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'''コーク・バリントン'''(''Hugh Neville (Kork) Ballington'', [[1951年]][[4月10日]] - )は、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]](生れは[[ローデシア]])の元[[オートバイ]] |
'''コーク・バリントン'''(''Hugh Neville (Kork) Ballington'', [[1951年]][[4月10日]] - )は、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]](生れは[[ローデシア]])の元[[オートバイ]]レーサー。[[ロードレース世界選手権]]で通算4度の世界チャンピオンに輝いたライダーである。 |
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==経歴== |
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自国のプロダクションレースで経験を積んだバリントンは、イギリスに渡ってブリティッシュ選手権に参戦するかたわら、[[ロードレース世界選手権|WGP]]への参戦を開始した。数年間のスポット参戦ながら[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]の2気筒マシンで勝利を挙げるなどの活躍を見せていたバリントンに目を付けた[[川崎重工業|カワサキ]]は、彼を[[ワークス・チーム|ファクトリーチーム]]に迎え入れた。ファクトリーライダーとしてフル参戦を開始したバリントンは、 |
自国のプロダクションレースで経験を積んだバリントンは、イギリスに渡ってブリティッシュ選手権に参戦するかたわら、[[ロードレース世界選手権|WGP]]への参戦を開始した。数年間のスポット参戦ながら[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]の2気筒マシンで勝利を挙げるなどの活躍を見せていたバリントンに目を付けた[[川崎重工業|カワサキ]]は、彼を[[ワークス・チーム|ファクトリーチーム]]に迎え入れた。ファクトリーライダーとしてフル参戦を開始したバリントンは、カワサキの期待に応えて{{MGP|1978}}と{{MGP|1979}}、激戦区である250ccと350ccの両クラスで2年連続ダブルタイトルを獲得した。 |
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{{MGP|1980}}、ケン・鈴木率いるカワサキとバリントンは[[モノコック|モノコックフレーム]]という当時としては革新的な構成を持つニューマシン、[[カワサキ・KR (ロードレーサー)|KR500]]で最高峰クラスへの挑戦を開始する。しかしバリントンの力をもってしても、ニューマシンを開発しながらレースを戦うには500ccクラスの壁は厚く、250ccクラスや350ccクラスでの成功を再現することはできなかった。 |
{{MGP|1980}}、ケン・鈴木率いるカワサキとバリントンは[[モノコック|モノコックフレーム]]という当時としては革新的な構成を持つニューマシン、[[カワサキ・KR (ロードレーサー)|KR500]]で最高峰クラスへの挑戦を開始する。しかしバリントンの力をもってしても、ニューマシンを開発しながらレースを戦うには500ccクラスの壁は厚く、250ccクラスや350ccクラスでの成功を再現することはできなかった。 |
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結局、3年間に渡る500ccクラス挑戦で勝利を挙げることはできず、カワサキは{{MGP|1982}}を最後にKR500の開発を取り止めると同時に世界選手権からの撤退を決定。カワサキがバリントンに撤退ぎりぎりまで伝えなかったため |
結局、3年間に渡る500ccクラス挑戦で勝利を挙げることはできず、カワサキは{{MGP|1982}}を最後にKR500の開発を取り止めると同時に世界選手権からの撤退を決定。カワサキがバリントンに撤退ぎりぎりまで伝えなかったため、すでに他チームの翌年陣容が決定済みでありバリントンは他チームのシートを得られずグランプリから引退した。 |
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その後は散発的であったが各国のビッグイベントに出場した。[[AMAスーパーバイク選手権|アメリカAMA]]・[[デイトナ・インターナショナル・スピードウェイ|デイトナ200マイルレース]]にスコールバンディッド・スズキの[[スズキ・GSX-R750|GSX-R750]]で参戦。1986年には[[ホンダ・NSR|ホンダ・NSR250]]で[[全日本ロードレース選手権]]最終戦および富士スーパースプリント'86にスポット参戦。[[鈴鹿8時間耐久レース]]にも1984年より参戦し<ref>静かに甦った英雄コーク その実力と情熱に最敬礼 サイクルワールド別冊 1986 SUZUKA 8hours特集号 32ページ [[ソニー・マガジンズ|CBS・ソニー出版]] 1986年9月10日発行</ref>、1987年から2年はカワサキの最新鋭ワークスマシン・ZXR-7で参戦する機会を得ると予選6位タイムを出し、88年に決勝レースを6位完走と好結果を残した。 |
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==WGPでの戦績== |
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==レース戦歴== |
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===ロードレース世界選手権=== |
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*'''[[Template:MotoGP results legend|凡例]]''' |
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*'''ボールド体'''のレースはポールポジション、''イタリック体''のレースはファステストラップを記録。 |
*'''ボールド体'''のレースはポールポジション、''イタリック体''のレースはファステストラップを記録。 |
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===鈴鹿8時間耐久オートバイレース=== |
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! 年 |
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! チーム |
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! ペアライダー |
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! 車番 |
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! マシン |
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! タイヤ |
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! 予選順位 |
