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==解説==
==解説==
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ストリーキングは、[[裸体主義]](ヌーディズム)とは別物である。ストリーキングをする人々は、逮捕される危険を冒してまで行為におよび、大衆の目に晒されることを意図する点
で 、裸体主義者が平穏な活動を好むことと対照的である。またストリーキングを行う人々は、[[性器]]を見せることのみを目的としているのではない点で、[[露出狂]]とは区別される。
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[[ファイル:Harvard Streaker Glitch.jpg|サムネイル|[[ハーバード大学]]([[アメリカ合衆国]])での全[[裸]]のストリーキング行事
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ストリーキング
が流行の
兆しを
見せ始めた
のは
1973年頃からであるが、
特に1974年4月に[[トゥイッケナム・スタジアム|トゥイッケナムラグビー場]]で[[イングランド]]と[[フランス]]との試合が行われている最中に、約53,000人の観客を面前にしてマイケル・オブライエン<ref>{{Cite news
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ストリーキングの意図は、度胸試しや性癖など様々であるが、多くは自己顕示欲を根底にした集団的熱狂の流行であろう。実行される場所も多様である。最もよく見られるのは、多くの観客が集まった[[競技場]]などを全裸で走り抜ける行為である。
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しかし、一部に誰もが寝静まった深夜など、より静かな場所で行為に及ぶ者もあり、また郊外の[[高速道路]]で、交通量の少ない早朝に行うことで満足を覚える者もいる。そうした例では、自分の体を人に見せることを望んでいるわけではなく、普段は人が多くいるべき場所での、人出のない時間帯のストリーキング行為に、[[恐怖]]と[[興奮]]が入り混じったような感覚を味わっていると想像される。
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また、大胆なストリーキングを収めた[[動画]]が動画共有サイトの『[[YouTube]]』や『[[Vimeo]]』をはじめ、[[インターネット]]上で人気を集めている。そこには、世界中のストリーキング[[
ファン| 愛好家]]たちが集まる[[ウェブサイト|サイト]]があり、情報交換や体験談を語り合う場となっている。
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[[クリケット]]の会場で女性が行うケースが多く見られる。これは「紳士のスポーツ」といわれるほど、ほ
とんど [[男性]]が独占する競技のあり方に対する抗議の意味がある。
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毎年、[[フィリピン]]の大学では[[仮面]]をつけて、被服をすべて脱いだ全[[裸]]の状態の生徒が校舎の周りを走って[[社会問題]]に[[抗議]]する行事『[[オブレーション・ラン]]』が開催される。また、[[手]]には[[バラ]]を持っており、観衆に[[バラ]]を配る。[[陰部]]を[[葉|葉っぱ]]で隠す場合もある。有名な行事の一つであるが、[[性器]]の露出に関しては大きな議論を呼んでいる。2005年12月に、[[大韓民国|韓国]]人と伝えられた[[女性]]が
[[女性器]]を隠して 参加したケースも
ある。これは女性の参加が控えられていることへの反感を現したもので ある。多くの見学者が
集ま る。
== 歴史 ==
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[[ファイル:Harvard Streaker Glitch.jpg|サムネイル|[[ハーバード大学]]([[アメリカ合衆国]])での全[[裸]]のストリーキング行事]]
ストリーキングが流行の兆しを見せ始めたのは1973年頃からであるが、
1974年に入るとアメリカの大学生の間で広まりを見せた<ref>流行も「電光石火」『朝日新聞』1974年(昭和49年)3月9日夕刊、3版、9面</ref>。また、日本では1974年[[3月17日]]に、銀座の[[歩行者天国]]でストリーキングを行ったアメリカ人女子高校生が逮捕されている<ref>花はずかしくない17歳 米人女学生を逮捕『朝日新聞』1974年(昭和49年)3月18日朝刊、13版、19面</ref>。
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1974年[[4月2日]]に [[アメリカ合衆国]]・[[ロサンゼルス]]で開催された、[[第46回アカデミー賞]]で[[デヴィッド・ニーヴン]]がプレゼンターとして[[舞台]]に立ったとき、その後ろを[[ロバート・オペル]]という[[男性]]が舞台を[[性器]]とお[[尻]]を丸出しにした全[[裸]]
の状態 で横切り、その様子が放映されてしまった。記録映像では、会場で居合わせてしまった人の中には悲鳴を上げる人もいたことが確認できる。
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{{要出典範囲|特に ストリーキングの
名 を
一躍有名にし た
出来事 は、1974年4月に[[トゥイッケナム・スタジアム|トゥイッケナムラグビー場]]で[[イングランド]]と[[フランス]]との試合が行われている最中に、約53,000人の観客を面前にしてマイケル・オブライエン<ref>{{Cite news
