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「ウィルフィレーセル・ゲレロ」の版間の差分

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'''ウィルフィレーセル・ゲレロ・ソト'''('''Wilfreiser Guerrero Soto''' , [[1986年]][[10月17日]] - )は、[[ドミニカ共和国]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[2017年]]より[[福岡ソフトバンクホークス]]の[[スペイン語]][[通訳]]を務める。姓(第一姓)は日本語で「'''ゲレーロ'''」とも表記される。
'''ウィルフィレーセル・ゲレロ・ソト'''('''Wilfreiser Guerrero Soto''' , [[1986年]][[10月17日]] - )は、[[ドミニカ共和国]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投右打。[[日本野球機構|NPB]]では[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]であった。[[2017年]]より[[福岡ソフトバンクホークス]]の[[スペイン語]][[通訳]]を務める。姓(第一姓)は日本語で「'''ゲレーロ'''」とも表記される<ref>{{Cite news|title=17歳メキシコ人左腕の衝撃…ソフトバンクが前例なき“青田買い”に踏み切れたワケ「週に2回、日本語授業を受けて…」|newspaper=Number Web|date=2022-05-03|page=3|author=田尻耕太郎|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/853077?page=3|accessdate=2022-08-02}}</ref>


== 来歴・人物 ==
== 来歴 ==
=== 現役時代 ===
ドミニカ共和国の{{仮リンク|ニサオ|en|Nizao}}出身<ref name="BC">{{Cite news|url=https://www.baseballchannel.jp/npb/43543/|title=SBゲレーロ通訳「いつか日本で指導者に」。一軍登板は叶わずも、新たな夢を掴むため【インタビュー】|newspaper=ベースボールチャンネル|date=2018-02-03|accessdate=2018-02-03}}</ref>。[[メジャーリーグベースボール]]のアカデミー志望だったが契約に至らず、[[カープアカデミー]]に入る<ref name="BC"/>。短期間のトレーニングで球速が向上したことから日本に練習生として派遣されることになり<ref name="BC"/>、[[2008年]]に初来日。四国・九州アイランドリーグ(現:[[四国アイランドリーグplus]])に同年新加入した[[長崎セインツ]]に派遣され、24試合に登板、0勝7敗0Sで防御率4.54の成績だった。
ドミニカ共和国の{{仮リンク|ニサオ|en|Nizao}}出身<ref name="BC">{{Cite news|url=https://www.baseballchannel.jp/npb/43543/|title=SBゲレーロ通訳「いつか日本で指導者に」。一軍登板は叶わずも、新たな夢を掴むため【インタビュー】|newspaper=ベースボールチャンネル|date=2018-02-03|accessdate=2018-02-03}}</ref>。[[メジャーリーグベースボール|MLB]]のアカデミー志望だったが契約に至らず、[[カープアカデミー]]に入る<ref name="BC"/>。短期間のトレーニングで球速が向上したことから日本に練習生として派遣されることになり<ref name="BC"/>、{{by|2008年}}に[[広島東洋カープ]]に練習生として入団。四国・九州アイランドリーグ(現:[[四国アイランドリーグplus]])に同年新加入した[[長崎セインツ]]に派遣され、24試合に登板、0勝7敗0セーブ、防御率4.54の成績だった。


[[2009年]]は、後期シーズンのみという契約で[[徳島インディゴソックス]]に派遣されると5勝を挙げ、防御率1.69で最優秀防御率のタイトルを獲得した。
{{by|2009年}}は、後期シーズンのみという契約で[[徳島インディゴソックス]]に派遣されると5勝を挙げ、防御率1.69で最優秀防御率のタイトルを獲得した。


[[2010年]][[1月26日]]、[[広島東洋カープ]]と[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]契約を結んだ。この時期には、来日当初は合わなかったという日本の食事などにも馴染んでいたという<ref name="BC"/>。2010年・2011年は支配下登録選手への移行は行われなかった。
{{by|2010年}}[[1月26日]]、カープと[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]契約を結んだ。この時期には、来日当初は合わなかったという日本の食事などにも馴染んでいたという<ref name="BC"/>。2010年・2011年は支配下登録選手への移行は行われなかった。


