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| Alias = ビーフラワー
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'''b-flower'''(ビーフラワー)は、[[1980年]]代中期に結成され、[[1990年]]代の[[ネオアコ]]/[[ギターポップ]]・ブームの一端を担った京都の[[インディーズ]]・[[バンド (音楽)|バンド]]。
'''b-flower'''(ビーフラワー)は、[[1980年]]代中期に結成され、[[1990年]]代の[[ネオアコ]]/[[ギターポップ]]・ブームの一端を担った{{要出典|date=2023年1月}}[[京都]]の[[インディーズ]]・[[バンド (音楽)|バンド]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
「八野英史の描く詞世界からあふれる無邪気さと残酷さを、叙情的なメロディ、繊細なギター・サウンドが包み込む」と評される<ref>[https://www.amazon.co.jp/dp/B000064UBR 商品の説明「メディア掲載レビューほか」] - Amazon.co.jp</ref>。
「八野英史の描く詞世界からあふれる無邪気さと残酷さを、叙情的なメロディ、繊細なギター・サウンドが包み込む」と評される<ref>[https://www.amazon.co.jp/dp/B000064UBR 商品の説明「メディア掲載レビューほか」] - Amazon.co.jp</ref>。


ヴォーカル、全作詞および作曲の多くを担当する八野は、[[1994年]][[7月]]の[[ROCKIN'ON JAPAN]]上の鼎談から<ref>[http://www.medianetjapan.com/2/20/music_audio/bavarois/report/magazine/1994_6/japan9407.html ROCKIN'ON JAPAN 第一回「ひなぎく対談」開催] </ref>、[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]の[[草野マサムネ]]、[[フィッシュマンズ]]の[[佐藤伸治]]と共に「ひな菊三人衆」と呼ばれた。
ーカル、全作詞作曲の多くを担当する八野は、[[1994年]][[7月]]の[[ROCKIN'ON JAPAN]]上の[[対話|鼎談]]から<ref>[http://www.medianetjapan.com/2/20/music_audio/bavarois/report/magazine/1994_6/japan9407.html ROCKIN'ON JAPAN 第一回「ひなぎく対談」開催] </ref>、[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]の[[草野マサムネ]]、[[フィッシュマンズ]]の[[佐藤伸治]]と共に「ひな菊三人衆」と呼ばれた。


== メンバー ==
== メンバー ==
*[[八野英史]](はちの ひでし) (Vo, G)
*[[八野英史]](はちの ひでし/ボーカル・ギター
*[[鈴木浩 (ギタリスト)|鈴木浩]](すずき ひろし)(G)
*[[鈴木浩 (ギタリスト)|鈴木浩]](すずき ひろし/ギター
*[[細海魚]](ほそみ さかな)(Key 2014〜)
*[[細海魚]](ほそみ さかな/キーボード・ 2014〜)
*湯田洋志(ゆだ ひろし)(B 〜19922015〜)
*湯田洋志(ゆだ ひろし/ベース・ 〜19922015〜)
*小林文雄(こばやし ふみお)(D 2017〜)
*小林文雄(こばやし ふみお/ドラムス・2017〜)
===旧メンバー===
===旧メンバー===
*橋本宗樹 (はしもと むねき)(D 1991)
*橋本宗樹 (はしもと むねき/ドラムス・1991)
*小池克典(こいけ かつのり)(Key 1992)
*小池克典(こいけ かつのり/キーボード1992)
*[[宮大]](みや まさる)(B 2014)
*[[宮大]](みや まさる/ベース2014)
*[[岡部亘|岡部亘(岡部わたる)]](おかべ わたる)(D,G 1991〜2017)
*[[岡部亘]](おかべ わたる/ドラムス・ギター/1991〜2017)


