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{{Infobox baseball player
'''ボブ・ブーン'''('''Robert Raymond Boone''' , [[1947年]][[11月19日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で活躍した野球選手。
|選手名 = ボブ・ブーン
[[捕手]]。右投右打。アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]出身。
|英語表記 = Bob Boone

|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = 2012 08 11 010 Bob Boone.JPG
|写真のコメント =
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = [[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1947|11|19}}
|没年月日 =
|身長 =
|体重 =
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = [[捕手]]
|プロ入り年度 = 1969年
|ドラフト順位 = ドラフト6巡目
|初出場 = 1972年9月10日
|最終出場 = 1990年9月27日
|年俸 =
|経歴 =
; 選手歴
:* [[スタンフォード大学]]
:* [[フィラデルフィア・フィリーズ]](1972 - 1981)
:* [[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]](1982 - 1988)
:* [[カンザスシティ・ロイヤルズ]](1989 - 1990)
; 監督・コーチ歴
:* [[シンシナティ・レッズ]](1994)
:* カンザスシティ・ロイヤルズ(1995 - 1997)
:* シンシナティ・レッズ(2001 - 2003)
}}
'''ロバート・レイモンド・ブーン'''('''Robert Raymond Boone''' , [[1947年]][[11月19日]] - )は[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の元選手([[捕手]])。右投右打。[[アメリカ合衆国]]・[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]出身。


== 人物・来歴 ==
== 人物・来歴 ==
スタンフォード大学を卒業し、[[1969年]]のドラフトで[[フィラデルフィア・フィリーズ]]から6巡目に指名され、入団。
[[スタンフォード大学]]を卒業し、{{by|1969年}}のドラフトで[[フィラデルフィア・フィリーズ]]から6巡目に指名され、入団。{{by|1972年}}[[9月10日]]にメジャーデビューを果たす

[[1972年]][[9月10日]]にメジャーデビューを果たす。
打撃面では、本塁打は最多でも12、打点は66、打率は最高でも.286とそれほどの数字を残したわけではなかったが、卓越した守備力と強肩、リードでリーグを代表する捕手となる。
打撃面では、本塁打は最多でも12、打点は66、打率は最高でも.295とそれほどの数字を残したわけではなかったが、卓越した守備力と強肩、リードでリーグを代表する捕手となる。{{by|1976年}}に初のオールスター出場を果たし、以後通算4回出場。{{by|1977年}}には年間わずか3回しか[[パスボール]]をしなかった。{{by|1978年}}に[[ゴールドグラブ賞]]を受賞し、以後通算7回受賞

[[1976年]]に初のオールスター出場を果たし、以後通算4回出場。
{{by|1981年}}に[[1981年のMLBストライキ|50日間に及ぶストライキ]]によるシーズン中断・短縮もあったが76試合の出場で.211の低打率に終わり、35歳の年齢もあって[[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]]に放出されるが、新天地で息を吹き返し、この後{{by|1989年}}まで120 - 150試合の出場を続けた。特に、39歳の{{by|1986年}}から4年連続でゴールドグラブ賞を受賞。1989年に[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]に移籍し、{{by|1990年}}限りで現役を引退。
[[1977年]]には年間わずか3回しかパスボールをしなかった。

[[1978年]]に[[ゴールドグラブ賞]]を受賞し、以後通算7回受賞。
捕手としての通算2,225試合出場は当時メジャー最多記録であったが、後年[[カールトン・フィスク]]に更新され、現在はさらに[[イバン・ロドリゲス]]が更新している。


現役引退後、{{by|1994年}}に[[シンシナティ・レッズ]]でコーチ、{{by|1995年}}から{{by|1997年}}途中までロイヤルズで、{{by|2001年}}から{{by|2003年}}途中までレッズで監督を務めた。しかし一度もシーズン勝ち越しをできず、いずれのチームでも最終年はシーズン途中で解任された。
[[1981年]]に、ストライキによるシーズン中断・短縮もあったが76試合の出場で.211の低打率に終わり、35歳の年齢もあって[[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]]に放出されるが、新天地で息を吹き返し、この後[[1989年]]まで120~150試合の出場を続けた。
特に、39歳の[[1986年]]から4年連続でゴールドグラブ賞を受賞。
[[1989年]]に[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]に移籍し、[[1990年]]限りで現役を引退。
捕手としての通算2,225試合出場は当時メジャー歴代記録であったが、後年[[カールトン・フィスク]]に更新された。


