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「歴史小説」の版間の差分

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[[File:Gosselin Hugo 1831 Johannot.jpg|thumb|[[15世紀]]([[1482年]])を描いた[[ヴィクトル・ユーゴー]]『[[ノートルダム・ド・パリ]]』([[1938年]])]]
'''歴史小説'''(れきししょうせつ)は、主として歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリー、はその時代を設定して、その中での空想上の物語が書かれたものが展開される小説のことである。
'''歴史小説'''(れきししょうせつ)は、主として[[歴史]]上に実在した[[人物]]を用い、ほぼ[[史実]]に即したストーリー、またはその時代を設定して、その中での[[空想]]上の物語が書かれたものが展開される[[小説]]のことである。


== 歴史小説と時代小説 ==
== 歴史小説と時代小説 ==
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歴史小説は、主要な登場人物が歴史上実在した人物で、主要な部分はほぼ史実の通りに進められる。著者がその主人公の生き方や思想に感動したことによって物語が生まれ、主人公の行動あるいは言動に、著者が訴えたいモチーフが込められており、歴史を題材とした[[評価|評論]]的な趣が強い。[[山岡荘八]]の『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』や[[丹羽文雄]]の『[[親鸞]]』、『[[蓮如]]』などは典型的な歴史小説といえる。
歴史小説は、主要な登場人物が歴史上実在した人物で、主要な部分はほぼ史実の通りに進められる。著者がその主人公の生き方や思想に感動したことによって物語が生まれ、主人公の行動あるいは言動に、著者が訴えたいモチーフが込められており、歴史を題材とした[[評価|評論]]的な趣が強い。[[山岡荘八]]の『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』や[[丹羽文雄]]の『[[親鸞]]』、『[[蓮如]]』などは典型的な歴史小説といえる。


これに対して時代小説は、『[[銭形平次]]』のように架空の人物を登場させるか、実在の人物を使っても史実と違った展開をする。[[徳川光圀]](水戸黄門)は実在の人物であるが、『[[水戸黄門|水戸黄門漫遊記]]』のように助さん・格さんの二人の子分を従え、諸国を巡り歩いて裁きをするなどというのは、史実と照らし合わせるとかなり荒唐無稽である。いくら「天下の副将軍」でも、[[大名]]が勝手に他の領主の領地に入ることは禁止されていたからである。つまり、史実や著者の訴えよりも面白さ、いわゆるエンターテインメント性を重要視したのが時代小説である。[[吉川英治]]の一連の作品や[[池波正太郎]]の『[[鬼平犯科帳]]』などは時代小説である。かつて「チャンバラ」と呼ばれた劇を「[[時代劇]]」というが、その小説版と見てもいい。
これに対して時代小説は、『[[銭形平次捕物控]]』のように架空の人物を登場させるか、実在の人物を使っても史実と違った展開をする。[[徳川光圀]](水戸黄門)は実在の人物であるが、『[[水戸黄門|水戸黄門漫遊記]]』のように助さん・格さんの二人の子分を従え、諸国を巡り歩いて裁きをするなどというのは、史実と照らし合わせるとかなり荒唐無稽である。いくら「天下の副将軍」でも、[[大名]]が勝手に他の領主の領地に入ることは禁止されていたからである。つまり、史実や著者の訴えよりも面白さ、いわゆるエンターテインメント性を重要視したのが時代小説である。[[吉川英治]]の一連の作品や[[池波正太郎]]の『[[鬼平犯科帳]]』などは時代小説である。かつて「チャンバラ」と呼ばれた劇を「[[時代劇]]」というが、その小説版と見てもいい。


== ジャンルの歴史 ==
== ジャンルの歴史 ==
{{Seealso|戦争文学}}
それ以前にも[[ウィリアム・シェイクスピア]]『[[ジョン王 (シェイクスピア)]]』『[[リチャード二世 (シェイクスピア)|リチャード二世]]』『[[ヘンリー四世 (シェイクスピア)|ヘンリー四世]]』『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』『[[ヘンリー六世 第1部]]』『[[ヘンリー六世 第2部]]』『[[ヘンリー六世 第3部]]』『[[リチャード三世 (シェイクスピア)]]』『[[ヘンリー八世 (シェイクスピア)|ヘンリー八世]]』や[[フリードリヒ・フォン・シラー]]『{{仮リンク|ヴァレンシュタイン (戯曲)|de|Wallenstein (Schiller)|en|Wallenstein (play)|label=ヴァレンシュタイン三部作}}』([[1799年]])などがいたが、[[19世紀]]初頭の[[スコットランド]]の小説家[[ウォルター・スコット]]はイギリス文学のみならず、西洋文学における歴史小説の先駆者である。[[1814年]]に発表された『{{仮リンク|ウェイヴァリー (小説)|en|Waverley (novel)|label=ウェイヴァリー}}』に続く一連の作品は多くの模倣者を生み出し、歴史小説という新しいジャンルを確立した。[[19世紀]]前半における[[ヨーロッパ]]の歴史小説ブームの背景には、[[フランス革命]]後、民主化の進む社会において、一般市民の居場所のある新しい[[歴史観]]が求められていたからとする説もある