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[1985年|1985]]・[[1986年|86年]]頃、八野の先導で京都で結成。初期の中核メンバーは、八野、橋本、湯田、小池。当初はバンド名もなかった。週一回、仕事終了後に深夜のスタジオ練習を続け、次第に2ヶ月に一回のペースで京都のライブハウスでライヴを行う様になる。[[1987年]]頃、当時のギタリストが脱退。オーディションを行い、鈴木の加入が決まる。自主レーベル「[[Seeds Record]]」を立ち上げ、[[1990年]]、第一弾としてEP『[[日曜日のミツバチ]]』で[[インディーズ]]・デビュー。ドラマーの橋本が仕事の都合によりやむなく脱退。八野の大学時代のバンド仲間であった岡部に打診。岡部は当時、[[おかげ様ブラザーズ]]のドラマーであったが、快諾・加入が決まる。[[1991年]]9月、東京で初ライブツアーを行う。ポルスプエスト・レコードの第一弾アーティストとして[[1992年]]に初のフル・アルバム『[[ペニーアーケードの年]]』をリリース。数ヶ月後に、EP 『[[Nobody Knows This Is Nowhere]]』をリリース。この頃、ベースの湯田も家庭の事情で脱退。湯田の推薦により、宮が加入。同年末、2nd アルバム『[[ムクドリの眼をした少年]]』リリース。同時進行で、イギリス・[[リヴァプール]]の[[インディーズ]]・[[レコードレーベル]]、[[Sugarfrost Records]]とポルスプエスト・レコードによる、英日の新進インディーズ・バンドのコンピレーション『[[The Birth of The True]]』に参加、英国デビュー。唯一の日本語演奏であったが、"the best of all" と現地メディアに絶賛([[NME]]紙、[[:en:Melody Maker|Melody Maker]]紙8月付)。Sugarfrost Recordsから引き続き、[[1993年]]に『[[Stay Still]]』、[[1994年]]に『[[Strings (b-flowerの曲)|Strings]]』をそれぞれ7インチでリリース。再度の絶賛。特に[[NME]] 紙から 「今週、いや今年一番の驚き」 と大絶賛(『[[Stay Still]]』の項を参照)。
[[1985年|1985]]~[[1986年|86年]]頃、八野の先導で京都にて結成。初期の中核メンバーは、八野、橋本、湯田、小池。当初はバンド名もなかった。週一回のペースで仕事が終わってからの深夜のスタジオ練習を続け、次第に二ヶ月に一回あたりのペースで京都のライヴハウスでライヴを行うようになる。


[[1993年]]に『[[World's End Laundry〜メルカトルのための11行詩〜]]』[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]からメジャーデビュー。デビュー・シングルは同アルバム収録曲『[[舟 (b-flowerの曲)|舟]]』。その後、ミニアルバムを含むアルバム5枚、『[[太陽の雫 (曲)|太陽の雫]]』含むシングル8枚がリリース。
[[1987年]]頃、当時のギタリストが辞めたため、オーディションを行い、鈴木の加入が決まる。


[[1998年]]のアルバム『[[B-flower (アルバム)|b-flower]]』リリース後、京都に戻る。自主レーベルを[[Seeds Record|Seeds Records]]を再起動。少年期の心象をテーマにしたユニット・[[Five Beans Chup]]、岡部のソロ・[[Humming Toad]]でリリース。b-flowerでは、別レーベルから『[[Paint My Soul]]』を発表。2001年以降、事実上の活動休止。その後、10年にわたる沈黙を破、八野、岡部、過去のアルバムの編曲・プロデュースを手がけた[[細海魚]]をメンバーとする新ユニットLivingstone Daisy(リビングストン・デイジー)を結成。[[2010年]]11月に1stシングル『どこにも行けないでいる』、[[2011年]]2月にセカンドシングル『この悲しい世界』、9月に3rdシングル『June Song』を配信リリース。[[2013年]]3月6日にデビューアルバム『33minutes Before The Light』発売予定されていた<ref name="no2 12/28">[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2012/12/28] </ref>。b-flowerは12年ぶりの新曲『つまらない大人になってしまった』を2012年5月22日に配信リリース。2014年10月7日には八野・岡部・鈴木・細海の編成で『永遠の59秒目』/『動物園へ行こうよ』のセルフカバーを配信リリースした
自主レーベル「[[Seeds Record]]」を立ち上げ、[[1990年]]、その第一弾として自主製作したEP『[[日曜日のミツバチ]]』で[[インディーズ]]・デビューし、脚光を浴びる。
== エピソード ==
公式に[[1988年]]結成となっていたのは、デビュー時に「あんまり昔からやってるというのも何か恥ずかしいし、メンバーがある程度固まった時点にしようか」という理由から(八野)<ref name="no2">[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/10/25] </ref>。


結成当初はオリジナル曲はなく、[[ペイル・ファウンテンズ]]をはじめ、[[エヴリシング・バット・ザ・ガール]]、[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]、[[ルー・リード]]、[[ザ・スミス]]、[[フェルト (バンド)|フェルト]]などをコピーしていた。八野は「ペイル・ファウンテンズやスミスやフェルトとかをレパートリーにしているバンドなんて、当時は周りには皆無だったので、音楽的につながりのあるバンド友達はなく、完全孤立状態だったのを『空気』としてよく覚えている」と語っている<ref name="no2"></ref>。
ドラマーの橋本が仕事の都合によりやむなく脱退したため、八野の大学時代のバンド仲間であった岡部に打診。岡部は当時、[[おかげ様ブラザーズ]]のドラマーであったが、快諾し加入が決まる。


