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'''フェルナンド・フランシスコ・ゴンサレス・シウファルディ'''(''Fernando Francisco González Ciuffardi'', [[1980年]][[7月29日]] - )は[[チリ]]の首都[[サンティアゴ・デ・]]出身の男子プロ[[テニス]]選手である。[[2007年]]の[[全豪オープン]]男子シングルス準優勝者であり、アテネ五輪のダブルス部門で金メダル、シングルス部門で銅メダル、北京五輪シングルス部門で銀メダルがある。シングルス自己最高ランキングは5位(2007年1月)。[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでシングルス11勝、ダブルス3勝を挙げた。身長183cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
'''フェルナンド・フランシスコ・ゴンサレス・シウファルディ'''(''Fernando Francisco González Ciuffardi'', [[1980年]][[7月29日]] - )は[[チリ]]の首都[[サンティアゴ (リ)|サンティアゴ]]出身の男子プロ[[テニス]]選手。[[2007年全豪オープン男子シングルス]]準優勝者であり、[[2004年アテネオリンピックのテニス競技|2004年アテネ五輪]]男子ダブルスで金メダル、男子シングルス部門で銅メダル、[[2008年北京オリンピックのテニス競技・男子シングルス|北京五輪男子シングルス]]で銀メダルがある。シングルス自己最高ランキングは5位。[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでシングルス11勝、ダブルス3勝を挙げた。身長183cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。


== ==
==選手経歴==
ジュニア時代に、[[1998年]]の[[1998年全仏オープン|全仏オープン]]男子シングルス・ジュニア部門でライバルの[[フアン・カルロス・フェレーロ]]を破って優勝し、翌[[1999年]]に19歳でプロ転向。


=== 1999年 プロ転向 ===
翌[[2000年]]、[[フロリダ州]][[オーランド]]の大会で、[[ニコラス・マスー]]との“チリ勢決勝対決”を制し、ツアー初優勝を飾った。ATPツアーにおいて“チリ勢決勝対決”が行われたのは、[[1982年]]以来18年ぶりの出来事だった。この年は順調にランキングを上げ、135位で終えた。
ジュニア時代に、[[1998年全仏オープン]]ジュニア男子シングルスでライバルの[[フアン・カルロス・フェレーロ]]を破って優勝し、翌[[1999年]]に19歳でプロ転向。


=== 2000年 ツアー初優勝 ===
[[2002年]]は2大会で優勝を挙げ、同年の[[2002年全米オープン (テニス)|全米オープン]]では[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]にて自身初の準々決勝進出を果たす。準々決勝では[[オランダ]]の[[チャン・シャルケン]]に 7-6, 3-6, 3-6, 7-6, 6-7 のフルセットで敗れたが、世界ランキング18位で年を終える飛躍を見せた。
翌[[2000年]]、[[全米男子クレーコート選手権]]で[[ニコラス・マスー]]とのチリ勢決勝対決を制し、ツアー初優勝を飾った。ATPツアーにおいてチリ勢決勝対決が行われたのは、[[1982年]]以来18年ぶりの出来事だった。この年は順調にランキングを上げ、135位で終えた。


=== 2002年 全米ベスト8 ===
[[2003年]]、[[2003年全仏オープン|全仏オープン]]の準々決勝で、ジュニア時代からのライバルである[[ファン・カルロス・フェレーロ]]に 1-6, 6-3, 1-6, 7-5, 4-6 で敗れた。この年は優勝が無く、35位で年を終えた。
[[2002年]]は2大会で優勝を挙げ、同年の[[2002年全米オープン (テニス)|全米オープン]]では[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]にて自身初の準々決勝進出を果たす。準々決勝では[[シェング・シャルケン]]に7-6, 3-6, 3-6, 7-6, 6-7のフルセットで敗れたが、世界ランキング18位で年を終える飛躍を見せた。


