大陸内部に封じ込められ、そのまま数十万年の間、大陸に堆積したままになる。これらは過去の地球の気象等を知る手がかりになる。南極点でこれらを観察することは可能だが、南極点は大昔に放棄されたままで、一度きりの観察のために出かけるのには費用がかかりすぎる難点があった。国際協力により観測結果を交換しあうことにより、これらの費用は最小限に抑えることができる。この国際協力をきっかけに、複数の国により領有権の主張がなされていた南極大陸について、今後も大陸全体を国際協力で観測できるようにするには国境線で大陸を分断しないことが重要という認識が参加国の間で広がり、1959年南極条約へと至った。

第1回国際極年は、ゲオルク・フォン・ノイマイヤー英語版によって提案され、オーストリア=ハンガリー帝国海軍将校、カール・ヴァイプレヒト英語版によって実行された。複数の観測者が同年に異なる位置で複数種類の測定を行うことによって、結果が統合され、価値のある解釈を生むことが可能になった。

第1回国際極年[編集]

1882年から1883年の第1回国際極年には、12カ国(オーストリア=ハンガリー帝国デンマークフィンランドフランスドイツオランダノルウェーロシアスウェーデンイギリスカナダ、アメリカ)が参加した。

これらの国は北極近辺の14の測候所で、大気電磁気、地磁気、曙光海流、構造および運動の観測を行った。このほか、世界中の40を越える気象台が、国際極年の観測に協力した。

第一次世界大戦後、電信ラジオ電話が発達し、飛行機などが実用化すると、これらを利用した提案が1927年に、国際気象委員会に提出された。

第2回国際極年[編集]

1932年から1933年の第2回国際極年は、これらの新技術を使って気象情報を交換することが可能であるか、また、それが各国の気象予報にどれだけ有効であるかを調査する目的であった。また極地の気象観測が、気象予報にどれだけ意味を持つのかを調査する意味もあった。44カ国がこれに参加し、情報が集積された。しかし、両極地の情報は極端に少なかった。

国際地球観測年の提唱[編集]

1950年代、アメリカのロイド・バークナー英語版によって、ロケット観測などを含む第3回の国際極年が提案された。国際学術連合会議(ICSU)は、これを極地以外の総合的な地球物理学観測の計画に拡張した。70を超える国立またはそれに相当する機関が協力し、国際地球観測年委員会を組織し、実行した。

これにより、南半球の高緯度地域の高層気象データの蓄積が進み、南半球において夏の極前線の存在が確認できないことが明らかとなり、アリソフの気候区分にあるような亜南極帯と南極気団帯は存在しない、ということが判明した[5]

日本の協力[編集]

日本が発行した国際地球観測年記念切手

国際地球観測年が提案された1951年、日本は独立を回復していなかった。日本はこれに参加し、国際的地位を認めてもらおうと考えた。当初、赤道観測を行う予定であったが、観測予定地の領有権を持つアメリカは、自国で観測を行うという理由で丁重にこれを断った。

そこで日本は南極観測を行うことにした。しかし、IGY南極分科会では、第二次世界大戦で日本に遺恨を持つ複数の国から強硬な反対を受けた。アメリカ、ソビエト連邦などの大国が日本支持に回り、最終的に参加が認められた。ノルウェーが国力不足を理由に南極観測を行わないと表明したため、当時ノルウェーが領有権を主張していた地域が日本に割り当てられた。日本は国際地球観測年に合わせて南極圏内の東オングル島昭和基地を建設し、観測に協力した。昭和基地は、国際地球観測年終了とともに撤収する予定であったが、その後延長され、現在も観測が続いている。

日本は、12のすべての部門で協力を行った。

発行物[編集]

世界各地で、国際地球観測年の記念切手が発行された。日本でも、1957年7月1日に10円切手が1種類発行された。

脚注[編集]

  1. ^ "国際年". 日本大百科全書. コトバンクより2022年3月19日閲覧
  2. ^ a b "国際地球観測年". 日本大百科全書. コトバンクより2022年3月19日閲覧
  3. ^ 佐藤夏雄「IPY (国際極年) 2007-2008 の活動と展望」『学術の動向』第14巻、第5号、日本学術協力財団、60-62頁、2009年。doi:10.5363/tits.14.5_60 
  4. ^ 永田武「IGY・IQSY・IASY等について」『文部時報』第1099号、帝国地方行政学会、50-51頁、1969年2月。 
  5. ^ 矢澤(1989):358 - 359ページ

参考文献[編集]

関連項目[編集]

原文

外部リンク[編集]