現役引退後、[[1995年]]から[[1997年]]途中までロイヤルズで、[[2001年]]から[[2003年]]途中まで[[シンシナティ・レッズ]]で監督を務めた。
しかし一度もシーズン勝ち越しをできず、いずれのチームでも最終年はシーズン途中で解任された。
現在は[[ワシントン・ナショナルズ]]でGM補佐兼球団副社長を務める。
現在は[[ワシントン・ナショナルズ]]でGM補佐兼球団副社長を務める。


==親子三代メジャーリーガー==
==親子三代メジャーリーガー==
父は[[1950年代]]に[[デトロイト・タイガース]]等で主に[[三塁手]]として活躍した[[レイ・ブーン]]。
父は[[1950年代]]に[[デトロイト・タイガース]]等で主に[[三塁手]]として活躍した[[レイ・ブーン]]。息子は[[シアトル・マリナーズ]]等で[[二塁手]]として活躍した[[ブレット・ブーン]]と[[シンシナティ・レッズ]]等で三塁手として活躍した[[アーロン・ブーン]]。
息子は[[シンシナティ・レッズ]]、[[シアトル・マリナーズ]]で[[二塁手]]として活躍した[[ブレット・ブーン]]と[[フロリダ・マーリンズ]]に所属する(現役の)[[アーロン・ブーン]]。
つまり、ボブを含んで'''親子孫と三世代でメジャーでプレイした最初のファミリー'''となった。
四人全員が[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]に出場した。


つまり、ボブを含んで'''親子孫と三世代でメジャーでプレイした最初のファミリー'''となった。4人全員が[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]に出場した。
==ブーン・ファミリー通算成績==


他の三代メジャーリーガーは下記の2組である。
*ベル一家(父[[ガス・ベル]]、子[[バディ・ベル]]、孫[[デビッド・ベル]]&[[マイク・ベル (三塁手)|マイク・ベル]])
*ヘアストン一家(父[[サミー・ヘアストン]]、子[[ジェリー・ヘアストン・シニア]]&[[ジョニー・ヘアストン]]、孫[[ジェリー・ヘアストン・ジュニア]]&[[スコット・ヘアストン]]…孫二人はいずれもジェリー・シニアの子)
*スコフィールド・ワース一家(父[[ディッキー・スコフィールド]]、子[[ディック・スコフィールド]]、義子(娘婿)[[デニス・ワース]]、孫[[ジェイソン・ワース]])

==ブーン・ファミリー通算成績==
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; text-align: right;"
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; text-align: right;"
|-
|-
!名前!!現役年!!主な守<br/>備位置!![[試合]]!![[安打]]!![[本塁打]]!![[打点]]!![[盗塁]]!![[打率]]
!名前!!現役年!!主な守<br />備位置!![[試合]]!![[安打]]!![[本塁打]]!![[打点]]!![[盗塁]]!![[打率]]
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[レイ・ブーン]](父)
|style="text-align: center;"|[[レイ・ブーン]](父)
|style="text-align: center;"|[[1948年]][[1960年]]||[[三塁手]]||1,373||1,260||151||608||21||.275
|style="text-align: center;"|[[1948年]] - [[1960年]]||[[三塁手]]||1,373||1,260||151||737||21||.275
|-
|-
|style="text-align: center;"|'''ボブ・ブーン'''(父)
|style="text-align: center;"|ボブ・ブーン
|style="text-align: center;"|[[1972年]][[1990年]]||[[捕手]]||2,264||1,838||105||826||38||.254
|style="text-align: center;"|[[1972年]] - [[1990年]]||[[捕手]]||2,264||1,838||105||826||38||.254
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[ブレット・ブーン]](
|style="text-align: center;"|[[ブレット・ブーン]](
|style="text-align: center;"|[[1992年]][[2005年]]||[[二塁手]]||1,780||1,775||252||1,021||94||.266
|style="text-align: center;"|[[1992年]] - [[2005年]]||[[二塁手]]||1,780||1,775||252||1,021||94||.266
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[アーロン・ブーン]](
|style="text-align: center;"|[[アーロン・ブーン]](
|style="text-align: center;"|[[1997年]]~現役||[[三塁手]]||969||909||115||499||105||.264
|style="text-align: center;"|[[1997年]] - [[2009年]]||[[三塁手]]||1,152||1,017||126||555||107||.263
|-
|-
|}
|}
※アーロンの成績は2006年終了時点。


