「カーラ・ブレイ」の版間の差分
Kansas-airline (会話 | 投稿記録) →略歴: スティーヴ・スワロウに関する説明の付与 |
|||
(5人の利用者による、間の10版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{ |
{{出典明記|date=2023年10月}} |
||
{{大言壮語|date=2015年2月7日 (土) 06:21 (UTC)}} |
{{大言壮語|date=2015年2月7日 (土) 06:21 (UTC)}} |
||
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |
||
|Name |
| Name = カーラ・ブレイ<br />Carla Bley |
||
|Img |
| Img = Carla-Bley-supercrop.png |
||
|Img_capt |
| Img_capt = カーラ・ブレイ(2007年) |
||
|Img_size |
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> |
||
|Landscape |
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> |
||
|Background |
| Background = instrumentalist<!-- singer/group/bandなど --> |
||
|Birth_name |
| Birth_name = Lovella May Borg<!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> |
||
|Alias |
| Alias = |
||
|Blood |
| Blood = <!-- 個人のみ --> |
||
|School_background |
| School_background = <!-- 個人のみ --> |
||
|Born |
| Born = {{生年月日|1936|5|11|}} <!-- 個人のみ --> |
||
|Died |
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1936|5|11|2023|10|17}}<br />{{USA}} [[ニューヨーク州]]<!-- 個人のみ --> |
||
|Origin |
| Origin = {{USA}} [[カリフォルニア州]][[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]] |
||
|Instrument |
| Instrument = ピアノ、オルガン<!-- 個人のみ --> |
||
|Genre |
| Genre = |
||
|Occupation |
| Occupation = <!-- 個人のみ --> |
||
|Years_active |
| Years_active = [[1960年]] - 2023年 |
||
|Label |
| Label = WATT、[[ECMレコード|ECM]]、[[ユニバーサル ミュージック グループ|ユニバーサル]] |
||
|Production |
| Production = |
||
|Associated_acts |
| Associated_acts = |
||
|Influences |
| Influences = |
||
|URL |
| URL = {{URL|wattxtrawatt.com}} |
||
|Current_members |
| Current_members = <!-- グループのみ --> |
||
|Past_members |
| Past_members = <!-- グループのみ --> |
||
|Notable_instruments = |
| Notable_instruments = |
||
}} |
}} |
||
'''カーラ・ブレイ'''(Carla Bley、[[1936年]][[5月11日]] - )は、アメリカの[[ジャズ]]・[[ピアニスト]]、作曲家。[[バップ]]以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであ |
'''カーラ・ブレイ'''(Carla Bley、[[1936年]][[5月11日]] - [[2023年]][[10月17日]])は、アメリカの[[ジャズ]]・[[ピアニスト]]、作曲家。[[バップ]]以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであった。 |
||
== 略歴 == |
== 略歴 == |
||
女性の作曲家として知られ |
女性の作曲家として知られたカーラ・ブレイは、[[教会音楽]]家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃、[[ジャズ]]に開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。しかし、この頃のカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。 |
||
売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年の[[ポール・ブレイ]]との結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、[[アート・ファーマー]](アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、[[ゲイリー・バートン]](アルバム『葬送』等)、[[チャーリー・ヘイデン]](アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。 |
売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年の[[ポール・ブレイ]]との結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、[[アート・ファーマー]](アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、[[ゲイリー・バートン]](アルバム『葬送』等)、[[チャーリー・ヘイデン]](アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。 |
||
37行目: | 37行目: | ||
1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、[[マイケル・マントラー]]と共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。 |
1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、[[マイケル・マントラー]]と共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。 |
||
その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、[[チャーリー・ヘイデン]]との『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になる[[スティーヴ・スワロウ]]とのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けてい |
その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、[[チャーリー・ヘイデン]]との『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になる[[スティーヴ・スワロウ]]とのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けていた。 |
||
