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「法治国家」の版間の差分

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'''法治国家'''(ほうちこっか)
'''法治国家'''(ほうちこっか、{{lang-de-short|Rechtsstaat}}、{{lang-fr-short|État de droit}})とは、その基本的性格が変更不可能である恒久的な法体系によって、その権力を拘束されている[[国家]]。近代[[ドイツ法|ドイツ法学]]に由来する概念であり、国家におけるすべての決定や判断は、国家が定めた法律に基づいて行うとされる。この国家を理想とする思想を'''法治主義'''(ほうちしゅぎ)という。法治主義には形式的に法の形態を具えてさえいれば[[法実証主義#悪法問題|悪法]]もまた法となるという問題点があり[[法の支配]]と区別されることがある。
#({{lang-de-short|Rechtsstaat}}、{{lang-fr-short|État de droit}})近代[[ドイツ法|ドイツ法学]]に由来する概念。18世紀末に[[警察国家]]に対抗して国家権力を法秩序の維持に限定することに始まり、19世紀には国家権力を議会が制定する法律を通じて活動させるように限定することを試み、最後には行政裁判によって行政を拘束する法技術的原理に等値されるに至った。しかし、これでは合法律的形式を踏んだ不法・不道徳な国家権力の発動を阻止できないことから、ナチス・ドイツの経験を経て、基本権を中核とする価値秩序たる憲法が全国家権力を拘束する国家体制であると理解が一新されるに至った。このような理解のもとでは、法治国家は[[英米法]]の[[法の支配]]と親近性を有する<ref>{{Cite book|和書|title=三省堂憲法辞典|year=2001|publisher=三省堂|pages=436-437|editor=大須賀明・栗城壽夫・樋口陽一・吉田善明}}</ref>。
#人の本性を悪であるとし、人の善性に期待せず、[[徳治主義]]を排斥して、法律の強制によって人民を統治しようとする'''法治主義'''によって統治される国家のこと。この意味での法治主義としては、[[韓非|韓非子]]や[[トマス・ホッブズ]]の言説が代表とされる<ref name="daijisen">法治主義① デジタル大辞泉</ref><ref name="kojien">法治主義①『広辞苑』(第六版)</ref>。


以下では、1の意味を解説する。
上記とは別の定義で、中国の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の[[法家]]が唱えた法治の思想により統治される国が法治国家であり、その思想を法治主義という。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
法治国家の概念の起源については、[[英国]]で発展した[[法の支配]]と同様に[[古き良き法]]に求める者もいるが、一般には[[カント]]を先駆者とし、[[カール・ヴエルガー]]、[[ローベルト・フォン・モール]]らによって19世紀の[[ドイツ]]で発展した概念とされる。


=== 自由主義的法治国家論の展開 ===
社会における階級が激しく対立していた当時のドイツにおいて、法律に従った、法律による、国家の統治を実現することによって、国家内部における客観的な法規の定律及び行政活動の非党派性を保障して階級対立を緩和し、臣民の権利ないし自由を保障する実質的な内容を有していたが、その後、[[フリードリヒ.・ユリウス・シュタール]]、[[ルドルフ・フォン・グナイスト]]らによって形式的で法技術的な原理に転化し、[[オットー・マイヤー]]によって定着した概念とされる。
法治国家は[[イマヌエル・カント]]を先駆者とし、[[カール・ヴェルガー]]、[[ローベルト・フォン・モール]]らによって19世紀[[ドイツ]]で発展した概念とされる。カントは『人倫の形而上学』において、法とは、ある人の選択意思が他人のそれと自由の普遍的法則に従って調和させられうるための諸条件の総和であるとする。そこには政府に対する合法性の要請が読み取れる。これをモールらは自由主義的に発展させ、人権としての自由と財産を制限することができるのは市民によって選出された議会だけであるとし、絶対主義と警察国家を打破するテーゼを打ち出した<ref>{{Cite book|洋書|title=Geschichte des Rechts. Von den Frühformen bis zur Gegenwart|year=2001|publisher=C.H. Beck|page=Rn. 273|author=Uwe Wesel}}</ref>。


法治国家論の自由主義的な理念は、ビスマルク帝国の時代に[[フリードリヒ・ユリウス・シュタール]]、[[ルドルフ・フォン・グナイスト]]らによって国家目的の手段表示という形式的で法技術的な原理に転化する。そこでは、自由主義的な議会の役割への意識が稀薄となった。もっともここにも社会における階級が激しく対立していた当時のドイツにおいて、法律による国家統治を実現することによって、国家内部における客観的な法規の定律及び行政活動の非党派性を保障して階級対立を緩和し、臣民の権利ないし自由を保障する実質的意義があった。
[[日本]]では、[[美濃部達吉]]及び[[佐々木惣一]]がほぼ同時期に日本にドイツの学説を輸入したのが、次世代の[[田中二郎]]によって通説として定着した。


法治国家論は、19世紀末に[[オットー・マイヤー]]の行政法学に受け継がれる。マイヤーは、法律の法規創造力、法律の優位、[[法律の留保]]に法治国家の内容を整理した<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=行政法I|year=2015|publisher=有斐閣|pages=77-90|author=塩野宏|edition=第6版}}</ref>。[[日本]]には、[[美濃部達吉]]及び[[佐々木惣一]]が、ドイツの学説を輸入した。自由主義的な行政運営の原理としての法治国家論は、法律の法規創造力、法律の優位、法律の留保として、[[田中二郎]]、[[塩野宏]]ら有力な行政法学者に引き継がれ、今日に至っている<ref name=":0" />。
== 解説 ==
[[法の支配]]の述べる[[法]]とは、議会や法廷あるいは()学者の理性により、現実の社会や慣習の中から「発見される」ものであり、高権力に位置すべき国王(ないし行政府)がその法(法理)を尊重し法の支配に服することをもって社会全体を法理により統治することをさすのに対して、法治国家とは法よる支配の、より実定法的側面が強調される。