== 詳細情報 ==

=== 年度別打撃成績 ===
==受賞歴・記録==
{|{{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
*[[ゴールドグラブ賞]]7回([[1978年]]、[[1979年]]、[[1982年]]、[[1986年]]~[[1989年]])
*[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場4回([[1976年]]、[[1978年]]、[[1979年]]、[[1982年]])

==年度別打撃成績==
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; text-align: right;"
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1972}}
!年!!球団!![[試合]]!![[打数]]!![[得点]]!![[安打]]!![[二塁打]]!![[三塁打]]!![[本塁打]]!![[打点]]!![[塁打]]!![[四球]]!![[三振]]!![[盗塁]]!![[打率]]
|rowspan="10" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[フィラデルフィア・フィリーズ|PHI]]
|16||57||51||4||14||1||0||1||18||4||1||0||0||1||5||2||0||7||2||.275||.333||.353||.686
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1972年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1973}}
|145||575||521||42||136||20||2||10||190||61||3||4||5||8||41||8||0||36||7||.261||.311||.365||.676
|style="text-align: center;"|[[フィラデルフィア・フィリーズ|PHI]]||16||51||4||14||1||0||1||4||18||5||7||1||.275
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1973年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1974}}
|146||541||488||41||118||24||3||3||157||52||3||1||9||5||35||9||4||29||16||.242||.295||.322||.617
|style="text-align: center;"|PHI||145||521||42||136||20||2||10||61||190||41||36||3||.261
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1974年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1975}}
|style="text-align: center;"|PHI||146||488||41||118||24||3||3||52||157||35||29||3||.242
|97||329||289||28||71||14||2||2||95||20||1||3||6||1||32||6||1||14||8||.246||.322||.329||.651
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1975年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1976}}
|style="text-align: center;"|PHI||97||289||28||71||14||2||2||20||95||32||14||1||.246
|121||418||361||40||98||18||2||4||132||54||2||5||4||7||45||14||1||44||10||.271||.348||.366||.714
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1976年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1977}}
|style="text-align: center;"|PHI||121||361||40||98||18||2||4||54||132||45||44||2||.271
|132||495||440||55||125||26||4||11||192||66||5||5||3||8||42||5||2||54||8||.284||.343||.436||.779
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1977年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1978}}
|style="text-align: center;"|PHI||132||440||55||125||26||4||11||66||192||42||54||5||.284
|132||495||435||48||123||18||4||12||185||62||2||5||5||8||46||10||1||37||13||.283||.347||.425||.772
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1978年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1979}}
|style="text-align: center;"|PHI||132||435||48||123||18||4||12||62||185||46||37||2||.283
|119||454||398||38||114||21||3||9||168||58||1||4||4||1||49||9||2||33||9||.286||.367||.422||.789
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1979年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1980}}
|style="text-align: center;"|PHI||119||398||38||114||21||3||9||58||168||49||33||1||.286
|141||535||480||34||110||23||1||9||162||55||3||4||4||2||48||12||1||41||9||.229||.299||.338||.637
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1980年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1981}}
|style="text-align: center;"|PHI||141||480||34||110||23||1||9||55||162||48||41||3||.229
|76||253||227||19||48||7||0||4||67||24||2||2||2||2||22||2||0||16||6||.211||.279||.295||.574
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1981年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1982}}
|style="text-align: center;"|PHI||76||227||19||48||7||0||4||24||67||22||16||2||.211
|rowspan="7" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[ロサンゼルス・エンゼルス|CAL]]
|143||539||472||42||121||17||0||7||159||58||0||2||23||5||39||2||0||34||9||.256||.310||.337||.647
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1982年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1983}}
|style="text-align: center;"|[[ロサンゼルス・エンゼルス|CAL]]||143||472||42||121||17||0||7||58||159||39||34||0||.256
|142||509||468||46||120||18||0||9||165||52||4||3||10||7||24||1||0||42||19||.256||.289||.353||.642
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1983年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1984}}
|139||486||450||33||91||16||1||3||118||32||3||3||6||5||25||1||0||45||11||.202||.242||.262||.504
|style="text-align: center;"|CAL||142||468||46||120||18||0||9||52||165||24||42||4||.256
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1984年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1985}}
|style="text-align: center;"|CAL||139||450||33||91||16||1||3||32||118||25||45||3||.202
|150||520||460||37||114||17||0||5||146||55||1||2||16||4||37||2||3||35||12||.248||.306||.317||.623
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1985年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1986}}
|style="text-align: center;"|CAL||150||460||37||114||17||0||5||55||146||37||35||1||.248
|144||503||442||48||98||12||2||7||135||49||1||0||12||6||43||1||0||30||15||.222||.287||.305||.592
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1986年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1987}}
|style="text-align: center;"|CAL||144||442||48||98||12||2||7||49||135||43||30||1||.222
|128||442||389||42||94||18||0||3||121||33||0||2||14||3||35||0||1||36||10||.242||.304||.311||.615
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1987年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1988}}
|style="text-align: center;"|CAL||128||389||42||94||18||0||3||33||121||35||36||0||.242
|122||392||352||38||104||17||0||5||136||39||2||2||9||0||29||2||2||26||9||.295||.352||.386||.738
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1988年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1989}}
|style="text-align: center;"|CAL||1232||352||38||104||17||0||5||39||136||29||26||2||.295
|rowspan="2" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[カンザスシティ・ロイヤルズ|KC]]
|131||469||405||33||111||13||2||1||131||43||3||2||8||5||49||4||2||37||16||.274||.351||.323||.674
|-
|-
|style="text-align: center;"|[[1989年]]
|style="text-align:center;"|{{by2|1990}}
|40||136||117||11||28||3||0||0||31||9||1||1||2||0||17||0||0||12||2||.239||.336||.265||.601
|style="text-align: center;"|[[カンザスシティ・ロイヤルズ|KC]]||131||405||33||111||13||2||1||43||131||49||37||3||.274
|-
|-
!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:19年
|style="text-align: center;"|[[1990年]]
|2264||8148||7245||679||1838||303||26||105||2508||826||38||50||142||78||663||90||20||608||191||.254||.315||.346||.661
|style="text-align: center;"|KC||40||117||11||28||3||0||0||9||31||17||12||1||.239
|-
!通算
|19年||2264||7245||679||1838||303||26||105||826||2508||663||38||50||.254
|}
|}