|title= A brief history of streaking in sport
|title= A brief history of streaking in sport
|newspaper= [[ガーディアン|the Guardian]]
|newspaper= [[ガーディアン|the Guardian]]
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|archivedate= 2014-02-11
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}}</ref>
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という名の[[男性]]が[[男性器]]([[俗語]]で[[おちんちん]]といわれる部分)を丸出しにした全裸で駆け抜けた事件がストリーキングの名を一躍有名にしたとされる。彼を取り押さえた[[警察官]]が、とっさに彼の[[陰部]]を隠した[[帽子]]は、後にチャリティー・オークションで2,400[[ユーロ]]で[[落札]]されたというエピソードが残っている。この事件以降「ストリーキング」という言葉が「全裸で公共の場を駆け抜ける」という意味で使われだしたが、それ以前はストリーキングという言葉は「全力疾走(streak)する」という意味で用いられてきた。日本にもこの当時、上陸しマスコミを騒がせた。
という名の[[男性]]が[[男性器]]と [[尻 ]]を丸出しにした全裸で駆け抜けた事件とされる。彼を取り押さえた[[警察官]]が、とっさに彼の[[陰部]]を隠した[[帽子]]は、後にチャリティー・オークションで2,400[[ユーロ]]で[[落札]]されたというエピソードが残っている。この事件以降「ストリーキング」という言葉が「全裸で公共の場を駆け抜ける」という意味で使われだしたが、それ以前はストリーキングという言葉は「全力疾走(streak)する」という意味で用いられてきた|date=2020-09-05}} 。
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==アメリカの大学で行われるストリーキング行事==
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ストリーキングは、[[裸体主義]](ヌーディズム)とは別物である。ストリーキングをする人々は、逮捕される危険を冒してまで行為におよび、大衆の目に晒されることを意図する点、裸体主義者が平穏な活動を好むことと対照的である。またストリーキングを行う人々は、[[性器]]を見せることのみを目的としているのではない点で、[[露出狂]]とは区別される。
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[[ファイル:Primal Scream 2002.jpg|サムネイル|ハーバード大学でのストリーキング(2002年)]]
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これまでに、膨大な数の[[アメリカ合衆国]]の[[大学生]]たちによってストリーキングの行事が行われてきた。
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ストリーキングの記録の中で、最も古いのは、[[1804年]]に現在の[[ワシントン・アンド・リー大学]]の3年生ジョージ・ウイリアム・クランプ([[男性]])が、[[バージニア州]][[レキシントン (バージニア州)|レキシントン]]の大学キャンパスを[[性器]]を丸出しにした全[[裸]]で疾走し逮捕されたものである。クランプは大学で留年することになったが、後にアメリカの[[国会議員]]や[[チリ]]の[[駐在大使]]を務めた。
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ストリーキングの意図は、度胸試しや性癖など様々であるが、多くは自己顕示欲を根底にした集団的熱狂の流行であろう。実行される場所も多様である。最もよく見られるのは、多くの観客が集まった[[競技場]]などを全裸で走り抜ける行為である。
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[[1973年]][[12月]]の[[タイム誌]]は、ストリーキングを「[[ロサンゼルス]]界隈の[[大学生]]を虜にしつつある流行」と評した。またその記事に
おい て、「ここだけの話、実は、過去20年間、ストリーキングは、[[ノートルダム大学]]の[[大学]]警察を悩まし続けてきていたのです。さらに、ノートルダム大学のストリーキングのグループが、[[1972年]]に行われたストリーキング・オリンピックを提案したのです」という情報提供がなされた。
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しかし、一部に誰もが寝静まった深夜など、より静かな場所で行為に及ぶ者もあり、また郊外の[[高速道路]]で、交通量の少ない早朝に行うことで満足を覚える者もいる
{{要出典|date=2007年7月}}。そうした例では、自分の体を人に見せることを望んでいるわけではなく、普段は人が多くいるべき場所での、人出のない時間帯のストリーキング行為に、[[恐怖]]と[[興奮]]が入り混じったような感覚を味わっていると想像される。
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[[1974年]][[3月7日]]、
[[ジョージア大学]]で 1549人が参加するという最大規模のストリーキングが敢行された。この記録に続
き 、[[コロラド大学]]ボールダー校で
は 1200人が、[[メリーランド大学]]では、1974年3月に553人の裸の学生が3[[マイル]]に渡ってストリーキングを行った。[[南カリフォルニア大学]]で