=== 形式的法治主義 ===
=== 衰退と復興 ===
自由主義的法治国家論は、自由な世論の批判とそれを反映した議会における自由闊達な討議や政府に対する責任追及があることを前提とする。その結果、法律は一般的・抽象的な形態をとり、公平性と法的安定性に配慮し、国民の予測可能性を保障することになる<ref>{{Cite book|和書|title=憲法の円環|year=2013|publisher=岩波書店|page=77|author=長谷部恭男}}</ref>。一方、大衆が政治に参加し、国家任務が増大し(福祉国家)、大衆を組織化する政党が政治の主要なアクターになるにつれ、立法の専門性・技術性が高まり、政党による審議・表決の規律が強化され、議会の審議が形骸化する傾向が生まれた。この傾向の中で、牧歌的な自由主義的法治国家論は現実味を失っていった。ドイツでは、[[カール・シュミット]]が彼の言うところの「市民的法治国家」批判の主唱者となった<ref>{{Cite book|和書|title=憲法論|year=1974|publisher=みすず書房|pages=153-154|author=カール・シュミット|translator=阿部照哉 ・村上義弘}}</ref>。1930年代の美濃部達吉の論説にも、政党政治の役割縮小を主張するものがある(円卓巨頭会議構想)<ref>長谷部恭男&nbsp;『憲法の円環』岩波書店、2013年、78頁。</ref>。
第二次大戦までの近代ドイツにおいて、法治国家の概念は、もっぱら国家が機能する形式または手続きを示すものであった。この意味での法治主義は、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な概念である。


シュミットは、ナチ党政権成立後、「総統は法を創る」と述べたことで悪名高い。これは[[長いナイフの夜|レーム粛清]](法的根拠も裁判もまったくない殺害)を正当化したものであるが、1933年から1945年までの授権法([[全権委任法]])下の体制に即したフレーズである。1933年授権法は、政府に法律を立法する権限を認め、しかもそれが[[ヴァイマル憲法|ワイマール憲法]]に反して良いとしていた。[[アドルフ・ヒトラー|総統]]を議会とワイマール憲法から解放する法律のもとで、法治国家は完全に陳腐化した。
また、ここで言われている「法」も、近代[[大陸法|大陸法学]]における[[実定法]]としての法であって、その内容とは関係のない「成文化され制定された法律」という形式を指している。


戦後、ドイツ基本法は「社会的法治国家」を標榜し、違憲審査制を取り込み、法治国家論を再興させるに至った。再興した法治国家論は、もはや下記のいう形式的法治国家でないことはもちろん、自由主義的な行政運営の原理にもとどまることなく、立法過程の民主性、法内容や適用の正義・合理性を要求するものとなった。
=== 実質的法治主義 ===
形式的な法によって形式的に国家活動を縛るというだけでなく、法の内容や適用においても正義や合理性を要求する場合、これを実質的法治主義と呼ぶことができる。この意味での法治主義は'''[[法の支配]]'''とほぼ同じ意味を持つ。


== 法治国家の概念 ==
第二次大戦後のドイツでは、ナチズム時代の反省に基づいて、法の内容が正当であるか否かを[[憲法]]に照らして確かめていく[[違憲審査制]]が採用されるようになった。ゆえに、戦後ドイツは実質的法治主義をとる国家だと言える。
[[法の支配]]の述べる[[法]]とは、議会や法廷あるいは学者の理性により、現実の社会や慣習の中から「発見される」ものであり、高権力に位置すべき国王(ないし行政府)がその法(法理)を尊重し法の支配に服することをもって社会全体を法理により統治することをさすのに対して、法治国家については実定法的側面が強調されることが多い<ref>{{Cite book|和書|title=憲法学I 憲法総論|year=1992|publisher=有斐閣|page=107|author=芦部信喜}}</ref>。これは、法治国家論が法技術的な概念として展開してきたことに由来する。もっとも、ドイツの法治国家論においても、法の正当化のためには正義ないし倫理的正当性が必要であるとする実質的な概念化は試みられてきた


=== 形式的法治国家 ===
形式的法治主義の観点からすれば、現在の国家のほとんどは「法治国家」である。たとえ[[国王]]や[[君主]]や権力者([[独裁者]])が統治する国家であっても、その権力が法律によって制限されている場合は、法治国家に当てはまる。また、一部の権力者が自由に法律を制定したり改正できる国家も、形式的に政府や権力者が法律に拘束されているならば、法治国家の定義に当てはまる(極端な例として「[[全権委任法]]」によって独裁権力を合法的に得た[[アドルフ・ヒトラー]])。ただし、国王や君主の権力が法律に一切制限されない近世の「[[絶対君主制]]」や、近現代においても権力者が自国の法律を無視して権力を行使している場合は、この定義には当てはまらない。
芦部信喜によれば、ドイツの法治国家論のモデルとなったシュタールの学説は、国家活動の目標ないし内容と関係がない形式的な、それらの実現の方式・性格に関係するものでしかなかった。国家が国民の権利義務についてどのように定めるべきか、定めるべきでないかを決める原理(自由主義)は、法治主義と厳密に区別された。また、法治国家は法律の内容が合理的であることを要求するものでもなかった。その意味で、戦前のドイツ法治国家は、極論すれば、国家権力がその政治組織のいかんを問わず、自己の意思を表明する一つの法的形式にすぎなかった、と言うことができる<ref>芦部信喜&nbsp;『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、108-109頁。</ref>。


