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{{出典の明記|date=2015年12月13日 (日) 07:53 (UTC)}}
{{基礎情報 ギリシャの県
{{基礎情報 ギリシャの県
| 日本語名 = メッシニア県
| 日本語名 = メッシニア県
| ギリシャ語名 = Περιφερειακή ενότητα Μεσσηνίας
| ギリシャ語名 = Περιφερειακή ενότητα Μεσσηνίας
| 紋章 =
| 紋章 =
| 北緯度 =
| 北緯度 = 37
| 北緯分 =
| 北緯分 = 10
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| 北緯秒 =
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| 東経度 = 22
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| 東経分 = 0
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| 東経秒 =
| 地図 =
| 地図 =
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| ナンバープレート = KM
| ナンバープレート = KM
| 自治体コード = 17
| 自治体コード = 17
| デモス = 29
| デモス = 6
| キノティタス = 2
| キノティタス = 0
| ウェブサイト =
| ウェブサイト =
| 知事 =
| 知事 =
}}
}}
'''メッシニア県'''(メッシニアけん、{{lang-el|Μεσσηνία}} / {{lang|el-Latn|Messinia}}、{{lang-en|Messenia}})は、[[ギリシャ|ギリシャ共和国]]の[[ペロポネソス|ペロポネソス地方]]を構成する行政区([[ギリシャの地方行政区画#ペリフェリアキ・エノティタ|ペリフェリアキ・エノティタ]])のひとつ。'''メシニア'''とも表記される。また、古代ギリシャ語音に従って'''メッセニア'''とも呼ばれる。県都は[[カラマタ]]。

'''メッシニア県'''({{lang-el|'''Μεσσηνία'''}} / {{lang|el-Latn|Messinia}})は、[[ギリシャ|ギリシャ共和国]]の[[ペロポネソス|ペロポネソス地方]]を構成する行政区([[ギリシャの地方行政区画#ペリフェリアキ・エノティタ|ペリフェリアキ・エノティタ]])のひとつ。'''メシニア'''とも表記される。また、古代ギリシャ語音に従って'''メッセニア'''とも呼ばれる。県都では[[カラマタ]]。


== 地理 ==
== 地理 ==
[[File:Taygetos relief map-de.png|350px|thumb|ペロポネソス半島南部(ドイツ語)]]
[[ファイル:Pylos, Holy Assumption Church 2.jpg|300px|thumb|ピロスの教会]]
=== 位置・広がり ===
=== 位置・広がり ===
メッシニア県の東には[[:en:Taygetus|テイゲト]]、北に[[:en:Neda River|ネダ川]][[アルカディア山脈]]があり西[[イオニア]]、南に[[:en:Messenian Gulf|メッシニア]]がそれぞれ接している。県中心部は平野が広がっているが、三方を山岳に囲まれた地形となっている。半島部の南には、3つの島と1つの小島が浮かんでいる。
メッシニア県は[[ペロポネソ半島]]西南部に位置し、北に[[イリア県]]、北東に[[アルカディア]]、南東に[[ラコニア]]と接し、南から西かけて[[地中海]]([[イオニア]])に面している。


イオニア海に突きだした県西南部を構成する大きな半島はメッシニア半島(Messinia Peninsula)あるいはアクリタス半島(Akritas Peninsula)の名で呼ばれており、メッシニア半島と[[マニ半島]]によって[[メッシニア湾]]が形作られている。また、キパリシア付近から[[ピルゴス (イリア県)|ピルゴス]](イリア県)付近にかけて弧を描いて湾入する海は{{仮リンク|キパリシア湾|en|Gulf of Kyparissia}}と呼ばれる。
メッシニア県には次の島々も属している。

*[[ヴェネティコ島]]
=== 地勢 ===
*[[:en:Sapientza|サピエンツァ島]]
メッシニア県は三方を山岳に囲まれた地形となっている。東には[[タイゲトス山脈]]、北西にはキパリシア山脈、南西の半島部にはリコディモ山脈が連なる。
*[[:en:Schiza|スヒザ島]]

*[[:en:Sphacteria|スファギア島]]
主要な川には、メッシニアの中央部を流れる{{仮リンク|パミソス川|en|Pamisos (river)}}と、北部を流れる[[ネダ川]]がある。メッシニア半島の南には{{仮リンク|サピエンツァ島|en|Sapientza}}、{{仮リンク|スヒザ島|en|Schiza}}などからなるイヌセス諸島{{enlink|Μεσσηνιακές Οινούσσες||el}}が浮かび、このほかに{{仮リンク|ヴェネティコ島|el|Βενέτικο Μεσσηνίας}}、{{仮リンク|スファギア島|en|Sphacteria}}の島々がある。
{{gallery
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|height=180
|lines=2
|File:Agios Sostis.jpg|メッシニアの山村 Agios Sostis
|File:Ithome2.jpg|イトメ山からのメッシニア平原の眺望
|File:Finikounda Bay.jpg|Finikoundaの町とサピエンツァ島
}}


=== 気候 ===
=== 気候 ===
{{climate chart|[[カラマタ]]
メッシニア県内の気候は多様であり、低地部では[[アテネ]]よりやや気温は高い。冬には[[タイゲトス山脈]]を中心とした山地部以外では降雪はほとんど見られない。また、内陸部では[[雨]]や[[曇り]]の天気が多く見られる。
|5.6|15.2|113.3
|5.8|15.6|102.0
|6.8|17.3|72.9
|9.0|20.1|47.5
|12.4|24.4|22.8
|15.9|28.8|6.5
|18.2|31.2|3.5
|18.3|31.2|10.4
|16.2|28.8|28.1
|13.1|24.6|99.8
|9.8|20.5|142.1
|7.2|16.7|153.6
|float=right
|clear=both
|source=[http://www.climate-charts.com/Locations/g/GR16726.php climate-charts.com]
}}
メッシニア県内の気候は多様であり、低地部では[[アテネ]]よりやや気温は高い。冬にはタイゲトス山脈を中心とした山地部以外では降雪はほとんど見られない。また、内陸部では[[雨]]や[[曇り]]の天気が多く見られる。


=== 主要な都市 ===
=== 主要な都市 ===
県都カラマタ(人口約4万9000人)が県最大の都市である。人口3000人以上の都市には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。
人口3000人以上の都市には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。
*[[カラマタ]] (カラマタ市) - 49,154人

*{{仮リンク|フィリアトラ|en|Filiatra}} (トリフィリア市) - 6,719人
*[[カラマタ]](カラマタ市カラマタ地区) - 49,154人
*{{仮リンク|フィリアトラ|en|Filiatra}}(トリフィリア市) - 6.719
*{{仮リンク|メシニ|en|Messini}} メシニ市) - 6,693
*{{仮リンク|メシニ|en|Messini}}(メシニメシニ地区) - 6.693
*{{仮リンク|ガルガリャニ|en|Gargalianoi}} トリフィリア市) - 5,970
*{{仮リンク|ガルガャニ|en|Gargalianoi}}(トリフィリア市ガルガリャニ地区) - 5,970
*{{仮リンク|キパシア|en|Kyparissia}} (トリフィリア市) - 4,894
*{{仮リンク|キパリシ|en|Kyparissia}}(トリフィリアキパリシア地区) - 4.894
*{{仮リンク|ホラ (ギリシャ)|el|Χώρα Μεσσηνίας|label=ホラ}} ピロス=ネスラス市) - 3,458
メッシニア湾に面した県都'''カラマタ'''が県最大の都市である。県人口の半分以上は、'''メシニ'''などパミソス川下流の平野部に居住しており、カラマタ=メシニ都市圏と呼ばれる。県北西部の平野には、北から'''キパリシア'''、'''フィリアトラ'''、'''ガルガリャニ'''といった町が並ぶ。メッシニア半島では内陸の'''ホラ'''(ネストラス)が最も大きな町で、港町'''[[ピュロス (ギリシャ)|ピロス]]'''(古名: [[ピュロス (ギリシャ)|ピュロス]])がこれに次ぐ。
*{{仮リンク|ホラ (ギリシャ)|el|Χώρα Μεσσηνίας|label=ホラ}}(ピロス=ネストラス市ネストラス地区) - 3.458人