==監督成績==
=== 表彰 ===
*[[ゴールドグラブ賞]]7回([[1978年]]、[[1979年]]、[[1982年]]、[[1986年]] - [[1989年]])

=== 記録 ===
*[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場4回([[1976年のMLBオールスターゲーム|1976年]]、[[1978年のMLBオールスターゲーム|1978年]]、[[1979年のMLBオールスターゲーム|1979年]]、[[1982年のMLBオールスターゲーム|1982年]])


=== 監督成績 ===
{|border="1" cellspacing="0" style="text-align:center"
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; text-align: center;"
|- style="background-color:#EEEEEE"
![[年度]]!![[チーム]]!![[地区]]!![[年齢]]!![[試合]]!![[勝利]]!![[敗戦]]!![[勝率]]!![[順位]]/チーム数!![[備考]]
|-
|-
![[年度]]!![[チーム]]!![[地区]]!![[年齢]]!![[試合]]!![[勝利]]!![[敗戦]]!![[勝率]]!!順位/チーム数!!備考
|[[1995年]]|||[[カンザスシティ・ロイヤルズ|KC]]||AL CENTRAL||47||144||70||74||.486||2 / 5||||ストライキのため4月下旬開幕
|-
|-
|{{mlby|1995}}||[[カンザスシティ・ロイヤルズ|KC]]||[[アメリカンリーグ中地区|AL 中]]||47||144||70||74||.486||2 / 5||ストライキのため4月下旬開幕
|[[1996年]]|||KC||AL CENTRAL||48||161||75||86||.466||5 / 5|| 
|-
|-
|[[1997年]]|||KC||AL CENTRAL||49||82||36||46||.439||5 / 5||途中解任、順位は最終順位
|{{mlby|1996}}|||KC||AL ||48||161||75||86||.466||5 / 5|| 
|-
|-
|{{mlby|1997}}|||KC||AL 中||49||82||36||46||.439||5 / 5||途中解任、順位は最終順位
|[[2001年]]|||[[シンシナティ・レッズ|CIN]]||NL CENTRAL||53||162||66||96||.407||5 / 6|| 
|-
|-
|[[2002年]]|||CIN||NL CENTRAL||54||162||78||84||.481||3 / 6|| 
|{{mlby|2001}}|||[[シンシナティ・レッズ|CIN]]||[[ナショナルリーグ中地区|NL 中]]||53||162||66||96||.407||5 / 6|| 
|-
|-
|[[2003年]]|||CIN||NL CENTRAL||55||104||46||58||.442||5 / 6||途中解任、順位は最終順位
|{{mlby|2002}}|||CIN||NL ||54||162||78||84||.481||3 / 6|| 
|-
|{{mlby|2003}}|||CIN||NL 中||55||104||46||58||.442||5 / 6||途中解任、順位は最終順位
|-
|-
|通算||| ||26年|| ||815||371||444||.455|| || 
|通算||| ||26年|| ||815||371||444||.455|| || 
|}
|}