は 508人がストリーキング行為に及んだ。さらに1974年、[[アースキン大学]]では、全学生の1/4に当たる600人の学生がストリーキングをやり遂げ、「最高の参加率を誇るストリーキング」を名乗った。
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また、大胆なストリーキングを収めた[[動画]]が動画共有サイトの『[[YouTube]]』や『[[Vimeo]]』をはじめ、[[インターネット]]上で人気を集めている。そこには、世界中のストリーキング[[愛好家]]たちが集まる[[ウェブサイト|サイト]]があり、情報交換や体験談を語り合う場となっている。
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期末試験の最終日前夜、[[ハーバード大学]]では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。学生は[[男性|男]][[女性|女]]を問わ
ず 衣服を脱ぎ、[[ハーバードヤード]]を2周する。中には[[パンティー]]を着用する人もいた。2学期制の[[ハーバード大学]]では、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇る[[ニューイングランド地方]]の冬に行われることになる。参加者の中には[[ケープ]]や[[マスク]]を身につけるものもいるが、[[性器]]は丸出しのままである。ストリーキングが行われる周辺は見物者で埋め尽くされ、開始前には[[楽隊]]の演奏が群集を盛り上げる。
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[[クリケット]]の会場で女性が行うケースが多く見られる。これは「紳士のスポーツ」といわれるほど、ほ
ぼ[[男性]]が独占する競技のあり方に対する抗議の意味がある。
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[[プリンストン大学]]にも、長いストリーキングの伝統が存在してきた。[[1970年]]に起こったストリーキング事件は、悪ふざけの手段として行動に移されただけであったのだが、やがてそれが2年生たちの伝統行事になっていき、行事の決まりがまとめられるまでに至った。[[1990年代]]までにその伝統が廃れてくるのと同時に、大学本部もその伝統に対して寛容ではなくなっていった。そして[[1999年]]の末に、理事会は
「 危険であ
り 、
また 外部の人間の関与が大きすぎる
」 と
して行事の参加を禁じ た。
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[[アメリカ合衆国]]・[[ロサンゼルス]]で開催された、[[第46回アカデミー賞]]で[[デヴィッド・ニーヴン]]がプレゼンターとして[[舞台]]に立ったとき、その後ろを[[ロバート・オペル]]という[[男性]]が舞台を[[
男性器]]
([[幼児語]]または[[俗語]]で主に[[おちんちん]]といわれる部分)とお[[尻]]を丸出しにした全[[裸]]で横切り、その様子が放映されてしまった。記録映像では、会場で居合わせてしまった人の中には悲鳴を上げる人もいたことが確認できる。
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[[1983年]]、[[シカゴ大学]]のストリーキングは、学生たちが冬の憂鬱な気分を振り払うために、冬季学園祭に行われる年に1度の伝統行事となった。この行事には、参加者を越える見物人が集まる。
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日本国内においては、[[1974年]][[3月11日]]に[[沖縄県]][[那覇市]]の[[キャンプ・フォスター]]内のハイスクールの校内で行われたのが初で、同月12日に[[広島市]]の[[繁華街]]で行われたのが日本人としては第1号になる。以後、同月15日に[[東京]]の[[六本木]]、16日に東京の[[銀座]]に登場した<ref>米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』[[三省堂]]、[[2002年]]、222-223頁。</ref>。
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[[1986年]]、[[ミシガン大学]]の「裸のマイル(Naked Mile)」では、授業の最終日に、大学構内の道を約1マイルにわたる集団ストリーキングを実施した。1990年終わりには最盛期を迎え、500~800人の学生が参加していた。しかしながら法律の施行や、見物人が増加し、[[ビデオ]]撮影の横行などにより、2001年の参加者は24人にまで落ち込んだ。
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1980年5月26日に
は後楽園球場の日本ハム対近鉄戦において6回裏に突如ライトスタンドの観客席から全[[裸]]の[[男性]]が
スタンド内へ侵入しそのままレフトスタンド方向へ走り始めた。この試合には4万5千人の観客が来ており観客席はこの突然の出来事で大騒ぎになったという。
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[[カリフォルニア大学サンタクルーズ校]]では、「最初の雨(First Rain)」という名で知られている秋の伝統行事が行われている。例年10月頃、秋になって最初の雨の日に、ポーターカレッジの学生が大学構内を裸で走り抜ける行事である。[[パン
ツ ]]を着用して参加する人もいる。