県人口の半分以上は、平原上の[[カラマタ=メシニ都市圏]]に居住する。
{{gallery
{{gallery
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|width=180
59行目: 84行目:
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|File:Kalamata, Peloponnese, Greece.jpg|カラマタ
|File:Kalamata, Peloponnese, Greece.jpg|カラマタ
|File:Pylos-sfaktiria.JPG|ピロス
|File:Pylos, Holy Assumption Church 2.jpg|ピロス
|File:Kyparissia.jpg|キパリシア
|File:Kyparissia.jpg|キパリシア
}}
}}
66行目: 91行目:
=== 古代 ===
=== 古代 ===
[[ファイル:Messenia.jpg|280px|thumb|left|古代のメッセニアの地図]]
[[ファイル:Messenia.jpg|280px|thumb|left|古代のメッセニアの地図]]
初めにメッセニア地方に居住していたのは、[[:en:Pelasgians|ペラスゴイ人]][[:en:Leleges|レレゲス人]]であり、レレゲス人は北西部[[:en:Andania|アンダニア]]を中心に居住していた。その後[[アエロ=ミニア人]]が到来し、メッセニアに移住した。[[ホメーロス]]の[[叙事詩]]によると、メッセニア東部は東隣の[[スパルタ]]の王[[メネラーオス]]の支配下にあり、西部はメッセニア西部海岸に位置した[[:en:Pylos|ピュロス]]の王[[:en:Neleides|ネレイデス]]の支配下にあったが、スパルタ王メネラーオスの死後、国境が東へタイゲトス山脈まで移動されたという。
初めにメッセニア地方に居住していたのは、{{仮リンク|ペラスゴイ人|en|Pelasgians}}{{仮リンク|レレゲス人|en|Leleges}}であり、レレゲス人は北西部{{仮リンク|アンダニア (ギリシャ)|label=アンダニア|en|Andania}}を中心に居住していた。その後[[アエロ=ミニア人]]が到来し、メッセニアに移住した。[[ホメーロス]]の[[叙事詩]]によると、メッセニア東部は東隣の[[スパルタ]]の王[[メネラーオス]]の支配下にあり、西部はメッセニア西部海岸に位置した[[ピュロス (ギリシャ)|ピュロス]]の王[[ネーレウス (ギリシア神話の英雄)|ネレス]]の支配下にあったが、スパルタ王メネラーオスの死後、国境が東へタイゲトス山脈まで移動されたという。


紀元前1300年代の[[青銅器時代]]後期には、[[官僚制]]で[[農業]]国であったピュロスの王がメッセニア地方を統治していた。当時は[[:en:Mycenaean Greek|ミケーネ方言]]が話され、ギリシアの[[多神教]]を信仰していた。[[:en:Cresphontes|クレスフォンテス]]率いる[[ドーリア人]]が[[アルカディア]]地方からメッシニア平原の北部に侵入すると、[[ステニクラルス]]を首都とした。さらにその後の支配はメッセニア地方全土に及んだ。しかしながら、アルカディア方言がミケーネ方言の直系の言語であることを考慮に入れると、先住民がドーリア人に追われて逆に[[アルカディア]]地方に逃げ込んだものと考えられる。
紀元前1300年代の[[青銅器時代]]後期には、[[官僚制]]で[[農業]]国であったピュロスの王がメッセニア地方を統治していた。当時は[[ミケーネ方言]]が話され、ギリシアの[[多神教]]を信仰していた。{{仮リンク|クレスポンテース|en|Cresphontes|label=クレスンテス}}率いる[[ドーリア人]]が[[アルカディア]]地方からメッシニア平原の北部に侵入すると、[[ステニクラルス]]を首都とした。さらにその後の支配はメッセニア地方全土に及んだ。しかしながら、アルカディア方言がミケーネ方言の直系の言語であることを考慮に入れると、先住民がドーリア人に追われて逆に[[アルカディア]]地方に逃げ込んだものと考えられる。


[[ドーリア人]]は、強い愛国心によって残った先住民を融合し、単一なメッセニア人としてまとめることに成功した。これは[[スパルタ]]のドーリア人が、征服した先住民を[[ヘイロタイ]]や[[ペリオイコイ]]としたのとは際立って異なる特徴である。しかし、メッセニア地方は肥沃な土地と良好な気候のために比較的豊かな地方であり、そのことが領土拡張主義を採る隣国のスパルタの欲望を掻き立てることとなった。
[[ドーリア人]]は、強い愛国心によって残った先住民を融合し、単一なメッセニア人としてまとめることに成功した。これは[[スパルタ]]のドーリア人が、征服した先住民を[[ヘイロタイ]]や[[ペリオイコイ]]としたのとは際立って異なる特徴である。しかし、メッセニア地方は肥沃な土地と良好な気候のために比較的豊かな地方であり、そのことが領土拡張主義を採る隣国のスパルタの欲望を掻き立てることとなった。


紀元前720年、スパルタ王[[テレクロス]]がメッセニア人に殺害されたことから両国間の戦争([[第一次メッセニア戦争]])が始まった。戦争はメッセニア王[[エウパエス]]と次王[[アリストデモス (メッセニア王)|アリストデモス]]の活躍にもかかわらず、スパルタの勝利に終わった。紀元前648年から紀元前631年にかけて、[[アリストメネス]]指揮下でメッセニア人がスパルタに対して蜂起を起こした。([[第二次メッセニア戦争]])しかし、[[:en:Eira, Messenia|ヘイラ]]の城塞が11年の包囲の後に陥落し、失敗に終わった。
紀元前720年、スパルタ王[[テレクロス]]がメッセニア人に殺害されたことから両国間の戦争([[第一次メッセニア戦争]])が始まった。戦争はメッセニア王[[エウパエス]]と次王[[アリストデモス (メッセニア王)|アリストデモス]]の活躍にもかかわらず、スパルタの勝利に終わった。紀元前648年から紀元前631年にかけて、[[アリストメネス]]指揮下でメッセニア人がスパルタに対して蜂起を起こした。([[第二次メッセニア戦争]])しかし、{{仮リンク|ヘイラ|en|Eira, Messenia}}の城塞が11年の包囲の後に陥落し、失敗に終わった。


結果として、スパルタ市民は広大な土地を得て、土地を捨てて逃げなかったメッセニア人は[[ヘイロータイ]]の身分に落とされた。隷属は過酷であり、自らが耕す土地の生産物の半分を、土地の所有者であるスパルタ市民に支払わねばならなかった。スパルタの詩人[[:en:Tyrtaeus|テュルタイオス]]は、スパルタ人の傲慢さに耐え忍ぶメッセニア人をこう描写している。
結果として、スパルタ市民は広大な土地を得て、土地を捨てて逃げなかったメッセニア人は[[ヘイロータイ]]の身分に落とされた。隷属は過酷であり、自らが耕す土地の生産物の半分を、土地の所有者であるスパルタ市民に支払わねばならなかった。スパルタの詩人{{仮リンク|テュルタイオス|en|Tyrtaeus}}は、スパルタ人の傲慢さに耐え忍ぶメッセニア人をこう描写している。