鈴木の加入が決まったのは、「当時のギタリストにしては珍しく、スミスや[[アズテック・カメラ]]が好きだったのと、証券マンとして安定した生活をおくりながらも『バンドでもせんと…』感が強く伝わってきたから」(八野)。岡部は、八野が前作のEPを送って数日後「CDどうやった?」「なんか軟弱な感じやったけど(この正直者!)今はいろんな音楽に触れたいからやってみたい」。八野曰く「なんかちょっと変わったヤツ」だった宮の場合、連絡をとった八野への返答は「今、別にフラフラしてるし加入してもよい」であった。<ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>
[[1991年]]9月、東京で初ライブツアーを行う。


[[1987年|1987]][[1988年|88年]]頃、八野湯田橋本はサラリーマン時代、有給休暇を取2週間ほどロンドンに滞在主に小規模なライハウスを巡り、Summerhill、[[:en:The Jasmine Minks|The Jasmine Minks]]など当時「[[:en:C86|C86]]」と呼ばれ駆け出しだった数々の[[インディーズ]]・[[バンド (音楽)|バンド]]のライを体験。八野は特に強く感銘を受けたバンドとして、当時まだ無名だった[[:en:East Village (band)|East Village]]を挙げている<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/10/12, 1/16, 3/25] </ref><ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>。
[[ポルスプエスト・レコード]]の第一弾アーティストとして[[1992年]]に、初のフルアルバム『[[ペニーアーケードの年]]』をリリースする。


自主レーベルの立ち上げは、[[英国]]で7インチシングルを中心にリリースしていた[[ブリストル]]に所するインディーズ・レーベルの[[:en:Sarah Records|Sarah Records]]にインスパイアされた。八野は、そのレーベルの家内制手工業的たたずまいは、一介のインディーバンドに『自主制作シングルの発売』という勇気を与えてくれたと語っている。<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/3/16] </ref>
数ヶ月後に、EP 『[[Nobody Knows This Is Nowhere]]』をリリース。この頃、ベースの湯田も家庭の事情でやむなく脱退、湯田本人の推薦により、宮の加入となる。同年末に、2nd アルバム『[[ムクドリの眼をした少年]]』がリリースされる。


大学時代、八野と岡部は、The elementsの渡辺とともにバンドを組んでいた。岡部への打診も、渡辺の助言によるものだという<ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>。
同時進行で、英国 [[Sugarfrost Records]] とポルスプエスト・レコードによる、英日の新進インディーズ・[[バンド (音楽)|バンド]]のコンピレーション盤『[[The Birth of The True]]』に参加して、英国デビュー。唯一の日本語演奏であったにもかかわらず、"the best of all" と現地メディアに絶賛される([[NME]]紙、[[:en:Melody Maker|Melody Maker]]紙8月付)。[[リバプール]]の[[インディーズ]]・[[レコードレーベル]]である [[Sugarfrost Records]] からは引き続き、[[1993年]]に『[[Stay Still]]』を、[[1994年]]に『[[Strings (b-flowerの曲)|Strings]]』をそれぞれ7インチでリリース、再度の絶賛、特に [[NME]] 紙からは 「今週、いや今年一番の驚き」 との大絶賛を受ける(レヴュー記事は『[[Stay Still]]』の項を参照のこと)。


現メンバーでは、特に宮が[[:en:Traditional Music|Traditional Music]]への造詣が深い<ref name="no2 05/16">[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2010/5/16] </ref>。宮は「疲れた時のアイルランド民謡」と言っている<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2011/3/1] </ref>。
日本でも、[[1993年]]に『[[World's End Laundry〜メルカトルのための11行詩〜]]』[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]からのリリースとなり、メジャーデビューを飾るまた、同アルバム収録曲『[[舟 (b-flowerの曲)|舟]]』が、デビューシングルとなる。その後、ミニアルバムを含む5アルバム、深夜TV番組のタイアップとなった『[[太陽の雫 (曲)|太陽の雫]]』含む8シングルが、それぞれリリースされた


八野はb-flowerを「引っ込み思案バンドランク日本第1位のバンド」と呼び、自身も「人前に立つのが苦手なヴォーカリスト」であると公言している<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/9/25] </ref><ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>。
[[1998年]]の同名アルバム『[[B-flower (アルバム)|b-flower]]』のリリース後、京都に戻って自主レーベルを「[[Seeds Record|Seeds Records]]」として再起動し、少年期の心象をテーマにした [[Five Beans Chup]] というユニットによるリリースや [[Humming Toad]] としての岡部のソロリリースを行った。b-flower 名義でも、別レーベルから『[[Paint My Soul]]』を発表するなど精力的な活動をみせたが、今世紀に入ってからは事実上の活動休止に入った。