=== 2003年 全仏ベスト8 ===
[[2004年]]の[[アテネオリンピック (2004年) におけるテニス競技|アテネ五輪]]で、[[チリ]]代表に選出。[[ニコラス・マスー]]と組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した。決勝の相手は[[ドイツ]]代表の[[ニコラス・キーファー]]&[[ライナー・シュットラー]]組で、試合は 6-2, 4-6, 3-6, 7-6, 6-4 のフルセットにもつれこんだ。シングルス部門でもベスト4まで勝ち進み、銅メダル決定戦で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]代表の[[テーラー・デント]]を 6-4, 2-6, 16-14 で下して銅メダルに輝いた。こうしてゴンサレスは、マスーと並んでチリの国民的英雄となった。2004年度は23位で終えた。
[[2003年全仏オープン男子シングルス|2003年全仏オープン]]の準々決勝で、ジュニア時代からのライバルである[[ファン・カルロス・フェレーロ]]に1-6, 6-3, 1-6, 7-5, 4-6で敗れた。この年は優勝が無く、35位で年を終えた。


=== 2004年 アテネ五輪金・銅メダル獲得 ===
[[2005年]]にゴンサレスは男子ツアーで3大会優勝を挙げ、[[2005年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では初めて準々決勝に進出したが[[ロジャー・フェデラー]]に 5-7, 2-6, 6-7 で敗退。また、[[2005年全仏オープン|全仏オープン]]ダブルス部門でマスーと組み、準決勝進出を果たした。2005年度を11位で終えた。
[[2004年アテネオリンピックのテニス競技|2004年アテネ五輪]]で、[[チリ]]代表に選出され、[[ニコラス・マスー]]と組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した。決勝の相手は[[ドイツ]]の[[ニコラス・キーファー]]/[[ライナー・シュットラー]]組で、試合は6-2, 4-6, 3-6, 7-6, 6-4のフルセットの末勝利。男子シングルスでもベスト4まで勝ち進み、3位決定戦でアメリカの[[テーラー・デント]]を6-4, 2-6, 16-14で下して銅メダルを獲得した。こうしてゴンサレスは、マスーと並んでチリの国民的英雄となった。2004年度は23位で終えた。


=== 2005年 ウィンブルドンベスト8 ===
[[2007年]]、[[2007年全豪オープン|全豪オープン]]で、ゴンサレスは初の4大大会決勝進出を果たす。3回戦で[[レイトン・ヒューイット]]、4回戦で[[ジェームズ・ブレーク]]、準々決勝で[[ラファエル・ナダル]]、準決勝で[[トミー・ハース]]といった強豪を破る快進撃を見せ、決勝で過去9戦全敗だった第1シードの[[ロジャー・フェデラー]]に 6-7, 4-6, 4-6 で敗れて優勝を阻まれたが、[[チリ]]の男子テニス選手が4大大会シングルス決勝に進出したのは、[[1998年全豪オープン]]の準優勝者[[マルセロ・リオス]]以来9年ぶりであった。この年は優勝こそ1大会に止まったものの、戦績は良好。年間最終戦ではラウンドロビンにて、10戦全敗だったフェデラーに初めて勝利し、2007年度は7位で終えた。
[[2005年]]にゴンサレスは男子ツアーで3大会優勝を挙げ、[[2005年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]では初めて準々決勝に進出したが[[ロジャー・フェデラー]]に5-7, 2-6, 6-7で敗退。また、[[2005年全仏オープン|全仏オープン]]男子ダブルスでマスーと組み、準決勝進出を果たした。2005年度を11位で終えた。


=== 2007年 全豪準優勝 世界5位 ===
[[2008年]]は[[2008年全豪オープン|全豪オープン]]の3回戦敗退により、世界ランキングで大きく後退したが、2大会で優勝。[[2008年全仏オープン|全仏オープン]]で5年ぶり2度目の準々決勝進出があり、フェデラーに 6-2, 2-6, 3-6, 4-6 で競り負けた。8月の[[北京オリンピックにおけるテニス競技|北京五輪]]において、ゴンサレスは2大会連続でシングルス部門のメダルを獲得する。第12シードから決勝まで進出した彼は、金メダルをかけた決勝戦で[[ラファエル・ナダル]]に 3-6, 6-7, 3-6 で敗れた。
[[2007年全豪オープン男子シングルス|2007年全豪オープン]]で、ゴンサレスは初の4大大会決勝進出を果たす。3回戦で[[レイトン・ヒューイット]]、4回戦で[[ジェームズ・ブレーク (テニス選手)|ジェームズ・ブレーク]]、準々決勝で[[ラファエル・ナダル]]、準決勝で[[トミー・ハース]]といった強豪を破る快進撃を見せ、決勝で過去9戦全敗だった[[ロジャー・フェデラー]]に6-7, 4-6, 4-6で敗れて優勝を阻まれたが、[[チリ]]の男子テニス選手が4大大会シングルス決勝に進出したのは、[[1998年全豪オープン]]の準優勝者[[マルセロ・リオス]]以来9年ぶりであった。この年は優勝こそ1大会に止まったものの、戦績は良好。年最終戦[[テニス・マスターズ・カップ]]ではラウンドロビンにて、10戦全敗だった[[ロジャー・フェデラー]]に初めて勝利し、2007年度は7位で終えた。