{{quote|As asses worn by loads intolerable, (領主が乗るロバは傲慢なので、)<br />
{{quote|As asses worn by loads intolerable, (領主が乗るロバは傲慢なので、)<br />
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The moiety to bear to their proud lords. (半分は彼らの傲慢な領主に持っていく物である。)|(英語訳)}}
The moiety to bear to their proud lords. (半分は彼らの傲慢な領主に持っていく物である。)|(英語訳)}}


紀元前464年にスパルタ地震が起き、多くの人命を奪ったため、それに乗じて再びメッセニア人は反乱を起こした([[第三次メッセニア戦争]])。反乱軍は第二次メッセニア戦争の時と同じように[[:en:Ithome|イトメ山]]の城砦に籠城した。しかし結局城塞は落ち、メッセニア人は[[ペロポネソス半島]]から追放されたが、スパルタに不満を持っていた[[アテナイ]]人によって[[:en:Ozolian Locris|西ロクリス]]地方にある[[ナウパクトス]]の町を移住先として与えられた。紀元前371年の[[レウクトラの戦い]]の後、[[イタリア]]や[[シチリア島]]や[[北アフリカ]]に離散していたメッセニア人は、[[エパメイノンダス]]の支援により再びメッセニアに帰還し、スパルタから独立を回復した。[[メッセネ]](現在のメシニ)の町は紀元前369年に建設され、以後メッセニア地方の主都として、[[アルカディア]]地方の主都[[メガロポリス]]と同じように、[[スパルタ]]にとっての障害となりえた。この頃メッセニア地方の他の町も、同様に建設されたが、大部分の土地は未だ過疎地域であった。
紀元前464年に[[スパルタ地震]]が起き、多くの人命を奪ったため、それに乗じて再びメッセニア人は反乱を起こした([[第三次メッセニア戦争]])。反乱軍は第二次メッセニア戦争の時と同じように{{仮リンク|イトメ山|en|Ithome}}の城砦に籠城した。しかし結局城塞は落ち、メッセニア人は[[ペロポネソス半島]]から追放されたが、スパルタに不満を持っていた[[アテナイ]]人によって{{仮リンク|西ロクリス|en|Ozolian Locris}}地方にある[[ナウパクトス]]の町を移住先として与えられた。紀元前371年の[[レウクトラの戦い]]の後、[[イタリア]]や[[シチリア島]]や[[北アフリカ]]に離散していたメッセニア人は、[[エパメイノンダス]]の支援により再びメッセニアに帰還し、スパルタから独立を回復した。[[メッセネ]](現在のメシニ)の町は紀元前369年に建設され、以後メッセニア地方の主都として、[[アルカディア]]地方の主都[[メガロポリス]]と同じように、[[スパルタ]]にとっての障害となりえた。この頃メッセニア地方の他の町も、同様に建設されたが、大部分の土地は未だ過疎地域であった。


[[テーバイ]]の覇権が終わった後、メッセニアは[[マケドニア王国|マケドニア]]王[[ピリッポス2世]]と同盟を結んだが、紀元前338年の[[カイロネイアの戦い]]に参加することはなかった。その後は[[アカイア同盟]]に加入し、紀元前222年の[[セッラシアの戦い]]では、[[アカイア人]]や[[アンティゴノス3世]]とともに戦った。マケドニア王[[ピリッポス5世]]は、メッセネの包囲に[[パロスのデメトリオス]]を派遣したが、デメトリオスは死亡し失敗に終わった。そのすぐ後にスパルタの僭主[[ナビス]]がメッセネの町を占領したが、[[メガロポリスのフィロポイメン|フィロポイメン]]率いるメガロポリスの軍隊が到着し、町は解放された。
[[テーバイ]]の覇権が終わった後、メッセニアは[[マケドニア王国|マケドニア]]王[[ピリッポス2世 (マケドニア王)|ピリッポス2世]]と同盟を結んだが、紀元前338年の[[カイロネイアの戦い]]に参加することはなかった。その後は[[アカイア同盟]]に加入し、紀元前222年の[[セッラシアの戦い]]では、[[アカイア人]]や[[アンティゴノス3世]]とともに戦った。マケドニア王[[ピリッポス5世]]は、メッセネの包囲に[[パロスのデメトリオス]]を派遣したが、デメトリオスは死亡し失敗に終わった。そのすぐ後にスパルタの僭主[[ナビス]]がメッセネの町を占領したが、[[メガロポリスのフィロポイメン|フィロポイメン]]率いるメガロポリスの軍隊が到着し、町は解放された。


紀元前183年に[[アカイア同盟]]との戦いが始まると、メッセニア人はフィロポイメンを捕捉し、殺害した。しかしアカイア同盟はフィロポイメン殺害の報復としてメッセニアを攻撃したため、翌年に[[リュコルタス]]に町を占領されると、再びメッセネはアカイア同盟に加入した。この戦いの中で[[アビア]]や[[トゥリア]]、[[ペライ]]といった都市がメッセネから独立したために、メッセネの力は減少した。
紀元前183年に[[アカイア同盟]]との戦いが始まると、メッセニア人はフィロポイメンを捕捉し、殺害した。しかしアカイア同盟はフィロポイメン殺害の報復としてメッセニアを攻撃したため、翌年に[[リュコルタス]]に町を占領されると、再びメッセネはアカイア同盟に加入した。この戦いの中で[[アビア]]や[[トゥリア]]、[[ペライ]]といった都市がメッセネから独立したために、メッセネの力は減少した。


紀元前146年には、[[共和政ローマ]]の[[執政官]][[ルキウス・ムンミウス]]の遠征によって、他のギリシア諸邦と共にメッセネも[[共和政ローマ]]の支配下に入った。その頃、[[:en:Taygetus|タイゲトス山脈]]の西麓にある町アゲル・デンテリアレスの帰属をめぐって、メッセニアと[[スパルタ]]の間で長い間対立が生じていたが、結局紀元後25年の[[ティベリウス]]帝の時代に、メッセニアに帰属する判決が下された。(Tac.Ann.iv.43)
紀元前146年には、[[共和政ローマ]]の[[執政官]][[ルキウス・ムンミウス]]の遠征によって、他のギリシア諸邦と共にメッセネも[[共和政ローマ]]の支配下に入った。その頃、[[タイゲトス山脈]]の西麓にある町アゲル・デンテリアレスの帰属をめぐって、メッセニアと[[スパルタ]]の間で長い間対立が生じていたが、結局紀元後25年の[[ティベリウス]]帝の時代に、メッセニアに帰属する判決が下された。(Tac.Ann.iv.43)


395年に[[ローマ帝国]]が東西に分裂すると、メッセニア地方は[[東ローマ帝国]]に属することとなった。その後は[[スラヴ人]]の侵略が相次いだ。
395年に[[ローマ帝国]]が東西に分裂すると、メッセニア地方は[[東ローマ帝国]]に属することとなった。その後は[[スラヴ人]]の侵略が相次いだ。
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中世の時代、メッシニアは他の[[ペロポネソス半島|ペロポネソス]]地域と同じ歴史をたどった。現存する中世の城塞としては[[カラマタ]]や[[コロニ]]、[[メトニ]]などがある。
中世の時代、メッシニアは他の[[ペロポネソス半島|ペロポネソス]]地域と同じ歴史をたどった。現存する中世の城塞としては[[カラマタ]]や[[コロニ]]、[[メトニ]]などがある。