=== 実質的法治国家 ===
一方、実質的法治主義の観点においては、法の形式だけではなく内容上の正当性が追求されねばならず、法律体系が憲法や人権、慣習や社会道徳などに適っているかどうかが問題となる。実質的に法治国家であるかどうかは、制度の側面および現実の政治や法実践の側面において確かめうる。制度的には、前述の違憲審査制などが基準となる。現実において実質的な法治主義が守られているかどうかは、政治や法のさまざまな実践を丁寧に観察・分析することによってしか確かめられない。
形式的に国家活動を拘束するというだけでなく、立法過程の民主性、法内容や適用の正義や合理性を要求する場合、これを実質的法治主義と呼ぶことができる。この意味での法治主義は法の支配とほぼ同じ意味を持つ。戦後の[[ドイツ連邦共和国基本法|ドイツ基本法]]は、「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することはすべての国家権力の義務である」(1条1項)とし、「以下の基本権は、直接に適用される法として、立法、執行権、および裁判を拘束する」(同3項)と定め、「立法は憲法的秩序に、執行権および裁判は、法律'''および法'''に拘束される」(20条1項3文)と規定し、憲法裁判所による違憲審査制を導入した。


現在のドイツにおける実質的法治国家とは、国家権力が基本権を通じて実定法を超える法、すなわち過剰禁止原則そして比例原則に拘束されることを意味する<ref>Reinhold Zippelius: ''Rechtsphilosophie'', 6. Aufl., 2011, § 30 I.</ref>。芦部によれば、憲法の最高法規性を明確にし、不可侵の人権を保障し、適正手続を保障し、司法権を拡大強化し、裁判所の違憲審査権を確立した日本国憲法もまた類似の原理を取り込んでいる<ref>芦部信喜&nbsp;『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、111頁。</ref>。
== その他 ==

;{{visible anchor|納得治国家}}<!-- リダイレクトのターゲットにしているので、記述内容を全面的に削除する場合を除いてanchorを除去しないでください -->
=== 法治国家と法の支配 ===
:[[山本七平]]は「『派閥』の研究」([[文藝春秋]])において、「日本は法治国家ではなく'''納得治国家'''で、罰しなければ国民が納得しないほど目に余るものは罰する法律を探してでも([[別件逮捕]]同然のことをしてでも)罰するが、罰しなくとも国民が納得するものは違法であっても大目に見て何もしない」と述べている。
形式的法治国家の議論と法の支配は著しく異なる。それゆえ、ドイツの議論と英米法の法の支配との断絶が強調されている。実際、まさにシュタインが法治国家がドイツ独自の概念であることを強調する<ref>Lorenz Stein: ''Verwaltungslehre''. Erster Teil. Cotta, Stuttgart, 2. Auflage 1869, 296 f. – Hervorhebung von „deutsch“ im Original. Rund 100 Jahre später greift Böckenförde (''Entstehung und Wandel des Rechtsstaatsbegriffs''. In: Horst Ehmke, Carlo Schmid, Hans Scharoun (Hrsg.): ''Festschrift für Adolf Arndt zum 65. Geburtstag''. EVA, Frankfurt am Main 1969, S. 53–76 [54 mit Fn 4]; ähnlich auch ders.: ''Rechtsstaat''. In: Joachim Ritter, Karlfried Gründer (Hrsg.): ''Historisches Wörterbuch der Philosophie''. Band 8, Schwabe, Basel 1992, Sp. 332–342 [332]) die Steinsche Formulierung wieder auf: „‚Rechtsstaat‘ ist eine dem deutschen Sprachraum eigene Wortverbindung und Begriffsprägung, die in anderen Sprachen so keine Entsprechung findet. Die ‚rule of law‘ im angelsächsischen Bereich ist keine inhaltlich parallele Begriffsbildung, […]“. Die – auch bestehenden – „Gemeinsamkeiten des rechtsstaatlichen Denkens […] mit der Tradition des abendländischen Staatsdenkens und der abendländischen Verfassungsentwicklung machen nicht das spezifische des Rechtsstaatsgedankens aus.“.</ref>。ただ、近年の学説では19世紀ドイツにおいては議会主義が発達していなかったために、法の支配の非政治的側面が前面に出ざるを得なかったのであるとし、法の支配とドイツ流法治国家の断絶を強調しないものがある<ref>Michael Stolleis: ''Rechtsstaat''. In: Adalbert Erler, Ekkehard Kaufmann (Hrsg.): ''Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte'', IV. Band. Erich Schmidt, Berlin 1990 ''(HRG-1).''</ref><ref>Erhard Denninger: ''Rechtsstaat''. In: Axel Görlitz (Hrsg.): ''Handlexikon zur Rechtswissenschaft''. Ehrenwirth, München 1972 ''(H-Lex.)'', 344.</ref>。
;{{visible anchor|人治国家・人治主義|人治国家|人治主義}}<!-- リダイレクトのターゲットにしているので、記述内容を全面的に削除する場合を除いてanchorを除去しないでください -->

:国家あるいは政治制度を批判する際に、「形式的には法治国家であるが、その運用が恣意的であって、[[法の支配]]が成り立っていない」という趣旨で用いられる言葉。
ドイツの伝統的な学説から見れば、実質的法治国家は法治国家の大転換と位置付けられるが、近時の学説からみれば、むしろ法の支配への回帰あるいは合流ということになる。

