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* コーニングユニオン高等学校
* [[:en:New Mexico State University|ニューメキシコ州立大学]]
* [[:en:New Mexico State University|ニューメキシコ州立大学]]
* [[オークランド・アスレチックス]] (1994 - 1997)
* [[オークランド・アスレチックス]] (1994 - 1997)
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[1991年]]8月5日に[[オークランド・アスレチックス]]に入団。[[1994年]]5月13日、[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]初登板を果たす。このシーズンは34試合に登板した
[[1991年]]8月5日に[[オークランド・アスレチックス]]に入団。


[[1994年]]5月13日、[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]初登板を果たす。このシーズンは34試合に登板した。
その後も中継ぎとして登板していたが、[[1997年]]は自己最低の15試合の登板に終わり、シーズン終了後の12月4日に[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]がエーカーを獲得した<ref name=jinmei />。


[[1997年]]は自己最低の15試合の登板に終わり、シーズン終了後の12月4日に[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]がエーカーを獲得した<ref name="jinmei" />。
[[1998年]]は、故障で出遅れるもシーズン半ばに昇格すると安定感抜群の投球を披露し、巨人戦でも無失点の好投を見せるなど、この年チーム1番の安定感を誇っていた。しかし、投げる試合に限って打線の援護がなく、防御率2.34の好成績を残したものの0勝2敗でシーズンを終えた。その安定感を評価され、残留を勝ち取る。


[[1998年]]は、故障で出遅れるもその間に当初抑えとして起用構想であったが先発の適性を見いだされ二軍で先発投手として登板する。シーズン半ばに昇格すると先発投手として安定感抜群の投球を披露し、巨人戦でも無失点の好投を見せるなど、この年チーム1番の安定感を誇っていた。しかし、投げる試合に限って打線の援護がなく、防御率2.34の好成績を残したものの0勝2敗でシーズンを終えた。その安定感を評価され、残留を勝ち取る。
しかし、[[1999年]]は故障に泣かされ、公式戦登板はなかった。シーズン終了後に解雇された<ref name=jinmei />。

[[1999年]]は故障に泣かされ、一軍・二軍共に公式戦登板はなかった。シーズン終了後に解雇された<ref name=jinmei />。


== プレースタイル・人物 ==
== プレースタイル・人物 ==
140km/h台中盤の[[速球|ストレート]]と[[スライダー (球種)|スライダー]][[フォークボール|フォーク]]を投げる。
高身長のオーバースローから繰り出す140km/h台中盤の[[速球|ストレート]]と[[スライダー (球種)|スライダー]]、カーブ、[[フォークボール|フォーク]]を投げる。


メジャーでは中継ぎのみの登板であったが、ヤクルト時代は先発起用されていた。
メジャーでは中継ぎのみの登板であったが、ヤクルト時代は先発起用されていた。

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=== 年度別投手成績 ===
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2023年10月31日 (火) 07:24時点における最新版

マーク・エーカー
Mark Acre
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州コンコード[1]
生年月日 (1968-09-16) 1968年9月16日(55歳)
身長
体重
6' 8" =約203.2 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1994年5月13日
NPB / 1998年5月5日
最終出場 MLB / 1997年5月10日
NPB / 1998年9月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マーク・ロバート・エーカーMark Robert Acre , 1968年9月16日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

1991年8月5日にオークランド・アスレチックスに入団。

1994年5月13日、カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー初登板を果たす。このシーズンは34試合に登板した。

1997年は自己最低の15試合の登板に終わり、シーズン終了後の12月4日にヤクルトスワローズがエーカーを獲得した[1]

1998年は、故障で出遅れるもその間に当初抑えとして起用構想であったが先発の適性を見いだされ二軍で先発投手として登板する。シーズン半ばに昇格すると先発投手として安定感抜群の投球を披露し、巨人戦でも無失点の好投を見せるなど、この年チーム1番の安定感を誇っていた。しかし、投げる試合に限って打線の援護がなく、防御率2.34の好成績を残したものの0勝2敗でシーズンを終えた。その安定感を評価され、残留を勝ち取る。

1999年は故障に泣かされ、一軍・二軍共に公式戦登板はなかった。シーズン終了後に解雇された[1]

プレースタイル・人物[編集]

高身長のオーバースローから繰り出す140km/h台中盤のストレートスライダー、カーブ、フォークを投げる。

メジャーでは中継ぎのみの登板であったが、ヤクルト時代は先発起用されていた。

退団する際、通訳に惜別のプレゼントとして、愛用していた腕時計を手渡している[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1994 OAK 34 0 0 0 0 5 1 0 -- .833 147 34.1 24 4 23 3 1 21 1 0 13 13 3.41 1.37
1995 43 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 236 52.0 52 7 28 2 2 47 2 1 35 33 5.71 1.54
1996 22 0 0 0 0 1 3 2 -- .250 124 25.0 38 4 9 4 2 18 0 0 17 17 6.12 1.88
1997 15 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 75 15.2 21 1 8 0 0 12 0 0 10 10 5.74 1.85
1998 ヤクルト 12 11 0 0 0 0 2 0 -- .000 288 69.1 47 6 34 0 3 58 1 0 20 18 2.34 1.17
MLB:4年 114 0 0 0 0 9 6 2 -- .600 582 127.0 135 16 68 9 5 98 3 1 75 73 5.17 1.60
NPB:1年 12 11 0 0 0 0 2 0 -- .000 288 69.1 47 6 34 0 3 58 1 0 20 18 2.34 1.17
  • 「-」は記録なし

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 55 (1994年 - 1997年)
  • 24 (1998年 - 1999年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、87ページ
  2. ^ 元ヤクルト通訳が選ぶ「記憶に残る助っ人ベスト5」。問題児、超愛妻家、日本記録保持者の名前がずらり|プロ野球|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva”. 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2022年8月3日閲覧。

外部リンク[編集]