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{{Otheruses||家畜の売買や斡旋を行う者を指す'''伯楽'''(ばくろう)|家畜商}}
'''伯楽'''(はくらく[[紀元前680年]]‐[[紀元前610年]])とは古代中国、[[春秋時代]]の[[郜国]]([[山東省]])の人で姓は「孫」、名は「陽」と言われる。
'''伯楽'''(はくらく、[[紀元前7世紀]]ごろ)は、[[中国]][[春秋時代]]の人物。姓は'''[[孫氏|孫]]'''、名は'''陽'''、伯楽は[[字]]。[[コウ (春秋)|郜国]](現在の[[山東省]][[菏沢市]][[成武県]])の人。[[馬]]が良馬か否かを見抜く技術([[相馬眼]])に優れていた。
[[秦]]の[[穆公 (秦)|穆公]]に仕え馬の育成に功労があったため[[星宿]]の一つで天馬の神仙「伯楽」から「伯楽将軍」の名を与えられた。著書に伯楽相馬経がある。

駿馬か否かを見る目が合った。調教の技術に優れていた。獣医としての能力もあった。などと『[[韓非子]]』などに逸話が残る。[[韓愈]]の「世有伯樂,然後有千里馬(世に伯楽あり、しかる後に千里の馬あり)」の言葉から、現在では、「名伯楽」とスポーツなどで後進の育成に優れた指導者のたとえに使われる。[[Category:故事成語]]
== 概要 ==
[[秦]]の[[穆公 (秦)|穆公]]に仕えた。[[]]の育成に功労があったため[[星宿]]の一つで[[天馬]][[神仙]]である「伯楽」にちなんで「伯楽将軍」の名を与えられた。著書に伯楽相馬経』などがある。

馬が良馬か否かを見抜く技術([[相馬眼]]、相馬術、目利き術)に優れていた。また、[[調教師]]や[[獣医]]としての技術ももっていた。

後世の[[東アジア]]においては、これらの技術の達人の代名詞として「伯楽」の名前が用いられる。例えば、『[[韓非子]]』などの[[諸子百家]]では、主に[[喩え話]]における喩えとして伯楽の名前や逸話が頻繁に言及される<ref>[https://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?filter=d1333&reqtype=stats ctext.org 人物検索「伯楽」] - [[中国哲学書電子化計画]]</ref>。または、[[唐代]]の[[韓愈]]『雑説』に由来する[[ことわざ]]「世に伯楽あり、しかる後に千里の馬あり(世有伯楽,然後有千里馬)」「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」などでも知られる。現代の[[スポーツ]]、[[コーチング]]、[[教育]]全般において、後進の育成に優れた指導者のことを「名伯楽」と呼ぶこともある。

関連人物として、{{仮リンク|王良|zh|王良|label=}}や{{仮リンク|造父|zh|造父 (赵氏先祖)|label=}}といった[[馬車]]の[[運転]]([[御者]]・[[馬術]])の達人がいる。

== 受容 ==
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{{節スタブ|date=2021年2月7日 (日) 05:26 (UTC)}}

==関連項目==
*[[馬]]
*[[相馬眼]]
*[[調教師]]

== 脚注 ==
<references />

== 関連文献 ==

* [[鶴間和幸]]・村松弘一 編『馬が語る古代東アジア世界史』汲古書院、2018年、ISBN 9784762966071

== 外部リンク ==

* {{コトバンク}}
* [https://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?filter=d1333&reqtype=stats ctext.org 人物検索「伯楽」] - [[中国哲学書電子化計画]]
{{Chinese-history-stub}}

{{DEFAULTSORT:はくらく}}
[[Category:紀元前7世紀中国の学者]]
[[Category:春秋戦国秦の人物]]
[[Category:孫氏 (春秋戦国)]]
[[Category:故事成語]]
[[Category:馬]]
[[Category:馬術]]
[[Category:生没年不詳]]

2023年6月17日 (土) 22:53時点における最新版

伯楽(はくらく、紀元前7世紀ごろ)は、中国春秋時代の人物。姓は、名は、伯楽は郜国(現在の山東省菏沢市成武県)の人。が良馬か否かを見抜く技術(相馬眼)に優れていた。

概要

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穆公に仕えた。の育成に功労があったため、星宿の一つで天馬神仙である「伯楽」にちなんで「伯楽将軍」の名を与えられた。著書に『伯楽相馬経』などがある。

馬が良馬か否かを見抜く技術(相馬眼、相馬術、目利き術)に優れていた。また、調教師獣医としての技術ももっていた。

後世の東アジアにおいては、これらの技術の達人の代名詞として「伯楽」の名前が用いられる。例えば、『韓非子』などの諸子百家では、主に喩え話における喩えとして伯楽の名前や逸話が頻繁に言及される[1]。または、唐代韓愈『雑説』に由来することわざ「世に伯楽あり、しかる後に千里の馬あり(世有伯楽,然後有千里馬)」「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」などでも知られる。現代のスポーツコーチング教育全般において、後進の育成に優れた指導者のことを「名伯楽」と呼ぶこともある。

関連人物として、王良中国語版造父中国語版といった馬車運転御者馬術)の達人がいる。

受容

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関連項目

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脚注

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  1. ^ ctext.org 人物検索「伯楽」 - 中国哲学書電子化計画

関連文献

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外部リンク

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