[[ビザンツ帝国]]領であったメッシニアのほとんどの地域は[[オスマン帝国]]に占領され、残りの地域は[[ヴェネツィア共和国]]の支配下にはいった。15世紀の半ばから末にかけてと、1680年代から1730年代にかけては、メッシニア地方全域がヴェネツィア領だったこともあった。
[[東ローマ帝国]]領であったメッシニアのほとんどの地域は[[オスマン帝国]]に占領され、残りの地域は[[ヴェネツィア共和国]]の支配下にはいった。15世紀の半ばから末にかけてと、1680年代から1730年代にかけては、メッシニア地方全域がヴェネツィア領だったこともあった。


1821年には[[ギリシャ独立戦争]]が起き、オスマン帝国海軍を打ち破ったことで有名である[[ナヴァリノの海戦]]が行われた。また、現在メッシニア県に所属している[[マニ半島]]は、港湾が無いために、オスマン帝国から自治権が付与されていた。
1821年には[[ギリシャ独立戦争]]が起き、オスマン帝国海軍を打ち破ったことで有名である[[ナヴァリノの海戦]]が行われた。また、現在メッシニア県に所属している[[マニ半島]]は、港湾が無いために、オスマン帝国から自治権が付与されていた。


また、1534年にはコロニに居住していた[[:en:Arvanites|アルヴァニテス人]]および[[ギリシア人]]の一族が、[[シチリア島]]にある現在の[[ピアーナ・デッリ・アルバネージ]]に移住した。
また、1534年にはコロニに居住していた{{仮リンク|アルヴァニテス人|en|Arvanites}}および[[ギリシア人]]の一族が、[[シチリア島]]にある現在の[[ピアーナ・デッリ・アルバネージ]]に移住した。


=== 近代から現代===
=== 近代から現代===
[[ギリシャ王国]]領となったメッシニア地方は、[[農業]]生産や経済が成長した。その後[[:en:Piraeus, Athens and Peloponnese Railways|ピレウス・アテネ・ペロポネソス鉄道]]([[:en:Hellenic Railways Organisation|OSE]]の前身)によって[[鉄道]]が敷かれた。しかし、メッシニア地方から[[アメリカ合衆国]]や国内の大都市への移民も増え始めた。また、[[イオニア諸島]]の一部である[[:en:Sapientsa|サピエンツァ島]]や[[:en:Schiza|スヒザ島]]は、この頃メッシニア県に編入された。
[[ギリシャ王国]]領となったメッシニア地方は、[[農業]]生産や経済が成長した。その後{{仮リンク|ピレウス・アテネ・ペロポネソス鉄道|en|Piraeus, Athens and Peloponnese Railways}}([[:en:Hellenic Railways Organisation<!-- [[:ja:ギリシャ国鉄]] とリンク -->|OSE]]の前身)によって[[鉄道]]が敷かれた。しかし、メッシニア地方から[[アメリカ合衆国]]や国内の大都市への移民も増え始めた。また、[[イオニア諸島]]の一部である{{仮リンク|サピエンツァ島|en|Sapientza}}、{{仮リンク|スヒザ島|en|Schiza}}は、この頃メッシニア県に編入された。


[[第二次世界大戦]]と[[ギリシャ内戦]]が終わると、大部分の建物は修復された。戦後、[[北アメリカ]]や[[オーストラリア]]、[[西ヨーロッパ]]への移民が増加したが、1980年代には終息し始めた。一方で、[[カラマタ]]や[[メシニ]](メッセネ)といった都市地域の人口は急増した。
[[第二次世界大戦]]と[[ギリシャ内戦]]が終わると、大部分の建物は修復された。戦後、[[北アメリカ]]や[[オーストラリア]]、[[西ヨーロッパ]]への移民が増加したが、1980年代には終息し始めた。一方で、[[カラマタ]]や[[メシニ]](メッセネ)といった都市地域の人口は急増した。
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1970年代には高速道路がメッシニア県に建設された。また、1999年には国道7号線の建設が進められ、2000年代半ばには国道9号線との[[インターチェンジ]]が増設された。
1970年代には高速道路がメッシニア県に建設された。また、1999年には国道7号線の建設が進められ、2000年代半ばには国道9号線との[[インターチェンジ]]が増設された。


2007年7月26日から28日にかけて県中央部で発生した山火事は、[[森林]]や[[果樹園]]、[[農場]]、[[家]]などを焼き尽くし、県の経済に影響を与えた。その1か月後には県北東部でも火災が発生し、[[タイゲトス山脈]]に立地する村々を破壊した。また、2008年2月14日には[[マグニチュード]]6.6の大規模な地震が県全体を襲った。
2007年7月26日から28日にかけて県中央部で発生した山火事は、[[森林]]や[[果樹園]]、[[農場]]、[[住宅|家]]などを焼き尽くし、県の経済に影響を与えた。その1か月後には県北東部でも火災が発生し、[[タイゲトス山脈]]に立地する村々を破壊した。また、2008年2月14日には[[マグニチュード]]6.6の大規模な地震が県全体を襲った。


== 人口推移 ==
== 社会 ==
=== 人口推移 ===
{| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0"11
|- bgcolor="#efefef"
{| class="wikitable"
|-
! 年 !! 人口(人)!! 増減
! 年 !! 人口(人)!! 増減
|-
|-
121行目: 147行目:
| 2001 || 172,875 || +5,583
| 2001 || 172,875 || +5,583
|}
|}

===テレビ===
*ノティイ・エリニキTV(南ギリシャTV)


==行政区画==
==行政区画==
[[File:2010 Dimi Messinias numbered.svg|250px|thumb|メッシニア県]]
[[File:2010 Dimi Messinias numbered.svg|250px|thumb|メッシニア県]]
=== 市(ディモス) ===
=== 市(ディモス) ===
アルカディア県は、以下の自治体(ディモス、市)から構成される。人口は2001年国勢調査時点。
メッシニア県は、以下の自治体(ディモス、市)から構成される。人口は2001年国勢調査時点。


{| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:85%"
{| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:85%"
145行目: 174行目:
| 5|| {{仮リンク|ピロス=ネストラス|en|Pylos–Nestor}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Πύλου - Νέστορος|Πύλου - Νέστορος]]}} || ピロス {{enlink|Πύλος||el|a=on}} || align=right| 551.9 || align=right| 23,780
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|-
| 5|| {{仮リンク|トリフィリア|en|Trifylia}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Τριφυλίας|Τριφυλία]]}} || キパリシア {{enlink|Κυπαρισσία||el|a=on}} || align=right| 602.8 || align=right| 33,581
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|}
|}


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下表の番号は右図と対応している。「旧自治体」欄で※印を付したものはキノティタ、それ以外はディモス。「政庁所在地」欄で太字になっているものは、新自治体の政庁所在地となったものを示す。
下表の番号は右図と対応している。「旧自治体」欄で※印を付したものはキノティタ、それ以外はディモス。「政庁所在地」欄で太字になっているものは、新自治体の政庁所在地となったものを示す。