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[[1981年]]には[[東京]]の[[原宿]][[表参道 (原宿)|表参道]]に[[女性]]のストリーキングが現れ、『[[週刊新潮]]』1981年3月26日号が[[報道写真]]という名目で当時解禁されていなかった[[陰毛]]を修正せず、グラビアページに「罰金二万円ナリ原宿春一番」のタイトルで掲載。70万部が即日完売し、[[警察庁]]から[[新潮社]]に警告が発せられる出来事があった<ref>松浦総三『スキャンダラスな時代 80年代の週刊誌を斬る』幸洋出版、1982年、101頁</ref><ref>[[岡留安則]]編著『200万雑誌 [[フォーカス]]の内幕』KKベストブック、1984年、50頁、149頁</ref>。
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[[ダートマス大学]]には、ストリーキングに関連する2つの挑戦がある。レッドヤード・チャレンジとブルーライト・チャレンジである。前者はコネチカット川を裸で泳ぎ、橋を裸で渡って帰って来る挑戦である。後者は裸のままで大学にあるすべての緊急電話の警報機のボタンを押してくる挑戦である。現在大学には、「木曜の夜にストリーキングをする会」が存在しており、様々な行事や色々な場所でストリーキングを行っている。
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有名人では[[1974年]]に俳優の[[石丸謙二郎]]が[[原宿]]で行ったものがある<ref>石丸謙二郎オフィシャルブログ2009年4月30日「ストリーキング」
[http://ishimaruk.exblog.jp/10147430/]</ref>。また、[[あのねのね]]の二人が『[[あのねのねのオールナイトニッポン]]』の生放送前にこれを行い、[[ニッポン放送]]局舎の周りを走ったという話もある<ref>[[2008年]][[1月4日]]放送『[[笑福亭鶴光のオールナイトニッポン]] 40周年記念スペシャル』の中で、この話が紹介された。</ref>。
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[[バージニア大学]]では、学生たちが
[[ 裸
]] のままで校庭にある「円形の建物」の階段から「740歩の[[
芝| 芝生]]」を駆け下り、[[ホメロス]]の像の[[臀部]]に[[接吻|キス]]をした後、再び芝生を駆け上がり、ようやく服を取り戻すという伝統行事が行われている。[[1996年]]には、警察がこの行事に対して厳重な取締りを行ったことに対する抗議運動としての「集団ストリーキング」が敢行された。
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毎年、[[フィリピン]]の大学では[[仮面]]をつけて、被服をすべて脱いだ全[[裸]]の状態
の[[男性]]の生徒が校舎の周りを走って[[社会問題]]に[[抗議]]する行事『[[オブレーション・ラン]]』が開催される。また、[[手]]には[[バラ]]を持っており、
[[女性]]の観衆に[[バラ]]を配る。[[陰部]]を[[葉|葉っぱ]]で隠す場合もある。有名な行事の一つであるが、[[
男性器
]]とお[[尻]]の露出に関しては大きな議論を呼んでいる。2005年12月に、[[大韓民国|韓国]]人と伝えられた[[女性]]が参加したケースもある。多くの見学者が
募る。
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[[スワースモア大学]]での男女[[
ラグビーフットボール| ラグビー]]チームは、[[セメスター]]毎に「金のために走れ
(D'''ash''' for
c'''ash''') 」という名で知られている資金集めの行事を開催する。そこでは、部員たちは大学本部がある建物の中を裸で走りぬける。そのとき、見物人たちは金を持ってくることになっている。部員たちは見物人の前を走り抜ける際に、その手の中にある金を掴み取る。この行事のために「金を持ってこい。じゃなければ、おまえは[[変質者]]だ」という大規模な宣伝が展開されているわけだが、この行事の見物人は、偶然そこに居合わせたということになっている。
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==アメリカの大学で行われるストリーキング行事==
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[[ファイル:Primal Scream 2002.jpg|サムネイル|ハーバード大学でのストリーキング(2002年)]]
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これまでに、膨大な数の[[アメリカ合衆国]]の[[大学生]]たちによってストリーキングの行事が行われてきた。
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[[モナシュ大学]]は、大酒飲み大会が開催される週である「緑週間」にストリーキングが行われることで知られている。[[2004年]]、「チームナイン」と「ビアパイレーツ」のメンバーが「ヌーダミッド」を披露した。それは裸で[[組体操]]の[[ピラミッド]]を完成させ、最上段の人間が[[ホース]]で[[樽]]から[[ビール]]を飲むという荒業に挑戦した。しかし、ピラミッドはすぐに崩壊してしまった。
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ストリーキングの記録の中で、最も古いのは、[[1804年]]に現在の[[ワシントン・アンド・リー大学]]の3年生ジョージ・ウイリアム・クランプ([[男性]])が、[[バージニア州]][[レキシントン (バージニア州)|レキシントン]]の大学キャンパスを[[
男性器
]]([[俗語]]で主に[[おちんちん]]といわれる部分)とお[[尻]]を丸出しにした全[[裸]]で疾走し逮捕されたものである。クランプは大学で留年することになったが、後にアメリカの[[国会議員]]や[[チリ]]の[[駐在大使]]を務めた。
== 日本におけるストリーキング ==
