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「FSR (プロレス団体)」の版間の差分

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'''FSR'''(エフ・エス・アール)<ref name="shupro">{{cite web |url=https://wp.bbm-mobile.com/sp2/Prev/Default.asp?mi=1281 |title= 1996/1/9&16号(No.711) |work=週プロ早版 |website=週刊プロレスmobileプレミアム |publisher=株式会社ベースボール・マガジン社 |accessdate=2023-05-31}} 8枚目の画像を参照</ref>は、かつて存在した[[日本]]の[[プロレス]]団体。[[運営会社]]はファイティング・スピリット・レスリング株式会社<ref name="shupro"/>。'''Fighting Spirit wRrestling'''<ref name="miruhon">{{cite web |url=https://miruhon.net/92329 |title=<nowiki>㉜原点 その4:FSR参戦! えっ? Wじゃないの?[ファイトクラブ]ジョージ高野伝説</nowiki> |author=ケン・片谷 |work=メシとワセダと時々プロレス |website=週刊ファイト!ミルホンネット |publisher=株式会社ミラクルファイト・エンタテインメント |date=2018-03-07 |accessdate=2023-05-10}}</ref>(ファイティング・スピリット・レスリング)の略で、本来は''FSW''とすべきが、[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]と紛らわしいということで3文字目は「W」ではなく「R」にしている<ref name="miruhon"/>。
'''FSR'''(エフエスアール)は、かつて存在した日本の[[プロレス]]団体である。


==概要==
== 歴史 ==
[[SWS]]崩壊後[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]→[[Pro Wrestling Crusaders|PWC]]と所属団体を変えた[[高野攘治|ジョージ高野]]が、弟の高野俊二(現[[高野拳磁]])と別れ(当時、経営難の打開策と[[デスマッチ]]を行おうとしていた俊二反発したとも、表は俊二だが、実際に資金を出していたのがジョジで、俊二の放漫経営に嫌気とも言れている)自ら旗揚げし団体で正式名は『ファイティグ・ピリット・スリグ(本来は、3文字目は『W』になるころだが、[[FMW]]と紛らわいと言う事で『R』にしている)』
[[1995年]]1月、[[SWS]]崩壊後[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]→[[Pro Wrestling Crusaders|PWC]]と所属を変えた[[ジョージ高野]]が、弟の[[高野拳磁|高野俊二]](現高野拳磁)と別れPWCを離脱設立。[[6月11日]]、[[釧路市厚生年金体育館]]で旗揚げ戦開催<ref name="shupro"/>。旗揚げ戦は[[佐山聡|初タイガマスク]]来場し、試合は行なかっが来場客に挨拶を行う。[[7月10日]]PWCプロモーショ[[博多ター]]大会では、初代タイガーマスク組んで[[維新力浩司|維新力]]、[[折原昌夫]]対戦


設立当初は高野の夫人の実家がある[[北海道]][[釧路市]]を本拠地に「プロレスと格闘技の融合」を目指していたが、所属選手が高野の他に新人選手1人という状況で、人材・興行的にも苦戦していた。さらに、高野とトーナメント戦に勝ち上がったアマチュア格闘家と対戦して高野が敗れたことにより、評価が急落して運営が立ち行かなくなる。ただし高野は設立当初から「自分はピークを過ぎた人間なので自分が前に出るのではなく、後継者を育てるのがFSRで本当にやりたいことだ」と語っている。そのために、高野の敗北は本来さほど問題のない事象のはずであったが、観客から見れば、プロレスラーの強さを期待して観戦したにもかかわらず、無名のアマチュア選手に負けてしまった失望感が大きく、評価を下げる要因となった。
旗揚げ戦は[[1995年]][[6月11日]]・[[釧路市厚生年金体育館]]にて行われ、メインイベントにて、タイガーマスク([[佐山サトル]])とのシングルマッチを行う。。


