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'''カーラ・ブレイ'''(Carla Bley、[[1936年]][[5月11日]] - )は、アメリカの[[ジャズ]]・[[ピアニスト]]、作曲家。[[バップ]]以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであ
'''カーラ・ブレイ'''(Carla Bley、[[1936年]][[5月11日]] - [[2023年]][[10月17日]])は、アメリカの[[ジャズ]]・[[ピアニスト]]、作曲家。[[バップ]]以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであった


== 略歴 ==
== 略歴 ==
女性の作曲家として知られカーラ・ブレイは、[[教会音楽]]家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃、[[ジャズ]]に開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。しかし、この頃のカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。
女性の作曲家として知られカーラ・ブレイは、[[教会音楽]]家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃、[[ジャズ]]に開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。しかし、この頃のカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。


売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年の[[ポール・ブレイ]]との結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、[[アート・ファーマー]](アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、[[ゲイリー・バートン]](アルバム『葬送』等)、[[チャーリー・ヘイデン]](アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。
売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年の[[ポール・ブレイ]]との結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、[[アート・ファーマー]](アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、[[ゲイリー・バートン]](アルバム『葬送』等)、[[チャーリー・ヘイデン]](アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。
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1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、[[マイケル・マントラー]]と共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。
1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、[[マイケル・マントラー]]と共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。


その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、[[チャーリー・ヘイデン]]との『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になる[[スティーヴ・スワロウ]]とのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けてい
その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、[[チャーリー・ヘイデン]]との『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になる[[スティーヴ・スワロウ]]とのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けてい

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== ディスコグラフィ ==
== ディスコグラフィ ==
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=== 映像作品 ===
=== 映像作品 ===
*『ライヴ・イン・モントリオール』 - ''Live in Montreal'' (2003年) ※1983年のライブ
*『ライヴ・イン・モントリオール』 - ''Live in Montreal'' (2003年) ※1983年のライブ

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2023年10月19日 (木) 13:06時点における最新版

カーラ・ブレイ
Carla Bley
カーラ・ブレイ(2007年)
基本情報
出生名 Lovella May Borg
生誕 (1936-05-11) 1936年5月11日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州オークランド
死没 (2023-10-17) 2023年10月17日(87歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州
担当楽器 ピアノ、オルガン
活動期間 1960年 - 2023年
レーベル WATT、ECMユニバーサル
公式サイト wattxtrawatt.com

カーラ・ブレイ(Carla Bley、1936年5月11日 - 2023年10月17日)は、アメリカのジャズピアニスト、作曲家。バップ以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであった。

略歴

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女性の作曲家として知られたカーラ・ブレイは、教会音楽家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃、ジャズに開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。しかし、この頃のカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。

売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年のポール・ブレイとの結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、アート・ファーマー(アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、ゲイリー・バートン(アルバム『葬送』等)、チャーリー・ヘイデン(アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。

1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、マイケル・マントラーと共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。

その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、チャーリー・ヘイデンとの『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になるスティーヴ・スワロウとのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けていた。

2023年10月17日アメリカ合衆国ニューヨーク州北部の自宅にて、脳腫瘍の合併症により死去[1][2]。87歳没。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • 『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』 - Escalator Over The Hill (1971年) ※with ポール・ヘインズ
  • 『トロピック・アペタイト』 - Tropic Appetites (1974年)
  • 『ディナー・ミュージック』 - Dinner Music (1977年)
  • 『ヨーロピアン・ツアー 1977』 - European Tour 1977 (1978年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
  • 『ミュジーク・メカニーク』 - Musique Mecanique (1979年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
  • 『ソーシャル・スタディズ』 - Social Studies (1981年)
  • 『ライヴ! (艶奏会)』 - Live! (1982年)
  • 『戦死者たちのバラッド』 - The Ballad Of The Fallen (1983年) ※with チャーリー・ヘイデン
  • 『歌うのなんて好きじゃない』 - I Hate To Sing (1984年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
  • 『ヘヴィ・ハート』 - Heavy Heart (1984年)
  • 『ナイト・グロウ』 - Night-Glo (1985年)
  • 『モア・ブラームス』 - Sextet (1987年)
  • 『デュエッツ』 - Duets (1988年) ※with スティーヴ・スワロウ
  • 『フルール・カルニヴォーレ』 - Fleur Carnivore (1989年)
  • 『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』 - The Very Big Carla Bley Band (1991年)
  • 『ゴー・トゥゲザー』 - Go Together (1992年) ※with スティーヴ・スワロウ
  • 『ビッグ・バンド・セオリー』 - Big Band Theory (1993年)
  • 『ソングズ・ウィズ・レッグズ』 - Songs With Legs (1994年)
  • ...Goes To Church (1996年)
  • 『ファンシー・チェンバー・ミュージック』 - Fancy Chamber Music (1998年)
  • 『4X4』 - 4x4 (2000年)
  • 『ルッキング・フォー・アメリカ』 - Looking for America (2003年)
  • 『ザ・ロスト・コーズ』 - The Lost Chords (2004年)
  • 『ザ・ロスト・コーズ・ファインド・パオロ・フロス』 - The Lost Chords find Paolo Fresu (2007年)
  • 『アピアリング・ナイトリー』 - Appearing Nightly (2008年)
  • 『カーラズ・クリスマス・キャロルズ』 - Carla's Christmas Carols (2009年)
  • Trios (2013年) ※with アンディ・シェパード、スティーヴ・スワロウ
  • Andando el Tiempo (2015年) ※with アンディ・シェパード、スティーヴ・スワロウ

映像作品

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  • 『ライヴ・イン・モントリオール』 - Live in Montreal (2003年) ※1983年のライブ

脚注

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  1. ^ フリー・ジャズの女王 ピアニスト/作曲家のカーラ・ブレイ死去”. amass (2023年10月18日). 2023年10月18日閲覧。
  2. ^ Andrey Henkin (2023年10月17日). “Carla Bley, prolific and expansive jazz pianist, dies at 87”. npr music. 2023年10月18日閲覧。

外部リンク

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