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[[1973年]][[12月]]の[[タイム誌]]は、ストリーキングを「[[ロサンゼルス]]界隈の[[大学生]]を虜にしつつある流行」と評した。またその記事に
対して、「ここだけの話、実は、過去20年間、ストリーキングは、[[ノートルダム大学]]の[[大学]]警察を悩まし続けてきていたのです。さらに、ノートルダム大学のストリーキングのグループが、[[1972年]]に行われたストリーキング・オリンピックを提案したのです」という情報提供がなされた。
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日本国内においては、[[1974年]][[3月11日]]に[[沖縄県]][[那覇市]]の[[キャンプ・フォスター]]内のハイスクールの校内で行われたのが初で、同月12日に[[広島市]]の[[繁華街]]で行われたのが日本人としては第1号になる。以後、同月15日に[[東京]]の[[六本木]]、16日に東京の[[銀座]]に登場した<ref>米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』[[三省堂]]、[[2002年]]、222-223頁。</ref>。
同年4月20日には後楽園球場での巨人対中日1回戦の8回裏巨人の攻撃中にライトスタンドから素っ裸の男がひとりグランドに侵入。内野の守備位置付近まで走り抜け、そこで万歳三唱の後、バックネットに向かって土下座を繰り返すという騒動がおこった。
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[[1974年]][[3月7日]]、1549人が参加するという最大規模のストリーキングが敢行された
。その場所は[[ジョージア大学]]である。この記録に続
くのは、[[コロラド大学]]ボールダー校で1200人が
参加したストリーキング、そして、[[メリーランド大学]]では、1974年3月に553人の裸の学生が3[[マイル]]に渡ってストリーキングを行った。
最近では、[[南カリフォルニア大学]]で508人がストリーキング行為に及んだ。さらに1974年、[[アースキン大学]]では、全学生の1/4に当たる600人の学生がストリーキングをやり遂げ、「最高の参加率を誇るストリーキング」を名乗った。
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また 1980年5月26日に
も 後楽園球場の日本ハム対近鉄戦において6回裏に突如ライトスタンドの観客席から全[[裸]]の[[男性]]が
グラウ ンド内へ侵入しそのままレフトスタンド方向へ走り始めた。この試合には4万5千人の観客が来ており観客席はこの突然の出来事で大騒ぎになったという。
⚫
期末試験の最終日前夜、[[ハーバード大学]]では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。学生は[[男性|男]][[女性|女]]を問わ衣服を脱ぎ、[[ハーバードヤード]]を2周する。中には[[パンティー]]を着用する人もいた。2学期制の[[ハーバード大学]]では、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇る[[ニューイングランド地方]]の冬に行われることになる。参加者の中には[[ケープ]]や[[マスク]]を身につけるものもいるが、[[性器]]は丸出しのままである。ストリーキングが行われる周辺は見物者で埋め尽くされ、開始前には[[楽隊]]の演奏が群集を盛り上げる。
⚫
[[1981年]]には[[東京]]の[[原宿]][[表参道 (原宿)|表参道]]に[[女性]]のストリーキングが現れ、『[[週刊新潮]]』1981年3月26日号が[[報道写真]]という名目で当時解禁されていなかった[[陰毛]]を修正せず、グラビアページに「罰金二万円ナリ原宿春一番」のタイトルで掲載。70万部が即日完売し、[[警察庁]]から[[新潮社]]に警告が発せられる出来事があった<ref>松浦総三『スキャンダラスな時代 80年代の週刊誌を斬る』幸洋出版、1982年、101頁</ref><ref>[[岡留安則]]編著『200万雑誌 [[
FOCUS| フォーカス]]の内幕』KKベストブック、1984年、50頁、149頁</ref>。
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[[プリンストン大学]]にも、長いストリーキングの伝統が存在してきた。[[1970年]]に起こったストリーキング事件は、悪ふざけの手段として行動に移されただけであったのだが、やがてそれが2年生たちの伝統行事になっていき、行事の決まりがまとめられるまでに至った。[[1990年代]]までにその伝統が廃れてくるのと同時に、大学本部もその伝統に対して寛容ではなくなっていった。そして[[1999年]]の末に、理事会は
行事の参加を禁じた。理由はそれが危険であ
ること、
そして外部の人間の関与が大きすぎると
いうことであった。
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[[1974年]]に俳優の[[石丸謙二郎]]が[[原宿]]で行ったものがある<ref>
[http://ishimaruk.exblog.jp/10147430/ 石丸謙二郎オフィシャルブログ2009年4月30日「ストリーキング」]</ref>。また、[[あのねのね]]の二人が『[[あのねのねのオールナイトニッポン]]』の生放送前に
全[[裸]]の状態で これを行い、[[ニッポン放送]]局舎の周りを走ったという話もある<ref>[[2008年]][[1月4日]]放送『[[笑福亭鶴光のオールナイトニッポン]] 40周年記念スペシャル』の中で、この話が紹介された。</ref>。