=== 2008年 北京五輪銀メダル獲得 ===
[[2009年]]、[[2009年全仏オープン|全仏オープン]]では初の準決勝に進み、4回戦で第1シードの[[ラファエル・ナダル]]を破って勝ち進んだ[[ロビン・セーデリング]]([[スウェーデン]])と激突。2セットダウンから追い上げ、第5セットまで持ち込むものの、最終的に 3-6, 5-7, 7-5, 6-4, 4-6 で突き放されて決勝進出を阻まれた。
[[2008年]]は[[2008年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]の3回戦敗退により、世界ランキングで大きく後退したが、2大会で優勝。[[2008年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]で5年ぶり2度目の準々決勝進出があり、[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]に6-2, 2-6, 3-6, 4-6で競り負けた。8月の[[2008年北京オリンピックのテニス競技|北京五輪]]において、ゴンサレスは2大会連続で[[2008年北京オリンピックのテニス競技・男子シングルス|男子シングルス]]のメダルを獲得する。第12シードから決勝まで進出した彼は、金メダルをかけた決勝戦で[[ラファエル・ナダル]]に3-6, 6-7, 3-6で敗れた。


=== 2009年 全仏ベスト4 ===
ゴンサレスは[[2012年]][[ソニー・エリクソン・オープン]]1回戦で[[ニコラ・マユ]]([[フランス]])に 5-7, 6-4, 6-7(3) で敗れた試合を最後に31歳で現役を引退した<ref>{{citenews|url=http://news.tennis365.net/news/today/201203/82885.html |title=元世界5位のゴンサレスがプロ人生に幕◇ソニー・エリクソンOP男子|publisher=tennis365.net|date=2012年3月22日}}</ref>。
[[2009年全仏オープン男子シングルス|2009年全仏オープン]]では初の準決勝に進み、4回戦で第1シードの[[ラファエル・ナダル]]を破って勝ち進んだ[[ロビン・セーデリング]]と対戦。2セット先行されてから追い上げ、第5セットまで持ち込むものの、最終的に3-6, 5-7, 7-5, 6-4, 4-6で敗れ決勝進出ならず。

=== 2012年 引退 ===
ゴンサレスは[[2012年]][[ソニー・エリクソン・オープン]]1回戦で[[ニコラ・マユ]]に5-7, 6-4, 6-7(3)で敗れた試合を最後に31歳で現役を引退した<ref>{{citenews|url=http://news.tennis365.net/news/today/201203/82885.html |title=元世界5位のゴンサレスがプロ人生に幕◇ソニー・エリクソンOP男子|publisher=tennis365.net|date=2012年3月22日}}</ref>。


== プレースタイル ==
== プレースタイル ==
ベースライン付近でプレーするストローカーである。中でも特筆すべきは、彼の強力なフォアハンドである。強い筋力によって体の鋭い回転に腕をついて行かせることで、大きなスイングによってフォアハンドで非常に威力の強いボールを打つことができる。[[ラファエル・ナダル]]に比べて高い打点に強いとる<ref>{{cite web|url=http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_gonzalez01.html|title=Vol.1 天下無双の豪快スウィング|accessdate=2015年10月}}</ref>。
ベースライン付近でプレーするストローカーである。中でも特筆すべきは、彼の強力なフォアハンドである。強い筋力によって体の鋭い回転に腕をついて行かせることで、大きなスイングによってフォアハンドで非常に威力の強いボールを打つことができる。[[ラファエル・ナダル]]に比べて高い打点に強いと言える<ref>{{Cite web|和書|url=http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_gonzalez01.html|title=Vol.1 天下無双の豪快スウィング|accessdate=2015年10月}}</ref>。


== ATPツアー決勝進出結果 ==
== ATPツアー決勝進出結果 ==
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|2002年2月17日
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== 4大大会シングルス成績 ==
== シングルス成績 ==
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|-
|-
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|}