[[1993年]]4月から[[エフエム京都]]で[[ラジオパーソナリティ]]として3時間の番組を担当した。
年にわたる沈黙を破ったのは、八野過去のアルバムのアレンジやプロデュースを手がけた[[細海魚]]、そして岡部の三人をメンバーとする新ユニット [[Livingstone Daisy]](リビングストン・デイジー)。[[2010年]]11月にデビュー曲『どこにも行けないでいる』、[[2011年]]2月にセカンドシングル『この悲しい世界』、9月にサードシングル『June Song』を配信リリースした。[[2013年]]3月6日にデビューアルバム『33minutes Before The Light』発売予定されていた<ref name="no2 12/28">[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2012/12/28] </ref>。


== 評 ==
b-flower としても、12年ぶりの新曲『つまらない大人になってしまった』が2012年5月22日に配信リリースされ、2014年10月7日には、 八野・岡部・鈴木・細海の編成で『永遠の59秒目』/『動物園へ行こうよ』のセルフカバーが配信となった。
[[ROCKIN'ON JAPAN]][[山崎洋一郎]]「ドラム、ベース、キーボード、ギターというスタンダードなロック・バンドの編成にもかかわらず、そこら辺のアコースティックものよりも繊細な美しさがある。だが、やはり感動してしまうのは歌詞だ。徹底的な現実逃避。歌う[[不登校|登校拒否児童]]のようなヴォーカルの八野の詞の世界は少しも卑屈ではなく、ピュアで輝いてさえいる。[[自閉症#定義|自閉的性格]]のミュージシャンは多いが、そこから立ち直るでもなくバネにして突き抜けるでもなく、その自閉した世界を信じ切ったまま生きていこうといういさぎよさが B-FLOWER の音を輝かせているのだと思う」と評している<ref>[[ROCKIN'ON JAPAN]] Vol.54、[[ロッキング・オン]]社、1991年11月、154頁</ref>。

== 音楽誌評 ==
[[ROCKIN'ON JAPAN]] [[山崎洋一郎]]「ドラム、ベース、キーボード、ギターというスタンダードなロック・バンドの編成にもかかわらず、そこら辺のアコースティックものよりも繊細な美しさがある。だが、やはり感動してしまうのは歌詞だ。徹底的な現実逃避。歌う[[不登校|登校拒否児童]]のようなヴォーカルの八野の詞の世界は少しも卑屈ではなく、ピュアで輝いてさえいる。[[自閉症#定義|自閉的性格]]のミュージシャンは多いが、そこから立ち直るでもなくバネにして突き抜けるでもなく、その自閉した世界を信じ切ったまま生きていこうといういさぎよさが B-FLOWER の音を輝かせているのだと思う」<ref>[[ROCKIN'ON JAPAN]] Vol.54、[[ロッキング・オン]]社、1991年11月、154頁</ref>。


== ディスコグラフィ ==
== ディスコグラフィ ==
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*[[B-flower (アルバム)|b-flower]](1998年4月8日) 〜[[iTunes Store]] でも配信発売
*[[B-flower (アルバム)|b-flower]](1998年4月8日) 〜[[iTunes Store]] でも配信発売


=== ミニアルバム ===
=== ミニアルバム ===
*[[Clover Chronicles I]](1994年6月8日)
*[[Clover Chronicles I]](1994年6月8日)
*[[Paint My Soul]](1999年12月17日)
*[[Paint My Soul]](1999年12月17日)
83行目: 83行目:
*[[雪の朝ロビンのように]](1994年10月26日)
*[[雪の朝ロビンのように]](1994年10月26日)
*[[North Marine Drive]](1995年2月8日)
*[[North Marine Drive]](1995年2月8日)
*[[太陽の雫 (曲)|太陽の雫]](1995年9月13日): [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列『[[シブヤ系うらりんご]]』タイアップ、エンディングテーマ
*[[太陽の雫 (曲)|太陽の雫]](1995年9月13日)
*[[Jet Jet Coaster]](1996年1月31日)
*[[Jet Jet Coaster]](1996年1月31日)
*[[明星 (b-flowerの曲)|明星]](1996年7月24日)
*[[明星 (b-flowerの曲)|明星]](1996年7月24日)
89行目: 89行目:
*[[蛍 (b-flowerの曲)|蛍]](1997年10月16日)〜[[iTunes Store]] でも配信発売
*[[蛍 (b-flowerの曲)|蛍]](1997年10月16日)〜[[iTunes Store]] でも配信発売
*[[地の果てより発つ]](1998年1月28日)
*[[地の果てより発つ]](1998年1月28日)
*[[つまらない大人になってしまった]](2012年5月22日)〜[[nau]][[viBirth]]、[[iTunes Store]] で配信発売
*つまらない大人になってしまった(2012年5月22日)〜nau、viBirth、[[iTunes Store]] で配信発売
*[[永遠の59秒目]] / [[動物園へ行こうよ]] [セルフカバー](2014年10月7日) 〜[[nau]][[viBirth]][[iTunes Store]] 等で配信発売
*永遠の59秒目/動物園へ行こうよ [セルフカバー](2014年10月7日) 〜nau、viBirth、iTunes Store等で配信発売


