コンテンツにスキップ

「李河一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(3人の利用者による、間の5版が非表示)
5行目: 5行目:
|画像説明 =
|画像説明 =
|国略称 = {{PRK}}
|国略称 = {{PRK}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1935||}}
|生年月日 = [[1928]][[11]]
|出生地 = {{KOR1910}}[[咸鏡南道 (日本統治時代)|咸鏡南道]]
|出生地 = {{KOR1910}}[[咸鏡南道 (日本統治時代)|咸鏡南道]]
|没年月日 =
|没年月日 = [[2021年]][[8月1日]]
|死没地 =
|死没地 =
|出身校 =
|出身校 =
44行目: 44行目:
alphabet-type=[[英語]]表記|
alphabet-type=[[英語]]表記|
alphabet=Ri Ha-il|
alphabet=Ri Ha-il|
hangeul=리하일|
hanja=李夏一|
hanja=李夏一|
katakana=リ・ハイル|
katakana=リ・ハイル|
|chosŏn'gŭl=리하일}}
}}
'''李 河一'''(李夏一、リ・ハイル、{{lang-ko|리하일}}、[[1935年]] - )は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[軍人]]、[[政治家]]。[[朝鮮労働党中央軍事委員会]]委員、[[朝鮮労働党中央委員会]]委員、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]]委員、[[朝鮮労働党]]軍事部長、[[人民武力部]]作戦局長などを歴任。[[朝鮮人民軍]]における軍事称号([[朝鮮人民軍の階級|階級]])は次帥。
'''李 河一'''(李夏一、リ・ハイル、{{lang-ko|리하일}}、[[1928]][[1月1日]] -[[2021年]][[8月1日]] )は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[軍人]]、[[政治家]]。[[朝鮮労働党中央軍事委員会]]委員、[[朝鮮労働党中央委員会]]委員、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]]委員、[[朝鮮労働党]]軍事部長、[[人民武力部]]作戦局長などを歴任。[[朝鮮人民軍]]における軍事称号([[朝鮮人民軍の階級|階級]])は次帥。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
1935、[[日本統治時代の朝鮮]][[咸鏡南道 (日本統治時代)|咸鏡南道]](現在の[[両江道]])に産まれる。[[万景台革命学院]]卒業後、[[ソ連]]に留学。[[1975年]]に朝鮮人民軍第525部隊司令官に就任。[[1979年]]には第8軍団長に就任。[[1980年]]には[[朝鮮労働党中央委員会]]委員に選出された。[[1982年]]には[[最高人民会議]]第7期代議員、[[朝鮮労働党中央軍事委員会]]委員、朝鮮労働党軍事部長に選出された。[[1990年]]には最高人民会議第9期第1回会議で[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]]委員に選出された。[[1992年]]には大将に昇進。[[1994年]]には[[金日成]][[朝鮮民主主義人民共和国主席|主席]]の葬儀委員会委員に選出された。
1928年に産まれる。[[万景台革命学院]]卒業後、[[ソ連]]に留学。[[1975年]]に朝鮮人民軍第525部隊司令官に就任。[[1979年]]には第8軍団長に就任。[[1980年]]には[[朝鮮労働党中央委員会]]委員に選出された。[[1982年]]には[[最高人民会議]]第7期代議員、[[朝鮮労働党中央軍事委員会]]委員、朝鮮労働党軍事部長に選出された。[[1990年]]には最高人民会議第9期第1回会議で[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]]委員に選出された。[[1992年]]には大将に昇進。[[1994年]]には[[金日成]][[朝鮮民主主義人民共和国主席|主席]]の葬儀委員会委員に選出された。


[[1995年]]には次師に昇進。[[1998年]]の最高人民会議第10期第1回会議で国防委員会委員を解任された。[[2003年]]の最高人民会議第11期選挙では選出されなかった。[[2010年]]には党中央軍事委員会委員、党中央委員会委員を解任された<ref>[https://jp.yna.co.kr/view/AJP20100929002900882?section=search 北が労働党幹部を大幅入れ替え、世代交代に着手か] 聯合ニュース 2010年9月29日</ref>。この人事は[[金正日]]世代から[[金正恩]]世代への交代人事とされる。
[[1995年]]には次師に昇進。[[1998年]]の最高人民会議第10期第1回会議で国防委員会委員を解任された。[[2003年]]の最高人民会議第11期選挙では選出されなかった。[[2010年]]には党中央軍事委員会委員、党中央委員会委員を解任された<ref>[https://jp.yna.co.kr/view/AJP20100929002900882?section=search 北が労働党幹部を大幅入れ替え、世代交代に着手か] 聯合ニュース 2010年9月29日</ref>。この人事は[[金正日]]世代から[[金正恩]]世代への交代人事とされる。

[[2021年]][[8月1日]]に死亡したことが2023年9月15日の[[朝鮮中央通信]]の報道によって明らかになった<ref>{{Cite web |title=조선중앙통신 {{!}} 기사 {{!}} 신미리애국렬사릉에 렬사들의 유해 새로 안치 |url=http://www.kcna.kp/kp/article/q/ba71b3bc36fc37309ebaf245efdfc578.kcmsf |website=www.kcna.kp |access-date=2023-09-14}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
70行目: 71行目:
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:金日成勲章受章者]]
[[Category:金日成勲章受章者]]
[[Category:金正日勲章受章者]]

2023年9月14日 (木) 23:15時点における最新版

李河一
리하일
生年月日 1928年1月1日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道
没年月日 2021年8月1日
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章金正日勲章

当選回数 4回
在任期間 1982年11月 - 2003年8月
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年

その他の職歴
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員
1990年5月 - 1998年7月
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央軍事委員会委員
1992年1月 - 2010年9月
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員
1980年10月 - 2010年9月
テンプレートを表示
李河一
各種表記
チョソングル 리하일
漢字 李夏一
発音 リ・ハイル
英語表記: Ri Ha-il
テンプレートを表示

李 河一(李夏一、リ・ハイル、朝鮮語: 리하일1928年1月1日 -2021年8月1日 )は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員、朝鮮労働党軍事部長、人民武力部作戦局長などを歴任。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。

経歴[編集]

1928年に産まれる。万景台革命学院卒業後、ソ連に留学。1975年に朝鮮人民軍第525部隊司令官に就任。1979年には第8軍団長に就任。1980年には朝鮮労働党中央委員会委員に選出された。1982年には最高人民会議第7期代議員、朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮労働党軍事部長に選出された。1990年には最高人民会議第9期第1回会議で朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員に選出された。1992年には大将に昇進。1994年には金日成主席の葬儀委員会委員に選出された。

1995年には次師に昇進。1998年の最高人民会議第10期第1回会議で国防委員会委員を解任された。2003年の最高人民会議第11期選挙では選出されなかった。2010年には党中央軍事委員会委員、党中央委員会委員を解任された[1]。この人事は金正日世代から金正恩世代への交代人事とされる。

2021年8月1日に死亡したことが2023年9月15日の朝鮮中央通信の報道によって明らかになった[2]

脚注[編集]

  1. ^ 北が労働党幹部を大幅入れ替え、世代交代に着手か 聯合ニュース 2010年9月29日
  2. ^ 조선중앙통신 | 기사 | 신미리애국렬사릉에 렬사들의 유해 새로 안치”. www.kcna.kp. 2023年9月14日閲覧。

参考サイト[編集]