[[2011年]]11月1日、育成選手契約を解除したことが球団から発表された<ref>{{cite web | url = http://www.carp.co.jp/news11/s-039.html | title = 選手契約について | publisher = 広島東洋カープ | date = 2011-11-01 | accessdate = 2011-11-03}}</ref>。カープ退団後はドミニカ共和国に戻り、失意から野球をやめようとしたが、友人からのアドバイスで練習は続けた<ref name="BC"/>。
{{by|2011年}}11月1日、育成選手契約を解除したことが球団から発表された<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.carp.co.jp/news11/s-039.html | title = 選手契約について | publisher = 広島東洋カープ | date = 2011-11-01 | accessdate = 2011-11-03}}</ref>。カープ退団後はドミニカ共和国に戻り、失意から野球をやめようとしたが、友人からのアドバイスで練習は続けた<ref name="BC"/>。


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{{by|2013年}}に本の知人の紹介で[[高知ファイティングドッグス]]の入団テストを受け<ref name="BC"/>、[[8月1日]]に選手契約を結び<ref>{{Cite web|和書| url =http://www.fighting-dogs.jp/topics/team000087.htm | title =【チーム】支配下選手登録及び解除 | publisher = 高知ファイティングドッグス | date = 2013-08-01 | accessdate = 2013-08-01}}</ref>、4年ぶりにアイランドリーグに復帰した。その際の来日から高知への移動や入団テストの様子が、2013年[[9月16日]]に[[テレビ東京]]の「[[YOUは何しに日本へ?]]」で放送された。
その際の来日から高知への移動や入団テストの様子が[[2013年]][[9月16日]]の[[テレビ東京]]の[[YOUは何しに日本へ?]]で放送された。2015年1月31日、2014年シーズン限りで高知を退団したことが発表された<ref>[http://bkp.iblj.co.jp/topics_detail/id=4711 退団選手のお知らせ] - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年1月31日)</ref>。高知への入団は日本の知人の紹介で入団テストを受けたことによる<ref name="BC"/>。


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{{by|2015年}}131日、{{by|2014年}}シ限りで高知を退団したことが発表された<ref>[http://bkp.iblj.co.jp/topics_detail/id=4711 退団選手のお知らせ] - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年131日)</ref>。


愛媛在籍当時、ファン感謝祭で[[ラファエル・ポロ]]など他の外国人選手の通訳を務めたことがあった<ref>[http://www.m-pirates.jp/topics/entry/2015/10/008349.php 2015ファン感謝祭 盛り上がりました!] - 愛媛マンダリンパイレーツ公式サイト(2015年10月19日)</ref>。周囲の日本人に何でも質問したり、日本のテレビ番組を見たりして日本語を覚えていったと述べている<ref name="BC"/>。
2015年5月23日、同じアイランドリーグの[[愛媛マンダリンパイレーツ]]に入団したことが発表された<ref>[http://bkp.iblj.co.jp/topics_detail/id=4957 入団選手のお知らせ] - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年5月23日)</ref>。アイランドリーグの所属球団としては、派遣時代も含めて4球団目となる。愛媛在籍当時、ファン感謝祭で[[ラファエル・ポロ]]など他の外国人選手の通訳を務めたことがあった<ref>[http://www.m-pirates.jp/topics/entry/2015/10/008349.php 2015ファン感謝祭 盛り上がりました!] - 愛媛マンダリンパイレーツ公式サイト(2015年10月19日)</ref>。周囲の日本人に何でも質問したり、日本のテレビ番組を見たりして日本語を覚えていったと述べている<ref name="BC"/>。


2015年11月26日、愛媛を自由契約となり、退団することが発表された<Ref>[http://bkp.iblj.co.jp/topics_detail/id=5381 愛媛MP退団選手のお知らせ] - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年11月26日)</ref>。再度帰国し地元で野球を教えながら、NPB1軍でプレーするという目標のため練習を続けていたという<ref name="BC"/>。
2015年11月26日、愛媛を自由契約となり、退団することが発表された<ref>[http://bkp.iblj.co.jp/topics_detail/id=5381 愛媛MP退団選手のお知らせ] - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年11月26日)</ref>。再度帰国し地元で野球を教えながら、NPB1軍でプレーするという目標のため練習を続けていたという<ref name="BC"/>。