=== 大会最高成績 ===
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! 大会 !! 成績 !! 年
|-
| style="background-color: #ffffcc; text-align: left;" | [[マスターズ・カップ]]
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| 2005, 2007
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[インディアンウェルズ・マスターズ|インディアンウェルズ]]
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| 2005, 2007, 2009
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[マイアミ・オープン|マイアミ]]
| style="background-color: yellow;" | SF
| 2004
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[モンテカルロ・マスターズ|モンテカルロ]]
| style="background-color: yellow;" | SF
| 2006
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[マドリード・オープン|マドリード]]
| style="background-color: thistle;" | F
| 2006
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[ローマ・マスターズ|ローマ]]
| style="background-color: thistle;" | F
| 2007
|-
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| 2006
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[シンシナティ・マスターズ|シンシナティ]]
| style="background-color: yellow;" | SF
| 2002, 2006
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[上海マスターズ|上海]]
| style="background-color: thistle;" | F
| 2015
|-
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| style="background-color: #afeeee;" | 3R
| 2009
|-
| style="background-color: #dfe2e9; text-align: left;" | [[ドイツ国際オープン|ハンブルク]]
| style="background-color: #ffebcd;" | QF
| 2003, 2007
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| 2008
|-
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| 2006, 2010
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== 外部リンク ==
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[[Category:チリのテニス選手]]
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[[Category:2004年アテネオリンピックテニス出場選手]]
[[Category:2008年北京オリンピックテニス出場選手]]
[[Category:イタリア系チリ人]]
[[Category:サンティアゴ出身の人物]]
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[[Category:テニスのオリンピックメダリスト]]
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[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2023年10月25日 (水) 02:17時点における最新版

フェルナンド・ゴンサレス
Fernando González
2009年全米オープンでのフェルナンド・ゴンサレス
基本情報
フルネーム Fernando González Ciuffardi
国籍  チリ
出身地 同・サンティアゴ
居住地 同・サンティアゴ
生年月日 (1980-07-29) 1980年7月29日(44歳)
身長 183cm
体重 82kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1999年
引退年 2012年
ツアー通算 14勝
シングルス 11勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 479勝300敗
シングルス 370勝202敗
ダブルス 109勝98敗
生涯獲得賞金 $8,862,276
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(2007)
全仏 ベスト4(2009)
全英 ベスト8(2005)
全米 ベスト8(2002・09)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2010)
全仏 ベスト4(2005)
全英 2回戦(2005)
全米 ベスト8(2004)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 5位(2007年1月29日)
ダブルス 25位(2005年7月4日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
2004 アテネ ダブルス
2008 北京 シングルス
2004 アテネ シングルス

フェルナンド・フランシスコ・ゴンサレス・シウファルディFernando Francisco González Ciuffardi, 1980年7月29日 - )はチリの首都サンティアゴ出身の元男子プロテニス選手。2007年全豪オープン男子シングルス準優勝者であり、2004年アテネ五輪の男子ダブルスで金メダル、男子シングルス部門で銅メダル、北京五輪男子シングルスで銀メダルがある。シングルス自己最高ランキングは5位。ATPツアーでシングルス11勝、ダブルス3勝を挙げた。身長183cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。

選手経歴

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1999年 プロ転向

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ジュニア時代に、1998年全仏オープンジュニア男子シングルスでライバルのフアン・カルロス・フェレーロを破って優勝し、翌1999年に19歳でプロ転向。

2000年 ツアー初優勝

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2000年全米男子クレーコート選手権ニコラス・マスーとのチリ勢決勝対決を制し、ツアー初優勝を飾った。ATPツアーにおいてチリ勢決勝対決が行われたのは、1982年以来18年ぶりの出来事だった。この年は順調にランキングを上げ、135位で終えた。

2002年 全米ベスト8

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2002年は2大会で優勝を挙げ、同年の全米オープンでは4大大会にて自身初の準々決勝進出を果たす。準々決勝ではシェング・シャルケンに7-6, 3-6, 3-6, 7-6, 6-7のフルセットで敗れたが、世界ランキング18位で年を終える飛躍を見せた。

2003年 全仏ベスト8

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2003年全仏オープンの準々決勝で、ジュニア時代からのライバルであるファン・カルロス・フェレーロに1-6, 6-3, 1-6, 7-5, 4-6で敗れた。この年は優勝が無く、35位で年を終えた。