=== アナログ 7インチ 英国リース===
=== アナログ 7インチ(イギリス===
英国 [[Sugarfrost Records]] によるリリース。
英国 [[Sugarfrost Records]]によるリリース。
*[[Stay Still]](邦題『静かにして何もしない』)([[1993年]]5月): Frosty 07
*[[Stay Still]](邦題『静かにして何もしない』)([[1993年]]5月): Frosty 07
*[[Strings (b-flowerの曲)|Strings]](邦題『誕生日』)([[1994年]]): Frosty 09
*[[Strings (b-flowerの曲)|Strings]](邦題『誕生日』)([[1994年]]): Frosty 09


=== その他 ===
=== その他 ===
*[[The Birth of The True]](1992年3月25日): [[Sugarfrost Records]] と日本の[[ポルスプエスト・レコード]]による英日[[インディーズ]]の[[コンピレーション・アルバム]]。『グライダーと長靴』『君がいなくなると淋しくなるよ』の二曲による参加。日本からは他に[[ネロリーズ]]([[:en:Nelories|Nelories]]など。オリコンインディーズトップ30、初登場3位獲得。
*[[The Birth of The True]](1992年3月25日): [[Sugarfrost Records]] と日本のポルスプエスト・レコードによる英日[[インディーズ]]の[[コンピレーション・アルバム]]。『グライダーと長靴』『君がいなくなると淋しくなるよ』参加。日本からは他に([[:en:Nelories|Nelories]]など。オリコンインディーズトップ30、初登場3位獲得。
*[[BORDER - A Tribute to Motoharu Sano -]](1996年8月31日): バウンス・レコード([[PIONEER LDC]])による[[佐野元春]]の[[トリビュート・アルバム]]。『約束の橋』で参加。他アーティストに[[川村かおり]]など
*[[BORDER - A Tribute to Motoharu Sano -]](1996年8月31日):[[タワーレコード|bounce records]]([[NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン|PIONEER LDC]])による[[佐野元春]]の[[トリビュート・アルバム]]。『[[約束の橋]]』で参加。


=== 変名ユニットによる作品 ===
=== その他ユニット ===
==== シングル ====
==== シングル ====
[[Livingstone Daisy]](リビングストン・デイジー)〜[[nau]][[viBirth]][[iTunes Store]] で配信発売中。
*Livingstone Daisy(リビングストン・デイジー)〜nau、viBirth、iTunes Store で配信発売中。
*どこにも行けないでいる([[2010年]])
**どこにも行けないでいる([[2010年]])
*この悲しい世界([[2011年]])
**この悲しい世界([[2011年]])
*June Song([[2011]]
**June Song(2011年)


==== アルバム ====
==== アルバム ====
[[Five Beans Chup]](ファイブ・ビーンズ・チャップ)
*[[Five Beans Chup]](ファイブ・ビーンズ・チャップ)
*[[夏休み "Summer Feeling"]]([[1999年]])
**[[夏休み "Summer Feeling"]]([[1999年]])
*[[The First Day of Summer]]([[2000年]])
**[[The First Day of Summer]]([[2000年]])
[[Humming Toad]](ハミング・トード)
*[[Humming Toad]](ハミング・トード)
*[[Love Wonderland]]([[1999年]])
**[[Love Wonderland]]([[1999年]])
*[[Love Under The Lily Pad]]([[2000年]])
**[[Love Under The Lily Pad]]([[2000年]])