=== 現役引退後 ===
2017年5月、福岡ソフトバンクホークスが[[キューバ]]出身育成選手の通訳として採用する意向であると報じられ<ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/328599/ |title=キューバ育成選手に専用通訳 元広島育成のゲレロ氏採用へ |newspaper=[[西日本スポーツ]]|date=2017-05-16|accessdate=2017-05-16}}</ref>、5月19日に正式に球団から通訳としての採用が発表された<ref>[https://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/00000432.html 新入団スタッフ(スペイン語通訳)について] - 福岡ソフトバンクホークス(2017年5月19日)</ref>。この採用は、ゲレロを知っていたホークススカウトからの推薦によるものだったという<ref name="BC"/>。2018年現在は[[オスカー・コラス]]の通訳を担当し、当初は[[リバン・モイネロ]]も担当していた<ref name="BC"/>。
{{by|2017年}}5月、福岡ソフトバンクホークスが[[キューバ]]出身育成選手の通訳として採用する意向であると報じられ<ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/328599/ |title=キューバ育成選手に専用通訳 元広島育成のゲレロ氏採用へ |newspaper=[[西日本スポーツ]]|date=2017-05-16|accessdate=2017-05-16}}</ref>、5月19日に正式に球団から通訳としての採用が発表された<ref>[https://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/00000432.html 新入団スタッフ(スペイン語通訳)について] - 福岡ソフトバンクホークス(2017年5月19日)</ref>。この採用は、ゲレロを知っていたホークススカウトからの推薦によるものだったという<ref name="BC"/>。

これまで、[[リバン・モイネロ]]、[[オスカー・コラス]]らの通訳を担当。ソフトバンクの球団施設である「[[HAWKSベースボールパーク筑後#合宿寮|若鷹寮]]」に住み込み、主にスペイン語圏出身の若手外国人選手の通訳を担当している<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/853077?page=3 |title=17歳メキシコ人左腕の衝撃…ソフトバンクが前例なき“青田買い”に踏み切れたワケ「週に2回、日本語授業を受けて…」(3ページ)|publisher=Number Web|date=2022-05-03|author=田尻耕太郎|accessdate=2022-08-06}}</ref>。

== 選手としての特徴・人物 ==
2019年にはコラスの支配下登録記者会見に同席し、通訳ぶりについて「日本語は片言気味で、コラスと質問者のやりとりは、どこかちぐはぐに」「こうした場で日本語を話すのは初めてで、かなりの緊張があったようだ」と報じられた<ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/521297/|title=ソフトバンク助っ人会見で珍答連発 通訳と迷コンビ|newspaper=[[西日本スポーツ]]|date=2019-06-24|accessdate=2020-11-28}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
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[[Category:高知ファイティングドッグスの選手]]
[[Category:高知ファイティングドッグスの選手]]
[[Category:愛媛マンダリンパイレーツの選手]]
[[Category:愛媛マンダリンパイレーツの選手]]
[[Category:広島東洋カープ及び広島カープの選手]]
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[[Category:福岡ソフトバンクホークス関連人物]]
[[Category:福岡ソフトバンクホークス関連人物]]
[[Category:通訳]]
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[[Category:1986年生]]
[[Category:1986年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2023年10月28日 (土) 06:55時点における最新版

ウィルフィレーセル・ゲレロ
Wilfreiser Guerrero
長崎時代
(2008年4月29日 松山中央公園野球場
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ペラビア州ニサオ英語版
生年月日 (1986-10-17) 1986年10月17日(37歳)
身長
体重
195 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
派遣歴

ウィルフィレーセル・ゲレロ・ソトWilfreiser Guerrero Soto , 1986年10月17日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。2017年より福岡ソフトバンクホークススペイン語通訳を務める。姓(第一姓)は日本語で「ゲレーロ」とも表記される[1]

来歴

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現役時代

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ドミニカ共和国のニサオ英語版出身[2]MLBのアカデミー志望だったが契約に至らず、カープアカデミーに入る[2]。短期間のトレーニングで球速が向上したことから日本に練習生として派遣されることになり[2]2008年広島東洋カープに練習生として入団。四国・九州アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)に同年新加入した長崎セインツに派遣され、24試合に登板、0勝7敗0セーブ、防御率4.54の成績だった。

2009年は、後期シーズンのみという契約で徳島インディゴソックスに派遣されると5勝を挙げ、防御率1.69で最優秀防御率のタイトルを獲得した。

2010年1月26日、カープと育成選手契約を結んだ。この時期には、来日当初は合わなかったという日本の食事などにも馴染んでいたという[2]。2010年・2011年は支配下登録選手への移行は行われなかった。

2011年11月1日、育成選手契約を解除したことが球団から発表された[3]。カープ退団後はドミニカ共和国に戻り、失意から野球をやめようとしたが、友人からのアドバイスで練習は続けた[2]

2013年に日本の知人の紹介で高知ファイティングドッグスの入団テストを受け[2]8月1日に選手契約を結び[4]、4年ぶりにアイランドリーグに復帰した。その際の来日から高知への移動や入団テストの様子が、2013年9月16日テレビ東京の「YOUは何しに日本へ?」で放送された。