=== 法治国家と法実証主義 ===
基本権を通じて法律に取り込まれる「法」が自然法なのか道徳なのかについて、法学者の見解は分かれている。

一般に流布しているテーゼとして、法治国家による国家権力の制限は、元来は形式的な部分の検討に尽きていたというものがある。つまり国家行為が法律に規定されていれば十分であるとの考え方である。自然法論とは対照的に、法治国家論では、実定法だけが国家権力を拘束する基準であった。むろん、これは国家権力発動の予測可能性を担保するための仕掛けであったのだが、最大の不道徳が実定法という形式をとって行われたとき、法治国家はこれを防ぐことができなかった。ナチ党政権は、自分たちの目的を[[ニュルンベルク法]]を始めとする実定法の根拠を作って遂行することができた。

ミヒャエル・ザクスは、1945年以降、法律学は[[自然法論|自然法]]を取り込む形で法治国家の実体化を図ってきたという<ref>Michael Sachs, [Kommentarierung zu] ''Art. 20 [Verfassungsgrundsätze, Widerstandsrecht]''. In: ders. (Hrsg.): ''Grundgesetz''. Kommentar. Beck, München 1. Auflage 1996, 621–653 (634, Rn. 49) = 2. Auflage 1999, 743–799 (766) = 3. Auflage 2003, 802–868 (829) = 4. Auflage 2007, 766–824 (790) = 5. Auflage 2009, 774–834 (798), 2.–5. Auflage jew. Rn. 74 – Hv. getilgt: „Nach der Erfahrung des NS-Unrechtsstaates wurde Rechtsstaatlichkeit (wieder) auch materiell verstanden“.</ref>。この点に関する最も重要な法哲学的意見は、著しい不法に対して正義を優先させることを説く[[グスタフ・ラートブルフ]]「実定法の不法と実定法を超える法」<ref>グスタフ・ラートブルフ、小林直樹訳「実定法の不法と実定法を超える法」『ラートブルフ著作集 第4巻』東京大学出版会、1961年、249頁。</ref>が主張した定式([[:de:Radbruchsche_Formel|Radbruchsche Formel]][ドイツ語版])である。芦部も、形式的な法治国家とナチスの教訓という観点を強調する<ref>芦部信喜&nbsp;『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、110頁。高見勝利『芦部憲法学を読む』有斐閣、2004年、5-6頁は、ラートブルフのこの論説が芦部の「原点」となっているという。</ref>。

こうした観点からすると、実質的法治国家ないし法の支配とは、基本権を通じた自然法の取り込みであるということになる。

上記の見解に対して[[法実証主義|法実証主義者]]は反論している。ワイマール共和国では、まさに反実証主義の立場から議会制が攻撃されていた一方、法治国家の理念が立法府によって十分に実践されていなかった<ref>Vgl. Helmut Ridder: ''Vom Wendekreis der Grundrechte''. In: ''Leviathan'' 1977, S. 467–521 (477–489) = ders.: ''Gesammelte Schriften'' hrsg. von Dieter Deiseroth, Peter Derleder, Christoph Koch, Frank-Walter Steinmeier. Nomos, Baden-Baden 2010, S. 355–415 (367–383); spez. zur Umdeutung der Eigentumsgarantie und des allgemeinen Gleichheitssatzes: ebd., S. 481 ff., 483 ff. bzw. 374 ff. sowie Ingeborg Maus: ''Entwicklung und Funktionswandel der Theorie des bürgerlichen Rechtsstaats''. In: dies., ''Rechtstheorie und Politische Theorie im Industriekapitalismus''. Fink, München, 1986 (<nowiki>urn:nbn:de:bvb:12-bsb00040886-9</nowiki>), S. 11–82 (38–40) und schließlich zum Aufstieg der Freirechtsschule: Okko Behrends: ''Von der Freirechtsbewegung zum konkreten Ordnungs- und Gestaltungsdenken''. In: Ralf Dreier, Wolfgang Sellert (Hrsg.): ''Recht und Justiz im „Dritten Reich“''. Suhrkamp, Frankfurt am Main 1989, S. 34–79.</ref>。ナチの正当化の源は、立法と合法性に重きを置くものではなかった<ref>Walter Pauly: ''Die deutsche Staatsrechtslehre in der Zeit des Nationalsozialismus''. In: ''Veröffentlichungen der Vereinigung der Deutschen Staatsrechtslehrer'' Band 60, 2001, 73–105 (104).</ref>。また、「国家行為が法律に規定されていれば十分である」という法実証主義の評価は、確かに合法性論に関しては正しいが、問題となっている行為の政治的評価や、あくまで合法的に行動するべきか、それとも違法な抵抗を行うべきかという道徳的問題は別途考慮するべき問題として残る<ref>Vgl. dazu Peter Römer: ''Kleine Bitte um ein wenig Positivismus. Thesen zur neueren Methodendiskussion''. In: Peter Römer (Hrsg.): ''Der Kampf um das Grundgesetz. Über die politische Bedeutung der Verfassungsinterpretation. Referate und Diskussionen eines Kolloquiums aus Anlaß des 70. Geburtstags von Wolfgang Abendroth'' [Abendroth-Festschrift II], Syndikat, Frankfurt am Main 1977, 87–97 (90): „Es gibt Rechtsordnungen, […], denen gegenüber […] nur noch die radikale Negation zulässig ist. Die Nürnberger Gesetze interpretiert man nicht mehr, sondern bekämpft sie.“</ref>。たとえば[[長谷部恭男]]も、法実証主義からしても法の権威を常に認めなければならないわけではなく、個人の実践理性に従って道徳や合理性の判断をなすべき場合もあるという<ref>{{Cite book|和書|title=法とは何か|year=2015|publisher=河出書房新社|page=226|author=長谷部恭男|edition=増補版}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokeni.org/docs/2019121600035/ |title=【視点】憲法とは何か |access-date=2022年11月4日 |publisher=東京保険医協会}}</ref>。