== エピソード ==
* 公式に[[1988年]]結成となっていたのは、デビュー時に「あんまり昔からやってるというのも何か恥ずかしいし、メンバーがある程度固まった時点にしようか」という理由から(八野)<ref name="no2">[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/10/25] </ref>。
* 結成当初はオリジナル曲はなく、[[ペイル・ファウンテンズ]]をはじめ、[[エヴリシング・バット・ザ・ガール]]、[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]、[[ルー・リード]]、[[ザ・スミス]]、[[フェルト (バンド)|フェルト]]などをコピーしていた。「ペイル・ファウンテンズやスミスやフェルトとかをレパートリーにしているバンドなんて、当時は周りには皆無だったので、音楽的につながりのあるバンド友達はなく、完全孤立状態だったのを『空気』としてよく覚えている」と八野は語っている<ref name="no2"></ref>。
* 鈴木の加入が決まったのは、「当時のギタリストにしては珍しく、スミスや[[アズテック・カメラ]]が好きだったのと、証券マンとして安定した生活をおくりながらも『バンドでもせんと…』感が強く伝わってきたから」(八野)。ちなみに岡部は、八野が前作のEPを送って数日後「CD どうやった」「なんか軟弱な感じやったけど(この正直者!)今はいろんな音楽に触れたいからやってみたい」。「なんかちょっと変わったヤツ」(八野言)だった宮の場合、連絡をとった八野への返答は「今、別にフラフラしてるし加入してもよい」であった。<ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>
* [[1987年|1987]][[1988年|88年]]頃、八野湯田橋本は「上司と超超超モメながら無理矢理有給休暇をもぎって」2週間ほどロンドンに滞在主に小規模なライハウスを巡り、サマーヒル(Summerhill)ジャスミン・ミンクス([[:en:The Jasmine Minks|The Jasmine Minks]]など当時「[[:en:C86|C86]]」と呼ばれ駆け出しだった数々の[[インディーズ]]・[[バンド (音楽)|バンド]]のライを体験。特に強く感銘を受けたバンドとして、当時まだ無名だったイースト・ヴィレッジ([[:en:East Village (band)|East Village]]八野は挙げている<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/10/12, 1/16, 3/25] </ref><ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>。
* 自主レーベルの立ち上げは、[[英国]]で7インチシングルを中心にリリースしていた[[ブリストル]]在の[[インディペンデント]][[レーベル]]サラ・レコード([[:en:Sarah Records|Sarah Records]]インスパイアされた(サラ・)「家内制手工業的たたずまいは、一介のド・インディーバンドに『自主制作シングルの発売』という勇気を与えてくれた」(八野)。<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/3/16] </ref>
* 大学時代、八野と岡部は、 [[The elements]] の渡辺とともにバンドをやっていた。岡部への打診も、渡辺の助言によるものだという<ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>。
* 現メンバーでは、特に宮がアイリッシュ・トラッド([[:en:Traditional Music|Traditional Music]]への造詣が深い<ref name="no2 05/16">[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2010/5/16] </ref>。「疲れた時のアイルランド民謡」とは宮の<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2011/3/1] </ref>。
* 八野は b-flower を「引っ込み思案バンドランク日本第1位のバンド」と呼び、自身も「人前に立つのが苦手なヴォーカリスト」であると公言している<ref>[https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野ブログ 2009/9/25] </ref><ref name="no3">[http://www.breast.co.jp/b-flower/ 公式サイト] </ref>。
* [[1993年]]4月から、FM京都 α-station のパーソナリティとして3時間の番組をやっていた。


== タイアップ一覧 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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===出典===
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{official|http://breast.co.jp/b-flower/}} b-flower(更新休止中)
* {{official|https://seedsrecords.jimdofree.com}} b-flower Official (Seeds Records)
* [https://note.com/seeds_records 八野英史 ブログ 「b-flower 八野英史 note」]
* {{official|http://www.breast.co.jp/b-flower/seedsrecords.html}} 自主レーベル Seeds Records
* [https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野英史 ブログ「clover chronicles II」]
* [https://ameblo.jp/clover-chronicles2 八野英史 ブログ「clover chronicles II」]
* [https://twitter.com/?iid=am-114225476113301676249555276&nid=15&uid=502833587&utm_content=profile#!/hachino_hideshi 八野英史 ツイッター]
* [https://twitter.com/?iid=am-114225476113301676249555276&nid=15&uid=502833587&utm_content=profile#!/hachino_hideshi 八野英史 ツイッター]
* [https://myspace.com/beefields 八野英史/b-flower MySpace]
* [https://twitcasting.tv/hachino_hideshi/show/ 八野英史 ツイキャス 「b-flower八野 トーク&爪弾き」]
* {{official|http://www.kcat.zaq.ne.jp/www/wwwtop.html}} 岡部わたる
* [https://ameblo.jp/clover-chronicles2/entry-11034891008.html 米国クラウドベリーレコーズによる八野英史インタビュー(2011年秋)]
* [https://ameblo.jp/clover-chronicles2/entry-11034891008.html 米国クラウドベリーレコーズによる八野英史インタビュー(2011年秋)]

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[[Category:1985年に結成した音楽グループ]]

