コンテンツにスキップ

「丙寅丸」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(10人の利用者による、間の17版が非表示)
1行目: 1行目:
'''丙寅丸'''(へいいんまる)は、1866月に高杉晋作が長崎にてイギリス商人グラバーより購入した軍艦
'''丙寅丸'''(へいいんまる)は、[[幕末]]の[[長州藩]]の軍艦。1865年に英国で建造された{{要出典|date=2023年4月}}。[[1866]]5月に[[高杉晋作]][[長崎市|長崎]]にてイギリス商人[[トーマス・ブレーク・グラバー]]より購入した{{要出典|date=2023年4月}}。全長40余メートル排水量94トンで形式は[[バーク]]であり、30馬力の蒸気機関でスクリュー駆動、大砲6門を備えていた{{要出典|date=2023年4月}}。原名は「Ostentosama」<ref>杉山伸也「グラバー商会」431ページ</ref>

[[長州藩]]の[[高杉晋作]]は、[[長州征討|第二次長州征伐]](四境戦争)直前の1866年5月に長崎へ赴き、丙寅丸を3万9千[[両]]で藩の了解を得ず独断で購入した{{要出典|date=2023年4月}}。

慶応2年の第二次幕長戦争では[[大島口の戦い]]に於いて、高杉が指揮する「丙寅丸」は6月13日に久賀で「[[旭日丸]]」と「八雲丸」を奇襲したが、目立った戦果も損害もなく、交戦後逃走した<ref name=金澤181>『幕府海軍の興亡』181ページ</ref>。6月15日には「[[ユニオン号|乙丑丸]]」、兵船2隻と共に安下庄に現れたが、「[[富士山 (スループ)|富士山]]」の攻撃を受け逃走した<ref name=金澤181/>。6月17日、「丙寅丸」は「[[癸亥丸]]」、「[[丙辰丸]]」とともに田ノ浦を襲撃<ref>『幕府海軍の興亡』183ページ</ref>。[[小倉口の戦い]]では、7月3日に「丙辰丸」、「[[庚申丸]]」とともに大里沖から幕府艦を攻撃し、7月27日にも「丙寅丸」は幕府艦や砲台と交戦した<ref>『幕府海軍の興亡』185-186ページ</ref>。

[[戊辰戦争]]の後は、'''ヲテント丸'''(オテント丸)の名で定期貨客船として[[博多]]~[[大阪]]間の航路に就役した{{要出典|date=2023年4月}}。
==脚注==
{{reflist}}

==参考文献==
*金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』慶應義塾大学出版会、2017年、ISBN 978-4-7664-2421-8
*杉山伸也「グラバー商会」『九州と外交・貿易・キリシタン(II)』国書刊行会、1985年、401-540ページ
{{デフォルトソート:へいいんまる}}
[[Category:戊辰戦争の艦船]]
[[Category:長州藩海軍の艦船]]
[[Category:高杉晋作]]



高杉晋作は、第二次長州征伐(四境戦争1866年6月)前に、長崎に赴き、独断で(藩の了解を得ずに)丙寅丸(購入時の名前はオテント丸)を3万6千両で購入。四境戦争では、本軍艦を率いて、まず、先に幕軍により占領された大島口を奪回、また、小倉口開戦時には、他3隻を率いて先制攻撃を行い門司、田野浦占領するなど、四境戦争の事実上の勝利に大きく貢献した。
{{japanese-history-stub}}
{{japanese-history-stub}}

2023年4月28日 (金) 16:53時点における最新版

丙寅丸(へいいんまる)は、幕末長州藩の軍艦。1865年に英国で建造された[要出典]1866年5月に高杉晋作長崎にてイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーより購入した[要出典]。全長40余メートル排水量94トンで形式はバークであり、30馬力の蒸気機関でスクリュー駆動、大砲6門を備えていた[要出典]。原名は「Ostentosama」[1]

長州藩高杉晋作は、第二次長州征伐(四境戦争)直前の1866年5月に長崎へ赴き、丙寅丸を3万9千で藩の了解を得ず独断で購入した[要出典]

慶応2年の第二次幕長戦争では大島口の戦いに於いて、高杉が指揮する「丙寅丸」は6月13日に久賀で「旭日丸」と「八雲丸」を奇襲したが、目立った戦果も損害もなく、交戦後逃走した[2]。6月15日には「乙丑丸」、兵船2隻と共に安下庄に現れたが、「富士山」の攻撃を受け逃走した[2]。6月17日、「丙寅丸」は「癸亥丸」、「丙辰丸」とともに田ノ浦を襲撃[3]小倉口の戦いでは、7月3日に「丙辰丸」、「庚申丸」とともに大里沖から幕府艦を攻撃し、7月27日にも「丙寅丸」は幕府艦や砲台と交戦した[4]

戊辰戦争の後は、ヲテント丸(オテント丸)の名で定期貨客船として博多大阪間の航路に就役した[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 杉山伸也「グラバー商会」431ページ
  2. ^ a b 『幕府海軍の興亡』181ページ
  3. ^ 『幕府海軍の興亡』183ページ
  4. ^ 『幕府海軍の興亡』185-186ページ

参考文献[編集]

  • 金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』慶應義塾大学出版会、2017年、ISBN 978-4-7664-2421-8
  • 杉山伸也「グラバー商会」『九州と外交・貿易・キリシタン(II)』国書刊行会、1985年、401-540ページ