[[2023年]][[10月17日]]、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]]北部の自宅にて、[[脳腫瘍]]の合併症により死去<ref>{{Cite web |title=フリー・ジャズの女王 ピアニスト/作曲家のカーラ・ブレイ死去 |url=https://amass.jp/170475/%7ctitle=%e3%83%95%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ba%e3%81%ae%e5%a5%b3%e7%8e%8b/ |website=amass |access-date=2023-10-18 |language=ja |date=2023/10/18}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.npr.org/2023/10/17/1206659408/carla-bley-obituary |title=Carla Bley, prolific and expansive jazz pianist, dies at 87 |access-date=2023年10月18日 |date=October 17, 2023 |website=npr music |author=Andrey Henkin}}</ref>。{{没年齢|1936|5|11|2023|10|17}}。 |
|||
== ディスコグラフィ == |
== ディスコグラフィ == |
||
72行目: | 74行目: | ||
=== 映像作品 === |
=== 映像作品 === |
||
*『ライヴ・イン・モントリオール』 - ''Live in Montreal'' (2003年) ※1983年のライブ |
*『ライヴ・イン・モントリオール』 - ''Live in Montreal'' (2003年) ※1983年のライブ |
||
== 脚注 == |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
88行目: | 93行目: | ||
[[Category:グッゲンハイム・フェロー]] |
[[Category:グッゲンハイム・フェロー]] |
||
[[Category:1936年生]] |
[[Category:1936年生]] |
||
[[Category: |
[[Category:2023年没]] |
2023年10月19日 (木) 13:06時点における最新版
![]() |
![]() | この記事は大言壮語的な記述になっています。 |
カーラ・ブレイ Carla Bley | |
---|---|
![]() カーラ・ブレイ(2007年) | |
基本情報 | |
出生名 | Lovella May Borg |
生誕 | 1936年5月11日 |
出身地 |
![]() |
死没 |
2023年10月17日(87歳没)![]() |
担当楽器 | ピアノ、オルガン |
活動期間 | 1960年 - 2023年 |
レーベル | WATT、ECM、ユニバーサル |
公式サイト |
wattxtrawatt |
カーラ・ブレイ(Carla Bley、1936年5月11日 - 2023年10月17日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。バップ以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであった。
略歴
[編集]女性の作曲家として知られたカーラ・ブレイは、教会音楽家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃、ジャズに開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。しかし、この頃のカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。
売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年のポール・ブレイとの結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、アート・ファーマー(アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、ゲイリー・バートン(アルバム『葬送』等)、チャーリー・ヘイデン(アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。
1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、マイケル・マントラーと共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。
その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、チャーリー・ヘイデンとの『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になるスティーヴ・スワロウとのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けていた。
2023年10月17日、アメリカ合衆国ニューヨーク州北部の自宅にて、脳腫瘍の合併症により死去[1][2]。87歳没。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』 - Escalator Over The Hill (1971年) ※with ポール・ヘインズ
- 『トロピック・アペタイト』 - Tropic Appetites (1974年)
- 『ディナー・ミュージック』 - Dinner Music (1977年)
- 『ヨーロピアン・ツアー 1977』 - European Tour 1977 (1978年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
- 『ミュジーク・メカニーク』 - Musique Mecanique (1979年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
- 『ソーシャル・スタディズ』 - Social Studies (1981年)
- 『ライヴ! (艶奏会)』 - Live! (1982年)
- 『戦死者たちのバラッド』 - The Ballad Of The Fallen (1983年) ※with チャーリー・ヘイデン
- 『歌うのなんて好きじゃない』 - I Hate To Sing (1984年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
- 『ヘヴィ・ハート』 - Heavy Heart (1984年)
- 『ナイト・グロウ』 - Night-Glo (1985年)
- 『モア・ブラームス』 - Sextet (1987年)
- 『デュエッツ』 - Duets (1988年) ※with スティーヴ・スワロウ
- 『フルール・カルニヴォーレ』 - Fleur Carnivore (1989年)
- 『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』 - The Very Big Carla Bley Band (1991年)
- 『ゴー・トゥゲザー』 - Go Together (1992年) ※with スティーヴ・スワロウ
- 『ビッグ・バンド・セオリー』 - Big Band Theory (1993年)
- 『ソングズ・ウィズ・レッグズ』 - Songs With Legs (1994年)
- ...Goes To Church (1996年)
- 『ファンシー・チェンバー・ミュージック』 - Fancy Chamber Music (1998年)
- 『4X4』 - 4x4 (2000年)
- 『ルッキング・フォー・アメリカ』 - Looking for America (2003年)
- 『ザ・ロスト・コーズ』 - The Lost Chords (2004年)
- 『ザ・ロスト・コーズ・ファインド・パオロ・フロス』 - The Lost Chords find Paolo Fresu (2007年)
- 『アピアリング・ナイトリー』 - Appearing Nightly (2008年)
- 『カーラズ・クリスマス・キャロルズ』 - Carla's Christmas Carols (2009年)
- Trios (2013年) ※with アンディ・シェパード、スティーヴ・スワロウ
- Andando el Tiempo (2015年) ※with アンディ・シェパード、スティーヴ・スワロウ
映像作品
[編集]- 『ライヴ・イン・モントリオール』 - Live in Montreal (2003年) ※1983年のライブ
脚注
[編集]- ^ “フリー・ジャズの女王 ピアニスト/作曲家のカーラ・ブレイ死去”. amass (2023年10月18日). 2023年10月18日閲覧。
- ^ Andrey Henkin (2023年10月17日). “Carla Bley, prolific and expansive jazz pianist, dies at 87”. npr music. 2023年10月18日閲覧。