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「戸上守」の版間の差分

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'''戸上 守'''(とがみ まもる、[[1935年]][[12月1日]]- )は、[[競輪選手#日本競輪選手会|日本競輪選手会]][[福岡県|福岡]]支部に在籍していた元[[競輪選手]]。[[日本競輪学校]]第2期生で、登録番号は5805である
'''戸上 守'''(とがみ まもる、[[1935年]][[12月1日]] - [[2019年]][[4月25日]])は、[[日本競輪選手会]][[福岡県|福岡]]支部に在籍していた元[[競輪選手]]。[[日本競輪選手養成所|日本競輪学校]](当時)第2期生で、登録番号は5805。晩年は久留米市に在住していた<ref name="nishispo190427">{{cite news |title=戸上守氏死去 オールスターなどV |url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/keirin/article/506121/ |newspaper=[[西日本スポーツ]] |publisher=[[西日本新聞社]] |date=2019-04-27 |accessdate=2019-05-04 }}</ref>


== 経歴 ==
== 経歴 ==

ホームバンクは[[久留米競輪場]]。当初は追い込み型の選手だったが、3角捲りを繰り出せるようになるや、トップクラスへと上り詰めるようになる。
ホームバンクは[[久留米競輪場]]。当初は追い込み型の選手だったが、3角捲りを繰り出せるようになるや、トップクラスへと上り詰めるようになる。


[[1958年]]、[[名古屋競輪場]]で開催された第3回[[オールスター競輪]]において、福岡県を登録地とする選手として初の[[特別競輪]](現在のGI)を制覇。また、同年の[[競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦|競輪祭]]も制覇。[[1964年]]には[[高松宮記念杯競輪|高松宮賜杯競輪]]を制覇した。[[1986年]][[1月6日]]登録削除。通算勝利数805。また、[[1995年]]1月に創設された[[日本名輪会]]の一員にもなった。
[[1958年]]、[[名古屋競輪場]]で開催された第3回[[オールスター競輪]]において、福岡県を登録地とする選手として初の[[特別競輪]](現在のGI)を制覇。また、同年の[[競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦|競輪祭]]も制覇。[[1964年]]には[[高松宮記念杯競輪|高松宮賜杯競輪]]を制覇した。


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==関連項目==
*[[競輪選手一覧]]


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2023年8月20日 (日) 20:48時点における最新版

戸上 守(とがみ まもる、1935年12月1日 - 2019年4月25日)は、日本競輪選手会福岡支部に在籍していた元競輪選手日本競輪学校(当時)第2期生で、登録番号は5805。晩年は久留米市に在住していた[1]

経歴

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ホームバンクは久留米競輪場。当初は追い込み型の選手だったが、3角捲りを繰り出せるようになるや、トップクラスへと上り詰めるようになる。

1958年名古屋競輪場で開催された第3回オールスター競輪において、福岡県を登録地とする選手として初の特別競輪(現在のGI)を制覇。また、同年の競輪祭も制覇。1964年には高松宮賜杯競輪を制覇した。

1986年1月6日登録削除。通算3156戦805勝(ほか2着561回、3着467回)。

1995年1月に創設された、日本名輪会の一員にもなった。

2019年4月25日午前11時30分、病気のため死去、83歳であった[1]

エピソード

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現在、久留米競輪場では、戸上の冠を頂くS級シリーズ(FI)・「戸上守杯」が行われているが、同じく久留米競輪場をホームバンクとしていた中野浩一を記念して「中野カップレース」(GIII)が行われることになった際、戸上は恐縮して、自身の冠レースの返上を申し出た。ところが、久留米競輪場の主催者である久留米市側は逆に、戸上のこれまでの功績は計り知れず、逆にその名を消すことこそ畏れ多いとして返上を拒否。そして戸上を説得し、限りなくGIIIに近いレースという位置づけで開催している。

脚注

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関連項目

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