2023年8月12日 (土) 11:41時点における最新版

b-flower
出身地 日本の旗 日本, 京都府
ジャンル ネオアコギターポップロック
活動期間 1985年2000年
2010年
レーベル Seeds Record(自主レーベル)
1990年
Por supuesto! Records
1991年1992年
Sugarfrost Records
1993年1994年
東芝EMI/suite¡supuesto!
(1993年〜1998年
Seeds Records(自主レーベル)
1999年〜)
公式サイト b-flower(更新休止中)
メンバー 八野英史ボーカルギター
鈴木浩ギター
細海魚キーボード
湯田洋志(ベース
小林 文雄(ドラムス
旧メンバー 橋本宗樹(ドラムス)
小池克典 (キーボード)
宮大 (ベース)
岡部亘 (ドラムス)

b-flower(ビー・フラワー)は、1980年代中期に結成され、1990年代のネオアコギターポップ・ブームの一端を担った[要出典]京都インディーズバンド

概要[編集]

「八野英史の描く詞世界からあふれる無邪気さと残酷さを、叙情的なメロディ、繊細なギター・サウンドが包み込む」と評される[1]

ボーカル、全作詞・作曲の多くを担当する八野は、1994年7月ROCKIN'ON JAPAN誌上の鼎談から[2]スピッツ草野マサムネフィッシュマンズ佐藤伸治と共に「ひな菊三人衆」と呼ばれた。

メンバー[編集]

  • 八野英史(はちの ひでし/ボーカル・ギター)
  • 鈴木浩(すずき ひろし/ギター)
  • 細海魚(ほそみ さかな/キーボード・ 2014〜)
  • 湯田洋志(ゆだ ひろし/ベース・ 〜1992・2015〜)
  • 小林文雄(こばやし ふみお/ドラムス・2017〜)

旧メンバー[編集]

  • 橋本宗樹 (はしもと むねき/ドラムス・〜1991)
  • 小池克典(こいけ かつのり/キーボード〜1992)
  • 宮大(みや まさる/ベース〜2014)
  • 岡部亘(おかべ わたる/ドラムス・ギター/1991〜2017)

来歴[編集]

198586年頃、八野の先導で京都で結成。初期の中核メンバーは、八野、橋本、湯田、小池。当初はバンド名もなかった。週一回、仕事終了後に深夜のスタジオ練習を続け、次第に2ヶ月に一回のペースで京都のライブハウスでライヴを行う様になる。1987年頃、当時のギタリストが脱退。オーディションを行い、鈴木の加入が決まる。自主レーベル「Seeds Record」を立ち上げ、1990年、第一弾としてEP『日曜日のミツバチ』でインディーズ・デビュー。ドラマーの橋本が仕事の都合によりやむなく脱退。八野の大学時代のバンド仲間であった岡部に打診。岡部は当時、おかげ様ブラザーズのドラマーであったが、快諾・加入が決まる。1991年9月、東京で初ライブツアーを行う。ポルスプエスト・レコードの第一弾アーティストとして1992年に初のフル・アルバム『ペニーアーケードの年』をリリース。数ヶ月後に、EP 『Nobody Knows This Is Nowhere』をリリース。この頃、ベースの湯田も家庭の事情で脱退。湯田の推薦により、宮が加入。同年末、2nd アルバム『ムクドリの眼をした少年』リリース。同時進行で、イギリス・リヴァプールインディーズレコードレーベルSugarfrost Recordsとポルスプエスト・レコードによる、英日の新進インディーズ・バンドのコンピレーション『The Birth of The True』に参加、英国デビュー。唯一の日本語演奏であったが、"the best of all" と現地メディアに絶賛(NME紙、Melody Maker紙8月付)。Sugarfrost Recordsから引き続き、1993年に『Stay Still』、1994年に『Strings』をそれぞれ7インチでリリース。再度の絶賛。特にNME 紙から 「今週、いや今年一番の驚き」 と大絶賛(『Stay Still』の項を参照)。

1993年に『World's End Laundry〜メルカトルのための11行詩〜』で東芝EMIからメジャー・デビュー。デビュー・シングルは同アルバム収録曲『』。その後、ミニアルバムを含むアルバム5枚、『太陽の雫』含むシングル8枚がリリース。

1998年のアルバム『b-flower』リリース後、京都に戻る。自主レーベルをSeeds Recordsを再起動。少年期の心象をテーマにしたユニット・Five Beans Chup、岡部のソロ・Humming Toadでリリース。b-flowerでは、別レーベルから『Paint My Soul』を発表。2001年以降、事実上の活動休止。その後、約10年にわたる沈黙を破り、八野、岡部、過去のアルバムの編曲・プロデュースを手がけた細海魚をメンバーとする新ユニット・Livingstone Daisy(リビングストン・デイジー)を結成。2010年11月に1stシングル『どこにも行けないでいる』、2011年2月にセカンドシングル『この悲しい世界』、9月に3rdシングル『June Song』を配信リリース。2013年3月6日にデビュー・アルバム『33minutes Before The Light』発売予定がされていた[3]。b-flowerは12年ぶりの新曲『つまらない大人になってしまった』を2012年5月22日に配信リリース。2014年10月7日には八野・岡部・鈴木・細海の編成で『永遠の59秒目』/『動物園へ行こうよ』のセルフカバーを配信リリースした。