2004年 アテネ五輪金・銅メダル獲得

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2004年アテネ五輪で、チリ代表に選出され、ニコラス・マスーと組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した。決勝の相手はドイツニコラス・キーファー/ライナー・シュットラー組で、試合は6-2, 4-6, 3-6, 7-6, 6-4のフルセットの末勝利。男子シングルスでもベスト4まで勝ち進み、3位決定戦でアメリカのテーラー・デントを6-4, 2-6, 16-14で下して銅メダルを獲得した。こうしてゴンサレスは、マスーと並んでチリの国民的英雄となった。2004年度は23位で終えた。

2005年 ウィンブルドンベスト8

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2005年にゴンサレスは男子ツアーで3大会優勝を挙げ、ウィンブルドンでは初めて準々決勝に進出したがロジャー・フェデラーに5-7, 2-6, 6-7で敗退。また、全仏オープン男子ダブルスでマスーと組み、準決勝進出を果たした。2005年度を11位で終えた。

2007年 全豪準優勝 世界5位

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2007年全豪オープンで、ゴンサレスは初の4大大会決勝進出を果たす。3回戦でレイトン・ヒューイット、4回戦でジェームズ・ブレーク、準々決勝でラファエル・ナダル、準決勝でトミー・ハースといった強豪を破る快進撃を見せ、決勝で過去9戦全敗だったロジャー・フェデラーに6-7, 4-6, 4-6で敗れて優勝を阻まれたが、チリの男子テニス選手が4大大会シングルス決勝に進出したのは、1998年全豪オープンの準優勝者マルセロ・リオス以来9年ぶりであった。この年は優勝こそ1大会に止まったものの、戦績は良好。年最終戦テニス・マスターズ・カップではラウンドロビンにて、10戦全敗だったロジャー・フェデラーに初めて勝利し、2007年度は7位で終えた。

2008年 北京五輪銀メダル獲得

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2008年全豪オープンの3回戦敗退により、世界ランキングで大きく後退したが、2大会で優勝。全仏オープンで5年ぶり2度目の準々決勝進出があり、フェデラーに6-2, 2-6, 3-6, 4-6で競り負けた。8月の北京五輪において、ゴンサレスは2大会連続で男子シングルスのメダルを獲得する。第12シードから決勝まで進出した彼は、金メダルをかけた決勝戦でラファエル・ナダルに3-6, 6-7, 3-6で敗れた。

2009年 全仏ベスト4

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2009年全仏オープンでは初の準決勝に進み、4回戦で第1シードのラファエル・ナダルを破って勝ち進んだロビン・セーデリングと対戦。2セット先行されてから追い上げ、第5セットまで持ち込むものの、最終的に3-6, 5-7, 7-5, 6-4, 4-6で敗れ決勝進出ならず。

2012年 引退

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ゴンサレスは2012年ソニー・エリクソン・オープン1回戦でニコラ・マユに5-7, 6-4, 6-7(3)で敗れた試合を最後に31歳で現役を引退した[1]

プレースタイル

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ベースライン付近でプレーするストローカーである。中でも特筆すべきは、彼の強力なフォアハンドである。強い筋力によって体の鋭い回転に腕をついて行かせることで、大きなスイングによってフォアハンドで非常に威力の強いボールを打つことができる。ラファエル・ナダルに比べて高い打点に強いと言える[2]

ATPツアー決勝進出結果

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シングルス: 22回 (11勝11敗)