歴史小説が出来る以前にも[[ウィリアム・シェイクスピア]]『[[ジョン王 (シェイクスピア)]]』『[[リチャード二世 (シェイクスピア)|リチャード二世]]』『[[ヘンリー四世 (シェイクスピア)|ヘンリー四世]]』『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』『[[ヘンリー六世 第1部]]』『[[ヘンリー六世 第2部]]』『[[ヘンリー六世 第3部]]』『[[リチャード三世 (シェイクスピア)]]』『[[ヘンリー八世 (シェイクスピア)|ヘンリー八世]]』や[[フリードリヒ・フォン・シラー]]『{{仮リンク|ヴァレンシュタイン (戯曲)|de|Wallenstein (Schiller)|en|Wallenstein (play)|label=ヴァレンシュタイン三部作}}』([[1799年]])などがいた。
そうした一群の作家には、[[エドワード・ブルワー=リットン]]『[[ポンペイ最後の日]]』([[1834年]]、[[イギリス]])、[[ニコライ・ゴーゴリ]]『{{仮リンク|タラス・ブーリバ|ru|Тарас Бульба|de|Taras Bulba (Erzählung)|en|Taras Bulba|label=隊長ブーリバ}}』([[1835年]]、[[ロシア]])、[[アレクサンドル・プーシキン]]『[[大尉の娘]]』([[1836年]]、[[ロシア]])[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]『[[王妃マルゴ]]』([[1845年]]、[[フランス]])、[[ギュスターヴ・フローベール]]『[[サランボー]]』([[1862年]]、[[フランス]])、[[レフ・トルストイ]]『[[戦争と平和]]』([[1869年]]、[[ロシア]])、[[ヴィクトル・ユーゴー]]『[[九十三年]]』([[1873年]]、[[フランス]])といった々たる大作家が含まれている。


[[19世紀]]初頭の[[スコットランド]]の小説家[[ウォルター・スコット]]はイギリス文学のみならず、西洋文学における歴史小説の先駆者である。[[1814年]]に発表された『{{仮リンク|ウェイヴァリー (小説)|en|Waverley (novel)|label=ウェイヴァリー}}』に続く一連の作品は多くの模倣者を生み出し、歴史小説という新しいジャンルを確立した。[[19世紀]]前半における[[ヨーロッパ]]の歴史小説ブームの背景には、[[フランス革命]]後、民主化の進む社会において、一般市民の居場所のある新しい[[歴史観]]が求められていたからとする説もある。
イギリスにおいては、歴史小説はその後ひとたび停滞するが、[[1880年代]]に再びその勢いを取り戻した。[[ヘンリク・シェンキェヴィチ]]『[[クォ・ヴァディス]]』([[1896年]]、[[ポーランド]])、[[イヴォ・アンドリッチ]]『[[ドリナの橋]]』([[1945年]]、[[ユーゴスラビア]])は、[[ノーベル文学賞]]を受賞した。