[[1997年]]、一時的に[[東京都]]に事務所を移転した後に本拠地を[[熊本県]][[熊本市]]に移し、さらに高野の地元[[福岡県]][[北九州市]]に移して再出発を図ったものの、その後休眠状態となる。
夫人の実家のある、[[釧路市]]を本拠地に『プロレスと格闘技の融合』を目指していたが、元々、ジョージの他には所属選手が新人一人と言う状況で、人材的にも興行的にも苦戦し、さらに、自身の興行で行われたアマチュア選手達によるトーナメントに勝ち上がった、アマチュアの格闘家と対戦し、負けてしまった為に評価が急落、団体運営が出来なくなり、釧路での活動を止め、[[熊本]]に本拠地を移し(現在は[[北九州市]]に移転している)、再出発を図るものの、現在は団体としては活動を停止し、ジョージ本人は[[高野攘治|ザ・コブラ]]のマスクを被りながら、インディー団体で時折試合を行っている。


[[2004年]]3月、[[別冊宝島]]の企画で受けたインタビュー<ref>『プロレススキャンダル事件史3』所収</ref> によると、高野自身はレスラー活動がほとんど出来ていないが現役引退はしていない事や、活動を休止しているがFSRは消滅していない旨を語っていたが、その後FSRとして表立った活動もなく、事実上解散している。
今までの活動は第1次であり、現在、第2次の活動に向けての準備期間中であると、公式HPでは書かれている。


== 所属選手 ==
* [[ジョージ高野]]
* [[くいしんぼう仮面|月岡明則]](現:くいしんぼう仮面)
* 隈元裕道
* 長岡純
* 菊地徹


== 脚注 ==
[[Category:プロレス団体|えすえふあある]]
<references/>


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{{DEFAULTSORT:FSR}}
[[Category:現在活動していない日本のプロレス団体]]
[[Category:1995年設立の企業]]
[[Category:PWC]]

2023年10月17日 (火) 22:40時点における最新版

FSR(エフ・エス・アール)[1]は、かつて存在した日本プロレス団体。運営会社はファイティング・スピリット・レスリング株式会社[1]Fighting Spirit wRrestling[2](ファイティング・スピリット・レスリング)の略で、本来はFSWとすべきが、FMWと紛らわしいということで3文字目は「W」ではなく「R」にしている[2]

歴史

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1995年1月、SWS崩壊後にNOWPWCと所属を変えたジョージ高野が、弟の高野俊二(現:高野拳磁)と別れPWCを離脱し設立。6月11日釧路市厚生年金体育館で旗揚げ戦を開催[1]。旗揚げ戦には初代タイガーマスクが来場し、試合は行わなかったが来場客に挨拶を行う。7月10日、PWCプロモーション博多スターレーン大会では、初代タイガーマスクと組んで維新力折原昌夫組と対戦した。

設立当初は高野の夫人の実家がある北海道釧路市を本拠地に「プロレスと格闘技の融合」を目指していたが、所属選手が高野の他に新人選手1人という状況で、人材・興行的にも苦戦していた。さらに、高野とトーナメント戦に勝ち上がったアマチュア格闘家と対戦して高野が敗れたことにより、評価が急落して運営が立ち行かなくなる。ただし高野は設立当初から「自分はピークを過ぎた人間なので自分が前に出るのではなく、後継者を育てるのがFSRで本当にやりたいことだ」と語っている。そのために、高野の敗北は本来さほど問題のない事象のはずであったが、観客から見れば、プロレスラーの強さを期待して観戦したにもかかわらず、無名のアマチュア選手に負けてしまった失望感が大きく、評価を下げる要因となった。

1997年、一時的に東京都に事務所を移転した後に本拠地を熊本県熊本市に移し、さらに高野の地元福岡県北九州市に移して再出発を図ったものの、その後休眠状態となる。

2004年3月、別冊宝島の企画で受けたインタビュー[3] によると、高野自身はレスラー活動がほとんど出来ていないが現役引退はしていない事や、活動を休止しているがFSRは消滅していない旨を語っていたが、その後FSRとして表立った活動もなく、事実上解散している。

所属選手

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脚注

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  1. ^ a b c 1996/1/9&16号(No.711)”. 週刊プロレスmobileプレミアム. 週プロ早版. 株式会社ベースボール・マガジン社. 2023年5月31日閲覧。 8枚目の画像を参照
  2. ^ a b ケン・片谷 (2018年3月7日). “㉜原点 その4:FSR参戦! えっ? Wじゃないの?[ファイトクラブ]ジョージ高野伝説”. 週刊ファイト!ミルホンネット. メシとワセダと時々プロレス. 株式会社ミラクルファイト・エンタテインメント. 2023年5月10日閲覧。
  3. ^ 『プロレススキャンダル事件史3』所収