法実証主義からすれば、実質的法治国家ないし法の支配とは、「これは法だが、服従したり適用したりするには、あまりにも邪悪」<ref>{{Cite book|和書|title=法の概念|year=2014|publisher=筑摩書房|page=325|edition=第3版|author=H. L. A. ハート|translator=長谷部恭男}}</ref>な場合には、道徳を考慮して実定法の拘束力を解除することを意味する。すなわち、基本権を通じて取り込むのは道徳である。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[芦部信喜]]著・[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]補訂『憲法(第四版)(岩波書店2007
* 芦部信喜憲法学I 憲法総論有斐閣1992
* 塩野宏『オットー・マイヤー行政法学の構造』有斐閣、1962年
* 塩野宏『行政法I 行政法総論』(第6版)有斐閣、2015年
* 長谷部恭男『法とは何か』(増補版)河出書房新社、2015年
* グスタフ・ラートブルフ『ラートブルフ著作集 第4巻』東京大学出版会、1961年
* Ernst-Wolfgang Böckenförde: ''Entstehung und Wandel des Rechtsstaatsbegriffs.'' In: Horst Ehmke, Carlo Schmid, Hans Scharoun (Hrsg.): ''Festschrift für Adolf Arndt zum 65. Geburtstag.'' Frankfurt am Main 1969, S. 53–76.
* Ernst Forsthoff: ''Rechtsstaat im Wandel. Verfassungsrechtliche Abhandlungen 1950–1964.'' 1. Auflage, Kohlhammer, Stuttgart 1964; 2., vom Verf. überarb. u. nach seinem Tode von Klaus Frey hrsg. Auflage. C.H. Beck, München 1976.
* Klaus Stern: ''Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland.'' Band I: ''Grundbegriffe und Grundlagen des Staatsrechts, Strukturprinzipien der Verfassung''. 2., völlig neubearb. Auflage, § 20, Beck, München 1984, ISBN 3-406-09372-8.
* Michael Stolleis: ''Rechtsstaat''. In: ''Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte'' (HRG) 4 (1990), S. 367–375.
* Reinhold Zippelius: ''Allgemeine Staatslehre. Politikwissenschaft.'' 16. Auflage (§§ 30 ff.), Beck, München 2010, ISBN 978-3-406-60342-6.
* Reinhold Zippelius: ''Rechtsphilosophie''. 6. Auflage. Beck, München 2011, ISBN 978-3-406-61191-9.


== 関連事項 ==
== 関連事項 ==
* [[法の支配]]
* [[法の支配]]
* [[韓非子]]
* [[夜警国家]]
* [[夜警国家]]
* [[福祉国家]]
* [[福祉国家]]
50行目: 82行目:
* [[全権委任法]]
* [[全権委任法]]
* [[デュー・プロセス・オブ・ロー]]
* [[デュー・プロセス・オブ・ロー]]
* [[刑不上常委]] - 中国のことわざで「刑は大幹部には及ばない」を意味する。[[周永康#汚職・失脚|周永康失脚・逮捕]]は、中国共産党で暗黙の内に不文律とされ、深刻な汚職の構造的温床となっていた。
* [[刑不上常委]] - 現代中国の成句で「刑は大幹部([[中国共産党中央政治局常務委員会|政治局常務委員]])には及ばない」を意味する。2013年に[[周永康#汚職・失脚|周永康失脚・逮捕される]]までは、[[中国共産党]]で暗黙の内に[[不文律]]とされ、深刻な汚職の構造的温床となっていた。


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2023年11月26日 (日) 23:06時点における最新版

法治国家(ほうちこっか)

  1. : Rechtsstaat: État de droit)近代ドイツ法学に由来する概念。18世紀末に警察国家に対抗して国家権力を法秩序の維持に限定することに始まり、19世紀には国家権力を議会が制定する法律を通じて活動させるように限定することを試み、最後には行政裁判によって行政を拘束する法技術的原理に等値されるに至った。しかし、これでは合法律的形式を踏んだ不法・不道徳な国家権力の発動を阻止できないことから、ナチス・ドイツの経験を経て、基本権を中核とする価値秩序たる憲法が全国家権力を拘束する国家体制であると理解が一新されるに至った。このような理解のもとでは、法治国家は英米法法の支配と親近性を有する[1]
  2. 人の本性を悪であるとし、人の善性に期待せず、徳治主義を排斥して、法律の強制によって人民を統治しようとする法治主義によって統治される国家のこと。この意味での法治主義としては、韓非子トマス・ホッブズの言説が代表とされる[2][3]

以下では、1の意味を解説する。

歴史[編集]

自由主義的法治国家論の展開[編集]

法治国家はイマヌエル・カントを先駆者とし、カール・ヴェルガーローベルト・フォン・モールらによって19世紀ドイツで発展した概念とされる。カントは『人倫の形而上学』において、法とは、ある人の選択意思が他人のそれと自由の普遍的法則に従って調和させられうるための諸条件の総和であるとする。そこには政府に対する合法性の要請が読み取れる。これをモールらは自由主義的に発展させ、人権としての自由と財産を制限することができるのは市民によって選出された議会だけであるとし、絶対主義と警察国家を打破するテーゼを打ち出した[4]