そうした一群の作家には、[[エドワード・ブルワー=リットン]]『[[ポンペイ最後の日 (ブルワー=リットンの小説)|ポンペイ最後の日]]』([[1834年]]、[[イギリス]])、[[ニコライ・ゴーゴリ]]『[[タラス・ブーリバ|隊長ブーリバ]]』([[1835年]]、[[ロシア]])、[[アレクサンドル・プーシキン]]『[[大尉の娘]]』([[1836年]]、[[ロシア]])[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]『ボルジア家風雲録』([[1839年]])『[[王妃マルゴ]]』([[1845年]]、[[フランス]])、[[チャールズ・ディケンズ]]『[[二都物語]]』([[1859年]]、[[イギリス]])、[[ギュスターヴ・フローベール]]『[[サランボー]]』([[1862年]]、[[フランス]])、[[ジョージ・エリオット]]『{{仮リンク|ロモラ|en|Romola}}』([[1862年]]、[[イギリス]])、[[レフ・トルストイ]]『{{仮リンク|セヴァストポリ物語|en|Sebastopol Sketches}}』([[1855年]])『[[戦争と平和]]』([[1869年]])『{{仮リンク|ハジ・ムラート (小説)|en|Hadji Murat (novel)|label=ハジ・ムラート}}』([[1912年]]、[[ロシア]])、[[ヴィクトル・ユーゴー]]『[[九十三年]]』([[1873年]]、[[フランス]])といった々たる大作家が含まれている。イギリスにおいては、歴史小説はその後ひとたび停滞するが、[[1880年代]]に再びその勢いを取り戻した

[[フェデリコ・デ・ロベルト]]『{{仮リンク|副王たち|it|I Viceré|fr|Les Vice-rois}}』([[1894年]])『{{仮リンク|至上権|it|L'Imperio}}』([[1929年]]、[[イタリア]])、[[ヨーゼフ・ロート]]『[[ラデツキー行進曲 (小説)|ラデツキー行進曲]]』([[1932年]]、[[オーストリア]])、[[シュテファン・ツヴァイク]]『{{仮リンク|マリー・アントワネット (評伝)|en|Marie Antoinette: The Portrait of an Average Woman|label=マリー・アントワネット}}』([[1933年]]、[[オーストリア]])、[[ハインリヒ・マン]]『{{仮リンク|アンリ四世の青春|de|Die Jugend des Königs Henri Quatre}}』([[1935年]]、[[ドイツ]])、[[サマセット・モーム]]『昔も今も』([[1946年]]、[[イギリス]])、[[ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ|トマージ・ディ・ランペドゥーサ]]『[[山猫 (イタリアの小説)|山猫]]』([[1958年]]、[[イタリア]])などが発表された。[[ヘンリク・シェンキェヴィチ]]『[[クォ・ヴァディス]]』([[1896年]]、[[ポーランド]])、[[イヴォ・アンドリッチ]]『[[ドリナの橋]]』([[1945年]]、[[ユーゴスラビア]])は、[[ノーベル文学賞]]を受賞した。

南米からは{{仮リンク|エウクリデス・ダ・クーニャ|pt|Euclides da Cunha|en|Euclides da Cunha}}『{{仮リンク|奥地の反乱|pt|Os Sertões|en|Os Sertões|label=奥地}}』([[1902年]]、[[ブラジル]])、[[C・L・R・ジェームズ]]『{{仮リンク|ブラック・ジャコバン|en|The Black Jacobins}}』([[1938年]]、[[トリニダード・トバゴ]])、[[マリオ・バルガス・リョサ]]『{{仮リンク|世界終末戦争|es|La guerra del fin del mundo|en|The War of the End of the World}}』([[1981年]]、[[ペルー]])が発表され、[[アレホ・カルペンティエル]]『{{仮リンク|この世の王国|en|The Kingdom of this World}}』([[1949年]]、[[キューバ]])は[[ラテンアメリカ文学]]「ブーム」をもたらした。

[[アフリカ文学]]では、[[ウォーレ・ショインカ]]『[[死と王の先導者]]』([[1959年]]、[[ナイジェリア]])、[[グギ・ワ・ジオンゴ]]『{{仮リンク|泣くな、わが子よ|en|Weep Not, Child}}』([[1964年]]、[[ケニア]])、[[ペペテラ]]『[[マヨンベ]]』([[1980年]]、[[アンゴラ]])、[[チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ]]『{{仮リンク|半分のぼった黄色い太陽|en|Half of a Yellow Sun}}』([[2007年]]、[[ナイジェリア]])が各国の戦争等を題材としている。[[ジョン・ブライリー]]『[[遠い夜明け]]』([[1987年]]、[[アメリカ合衆国]])は、[[スティーヴ・ビコ]]暗殺を描き、[[リチャード・アッテンボロー]]が映画化した。