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[[1983年]]、[[シカゴ大学]]のストリーキングは、学生たちが冬の憂鬱な気分を振り払うために、冬季学園祭に行われる年に1度の伝統行事となった。この行事には、参加者を越える見物人が集まる。
==ストリーキングを描いた作品==
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[[1986年]]、[[ミシガン大学]]の「裸の
1マイル(Naked Mile)」では、授業の最終日に、大学構内の道を約1マイルにわたる集団ストリーキングを実施した。1990年終わりには最盛期を迎え、500~800人の学生が参加していた。しかしながら法律の施行や、見物人が増加し、[[ビデオ]]撮影の横行などにより、2001年の参加者は24人にまで落ち込んだ。
* 『まいるど7』([[永井豪]]、[[週刊少年チャンピオン]]、1981年) - 「ストリーキング・クィーンの巻」および続編で、2人の若い女性が都心を全裸で駆け回る。
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[[カリフォルニア大学サンタクルーズ校]]では、「最初の雨(First Rain)」という名で知られている秋の伝統行事が行われている。例年10月頃、秋になって最初の雨の日に、ポーターカレッジの学生が大学構内を裸で走り抜ける行事である。[[パン
ティー]]を着用して参加する人もいる。
⚫
[[ダートマス大学]]には、ストリーキングに関連する2つの挑戦がある。レッドヤード・チャレンジとブルーライト・チャレンジである。前者は
[[コネチカット
]]川を裸で泳ぎ、橋を裸で渡って帰って来る挑戦である。後者は裸のままで大学にあるすべての緊急電話の警報機のボタンを押してくる挑戦である。現在大学には、「木曜の夜にストリーキングをする会」が存在しており、様々な行事や色々な場所でストリーキングを行っている。
⚫
[[バージニア大学]]では、学生たちが裸のままで校庭にある「円形の建物」の階段から「740歩の[[芝生]]」を駆け下り、[[ホメロス]]の像の[[臀部]]に[[接吻|キス]]をした後、再び芝生を駆け上がり、ようやく服を取り戻すという伝統行事が行われている。[[1996年]]には、警察がこの行事に対して厳重な取締りを行ったことに対する抗議運動としての「集団ストリーキング」が敢行された。
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[[スワースモア大学]]での男女[[ラグビー]]チームは、[[セメスター]]毎に「金のために走れ
(Dash for
Cash)」という名で知られている資金集めの行事を開催する。そこでは、部員たちは大学本部がある建物の中を裸で走りぬける。そのとき、見物人たちは金を持ってくることになっている。部員たちは見物人の前を走り抜ける際に、その手の中にある金を掴み取る。この行事のために「金を持ってこい。じゃなければ、おまえは[[変質者]]だ」という大規模な宣伝が展開されているわけだが、この行事の見物人は、偶然そこに居合わせたということになっている。
⚫
[[モナシュ大学]]は、大酒飲み大会が開催される週である「緑週間」にストリーキングが行われることで知られている。[[2004年]]、「チームナイン」と「ビアパイレーツ」のメンバーが「ヌーダミッド」を披露した。それは裸で[[組体操]]の[[ピラミッド]]を完成させ、最上段の人間が[[ホース]]で[[樽]]から[[ビール]]を飲むという荒業に挑戦した。しかし、ピラミッドはすぐに崩壊してしまった。
==関連項目==
==関連項目==
*[[ヌーディスト]]
*[[ヌーディスト]]
*[[公衆の面前でのヌード]]
*[[公衆の面前でのヌード]]
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*[[マーク・ロバーツ]]
*[[マーク・ロバーツ]]
*[[オブレーション・ラン]]
*[[井手らっきょ]]
*[[オブレーション・ラン]]
*[[オブレーション・ラン]]
*[[裸]]
*[[裸]]
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== 脚注・出典 ==
== 脚注・出典 ==
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{{Commons|Category:Streaking}}
{{Commons|Category:Streaking}}
{{裸}}
{{Culture-stub}}
{{Culture-stub}}
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[[Category:裸と文化]]
[[Category:裸と文化]]
[[Category:抗議行動]]
[[Category:抗議行動]]
[[Category:パブリック・ヌーディティ]]
この項目には
性的な表現や記述 が含まれます。
免責事項 もお読みください。
ストリーキング (英語 streaking 、ストリートキングは誤り)とは注目を集めるため、あるいは強い非難の意思を表現するために公共の場を全裸 で走り抜ける行為である[ 1] 。パフォーマンス の一環として行われるもので性 的な意図はなく、露出狂 とは区別される。1973年 から1974年 にかけて流行した。
ハーバード対エール大学戦でストリーキングする全裸の男性 (2006年 )
日本におけるストリーキングの男性 (2007年 )
ストリーキングは、裸体主義 (ヌーディズム)とは別物である。ストリーキングをする人々は、逮捕される危険を冒してまで行為におよび、大衆の目に晒されることを意図する点で、裸体主義者が平穏な活動を好むことと対照的である。またストリーキングを行う人々は、性器 を見せることのみを目的としているのではない点で、露出狂 とは区別される。
ストリーキングの意図は、度胸試しや性癖など様々であるが、多くは自己顕示欲を根底にした集団的熱狂の流行であろう。実行される場所も多様である。最もよく見られるのは、多くの観客が集まった競技場 などを全裸で走り抜ける行為である。