{| class="wikitable"
{| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:85%"
|-
!|
!width="120"| 旧自治体
! 番号 !! デモス !! ギリシャ語 !! 政庁所在地 !! 人口(2001年)
!width="100"| 綴り
!width="120"| 政庁所在地
!width="120"| 新自治体
|-
|-
| 1||'''[[カラマタ]]''' || {{lang|el|Καλαμάτα}} || カラマタ || align=right|57,620
| 1||'''[[カラマタ]]''' || {{lang|el|[[:el:Δήμος Καλαμάτας (πρόγραμμα Καποδίστριας)|Καλαμάτα]]}} || '''カラマタ''' || カラマタ
|-
|-
| 2||[[:en:Avia, Messenia|アヴィア]] || {{lang|el|Αβία}} || カンボス || align=right|3,089
| 2|| {{仮リンク|アヴィア (メッシニア県)|en|Avia, Messenia|label=アヴィア}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Αβίας|Αβία]]}} || カンボス {{enlink|Κάμπος Αβίας Μεσσηνίας||el|a=on}} || 西マニ
|-
|-
| 3||[[:en:Aetos, Messenia|アエトス]] || {{lang|el|Αετός}} || コパナキ || align=right|3,264
| 3|| {{仮リンク|アエトス (メッシニア県)|en|Aetos, Messenia|label=アエトス}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Αετού Μεσσηνίας|Αετός]]}} || コパナキ || トリフィリア
|-
|-
| 4||[[:en:Aipeia|エピア]] || {{lang|el|Αιπεία}} || ロンガ || align=right|2,574
| 4|| {{仮リンク|エピア|en|Aipeia}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Αιπείας|Αιπεία]]}} || ロンガ || メシニ
|-
|-
| 5||[[:en:Andania|アンダニア]] || {{lang|el|Ανδανία}} || ディアヴォリツィ || align=right|3,084
| 5|| {{仮リンク|アンダニア (ギリシャ)|label=アンダニア|en|Andania}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Ανδανίας|Ανδανία]]}} || ディアヴォリツィ || イハリア
|-
|-
| 6||[[:en:Androusa|アンドルサ]] || {{lang|el|Ανδρούσα}} || アンドルサ || align=right|2,820
| 6|| {{仮リンク|アンドルサ|en|Androusa}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Ανδρούσας|Ανδρούσα]]}} || アンドルサ || メシニ
|-
|-
| 7||[[:en:Aris, Messenia|アリス]] || {{lang|el|Άρις}} || アリス || align=right|2,189
| 7|| {{仮リンク|アリス (ギリシャ)|en|Aris, Messenia|label=アリス}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Άριος|Άρις]]}} || アリス {{enlink|Άρις Μεσσηνίας||el|a=on}} || カラマタ
|-
|-
| 8||[[:en:Aristomenis|アリストメニス]] || {{lang|el|Αριστομένης}} || アリストメニス || align=right|3,413
| 8|| {{仮リンク|アリストメニス|en|Aristomenis}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Αριστομένους|Αριστομένης]]}} || アリストメニス || メシニ
|-
|-
| 9||[[:en:Arfara|アルファラ]] || {{lang|el|Αρφαρά}} || アルファラ || align=right|3,212
| 9|| {{仮リンク|アルファラ|en|Arfara}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Αρφαρών|Αρφαρά]]}} || アルファラ || カラマタ
|-
|-
| 10||[[:en:Avlona, Messenia|アヴロナ]] || {{lang|el|Αυλώνα}} || シディロカストロ || align=right|2,626
| 10|| {{仮リンク|アヴロナ (メッシニア県)|en|Avlona, Messenia|label=アヴロナ}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Αυλώνα Μεσσηνίας|Αυλώνα]]}} || シディロカストロ || トリフィリア
|-
|-
| 11||[[:en:Voufrades|ヴフラデス]] || {{lang|el|Βουφράδες}} || ハツィス || align=right|1,802
| 11|| {{仮リンク|ヴフラデス|en|Voufrades}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Βουφράδων|Βουφράδες]]}} || ハツィス {{enlink|Χατζής Μεσσηνίας||el|a=on}} || メシニ
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|-
| 12||[[:en:Gargalianoi|ガルガリャニ]] || {{lang|el|Γαργαλιάνοι}} || ガルガリャニ || align=right|9,083
| 12|| {{仮リンク|ガルガリャニ|en|Gargalianoi}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Γαργαλιάνων|Γαργαλιάνοι]]}} || ガルガリャニ {{enlink|Γαργαλιάνοι||el|a=on}} || トリフィリア
|-
|-
| 13||[[:en:Dorio|ドリオ]] || {{lang|el|Δώριο}} || ドリオ || align=right|4,069
| 13|| {{仮リンク|ドリオ|en|Dorio}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Δωρίου|Δώριο]]}} || ドリオ || イハリア
|-
|-
| 14||[[:en:Eira, Messenia|イラ]] || {{lang|el|Είρα}} || ネダ || align=right|1,027
| 14|| {{仮リンク|イラ (ギリシャ)|en|Eira, Messenia|label=イラ}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Είρας|Είρα]]}} || ネダ {{enlink|Νέδα Μεσσηνίας||el|a=on}} || イハリア
|-
|-
| 15||[[:en:Thuria, Messenia|トゥリア]] || {{lang|el|Θουρία}} || トゥリア || align=right|4,106
| 15|| {{仮リンク|トゥリア|en|Thuria, Messenia}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Θουρίας|Θουρία]]}} || トゥリア || カラマタ
|-
|-
| 16||[[:en:Ithomi, Messenia|イトミ]] || {{lang|el|Ιθώμη}} || ヴァリラ || align=right|2,466
| 16|| {{仮リンク|イトミ (メッシニア県)|en|Ithomi, Messenia|label=イトミ}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Ιθώμης Μεσσηνίας|Ιθώμη]]}} || ヴァリラ {{enlink|Βαλύρα Μεσσηνίας||el|a=on}} || メシニ
|-
|-
| 17||[[:en:Koroni|コロニ]] || {{lang|el|Κορώνη}} || コロニ || align=right|5,067
| 17|| {{仮リンク|コロニ|en|Koroni}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Κορώνης|Κορώνη]]}} || コロニ {{enlink|Κορώνη||el|a=on}} || ピロス=ネストラス
|-
|-
| 18||[[:en:Kyparissia|キパリシア]] || {{lang|el|Κυπαρισσία}} || キパリシア || align=right|8,648
| 18|| {{仮リンク|キパリシア|en|Kyparissia}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Κυπαρισσίας|Κυπαρισσία]]}} || '''キパリシア''' || トリフィリア
|-
|-
| 19||[[:en:Lefktro|レフクトロ]] || {{lang|el|Λεύκτρο}} || カルダミリ || align=right|3,264
| 19|| {{仮リンク|レフクトロ|en|Lefktro}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Λεύκτρου|Λεύκτρο]]}} || '''カルダミリ''' || 西マニ
|-
|-
| 20||[[:en:Methoni, Messenia|メトニ]] || {{lang|el|Μεθώνη}} || メトニ || align=right|2,638
| 20|| {{仮リンク|メトニ (メッシニア県)|en|Methoni, Messenia|label=メトニ}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Μεθώνης Μεσσηνίας|Μεθώνη]]}} || メトニ {{enlink|Μεθώνη Μεσσηνίας||el|a=on}} || ピロス=ネストラス
|-
|-
| 21||[[:en:Meligalas|メリガラス]] || {{lang|el|Μελιγαλάς}} || メリガラス || align=right|4,040
| 21|| {{仮リンク|メリガラス|en|Meligalas}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Μελιγαλά|Μελιγαλάς]]}} || '''メリガラス''' || イハリア
|-
|-
| 22||[[:en:Messene|メシニ]] || {{lang|el|Μεσσήνη}} || メシニ || align=right|11,041
| 22|| {{仮リンク|メシニ|en|Messene}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Μεσσήνης|Μεσσήνη]]}} || '''メシニ''' || メシニ
|-
|-
| 23||[[:en:Nestoras|ネストラス]] || {{lang|el|Νέστορας}} || ホラ || align=right|5,552
| 23|| {{仮リンク|ネストラス|en|Nestoras}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Νέστορος|Νέστορας]]}} || ホラ {{enlink|Χώρα Μεσσηνίας||el|a=on}} || ピロス=ネストラス
|-
|-
| 24||[[:en:Oichalia, Messenia|イハリア]] || {{lang|el|Οιχαλία}} || メロピ || align=right|2,797
| 24|| {{仮リンク|イハリア|en|Oichalia, Messenia}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Οιχαλίας Μεσσηνίας (πρόγραμμα Καποδίστριας)|Οιχαλία]]}} || メロピ || イハリア
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|-
| 25||[[:en:Papaflessas, Messenia|パパフレサス]] || {{lang|el|Παπαφλέσσας}} || ヴラホプロ || align=right|2,205
| 25|| {{仮リンク|パパフレサス|en|Papaflessas, Messenia}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Παπαφλέσσα|Παπαφλέσσας]]}} || ヴラホプロ {{enlink|Βλαχόπουλο Μεσσηνίας||el|a=on}} || ピロス=ネストラス
|-
|-
| 26||[[:en:Petalidi|ペタリディ]] || {{lang|el|Πεταλίδι}} || ペタリディ || align=right|3,601
| 26|| {{仮リンク|ペタリディ|en|Petalidi}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Πεταλιδίου|Πεταλίδι]]}} || ペタリディ || メシニ
|-
|-
| 27||[[:en:Pylos|ピロス]] || {{lang|el|Πύλος}} || ピロス || align=right|5,402
| 27|| [[ピュロス (ギリシャ)|ピロス]] || {{lang|el|[[:el:Δήμος Πύλου|Πύλος]]}} || '''ピロス''' || ピロス=ネストラス
|-
|-
| 28||[[:en:Filiatra|フィリアトラ]] || {{lang|el|Φιλιατρά}} || フィリアトラ || align=right|9,334
| 28|| {{仮リンク|フィリアトラ|en|Filiatra}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Φιλιατρών|Φιλιατρά]]}} || フィリアトラ || トリフィリア
|-
|-
| 29||[[:en:Chiliochoria|ヒリオホリア]] || {{lang|el|Χιλιοχώρια}} || ハンドリノス || align=right|2,916
| 29|| {{仮リンク|ヒリオホリア|en|Chiliochoria}} || {{lang|el|[[:el:Δήμος Χιλιοχωρίων|Χιλιοχώρια]]}} || ハンドリノス || ピロス=ネストラス
|-
! 番号 !! キノティタス !! ギリシャ語 !! 政庁所在地 !! 人口(2001年)
|-
|-
| 30||[[:en:Trikorfo, Messenia|トリコルフォ]] || {{lang|el|Τρίκορφο}} || トリコルフォ || align=right|1,037
| 30|| {{仮リンク|トリコルフォ|en|Trikorfo, Messenia}} ※ || {{lang|el|[[:el:Κοινότητα Τρικόρφου|Τρίκορφο]]}} || トリコルフォ {{enlink|Τρίκορφο Μεσσηνίας||el|a=on}} || メシニ
|-
|-
| 31||[[:en:Tripyla|トリピラ]] || {{lang|el|Τριπύλα}} || ラプトプロ || align=right|3,089
| 31|| {{仮リンク|トリピラ|en|Tripyla}} ※ || {{lang|el|[[:el:Κοινότητα Τριπύλας|Τριπύλα]]}} || ラプトプロ {{enlink|Ραπτόπουλο Μεσσηνίας||el|a=on}} || トリフィリア
|}
|}


