コンテンツにスキップ

「鉄舟寺」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Resto1578 (会話 | 投稿記録)
m cat
m 明らかな変換ミスと思われます。
 
(39人の利用者による、間の48版が非表示)
1行目: 1行目:
{{日本の寺院
'''鉄舟寺'''(てっしゅうじ)は、[[静岡県]][[静岡市]][[清水区]]にある[[臨済宗妙心寺派]]の寺院。山号は補陀落山。本尊は[[千手観音菩薩]]。
|名称 =鉄舟寺
|画像 =[[File:Tesshu-ji.JPG|240px]]
|所在地 =静岡県静岡市清水区村松2188
|位置 ={{coord|34|59|33.6|N|138|28|59.0|E|type:landmark_region:JP-22|display=title,inline}}
|ISO=JP-22
|山号 = 補陀落山
|院号 =
|宗旨 = 臨済宗
|宗派 = [[臨済宗妙心寺派|妙心寺派]]
|寺格 =
|本尊 = 千手観音菩薩
|創建年 =
|開山 =
|開基 =
|中興年 =
|中興 =
|正式名 =
|別称 =
|札所等 =
|文化財 = [[法華経]] 19巻([[国宝]])<br>[[錫杖]]([[重要文化財]])ほか
|公式HP =
|公式HP名 =
|地図2 = {{Location map|Japan Shizuoka Prefecture|label=鉄舟寺|float=center|relief=1|width=256}}
}}
'''鉄舟寺'''(てっしゅうじ)は、[[静岡県]][[静岡市]][[清水区]]にある[[臨済宗妙心寺派]]の[[寺院]]。山号は[[補陀落]]山。本尊は[[千手観音|千手観音菩薩]]。


==歴史==
== 歴史 ==
この寺は、[[飛鳥時代]][[藤原氏]]の出身である久能忠仁が[[久能山東照宮]]付近に建立した堂に始まり、その後[[奈良時代]]の僧[[行基]]が来山して久能寺と号したという。[[平安時代]]に入って[[天台宗]]に改められ、[[1570年]]([[永禄]]13年)[[武田信玄]]によって現在地に移され
[[推古天皇]]の御代に[[氏]]の出身である[[久能忠仁]]が[[久能山東照宮|現在の久能山東照宮]]付近に建立した堂に始まり、その後[[奈良時代]]の僧[[行基]]が来山して'''久能寺'''と号したという(『久能寺縁起』)。[[平安時代]]に入って[[天台宗]]に改められ、[[建穂寺]]と駿河を二分する勢いで栄えた。[[1570年]]([[永禄]]13年)[[武田信玄]]が久能山城を作る([[久能城]])ため現在地に移され、宗旨も変わり[[新義真言宗]](真言宗根来派)に属することになる


[[江戸時代]]には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住([[住職]]がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。旧幕臣で[[明治]]以降[[静岡藩]]権大参事もつとめたこともある[[山岡鉄舟]]は[[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]]から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。
[[江戸時代]]には朱印寺領として200[[ (単位)|石]]余りを与えられ、多くの支坊を有したが、[[江戸時代]]後期あたりから衰退し、明治に入ると無住([[住職]]がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。


その後、旧幕臣で[[明治]]以降に[[静岡藩]]権大参事も務めたこともある[[山岡鉄舟]]が、[[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]]から今川貞山を招いて復興し、寺号も'''鉄舟寺'''と改められた。そのため鉄舟の書跡の遺品も多い。
==文化財==
===国宝===
*法華経(久能寺経


===重要文化財(国指定)===
== 文化財==
=== 国宝 ===
*錫杖 など
[[Image: Kunoji-kyo2.JPG|thumb|right|200px|久能寺経(19巻のうち薬王品)]]
* [[法華経]](久能寺経)19巻
:現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。現在は[[東京国立博物館]]に[[寄託 (日本法)|寄託]]。[[永治]]2年([[1142年]])[[藤原璋子|待賢門院]]の[[出家]]に際して、[[鳥羽天皇|鳥羽法皇]]や[[藤原得子|美福門院]]をはじめ、近臣や[[女房]]らが加わった、[[法要|逆修供養]]のために結縁書写された。元は法華経二十八品に開教と結経を加えた三十巻か、或いは更に『[[阿弥陀経]]』『[[般若心経]]』を加えた三十二巻本だったと想定される。鉄舟寺にはそのうち17巻分伝わっており、他に[[五島美術館]]に2巻([[重要文化財|重文]])、東京国立博物館に3巻(重文)、個人に4巻(国宝<ref>[http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2017/03/20170310841002.html 『法華経(久能寺経)』の国宝指定について(神戸市HP)]</ref>)の計26巻が現存している。鉄舟寺所蔵品の員数は19巻だが、そのうち陀羅尼品第二十六と普賢菩薩勧発品第二十八の2巻は補配本と見なされる。
:なぜこのように立派な経典が都から遠く離れた地に納められたのか、は不明である。諸説として、京の戦乱を避けるため東国武士によって移された、鳥羽法皇の離宮であった[[安楽寿院]]や上皇がしばしば詣でた[[熊野三山]]と久能寺との関係性、などが挙げられている。
:「譬喩品」は待賢門院自らの結縁によるもので、その写経の筆者は近侍の女房中納言の弟で、当代屈指の能書で知られた[[藤原定信]]。また、書写名は不明だが「安楽行品」の書は穏やかで優美な[[行書体|行書]]気味の書風で、当時の能書の中でも特に優れた人物の手になる。