しかし、一部に誰もが寝静まった深夜など、より静かな場所で行為に及ぶ者もあり、また郊外の高速道路 で、交通量の少ない早朝に行うことで満足を覚える者もいる。そうした例では、自分の体を人に見せることを望んでいるわけではなく、普段は人が多くいるべき場所での、人出のない時間帯のストリーキング行為に、恐怖 と興奮 が入り混じったような感覚を味わっていると想像される。
また、大胆なストリーキングを収めた動画 が動画共有サイトの『YouTube 』や『Vimeo 』をはじめ、インターネット 上で人気を集めている。そこには、世界中のストリーキング愛好家 たちが集まるサイト があり、情報交換や体験談を語り合う場となっている。
クリケット の会場で女性が行うケースが多く見られる。これは「紳士のスポーツ」といわれるほど、ほとんど男性 が独占する競技のあり方に対する抗議の意味がある。
毎年、フィリピン の大学では仮面 をつけて、被服をすべて脱いだ全裸 の状態の生徒が校舎の周りを走って社会問題 に抗議 する行事『オブレーション・ラン 』が開催される。また、手 にはバラ を持っており、観衆にバラ を配る。陰部 を葉っぱ で隠す場合もある。有名な行事の一つであるが、性器 の露出に関しては大きな議論を呼んでいる。2005年12月に、韓国 人と伝えられた女性 が女性器 を隠して参加したケースもある。これは女性の参加が控えられていることへの反感を現したものである。多くの見学者が集まる。
ハーバード大学 (アメリカ合衆国 )での全裸 のストリーキング行事
ストリーキングが流行の兆しを見せ始めたのは1973年頃からであるが、
1974年に入るとアメリカの大学生の間で広まりを見せた[ 2] 。また、日本では1974年3月17日 に、銀座の歩行者天国 でストリーキングを行ったアメリカ人女子高校生が逮捕されている[ 3] 。
1974年4月2日 にアメリカ合衆国 ・ロサンゼルス で開催された、第46回アカデミー賞 でデヴィッド・ニーヴン がプレゼンターとして舞台 に立ったとき、その後ろをロバート・オペル という男性 が舞台を性器 とお尻 を丸出しにした全裸 の状態で横切り、その様子が放映されてしまった。記録映像では、会場で居合わせてしまった人の中には悲鳴を上げる人もいたことが確認できる。
特にストリーキングの名を一躍有名にした出来事は、1974年4月にトゥイッケナムラグビー場 でイングランド とフランス との試合が行われている最中に、約53,000人の観客を面前にしてマイケル・オブライエン[ 4]
という名の男性 が男性器 と尻 を丸出しにした全裸で駆け抜けた事件とされる。彼を取り押さえた警察官 が、とっさに彼の陰部 を隠した帽子 は、後にチャリティー・オークションで2,400ユーロ で落札 されたというエピソードが残っている。この事件以降「ストリーキング」という言葉が「全裸で公共の場を駆け抜ける」という意味で使われだしたが、それ以前はストリーキングという言葉は「全力疾走(streak)する」という意味で用いられてきた [要出典 ] 。
アメリカの大学で行われるストリーキング行事[ 編集 ]
ハーバード大学でのストリーキング(2002年)
これまでに、膨大な数のアメリカ合衆国 の大学生 たちによってストリーキングの行事が行われてきた。
ストリーキングの記録の中で、最も古いのは、1804年 に現在のワシントン・アンド・リー大学 の3年生ジョージ・ウイリアム・クランプ(男性 )が、バージニア州 レキシントン の大学キャンパスを性器 を丸出しにした全裸 で疾走し逮捕されたものである。クランプは大学で留年することになったが、後にアメリカの国会議員 やチリ の駐在大使 を務めた。
1973年 12月 のタイム誌 は、ストリーキングを「ロサンゼルス 界隈の大学生 を虜にしつつある流行」と評した。またその記事において、「ここだけの話、実は、過去20年間、ストリーキングは、ノートルダム大学 の大学 警察を悩まし続けてきていたのです。さらに、ノートルダム大学のストリーキングのグループが、1972年 に行われたストリーキング・オリンピックを提案したのです」という情報提供がなされた。
1974年 3月7日 、ジョージア大学 で1549人が参加するという最大規模のストリーキングが敢行された。この記録に続き、コロラド大学 ボールダー校では1200人が、メリーランド大学 では、1974年3月に553人の裸の学生が3マイル に渡ってストリーキングを行った。南カリフォルニア大学 では508人がストリーキング行為に及んだ。さらに1974年、アースキン大学 では、全学生の1/4に当たる600人の学生がストリーキングをやり遂げ、「最高の参加率を誇るストリーキング」を名乗った。
期末試験の最終日前夜、ハーバード大学 では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。学生は男 女 を問わず衣服を脱ぎ、ハーバードヤード を2周する。中にはパンティー を着用する人もいた。2学期制のハーバード大学 では、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇るニューイングランド地方 の冬に行われることになる。参加者の中にはケープ やマスク を身につけるものもいるが、性器 は丸出しのままである。ストリーキングが行われる周辺は見物者で埋め尽くされ、開始前には楽隊 の演奏が群集を盛り上げる。
プリンストン大学 にも、長いストリーキングの伝統が存在してきた。1970年 に起こったストリーキング事件は、悪ふざけの手段として行動に移されただけであったのだが、やがてそれが2年生たちの伝統行事になっていき、行事の決まりがまとめられるまでに至った。1990年代 までにその伝統が廃れてくるのと同時に、大学本部もその伝統に対して寛容ではなくなっていった。そして1999年 の末に、理事会は「危険であり、また外部の人間の関与が大きすぎる」として行事の参加を禁じた。