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! 予選タイム |
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! 決勝順位 |
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! 周回数 |
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! 1984 |
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|月木レーシング |
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| {{flagicon|AUS}} ロブ・フィリス |
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| [[カワサキ・GPZ|カワサキ・GPZ750]] |
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| style="text-align: center;" | 12 |
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| style="text-align: center;" | 2'27”67 |
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!{{MsStatsC|pt}}| 6位 |
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!1986 |
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| PAIR SLOPE with B! |
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| {{flagicon|AUS}} ロブ・フィリス |
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| style="text-align: center;" | 8 |
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| [[ホンダ・VFR|ホンダ・VFR750]] |
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|style="text-align: center;"| {{Dunlop}} |
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| style="text-align: center;" | 2'26”073 |
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!{{MsStatsC|pt}}| 8位 |
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| style="text-align: center;" | 187 |
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|- |
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!1987 |
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| Goodluck Team Green |
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| {{flagicon|AUS}} ロブ・フィリス |
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| style="text-align: center;" | 7 |
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| [[カワサキ・ZXR|カワサキ・ZXR-7]] |
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|style="text-align: center;"| {{Dunlop}} |
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| style="text-align: center;" | 6 |
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| style="text-align: center;" | 2'19”076 |
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!{{MsStatsC|ret}}| 38位 |
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| style="text-align: center;" | 110 |
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!1988 |
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| Team Kawasaki |
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| {{flagicon|AUS}} ロブ・フィリス |
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| style="text-align: center;" | 7 |
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| カワサキ・ZXR-7 |
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|style="text-align: center;"| {{Michelin}} |
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| style="text-align: center;" | 7 |
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| style="text-align: center;" | |
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!{{MsStatsC|pt}}| 6位 |
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| style="text-align: center;" | 198 |
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==脚注== |
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*[http://www.motogp.com/ja/riders/profiles/Kork+Ballington Kork Ballington The Official MotoGP Website] |
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2023年10月25日 (水) 13:02時点における最新版
