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'''山崎 直樹'''(やまざき なおき、[[1949年]][[6月25日]] - )は、[[日本]]の芸能プロモーターで[[芸能事務所]][[アップフロントグループ]][[代表取締役]][[会長]]、[[日本映像事業協同組合]]理事。


== 歴 ==
'''山崎直樹'''(やまざき なおき、[[1949年]][[6月25日]] - )は株式会社[[アップフロントグループ]][[代表取締役]][[会長]]である。又現在は[[日本映像事業協同組合]]理事も務めている
千葉県生まれ。[[明治大学]][[法学部]]中退後、[[エレックレコード]]、[[アルジェ音楽出版]]、[[日本フォノグラム]]などに勤めたのちに[[細川健]]が率いる[[ヤングジャパングループ]]の子会社[[ポリスター]]に移り制作部長を務め、[[カレイド|株式会社カレイド]](現在の[[ポリスター出版]])の代表取締役を兼務した。


ヤングジャパングループ(2012年現在も会社としては存続)は[[1983年]]以降所属タレントが別会社(ヤングジャパンの子会社を含む)への移籍相次ぎ、旧グループ系列の子会社数社の合併で[[アップフロントプロモーション|アップフロントエージェンシー]](現:アップフロントプロモーション)が誕生。[[1987年]]山崎は三代目代表取締役社長に就任した。アップフロントエージェンシー(当時)はその後分社化を経て、数々の子会社を持つ[[アップフロントグループ]]となった。[[2002年]][[6月]]に[[社長]]を退任し、[[会長]]に就任
== 歴 ==
[[明治大学]][[法学部]]中退後、[[エレックレコード]]、[[アルジェ音楽出版]]、[[日本フォノグラム]]などに勤めたのちに[[細川健]]が率いる[[ヤングジャパングループ]]の子会社[[ポリスター]]に移り制作部長を務め、[[カレイド]](現在の[[ポリスター出版]])の代表取締役を兼務した。


== 人物 ==
ヤングジャパングループは[[1983年]]には解散するが、旧グループ系列の子会社数社の合併で[[アップフロントエージェンシー]]が誕生。[[1987年]]山崎は三代目代表取締役社長に就任した。アップフロントエージェンシーはその後分社化を経て、数々の子会社を持つ[[アップフロントグループ]]となった。
音楽系プロモーターとして活動。1980年代には[[森高千里]]、1990年代には「[[モーニング娘。]]」、2000年代には[[松浦亜弥]]等の時代の人気を極めた女性[[アイドル]]を送り出す。一方、あまりマスコミには登場せず詳細な人物像について不明な点が多い。[[東京都特別区|東京]]を拠点として活動しているが、出身地の千葉県[[流山市]]鰭ヶ崎に複数の個人事務所の登記上の本店を置く。


===ハロー!プロジェクトを指揮か===
山崎は[[2002年]][[6月]]に[[社長]]を退任し、[[会長]]に就任。その後現在までグループのトップとして君臨している。このため、[[ビーイング]]グループの[[長戸大幸]]、[[エイベックス]]の[[松浦真在人]]、[[ジャニーズ事務所]]の[[ジャニー喜多川]]、と比較されるケースもある。
[[田中義剛]]のブログによれば、[[松浦亜弥]]をオーディションで採用合格させた理由として、自身の誕生日と血液型が一致していたことが挙げられていた。


マスメディアにおける発言・意思表示は唯一、雑誌「[[サイゾー]]」2000年10月号にて本人名義のインタビューで[[モーニング娘。]]のプロデュースについて語った記事が掲載されたことのみであ。このインタビューでは「音楽的な側面はある程度[[つんく♂]]に任せているものの、全ての最終的な決定は自分が行っており、モーニング娘。の真の[[プロデューサー]]はつんく♂ではなく自分」という意味のそれまでの[[ASAYAN]]([[テレビ東京]])の演出を全否定するような発言を行った。
== 評価 ==
;経営手腕
同事務所の基幹事業の一つである[[ハロー!プロジェクト]]を[[つんく♂]]らと共に支える一方で、[[ハローマゲドン]]などに見られるような、ファンの意向を無視するかのような独善的ともとれるプロデュースをする事が少なくなく、これにモーニング娘。のファンを中心に反発の声が非常に多く、批判の的となっている。それは理由や目的を山崎自身が語らない為にファンに真意が伝わっていないからだとも言える。所属タレントらのラジオ等での発言を聞く限りは、山崎は直感的に行動を決定する傾向があるようである。例えば、[[田中義剛]]のブログによれば、[[松浦亜弥]]を採用した理由が、松浦と自身の誕生日と血液型が一致していたからというのが挙げられる(もちろん、あくまで採用理由の一つであると思われる)。


===マスコミに出な===
しかし、ハロプロに対する固定客を大量に獲得し、ファンクラブや興行を事業の中心に据えて商業的成功を収め続けているその経営手腕や、アップフロントの「面倒見がよい」気質に対する支持も根強く、その手腕については賛否両論分かれている。
山崎は他[[芸能事務所]]社長のようにマスコミに登場せず、[[1995年]]当時事務所の所属タレントだった[[有賀さつき]]との不倫問題の際にも、有賀のみが登場