2015年1月31日、2014年シーズン限りで高知を退団したことが発表された[5]

2015年5月23日、同じアイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに入団したことが発表された[6]。アイランドリーグの所属球団としては、派遣時代も含めて4球団目となる。愛媛在籍当時、ファン感謝祭でラファエル・ポロなど他の外国人選手の通訳を務めたことがあった[7]。周囲の日本人に何でも質問したり、日本のテレビ番組を見たりして日本語を覚えていったと述べている[2]

2015年11月26日、愛媛を自由契約となり、退団することが発表された[8]。再度帰国し地元で野球を教えながら、NPB1軍でプレーするという目標のため練習を続けていたという[2]

現役引退後

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2017年5月、福岡ソフトバンクホークスがキューバ出身育成選手の通訳として採用する意向であると報じられ[9]、5月19日に正式に球団から通訳としての採用が発表された[10]。この採用は、ゲレロを知っていたホークススカウトからの推薦によるものだったという[2]

これまで、リバン・モイネロオスカー・コラスらの通訳を担当。ソフトバンクの球団施設である「若鷹寮」に住み込み、主にスペイン語圏出身の若手外国人選手の通訳を担当している[11]

選手としての特徴・人物

[編集]

2019年にはコラスの支配下登録記者会見に同席し、通訳ぶりについて「日本語は片言気味で、コラスと質問者のやりとりは、どこかちぐはぐに」「こうした場で日本語を話すのは初めてで、かなりの緊張があったようだ」と報じられた[12]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

独立リーグでの投手成績

[編集]











































2008 長崎 4.54 24 0 7 0 1 1 0 67.1 305 63 3 38 46 2 46 34
2009 徳島 1.69 12 5 2 0 1 1 0 64.0 273 28 2 75 47 8 15 12
2013 高知 5.14 6 3 3 0 0 0 0 21.0 100 22 0 7 7 6 15 12 3 1
2014 3.44 29 1 8 0 1 0 0 89.0 403 82 0 68 45 11 44 34 12 0
2015 愛媛 2.73 10 2 2 0 0 0 0 33.0 145 35 2 22 16 1 13 10 0 0
通算:5年 3.35 81 11 22 0 3 2 0 274.1 1226 230 7 210 161 28 133 102
  • 派遣時を含む

背番号

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  • 98 (2008年 - 2009年、2013年 - 2015年)
  • 140 (2010年 - 2011年)

脚注

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  1. ^ 田尻耕太郎 (2022年5月3日). “17歳メキシコ人左腕の衝撃…ソフトバンクが前例なき“青田買い”に踏み切れたワケ「週に2回、日本語授業を受けて…」”. Number Web: p. 3. https://number.bunshun.jp/articles/-/853077?page=3 2022年8月2日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i “SBゲレーロ通訳「いつか日本で指導者に」。一軍登板は叶わずも、新たな夢を掴むため【インタビュー】”. ベースボールチャンネル. (2018年2月3日). https://www.baseballchannel.jp/npb/43543/ 2018年2月3日閲覧。 
  3. ^ 選手契約について”. 広島東洋カープ (2011年11月1日). 2011年11月3日閲覧。
  4. ^ 【チーム】支配下選手登録及び解除”. 高知ファイティングドッグス (2013年8月1日). 2013年8月1日閲覧。
  5. ^ 退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年1月31日)
  6. ^ 入団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年5月23日)
  7. ^ 2015ファン感謝祭 盛り上がりました! - 愛媛マンダリンパイレーツ公式サイト(2015年10月19日)
  8. ^ 愛媛MP退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年11月26日)
  9. ^ “キューバ育成選手に専用通訳 元広島育成のゲレロ氏採用へ”. 西日本スポーツ. (2017年5月16日). https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/328599/ 2017年5月16日閲覧。 
  10. ^ 新入団スタッフ(スペイン語通訳)について - 福岡ソフトバンクホークス(2017年5月19日)
  11. ^ 田尻耕太郎 (2022年5月3日). “17歳メキシコ人左腕の衝撃…ソフトバンクが前例なき“青田買い”に踏み切れたワケ「週に2回、日本語授業を受けて…」(3ページ)”. Number Web. 2022年8月6日閲覧。
  12. ^ “ソフトバンク助っ人会見で珍答連発 通訳と迷コンビ”. 西日本スポーツ. (2019年6月24日). https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/521297/ 2020年11月28日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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