==外部リンク==
{{MLBstats |mlb= |espn= | br=b/boonebo01 | fangraphs=1001183 | cube=Bob-Boone}}
{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録
|list1=
</span>
{{ナショナルリーグ ゴールドグラブ賞 (捕手)}}
{{アメリカンリーグ ゴールドグラブ賞 (捕手)}}
}}
{{カンザスシティ・ロイヤルズ歴代監督}}
{{シンシナティ・レッズ歴代監督}}
{{Philadelphia Phillies}}
{{1980 フィラデルフィア・フィリーズ}}


{{Baseball-biography-stub}}

==エピソード==
*ゴールドグラブ賞を受賞できなかった1983年~85年は[[デトロイト・タイガース]]の[[ランス・パリッシュ]]が獲得した。[[1989年]]のロイヤルズへの移籍は、フィリーズに移籍していたパリッシュがエンゼルスに移籍するための玉突き状態の移籍だった。
*レッズ監督時代には、息子アーロンがレッズでプレイしていた。[[2002年]]には全162試合に出場し、26本塁打、87打点と活躍。

==関連項目==
*[[スティーブ・カールトン]]
*[[マイク・シュミット]]
*[[レジー・ジャクソン]]
*[[ドン・サットン]]



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[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
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[[en:Bob Boone]]

2023年9月7日 (木) 07:17時点における最新版

ボブ・ブーン
Bob Boone
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンディエゴ
生年月日 (1947-11-19) 1947年11月19日(76歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1969年 ドラフト6巡目
初出場 1972年9月10日
最終出場 1990年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ロバート・レイモンド・ブーンRobert Raymond Boone , 1947年11月19日 - )はMLBの元選手(捕手)。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。

人物・来歴

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スタンフォード大学を卒業し、1969年のドラフトでフィラデルフィア・フィリーズから6巡目に指名され、入団。1972年9月10日にメジャーデビューを果たす。

打撃面では、本塁打は最多でも12、打点は66、打率は最高でも.295とそれほどの数字を残したわけではなかったが、卓越した守備力と強肩、リードでリーグを代表する捕手となる。1976年に初のオールスター出場を果たし、以後通算4回出場。1977年には年間わずか3回しかパスボールをしなかった。1978年ゴールドグラブ賞を受賞し、以後通算7回受賞。

1981年50日間に及ぶストライキによるシーズン中断・短縮もあったが76試合の出場で.211の低打率に終わり、35歳の年齢もあってカリフォルニア・エンゼルスに放出されるが、新天地で息を吹き返し、この後1989年まで120 - 150試合の出場を続けた。特に、39歳の1986年から4年連続でゴールドグラブ賞を受賞。1989年にカンザスシティ・ロイヤルズに移籍し、1990年限りで現役を引退。

捕手としての通算2,225試合出場は当時メジャー最多記録であったが、後年カールトン・フィスクに更新され、現在はさらにイバン・ロドリゲスが更新している。

現役引退後、1994年シンシナティ・レッズでコーチ、1995年から1997年途中までロイヤルズで、2001年から2003年途中までレッズで監督を務めた。しかし一度もシーズン勝ち越しをできず、いずれのチームでも最終年はシーズン途中で解任された。