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===道路===
===道路===
メッシニア県には4つの主要な国道が走っている。
メッシニア県には4つの主要な国道が走っている。
;[[欧州自動車道路]]
*国道7号線(北部、中央部)
*[[E55号線]]{{enlink|European route E55}} : 〔 … - パトラ - ピルゴス〕 - カラマタ 
*国道9号線(北西部、西部、南西部)
*[[E65号線]]{{enlink|European route E65}} : 〔 … - コリントス - トリポリ〕 - カラマタ - 〔キサモス - …〕 
*国道9A号線(北西部、北部)
*国道82号線(南西部、中央部、東部)


;自動車道路
===空港===
*A7号線 {{enlink|Moreas Motorway}} : 〔アテネ - トリポリ〕 - カラマタ
県都である[[カラマタ]]には空港があり、また[[ペロポネソス半島]]最大の[[ウォーターフロント]]地域がある。
*GR-7号線 {{enlink|National Road 7 (Greece)}} : 〔コリントス - トリポリ〕 - カラマタ
*GR-9号線 {{enlink|Greek National Road 9}} : 〔パトラ - ピルゴス〕 - カロ・ネロ - ピロス
*GR-9A号線 :
*GR-82号線 {{enlink|Greek National Road 82}} :ピロス - カラマタ - 〔スパルティ〕


==テレビ==
=== 鉄道 ===
[[File:Asprochoma Bahnhof.JPG|thumb|right|200px|アスプロホマ駅(カラマタ市)]]
*ノティイ・エリニキTV(南ギリシャTV)
19世紀から20世紀にかけて、ピレウス・パトラ・ペロポネソス鉄道会社{{enlink|Piraeus, Athens and Peloponnese Railways}}(のちに国有化され[[ギリシャ国鉄]]の一部となる)がペロポネソス半島に[[狭軌]](軌間1,000mmの「メーターゲージ」)の路線を敷設した。
;主要な路線
*[[ギリシャ国鉄]](OSE)
**ペロポネソス狭軌網(Peloponnese metre gauge network) : 狭軌(軌間1,000mm)
*** 〔コリントス - トリポリ〕 - カラマタ
*** 〔ピルゴス〕 - カロ・ネロ - カラマタ
*** カロ・ネロ - キパリシア

=== 空港 ===
*{{仮リンク|カラマタ国際空港|en|Kalamata International Airport}} (カラマタ市)

=== 港湾 ===
* カラマタ港 (カラマタ市)

== 文化・観光 ==
;世界遺産
*[[バッサイ|バッサイのアポロ・エピクリオス神殿]] (イハリア市)

{{gallery
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|height=180
|lines=2
|File:Bassai Temple Of Apollo East Side.jpg|バッサイのアポロ・エピクリオス神殿
}}

==脚注==
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
*[[メッシーナ]] - イタリア・シチリア島の都市。名称はメッシニアにちなむ。


==外部リンク==
==外部リンク==
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| Centre = メッシニア県
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2023年5月11日 (木) 08:27時点における最新版

メッシニア県
Περιφερειακή ενότητα Μεσσηνίας
測地系: 北緯37度10分 東経22度0分 / 北緯37.167度 東経22.000度 / 37.167; 22.000座標: 北緯37度10分 東経22度0分 / 北緯37.167度 東経22.000度 / 37.167; 22.000
ペロポネソス地方におけるメッシニア県の位置
ギリシャの国旗 ギリシャ共和国
地方ペロポネソス
県都カラマタ
面積2,991 km²
人口180,264 人 (2005年)
人口密度60 人/km²
ナンバープレートKM
自治体コード17
構成自治体数6
標準時EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3

メッシニア県(メッシニアけん、ギリシア語: Μεσσηνία / Messinia英語: Messenia)は、ギリシャ共和国ペロポネソス地方を構成する行政区(ペリフェリアキ・エノティタ)のひとつ。メシニアとも表記される。また、古代ギリシャ語音に従ってメッセニアとも呼ばれる。県都はカラマタ

地理

[編集]
ペロポネソス半島南部(ドイツ語)

位置・広がり

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メッシニア県はペロポネソス半島西南部に位置し、北にイリア県、北東にアルカディア県、南東にラコニア県と接し、南から西にかけて地中海イオニア海)に面している。

イオニア海に突きだした県西南部を構成する大きな半島はメッシニア半島(Messinia Peninsula)あるいはアクリタス半島(Akritas Peninsula)の名で呼ばれており、メッシニア半島とマニ半島によってメッシニア湾が形作られている。また、キパリシア付近からピルゴス(イリア県)付近にかけて弧を描いて湾入する海はキパリシア湾英語版と呼ばれる。