法治国家論の自由主義的な理念は、ビスマルク帝国の時代にフリードリヒ・ユリウス・シュタールルドルフ・フォン・グナイストらによって国家目的の手段表示という形式的で法技術的な原理に転化する。そこでは、自由主義的な議会の役割への意識が稀薄となった。もっともここにも社会における階級が激しく対立していた当時のドイツにおいて、法律による国家統治を実現することによって、国家内部における客観的な法規の定律及び行政活動の非党派性を保障して階級対立を緩和し、臣民の権利ないし自由を保障する実質的意義があった。

法治国家論は、19世紀末にオットー・マイヤーの行政法学に受け継がれる。マイヤーは、法律の法規創造力、法律の優位、法律の留保に法治国家の内容を整理した[5]日本には、美濃部達吉及び佐々木惣一が、ドイツの学説を輸入した。自由主義的な行政運営の原理としての法治国家論は、法律の法規創造力、法律の優位、法律の留保として、田中二郎塩野宏ら有力な行政法学者に引き継がれ、今日に至っている[5]

衰退と復興[編集]

自由主義的法治国家論は、自由な世論の批判とそれを反映した議会における自由闊達な討議や政府に対する責任追及があることを前提とする。その結果、法律は一般的・抽象的な形態をとり、公平性と法的安定性に配慮し、国民の予測可能性を保障することになる[6]。一方、大衆が政治に参加し、国家任務が増大し(福祉国家)、大衆を組織化する政党が政治の主要なアクターになるにつれ、立法の専門性・技術性が高まり、政党による審議・表決の規律が強化され、議会の審議が形骸化する傾向が生まれた。この傾向の中で、牧歌的な自由主義的法治国家論は現実味を失っていった。ドイツでは、カール・シュミットが彼の言うところの「市民的法治国家」批判の主唱者となった[7]。1930年代の美濃部達吉の論説にも、政党政治の役割縮小を主張するものがある(円卓巨頭会議構想)[8]

シュミットは、ナチ党政権成立後、「総統は法を創る」と述べたことで悪名高い。これはレーム粛清(法的根拠も裁判もまったくない殺害)を正当化したものであるが、1933年から1945年までの授権法(全権委任法)下の体制に即したフレーズである。1933年授権法は、政府に法律を立法する権限を認め、しかもそれがワイマール憲法に反して良いとしていた。総統を議会とワイマール憲法から解放する法律のもとで、法治国家は完全に陳腐化した。

戦後、ドイツ基本法は「社会的法治国家」を標榜し、違憲審査制を取り込み、法治国家論を再興させるに至った。再興した法治国家論は、もはや下記のいう形式的法治国家でないことはもちろん、自由主義的な行政運営の原理にもとどまることなく、立法過程の民主性、法内容や適用の正義・合理性を要求するものとなった。

法治国家の概念[編集]

法の支配の述べるとは、議会や法廷あるいは(哲)学者の理性により、現実の社会や慣習の中から「発見される」ものであり、高権力に位置すべき国王(ないし行政府)がその法(法理)を尊重し法の支配に服することをもって社会全体を法理により統治することをさすのに対して、法治国家については実定法的側面が強調されることが多い[9]。これは、法治国家論が法技術的な概念として展開してきたことに由来する。もっとも、ドイツの法治国家論においても、法の正当化のためには正義ないし倫理的正当性が必要であるとする実質的な概念化は試みられてきた。

形式的法治国家[編集]

芦部信喜によれば、ドイツの法治国家論のモデルとなったシュタールの学説は、国家活動の目標ないし内容と関係がない形式的な、それらの実現の方式・性格に関係するものでしかなかった。国家が国民の権利義務についてどのように定めるべきか、定めるべきでないかを決める原理(自由主義)は、法治主義と厳密に区別された。また、法治国家は法律の内容が合理的であることを要求するものでもなかった。その意味で、戦前のドイツ法治国家は、極論すれば、国家権力がその政治組織のいかんを問わず、自己の意思を表明する一つの法的形式にすぎなかった、と言うことができる[10]

実質的法治国家[編集]

形式的に国家活動を拘束するというだけでなく、立法過程の民主性、法内容や適用の正義や合理性を要求する場合、これを実質的法治主義と呼ぶことができる。この意味での法治主義は法の支配とほぼ同じ意味を持つ。戦後のドイツ基本法は、「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することはすべての国家権力の義務である」(1条1項)とし、「以下の基本権は、直接に適用される法として、立法、執行権、および裁判を拘束する」(同3項)と定め、「立法は憲法的秩序に、執行権および裁判は、法律および法に拘束される」(20条1項3文)と規定し、憲法裁判所による違憲審査制を導入した。

現在のドイツにおける実質的法治国家とは、国家権力が基本権を通じて実定法を超える法、すなわち過剰禁止原則そして比例原則に拘束されることを意味する[11]。芦部によれば、憲法の最高法規性を明確にし、不可侵の人権を保障し、適正手続を保障し、司法権を拡大強化し、裁判所の違憲審査権を確立した日本国憲法もまた類似の原理を取り込んでいる[12]

法治国家と法の支配[編集]

形式的法治国家の議論と法の支配は著しく異なる。それゆえ、ドイツの議論と英米法の法の支配との断絶が強調されている。実際、まさにシュタインが法治国家がドイツ独自の概念であることを強調する[13]。ただ、近年の学説では19世紀ドイツにおいては議会主義が発達していなかったために、法の支配の非政治的側面が前面に出ざるを得なかったのであるとし、法の支配とドイツ流法治国家の断絶を強調しないものがある[14][15]