== 関連項目 ==
;マスコミ
===人物===
山崎は他の芸能プロダクション社長によくあるように、マスコミに登場することを極端に嫌っている。山崎がマスコミに登場したのは、彼とされる人物が雑誌「サイゾー」のインタビューで[[モーニング娘。]]のプロデュースについて語った事くらいで、あとは一切表に出ての発言はない。
*[[瀬戸由紀男]]


=== その他 ===
(このサイゾーのインタビューで山崎とされる人物は「音楽的な側面はある程度つんく♂に任せているものの、全ての最終的な決定は自分が行っており、モーニング娘。の真のプロデューサーはつんく♂ではなく自分」という意味のそれまでの[[ASAYAN]]([[テレビ東京]])の演出を全否定する発言を行っており、この事からハロー!プロジェクトのプロデュース批判の対象に山崎の名前があがるようになっている)
* [[ポリスター]] - かつては経営資本に参画していた。

* [[アリス (フォークグループ)|アリス]]
山崎のマスコミ嫌いは、[[1995年]]当時事務所の所属タレントだった[[有賀さつき]]との不倫問題にも表れておりこの時は有賀のみが矢面に立つことで山崎はマスコミの追及をかわている
* [[同族経営]]

こういった山崎の姿勢について批判する意見は少なくない。また、山崎の評価が定まりにくいのもこのように沈黙を守り通す山崎の姿勢にも原因があるとの意見もある。

なお余談だが不思議な事に頻繁に上層部の名前が出る[[ジャニーズ事務所]]や[[ホリプロ]]などとは違い、アップフロントやハロプロの存在に否定的な週刊誌などが山崎を名指しで批判する事はほとんどない。彼に対する批判はもっぱらモーニング娘。やハロープロジェクトのファンによるネット上でのものが中心である。

;その他
山崎は[[上戸彩]]、[[美少女クラブ31]]、[[AKB48]]を徹底的に批判しており、[[モーニング娘。]]は絶対に共演させない。

山崎は[[オスカープロモーション]]の[[古賀誠一]]と犬猿の仲であり、[[クイズ!ヘキサゴン]]では他のハロプロメンバーは[[福田沙紀]]と共演しているが、[[モーニング娘。]]は絶対に共演させない、さらに[[上戸彩]]とはハロプロメンバーとの共演を禁止させた。


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{{ハロー!プロジェクト}}


[[Category:アップフロントグループ|やまさき なおき]]
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[[Category:芸能プロデューサー]]
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2023年11月18日 (土) 08:39時点における最新版

山崎 直樹(やまざき なおき、1949年6月25日 - )は、日本の芸能プロモーターで芸能事務所アップフロントグループ代表取締役会長日本映像事業協同組合理事。

来歴

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千葉県生まれ。明治大学法学部中退後、エレックレコードアルジェ音楽出版日本フォノグラムなどに勤めたのちに細川健が率いるヤングジャパングループの子会社ポリスターに移り制作部長を務め、株式会社カレイド(現在のポリスター出版)の代表取締役を兼務した。

ヤングジャパングループ(2012年現在も会社としては存続)は1983年以降所属タレントが別会社(ヤングジャパンの子会社を含む)への移籍が相次ぎ、旧グループ系列の子会社数社の合併でアップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)が誕生。1987年山崎は三代目代表取締役社長に就任した。アップフロントエージェンシー(当時)はその後分社化を経て、数々の子会社を持つアップフロントグループとなった。2002年6月社長を退任し、会長に就任。

人物

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音楽系プロモーターとして活動。1980年代には森高千里、1990年代には「モーニング娘。」、2000年代には松浦亜弥等の時代の人気を極めた女性アイドルを送り出す。一方、あまりマスコミには登場せず詳細な人物像について不明な点が多い。東京を拠点として活動しているが、出身地の千葉県流山市鰭ヶ崎に複数の個人事務所の登記上の本店を置く。

ハロー!プロジェクトを指揮か

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田中義剛のブログによれば、松浦亜弥をオーディションで採用合格させた理由として、自身の誕生日と血液型が一致していたことが挙げられていた。

マスメディアにおける発言・意思表示は唯一、雑誌「サイゾー」2000年10月号にて本人名義のインタビューでモーニング娘。のプロデュースについて語った記事が掲載されたことのみである。このインタビューでは「音楽的な側面はある程度つんく♂に任せているものの、全ての最終的な決定は自分が行っており、モーニング娘。の真のプロデューサーはつんく♂ではなく自分」という意味のそれまでのASAYANテレビ東京)の演出を全否定するような発言を行った。

マスコミに出ない

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山崎は他の芸能事務所社長のようにマスコミに登場せず、1995年当時の事務所の所属タレントだった有賀さつきとの不倫問題の際にも、有賀のみが登場した。

関連項目

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人物

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その他

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