=== 重要文化財(国指定)===
==所在地・アクセス==
[[File:Shakujo head of Tesshu-ji.jpg|thumb|1142年作の錫杖(重要文化財)。]]
*静岡県静岡市清水区村松2188
* 錫杖 銘「康治元年九月八日久能寺念空」あり、[[1142年]]の作。
*[[東海旅客鉄道|JR東海]][[東海道本線]][[清水駅 (静岡県)|清水駅]]から[[しずてつジャストライン|静鉄バス]][[忠霊塔]]行きに乗車 約20分。


=== 県指定文化財 ===
==周辺==
* 木造千手観音像(観音堂)
*[[龍華寺]]
* 木造[[蘭陵王 (雅楽)|蘭陵王]]仮面 伝赤鶴(しゃくつる)作
*[[海長寺]]


=== 市指定文化財 ===
==外部リンク==
* 薄墨の笛
*[http://www.asahi-net.or.jp/~KW2Y-UESG/jiin/tesyuuji/tesyuuji.htm 参考HP]
:[[源義経]]が牛若丸と呼ばれていた頃から愛用していたとされる[[龍笛]]。平安時代末期に義経により鉄舟寺の前身である久能寺に寄進された。昭和52年に静岡市指定文化財に指定されている。
:通常笛は公開されていないが、清水市や笛の音色に魅せられた人々による基金によって1998年に「平成の補修」と呼ばれる補修がなされた後、義経の供養、楽器としての笛の保全などを目的として、鉄舟寺他、各地で演奏会が開催されている。毎回演奏は日本を代表する笛奏者・'''赤尾三千子'''に託されている。

=== その他 ===
* [[高塚竹堂]]銅像

== 学生寮 ==
* 1943年、[[東海大学]]の前身である[[航空科学専門学校]]が清水区[[三保]]に開校した際、物理科の学生寮として一部を提供した<ref>[http://www.pr.tokai.ac.jp/gsc/pdf/shimizu_pamphlet.pdf 東海大学 清水図録]</ref>。それ以来、東海大学とは縁が深い関係にある。また、東海大学の各キャンパスで開催される建学祭の際に灯す「'''建学の火'''」が、各キャンパスにシンボルとして運ばれている<ref>[http://www.u-tokai.ac.jp/about/campus/shimizu/news/detail/20141031.html 建学祭に向けて「建学の火」の採火式を行いました]</ref>。

== 所在地・アクセス ==
* 静岡県静岡市清水区村松2188
* [[東海旅客鉄道|JR東海]] [[東海道本線]] [[清水駅 (静岡県)|清水駅]]から[[しずてつジャストライン|静鉄バス]][[忠霊塔]]行きに乗車約20分)、「鉄舟寺」下車

== 周辺 ==
* [[龍華寺 (静岡市)|龍華寺]]
* [[海長寺]]

== 参考資料 ==
* フェルケール博物館・清水市教育委員会編『特別企画 鉄舟寺展(旧久能寺宝物展)』清水港湾博物館、2001年
* 良知文苑 『国宝 久能寺経の歳月 ─駿州秘抄─』和泉書院、2008年 ISBN 978-4-7576-0483-4

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 外部リンク ==
* {{Wayback|url=http://www.asahi-net.or.jp/~KW2Y-UESG/jiin/tesyuuji/tesyuuji.htm |title=元久能寺、鉄舟寺(静岡見て歩き) |date=20120124215243}}
* [http://www2.gol.com/users/fue/ 横笛 赤尾三千子の世界(薄墨の笛・演奏者)]

{{Normdaten}}


{{DEFAULTSORT:てつしゆうし}}
{{DEFAULTSORT:てつしゆうし}}
[[Category:臨済宗妙心寺派の寺院]]
[[Category:臨済宗妙心寺派の寺院]]
[[category:静岡市の寺]]
[[Category:静岡市の寺]]
[[category:中部地方禅寺]]
[[Category:清水区歴史]]
[[Category:日本の国宝 (書跡・典籍・古文書)]]
[[category:清水区]]
[[Category:静岡県の国宝]]

[[Category:静岡市の重要文化財]]
{{buddhism-stub}}
[[Category:静岡県指定有形文化財]]
[[Category:静岡県内の市町村指定有形文化財]]
[[Category:清水区の建築物]]
[[Category:東海大学]]