コーク・バリントン | |
---|---|
![]() | |
グランプリでの経歴 | |
国籍 |
![]() |
活動期間 | 1976年 - 1982年 |
チーム | ヤマハ、カワサキ |
レース数 | 88 |
チャンピオン |
4 250cc - 1978年、1979年 350cc - 1978年、1979年 |
優勝回数 |
31 250cc - 17 350cc - 14 |
表彰台回数 | 46 |
通算獲得ポイント | 802 |
ポールポジション回数 |
19 250cc - 9 350cc - 10 |
ファステストラップ回数 |
24 250cc - 15 350cc - 7 500cc - 2 |
初グランプリ | 1976年 350cc イタリアGP |
初勝利 | 1976年 350cc スペインGP |
最終勝利 | 1980年 250cc 西ドイツGP |
最終グランプリ | 1982年 500cc サンマリノGP |
コーク・バリントン(Hugh Neville (Kork) Ballington, 1951年4月10日 - )は、南アフリカ(生れはローデシア)の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で通算4度の世界チャンピオンに輝いたライダーである。
経歴[編集]
自国のプロダクションレースで経験を積んだバリントンは、イギリスに渡ってブリティッシュ選手権に参戦するかたわら、WGPへの参戦を開始した。数年間のスポット参戦ながらヤマハの2気筒マシンで勝利を挙げるなどの活躍を見せていたバリントンに目を付けたカワサキは、彼をファクトリーチームに迎え入れた。ファクトリーライダーとしてフル参戦を開始したバリントンは、カワサキの期待に応えて1978年と1979年、激戦区である250ccと350ccの両クラスで2年連続ダブルタイトルを獲得した。
1980年、ケン・鈴木率いるカワサキとバリントンはモノコックフレームという当時としては革新的な構成を持つニューマシン、KR500で最高峰クラスへの挑戦を開始する。しかしバリントンの力をもってしても、ニューマシンを開発しながらレースを戦うには500ccクラスの壁は厚く、250ccクラスや350ccクラスでの成功を再現することはできなかった。
結局、3年間に渡る500ccクラス挑戦で勝利を挙げることはできず、カワサキは1982年を最後にKR500の開発を取り止めると同時に世界選手権からの撤退を決定。カワサキがバリントンに撤退ぎりぎりまで伝えなかったため、すでに他チームの翌年陣容が決定済みでありバリントンは他チームのシートを得られずグランプリから引退した。
その後は散発的であったが各国のビッグイベントに出場した。アメリカAMA・デイトナ200マイルレースにスコールバンディッド・スズキのGSX-R750で参戦。1986年にはホンダ・NSR250で全日本ロードレース選手権最終戦および富士スーパースプリント'86にスポット参戦。鈴鹿8時間耐久レースにも1984年より参戦し[1]、1987年から2年はカワサキの最新鋭ワークスマシン・ZXR-7で参戦する機会を得ると予選6位タイムを出し、88年に決勝レースを6位完走と好結果を残した。
現在は家族と共にオーストラリアのブリスベンに移り住んでいる。
レース戦歴[編集]
ロードレース世界選手権[編集]
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 250cc | ヤマハ | FRA - |
ITA - |
IMN - |
NED - |
BEL - |
SWE - |
FIN - |
CZE - |
GER 2 |
SPA 8 |
15 | 13位 | 0 | |||
350cc | ヤマハ | FRA - |
ITA 6 |
IMN - |
NED - |
BEL - |
SWE - |
FIN - |
CZE - |
GER - |
SPA 1 |
20 | 12位 | 1 | ||||
1977 | 250cc | ヤマハ | VEN 5 |
GER 6 |
ITA - |
SPA - |
FRA - |
YUG - |
NED - |
BEL 6 |
SWE - |
FIN 3 |
CZE 4 |
GBR 1 |
49 | 6位 | 1 | |
350cc | ヤマハ | VEN - |
AUT - |
GER - |
ITA - |
FRA - |
NED 1 |
SWE 2 |
FIN - |
CZE 7 |
GBR 1 |
46 | 5位 | 2 | ||||
1978 | 250cc | カワサキ | VEN 5 |
SPA 4 |
FRA 3 |
ITA 1 |
NED 2 |
BEL 5 |
SWE 2 |
FIN 1 |
GBR NC |
GER 1 |
CZE 1 |
YUG 3 |
124 | 1位 | 4 | |
350cc | カワサキ | VEN 4 |
AUT 1 |
FRA 2 |
ITA 1 |
NED 1 |
SWE 2 |
FIN 1 |
GBR 1 |
GER 2 |
CZE 1 |
YUG - |
134 | 1位 | 6 | |||
1979 | 250cc | カワサキ | VEN 2 |
GER 1 |
ITA 1 |
SPA 1 |
YUG 4 |
NED 3 |
BEL DNS |
SWE 5 |
FIN 1 |
GBR 1 |
CZE 1 |
FRA 1 |
141 | 1位 | 7 | |
350cc | カワサキ | VEN 4 |
AUT 1 |
GER 4 |
ITA NC |
SPA 1 |
YUG 1 |
NED - |
FIN 9 |
GBR 1 |
CZE 1 |
FRA 5 |
99 | 1位 | 5 | |||
1980 | 250cc | カワサキ | ITA NC |
SPA 1 |
FRA 1 |
YUG - |
NED - |
BEL - |
FIN 1 |
GBR 1 |
CZE 2 |
GER 1 |
87 | 2位 | 5 | |||
500cc | カワサキ | ITA NC |
SPA 13 |
FRA 8 |
NED - |
BEL - |
FIN 5 |
GBR 7 |
GER - |
13 | 12位 | 0 | ||||||
1981 | 500cc | カワサキ | AUT 6 |
GER NC |
ITA - |
FRA 7 |
YUG - |
NED 3 |
BEL - |
RSM 5 |
GBR NC |
FIN 3 |
SWE 4 |
43 | 8位 | 0 | ||
1982 | 500cc | カワサキ | ARG 8 |
AUT NC |
FRA - |
SPA 9 |
ITA 6 |
NED 7 |
BEL 8 |
YUG 10 |
GBR 7 |
SWE 6 |
RSM 7 |
GER - |
31 | 9位 | 0 |
鈴鹿8時間耐久オートバイレース[編集]
年 | チーム | ペアライダー | 車番 | マシン | タイヤ | 予選順位 | 予選タイム | 決勝順位 | 周回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 月木レーシング | ![]() |
5 | カワサキ・GPZ750 | D | 12 | 2'27”67 | 6位 | 185 |
1986 | PAIR SLOPE with B! | ![]() |
8 | ホンダ・VFR750 | D | 18 | 2'26”073 | 8位 | 187 |
1987 | Goodluck Team Green | ![]() |
7 | カワサキ・ZXR-7 | D | 6 | 2'19”076 | 38位 | 110 |
1988 | Team Kawasaki | ![]() |
7 | カワサキ・ZXR-7 | M | 7 | 6位 | 198 |