地勢

[編集]

メッシニア県は三方を山岳に囲まれた地形となっている。東にはタイゲトス山脈、北西にはキパリシア山脈、南西の半島部にはリコディモ山脈が連なる。

主要な川には、メッシニアの中央部を流れるパミソス川英語版と、北部を流れるネダ川がある。メッシニア半島の南にはサピエンツァ島英語版スヒザ島英語版などからなるイヌセス諸島 (el:Μεσσηνιακές Οινούσσεςが浮かび、このほかにヴェネティコ島ギリシア語版スファギア島英語版の島々がある。

気候

[編集]
カラマタ
雨温図説明
123456789101112
 
 
113
 
15
6
 
 
102
 
16
6
 
 
73
 
17
7
 
 
48
 
20
9
 
 
23
 
24
12
 
 
6.5
 
29
16
 
 
3.5
 
31
18
 
 
10
 
31
18
 
 
28
 
29
16
 
 
100
 
25
13
 
 
142
 
21
10
 
 
154
 
17
7
気温(°C
総降水量(mm)
出典:climate-charts.com
インペリアル換算
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4.5
 
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68
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76
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61
 
 
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0.4
 
88
65
 
 
1.1
 
84
61
 
 
3.9
 
76
56
 
 
5.6
 
69
50
 
 
6
 
62
45
気温(°F
総降水量(in)

メッシニア県内の気候は多様であり、低地部ではアテネよりやや気温は高い。冬にはタイゲトス山脈を中心とした山地部以外では降雪はほとんど見られない。また、内陸部では曇りの天気が多く見られる。

主要な都市

[編集]

人口3000人以上の都市には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。

メッシニア湾に面した県都カラマタが県最大の都市である。県人口の半分以上は、メシニなどパミソス川下流の平野部に居住しており、カラマタ=メシニ都市圏と呼ばれる。県北西部の平野には、北からキパリシアフィリアトラガルガリャニといった町が並ぶ。メッシニア半島では内陸のホラ(ネストラス)が最も大きな町で、港町ピロス(古名: ピュロス)がこれに次ぐ。

歴史

[編集]

古代

[編集]
古代のメッセニアの地図

初めにメッセニア地方に居住していたのは、ペラスゴイ人英語版レレゲス人英語版であり、レレゲス人は北西部アンダニア英語版を中心に居住していた。その後アエロ=ミニア人が到来し、メッセニアに移住した。ホメーロス叙事詩によると、メッセニア東部は東隣のスパルタの王メネラーオスの支配下にあり、西部はメッセニア西部海岸に位置したピュロスの王ネレウスの支配下にあったが、スパルタ王メネラーオスの死後、国境が東へタイゲトス山脈まで移動されたという。

紀元前1300年代の青銅器時代後期には、官僚制農業国であったピュロスの王がメッセニア地方を統治していた。当時はミケーネ方言が話され、ギリシアの多神教を信仰していた。クレスポンテス英語版率いるドーリア人アルカディア地方からメッシニア平原の北部に侵入すると、ステニクラルスを首都とした。さらにその後の支配はメッセニア地方全土に及んだ。しかしながら、アルカディア方言がミケーネ方言の直系の言語であることを考慮に入れると、先住民がドーリア人に追われて逆にアルカディア地方に逃げ込んだものと考えられる。

ドーリア人は、強い愛国心によって残った先住民を融合し、単一なメッセニア人としてまとめることに成功した。これはスパルタのドーリア人が、征服した先住民をヘイロタイペリオイコイとしたのとは際立って異なる特徴である。しかし、メッセニア地方は肥沃な土地と良好な気候のために比較的豊かな地方であり、そのことが領土拡張主義を採る隣国のスパルタの欲望を掻き立てることとなった。

紀元前720年、スパルタ王テレクロスがメッセニア人に殺害されたことから両国間の戦争(第一次メッセニア戦争)が始まった。戦争はメッセニア王エウパエスと次王アリストデモスの活躍にもかかわらず、スパルタの勝利に終わった。紀元前648年から紀元前631年にかけて、アリストメネス指揮下でメッセニア人がスパルタに対して蜂起を起こした。(第二次メッセニア戦争)しかし、ヘイラ英語版の城塞が11年の包囲の後に陥落し、失敗に終わった。

結果として、スパルタ市民は広大な土地を得て、土地を捨てて逃げなかったメッセニア人はヘイロータイの身分に落とされた。隷属は過酷であり、自らが耕す土地の生産物の半分を、土地の所有者であるスパルタ市民に支払わねばならなかった。スパルタの詩人テュルタイオス英語版は、スパルタ人の傲慢さに耐え忍ぶメッセニア人をこう描写している。

As asses worn by loads intolerable, (領主が乗るロバは傲慢なので、)

So Them did stress of cruel force compel, (残忍な軍隊は彼らに服従を強制した。)
Of all the fruits the well-tilled land affords, (よく耕された土地が生産する果実の全てのうち、)

The moiety to bear to their proud lords. (半分は彼らの傲慢な領主に持っていく物である。)
(英語訳)

紀元前464年にスパルタ地震が起き、多くの人命を奪ったため、それに乗じて再びメッセニア人は反乱を起こした(第三次メッセニア戦争)。反乱軍は第二次メッセニア戦争の時と同じようにイトメ山英語版の城砦に籠城した。しかし結局城塞は落ち、メッセニア人はペロポネソス半島から追放されたが、スパルタに不満を持っていたアテナイ人によって西ロクリス英語版地方にあるナウパクトスの町を移住先として与えられた。紀元前371年のレウクトラの戦いの後、イタリアシチリア島北アフリカに離散していたメッセニア人は、エパメイノンダスの支援により再びメッセニアに帰還し、スパルタから独立を回復した。メッセネ(現在のメシニ)の町は紀元前369年に建設され、以後メッセニア地方の主都として、アルカディア地方の主都メガロポリスと同じように、スパルタにとっての障害となりえた。この頃メッセニア地方の他の町も、同様に建設されたが、大部分の土地は未だ過疎地域であった。

テーバイの覇権が終わった後、メッセニアはマケドニアピリッポス2世と同盟を結んだが、紀元前338年のカイロネイアの戦いに参加することはなかった。その後はアカイア同盟に加入し、紀元前222年のセッラシアの戦いでは、アカイア人アンティゴノス3世とともに戦った。マケドニア王ピリッポス5世は、メッセネの包囲にパロスのデメトリオスを派遣したが、デメトリオスは死亡し失敗に終わった。そのすぐ後にスパルタの僭主ナビスがメッセネの町を占領したが、フィロポイメン率いるメガロポリスの軍隊が到着し、町は解放された。

紀元前183年にアカイア同盟との戦いが始まると、メッセニア人はフィロポイメンを捕捉し、殺害した。しかしアカイア同盟はフィロポイメン殺害の報復としてメッセニアを攻撃したため、翌年にリュコルタスに町を占領されると、再びメッセネはアカイア同盟に加入した。この戦いの中でアビアトゥリアペライといった都市がメッセネから独立したために、メッセネの力は減少した。

紀元前146年には、共和政ローマ執政官ルキウス・ムンミウスの遠征によって、他のギリシア諸邦と共にメッセネも共和政ローマの支配下に入った。その頃、タイゲトス山脈の西麓にある町アゲル・デンテリアレスの帰属をめぐって、メッセニアとスパルタの間で長い間対立が生じていたが、結局紀元後25年のティベリウス帝の時代に、メッセニアに帰属する判決が下された。(Tac.Ann.iv.43)