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大会グレード
グランドスラム (0-1)
オリンピック (0-1)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-2)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-1)
ATPワールドツアー・250シリーズ (11-6)
サーフェス別タイトル
ハード (2-6)
クレー (8-3)
芝 (0-0)
カーペット (1-2)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2000年5月7日 アメリカ合衆国の旗 オーランド クレー チリの旗 ニコラス・マスー 6–2, 6–3
優勝 2. 2002年2月17日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー エクアドルの旗 ニコラス・ラペンティ 6–3, 6–7(5–7), 7–6(7–4)
優勝 3. 2002年9月29日 イタリアの旗 パレルモ クレー アルゼンチンの旗 ホセ・アカスソ 5–7, 6–3, 6–1
準優勝 1. 2002年10月27日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン 4–6, 3–6, 2–6
準優勝 2. 2003年8月3日 アメリカ合衆国の旗 ワシントンD.C. ハード イギリスの旗 ティム・ヘンマン 3–6, 4–6
準優勝 3. 2003年10月5日 フランスの旗 メス ハード (室内) フランスの旗 アルノー・クレマン 3–6, 6–1, 3–6
優勝 4. 2004年2月15日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー ブラジルの旗 グスタボ・クエルテン 7–5, 6–4
準優勝 4. 2004年7月18日 オランダの旗 アメルスフォールト クレー オランダの旗 マルティン・フェルケルク 6–7(5–7), 6–4, 4–6
優勝 5. 2005年1月16日 ニュージーランドの旗 オークランド ハード ベルギーの旗 オリビエ・ロクス 6–4, 6–2
準優勝 5. 2005年2月6日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー アルゼンチンの旗 ガストン・ガウディオ 3–6, 4–6
優勝 6. 2005年7月24日 オランダの旗 アメルスフォールト クレー アルゼンチンの旗 アグスティン・カレリ 7–5, 6–3
優勝 7. 2005年10月30日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) キプロスの旗 マルコス・バグダティス 6–7(10–12), 6–3, 7–5, 6–4
準優勝 6. 2006年10月15日 オーストリアの旗 ウィーン ハード (室内) クロアチアの旗 イワン・リュビチッチ 3–6, 4–6, 5–7
準優勝 7. 2006年10月22日 スペインの旗 マドリード ハード (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 5–7, 1–6, 0–6
準優勝 8. 2006年10月29日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 3–6, 2–6, 6–7(3–7)
準優勝 9. 2007年1月28日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード スイスの旗 ロジャー・フェデラー 6–7(2–7), 4–6, 4–6
準優勝 10. 2007年5月13日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 2–6, 2–6
優勝 8. 2007年9月16日 中華人民共和国の旗 北京 ハード スペインの旗 トミー・ロブレド 6–1, 3–6, 6–1
優勝 9. 2008年2月3日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー アルゼンチンの旗 フアン・モナコ 不戦勝
優勝 10. 2008年5月4日 ドイツの旗 ミュンヘン クレー イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ 7–6(7–4), 6–7(4–7), 6–3
準優勝 11. 2008年8月17日 中華人民共和国の旗 北京五輪 ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 3–6, 6–7(2–7), 3–6
優勝 11. 2009年2月8日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー アルゼンチンの旗 ホセ・アカスソ 6–1, 6–3

ダブルス: 4回 (3勝1敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2004年8月21日 ギリシャの旗 アテネ五輪 ハード チリの旗 ニコラス・マスー ドイツの旗 ニコラス・キーファー
ドイツの旗 ライナー・シュットラー
6–2, 4–6, 3–6, 7–6(7), 6–4
優勝 2. 2005年4月10日 スペインの旗 バレンシア クレー アルゼンチンの旗 マルティン・ロドリゲス アルゼンチンの旗 ルカス・アルノルド・カー
アルゼンチンの旗 マリアノ・フッド
6–4, 6–4
準優勝 1. 2005年7月24日 オランダの旗 アメルスフォールト クレー チリの旗 ニコラス・マスー ペルーの旗 ルイス・オルナ
アルゼンチンの旗 マルティン・ガルシア
4–6, 4–6
優勝 3. 2005年10月31日 スイスの旗 バーゼル カーペット アルゼンチンの旗 アグスティン・カレリ オーストラリアの旗 ステファン・フース
南アフリカ共和国の旗 ウェスリー・ムーディ
7–5, 7–5

シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 通算成績
全豪オープン A 1R 4R 2R 1R 3R 1R F 3R 4R 4R A 20–10
全仏オープン LQ 2R 3R QF 1R 3R 2R 1R QF SF 2R A 20–10
ウィンブルドン A LQ 2R 1R 3R QF 3R 3R 2R 3R A 3R 16–9
全米オープン 2R LQ QF 3R 1R 3R 3R 1R 4R QF 1R 1R 18–11

大会最高成績

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大会 成績
マスターズ・カップ RR 2005, 2007
インディアンウェルズ 4R 2005, 2007, 2009
マイアミ SF 2004
モンテカルロ SF 2006
マドリード F 2006
ローマ F 2007
カナダ SF 2006
シンシナティ SF 2002, 2006
上海 F 2015
パリ 3R 2009
ハンブルク QF 2003, 2007
オリンピック S 2008
デビスカップ QF 2006, 2010

脚注

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外部リンク

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