現在はワシントン・ナショナルズでGM補佐兼球団副社長を務める。

親子三代メジャーリーガー

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父は1950年代デトロイト・タイガース等で主に三塁手として活躍したレイ・ブーン。息子はシアトル・マリナーズ等で二塁手として活躍したブレット・ブーンシンシナティ・レッズ等で三塁手として活躍したアーロン・ブーン

つまり、ボブを含んで親子孫と三世代でメジャーでプレイした最初のファミリーとなった。4人全員がオールスターに出場した。

他の三代メジャーリーガーは下記の2組である。

ブーン・ファミリー通算成績

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名前 現役年 主な守
備位置
試合 安打 本塁打 打点 盗塁 打率
レイ・ブーン(父) 1948年 - 1960年 三塁手 1,373 1,260 151 737 21 .275
ボブ・ブーン 1972年 - 1990年 捕手 2,264 1,838 105 826 38 .254
ブレット・ブーン(子) 1992年 - 2005年 二塁手 1,780 1,775 252 1,021 94 .266
アーロン・ブーン(子) 1997年 - 2009年 三塁手 1,152 1,017 126 555 107 .263

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1972 PHI 16 57 51 4 14 1 0 1 18 4 1 0 0 1 5 2 0 7 2 .275 .333 .353 .686
1973 145 575 521 42 136 20 2 10 190 61 3 4 5 8 41 8 0 36 7 .261 .311 .365 .676
1974 146 541 488 41 118 24 3 3 157 52 3 1 9 5 35 9 4 29 16 .242 .295 .322 .617
1975 97 329 289 28 71 14 2 2 95 20 1 3 6 1 32 6 1 14 8 .246 .322 .329 .651
1976 121 418 361 40 98 18 2 4 132 54 2 5 4 7 45 14 1 44 10 .271 .348 .366 .714
1977 132 495 440 55 125 26 4 11 192 66 5 5 3 8 42 5 2 54 8 .284 .343 .436 .779
1978 132 495 435 48 123 18 4 12 185 62 2 5 5 8 46 10 1 37 13 .283 .347 .425 .772
1979 119 454 398 38 114 21 3 9 168 58 1 4 4 1 49 9 2 33 9 .286 .367 .422 .789
1980 141 535 480 34 110 23 1 9 162 55 3 4 4 2 48 12 1 41 9 .229 .299 .338 .637
1981 76 253 227 19 48 7 0 4 67 24 2 2 2 2 22 2 0 16 6 .211 .279 .295 .574
1982 CAL 143 539 472 42 121 17 0 7 159 58 0 2 23 5 39 2 0 34 9 .256 .310 .337 .647
1983 142 509 468 46 120 18 0 9 165 52 4 3 10 7 24 1 0 42 19 .256 .289 .353 .642
1984 139 486 450 33 91 16 1 3 118 32 3 3 6 5 25 1 0 45 11 .202 .242 .262 .504
1985 150 520 460 37 114 17 0 5 146 55 1 2 16 4 37 2 3 35 12 .248 .306 .317 .623
1986 144 503 442 48 98 12 2 7 135 49 1 0 12 6 43 1 0 30 15 .222 .287 .305 .592
1987 128 442 389 42 94 18 0 3 121 33 0 2 14 3 35 0 1 36 10 .242 .304 .311 .615
1988 122 392 352 38 104 17 0 5 136 39 2 2 9 0 29 2 2 26 9 .295 .352 .386 .738
1989 KC 131 469 405 33 111 13 2 1 131 43 3 2 8 5 49 4 2 37 16 .274 .351 .323 .674
1990 40 136 117 11 28 3 0 0 31 9 1 1 2 0 17 0 0 12 2 .239 .336 .265 .601
MLB:19年 2264 8148 7245 679 1838 303 26 105 2508 826 38 50 142 78 663 90 20 608 191 .254 .315 .346 .661

表彰

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記録 

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監督成績

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年度 チーム 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考
1995 KC AL 中 47 144 70 74 .486 2 / 5 ストライキのため4月下旬開幕
1996 KC AL 中 48 161 75 86 .466 5 / 5  
1997 KC AL 中 49 82 36 46 .439 5 / 5 途中解任、順位は最終順位
2001 CIN NL 中 53 162 66 96 .407 5 / 6  
2002 CIN NL 中 54 162 78 84 .481 3 / 6  
2003 CIN NL 中 55 104 46 58 .442 5 / 6 途中解任、順位は最終順位
通算 26年   815 371 444 .455    

外部リンク

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