=== 日本における歴史小説 ===
=== 日本における歴史小説 ===
[[第二次世界大戦]]以前は史実を踏まえて書かれた小説というものは少なく(ただし、舞台を過去に採った[[大衆小説]]や、史実を物語風に記述する[[史伝]]は盛んに執筆されていた)、また歴史を扱った文芸作品として[[江戸時代]]以来の[[講談]]の人気が強かったことも、歴史小説の勃興を遅らせる一因となった。その中でも[[島崎藤村]]の『[[夜明け前]]』は、歴史小説の白眉とされる。続いて、[[森外]]「歴史其儘」「歴史離れ」という2つの形態の歴史小説を執筆した。昭和期に[[吉川英治]]は多くの読者を獲得し、中でも「剣禅一如」の境地を求める主人公を描いた『[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]』は、戦争下において広く受け入れられ、大衆文学の転機となった。この他、[[子母澤寛]]は『[[父子鷹]]』『勝海舟』などを、[[寺島柾史]]は[[稗史]]物語の『日本海軍戰記 怒濤』 を発表した。
[[第二次世界大戦]]以前は史実を踏まえて書かれた小説というものは少なく(ただし、舞台を過去に採った[[大衆小説]]や、史実を物語風に記述する[[史伝]]は盛んに執筆されていた)、また歴史を扱った文芸作品として[[江戸時代]]以来の[[講談]]の人気が強かったことも、歴史小説の勃興を遅らせる一因となった。その中で大正期に[[森外]]「歴史其儘」「歴史離れ」という2つの形態の歴史小説を執筆昭和期に入り発表された[[島崎藤村]]の『[[夜明け前]]』は、歴史小説の白眉とされる。また[[吉川英治]]は多くの読者を獲得し、中でも「剣禅一如」の境地を求める主人公を描いた『[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]』は、戦争下において広く受け入れられ、大衆文学の転機となった。この他、[[子母澤寛]]は『[[父子鷹]]』『勝海舟』などを、[[寺島柾史]]は[[稗史]]物語の『[[日本海軍戰記 怒濤]]』 を発表した。


戦後、[[司馬遼太郎]]らによって歴史小説は大きく変化した。司馬は独自の視点から、『[[竜馬がゆく]]』『[[坂の上の雲]]』などの作品を発表、その後の歴史小説に大きな足跡を残すことになった。[[江戸川乱歩賞]]作家の[[陳舜臣]]は、中国史に題材を求めた『[[阿片戦争]]』などを書き、[[吉村昭]]は「[[記録小説]]」と呼ばれるジャンルを開拓した。女流作家として[[永井路子]]、[[杉本苑子]]、[[安西篤子]]らの活躍も目覚しかった。大物作家でも、吉川英治は『[[私本太平記]]』、[[海音寺潮五郎]]は『[[天と地と]]』などを発表した。中でも[[山岡荘八]]の『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』は、異例の長期新聞連載となり、空前の「家康ブーム」を巻き起こした。
戦後、[[司馬遼太郎]]らによって歴史小説は大きく変化した。司馬は独自の視点から、『[[竜馬がゆく]]』『[[坂の上の雲]]』などの作品を発表、その後の歴史小説に大きな足跡を残すことになった。[[江戸川乱歩賞]]作家の[[陳舜臣]]は、中国史に題材を求めた『[[阿片戦争]]』などを書き、[[吉村昭]]は「[[記録小説]]」と呼ばれるジャンルを開拓した。女流作家として[[永井路子]]、[[杉本苑子]]、[[安西篤子]]らの活躍も目覚しかった。大物作家でも、吉川英治は『[[私本太平記]]』、[[海音寺潮五郎]]は『[[天と地と]]』などを発表した。中でも[[山岡荘八]]の『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』は、異例の長期新聞連載となり、空前の「家康ブーム」を巻き起こした。
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近年、推理作家の[[黒岩重吾]]、SF作家の[[高橋克彦]]、ハードボイルド作家の[[北方謙三]]といった、他ジャンルからの作家の活躍も目立つ。
近年、推理作家の[[黒岩重吾]]、SF作家の[[高橋克彦]]、ハードボイルド作家の[[北方謙三]]といった、他ジャンルからの作家の活躍も目立つ。