ドイツの伝統的な学説から見れば、実質的法治国家は法治国家の大転換と位置付けられるが、近時の学説からみれば、むしろ法の支配への回帰あるいは合流ということになる。

法治国家と法実証主義[編集]

基本権を通じて法律に取り込まれる「法」が自然法なのか道徳なのかについて、法学者の見解は分かれている。

一般に流布しているテーゼとして、法治国家による国家権力の制限は、元来は形式的な部分の検討に尽きていたというものがある。つまり国家行為が法律に規定されていれば十分であるとの考え方である。自然法論とは対照的に、法治国家論では、実定法だけが国家権力を拘束する基準であった。むろん、これは国家権力発動の予測可能性を担保するための仕掛けであったのだが、最大の不道徳が実定法という形式をとって行われたとき、法治国家はこれを防ぐことができなかった。ナチ党政権は、自分たちの目的をニュルンベルク法を始めとする実定法の根拠を作って遂行することができた。

ミヒャエル・ザクスは、1945年以降、法律学は自然法を取り込む形で法治国家の実体化を図ってきたという[16]。この点に関する最も重要な法哲学的意見は、著しい不法に対して正義を優先させることを説くグスタフ・ラートブルフ「実定法の不法と実定法を超える法」[17]が主張した定式(Radbruchsche Formel[ドイツ語版])である。芦部も、形式的な法治国家とナチスの教訓という観点を強調する[18]

こうした観点からすると、実質的法治国家ないし法の支配とは、基本権を通じた自然法の取り込みであるということになる。

上記の見解に対して法実証主義者は反論している。ワイマール共和国では、まさに反実証主義の立場から議会制が攻撃されていた一方、法治国家の理念が立法府によって十分に実践されていなかった[19]。ナチの正当化の源は、立法と合法性に重きを置くものではなかった[20]。また、「国家行為が法律に規定されていれば十分である」という法実証主義の評価は、確かに合法性論に関しては正しいが、問題となっている行為の政治的評価や、あくまで合法的に行動するべきか、それとも違法な抵抗を行うべきかという道徳的問題は別途考慮するべき問題として残る[21]。たとえば長谷部恭男も、法実証主義からしても法の権威を常に認めなければならないわけではなく、個人の実践理性に従って道徳や合理性の判断をなすべき場合もあるという[22][23]

法実証主義からすれば、実質的法治国家ないし法の支配とは、「これは法だが、服従したり適用したりするには、あまりにも邪悪」[24]な場合には、道徳を考慮して実定法の拘束力を解除することを意味する。すなわち、基本権を通じて取り込むのは道徳である。

脚注[編集]