エピソード[編集]

公式に1988年結成となっていたのは、デビュー時に「あんまり昔からやってるというのも何か恥ずかしいし、メンバーがある程度固まった時点にしようか」という理由から(八野)[4]

結成当初はオリジナル曲はなく、ペイル・ファウンテンズをはじめ、エヴリシング・バット・ザ・ガールヴェルヴェット・アンダーグラウンドルー・リードザ・スミスフェルトなどをコピーしていた。八野は「ペイル・ファウンテンズやスミスやフェルトとかをレパートリーにしているバンドなんて、当時は周りには皆無だったので、音楽的につながりのあるバンド友達はなく、完全孤立状態だったのを『空気』としてよく覚えている」と語っている[4]

鈴木の加入が決まったのは、「当時のギタリストにしては珍しく、スミスやアズテック・カメラが好きだったのと、証券マンとして安定した生活をおくりながらも『バンドでもせんと…』感が強く伝わってきたから」(八野)。岡部は、八野が前作のEPを送って数日後「CDどうやった?」「なんか軟弱な感じやったけど(この正直者!)今はいろんな音楽に触れたいからやってみたい」。八野曰く「なんかちょっと変わったヤツ」だった宮の場合、連絡をとった八野への返答は「今、別にフラフラしてるし加入してもよい」であった。[5]

198788年頃、八野・湯田・橋本はサラリーマン時代、有給休暇を取り2週間ほどロンドンに滞在。主に小規模なライブハウスを巡り、Summerhill、The Jasmine Minksなど当時「C86」と呼ばれ駆け出しだった数々のインディーズバンドのライブを体験。八野は特に強く感銘を受けたバンドとして、当時まだ無名だったEast Villageを挙げている[6][5]

自主レーベルの立ち上げは、英国で7インチシングルを中心にリリースしていたブリストルに所在するインディーズ・レーベルのSarah Recordsにインスパイアされた。八野は、そのレーベルの家内制手工業的たたずまいは、一介のインディー・バンドに『自主制作シングルの発売』という勇気を与えてくれたと語っている。[7]

大学時代、八野と岡部は、The elementsの渡辺とともにバンドを組んでいた。岡部への打診も、渡辺の助言によるものだという[5]

現メンバーでは、特に宮がTraditional Musicへの造詣が深い[8]。宮は「疲れた時のアイルランド民謡」と言っている[9]

八野はb-flowerを「引っ込み思案バンドランク日本第1位のバンド」と呼び、自身も「人前に立つのが苦手なヴォーカリスト」であると公言している[10][5]

1993年4月からエフエム京都ラジオパーソナリティとして3時間の番組を担当した。

評価[編集]

ROCKIN'ON JAPAN山崎洋一郎は「ドラム、ベース、キーボード、ギターというスタンダードなロック・バンドの編成にもかかわらず、そこら辺のアコースティックものよりも繊細な美しさがある。だが、やはり感動してしまうのは歌詞だ。徹底的な現実逃避。歌う登校拒否児童のようなヴォーカルの八野の詞の世界は少しも卑屈ではなく、ピュアで輝いてさえいる。自閉的性格のミュージシャンは多いが、そこから立ち直るでもなくバネにして突き抜けるでもなく、その自閉した世界を信じ切ったまま生きていこうといういさぎよさが B-FLOWER の音を輝かせているのだと思う」と評している[11]

ディスコグラフィ[編集]

EP[編集]

アルバム[編集]

ミニ・アルバム[編集]

シングル[編集]

アナログ 7インチ(イギリス)[編集]

英国 Sugarfrost Recordsによるリリース。

その他[編集]

その他ユニット[編集]

シングル[編集]

  • Livingstone Daisy(リビングストン・デイジー)〜nau、viBirth、iTunes Store で配信発売中。
    • どこにも行けないでいる(2010年
    • この悲しい世界(2011年
    • June Song(2011年)

アルバム[編集]

タイアップ一覧[編集]

使用年 曲名 タイアップ
1992年 ペニーアーケードの年 アキレス「フラッシュパル & レモンパイ」CMソング
1995年 太陽の雫 フジテレビ系『今田耕司のシブヤ系うらりんご』9月エンディングテーマ

脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]