1983年 、シカゴ大学 のストリーキングは、学生たちが冬の憂鬱な気分を振り払うために、冬季学園祭に行われる年に1度の伝統行事となった。この行事には、参加者を越える見物人が集まる。
1986年 、ミシガン大学 の「裸のマイル(Naked Mile)」では、授業の最終日に、大学構内の道を約1マイルにわたる集団ストリーキングを実施した。1990年終わりには最盛期を迎え、500~800人の学生が参加していた。しかしながら法律の施行や、見物人が増加し、ビデオ 撮影の横行などにより、2001年の参加者は24人にまで落ち込んだ。
カリフォルニア大学サンタクルーズ校 では、「最初の雨(First Rain)」という名で知られている秋の伝統行事が行われている。例年10月頃、秋になって最初の雨の日に、ポーターカレッジの学生が大学構内を裸で走り抜ける行事である。パンツ を着用して参加する人もいる。
ダートマス大学 には、ストリーキングに関連する2つの挑戦がある。レッドヤード・チャレンジとブルーライト・チャレンジである。前者はコネチカット川を裸で泳ぎ、橋を裸で渡って帰って来る挑戦である。後者は裸のままで大学にあるすべての緊急電話の警報機のボタンを押してくる挑戦である。現在大学には、「木曜の夜にストリーキングをする会」が存在しており、様々な行事や色々な場所でストリーキングを行っている。
バージニア大学 では、学生たちが裸 のままで校庭にある「円形の建物」の階段から「740歩の芝生 」を駆け下り、ホメロス の像の臀部 にキス をした後、再び芝生を駆け上がり、ようやく服を取り戻すという伝統行事が行われている。1996年 には、警察がこの行事に対して厳重な取締りを行ったことに対する抗議運動としての「集団ストリーキング」が敢行された。
スワースモア大学 での男女ラグビー チームは、セメスター 毎に「金のために走れ(Dash for cash )」という名で知られている資金集めの行事を開催する。そこでは、部員たちは大学本部がある建物の中を裸で走りぬける。そのとき、見物人たちは金を持ってくることになっている。部員たちは見物人の前を走り抜ける際に、その手の中にある金を掴み取る。この行事のために「金を持ってこい。じゃなければ、おまえは変質者 だ」という大規模な宣伝が展開されているわけだが、この行事の見物人は、偶然そこに居合わせたということになっている。
モナシュ大学 は、大酒飲み大会が開催される週である「緑週間」にストリーキングが行われることで知られている。2004年 、「チームナイン」と「ビアパイレーツ」のメンバーが「ヌーダミッド」を披露した。それは裸で組体操 のピラミッド を完成させ、最上段の人間がホース で樽 からビール を飲むという荒業に挑戦した。しかし、ピラミッドはすぐに崩壊してしまった。
日本国内においては、1974年 3月11日 に沖縄県 那覇市 のキャンプ・フォスター 内のハイスクールの校内で行われたのが初で、同月12日に広島市 の繁華街 で行われたのが日本人としては第1号になる。以後、同月15日に東京 の六本木 、16日に東京の銀座 に登場した[ 5] 。
同年4月20日には後楽園球場での巨人対中日1回戦の8回裏巨人の攻撃中にライトスタンドから素っ裸の男がひとりグランドに侵入。内野の守備位置付近まで走り抜け、そこで万歳三唱の後、バックネットに向かって土下座を繰り返すという騒動がおこった。
また1980年5月26日にも後楽園球場の日本ハム対近鉄戦において6回裏に突如ライトスタンドの観客席から全裸 の男性 がグラウンド内へ侵入しそのままレフトスタンド方向へ走り始めた。この試合には4万5千人の観客が来ており観客席はこの突然の出来事で大騒ぎになったという。
1981年 には東京 の原宿 表参道 に女性 のストリーキングが現れ、『週刊新潮 』1981年3月26日号が報道写真 という名目で当時解禁されていなかった陰毛 を修正せず、グラビアページに「罰金二万円ナリ原宿春一番」のタイトルで掲載。70万部が即日完売し、警察庁 から新潮社 に警告が発せられる出来事があった[ 6] [ 7] 。
1974年 に俳優の石丸謙二郎 が原宿 で行ったものがある[ 8] 。また、あのねのね の二人が『あのねのねのオールナイトニッポン 』の生放送前に全裸 の状態でこれを行い、ニッポン放送 局舎の周りを走ったという話もある[ 9] 。
『まいるど7』(永井豪 、週刊少年チャンピオン 、1981年) - 「ストリーキング・クィーンの巻」および続編で、2人の若い女性が都心を全裸で駆け回る。
^ streak Meaning in the Cambridge English Dictionary 、2018年9月22日閲覧。
^ 流行も「電光石火」『朝日新聞』1974年(昭和49年)3月9日夕刊、3版、9面
^ 花はずかしくない17歳 米人女学生を逮捕『朝日新聞』1974年(昭和49年)3月18日朝刊、13版、19面
^ Alex McClintock (2013年7月17日). “A brief history of streaking in sport” . the Guardian . オリジナル の2014年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140211121324/http://www.theguardian.com/sport/blog/2013/jul/18/a-history-of-streaking-in-sport 2016年4月16日 閲覧。
^ 米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』三省堂 、2002年 、222-223頁。
^ 松浦総三『スキャンダラスな時代 80年代の週刊誌を斬る』幸洋出版、1982年、101頁
^ 岡留安則 編著『200万雑誌 フォーカス の内幕』KKベストブック、1984年、50頁、149頁
^ 石丸謙二郎オフィシャルブログ2009年4月30日「ストリーキング」
^ 2008年 1月4日 放送『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン 40周年記念スペシャル』の中で、この話が紹介された。