また、西洋史に題材を取った小説を多く発表している[[塩野七生]]、[[藤本ひとみ]]、[[佐藤賢一]]ら、外国歴史小説の書き手が非常に多いのも日本の特徴で、特に中国史に関しては[[陳舜臣]]、[[宮城谷昌光]]、[[塚本史]]、[[酒見賢一]]らによって大きな一分野を成している{{要出典範囲|言語も異なり宗主関係にあったわけでもない他国についてこれだけ書かれ、読まれているのは世界でも特異な例だが、日本の歴史が明確になる前の時期(三国志時代以前)に人気が集中しており、欧米におけるローマ史やギリシャ史に似た感覚で愛好されているともいえる。|date=2013年12月}}
また、西洋史に題材を取った小説を多く発表している[[塩野七生]]、[[藤本ひとみ]]、[[佐藤賢一]]ら、外国歴史小説の書き手が{{要出典範囲|date=2018-02-11|非常に多いのも日本の特徴で}}、特に中国史に関しては[[陳舜臣]]、[[宮城谷昌光]]、[[塚本靑史|塚本靑史]]、[[酒見賢一]]らによって大きな一分野を成している。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[歴史漫画]]
*[[歴史漫画]]
*[[軍記物]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://ushidon.sakura.ne.jp/ 歴史小説中毒]
* [http://loungecafe2004.com/novels/ 時代小説県歴史小説村]
* [http://loungecafe2004.com/novels/ 時代小説県歴史小説村]
*[http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/isogaikatsutaro.pdf 歴史小説の種本]
* [https://web.archive.org/web/20051227133841/http://japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/isogaikatsutaro.pdf 歴史小説の種本]



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2023年9月30日 (土) 07:53時点における最新版

15世紀1482年)を描いたヴィクトル・ユーゴーノートルダム・ド・パリ』(1938年

歴史小説(れきししょうせつ)は、主として歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリー、またはその時代を設定して、その中での空想上の物語が書かれたものが展開される小説のことである。

歴史小説と時代小説

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一般的には、歴史小説と時代小説とはほぼ同じ意味に用いられているが、文学の上ではかなり明確な区別がある。

歴史小説は、主要な登場人物が歴史上実在した人物で、主要な部分はほぼ史実の通りに進められる。著者がその主人公の生き方や思想に感動したことによって物語が生まれ、主人公の行動あるいは言動に、著者が訴えたいモチーフが込められており、歴史を題材とした評論的な趣が強い。山岡荘八の『徳川家康』や丹羽文雄の『親鸞』、『蓮如』などは典型的な歴史小説といえる。

これに対して時代小説は、『銭形平次捕物控』のように架空の人物を登場させるか、実在の人物を使っても史実と違った展開をする。徳川光圀(水戸黄門)は実在の人物であるが、『水戸黄門漫遊記』のように助さん・格さんの二人の子分を従え、諸国を巡り歩いて裁きをするなどというのは、史実と照らし合わせるとかなり荒唐無稽である。いくら「天下の副将軍」でも、大名が勝手に他の領主の領地に入ることは禁止されていたからである。つまり、史実や著者の訴えよりも面白さ、いわゆるエンターテインメント性を重要視したのが時代小説である。吉川英治の一連の作品や池波正太郎の『鬼平犯科帳』などは時代小説である。かつて「チャンバラ」と呼ばれた劇を「時代劇」というが、その小説版と見てもいい。

ジャンルの歴史

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歴史小説が出来る以前にもウィリアム・シェイクスピアジョン王 (シェイクスピア)』『リチャード二世』『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』『ヘンリー六世 第1部』『ヘンリー六世 第2部』『ヘンリー六世 第3部』『リチャード三世 (シェイクスピア)』『ヘンリー八世』やフリードリヒ・フォン・シラーヴァレンシュタイン三部作ドイツ語版英語版』(1799年)などがいた。

19世紀初頭のスコットランドの小説家ウォルター・スコットはイギリス文学のみならず、西洋文学における歴史小説の先駆者である。1814年に発表された『ウェイヴァリー英語版』に続く一連の作品は多くの模倣者を生み出し、歴史小説という新しいジャンルを確立した。19世紀前半におけるヨーロッパの歴史小説ブームの背景には、フランス革命後、民主化の進む社会において、一般市民の居場所のある新しい歴史観が求められていたからとする説もある。

そうした一群の作家には、エドワード・ブルワー=リットンポンペイ最後の日』(1834年イギリス)、ニコライ・ゴーゴリ隊長ブーリバ』(1835年ロシア)、アレクサンドル・プーシキン大尉の娘』(1836年ロシア)、アレクサンドル・デュマ・ペール『ボルジア家風雲録』(1839年)『王妃マルゴ』(1845年フランス)、チャールズ・ディケンズ二都物語』(1859年イギリス)、ギュスターヴ・フローベールサランボー』(1862年フランス)、ジョージ・エリオットロモラ英語版』(1862年イギリス)、レフ・トルストイセヴァストポリ物語英語版』(1855年)『戦争と平和』(1869年)『ハジ・ムラート英語版』(1912年ロシア)、ヴィクトル・ユーゴー九十三年』(1873年フランス)といった錚々たる大作家が含まれている。イギリスにおいては、歴史小説はその後ひとたび停滞するが、1880年代に再びその勢いを取り戻した。