395年にローマ帝国が東西に分裂すると、メッセニア地方は東ローマ帝国に属することとなった。その後はスラヴ人の侵略が相次いだ。

中世から近世

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メトニ城跡

中世の時代、メッシニアは他のペロポネソス地域と同じ歴史をたどった。現存する中世の城塞としてはカラマタコロニメトニなどがある。

東ローマ帝国領であったメッシニアのほとんどの地域はオスマン帝国に占領され、残りの地域はヴェネツィア共和国の支配下にはいった。15世紀の半ばから末にかけてと、1680年代から1730年代にかけては、メッシニア地方全域がヴェネツィア領だったこともあった。

1821年にはギリシャ独立戦争が起き、オスマン帝国海軍を打ち破ったことで有名であるナヴァリノの海戦が行われた。また、現在メッシニア県に所属しているマニ半島は、港湾が無いために、オスマン帝国から自治権が付与されていた。

また、1534年にはコロニに居住していたアルヴァニテス人英語版およびギリシア人の一族が、シチリア島にある現在のピアーナ・デッリ・アルバネージに移住した。

近代から現代

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ギリシャ王国領となったメッシニア地方は、農業生産や経済が成長した。その後ピレウス・アテネ・ペロポネソス鉄道英語版OSEの前身)によって鉄道が敷かれた。しかし、メッシニア地方からアメリカ合衆国や国内の大都市への移民も増え始めた。また、イオニア諸島の一部であるサピエンツァ島英語版スヒザ島英語版は、この頃メッシニア県に編入された。

第二次世界大戦ギリシャ内戦が終わると、大部分の建物は修復された。戦後、北アメリカオーストラリア西ヨーロッパへの移民が増加したが、1980年代には終息し始めた。一方で、カラマタメシニ(メッセネ)といった都市地域の人口は急増した。

1970年代には高速道路がメッシニア県に建設された。また、1999年には国道7号線の建設が進められ、2000年代半ばには国道9号線とのインターチェンジが増設された。

2007年7月26日から28日にかけて県中央部で発生した山火事は、森林果樹園農場などを焼き尽くし、県の経済に影響を与えた。その1か月後には県北東部でも火災が発生し、タイゲトス山脈に立地する村々を破壊した。また、2008年2月14日にはマグニチュード6.6の大規模な地震が県全体を襲った。

社会

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人口推移

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人口(人) 増減
1981 - -
1991 167,292 -
2001 172,875 +5,583

テレビ

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  • ノティイ・エリニキTV(南ギリシャTV)

行政区画

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メッシニア県

市(ディモス)

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メッシニア県は、以下の自治体(ディモス、市)から構成される。人口は2001年国勢調査時点。

自治体名 綴り 政庁所在地 面積 Km² 人口
1 カラマタ Καλαμάτα カラマタ  (el 442.7 67,127
2 西マニ英語版 Δυτική Μάνη カルダミリ  (el 406.1 8,647
3 メシニ英語版 Μεσσήνη メシニ  (el 565.6 28,754
4 イハリア英語版 Οιχαλία メリガラス  (el 420.6 14,987
5 ピロス=ネストラス英語版 Πύλου - Νέστορος ピロス  (el 551.9 23,780
6 トリフィリア英語版 Τριφυλία キパリシア  (el 602.8 33,581

旧自治体(ディモティキ・エノティタ)

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メッシニア県の旧自治体(1999年 - 2010年)

カリクラティス改革(2010年)以前の広域自治体(ノモス)としてのメッシニア県は、以下の31の基礎自治体(29のディモス、2つのキノティタ)から構成されていた。改革後、旧自治体は新自治体(ディモス)を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。

下表の番号は右図と対応している。「旧自治体」欄で※印を付したものはキノティタ、それ以外はディモス。「政庁所在地」欄で太字になっているものは、新自治体の政庁所在地となったものを示す。

旧自治体 綴り 政庁所在地 新自治体
1 カラマタ Καλαμάτα カラマタ カラマタ
2 アヴィア英語版 Αβία カンボス  (el 西マニ
3 アエトス英語版 Αετός コパナキ トリフィリア
4 エピア英語版 Αιπεία ロンガ メシニ
5 アンダニア英語版 Ανδανία ディアヴォリツィ イハリア
6 アンドルサ英語版 Ανδρούσα アンドルサ メシニ
7 アリス英語版 Άρις アリス  (el カラマタ
8 アリストメニス英語版 Αριστομένης アリストメニス メシニ
9 アルファラ英語版 Αρφαρά アルファラ カラマタ
10 アヴロナ英語版 Αυλώνα シディロカストロ トリフィリア
11 ヴフラデス英語版 Βουφράδες ハツィス  (el メシニ
12 ガルガリャニ英語版 Γαργαλιάνοι ガルガリャニ  (el トリフィリア
13 ドリオ英語版 Δώριο ドリオ イハリア
14 イラ英語版 Είρα ネダ  (el イハリア
15 トゥリア英語版 Θουρία トゥリア カラマタ
16 イトミ英語版 Ιθώμη ヴァリラ  (el メシニ
17 コロニ英語版 Κορώνη コロニ  (el ピロス=ネストラス
18 キパリシア英語版 Κυπαρισσία キパリシア トリフィリア
19 レフクトロ英語版 Λεύκτρο カルダミリ 西マニ
20 メトニ英語版 Μεθώνη メトニ  (el ピロス=ネストラス
21 メリガラス英語版 Μελιγαλάς メリガラス イハリア
22 メシニ英語版 Μεσσήνη メシニ メシニ
23 ネストラス英語版 Νέστορας ホラ  (el ピロス=ネストラス
24 イハリア英語版 Οιχαλία メロピ イハリア
25 パパフレサス英語版 Παπαφλέσσας ヴラホプロ  (el ピロス=ネストラス
26 ペタリディ英語版 Πεταλίδι ペタリディ メシニ
27 ピロス Πύλος ピロス ピロス=ネストラス
28 フィリアトラ英語版 Φιλιατρά フィリアトラ トリフィリア
29 ヒリオホリア英語版 Χιλιοχώρια ハンドリノス ピロス=ネストラス
30 トリコルフォ英語版 Τρίκορφο トリコルフォ  (el メシニ
31 トリピラ英語版 Τριπύλα ラプトプロ  (el トリフィリア

郡(エパルヒア)

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県には以下の4つの(エパルヒア)があったが、2006年以降法的な位置づけは行われていない。

郡名 綴り 中心地
カラマタ郡  (en Καλαμάτα カラマタ
メシニ郡  (en Μεσσήνη メシニ
ピリア郡  (en Πυλία ピロス
トリフィア郡  (en Τριφυλία キパリシア

交通

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道路

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メッシニア県には4つの主要な国道が走っている。

欧州自動車道路
自動車道路

鉄道

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アスプロホマ駅(カラマタ市)

19世紀から20世紀にかけて、ピレウス・パトラ・ペロポネソス鉄道会社 (Piraeus, Athens and Peloponnese Railways(のちに国有化されギリシャ国鉄の一部となる)がペロポネソス半島に狭軌(軌間1,000mmの「メーターゲージ」)の路線を敷設した。

主要な路線
  • ギリシャ国鉄(OSE)
    • ペロポネソス狭軌網(Peloponnese metre gauge network) : 狭軌(軌間1,000mm)
      • 〔コリントス - トリポリ〕 - カラマタ
      • 〔ピルゴス〕 - カロ・ネロ - カラマタ
      • カロ・ネロ - キパリシア

空港

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港湾

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  • カラマタ港 (カラマタ市)

文化・観光

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世界遺産

脚注

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関連項目

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  • メッシーナ - イタリア・シチリア島の都市。名称はメッシニアにちなむ。

外部リンク

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