2023年9月3日 (日) 17:54時点における最新版

鉄舟寺
所在地 静岡県静岡市清水区村松2188
位置 北緯34度59分33.6秒 東経138度28分59.0秒 / 北緯34.992667度 東経138.483056度 / 34.992667; 138.483056座標: 北緯34度59分33.6秒 東経138度28分59.0秒 / 北緯34.992667度 東経138.483056度 / 34.992667; 138.483056
山号 補陀落山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
本尊 千手観音菩薩
文化財 法華経 19巻(国宝
錫杖重要文化財)ほか
法人番号 5080005003457 ウィキデータを編集
鉄舟寺の位置(静岡県内)
鉄舟寺
鉄舟寺
鉄舟寺 (静岡県)
テンプレートを表示

鉄舟寺(てっしゅうじ)は、静岡県静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派寺院。山号は補陀落山。本尊は千手観音菩薩

歴史

[編集]

推古天皇の御代に秦氏の出身である久能忠仁現在の久能山東照宮付近に建立した堂に始まり、その後奈良時代の僧行基が来山して久能寺と号したという(『久能寺縁起』)。平安時代に入って天台宗に改められ、建穂寺と駿河を二分する勢いで栄えた。1570年永禄13年)武田信玄が久能山に城を作る(久能城)ため現在地に移され、宗旨も変わり新義真言宗(真言宗根来派)に属することになる。

江戸時代には朱印寺領として200余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住(住職がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。

その後、旧幕臣で明治以降に静岡藩権大参事も務めたこともある山岡鉄舟が、臨済寺から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。そのため鉄舟の書跡の遺品も多い。

文化財等

[編集]

国宝

[編集]
久能寺経(19巻のうち薬王品)
現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。現在は東京国立博物館寄託永治2年(1142年待賢門院出家に際して、鳥羽法皇美福門院をはじめ、近臣や女房らが加わった、逆修供養のために結縁書写された。元は法華経二十八品に開教と結経を加えた三十巻か、或いは更に『阿弥陀経』『般若心経』を加えた三十二巻本だったと想定される。鉄舟寺にはそのうち17巻分伝わっており、他に五島美術館に2巻(重文)、東京国立博物館に3巻(重文)、個人に4巻(国宝[1])の計26巻が現存している。鉄舟寺所蔵品の員数は19巻だが、そのうち陀羅尼品第二十六と普賢菩薩勧発品第二十八の2巻は補配本と見なされる。
なぜこのように立派な経典が都から遠く離れた地に納められたのか、は不明である。諸説として、京の戦乱を避けるため東国武士によって移された、鳥羽法皇の離宮であった安楽寿院や上皇がしばしば詣でた熊野三山と久能寺との関係性、などが挙げられている。
「譬喩品」は待賢門院自らの結縁によるもので、その写経の筆者は近侍の女房中納言の弟で、当代屈指の能書で知られた藤原定信。また、書写名は不明だが「安楽行品」の書は穏やかで優美な行書気味の書風で、当時の能書の中でも特に優れた人物の手になる。

重要文化財(国指定)

[編集]
1142年作の錫杖(重要文化財)。
  • 錫杖 銘「康治元年九月八日久能寺念空」あり、1142年の作。

県指定文化財

[編集]
  • 木造千手観音像(観音堂)
  • 木造蘭陵王仮面 伝赤鶴(しゃくつる)作

市指定文化財

[編集]
  • 薄墨の笛
源義経が牛若丸と呼ばれていた頃から愛用していたとされる龍笛。平安時代末期に義経により鉄舟寺の前身である久能寺に寄進された。昭和52年に静岡市指定文化財に指定されている。
通常笛は公開されていないが、清水市や笛の音色に魅せられた人々による基金によって1998年に「平成の補修」と呼ばれる補修がなされた後、義経の供養、楽器としての笛の保全などを目的として、鉄舟寺他、各地で演奏会が開催されている。毎回演奏は日本を代表する笛奏者・赤尾三千子に託されている。

その他

[編集]

学生寮

[編集]
  • 1943年、東海大学の前身である航空科学専門学校が清水区三保に開校した際、物理科の学生寮として一部を提供した[2]。それ以来、東海大学とは縁が深い関係にある。また、東海大学の各キャンパスで開催される建学祭の際に灯す「建学の火」が、各キャンパスにシンボルとして運ばれている[3]

所在地・アクセス

[編集]

周辺

[編集]

参考資料

[編集]
  • フェルケール博物館・清水市教育委員会編『特別企画 鉄舟寺展(旧久能寺宝物展)』清水港湾博物館、2001年
  • 良知文苑 『国宝 久能寺経の歳月 ─駿州秘抄─』和泉書院、2008年 ISBN 978-4-7576-0483-4

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]