フェデリコ・デ・ロベルト副王たちイタリア語版フランス語版』(1894年)『至上権イタリア語版』(1929年イタリア)、ヨーゼフ・ロートラデツキー行進曲』(1932年オーストリア)、シュテファン・ツヴァイクマリー・アントワネット英語版』(1933年オーストリア)、ハインリヒ・マンアンリ四世の青春ドイツ語版』(1935年ドイツ)、サマセット・モーム『昔も今も』(1946年イギリス)、トマージ・ディ・ランペドゥーサ山猫』(1958年イタリア)などが発表された。ヘンリク・シェンキェヴィチクォ・ヴァディス』(1896年ポーランド)、イヴォ・アンドリッチドリナの橋』(1945年ユーゴスラビア)は、ノーベル文学賞を受賞した。

南米からはエウクリデス・ダ・クーニャポルトガル語版英語版奥地ポルトガル語版英語版』(1902年ブラジル)、C・L・R・ジェームズブラック・ジャコバン英語版』(1938年トリニダード・トバゴ)、マリオ・バルガス・リョサ世界終末戦争スペイン語版英語版』(1981年ペルー)が発表され、アレホ・カルペンティエルこの世の王国英語版』(1949年キューバ)はラテンアメリカ文学「ブーム」をもたらした。

アフリカ文学では、ウォーレ・ショインカ死と王の先導者』(1959年ナイジェリア)、グギ・ワ・ジオンゴ泣くな、わが子よ英語版』(1964年ケニア)、ペペテラマヨンベ』(1980年アンゴラ)、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ半分のぼった黄色い太陽英語版』(2007年ナイジェリア)が各国の戦争等を題材としている。ジョン・ブライリー遠い夜明け』(1987年アメリカ合衆国)は、スティーヴ・ビコ暗殺を描き、リチャード・アッテンボローが映画化した。

日本における歴史小説

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第二次世界大戦以前は史実を踏まえて書かれた小説というものは少なく(ただし、舞台を過去に採った大衆小説や、史実を物語風に記述する史伝は盛んに執筆されていた)、また歴史を扱った文芸作品として江戸時代以来の講談の人気が強かったことも、歴史小説の勃興を遅らせる一因となった。その中で大正期に森鷗外は「歴史其儘」「歴史離れ」という2つの形態の歴史小説を執筆、昭和期に入り発表された島崎藤村の『夜明け前』は、歴史小説の白眉とされる。また吉川英治は多くの読者を獲得し、中でも「剣禅一如」の境地を求める主人公を描いた『宮本武蔵』は、戦争下において広く受け入れられ、大衆文学の転機となった。この他、子母澤寛は『父子鷹』『勝海舟』などを、寺島柾史稗史物語の『日本海軍戰記 怒濤』 を発表した。

戦後、司馬遼太郎らによって歴史小説は大きく変化した。司馬は独自の視点から、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの作品を発表、その後の歴史小説に大きな足跡を残すことになった。江戸川乱歩賞作家の陳舜臣は、中国史に題材を求めた『阿片戦争』などを書き、吉村昭は「記録小説」と呼ばれるジャンルを開拓した。女流作家として永井路子杉本苑子安西篤子らの活躍も目覚しかった。大物作家でも、吉川英治は『私本太平記』、海音寺潮五郎は『天と地と』などを発表した。中でも山岡荘八の『徳川家康』は、異例の長期新聞連載となり、空前の「家康ブーム」を巻き起こした。

近年、推理作家の黒岩重吾、SF作家の高橋克彦、ハードボイルド作家の北方謙三といった、他ジャンルからの作家の活躍も目立つ。

また、西洋史に題材を取った小説を多く発表している塩野七生藤本ひとみ佐藤賢一ら、外国歴史小説の書き手が非常に多いのも日本の特徴で[要出典]、特に中国史に関しては陳舜臣宮城谷昌光塚本靑史酒見賢一らによって大きな一分野を成している。

関連項目

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外部リンク

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