  1. ^ 大須賀明・栗城壽夫・樋口陽一・吉田善明 編『三省堂憲法辞典』三省堂、2001年、436-437頁。 
  2. ^ 法治主義① デジタル大辞泉
  3. ^ 法治主義①『広辞苑』(第六版)
  4. ^ Uwe Wesel (2001). Geschichte des Rechts. Von den Frühformen bis zur Gegenwart. C.H. Beck. p. Rn. 273 
  5. ^ a b 塩野宏『行政法I』(第6版)有斐閣、2015年、77-90頁。 
  6. ^ 長谷部恭男『憲法の円環』岩波書店、2013年、77頁。 
  7. ^ カール・シュミット 著、阿部照哉 ・村上義弘 訳『憲法論』みすず書房、1974年、153-154頁。 
  8. ^ 長谷部恭男 『憲法の円環』岩波書店、2013年、78頁。
  9. ^ 芦部信喜『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、107頁。 
  10. ^ 芦部信喜 『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、108-109頁。
  11. ^ Reinhold Zippelius: Rechtsphilosophie, 6. Aufl., 2011, § 30 I.
  12. ^ 芦部信喜 『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、111頁。
  13. ^ Lorenz Stein: Verwaltungslehre. Erster Teil. Cotta, Stuttgart, 2. Auflage 1869, 296 f. – Hervorhebung von „deutsch“ im Original. Rund 100 Jahre später greift Böckenförde (Entstehung und Wandel des Rechtsstaatsbegriffs. In: Horst Ehmke, Carlo Schmid, Hans Scharoun (Hrsg.): Festschrift für Adolf Arndt zum 65. Geburtstag. EVA, Frankfurt am Main 1969, S. 53–76 [54 mit Fn 4]; ähnlich auch ders.: Rechtsstaat. In: Joachim Ritter, Karlfried Gründer (Hrsg.): Historisches Wörterbuch der Philosophie. Band 8, Schwabe, Basel 1992, Sp. 332–342 [332]) die Steinsche Formulierung wieder auf: „‚Rechtsstaat‘ ist eine dem deutschen Sprachraum eigene Wortverbindung und Begriffsprägung, die in anderen Sprachen so keine Entsprechung findet. Die ‚rule of law‘ im angelsächsischen Bereich ist keine inhaltlich parallele Begriffsbildung, […]“. Die – auch bestehenden – „Gemeinsamkeiten des rechtsstaatlichen Denkens […] mit der Tradition des abendländischen Staatsdenkens und der abendländischen Verfassungsentwicklung machen nicht das spezifische des Rechtsstaatsgedankens aus.“.
  14. ^ Michael Stolleis: Rechtsstaat. In: Adalbert Erler, Ekkehard Kaufmann (Hrsg.): Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte, IV. Band. Erich Schmidt, Berlin 1990 (HRG-1).
  15. ^ Erhard Denninger: Rechtsstaat. In: Axel Görlitz (Hrsg.): Handlexikon zur Rechtswissenschaft. Ehrenwirth, München 1972 (H-Lex.), 344.
  16. ^ Michael Sachs, [Kommentarierung zu] Art. 20 [Verfassungsgrundsätze, Widerstandsrecht]. In: ders. (Hrsg.): Grundgesetz. Kommentar. Beck, München 1. Auflage 1996, 621–653 (634, Rn. 49) = 2. Auflage 1999, 743–799 (766) = 3. Auflage 2003, 802–868 (829) = 4. Auflage 2007, 766–824 (790) = 5. Auflage 2009, 774–834 (798), 2.–5. Auflage jew. Rn. 74 – Hv. getilgt: „Nach der Erfahrung des NS-Unrechtsstaates wurde Rechtsstaatlichkeit (wieder) auch materiell verstanden“.
  17. ^ グスタフ・ラートブルフ、小林直樹訳「実定法の不法と実定法を超える法」『ラートブルフ著作集 第4巻』東京大学出版会、1961年、249頁。
  18. ^ 芦部信喜 『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年、110頁。高見勝利『芦部憲法学を読む』有斐閣、2004年、5-6頁は、ラートブルフのこの論説が芦部の「原点」となっているという。
  19. ^ Vgl. Helmut Ridder: Vom Wendekreis der Grundrechte. In: Leviathan 1977, S. 467–521 (477–489) = ders.: Gesammelte Schriften hrsg. von Dieter Deiseroth, Peter Derleder, Christoph Koch, Frank-Walter Steinmeier. Nomos, Baden-Baden 2010, S. 355–415 (367–383); spez. zur Umdeutung der Eigentumsgarantie und des allgemeinen Gleichheitssatzes: ebd., S. 481 ff., 483 ff. bzw. 374 ff. sowie Ingeborg Maus: Entwicklung und Funktionswandel der Theorie des bürgerlichen Rechtsstaats. In: dies., Rechtstheorie und Politische Theorie im Industriekapitalismus. Fink, München, 1986 (urn:nbn:de:bvb:12-bsb00040886-9), S. 11–82 (38–40) und schließlich zum Aufstieg der Freirechtsschule: Okko Behrends: Von der Freirechtsbewegung zum konkreten Ordnungs- und Gestaltungsdenken. In: Ralf Dreier, Wolfgang Sellert (Hrsg.): Recht und Justiz im „Dritten Reich“. Suhrkamp, Frankfurt am Main 1989, S. 34–79.
  20. ^ Walter Pauly: Die deutsche Staatsrechtslehre in der Zeit des Nationalsozialismus. In: Veröffentlichungen der Vereinigung der Deutschen Staatsrechtslehrer Band 60, 2001, 73–105 (104).
  21. ^ Vgl. dazu Peter Römer: Kleine Bitte um ein wenig Positivismus. Thesen zur neueren Methodendiskussion. In: Peter Römer (Hrsg.): Der Kampf um das Grundgesetz. Über die politische Bedeutung der Verfassungsinterpretation. Referate und Diskussionen eines Kolloquiums aus Anlaß des 70. Geburtstags von Wolfgang Abendroth [Abendroth-Festschrift II], Syndikat, Frankfurt am Main 1977, 87–97 (90): „Es gibt Rechtsordnungen, […], denen gegenüber […] nur noch die radikale Negation zulässig ist. Die Nürnberger Gesetze interpretiert man nicht mehr, sondern bekämpft sie.“
  22. ^ 長谷部恭男『法とは何か』(増補版)河出書房新社、2015年、226頁。 
  23. ^ 【視点】憲法とは何か”. 東京保険医協会. 2022年11月4日閲覧。
  24. ^ H. L. A. ハート 著、長谷部恭男 訳『法の概念』(第3版)筑摩書房、2014年、325頁。 

参考文献[編集]

  • 芦部信喜『憲法学I 憲法総論』有斐閣、1992年
  • 塩野宏『オットー・マイヤー行政法学の構造』有斐閣、1962年
  • 塩野宏『行政法I 行政法総論』(第6版)有斐閣、2015年
  • 長谷部恭男『法とは何か』(増補版)河出書房新社、2015年
  • グスタフ・ラートブルフ『ラートブルフ著作集 第4巻』東京大学出版会、1961年
  • Ernst-Wolfgang Böckenförde: Entstehung und Wandel des Rechtsstaatsbegriffs. In: Horst Ehmke, Carlo Schmid, Hans Scharoun (Hrsg.): Festschrift für Adolf Arndt zum 65. Geburtstag. Frankfurt am Main 1969, S. 53–76.
  • Ernst Forsthoff: Rechtsstaat im Wandel. Verfassungsrechtliche Abhandlungen 1950–1964. 1. Auflage, Kohlhammer, Stuttgart 1964; 2., vom Verf. überarb. u. nach seinem Tode von Klaus Frey hrsg. Auflage. C.H. Beck, München 1976.
  • Klaus Stern: Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland. Band I: Grundbegriffe und Grundlagen des Staatsrechts, Strukturprinzipien der Verfassung. 2., völlig neubearb. Auflage, § 20, Beck, München 1984, ISBN 3-406-09372-8.
  • Michael Stolleis: Rechtsstaat. In: Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte (HRG) 4 (1990), S. 367–375.
  • Reinhold Zippelius: Allgemeine Staatslehre. Politikwissenschaft. 16. Auflage (§§ 30 ff.), Beck, München 2010, ISBN 978-3-406-60342-6.
  • Reinhold Zippelius: Rechtsphilosophie. 6. Auflage. Beck, München 2011, ISBN 978-3-406-61191-9.

関連事項[編集]